いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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 次話で灰色編を終わりにしたいと思っております。
 ご批評、ご感想がございましたら、ご容赦なくコメントしていただければ幸いです。
 次話も十日以内に行いたいと考えております。

 また、今回の話はフウコによる一人称視点ではありますが、記憶を振り返っているという背景があります。三人称的一人称、というような感じです。冒頭の部分の時間は、うちは一族抹殺事件(公式のネーミングが分からないため、中道が勝手に命名してしまっていますが)が始まる当夜です。その時間から、フウコが【シスイと本物の内はフウコが争う】場面を半ば客観的に想起する、という形式です。
 以上のことを考慮して読んでいただければ、幾分かは、読み難い中道の文章を読み解く手助けになるのではないか? と思い、前書きに書かせていただきました。

 ※追記です。

  あとがきの文章は、ただの三人称視点です。


過去と、嘘と、幸福論と

 私は―――過去に負けた。

 

 徹底的に、圧倒的に、情けないくらいに、負けたのだ。

 

 過去というのは、理想と現実の間に生まれるのだと思う。

 

 誰もが理想を抱く。

 家族と幸せに過ごしたい。

 恋人と結ばれて家族になりたい。

 友達と一緒に毎日楽しい時間を過ごしたい。

 特別であったり、当たり前であったり、壮大であったり些細であったり、個人に差はあっても、人は理想を抱き、それを糧に人生を歩む。

 だけど、理想の前にはいつだって、現実が邪魔をする。

 

 家族との幸せを願っても、嵐のような防ぎようのない不幸が訪れてしまう現実がある。

 恋人と結ばれたいと祈っても、他者の感情が求める全てを提供できる人間はいないという現実がある。

 友達と一緒に毎日楽しい時間を過ごしたいと望んでも、言葉が意思疎通の限界である関係には齟齬が生まれるという現実がある。

 

 理想が現実に打ち破られ、止まらない時間を前に心が足を止めた時、過去は生まれるのだと、今なら分かる。

 

 空が綺麗なのはきっと、空が連続していないからだ。

 空は理想を抱かない。ただそこにあるだけ。現実に身を任せて、晴れを作り、雨を作り、曇りを作り、時には嵐を作る。眠って起きてみれば、空はあっさりと顔を変えて、佇むだけ。だから綺麗なんだ。透明であるものは得てして、綺麗だ。

 

 昔―――【私】というのを、どこから区分すればいいのか分からないけど、【うちはフウコ】として生きることになった、この身体で幼い頃―――私は空が怖かった。綺麗だと思っていたけど、奥底では恐れていた。

 

 また、目を閉じてしまったら……眠りに付いてしまったら、全てが変わっているのではないかと、思ったから。

 いつも大切なものの環境は、私が目を覚ました時には変わっている。空を見るのは、きっと、逃げなんだと思う。大切な人に異変の有無を尋ねた時、もし【有】であったら泣いてしまうかもしれないから。

 空は何も言わない。

 過去もない、透明で、今だけを伝えてくれる。

 だから空を見上げ続けた。

 異変が無いか、監視していたのだ。

 もちろん、そんなことは意味がないんだってことは知ってた。空を見ても、周りの異変なんて分からない。幼い子供でも分かる、屁理屈。それでも、私は空を見続けていた。

 

 彼―――イタチと会うまでは。

 

 イタチは不思議な子だった。幼いのに、戦争の傷痕を前にしても、慌てることもなく、確固たる冷静さを持っていた。一瞬だけ、私と同じようなのではないかと思った。つまり、心と身体の年齢に大きな差を持った子なのではないかと。だけど、それが彼の才能だっただけで、子供らしい部分はあった。サスケくんが生まれた時は、彼は子供らしく柔らかい無邪気な笑顔を浮かべていた。

 

 彼と出会い、誰かが傍にいてくれるということの安心を教えてくれた。彼の冷静な声のトーンが、扉間様に似ていたからかもしれない。家族という言葉が、不思議と、私の心に沁み込んだ。

 

 彼と、そして彼の両親であるフガクさんとミコトさん、さらには彼の弟であるサスケくん。みんなと、当たり前の日々を、寝て、起きて、一緒にご飯を食べて、話しをして、サスケくんの前ででんでん太鼓を鳴らして、お風呂に入って、眠る。

 些細で、当たり前で、平和の象徴のような日々を過ごしている内に、私の心から異変への警戒が無くなった。

 いつしか私の【輪】は広がって、

 シスイが加わって、イロリちゃんと手を繋いで。

 些細だった平和の象徴は壮大になって。平和が見やすくなって。

 空は、私にとって、ただ綺麗なものになっていた。

 

 でも、だからかもしれない。

 私は勘違いをした。

 空を本当に綺麗なものだと見れるようになったから、綺麗で素敵な人たちと関われたから、

 

 

 

 私は、私自身も綺麗な人間になれたのだと―――過去とは関わりのない人間なのだと、平和な未来の中に過ごせる人間なのだと、勘違いをしたんだ。

 

 

 

 今思えば、その勘違い、思い違いが、全ての過ちだった。

 私はずっと、過去であるべきだったんだ。

 心を置いた、誓いを置いた、扉間様の元に留まっておくべきだったのだ。

 平和を守り続けることに専念するべきだったのだ。

 

 たとえ、家族だと言ってくれるイタチの善意を無碍にしても、シスイの好意を拒絶してでも、イロリちゃんの思いを否定してでも……私は、最初から過去になり続けるべきだった。

 

 そうすれば、もしかしたら―――こんなことを考えても、意味のないことだけど―――シスイが死ぬことも……無かったかもしれない。

 

「…………綺麗な……空」

 

 眼下に広がる、夜に包まれ始める里。西の空は燃えるように赤く吸い込まれ、太陽の頭がちょうど隠れた時だった。紫色の空が九割ほどを占める彼方の真下の里は、徐々に人工的な光を灯り始める。夜が来た。

 この里での、最後の夜。

 悲しいとか、苦しいとか、そういう感情はもう無い。持ってはいけないから。

 ずっと、ずっと……。

 牢獄の中で感情を捨ててきたから。

 

「副忍様。間もなく……」

 

 顔岩の端に立っている私に、後ろから【根】の者が声をかけてきた。監視役の彼らは、私一人の為だけに、十人ほどが、扇状に私を囲んでいる。当然だ。一度、この身体を彼女に明け渡してしまったのだから。けれど、こうやって、外に出させてくれるだけでも、まだ信頼されているということかも。

 

 間もなく、というのは、私がうちは一族の警務部隊本部の牢獄に移送される時刻のことを示している。早くしろという威圧的な感情が込められていない平坦な声は、今の私には、秋の乾いた空気のように心地良かった。

 

「…………分かった。そう、終わりにしないとね」

 

 終わりにする。

 この里で平和に過ごしていただろう未来の自分と、この里で育った温かな記憶たちと。

 振り返り、一歩踏み出す。

 

 途端に、記憶がぶり返した。

 きっと無意識の私が、懺悔をするように、最後の感情を切り捨てようと足掻いたのかもしれない。暗部の拘留所の中で捨てた感情―――うちはフウコとして生きていくことになった幼い身体の頃から、シスイと一緒にカガミさんのお墓参りを最後にしたまでの記憶―――ではなく、暗部に拘留されるまでの記憶を思い出して、捨て去る準備をしたんだと思う。

 

 そう。

 

 フウコちゃんとシスイが戦い、そして、今に至るまでの【私】の後悔の記憶を。

 私の意識は、逃げるようにあるいは拒絶するように客観的に棒立ちをしながら、次の一歩までの数瞬に流れた記憶を眺めた。

 

 

 

 ★ ★ ★

 

 

 

 私の身体―――同時に、フウコちゃんの身体でもあるけど―――は、フウコちゃんの肉体をベースとしていながらも、私の本来の身体で繋ぎ止めている状態になっているらしい。筋力、身体エネルギーの増幅によるチャクラ量の増加、身体能力に至るまで、通常の成長を遂げている同年代の子と比べると遥か上位にあるのは、私の本来の身体の影響が残っているからだ。写輪眼の瞳力もあってか、相手の遥か先の動きを可能にするほど、身体の能力は高かった。

 だけど、必ず戦闘で勝てるという保証では、決してない。あくまで、優位に戦闘を進めることができるという程度の力。どんな戦闘でも、始まる前から勝てるという確信を得れる力は、この世に存在しない。

 

 ただ、戦闘を限りなく優位に進めるのに必要なものはあると思う。

 それは人それぞれで、一概には言えないけど、私にとっては【経験】だった。

 

 相手の体勢を見て、どのような攻撃が来るのかを反射的に予想する。

 どういうパターンで、人は行動を硬直させるのか。

 人の思考傾向、タイミング、距離感、術を発動させるタイミング。

 

 それらは多く戦闘を重ねなければ手に入らない。いくら写輪眼で相手の動きを先読み出来ると言っても、身体が、もっと言えば意識がついていけなければ、効果は十分に発揮されない。

 ましてや強者相手には、必要なスキルだ。

 

「くそッ! ちょこまかちょこまかってえッ!」

 

 フウコちゃんには、経験が遥かに足りていなかった。私が支配権を持っている時、身体の中から知識として獲得していても、実際に身体を動かすというのは意識を張り詰めた戦闘では思うようにできないようだった。

 

 暗闇の中。辺りを覆う木々の間を、シスイは駆け回っていた。瞬身という異名を持つ彼の速度は、視界の悪い夜中、ましてや遮蔽物の多い森の中では脅威だ。右腕が折られ、高天原の影響で身体が重くなっているのに、フウコちゃんは一度として彼の姿をまともに捉えられずにいた。

 暗闇に紛れ、遮蔽物を渡り、ヒット&アウェイを繰り返すシスイ。フウコちゃんは、彼の攻撃を寸での所で、黒羽々斬ノ剣で防ぐ。術を発動しようと印を結ぼうとしたら、シスイが攻撃を仕掛け停止させる。戦闘が始まってから、そのパターンが続いていた。

 

「こんなはずじゃ……、こんなはずじゃないッ! お父さんが治してくれた身体なんだから……もっと……ッ!」

 

 考えも無しに顔を振り、写輪眼でシスイのチャクラを捉えようとするけど、あまりにも迂闊だった。

 

「……ッ?!」

 

 後ろから微かに聞こえた風音にフウコちゃんは振り返り、左手で暗部の刀を振るシスイの姿を見た。刀は急所ではなく、左脹脛を狙っていたけど、フウコちゃんは左手で刀を振り回し寸での所で弾く。だけど、シスイは距離を再び離す際に足を回して腹部に蹴りを入れた。

 

「……ッ。この……っ。いくじなしッ! 虫みたいにチマチマチマチマってぇえええッ!」

「静かにしろ。フウコの顔で、汚い声を出すな」

 

 苛立ちで注意が疎かになったところを、シスイはまた、真後ろから刀を―――振る動きを見せただけだった。シスイのフェイントに引っ掛かり、反射的に刀を振り回そうとしたフウコちゃんの腕をそのまま左腕一本で絡めとり、腹部に膝を叩き込んだ。

 

『シスイ、そのまま……ッ!』

「黙れぇええええええッ!」

 

 取っているシスイの腕ごと振り払った。受け身を取った彼はそのまま暗闇に消え、闇の中を移動する。

 

 戦闘が始まってからのダメージでも、そして精神的な安定も、フウコちゃんの方が劣勢だった。シスイとフウコちゃんの経験の差だ。総合的な身体能力はフウコちゃんが上でも、シスイは彼女の力を最大限に抑え込んでいる。

 

 徹底してフウコちゃんの視界に入らないように動き、術を使えないという状態での体術のみのスタイル、フウコちゃんの短絡的な性格を読んでの動き。戦闘全てが、シスイの思い通りに動いている。

 

 おそらく、シスイが細心の注意を払っているのは、術を発動させないことだった。術を発動させてしまえば、辺りに異変を知らせることになってしまう。フウコとシスイが殺し合っている。その情報を、うちは一族に知らせないようにしている。

 

『フウコちゃん、諦めて! 貴方じゃシスイには勝てない』

「黙ってッ! あんな奴、私がもっと、しっかりすればッ!」

『今なら―――ッ!』

 

 その時私は、精神チャクラを思い切り檻に送り込んだ。いくら七尾のチャクラを用いていても、戦闘中ではコントロールは難しいはずだと思ったからだ。

 現に、かつて私たちの封印が解かれ、フウコちゃんに支配権が渡っていた時も、暗部に囲まれ戦闘を行っていた彼女の隙を突いて、支配権を獲得した。

 

 だけどこの時は、支配権を取り返そうなんて思っていなかった。

 

 ただ少しでも、フウコちゃんの集中力を削げたら、シスイの身から危険を遠ざけられたら、それだけで良かった。

 

「フウコさんうるさいッ!」

『幾らでもうるさくしてやるッ! シスイは殺させないッ!』

「さっきまでメソメソ泣いてたくせにッ!」

 

 シスイが殺される。

 私のフリをしたフウコちゃんに。

 シスイに、恨まれる。

 

 その絶望に頭を垂れ、額を精神世界の地面に擦りつけていたけど、その絶望はもう既になくなっていた。むしろ、興奮があったと思う。

 シスイはフウコちゃんと私の変化を分かってくれた。見た目は同じで、声真似をしていたフウコちゃんを、その普段ならまるで見逃してしまうような些細な変化を、見逃さなかった。

 

 自分の存在を認められたような気がしたんだ。

 これまで彼と共に過ごした時間が、関係が、繋がりが、光り輝いたような気がして、嬉しかったんだ。胸が締め付けられるような、けれど胸の奥が躍動して首が熱くなる興奮。

 

「中に、フウコがいるんだな?」

 

 フウコちゃんが用意した、窓のようなガラスの向こうに、シスイの姿が入る。十メートルほどで、私でもフウコちゃんでも、十分に先手を取ることができる距離だった。つまり、危険な位置。

 なのに私はどうしてか、彼の姿を見ることができて堪らなく嬉しかった。

 

『シスイ……!』

「……何言っちゃってるの? ふふふ、私がフウコなのに」

「黙れ。お前のことじゃない。……なるほど、あの仮面の男が言ってたのは、お前のことだったのか」

 

 暗闇に浮かぶ彼の写輪眼。緊張と殺意が混ざり研ぎ澄まされた冷酷な瞳だったけど、それでも、涙が出そうになる。

 

 だけど。

 

 すぐに感情を切り替えて、彼の意図を考えた。最優先にすべきなのは、彼が死なないこと。

 

「お前は何だ? あの男の仲間か?」

 

 と、シスイは呟いた。

 

「……ふふふ。あの人は、私を助けてくれたの。私にとって大切な人で、あの人にとって私は大切な人なの。仲間っていうのとは、違うよ」

「どうすればお前は消えてくれる」

「言ったでしょ? フウコさんは偽者なの。それで、この身体は私の。消えるべきなのは、フウコさんの方なんだよ」

「言うつもりはないってことか。……まあいい。お前を動けなくすれば問題ない。後は、山中一族の人の力を借りることにしよう」

「出来ると思ってるの? バッカみたい」

「お前こそ、フウコを偽者だとよく言えたな。フウコの方が千倍強い。俺から見れば、お前の方が遥かに偽者だ」

「……ふざけないで。この身体は、お父さんに治してもらったの。馬鹿にしないでよ!」

 

 蒼い世界が震える。それはフウコちゃんの心に怒りが溢れていることを意味していた。きっと、彼女の表情も怒りを露わにしていたのだろう。それでも尚シスイは続けた。

 

「あの男をお前がどう思うかは勝手だが、あいつはどうせお前の事をただの道具にしか思っていない」

 

 さらに、世界が震えた。それに乗じて、私も彼女に言葉をぶつける。

 

『マダラは他人を信頼しない。貴方は利用されてるだけ。お願い、フウコちゃん。冷静になって』

「あの男がお前を大切な人とか言ったが、本当にそう言われたのか? もし本当なら、どうして今までフウコが―――つまり、お前の身体を動かしていたんだ? どうしてあの男は今まで助けに来なかった?」

『木の葉隠れの里を滅茶苦茶にしても、いずれ、貴方はマダラに裏切られる。その前に、お願い、一度だけでいいから、シスイの言葉に耳を傾けて』

「俺も暗部として活動してきたから分かる。お前は利用されている側の人間だ。自分で何も考えられない―――出来損ないのガキだ」

 

 蒼い世界が、地震する。

 地面を覆う果てしない海は濁り、振動のエネルギーを受け、隆起する。

 ドス黒く盛り上がった海が爆発すると同時に、フウコちゃんは駆けた。

 声ではない声、獣の咆哮のような音を喉から叫び出しながら、一瞬でシスイとの距離を詰める。刀を非効率に、そして乱暴に横へと一閃した。シスイの胴体が二つに分ける。

 

 だけど、私は知っていた。

 いや、分かっていたのだ。

 彼の瞳を見た時に、彼の想いが伝わってきたから。

 

 二つに割かれたシスイの身体は―――ポン、という音を立てて煙になるのを、振り返るフウコちゃんの視界から私は目撃した。

 

 影分身。

 

 右腕が折れ、指が折れていても、彼は印を結んだのだ。

 骨が歪み、筋肉が骨の間に挟まれて痛みを訴えてきても。

 影分身の術の印は簡単で、分身体は写輪眼でも見抜きにくい。ましてや、冷静さを失ったフウコちゃんは、今、油断していた。

 

 怒りが解けたから。

 完全にシスイを殺したと思っていたから。

 どのような状況でも、相手の死体を完全に確認するまでは油断してはいけないという経験が無かったから。

 

 フウコちゃんは、油断し、シスイに大きな隙を与えた。

 

 視界が前に飛ぶ。おそらく、シスイが全力で蹴りを入れたんだ。木に叩きつけられ、腰が地面についた。刀を持つ右手は完全に身体を支える形になる。すぐに、次の動作には移れない。たとえフウコちゃんでも、次の瞬間の攻撃は絶対に躱せない状態と、そしてシスイの距離。彼は、暗部の刀の峰の部分を順手に持って振り上げていた。

 

 顎を狙う気なのだと分かった。顎を叩き、気を失わせる。それは間違いなく成功すると、私は確信していた。

 

 檻を掴み、前のめりになりながら、ガラスの向こう側のシスイに手を伸ばした。

 嬉しさに涙が零れる。

 喜びに涙が止まらない。

 なのに、胸が締め付けられるような感情は、むしろ膨れ上がるばかりだった。

 今は、今だけは、これまでで一番、彼に触れたかった。

 手を繋いでほしい。声をかけてほしい。

 

 

 

 そう思った。

 そう……思ってしまった。

 これがきっと、いけなかったんだ。

 フウコちゃんが里の平和を壊す事への危惧よりも、

 シスイが助けてくれるという感情に意識を囚われてしまったことが、いけなかったんだ。

 許してしまったんだ。

 フウコちゃんが最後の最後に行った、苦し紛れを。

 いやもしかしたら……最初からフウコちゃんは、この事態を想定していたのかもしれない。

 それは、分からない。

 

 

 

『……ふふふ。しょうがないなあ、もう。そんなにシスイに会いたいんだ』

 

 その声は、身体からではなく―――精神世界に姿を現したフウコちゃんのものだった。

 シスイへ意識を向けすぎたせいで、彼女の存在を失念していた。彼女の右手が、私の胸の中を貫いていた。

 

 ニタニタと嗤う彼女の顔は妖しく、熱かったシスイへの思いが急激に冷え込んだ。

 何が起きたのか、その時の私には想像が及ばなかった。

 もっと冷静だったら―――うちはフウコとして生きることを決めた、身体が幼かった頃の私だったら―――瞬時に彼女の思惑に辿り着いたと思う。

 感情の落差による、思考の停滞。

 平坦で、未来を望んだ私への、罪の罰だった。

 

『だったら会わせてあげる。ふふふ』

 

 胸を貫いた彼女の右手が引き抜かれる。

 意識が、かたどられていく。

 身体の感覚に包まれていく。

 気が付けば、身体を支配していたのは私で、目の前には―――文字通り、目の前には―――シスイの姿が。

 

 写輪眼となっていた眼は、シスイの動きを精密に予測していた。

 あと一秒後には、刀の峰は顎を打ち抜く。

 シスイの動作には一切の淀みはない。

 

 

 

 だけど、私は―――私は―――!

 

 

 

「シスイ―――……」

 

 声を、出してしまった。

 

 本当なら、出してはいけない【私】の声を。

 

 茫然自失になっていた私は、思考を取り払われた無防備な心が求めるように、彼の名を呟いた。

 

 途端に写輪眼が予測する映像がブレた。

 

 シスイの表情も微かに変化し、どこか、驚いたように。

 

 その瞬間に、そこでようやく私は、理解したんだ。

 フウコちゃんの思惑に。

 顎を打ち抜くはずだった刀。

 それを振り上げた腕の動作に、静止する力が加えられた。

 

 気付いたんだ。シスイは、今、この身体に宿る人格が【私】なのだと。

 彼の名前を呼んだ。

 ただそれだけなのに。

 気付いて、しまったんだ。

 

「駄目、シスイッ! そのまま刀を―――!」

「フウコ―――」

 

 

 

『あははははははははッ!』

 

 

 

 フウコちゃんの嗤い声が耳に届いた。

 

 もう、思い出したくないのに。

 

 あの時のフウコちゃんの嗤い声が耳から離れない。

 

 たとえ支配権を私が取り戻しても、彼女はいつでも奪い返せたんだ。

 七尾のチャクラを手元に置いている限り。

 私一人では、どうにもできなかったんだ。

 

 こんな愚かで、惨めな私一人では、強大な彼女の過去に太刀打ちできるはずがなかったんだ。

 

 

 

『おめでとう! フウコさんッ! これでシスイに会えたね! でも、お別れの挨拶は言わせないよ? 私だってお父さんとお母さんに……お別れの挨拶が出来なかったんだからさぁあああああああああああッ!』

 

 精神世界に連れ込まれた私は、二度目の意識の喪失をさせられた。

 浮遊していた檻に胸を貫かれ、腕を貫かれ、足を、腹を、打ち抜かれた。宙に舞う支配権を、フウコちゃんが手に取り、胸に収めた。

 

 最後に頭部を打ち抜かれた私は、その後、何が起きたのか、分からない。

 

 次に目を覚ました時―――そう、目を覚ましたんだ。どうしてなのか分からないけど、目を覚ました時、身体を支配していたのは、私だった。

 

 倒れるシスイに覆いかぶさるようにしていた身体を自覚した私の前には。

 腹部を無残に切り開かれたシスイが、いたんだ。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 暗闇だった。

 月が雲に隠れているせいかもしれない。

 虫の鳴き声も、風の音も聞こえない。

 蛍の光ほどの明るさもなくて、世界に私だけしかいないんじゃないかって思えてしまうほど、真っ暗。

 

「お願い……、お願いシスイ…………、目を覚まして…………ッ!」

 

 だけど、凍えるほど孤独な夜の中を、私の声。

 迷っているみたいに、泣いてる。

 赤ん坊だった。

 生まれたばかりの赤ん坊が泣くのはきっと、誰かの声を聞くため。

 泣けば、自分を必要としている人が必ずリアクションをしてくれると、赤ん坊は分かってるんだ。だから生まれたばかりの赤ん坊は泣くんだ。

 

「私は……ここにいるから……。起きて……ッ!」

 

 涙を流して、声を震わせて。

 横に切り開かれた腹部の中―――切断された内臓や血管を、医療忍術で縫合して、治療しながら、私は泣いていた。

 零れた涙がシスイの中に入って感染症を引き起こさせないように、何度も目元を拭ったせいで、顔は彼の血で塗りたくられている。だけど不快感なんて抱くことはなく、ただただ、彼が名前を呼んでくれることだけを望んだ。

 

 フウコ、と。

 

 明るく、

 優しく、

 豊かに、

 私の名前を呼んで、笑ってくれることだけを、願った。

 

 だけど。

 仰向けに倒れる彼の周りには、致死量の血が溢れ。

 治療する前の上半身と下半身は、背骨と薄く残った背筋だけで繋がれている状態で。

 もう。

 彼が遠くに行ってしまったのだと、頭に叩き込んできた医療忍術の知識が確信させられてしまうほどの説得力があって。

 

 呼吸をするのが辛くて。

 彼を治療する両手が苦しくて。

 頭の中にちらつく、カガミさんの御葬式の空気が嫌で。

 

 理不尽な現実に負けてしまうのが、悔しかった。

 

 

 

「―――……………フ…………」

 

 

 

 呼吸が、

 一瞬だけ、

 止まった。

 そのあと、

 奇跡が起きたかのような現実を必死に認識しようと、

 心臓が躍動し、

 さっきよりも涙が多く溢れて、

 意識の彼方に光が灯った。

 

「シスイ!」

「…………フウ、……コ…………?」

「……うん……………うん……ッ!」

 

 既に、彼の腹部の処置は終わっていた。

 完治という訳ではなかったけど、今できる最大限のことはできている。縫合も終わっていた。

 

 私は両手で止まらない涙を拭い、震える呼吸をどうにか落ち着かせた。

 

「待ってて……、すぐに…………、病院まで……」

「…………どう……した……………」

「―――え……?」

「………………だれ……に…………、いじめ………………………………ら……………た…………?」

 

 夜空には、何もない。

 脅威も、悪夢も、災厄も。

 なのに。薄く開いた瞼の奥の黒い瞳は、私じゃなく、夜空を、焦点を失いながら……見上げていた。

 私は夜空を見る。

 吸い込まれるような暗黒だけが、広がっている。

 怖いと思った。

 こんな恐ろしい夜空は見たことがなかった。

 今まで、明日の朝を楽しみに見上げていた綺麗な空だったのに。

 首の裏から、体温が寒くなっていく。

 空が変わった。

 目を離している内に。

 シスイを連れて行こうとする、夜になって。

 

「…………シスイ、しっかりしてッ! 駄目ッ! 私を見てッ!」

「………………あ…ん………………し……ん………し…………。おれ…………も……………イタチ…………………も、………それ、に…………イロ……………ミ……………だ、て…………いる………………。み……んな…………かたき…………う…………ち…………………」

「行かないで………。シスイ……………ッ。やることがあるって……シスイは…………。目を………覚まして…………。行かないで…………」

「…………だい…………ぶ………………だ……………。おれ………………は……………………お前の………味方………………」

 

 彼の左手が、宙を探っていた。

 左腕が伸びきってしまう前に、私は彼の手を掴む。夜空に掴まれる前に、両手で、彼を奪った。

 

「シスイ……。私は…………ここだよ……」

 

 彼の手は冷たく、固まりつつあった。

 少しでも温めてあげたいと、両手で包み込み、包み切れない指を頬に当てさせた。

 涙が止まらない。

 止まってくれない。

 不規則な呼吸は落ち着いてくれない。

 思考は乱れて、だからこそなのか、意識は真っ白だった。

 彼の言葉に、私は頷くだけしかできなかった。

 

「……………………泣くな……………フウコ……………………。イロミ……だって……………………泣かない………よう、に……………」

 

 うん、と。

 私は、頷いた。

 

「…………イタチ…………………………は………ど……………こ……だ……………? あ…………いつ…………を………たよ………れ………」

 

 うん…………うん……、と。

 私は、泣いた。

 

「……頑張れ……フウコ………」

 

 もう、頷くことも、言葉を出すことも、私は出来なかった。

 

 心が溶けていく。

 形を保てない。

 消えていく。

 彼と過ごした記憶が。

 彼と過ごすはずだった未来が。

 消えていく。

 

「……フウコ………………?」

「………………なに……? シスイ…………」

「愛してるぞ………」

「……私も………………」

 

 愛してる。

 

 私は、そう、彼に返した。

 

 

 

 だけど。

 私はまだ、恋人というのが、愛というのが、分からない。

 記憶の中の私も、現実の私も。

 大切なものへの感情の使い分けができなかった。

 

 ただこの時の私は混乱していた。

 そして、普段彼が何気なく、愛してるって言ってくれよ、と言っていたことを思い出して。

 

 それら二つの要因が混在して、反射的に、言葉にしたんだ。

 

 つまり。

 そう、

 嘘だった。

 遠くへ行ってしまう彼を引き留めたくて、

 奈落の夜空に魅入られた彼の心を手放したくなくて、

 口走った、嘘だった。

 

 

 

「……シスイ…………?」

 

 暗闇は、静かだった。

 孤独。

 彼はもう、私に言葉を向けてくれることはなかった。

 

 私のせいで、

 シスイは…………死んだんだ。

 




 後悔のない人生ではなかったと思う。

 忍として、若年で暗部まで上り詰めたシスイでさえ、自分の人生を振り返っても、後悔する場面はあった。

 たとえば、うちは一族のクーデターを知り、フウコが先にクーデターの問題に頭を悩ませていたこと。どうして自分はもっと早く、彼女の力になることができなかったのかと後悔した。
 たとえば、祖父のカガミが亡くなったとき。どうして彼が存命中に、クーデターを阻止して、平穏な日々を少しでも過ごさせてやれなかったのかと後悔した。

 他にも、大小様々に後悔する場面はあった。

 おそらく、後悔のない人生を歩まなかった人なんて誰もいない。

 幼い頃の夢を叶えた人はいても、世の中にはあらゆる可能性が転がっていて、妥協だとか、あるいは無知だとか、とにかくどんな理由にしろ、全てに関われるほど人の時間は短くて。
 大人になって初めてそれらの可能性を知ることができて。
 だから、後悔は、生まれてしまうのだ。
 もしかしたらあったかもしれない、全く別の【過去】の自分。それを知って、後悔する。

「……ふふふ。バッカみたい」

 暗闇。一瞬だけ、瞼を閉じてしまっているのではないかと思ってしまったが、見上げてしまっている夜空の微かな星々と儚く浮かぶ月、そして自分の愛する者の影が動いて初めて、自分は瞼を開けているのだと分かった。

 遅れて腹部に痛みを感じた。麻痺したような、鈍く、不快感の方が強い痛みだ。下半身の感覚はなく、意識も眠くなっているかのように重かった。

 薄く開けた瞼の奥の瞳だけで、影を見た。

 真っ赤に光る写輪眼。そこで、自分は写輪眼を発現させていないことに気付き、自身の状態を理解した。
 身体エネルギーがあまり残っていない。精神エネルギーと練って生み出せるチャクラの量は、良くて、一回―――いや、二回分の術を発動させれる程度だろう。

「最後の最後で、私をフウコさんと間違うなんて。恋人失格だね。あはははははッ!」

 自分は死ぬだろうと、シスイは思った。鉛のように重い意識だったが、思考だけは動き続けた。
 一、二回分の術では、現状を打開できないこと。
 身体を動かせないこと。
 腹部の感覚から損傷を予測し、あとどれほど生きることができるだろうか、など。

 確定的な死を前にしてもシスイは……考えることだけは諦めなかった。

「……嘘を、つくな」

 腹筋が切断されているせいで出せる声は小さかったが【フウコ】には、届いたようだった。恐ろしいほど静かな夜は、シスイにとって都合が良かったのかもしれない。

「ふふふ。嘘じゃないよ。どうして私が、フウコさんを……」
「それは………お前が…………偽物……だからだ…………」

 視界が霞み始める。
 まだ、意識を失う訳にはいかなかった。
 思考をフル稼働させて、予測する。

 未来を。

 自分がいなくなった、未来を。
 恋人や、親友や、友人や、そして大切な木の葉隠れの里の、
 未来を。

「………結局…………お前は………フウコじゃ………ない…………。俺に…………勝てなかったん…………だからな…………」
「………つまんない」

 右腕に激痛。
【フウコ】が、折れたシスイの右腕を思い切り踏みつけたのだ。
 腹部の痛みよりもはっきりした刺激に、シスイは左瞼を閉じる。

「なに? 最後の負け惜しみ? ふふふ。もっとさぁ、言うことあるでしょ? これまで散々、私の身体にベタベタベタベタッ! 触っておいてッ!」
「………お前に触れた……覚えはない…………」

 これまで触れてきたのは。
 触れようと思ってきたのは。
 恋人の心なのだから。
 愛するという感情がはっきりと分からなかったから、彼女に触れてきただけだった。
 距離を近くすれば分かるんじゃないかと、短絡的な思考に溺れただけ。

「ふん。まあいいや。どうせもう、何もできないんでしょ? だから、そんな負け惜しみが言えるんだよね? ふふふ、うちは一族の癖に、写輪眼にもなれないなんて、惨め」

【フウコ】は残虐な笑みを浮かべて、さらにシスイの右腕に体重を乗せた。
 ありがたい、とシスイは思う。
 腹部の眠くなるような痛みよりも、意識を覚醒させてくれる。
 思考を進めさせてくれる。
 あともう少しで、予測が成立する。
 幾重にも、幾通りにも試行し、思考し、もっとも可能性の高い未来の予測が。

「これからあんたを痛めつけてあげる。私の顔を忘れないように。フウコさんと同じ顔の私を忘れないように。ふふふ……私と一緒に、フウコさんを恨むように」
「…………お前は……、やっぱり………ガキだな……」
「……………………ねえ、死にたいの?」

 頭の悪い質問だな、とシスイは込み上げてくる笑いを我慢する。
 死にたいも何も、もはや死ぬしかない身体なのに。

 ああ、やっぱり。

 フウコとの会話は心地良かった。
 おかしな問答を時には繰り広げたことはあっても、頭の悪い質問をされたことは無かったように思える。過去を振り返っても、彼女との時間は充実していた。彼女がいるだけで、充実だった。

 これからも彼女には、幸福であってほしい。
 そうすれば、たとえ、自分が死んだとしても、満足だ。
 けれど予測した未来は、彼女には決して幸福が訪れないことを示している。
 さらに、思考を前へ、前へ―――未来へ。

『愛というのはな、シスイ。未来を見据えた言葉だ』

 カガミの言葉を思い出してしまう。きっと、人を愛するというのは、こういうことなのだろう。
 自分が死ぬということは分かっているのに。
 どうしても、彼女の未来を考えてしまう。
 引力のように、思考が引っ張られてしまう。
 おかしな思考だ、とシスイは自分を分析した。同時に、悪くない、むしろ心地良い思考の経路だとも、思った。

「ほら、私の顔を見なよッ! これからあんたを痛めつけて殺す人の顔だよ? どう? 憎いでしょ? ほら、ほらほらほら!」

 目の前に【フウコ】の顔が見える。醜く嘲笑うその顔は、しかし、やはり【彼女】の片鱗を微塵も感じなかった。【彼女】への憎しみなんて、生まれはしない。

 あの時。
 刀を振り抜こうとした、あの時。

 やはり、人格は【彼女】だったのだ。

 なら、憎しみなんて生まれる訳もなく、そして、後悔も無かった。
 振り抜こうとした刀を制止させた自分の感情に、
 彼女を傷つけたくないと咄嗟に思ってしまった自分に、
 彼女の声が聞けた喜びに、
 後悔なんて、ありはしない。

「…………やっぱりお前は……偽物だな………」
「まだ言うの? もう、あんたと話しなんてしたくなくなってきちゃった。このまま殺してあげるよ。どうせフウコさんは今、眠ってるんだし。あんたを殺した後に色々、私が言えばいいんだもんね。シスイはフウコさんを恨んでたよって」
「………それは…………無理だな………」
「愛し合ってるから? ふふふ。フウコさんはねえ、愛なんか分からないくらい、頭が悪いんだよ?」
「………バーカ………………、愛してもらおうなんて、思ってねえよ……ま………冗談で言ったことは………あるけどな………」

 シスイはゆっくりと、左瞼を開けた。

 きっと彼女なら、不用意にシスイの目の前に顔を近づけはしなかっただろう。
 たとえ薄く開いた右目が普通の瞳であっても。
 激痛を感じた際に自然に閉じた瞼の奥の瞳が―――万華鏡写輪眼になっている可能性を、彼女なら考慮しただろう。

 暗闇に灯る、シスイの万華鏡写輪眼を見て【フウコ】は息を呑み、彼の思考に追いついたが、遅すぎた。
 未来を見据えた、見据え続けたシスイの思考に【フウコ】は届かなかった。

「…………俺は………、あいつに愛してほしくて………恋人やってんじゃねえんだよ…………」

 忍として常に冷静さを維持してきた彼らしからぬ、乱暴で、強くて、そして………感情に素直な言葉だった。

「好きだから………恋人やってんだ…………。【もう二度とお前は……その身体を動かせない】………」

 別天神。

 シスイのチャクラは【フウコ】の眼を通じ、蒼い精神世界へ。果てしない彼方が広がる海から、出現したのは―――白い鎖。

 うちは一族のクーデターという爆弾を抱えた木の葉隠れの里の中にあっても、
 戦争という黒い時代の陰りを残す灰色の時代に生を受けても尚、
 平和という白い時代を望み続けた、強靭で、美しい、シスイの思いを形にした、純白の鎖は、【フウコ】を絡めとった。

『あぁあッ!?』

 白い鎖に縛り付けられた【フウコ】の胸を白い鎖は貫き、支配権を奪う。

『返してよッ! それは私の―――』

【フウコ】の些末な言葉を雄大に躱しながら、鎖に繋がれた支配権は、檻に押しつぶされた彼女の元へ。

 空と海が、入れ替わる。

 別の天を、シスイは統べた。

【フウコ】は怒りに任せて、七尾のチャクラで鎖を壊そうとしたが―――七尾のチャクラは鎖に触れることすら許されない。
 別天神は【フウコ】が鎖に触れようとする意識を、彼女の無意識に介入して阻止していた。
 膨大で暴力的な七尾のチャクラを以てしても【フウコ】の無意識は、鎖に触れようとするのを避けさせられる。

 そして―――。

「……………ッ!」

 現実世界では。
 シスイの身体の上には、【彼女】の身体が覆いかぶさるように倒れた。
 その衝撃に、シスイは一瞬だけ顔を歪める。
 左眼は既に通常の瞳に。

 意識を失っているものの、彼女が身体が戻ったことへの安堵。だが、シスイはさらにチャクラを消費する。
 左腕を胸の前に持っていき、さらに折れている右腕を持っていこうとする。噛み合わない骨が鈍重な音を響かせ痛みを訴えるが、堪え、胸の前で一つの印を結び、術を発動させる。

「……影………分身の……………術」

 横に、シスイの影分身体が出現した。
 自分のように損傷していない、五体満足な影分身体。だが、長くは持たないだろう。自分を見下ろすもう一人の自分に、シスイは言葉を繋げた。

「…………分かって……る……………な?」
「ああ。あとは任せろ」
「……頼……………む…………」

 影分身体は頷き、姿を消した。
 未来への標を残すために。
 彼に―――イタチに、言葉を残すために。
 思考の果てに描かれた未来。
 それは、彼女が孤独になるというもの。
 おそらく、ダンゾウは自分の死を知った時、うちは一族を切り捨てるだろう。もはや誰の言葉も耳にせず、うちは一族を切り捨て、里の平和を重視する。そして重視した際に使う手立ては、彼女を利用することだった。
 彼女がシスイを殺した、という情報を利用すれば、うちは一族の行動にはストップがかかる。あとは口八丁手八丁に時間を稼いで準備を進める。どのような準備を進めるか、と考えた際に、彼女そのものを使うだろう。彼女の優しさを利用して、あらゆる全てを彼女に背負わせる。

 最も効率的で、木の葉隠れの里の中に禍根を残さない手段だ。これが、一番に可能性が高く、そしてこれから死ぬ自分に介入できることなんて何もない。
 だから、未来に言葉を残すことにした。
 彼女がうちは一族を切り捨て、里を追いやられ、孤独になってしまうことへの対処をした。
 きっと彼女は、イタチやサスケを生き残らせるだろう。ダンゾウも、イタチの力は里にとって有益だと考えるはずだ。彼女がイタチの命、そしてサスケの命を担保する交渉をダンゾウと交わすはず。問題なのは、残されたイタチとサスケが、彼女を恨むことだった。

 クーデターのことを知っているイタチが、彼女を恨む可能性は低い。だが、感情というのは時に、あらゆるものに優先されてしまう。あるいは、全く別の手段で、イタチは彼女に感情をコントロールされるかもしれない。幼く何も知らないサスケに至っては、大いに彼女を恨むのは間違いない。

 故に、賭けた。

 親友の冷静さに。
 親友と彼女が紡いできた輝かしい家族としての絆に。
 自分が言葉を残せば、彼は彼女を、孤独の果てから救おうとしてくれるだろう。
 影分身体に任せたのは、その、言葉を残す作業だった。

 静寂が、シスイの周りを囲う。
 死を招くように、ゆっくりと、ゆっくりと。

 あと、どれくらい、命は残されているだろうか、とシスイは考える。ぼんやりと。思考はもう彼方へは進めない。進める距離は短く、未来への予測は困難だった。
 彼女が目を覚ますまで、命は持ってくれるだろうか?
 持ってくれたとしても、彼女に何か言葉を紡げるだろうか?
 紡げたとしても、自分の意識ははっきりしているのだろうか?
 まともな言葉を紡げるだろうか?
 他に何か手段はあったんじゃないか?

 どんどんと浮かび上がる後悔の可能性に、シスイは面倒くさくなり、深く考えないことにした。
 後悔というのは、考えれば考えるほど生み出せてしまうものだ。
 夢の数だけ、可能性の数だけ、後悔は生まれるのだから。

 意識が―――遠くなっていく。

 後悔のない、人生ではなかった。
 しかし。
 不幸な人生でも、なかった。
 最後にシスイは確信する。
 愛というものを知ることができた。
 死ぬ間際に、誰かの未来を案じ、考え抜くことができた。
 それはきっと、長い人生の中で、たった一度しかやってこない、試練なのかもしれない。
 自分はその試練を、乗り越えることが、できた。
 それだけでも、自分の人生には価値があったのではないかと思えてしまう。
 彼女のおかげだ。
 彼女がいてくれたから、胸の中に広がる幸福に、意識を委ねることができる。

 意識は理想郷に立っていた。
 いつも将来を夢見る時の基準となった、理想郷に。
 アカデミーの頃の、何も考えないで、親友と、好きな人と、友人と、笑いあったあの時に、意識は回顧する。

 ―――フウコ。

 理想郷の中の幼い彼女に、シスイは声をかける。
 彼女は無表情で、不思議そうにこちらを眺めていた。

『なに? シスイ』
 ―――……頑張れよ。

 シスイの言葉の文脈が分からなかったのか、彼女は頭を傾けたが、小さく頷いた。
 本当に、小さく。
 彼女と親しくなければ分からないほど、小さく。

『うん。分かった。シスイ?』
 ―――なんだ?
『ありがとう』



 この後、彼がはっきりと意識を取り戻すことは無かった。

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