いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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※今回の話は、一人称視点と三人称視点が切り替わる場面がございます。中道の文章は相変わらず駄文なため、少しでも、視点の切り替わりが分かるよう、一人称視点に切り替わる時には冒頭に【● ● ●】、三人称視点に切り替わる時には冒頭に【☆ ☆ ☆(これは、これまで通りですが)】を用いておりますので、こちらをご留意して読了していただくと分かりやすいと思います。
 尚、【● ● ●】と【☆ ☆ ☆】には、どちらにも時間経過の示唆も含まれております。


羽虫は灯に焦がれる

 ● ● ●

 

 

 

 ねえ、知ってる? フウコさん。

 

 私はね、ずーっと、我慢してきたの。

 

 扉間とか、ヒルゼンとか、ダンゾウとか、カガミとか、あの人たちにお父さんを殺されて、里のいい加減な人たちのせいで、任務でお母さんが死なされてから、ずーっと、我慢してきたんだよ。

 

 フウコさんに、お父さんが治してくれた身体を盗られてから。

 

 想像してみて?

 

 とっても優しいお母さんのことも、とっても頭が良かったお父さんのことも、私のことも、みんな忘れて、平和を守ろうって、周りが言ってるの。私の言葉は届かなくて、私の身体は勝手に別の人生を歩き始めてるのを、ただ見てるだけ。真実を伝えたくても、誰にも届かない。

 

 すごい、苦しいことなんだよ。

 

 どれくらい苦しいのかっていうのは、まあ、簡単に言えば、七尾のチャクラ? フウコさんが苦しんだアレ。あれが羽虫みたいに五月蠅いなあ、って思えるくらい心に余裕が持てちゃうくらい、苦しいんだ。あ、あれはねえ、檻の中に七尾のチャクラが入ってきたから、五月蠅いなあ、って睨んでたら、勝手に動かせるようになったんだ。万華鏡写輪眼って、凄いんだね。

 

 まあ、とにかくね。

 

 私、凄い我慢してきたから、つい、フウコさんをぶっ潰しちゃった。ごめんね。痛かった? でも、大丈夫だよね。この世界だと、私もフウコさんも、互いに殺すことができないみたいなんだ。どんなにすり潰しても、元に戻っちゃう。どうしてだろうね? 私とフウコさんの身体が混ざってるみたいに、もしかしたら、心も混ざってるのかもしれないね。

 

 ……ねえ、聞こえてる?

 

 おーい、フウコさーん。

 

 ………………。

 

 うーん、起きないなあ。壊れちゃったかなあ。

 まあいいや。きっと、すぐに起きるよね、多分。それに、起きなくても、無理矢理起こすんだから。

 しっかり、見ててね、フウコさん。

 私がどれくらい我慢して、苦しんできたのか、よく見てて。

 

 フウコさんの大切なの、イロミちゃん以外の全部は、私が、殺して―――夢の世界に連れて行ってあげるから。

 

 その時、感想教えてね。

 

 何もできないまま、全部無くして、平和がやってきた時の感想をさ。

 

 

 

 ● ● ●

 

 

 

「わあ、綺麗な空」

 

 それに、気持ちいい風。まだお日様が出てないけど、東の空が海みたいな色で、星も出てて、綺麗。うん、やっぱり、早起きは気持ちいいなあ。お父さんが、早起きは三文の得って言ってたけど、本当だったんだ。でも、正確に言うと、早起きして、窓を開けて空を見上げたら、三文の得だね。空は綺麗だし、風は気持ちいいし、あとは、えーっと、えーっと、うん、頭がすっきりする! よし、三文の得! でも、少し身体が重いかな。昨日、あれだけフウコさんが無理したから、色んなところが痛い。

 

 あ、お腹が鳴った。

 むー、でも確かに、お腹が空いたなあ。どうしよう。

 

 このまま、フウコさんのフリして過ごすのは嫌だな。私が本物の【うちはフウコ】なんだから、フウコさんのフリをするなんて、なんか負けた気分。でも、私のままでいくと、怪しまれちゃうし、特にダンゾウとかに知られると面倒だなあ。

 

 とにかく、朝ご飯のことはとりあえず後にしよう。まだこんな朝早くだと、御店屋さんも開いてないだろうから。

 

 まず何より、マダラ様に会わないと!

 

「……この寝巻、なんかつまんない」

 

 私は自分の姿を見て、呆れてしまった。

 昨日の夜、風呂上りからそのまま着ていた真っ白い浴衣の寝巻。

 カッコ悪い。

 これからマダラ様に会うのに、こんな恥ずかしい恰好は嫌だな。でもフウコさんの服って、あの黒いやつしかないし、あっちもカッコ悪い。

 

 ……うーん。

 

 一通り悩んだ結果、私はフウコさんの黒い服に着替えることにした。寝巻よりも普段着の方が、まだマシだからね。それに、これから里の中を歩くんだから、いつも通りの恰好じゃないと怪しまれるかもしれないし。

 

 着替えた後、私はフウコさんのフリをするために表情の練習をした。つまり、無表情の練習だ。声の抑揚も平坦にしないといけないから、大変だった。

 

 見た目よし、表情よし。

 うん、大丈夫かな。

 

「あ、そうだ。置手紙くらいは、しておこ」

 

 このまま何も言わないでいなくなったら、イタチとかが探しに来るかもしれない。

 

 ペンと紙を取り出し、背の低い本棚で家を出る理由を書いた。

 

【用事が入ったので、出掛けます。いつ帰るかは分かりませんが、安心してください】

 

 うん、それっぽい。

 字も完璧に真似たから、大丈夫かな。

 

 私は紙を本棚の上に置き、脇にペンを転がした。

 よし、じゃあ出発だー。…………って思った時に、あるものが目に入った。

 

 それは、写真立てだった。質素で素朴な写真立ての中には、もちろん写真があって、四人の人が写っている。

 

 フウコさんに、イタチに、シスイに、あと―――イロミちゃん。

 

「…………ふん、つまんない」

 

 私じゃない私が写っていて、私が家族だとも恋人だとも思っていない奴が一緒に写ってる。気持ち悪い。何より、私の友達が、私の偽物と一緒に笑顔を浮かべているのが、気に食わなかった。

 でも、イロミちゃんが悪いんじゃない。フウコさんが悪いんだ。私が話しかければ、すぐにイロミちゃんは、私の方が本物だって気付いてくれる。友達なんだから、絶対に気付いてくれる。

 

 あ、そうだ。マダラ様に会ったら、イロミちゃんのこと、話してみよう。木の葉隠れの里をマダラ様は壊したがってるけど、イロミちゃんもそれに巻き込まれたら嫌だし、マダラ様だって、イロミちゃんのこと、分かってくれるはず。

 

 あ、でもでも、イロミちゃんを連れて行った方が早いかな。

 

「……ま、いっか。イロミちゃん、寝てるかもしれないし。無理に起こしたらいけないから、その時は、私一人でマダラ様に会いにいこ」

 

 そう決心して、私はペンを持った。

 

「えい」

 

 ペンの先っちょを、写真を守ろうとしている薄いガラスに突きたてた。ペキっていう馬鹿みたいな音がして、ちょうどフウコさんの顔の上の部分に白いヒビが入る。そのままグリグリってすると、フウコさんの顔の部分は写真ごと破けて消えてなくなった。

 

「えい、えい」

 

 今度はイタチの所をぐりぐり。勝手に私の【家族】だなんて気持ちの悪いことを平気で言うから、大嫌い。ぐりぐりー。

 

「えい、えい、えい」

 

 最後にシスイ。お父さんが治してくれた大切な私の身体をベタベタ触ってきて、大嫌い。ぐりぐりぐーり。

 

 フウコさんとイタチとシスイの顔を潰した。だけど、イロミちゃんだけは潰さない。だって、私の大切な友達なんだもん。

 

 写真立ての表を下にして、薄気味悪いでんでん太鼓の後ろに隠す。これで多分、バレないかな。よし、大丈夫。あ、額当ても巻かないと。

 

 窓から出て、窓をきちんと閉めて、うちはの町を歩いていく。まだ皆、起きていないみたいで、静かだった。町の通りを巡るのは、涼しい風とその中を歩く私だけ。

 

 どれも、色んな事が、懐かしい。

 空気が肌を撫でる感覚。

 うちはの町の空気の香り。

 ああ、私、身体を取り戻したんだ。

 夢じゃない。

 本当に、元に戻ったんだ。

 

「お父さん、お母さん。待っててね。私絶対、仇を討つから」

 

 そして、全部終わったら、夢の世界で、また会おうね。

 私、すごい頑張ったの。だから、いっぱい褒めて、いっぱいいっぱい遊ぼうね。

 気が付けば私は、身体を取り戻せたことの嬉しさとお父さんとお母さんに会える楽しさで、自然と全力で走ってた。風みたいに、速く、速く。

 

 イロミちゃんのアパートに着く頃には、私は肩で息をしていた。うちはの町を出ても、人の姿はなくて、だからずっと全力疾走したからだ。それに、元々身体が疲れていたからというのもあるかも。

 

 でも、イロミちゃんに会えるかもしれないって思うと、身体の疲れや息苦しさなんて辛くも何ともなかった。

 

 私は、部屋の前に行くのではなく、反対の、アパートのベランダ側に回った。もしイロミちゃんが寝てたら、呼び鈴を鳴らした時に起きてしまう。折角、気持ちよく寝ているかもしれないから、そんなことをしちゃったら可哀想だ。

 

 二階の角部屋。他の部屋の窓にはカーテンすら付けられていないため、すぐにそこがイロミちゃんの部屋で間違いないと思った。ベランダはなく、代わりに窓から落ちないように背の低い鉄格子が付けられている。その上に置かれた物干し竿には、まだ何もかけられていない。朝日も出ていないから当たり前だけど、イロミちゃんが寝ている可能性が大きくなった。それでも、まだ中を見てみないと、分からない。

 

 跳んで、鉄格子に着地する。両眼を写輪眼に変えてカーテン越しに中を除くと、すぐ手前に、イロミちゃんの形をしたチャクラが視えた。身体を横にしている。寝ているみたいだ。

 

「……起こすのは、やっぱり駄目だよね」

 

 でも、本当に寝ているか分からない。

 もしかしたら、起きているけど布団から出たくないのかもしれない。

 

 私は窓に耳を当ててみた。しっかり嵌っていないのかな、少しだけ、ガタって音が鳴ったけど、聞こえてきたのはイロミちゃんの寝息だった。

 

 スピー、スピー。

 

「うふふ。イロミちゃんの寝息、可愛い」

 

 いやいや、でも、まだ分からない、と私はわざとらしく心の中で呟いてみる。イロミちゃんだったら、もしかしたら、そういう呼吸をしているのかもしれない。

 イロミちゃんは努力家だ。身体の中で、ずっとイロミちゃんの努力を見てきたから、知ってる。きっと、そういう特殊な呼吸法をして、修行をしているんだと、私は馬鹿みたいな想像を巡らせた。

 

 もう、イロミちゃんが寝ているか寝ていないかなんて、関係ない。

 

 大切な友達が、この薄いガラスのすぐ向こうにいるって分かったら、とにかく顔だけでも見てみたいと思ってしまった。何度も身体の中で見てきたけど、実際に顔を見ると、より一層、可愛く見えるに違いない。

 

 窓に手をかけて、開け―――あれ、鍵が掛かってる。

 

 えーっと、こういう時、何か都合のいい忍術なかったっけ?

 

「あ。そうだ、あれならいいかも。たしか、印は……」

 

 不本意だけど、フウコさんが蓄えた忍術の記憶を辿りながら、印を結び、チャクラをコントロールする。そういえば、忍術使うのって、初めてだけど、上手くいくかな? フウコさんは、こんな感じでやってたけど……あ、出来た。

 

 右手のチャクラがナイフのように鋭くなる。たしかこれは、チャクラの解剖刀(メス)、だったかな? チャクラが届く範囲なら、切りたいところを切れるっていうやつのはず。

 

 なんだ、忍術って、簡単なんだ。

 

 術を保ちながら、窓に触れる。二つの窓のサッシが重なる部分の、下の方にある窓鍵を、チャクラのメスでコリコリって動かしていく。

 

 むー。錆びてるのかなあ、あまり動かない。この、この。あ、開いた!

 

「お邪魔するねー、イロミちゃーん。うふふ」

 

 静かに窓を開けると、涼しいそよ風がカーテンを自然と退けてくれた。ゆっくりと床に降り立つ。真っ暗だった部屋に、ほんのりと淡い光が、布団で眠っているイロミちゃんの顔を照らした。部屋に入ってきた風が、私の方に向いて眠っているイロミちゃんの前髪をずらした。

 

 細い眉毛と、慎ましい睫。白い毛先の隙間から、火傷痕のように変色したおでこが見えた。

 

「あ、ごめんね。見られたくないんだよね」

 

 すぐに前髪を直してあげる。指先が微かにイロミちゃんの額に触れちゃって「うーん……、スピー、スピー」と寝返りを打ったのを見て、驚いた。でも、起きなくて、だけど、起きてほしかったと思ったり。

 

 ……私は、気にしないんだけどなあ。イロミちゃんは、全部で、イロミちゃんなんだから。私なんて、お父さんに治してもらわなかったら、ずっと―――。

 

 ああ、変なことは考えない!

 折角イロミちゃんに会えたんだから。

 

 そうだ!

 やっぱり、イロミちゃんを起こそう。イロミちゃんとお話すれば、楽しい気分になる。

 あの夜みたいに。

 それで、また仲良くなって、一緒にマダラ様の所に行って、最後は夢の世界で遊ぶんだ。

 

 よーし……。

 

「イロミちゃ―――」

「むにゃむにゃ……フウコちゃん」

 

 ……あれ?

 

「フウコちゃん。私に、修行……」

「………………」

 

 ……あれ、あれ?

 

「いつか……、私も……むにゃ……、暗部にぃ……すごい……忍にぃ……えへへ」

「…………」

「そう、なったら…………、楽しい……なあ…………」

「……」

「……スピー」

 

 気が付いたら、私はイロミちゃんの部屋を出ていた。

 なんだか、嫌な気分に、なっちゃった。

 どうしてだろう。

 

 きっと、うん、そうだ。

 肌で、感じたからだ。

 風とか、空気とかと一緒で、やっぱり、中から眺めてるのと実際に触れるのでは、大きく違う。

 私はアパートから少し離れて、後ろを振り向いた。

 

「……つまんない」

 

 

 

 ● ● ●

 

 

 

 イロミちゃんは、悪くない。

 

 だってしょうがないんだから。普通に考えたら、一つの身体に全く別の人が二人いるなんて、ありえないもん。だから、うん、仕方ない。悪いのは、フウコさんなんだから。イロミちゃんへの友達っていう思いは、ちっとも薄れたりはしないんだから。

 

 だけど、嫌な気分は、どうしても晴れてくれなかった。東の空からお日様が顔を出し始めて、雲一つない綺麗な青空が出来はじめてるけど、私の気分はそうはならなかった。

 

 仕方なく、里の外を目指す。

 必ず、マダラ様は、待ってくれてるはず。

 

 あの夜みたいに―――。

 

『うちはフウコか?』

『ここは? お父さん、どこ?』

 

 何も分からないまま、封印が解かれた私の前に立っていたのは、仮面を付けた男の人だった。最初は、まるでお化けみたいで、それに、自分の状況が分からなくて混乱していたから、すごく怖かったけど『俺は、うちはマダラだ』と言った時、私は思い出した。

 

 お父さんがいつも、呟いていた名前。お父さんが知ってる人だって、思った。

 少しだけ落ち着いた私を前に『父に会いたいか?』とマダラ様は尋ねてきた。

 

『うんっ……会いたい。お母さんにも、会いたいよ…………』

『いいだろう、会わせてやる』

『……本当?』

 

 本当だ、とマダラ様は頷いた。

 

『どんな願いも叶う、夢の世界を、俺は作る』

『夢の……世界……? 本当に、そんなことが、出来るの?』

『すぐに作ることはできないが、いずれは作る』

『私も、連れてって……えと………くれるん、ですか……?』

『お前の力が、俺にとって必要であればな』

『何をすれば……いいんですか?』

『簡単だ。木の葉隠れの里を、一人で抜け出してみろ。そうすれば、お前を夢の世界に連れていってやる』

『……分かりました』

 

 だけど私は、里を抜け出すことができなかった。

 途中で暗部の連中に追いかけられて、一度は撒いて、その途中でイロミちゃんと出会って、手を繋ぎながらいっぱい楽しいお話をして。

 でも、暗部の連中は私を諦めなくて。仕方なく、私はイロミちゃんと別れて戦ったんだけど、中にいたフウコさんが暴れて邪魔してきて、それで、捕まっちゃって。

 

 悔しかったし、悲しかった。

 

 もうマダラ様は、私を見捨てたんだと私は思った。ううん、マダラ様の期待に応えられなかった私が悪かったんだ。何度も何度も後悔した。ああしとけばよかった、こうしとけばよかったに違いない。ずっと、考え直していた。

 

 それでも、マダラ様は、私を迎えに来てくれた。

 九尾を使って。

 その時にマダラ様は、フウコさんを隔てながらも、私に言ってくれた。

 

『フウコ。待っているぞ』

 

 きっと、今でも、待ってくれてる。

 絶対にそう。

 間違いないんだから。

 

「あれ? フウコの姉ちゃん?」

 

 あともう少しで里の外に出れそうな所の通りで、後ろから声をかけられた。誰だろう? って思って振り返ると……えーっと、確か、この子は…………ああ、ナルト、だっけ? その子が立っていた。

 

 あ、いけないいけない。フウコさんの真似、フウコさんの真似。……悔しいけど。

 

「おはよう、ナルトくん」

 

 おはようだってばよ、とナルトくんは五月蠅い大声を出しながら、笑って目の前までやってくる。どうやら、私をフウコさんだと思っているみたい。

 なんだ、簡単じゃん。

 あーあ、フウコさん、可哀想。うふふ。

 

「どうしたんだってばよ、こんな朝早くに。これから任務なのか?」

 

 うん、と私はいい加減に頷く。どうせ子供だ、暗部の任務があるかどうかなんて、分かるわけがないよね。

 

「ナルトくんは? アカデミーは、まだ始まってないよね」

「ニシシ、修行してたんだってばよ!」

「こんな朝早くに?」

「おう!」

「アカデミーで寝たりしてないよね?」

「え!? ……そ、そりゃあ、もちろん」

 

 ……いいなあ。

 私も、アカデミーで遊びたかったなあ。

 

「駄目だよ。アカデミーの授業は、しっかり受けて」

 

 寝るなんて勿体無いのに……、ちょっとムカついて、私は少しだけ語尾を強くしてしまった。しまった、と思ったけど、ナルトは苦笑いを浮かべるだけ。それを見ると、さらに、ムカついてしまった。

 

 そういえばこの子……九尾が中に入ってるんだよね。

 

 攫っちゃおうかな。

 

 マダラ様の所に連れていけば、喜んでもらえるかな? ああ、でも、余計なことするとマダラ様の計画に支障が出ちゃうかもしれないし……。

 うーん、どうしよう。

 

「なあなあ、フウコの姉ちゃん。今日は、修行はできねえのか? 任務って、これからすぐなのか?」

 

 五月蠅いなあ。それに、遠慮がなくて、ムカつく。私の方が、年上なのに。

 

 こんな子攫っても、マダラ様も迷惑かも。

 これから私は、しばらくはフウコさんとして動いて、うちは一族のクーデターを成功させて、木の葉を潰すんだから、今攫わなくてもいいかもね。

 

 とにかく、まずは、やっぱり……うん、マダラ様に会いに行こ。

 

「ごめんね、ナルトくん。私、任務があるから」

「えー、少しくらい、いいじゃねえかよー。な、少しだけ! 何か、すっげーカッコイイ忍術教えてくれるだけでもいいからさ!」

 

 何が少しくらいなんだろう。私は任務があるって―――まあ本当は無いんだけど―――言ってるのに。

 

 それでもナルトは手を握ってきて、やたら腕を引っ張ってくる。

 カッコイイ忍術って…………、この子、教えてすぐに出来るの? フウコさんが教えているのを何度か眺めたことあるけど、何か、意味がないことばかり。どうせ教えても身に付かないだろうし、っていうか、早くマダラ様に会いたいし。

 

 でもここで断るのは、何だか、フウコさんっぽくないような気がする。

 

 うーん。……パッと見てカッコ良さそうな術で、見せた後は勝手に一人でやる気を出してさっさと私を解放してくれそうな忍術。

 

 ……あ、あれがあった。

 

「いいよ。じゃあ、少しだけ。ついてきて」

「おう!」

 

 私はナルトくんを引っ張って、一番近くの広場にやってきた。まだ子供は寝る時間で、大人の姿も見当たらない。東の空と西の空の中間は真っ白で、広場はその真下にあるような気がした。

 

 手を離して、向かい合う。

 手を繋いでいたにもかかわらず、まだナルトは私をフウコさんだと確信している。あーあ、やっぱり、フウコさん、可哀想。

 

「いい? ナルトくん。よく、見てて」

 

 私は右の掌を胸の辺りまで上げて、チャクラを練る。たしか、こんな感じにやってたかな? と思い出しながら、掌の中央少し上でチャクラを乱回転させた。

 

 むむむ、意外と難しいかも。

 

 ちょっとだけ苦戦したけど、どうにかできた。

 

「おお。なんかよく分かんねえけど、すげえってばよ……。何て言う術なんだ?」

 

 ナルトの青い瞳が、私の掌の上に出来上がった球体のチャクラを見上げていたけど、すぐに私の方を見て、何だかキラキラとした視線を送ってくる。

 鬱陶しい。

 

「螺旋丸。印も必要ない忍術だから、ナルトくんでも出来ると思う」

「どういう術なんだってばよ」

「これを相手に当てるの。今は、うん、当てるものがないから試せないけど。とりあえず、やってみて」

 

 おう! とナルトは無駄に大きな声を出して、右の掌を私と同じように胸の位置まで。でも、ああ、やっぱり駄目だねこの子。全然、チャクラをコントロール出来てない。写輪眼じゃなくても見えるくらいのチャクラの密度は作れてるけど、それでも本当にぼんやりで、無駄。才能ないなー。

 

「もう一回やるから、見てて。今度は、ゆっくりするから」

 

 意味がないかもしれないけど、とりあえず、これだけで終わらせても「もう少し!」と手を掴んでくるのが想像できたから、もう一度見せることにする。

 ゆっくり、チャクラを動かしていく。もうコツは掴んじゃったから、今度は難しくない。

 

 またナルトが目をキラキラさせてる。

 

「分かった?」

「……チャクラを、回せば、いいんだよな?」

「うん」

 

 ただ回せばいいって訳じゃないんだけどね。でも、どうせできないだろうし。

 

 もう一度ナルトはやってみるけど、やっぱり出来なかった。さっきのと全然変化が無い。なんか、すごい力んでるけど、効果なんて無くて、口をへの字にする頃には肩で息をしていた。

 

「上手く、出来ねえってばよ…………」

「次の修行の時まで、少しでも出来るようにしてて」

「え? もう行っちゃうのか?」

「任務だから」

「もうちょっとだけ! 全然出来なかったからさ!」

 

 何がもうちょっとなんだろう。これ以上教えても、どうせ進歩しないのに。

 仕方なく、奥の手を使うことにした。

 奥の手っていうほど、奥の手じゃないんだけど、何だか、言葉がカッコイイ。

 

「その術はね、ナルトくんのお父さんが使ってた術なの」

 

 小さな呼吸が、ナルトから聞こえてきた。

 

「今の君には、少し難しいかもしれないけど、今回はあまり、私は手伝ってあげたくないの。なるべく、自分の力で習得してほしい」

「………………」

「分からないことは、次の修行までに、はっきりさせておいて。いい?」

「……分かったってばよ!」

 

 よし、上手く誤魔化せた。これでマダラ様に会いに行ける。

 少し離れて後ろを振り向くと、まだナルトは練習していた。アカデミーをサボるのかな? まあいいや。

 

 里を出て、しばらく里の周りをぐるぐる探検してみたけど、マダラ様は見つからない。それもそうか。なんて言ったって、マダラ様はすごい忍なんだから、私が探しても見つかるわけがないよね。

 

「……マダラ様ー。どこにいるんですかー? フウコでーす。お姿を見せてくださーい」

 

 声を細くしながら、神様か何かを探している変な人みたい、私、と思った。

 でも、マダラ様は神様だ。

 私にとって、夢の世界に連れていってくれる、神様。

 だからこうして呼びかけないと、姿を見せてくれないんだ。

 

「マダラ様-。どこですかー?」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 仮面の男の中では、もはや、うちは一族のクーデターのことなどどうでもよかった。七尾を獲得することはおろか、うちはフウコを手に入れることも、うちはシスイを殺すこともできなかった時点で、もう同じような機が訪れることはないだろうと判断していたからだ。

 

 仕方ない。原因は、中途半端な欲を出そうとした自分にあるからだ。

 

 損害も特になく、連れていった何体かの白ゼツが全滅したくらいだ。黒ゼツにも自分にも被害はない。

 

 黒ゼツには継続して木の葉隠れの里の諜報を任せた。完全にうちは一族のクーデターが治められるまでは、何が起こるか分からない。もしかしたら、また自分の予期していない爆弾が生まれている可能性があるかもしれない。そんな、糸よりも細い淡い期待くらいは、まだ残っていた。

 

 頭の中では、今後の計画の見直しを行っている。うちは一族が完全に木の葉隠れの里に付いてしまった場合、どう動くのがベストか……、そんなことを考えていた時、白ゼツが姿を現した。身体の半分には黒ゼツが侵食している。

 

 つまり、木の葉隠れの里に変化があったのだと、仮面の男は瞬時に判断した。

 昨日の今日だ。

 うちは一族がクーデターを起こした、というレベルの変化があったのではないか、という期待が薄らとあったが「何があった?」という問いへの黒ゼツの言葉に、一瞬だけ耳を疑った。

 

「ドウヤラ、うちはフウコガ身体ヲ奪ッタヨウダ」

 

 その報告は、期待以上のものだった。

 

「……本当か?」

 

 だが、仮面の男は冷静に問い返す。

 八雲フウコとうちはフウコ。その二人の入れ替わりは、見た目では判断が難しく、ましてや、うちはフウコの方はこれまで一度しか会話を果たしていない。黒ゼツと白ゼツに至っては、一度として邂逅してはいないのだ。

 何を以て入れ替わったと判断したのか、それを質さなければいけない。黒ゼツは数秒ほど沈黙してから、

 

「正直、判断ハ難シイ。ダガ、明ラカニコレマデノ様子トハ違ウ」

「白色お化けって俺は言われたし、黒ゼツは黒色お化けって言われたからね。なんだから、見るからに子供って感じだった」

「必死二オ前ヲ探シテイタゾ」

「………………」

 

 演技か? と、逡巡する。あまりにもタイミングが良すぎだと思ったからだ。おまけに、入れ替わった原因も分からない。どのようにして魂が入れ替わるのか、その原理そのものが判然としないが、少なくとも、これまでは八雲フウコが表に出ていたはず。故に、自力で、しかもどのタイミングでも入れ替わりが、うちはフウコから能動的に出来るとは考え難いというのが、現時点での判断であり、それを踏まえての八雲フウコによる演技の可能性が思い浮かんだのだ。

 

 しかし、どうだろう。

 

 うちは一族のクーデターという爆弾を抱え、こちらから木の葉隠れの里への介入が難しいという状況の元、わざわざアクションを起こすだろうか?

 

「一人か?」

 

 仮面の男が尋ねると、黒ゼツと白ゼツは、もちろん同時に頷いた。

 

「一人ダ」

「探してみたけど、一人だった」

 

 一人、という状況に、ふと、かつてのことを思い出す。

 

 ―――簡単だ。木の葉隠れの里を、一人で抜け出してみろ。そうすれば、お前を夢の世界に連れていってやる。

 

 うちはフウコの封印を解いた時に、彼女に与えた言葉。

 もしかしたら、うちはフウコはそれを忠実に守っているのだろうか?

 

『木の葉隠れの里のある研究所に、うちはフウコという女がいる。いずれ、お前の力になるだろう』

 

 ある男(、、、)から聞かされたばかりの頃。

 半信半疑で彼女の封印を解いたものの、幼い見た目に本当に力になるのかと思ってしまい、半ば投げやりに呟いた口約束。

 足手纏いはいらない。

 そもそも、この計画は自分のものだ。

 あの男の手先など、不要だ。

 

 そう思っていたのだが、結果として、八雲フウコが身体を取り返し、目障りになってしまったのだが―――とにかく、仮面の男はこの状況に明確な判断をすることはできなかった。

 ただ微かに、これまでの八雲フウコの行動からは外れた、不連続な事態だというニュアンスだけが、火薬の香りのように思考にこびりつく。

 

「……分かった。案内しろ」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 黒ゼツと白ゼツの案内の元、仮面の男が、うちはフウコの前に姿を現したのは、昼を過ぎ、夕方と正午のちょうど中間頃のことだった。

 

 それまでの間、フウコは里からさらに離れ、里の周りを巡回する忍たちの外の茂みの中に身を潜めていた。それは、里の周りの森の中で突如として出現した黒ゼツと白ゼツに導かれ、そして指示された為だった。

 

「マダラヲ呼ビニ行ク。ソレマデココデ待ッテイロ」

 

 黒ゼツの言葉を素直に受け止めた彼女は、茂みに俯せの状態で隠れたまま、時折目の前を小さく歩いていく蟻やダンゴムシを眺めながら「えい、えい」と小声で気合を入れ、人差し指で潰して暇を消化した。

 

 黒ゼツと白ゼツが戻ってきたのを気配で感じ取ったのは、人差し指にこびりついた虫の体液を興味本位で舐めて、あまりの舌触りの悪さと生臭さに口をへの字にした時だった。

 

「……白色お化けさんと、黒色お化けさん?」

 

 気配は幽霊のように自分の周りを円形にうろうろと動いている。

 どうしたのだろうか? と、茂みから顔だけを出した。同時に、気配は消え、そしてすぐさま目の前に現れた。

 

 ―――やっぱり、植物みたい。地面からにょきにょきって出てくる。

 

 と、呑気なことを考える。

 

「待たせたね、フウコちゃん。何してたの?」

 

 半分しか身体のない白ゼツが、兎のように頭だけ茂みから出している彼女にフレンドリーに話しかける。彼の中では、目の前にいる少女はうちはフウコなのだと確定されているようだった。

 

「虫を潰してたんです。指に、血が付いたので舐めたんですけど、気持ち悪かったです」

「勇気あるね」

「マダラ様はどこですか? もしかして……今日は、来れないんですか?」

 

 不安そうで、それでいて悲しそうな声をフウコが出した時、黒ゼツと白ゼツの横の空間が黒く渦巻いた。その中心から、仮面の男が姿を現す。

 

 男は揺らぐことなく真っ直ぐフウコに視線を向けたが、仮面の奥で、小さな動揺があった。それは、フウコの馬鹿みたいな体勢を見てのこと。

 

 そして、とうのフウコは、仮面の男の姿を見て、長い睫を持つ瞼が大きく見開いた。しかし、ちょうど、仮面の男の後方上部の空に太陽が浮かんでいるせいで、シルエットしか見えなかった。それでもフウコは瞼を細めることなく、目の表面が乾くのを忘れてしまうくらいに見続ける。目の乾きによっての生理現象なのか、それとも感極まったせいなのか、透明な涙を流した。

 

「マダラ……様……」

 

 涙が頬を伝い、口の中に入る。

 先ほどの虫の味など吹き飛んでしまう塩辛さに、余計に、涙が溢れた。

 

「マダラ様ー!」

 

 兎のように、フウコは茂みから抜け出した。

 両手を真っ直ぐと、仮面の男に向けて。

 首から下を黒いマントで覆った、その胸に、飛び込み―――そしてすり抜けた。

 

「うわっ!」

 

 全身全霊の、それこそ心臓から魂が抜き出るくらいの感情の昂ぶりに任せた飛び込みが何の力もなくすり抜けてしまったせいで、男の後ろでフウコは顔面から地面にダイブした。うわぁ、痛そう、と白ゼツが小さく呟くのを傍目に、男は後ろのフウコを見下ろす。

 

「あ、あの……マダラ様? どうしてですか?」

 

 赤くなった鼻先を右手で抑え、さっきよりも余計に涙を流しながら女の子座りをするフウコが尋ねた。

 

「悪いな。正直、事態を把握できていない」

「そんな! 私ですよ! うちはフウコです!」

「俺もそう信じている。だが、昨日の今日だ。俺も念を入れさせてもらう。分かってくれるか?」

 

 ぶー、と可愛らしく頬を膨らませるフウコを見て、男の内心では九割がた、うちはフウコなのだと確信していた。仮面の奥で、予期せぬ好転が訪れたことに笑みが零れそうになるが、それを引き締める。

 

「まずは、どうして身体を奪えたのか、教えてくれ」

「……教えたら、褒めてくれます?」

「ああ。いいだろう」

 

 それから彼女が嬉々として語った、昨日の七尾の戦闘と、フウコが行ったことの顛末は、にわかに信じ難いものだった。

 万華鏡写輪眼による、しかも精神世界において、七尾のチャクラの一部を調伏させたという事実。魂に年齢があるのかは分からないが、少彼女の語り口調はまだ幾歳しかない幼いそれであり、そんな彼女が、尾獣のチャクラをコントロールできるものなのか……素直に許容することはできなかった。

 

 だが、八雲フウコが考えた作り話にしては、リアリティが無さすぎる。むしろ幼いうちはフウコが語るからこそ、微細でありながらも不可思議な現実味があるようにも思えた。

 

 どう判断すればいいものか。

 

 疑心の一割を埋める為の決定的な何かが、ないだろうか。

 

「どうですか? マダラ様! 私、すっごい頑張ったんですよ! マダラ様との約束も守りました! 一人で、里の外に出られたんです!」

 

 立ち上がったフウコは無邪気な満面の笑みを向けてくる。

 声の抑揚はボールのように弾み、八雲フウコの欠片は一つも見受けられない。だが、日常的な感情は、忍なら完全に誤魔化すことができる。まだ、疑心は晴れない。

 

 そんなことを思っていると、フウコの赤い瞳が、プレゼントを目の前にする子供のように淡い輝きを放っているのが見て取れた。

 

「……ああ、よくやった。頑張ったな」

「えへへ」

 

 頬を赤らめ、口端をだらしなく下げて笑う彼女は、どういう訳か、さり気無くこちら側に頭を傾けてきた。すぐには分からなかったが、馬の尻尾のように揺らす長い黒髪を見て、頭を撫でてほしいという意志表示なのだと理解する。

 

 しかし、別の思考が男に巡る。

 

 今なら、首の骨を折ることができるのではないか、と。

 右手で首に手刀を叩き込めば、可能だ。完全にフウコは無防備。両手を後ろに組んで、もはや頭は露骨すぎるくらいにこちらに傾いている。黒髪の間に見える白い首筋は、右腕を半分も伸ばせばすぐに届く距離だ。

 逆に、八雲フウコなら、こんな無防備なことをするだろうか。

 

 ―――いや、ありえない。

 

 一割の疑心は、一厘ほどまでに大きく後退する。

 男は右手をフウコの頭に伸ばした。この無邪気でありながら、七尾のチャクラを調伏する才能を持つ少女を手懐けるには、求められたものを素直に提示し、そして認めること。たったそれだけをすれば、この少女は従順な手駒になる。

 強力で、都合のいい、そう、駒。

 

 あ、とフウコが、自分に伸びる手を見て嬉しそうに声を挙げる。

 

 男はフウコの頭に手を乗せた。

 乗せた―――つもりだった。

 

「…………ッ!?」

 

 息を呑む。

 右腕が、意図していない動きを見せ、完全にコントロールできなくなる。

 右腕は、つい先ほど、男がイメージした軌道を描いて、フウコの首元に手刀を叩き込もうとした。確実に首の骨を折るだろう速度と力で。

 

 だが、息を呑んだのは、右腕が勝手に動いたことにではない。

 

 勝手に動いた右腕を、一秒の時間も要さない刹那的な瞬間であるにもかかわらず、フウコが難なく左手で掴み……そして、零度よりも低いかのような冷たい視線を放つ写輪眼が、こちらを見ていたからだ。

 

「マダラ様? これって……どういう、ことですか?」

 

 皮肉にも、男はこの時確信する。一厘の疑心は消えたのだ。

 八雲フウコの殺意は、無機質的、あるいは業火のような乱暴さを多く含んでいた。

 しかし、今、目の前の少女の殺意は、その二つとは全く異なっている。

 

 未だコントロールの利かない右腕を掴むフウコの握力は、岩をも平気で砕くかのように強力だった。しかし、その労力は息を吸うよりも簡単だとでも言うかのように、フウコの表情は笑い、けれど目は無表情だった。無邪気な声は、ドロリとした粘着質な妖しさを惜しみなく放っている。明確な殺意は、空気よりも軽く、一つでも気に食わないことがあれば殺すという意志が過不足なく伝わってきた。

 

 つまり―――天邪鬼のような、殺意だった。

 

 人の心を見計らって、悪戯をする子鬼。

 問題なのは、その悪戯が、嘘みたいな軽さを持つ、絶対の死だということ。

 ついさっきまで全幅の信頼を置いていたような子供っぽさからのあまりの豹変に、男は息を呑んだのだ。

 

 日常的な感情ではない、衝動的な感情は、完全な誤魔化しはできない。

 少女は間違いなく、うちはフウコだ。

 彼女の殺意が、男を確信に導いた。

 

 フウコは続ける。

 

「私、マダラ様に会うために、すっごく、頑張ったんです。なのに、どうして、私を殺そうとしたんですか?」

 

 右腕がいとも容易く圧し折られる。

 痛みが脳天に鋭く届くが、今はそれどころではない。

 フウコを満足させることができなければ、厄介な事になる。

 

「落ち着け、フウコ」

「ねえ、マダラ様。マダラ様は、私のこと、嫌いなんですか?」

「あの女だ。天岩戸の効果が、まだ継続している」

「……へ?」

 

 フウコが頭を傾けると、虹のように殺意は消え去った。

 そして「ああ!」とフウコは、自分の口を自分の右手で塞いだ。

 

「九尾の時のやつですか?」

「そうだ。俺の意志ではない」

「そっかー。なあんだ、びっくりして損しちゃった」

 

 右腕を圧し折ったことに何の悪びれもなく、フウコは笑顔の質を、また子供っぽいそれに切り替えた。

 ひとまずは、落ち着く。

 少女がうちはフウコだと分かったのは良かったが、しかし、別の問題が男の中に浮上する。とても厄介な問題だ。

 

「マダラ様?」

 

 フウコの無邪気な声が耳に届く。

 彼女の右手には、黒羽々斬ノ剣が。

 

「右腕、切っちゃいますね!」

 

 

 

 ● ● ●

 

 

 

 もう、フウコさんったら、いっつもいっつも、私の邪魔するんだから。

 折角気持ち良くマダラ様に頭撫でて貰おうと思ったのに。褒めて貰えそうだったのに。許さない!

 

 私はマダラ様の右腕を切り落とした。完全にマダラ様の身体から離さないと、天岩戸には意味がない。マダラ様の右腕を切るのは残念だけど、すごい忍なんだから、右腕が無くなっても、大丈夫だよね!

 

 あっさりと切れたマダラ様の右腕は地面に落ちた。うへえ、虫みたいにビチビチ動いてる、気持ち悪ーい。

 

 私はそのまま、写輪眼でマダラ様の右腕を見つめる。七尾のチャクラの時と一緒。睨んで、中に入り込む感じ。

 

 すると、気が付けば私は、真っ白い世界にいた。ずーっとずーっと、真っ白。右腕の精神世界? なのかな。まあとにかく、右腕中に入った私の目の前には、フウコさんが立っていた。……フウコさん、だよね? 何か、小っちゃい。というより、ああ、そうか。九尾の事件の時に天岩戸を使ったから、当時の姿のままなんだ。

 

 天岩戸。

 

 それは、私の左眼の万華鏡写輪眼に宿った力。私自身は使ったことはないけど、フウコさんが使っているのを何度か見た事がある。

 

【見つめた対象に、自分の魂の一部を埋め込み、埋め込んだ分だけ、その対象を操作できる】

 

 たしか、そんな感じの力だったはず。あと、埋め込んだ魂とは一定の距離までなら、意識だけで会話ができたりとか、埋め込んだ魂の気配を感じ取れたりとか、そういうのもあったと思う。

 でも私は感じ取れなかったから、もしかしたら、自分の魂じゃないと察知とかできないのかも。ま、私は、天岩戸を使うつもりはないけどね。

 だって、お父さんとお母さんが、悲しんじゃうかもしれないから。

 

 それに寿命とかも縮まりそうだしね。

 

 さてと。

 

「久しぶりだね。小さいフウコさん」

 

 私は幼いフウコさんに近づきながら、呟いた。うふふ、可愛い。すっごい私を睨んで。勝てると思ってるのかな? 小さい魂だけで、私に。

 

「私を解放して」

「やーだよ。うふふ。無理矢理、やってみたら?」

 

 あ、跳んできた。

 でも、うーん、すっごい遅いなあ。

 魂が別れてるから? それとも、この頃のフウコさんって、これくらいだったっけ? 思い出せないけど、とりあえず顔を目掛けて殴ってきたから、避けて、お腹にパーンチ。あ、ミシミシって言った。虫みたい。

 

「ほらほら、フウコさんを解放するんでしょ? 頑張って、小さいフウコさん」

 

 口からすっごいゲボゲボ吐いてるけど、死なないよね? 私、まだフウコさんにいっぱい仕返ししたいから、壊れないでね? ……って、あ、逃げた。

 でも、意味ないよ。

 もうマダラ様の右腕は切り離しちゃったから。

 

「くそっ!」

 

 ほら、すぐに端っこに辿り着いちゃった。叩いても、意味ないのに。フウコさんって、意外に馬鹿なんだなあ。

 私はフウコさんのすぐ後ろまで移動して、右腕で首を持ち上げてあげる。

 さっき、私の首を折ろうとしたから、そのお返し。

 うふふ。バタバタして暴れてるけど、痛くも痒くもないよ。

 

「おね、がい……ッ! 里の……平和を…………まも、でぇ………」

「平和なの? うちは一族がクーデター起こそうとしてるのに?」

「ク……デ………?」

「あ、そっか。まだ知らないんだっけ。残念」

 

 面白い反応が見れると思ったのに。

 まあいいや。

 バタバタ暴れる反応だけでも、面白いし。あ、でも涎とか腕に付いちゃった。いてて、もう、腕引っ掻かないでよ。精神世界でも、何だか嫌な気分。

 あ、ミシミシって鳴った。

 ラストスパート。

 

「ぁぁ……ッ! 扉…………間……ざま…………、ずみば―――」

 

 あ、折れた。

 こっちだと殺すことができるみたいで、糸が切れたお人形さんみたいに両手をだらりとした後、ガラスの破片みたいになって消えていった。うーん、どうして本体のフウコさんは殺せないんだろう。……まあいいや。

 

 小さい魂だけど、フウコさんを殺せて満足!

 

 私は身体に戻って、すぐさまマダラ様を見上げた。

 

「マダラ様! フウコさん、殺しました! 褒めてください!」

「……ああ、よくやった」

 

 マダラ様の左手が、今度こそ私の頭を撫でてくれた。

 嬉しい!

 思わず、私はマダラ様に飛びついた。でも、今度はすり抜けることなくて、安心。あ、マダラ様、何だか木の香りがして、良い匂い。

 ずっとこうしていたいな。

 

「えへへ。マダラ様?」

「どうした」

「次は私、何をすればいいんですか? 木の葉隠れの里をぶっ壊すんですよね!」

「……しばらくは、何もしなくて大丈夫だ」

「えー。どうしてですか? 私だったら、ヒルゼンとかダンゾウとか、すぐに殺せますよ?」

 

 それに、私が二人を殺せば、うちは一族はどうしようもなくなって、クーデターを起こすはず。イタチもシスイも、クーデターを防ごうとする暇もないのに。

 マダラ様は、面の奥で小さく笑った―――ような気がした。むー、マダラ様の顔が見たい。

 

「せっかく、身体を取り戻したんだ。無理をする必要は無い」

「無理なんか、していません。無理でもありません!」

「父と母に……会いたくないのか?」

「……会いたいです」

 

 すごく、会いたい。

 

「ここで無理をし、万が一、捕らえられたらどうする。もう二度と、身体を奪い返すことができなくなるかもしれないのだぞ?」

「……でも」

「……俺は、お前が大切なんだ、フウコ」

 

 頭を撫でてくれるマダラ様の手が、とても温かい。

 

「これまで、多くの仲間を見てきたが、俺との約束を守ったのはお前だけだ、フウコ。だから、無理はしないでくれ」

「マダラ様……」

 

 マダラ様、だーいすきッ!

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

「何故、フウコニ指示ヲ出サナカッタ?」

 

 フウコと別れた帰り道の道中で、黒ゼツに尋ねられた。

 あれから、長い間、抱き付かれたままだった。ただ抱き付かれたままというわけではなく、彼女から、イロミという少女について長々と語られたのである。その少女が如何に純粋で、良い子で、優しい子であるかを、感情に任せて、時系列も無茶苦茶に聞かされた。

 最終的には「マダラ様の夢の世界に連れていっていいでしょうか?」と尋ねられ「問題ない」とだけ答えた。喜ぶ彼女だったが、その返事は相当にいい加減なものだったことは、黒ゼツと白ゼツ、そして仮面の男にしか分からない。

 

「木ノ葉ヲ潰ス絶好ノ機会ダロウ」

「そうそう。フウコちゃんは良い子だ。それに強い。命令すれば、すぐにやってくれるはずなのに」

 

 黒ゼツの言葉に、白ゼツも調子良く重ねてくる。

 

 草木が生い茂る、道なき道を歩きながら、男はぼんやりと、オレンジ色を帯び始めた太陽を見上げる。

 

「あれは危険だ。少しでも見誤れば、手が付けられなくなる」

 

 切り落とされた右腕の傷口を抑えながら呟く。血は出ておらず、痛みももう殆どないが、こびりつくのは、右腕を掴んだ時の、彼女の破綻的なまでの人格の脆さ。

 

 彼女と別れる時「マダラ様は、私にとって神様です!」と笑顔で言ったが、神様、という言葉に含まれるエゴイスティックな価値観の差異は大いにあると感じ取った。

 

 うちはフウコにとっての神とは、自分の助けになる存在ではない。

 自分を助けてくれる存在だ。

 

 自分を助けてくれないと判断すれば、すぐさま切り落とす。

 あっさりと。

 この、右腕のように。

 そして、自分を助けてくれる存在であれば、それはたとえ小さな蟻ほどの虫であっても、喜んで縋りつくのだろう。

 

 幼いままに、長い時を超え、そして特殊な環境で過ごし続けた彼女の人格は、感情のストッパーを手に入れることはなく、天賦の才と造られた肉体を余すことなく暴れさせてしまう危険性を伴ってしまっていた。

 

 扱いには、十全な注意が必要だと、男は判断していたのである。

 

「下手な指示を出して、その指示に少しでも疑念を抱かせて暴れられるよりマシだろう。……うちはフウコが俺に心酔している、それだけで俺の勝ちだ」

「ナルホド」

「それにしても、あの子、かなり君を信頼していたね。ずっと抱き付いて、可愛かった」

「……ああ、そうだな」

 

 皮肉と勝利への確信が、男の口角を仮面の奥で吊り上げさせた。

 

 兎にも角にも、良いカードが手元に転がり込んできたのに変わりはない。

 あとは、うちは一族のクーデターを待つだけだ。

 

 ……しかし、その予測は裏切られつつあることを、男は知らなかった。

 

 心酔させていれば、信頼されていれば、言うことをしっかりと聞く子なのだというその評価は、大間違いだったのだ。

 

 うちはフウコは、見た目では、少女。

 しかし、これまで八雲フウコの中からしか外の世界を経験したことがない彼女は、あらゆる経験、社会的暗黙の了解などが、欠落した、幼い女の子のままなのだ。

 

 つまり。

 

 木の葉隠れの里に戻り、しばらくして彼女が、一体、何を思ったのか。

 それは、ただ一つ。

 

 男が彼女を手懐ける為に与えた、褒めるという、砂糖よりも感情を痺れさせてくれるほどの甘い飴。

 それを今度は、もっともっと、沢山貰おうという―――欲深い我儘だった。

 

 

 

 ● ● ●

 

 

 

 フウコさんのフリをしろって言われても、何しよっかなあ。

 せっかく、身体を取り返したんだから、今日だけは、色んなことがしたい。

 お買い物とか、探検とか、本を読んだりとか。

 いっぱいいっぱい、したいことがあった。

 

 だから私は、木の葉隠れの里に戻ってすぐ、変化の術を使って姿を変えた。

 その後のことは、あまりよく覚えてない。

 とにかく楽しかったのは覚えてるけど、色んな事やりすぎて、忘れちゃった。あ、でも、一楽っていうラーメン屋のラーメンは美味しかったのは、覚えてる!

 

 気が付けば、夜だった。

 西の空が真っ赤になった時には、もうそろそろ戻らないと、イタチとかが探しに来るのかな? と思ってたけど、もう少しだけ、もう少しだけって思ってたら、すっかり夜になっちゃった。

 

 変化の術は解かないまま、私はうちはの町に続く道の端っこを歩いていた。夜空を見上げると、砂粒みたいな星が、すごく綺麗。

 

 このまま、うちはの町に戻っちゃうと、しばらく私は、フウコさんに成りきって過ごさないといけない。それは、難しくないけど……でも、つまんない。もっと早く、クーデターが起きてほしい。

 

 マダラ様もマダラ様。私のこと、大切に思ってくれるのは、すごく、嬉しいんだけど、でも私は、マダラ様の為に、頑張りたい。それに、マダラ様の為に頑張れば、マダラ様も嬉しいだろうし、私も褒めて貰えて嬉しいから、一番いい。

 

 うん。

 

 マダラ様のお願いを破っちゃうけど、やっぱり私も何かしよっと!

 

 うーん、無理をしないで、私ができること。

 ヒルゼンとか、ダンゾウとかだと、二人の前まで行くのに面倒だし、暗殺が失敗して、もし戦闘とかになったら抜け出すことができなくなる。もっと簡単で、楽な相手―――あ、いた。

 

 うふふ。そうだそうだ、あいつにしよう。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ―――ん……。あれ、私…………。

 

 彼女(、、)は―――静かに目を覚ました。

 重い瞼を開き、鉛のような気怠さを背負う肩を上げて、上体を起こす。周りを見渡すと、柱だけで形成された、檻。その向こうに延々と広がる蒼い世界に、思い出す。

 意識を失う前の、最後の光景を。

 

 焦ったように立ち上がり、檻を両手で掴む。全精神チャクラを両手に集中させるが、柱はビクともせず、ヒビも入らなかった。

 

「うふふ。フウコさん、起きたんだ。おはよう」

 

 檻の向こうに、彼女と全く同じ姿のフウコが姿を現す。

 無邪気で、少し傾けた笑顔の下には、隠す気もない侮蔑が含まれていた。

 

 ―――フウコちゃん! ここから出してッ!

「どう? 檻の中に入った気分は。フウコさんは私みたいに外の様子を見ることができないから、退屈だよね」

 ―――……ッ!

 

 彼女は両眼を万華鏡写輪眼にすぐさま変える。

 柱を睨み、内包されている七尾のチャクラを、フウコがやったように調伏しようとするが、悍ましい光景がフラッシュバックした。のみならず、逆に七尾のチャクラがこちらを呑み込もうとすら、してくる。

 

 ―――ぁあぁああッ!

 

 強烈な痛みの前に、彼女は悲痛な叫びを挙げることしか出来なかった。

 

「あはは! やっぱり、フウコさんって意外と頭が悪いんだね。七尾のチャクラはもう私が操作してるんだから、今更横取りしようとしたって無駄なのに。それにフウコさんはうちは一族じゃないんだから、私よりも写輪眼を上手く扱えるわけないでしょ? ああでも、そういえばフウコさんは八雲一族だよね? 身体を支配してる訳じゃないのに、この世界でも写輪眼使えるんだ。やっぱり、私とフウコさんって、少し魂が混ざってるのかもしれないね」

 

 両眼から止め処ない血涙が流れ、彼女は左手で顔を抑えながらも、普段の赤い瞳に戻ってしまった両眼でフウコを睨み付ける。

 

「もう、そんなに睨まないでよ。この身体は、私のなの。お父さんが治してくれた大切な身体なの」

 ―――私は、里を守ると……誓った…………。

「知ってる。それを今から、私がぶっ壊してあげるんだから。―――これ、見て」

 

 フウコが指を軽やかに鳴らすと、檻の外に円形の鏡が出現する。

 しかし、鏡は彼女を映さない。代わりのように映っている人物を見て―――彼女は恐ろしい未来を、一瞬にして想像し、大きく息を呑んだ。

 

『なんだよフウコ。こんな夜中に用事だなんて。しかも、わざわざ鳥を使って』

 

 鏡の向こうに写る、うちはシスイの声が鼓膜を揺さぶった。

 彼は、どこか不思議そうに首の後ろを左手で掻いているが、フウコ(、、、)に対する疑念を全く持っていないように見える。

 

 ―――嫌……、嫌ぁ!

 

 彼女の震える声が、果たして何によってもたらされたものだったのか。

 蒼い世界は、彼女の声を無情に呑み込みながらも、シスイの声だけは不気味に響き渡らせた。

 

『というか、今日は何してたんだ? ダンゾウがお前のこと探してたぞ。昨日の報告してないっつって、代わりに俺が報告したんだぞ? お前の家に行ってもいなかったし、つーかミコトさんに殺されかけるし、イタチには睨まれるし、大変だったんだぞ?』

『ごめん。少し……その、用事があったの』

 

 別の声。

 それは、誰よりも知っている声だった。

 抑揚のない、高級な鈴のような、声。

 

『珍しいな。個人的な用事だろ?』

『そうだけど……あまり、言いたくない用事で……』

『分かってる、そこまで詮索するつもりはないって。だけど、そういう時は、誰かに言えよ? 俺でもいいし、イタチでもいいからな?』

 

 いつもの優しく、頼もしい声は、しかし、今だけは、柱を掴んでいる彼女の両手を恐怖で痙攣させた。

 乱れる呼吸の中、再び、柱に万華鏡写輪眼を向ける。

 夥しい量の血涙が流れ、強烈な痛みが襲ってくるが、それらを遥かに凌駕する恐怖への焦りが、より両手を震わせた。

 

 ―――くそッ! 動けッ! 動けッ!

 

 彼女の行動を馬鹿にするかのように、ニタニタと笑いながらフウコは眺めている。

 それでも、彼女は諦めない。奥歯を噛みしめ、とうとう、額を打ち付け強引に柱を動かそうとする。

 額の骨が折れる音、裂けた額から溢れた血が柱にぶつかる水音が、蒼い世界に吸い込まれていった。

 だが、

 

 ―――動けッ! 動いてぇッ!

 

 柱は、動かない。

 

「あーあ、可哀想なフウコさん。大切な人に、私が入れ替わっているということに気付いてすらもらえないなんて。うふふ、まあ、ナルトも気付いていなかったけど」

 ―――止めて! シスイには、手を出さないでッ!

「うふふ、みっともない。そんな取り乱しちゃって。マダラ様の時は、素直で綺麗だったのに」

 

 そう、確かに。

 彼女は、あの時のように、諦観はしていなかった。

 むしろ、感情が癇癪を起こしている。

 

 ああ、とフウコは両手を叩いた。

 

「もしかして……うふふ、シスイに恨まれるんじゃないかって、思ってるんでしょ? そうだよねえ。怖いよね、恨まれるのって」

 

 いつの間にか彼女の基準となっていた世界には、シスイとイタチ、そしてイロミからの、楽しい感情だけで満ち溢れていた。

 完璧で、完成された、理想郷。

 けれど。

 その世界が、穢されていく。

 シスイは、気付いていない。

 中の人格が、魂が、入れ替わっていることに。

 もしこのまま、彼が傷つけられ、瀕死の重傷を受けた時―――彼は【フウコ】という人物を、どう思うだろうか?

 

 その未来を創造するだけで、理想郷は修復不可能な穢れに満たされる。

 人生の宝物に成り続けるはずだったのに。

 理想郷が穢されることへの恐怖、穢された後に訪れる後悔、そして何より―――交渉の余地もない、決定的なフウコの殺意に、彼女は、心を乱しているのだ。

 

 いや、それよりも……。

 

 もしかしたら。

 単純に。

 昨日の七尾との戦闘で、彼女はシスイを―――。

 

「これから、シスイを殺してあげる。徹底的にいたぶってあげるんだから」

 ―――お願い……、フウコちゃん……。

「きっと、シスイは死ぬ間際にこう思うんじゃないかな? よくも俺を殺したな、恨んでやるって。うふふ。私は別にいいの、恨まれても。でも、フウコさんはどう? シスイに恨まれて平気?」

 ―――シスイ、気付いてッ! それは、私じゃないのッ!

「ざ、ん、ね、ん、でしたあ。うふふ。見えるけど、声は届かないの。どう? 苦しいでしょ。私も同じ。十年近く、今のフウコさんみたいに、言葉を届けたかったのに、届かないの」

 ―――……………やる…………。

「ん?」

 

 フウコは耳を傾けた。

 彼女の言葉が、あまりにも弱々しく、小さかったから。

 けれど、次に聞こえてきた声は、震えながらも、力強かった。

 

 ―――シスイを……殺したら…………お前を……殺してやる…………ッ!

 

 殺してやる。

 

 それは、フウコへの脅しと本心が、間違いなく、含まれていた。

 

 だが、同時に。

 シスイが殺される未来を無意識に受け入れてしまっている情けなさも含まれていたことに、フウコはニタニタと笑みを強めながら、感じ取っていた。

 

 血涙が作った、頬の赤い川。その上を、透明な涙が、新しい痕を作る。

 怒りと悲しみ。

 その二つが混ざり、口端を大きく歪めていた。

 

 うふふ、と、フウコは、余裕たっぷりに言った。

 

「よかったぁ。フウコさん、ようやく分かってくれた。私もね、そうなの。大切なものを殺されたの。お母さんも、お父さんも」

 

 フウコが大股で、檻のすぐ目の前まで、彼女の目の前まで、歩み寄る。

 乱暴に前髪を掴み、額を打ち付けてやった。

 痛みからなのか、それとも、フウコの邪悪な笑みの前に静かに屈する自分の脆弱さを呪ってなのか……涙の量が、増えた。そして怒りよりも、悲しさに押し負けるように、口端が、下を向く。

 それを見て、益々、フウコの笑みは強くなり、嫌味たっぷりに、言葉を放った。

 

「だからね、私もフウコさんに訊いてあげる。ねえ、どうして、私を恨むの?」

 ―――ごろじで、やる……ッ!

「あはははははは! ばぁか」

 

 

 

 ● ● ●

 

 

 

 うちはシスイ。あいつなら、簡単に殺せると思った。

 右腕は骨折していて、どうせ印なんて結べないだろうし、それに、不必要に近づいても疑われないからだ。これまで何度も、ベタベタって触ってきて気持ち悪かったけど、今回だけはそれを利用してやる。

 

 周りには、誰もいない。森の中にある湖の近くだから、当たり前。

 

「ねえ、シスイ」

 

 私はフウコさんのフリをしながら言う。

 

「……昨日、家に帰ってから、ミコトさんに…………、その、色々言われたの」

「……怒ってたか? ミコトさん」

「ううん。でも、何だか、すごい泣いてた。恋人を作るなら、結婚する気じゃないといけないとか、相手をよく選べとか、そういうのを言われた」

 

 まあ、言われたのはフウコさんなんだけどね。

 

 一歩、シスイに近づいてみる。

 シスイは顔を青ざめながら「ミコトさん、どうして俺をそんなに嫌うんだろう」と夜空を仰いでいる。

 隙だらけ。

 右腕は包帯でぐるぐる巻きになって、動かせそうにないみたい。

 だけど、まだまだ……。

 うふふ。

 

「それで……私も、考えてみたの…………。シスイのこと」

「いつもは考えていないみたいだな」

「まだ、恋人とか、好きとか……あまり、分からないけど…………、もし、フガクさんとミコトさんみたいな家族を作るなら…………、シスイがいいなって……思った…………」

「はっはっは、そりゃあ、嬉しいな」

 

 また一歩、近づく。

 さらに、もう一歩。

 腕を伸ばせば、シスイの首に回せるくらいの距離まで近づいた。

 

「目、閉じて」

 

 ようやくシスイの表情が、驚きに変わった。

 

 ―――………! ……、…………ッ!

 

 うーん、五月蠅いなあ、フウコさん。

 そんなに騒いでも、シスイには届かないよ。

 

「どういうことか……お前、分かってるのか?」

「分かってる。だけど……、その…………、怖いから……。お願い……」

「……分かった」

 

 うふふ、ばぁか。

 なに本当に目閉じてるの?

 そんなつもり、私には少しもないんだから。

 これまで何度も、ベタベタベタベタって、触ってきておいて、都合よすぎ。

 

 ねえ、フウコさん。ほらほら、よく見て。

 これから、フウコさんが作った黒羽々斬ノ剣で、シスイを殺してあげる。

 うふふ、ごめんなさいだなんて、今更謝っても、もう遅いのに。

 

 私はゆっくりと、シスイにバレないように、右手で刀の柄を掴む。

 狙うのは、まず、右足。

 その後は左腕で、次に左足。右腕は残したままにするのは、痛くて動かない右腕をみっともなく動かそうとするのが見たいから。

 

 うふふ。

 それじゃあ、バイバ―――。

 

「―――ところで、一つ訊きたいんだが…………」

「え―――」

 

 右腕が、掴まれた。

 寒気がする。

 これまでみたいに、ふざけた感じじゃなくて、がっしりと、左腕で。

 

「お前は誰だ?」

 

 見上げる。

 どうして、分かったの?

 どうして、目を開けてるの?

 どうして、写輪眼で、私を見てるの?

 

「フウコじゃあ、ないよな?」

 




 五日以内に投稿したいと意気込みましたが、中道には超えられない壁だったようです。そもそも、十日以内に投稿する、という明言を破ってしまったことが原因だったので、今後はそのような事がないよう、励みたいと思います。

 次の話は、十日以内に行います。

 ※追記です。
  次の話を書いている時に【最後の方で平然とシスイが右腕を動かしている】【最後の二人の場所の描写が一切ない】ことに気が付き、その部分だけを新たに書き加えさせていただきました。

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