今後、このようなことがないよう、努めていきたいと思います。
次回の投稿は、十日以内に行いたいと思っておりますが、今回の遅れてしまった分を倍以上に取り返そうと思っております。ですので、気持ち的には、五日以内に投稿したい、と思っております。
七尾―――
滝隠れの忍たちの気質なのか、それとも第一次忍界大戦以前よりその地に眠っていたからなのか、彼ら彼女らは憎悪の言葉をぶつけてくることはなかった。もちろん、全ての忍がそうではなく、時には「化物」と言われたこともあるのだが、目くじらを立て憎悪を溜め込むことが無かったのは、重明の性格もあるのだろう。重明が人間へ向ける感情は、くだらない、というものだった。
これまで何人かの人柱力に封印されてきた。
誰も彼もが、まるで神と対面するかのような態度を取る。よろしくお願いします、と恭しく言いながらも、両目には薄らとした絶望と恐怖を浮かべているのを見て、くだらない、と思うばかりだ。
別段、封印式から逃れる為に大暴れしたりするつもりはないし、した事もない。たとえかつて起きた第一次、第二次の忍界大戦で利用され、何回か自由になれたはずのチャンスもあったが、特にアクションは起こさなかった。
けれど、巨大な見た目と膨大なチャクラ量を前に、人柱力たちは絶望し恐怖する。絶望は、これから人柱力として自由のない人生を歩まなければならないことへの。恐怖は、こんな「化物」を体内に宿さなければいけないことへの。
だから重明は、必ず人柱力を前にこう言うのだ。
「ラッキーセブン、重明だ」
特に深い意味はない。ただこれから、人柱力が死ぬまで付き合わなければいけないのだから、絶望したり恐怖したりされるよりは、まあ、少なくとも顔見知りの他人くらいの関係を築きたい、そんな無関心さが生み出したものだった。
大抵は、曖昧な苦笑いを浮かべて、後は死ぬまで二度と会話をすることなく、気が付けば新しい人柱力がやってくる。
それが重明のサイクルだった。
苦でもなく、楽でもない。
それでよかった。
人間には何も期待していない。
期待するほど、まともではない。
「お前が……七尾っすか…………」
しかし、その少女は、これまでの人柱力とは違った。
絶望を抱くわけでもなく、恐怖を感じる訳でもなく。
その大きな目には、乱暴な怒りだけが宿っていた。
初めてだった。
そんな目を向けてくる、人柱力は。
たとえ封印術が形成した檻を隔てているとしても、随分と強気な少女だと、七尾は小さな感心を抱いた。
「そうだ。俺はラッキーセブンの七尾、重明だ」
重明はいつものように、いい加減にそう答えた。
どうせすぐに、そんな怒りも萎えるだろう。相手は子供だ。一時の感情で威勢を張っているだけだ。軽く脅せば、折れた小枝のように怯え、二度と話しかけてくることはないだろう。人間なんて、どれも一緒だ。
節足の一つで、精神世界の地面を軽く叩いてやる。地面は震え、檻から突風が生み出されると、少女の褐色の肩は強張り、頭を垂れ、緑色の髪の毛が地面を向く。
小さく鼻で笑ってやる。
これで終わりだ。
少女は背を向け、ここからいなくなるだろう―――そう思っていた。
だが少女は顔を挙げ、睨み付けてくる。
怒りの色が、ますます濃くなった目付きで。
「何が……、何がラッキーなもんすかッ! お前のせいで…………フウの夢が……ッ!」
重明は思う。
くだらない、と。
「文句なら俺ではなく、お前を選んだ連中に言え。俺は何もしていない」
「お前がいなかったら、フウは人柱力なんかに選ばれなかったんすよッ!」
また、くだらない、と。
自分は何も選択してはいない。これまで危害を加えたこともないのに、身勝手に封印しようとするのは、滝隠れの上層部だ。そんな単純なことも分からないのか。やはり子供だ。
重明は呆れ、これ以上、自身をフウと呼ぶ少女と会話をしても無駄だと思い、檻の中で身体を横にする。
「おい、フウの話しを聞けっす! お前のせいで―――!」
「黙れ小娘。俺に話しかけるな」
いい加減、邪魔臭くなってきた。
「俺も好きでお前に封印されている訳ではないんだ。これ以上ギャーギャー騒いでみろ。貴様を殺すぞ」
これも脅しだ。封印術を前に、人柱力を殺すことは、たとえ尾獣でもそう容易なことではない。それに少女を殺してしまえば、おそらく滝隠れの忍たちは、自分に攻撃をしてくる。
そんな面倒なことは御免だ。
だが目の前の少女も面倒だ。
脅しと言っても、半分本当の不機嫌さを込めた。ドスも利かせている。先ほどのいい加減な脅しよりも、効果はあるだろう。
案の定、少女の目には恐怖の色が滲み出ていた。
今度こそ逃げていなくな―――。
「……殺せるものなら、やってみろっす」
「何だと?」
それでも、少女は、重明を睨み続けた。
あまつさえ、檻のすぐ目の前までやってきて、両手で檻を強く握りしめる。
「さあッ! 本当に、フウを殺せるなら……やってみろ!」
「……黙れ。俺が本気を出せば」
「どうせ、何もできないに決まってるっすッ! お前は、何もできない、ただ身体の大きなだけの、役立たずなんだからッ!」
「貴様……言わせておけば…………」
「虫の癖にッ! ただの、図体のデカイ、虫の癖にッ! 悔しいなら、何かしてみろッ! 何が七尾だ! 何が、災厄だッ! そこらにいる、ただの虫じゃないかッ!」
「言葉を選べ小娘。俺が何なのか知りもしないのに、よくもそうくだらないことを―――」
「知りたくもねえっすよッ! どうせ、テキトーに生まれた木偶の坊に違いないっすッ! そこらの石コロよりも、ずっとずっと……くだらない所から生まれた、能無しっすよッ!」
最後の少女の言葉は、ようやく重明の感情を真剣に苛つかせた。
『お前達は離れていても一つ、いずれ正しく導かれる時が来る』
まるで昨日のことのように、思い出すことができる。
彼の言葉を、彼の姿を。
それらを穢した、穢された。
何も知らない、くだらない人間に。
いつの間にか檻は、重明の怒りに呼応するように震えていた。
「…………ちくしょう……」
だがすぐに、その怒りは、少女の震えた声のせいで、あっという間に毒気を抜かれてしまった。
「……何も出来ないくせに…………、フウの………、邪魔をするんじゃないっすよ……………、どうして、フウが…………」
「………………」
「ちくしょう……。ちくしょう………ッ!」
その後、少女とまともに話すことはなかった。話す気にもならなかったし、少女も少女で同じようだった。これまでの人柱力たちと同じ、後は少女が死ぬまで平穏な時間が過ごせる。当時の重明は確信していた。憎悪だとか、信頼関係だとか、そんな重さのせいで、空を飛べなくしてしまうものは必要ない、ただ自分を産んでくれた者への信頼だけあれば、それだけで満足だ。
そう……思っていたのだけれど。
『今だけは、お前の力を信じてやるっす』
気が付けば、再び少女は目の前にやってきていた。
初めて対面した時よりも健康的に成長した姿で。
―――全く、こいつはいつもいつも、喧しい。
ほんの時々だが、これまで少女の中から外の様子を伺ったせいで、分かったことが幾つかあった。
少女の名前はフウだということ。いつか尾獣である自分のチャクラをコントロールしようと日夜努力をしているということ。将来の夢が、世界一周だということ。馬鹿みたいに明るく、派手なことが大好きで、総合的な評価としては、自分の眠りを大いに妨げるやつ。
そして、とかく自分の予想を大いに裏切る少女だということ。
もう二度と会話をすることがないだろうと思っていたのに、あっさりとその予想を裏切ってみせる少女に、重明はため息交じりに視線だけを向けた。
状況は理解している。どうやら滝隠れの里は襲撃を受けたようだ。彼女の目の前に立つ二人組の男を止めようとする者がいない所を見ると、里はほぼ壊滅しているのだろう。つまり彼女は、二人組の男から逃げる為に、自分を解放しようとやってきたのだ。
あの時は何もできない役立たずと言っておいて、と重明は呆れ返る。
檻の向こうに立つ少女―――フウと、視線が重なる。
あの時と変わらず、絶望も恐怖も宿さない素直な瞳。だが今度は、怒りの代わりに、挑発的な色が込められていた。
本当に役立たずじゃないというのなら、実力を見せてみろ。
そう言っているようだった。
―――身勝手で我儘なやつだ。
心の中で呆れながら……しかし、不思議な感情が巨大な身体の中心で生まれ始める。
ずっと、神のように崇められ、恐れられてきた。
尾獣という背景のイメージだけでの、上下関係。
フウもまた、七尾という背景の名称で呼ぶが、態度は苛立たしいまでに対等だった。
その彼女が挑発的に信用してやると言ってきた。
『好きなだけ暴れるっすよ、七尾! ずっと、遠くまで!』
フウは封印を解放する。完全な解放ではなく、根柢の部分では彼女に繋がれたままだが、それでも尾獣化するのには問題ない程度には、封印は解放された。
檻が開かれる。
重明はチャクラを使って、すぐさまフウを絡めとる。膨大なチャクラを流し込まれ、彼女の意識は蜘蛛の糸のようにあっさりと切れた。我儘で予想を裏切る彼女の意識が残っていると、身体を動かす時に面倒だからだ。
『お前はラッキーだな』
重明は笑った。
楽しそうに、口角を上げて。
『今日の俺は、気分がいい。……いいだろう、見せてやる。俺が役立たずではないことを』
次に目を覚ました時は、お前が望んだ遠いところだ。
その時は、認めてもらうぞ、フウ。
重明は飛翔する。
小さな小さな、そして確固たる、決意を抱えて。
☆ ☆ ☆
「うちはフウコに、身体を渡せ」
完全に、思考は停滞してしまっていた。
既に詰んだ状況を冷静に判断している思考と、絶対に諦めたくない思考がせめぎ合っているからだ。前者は【大人】の思考を持つ自分で、後者が【子供】の思考を持つ自分。
子供の自分が叫ぶ。
高天原を使えば、マダラを眠らせることができる。
それに、まだ【
目的は中にいる女の子で、シスイを殺す事なんてない。
自分の速度なら、脱出してからシスイを助けることはできる。左足に纏わりついていた黒いのだって、もう白いのに移ったから。
大人の自分が、冷徹に答えた。
【天岩戸】はマダラにしかかけていない。それに、高天原で眠らせても、他の白い男たちがシスイを殺す。
シスイがもし死んだら、たとえ自分が生き残っても、うちは一族のクーデターを無血解決することは絶対にできない。
この状態で動いても、シスイが殺される方が早い。
それでもと、子供の自分は希望的観測と感情論を元に論を喚き散らすのを、大人の自分が一つ一つ、冷徹に切り捨てていく。
呼吸が乱れ、苦しくなる。
身体中から汗が出て、体温が奪われ、寒くなる。
それは、大人の自分が、拮抗していた思考の領域を大きくし始めていることを如実に表していた。当然だ。どう考えても、大人の自分の方が正論だった。
それでも、と子供の自分を応援したかった。
たとえ現実逃避でしかないと分かっていても、子供の自分の決断に、従いたかった。
「……ッ、お前は、何者だ」
シスイの声は、フウコと同じ高さからだった。彼を見ると、子供の自分が騒ぎ出す。
助けなくてはいけない、と。
ポキリ。
氷柱が折れるような音は、即座に分析されて、音の出所が分かってしまった。
仮面の男が、何も言わないまま、シスイの指を一本、折ったのだ。
声を抑えて苦痛の表情を浮かべるシスイを見て、背筋が凍りつく。
「……止めて」
怒りが、湧き起こらない。
まるで懇願するような、震えた声しか出せないのは、子供の自分が、議論を投げ出してしまったから。
ポキリ。
また、音が。
「止めて、お願い……」
ポキリ。
「止めてッ!」
これほど。
これほど、耳を覆いたくなる音が、あるだろうか。
「もう一度言う。うちはフウコに、身体を渡せ」
「お願い……、シスイには…………、何も、しないで…………」
「早くしろ。この男が死んでも、俺は一向に構わない」
「シスイは……、大切な人なの…………。お願い、これ以上……」
「早くしろ」
分かってる。
大人の自分はとうの前に答えを出していた。
どうすることもできないのだと。
なのに、子供の自分が駄々をこねて、意志を重くする。
まだ、何か……、何か…………。
「―――フウコ」
シスイが、笑っている。
アカデミーの頃のように。
二人だけでいる時のように。
優しく、頼もしい、笑顔。
「シ、シスイ…………、私は……」
「俺のことなんか気にすんな」
「……どうして」
そんな風に、笑えるのか。
死ぬかもしれないのに。
死んだら、うちは一族を無血解決して。
あの楽しい日々を送ることもできなくなるのに。
音が響く。
今度は、大きく、太く、低音。
笑顔を浮かべていたシスイが、強い苦痛に苛まれた。
腕だ。
彼の腕が、折られた。
仮面の男も焦っている、と大人の自分が冷静に分析する。おそらく、ダンゾウが送り出しただろう救援部隊が近くまで来ていることを、仮面の男は察知しているのだろう。だが、時間稼ぎをしても、何の意味もない。
あくまで……仮面の男の目的は、木ノ葉隠れの里の滅亡のはずだ。
尾獣でもなく、うちはフウコでもない。
それらは、ただの拾い物だ。
手に入れば御の字、手に入らなければそれでも良し。
ここでシスイが死にさえすれば、うちは一族を止める為の計画に大きな変更を迫られる。別天神を使った、無血解決は不可能になる。
でも、シスイが死ななければ……別天神は残される。
人の思考の方向性を導く力が、うちは一族を、木ノ葉隠れの里を、救い出す力が。
もう、子供の自分は、何も言わない。
「…………分かった」
奥歯を噛みしめながら、怯えるように鼓動が早くなるのを抑えて、フウコは声を振り絞る。
周りの白い男たちが、ニタニタと笑っている。仮面の男もまた、その仮面の向こうで小さく笑みを作った。
「言う通りに、する………。だから、お願い………、シスイには、絶対に手を出さないで……」
「いいだろう。約束しよう」
「おい、フウコッ!」
「ごめん…………、シスイ……。里を……皆を…………、お願い……」
もう一度、彼に名前を呼ばれたような気がした。
意識は身体の奥へ、奥へ
蒼い世界。
もう二度と、来ることはないだろうと思っていたそこは、憎たらしいほどに快晴で、子供のように走り回る風がフウコの髪を揺らした。
「うふふ。マダラ様、ありがとう!」
檻の中の女の子は、青空を見上げながらその小さな両手を胸の前で繋いでいた。嬉しそうにピョンピョンとその場でジャンプしていたが、フウコの姿を視界に収めると、笑顔の質を大きく変えて、檻を形成する柱を掴み、間から顔を出した。
勝ちを確信し、負け犬を見下す視線を、女の子は平然と向けてくる。
「ほらほら、早く身体を返して、フウコさん。早く早く!」
「………………フウコ……ちゃん」
「んんー? なぁに? うふふ」
女の子は、無邪気さと邪悪さをわざとらしく滲ませた笑みを浮かべる。
もはや彼女にさえ自分の言動を予測されてしまうほどに、単調になってしまっている。子供の彼女よりも、自分の方が遥かに子供だと、この状況が示していた。
「早くしないとぉ、あの人、死んじゃうよ? いいの?」
「お願い。もう、私に身体を渡さなくていいから…………、みんなを、守ってあげて」
えー、と彼女は大きく頬を膨らませた。
人工的な雰囲気しか感じ取れないそんな小さな動作でさえ、フウコは大きく動揺してしまう。
「うーん、どうしよっかなあ……? うふふ。だってぇ、フウコさん、これまで私のお願い、聞いてくれたことなかったからなあ」
「ご、ごめん…………。お願い、イタチとシスイに、力を貸してあげて。それに………、そう、イロリちゃんも、里が平和になれば、喜ぶと思うから。だから―――!」
「私の友達を、気安く呼ばないで。フウコさんは、イロミちゃんとは友達じゃないんだから」
「イロリちゃんは、私の―――」
「ほら、言ってみてよ? イロミちゃんは、私の友達じゃありませんって。私は偽物ですって。ほらほらぁ」
目の奥が熱くなってくる。
屈辱的な言葉を、言わなければいけないことに。
頭の中では、ただの言葉だと、判断できている。ただの言葉を言えば、彼女のご機嫌を損ねない上に、もしかしたら、里の平和に手を貸してくれるかもしれない。
だけど。
友達という言葉の価値を、知っている。
だって、友達という言葉が作り上げる偉大さを、シスイとイロミが初めて友達になった時に、知ってしまったから。
ただの言葉。
だけど、言葉とは、感情から抽出されるものだ。言葉があるということは、その感情が存在するということ。
苦しそうに奥歯を噛みしめ、今にも溢れ出そうになる涙を必死にこらえながら、フウコは、震える声で言う。
「イロミちゃんは……」
「あ、フウコさんはイロリちゃんって言ってね。そのバカみたいな勘違いで付けた最低な名前の方で。友達の癖に、名前を間違えるなんて、信じられない」
「……ッ! イロリ、ちゃんは……。私の、友達じゃ…………」
「ありません」
「…………っ、………ありま、せん……………。私は、偽物……………、です………ッ!」
「ふふーん。あれあれぇ? よく、聞こえなかったけど?」
「え……」
「もう一回、言ってくれない? もっと、大きな声で!」
「……お願い、フウコちゃん。もう…………。里を………」
「ちぇ、つまんない。ふん。まあいいよ。マダラ様も待ってるしね。ほら、早く檻を外して、身体を渡して」
一瞬、檻にかざそうとした右手を躊躇わせたが、脳裏に現れたシスイの姿が、右手を―――精神チャクラを動かした。
女の子が掴んでいた柱は、いとも簡単に動き、狭かった隙間が広くなる。女の子は、スキップしながら目の前までやってきて、両手をさしだしてきた。
「身体、返して」
「お願い……、約束して。絶対に、木ノ葉を―――」
「いいから、早くして。早くッ! あの人死ぬよ?!」
「…………ッ!」
震える両手を自分の胸に当てると、白い勾玉が出現する。
身体の……支配権だ。
女の子は両眼を爛々と輝かせ、勾玉に釘付けになるのを、逆にフウコは顔を歪めながら見ていた。
音が聞こえたような気がした。
何かが崩壊するような音。
多分、自分の中からだ。
これまで、平和の為なら、何を引き換えにしても構わないと思っていた。自分の中心には、千手扉間への恩と、誓いがあった。それを守ることが、全てだった。
でも今は、全く逆のことをしてしまっている。
悔しかった、情けなかった。
こんなくだらない状況を作ってしまったのは、全て、自分だ。
何も考えないで感情的に動いて、
感情に振り回されたせいでシスイが捕まって、
感情のせいで……女の子を解放しようとしている。
木ノ葉隠れの里に、止む事のない憎悪を抱いた、彼女を。
さっきの音は、自分の中の大切なものが全て、壊れる音なのだろう。
勾玉を持った両手が、震えながら、女の子の前に―――。
音が、聞こえた。
「え、なに!?」
「…………ッ?!」
再び、何かが崩れるような音が、今度ははっきりと、響き渡って聞こえてくる。続けて、咆哮が。
絶望を満たしていたフウコの思考は、混乱して精神世界に視線を散らす女の子の思考を一瞬で置き去りにする。
右手をかざす。檻を形成する柱たちが宙に浮き、女の子を囲んだ。
まだ、外で何が起きているのか予測はついていないだろう彼女は、フウコの態度の急変に危機感を抱き、左手を伸ばして勾玉を奪おうとする。
フウコは大きく後ろに海を蹴り、女の子の左手は空を切る。
柱が、女の子の周りの海を穿ち、再び檻に閉じ込めた。
「ちっくしょうッ!」
ようやく、彼女も外で何が起きたのか把握したのだろう。身体が返ってくるという喜びを前に、完全に外への意識を放棄していたことに後悔して、彼女は荒々しく柱を叩く。
勾玉を、自分の胸の中に戻す。
ああ! と、女の子は声を挙げた。
「そんなことしても、意味なんかないよッ! さっさと身体を返せぇえッ!」
「まだ、終わってない」
詰んだはずの盤面をひっくり返せるかもしれない。
その興奮は、今までにない速度で意識を急浮上させた。
身体に意識が当て嵌められる感覚。
白い男たちに俯せに抑え込まれている背中と、土が触れる腹部の感触。夜の風の匂いが鼻腔を擽り、乾いた口がヒリヒリと痛む。
身体に変化は一切見られない。
しかし、周りの状況は変化していた。
仮面の男も、白い男たちも……そしてシスイも。
全員が、ある一方向を見ていた。
興奮のせいか、全員が完全に自分から視線を逸らしているこの一瞬を無駄にはしないと思考が高速に動いているからなのか、時間をゆっくりと、彼女は観測する。
彼らが見ている方向を見る必要は無かった。
想定は出来ている。
七尾が、暴れようとしているのだ。
おそらく、誰もがその可能性を考慮していなかった。
傍から見れば、七尾は意識を失っているように見えたことだろう。
けれど、七尾に高天原をぶつけていたフウコだけは知っている。
まだ七尾の意識を、完全に刈り取ることができていなかったことを。
そして……フウコも知らない事実。
七尾―――重明の意識の中心にある、七尾としてのプライドと対等な少女から投げかけられた期待への決意を。重明は、半ば狂乱じみた意識だけで、口元に集めた尾獣玉を、今にも射出しようとしていた。
予想外からの介入。
しかし、一瞬の隙を作りだした決定的な要因は、それではなかった。
仮面の男の思考が、小さく乱れたからだ。
大蛇丸と角都を退かせてしまったのが裏目に出た。尾獣の捕獲が真の目的ではなく、うちはフウコを招き入れることに重心を置いたという事実と、自分の存在。それらを知られるという危険性を考慮したが為に二人をこの場から離したが、今となっては完全な失敗だった。
シスイを抑え、フウコの動きを警戒しなければいけないこの状況では、自ら七尾を抑え込むことができない。かといって、白ゼツたちにそれができるとは到底思えない。いっそのことシスイとフウコを、七尾の攻撃で消した方が現状ではベストではないか、という思考を巡らせるが、木の葉隠れの里への復讐と自分の計画の成功率を高めたいという小さな欲が、そのスムーズな思考を邪魔している。
故に、仮面の男は、気付くのに遅れてしまった。
彼女の左眼も、万華鏡写輪眼に変化しているのを。
彼女の身体を、灰色のチャクラが覆い始めているのを。
「貴様―――」
別方向からのチャクラの鼓動に、仮面の男はようやく視線を彼女に向けるが、既に灰色のチャクラは白い男たちを弾き飛ばし、黒羽々斬ノ剣を宙に舞い踊らせ、肥大し、異形な姿を形作っていた。
二本の右腕と、鋭い爪を持った三本の左腕を生やした、上半身だけの骸骨が出現する。
フウコは、うちはカガミから聞かされていた。
かつて、うちはマダラが使っていたという万華鏡写輪眼の、第三の瞳術の存在を。
彼女はすぐさま術の習得に動き、中忍になってすぐに、それを会得していた。同時に、術のリスクも知った。
一度発動してしまえば、その後、碌に身体を動かせなくなってしまうほどの負担が襲い掛かる。
だが、この値千金の隙。
そして、シスイの命と、里の未来。
それらを守るためなら、どんなリスクだって払っても構わなかった。
黒羽々斬ノ剣を須佐能乎の右手で掴み、手元に引き寄せる。
仮面の男が握る、暗部の刀がシスイの首を掻っ切ろうと動き始めている。
「させないッ!」
フウコは左眼の万華鏡写輪眼を通じて、仮面の男に植え付けたマーキングに指示を出した。暗部の刀を握った男の右腕が完全に停止する。
「天岩戸か……ッ!」
遅れて、白い男たちは慌ててシスイを殺そうと動き始めるが、あまりにも遅い。
須佐能乎の三本の左手の指先が、シスイを抑える白い男たちと仮面の男の喉元を貫いた。だが、仮面の男を貫く指には確かな手応えはなかった。
―――シスイッ!
驚くことではない。
波風ミナトと男の戦闘を九尾事件の夜に目撃していたフウコには、そうなることは既に想定できていた。
三本ある内の一つの手で倒れているシスイを掴み、自分の元へ引き寄せ、須佐能乎の中へ確保する。
瞬間。
尾獣玉が、放たれた。
「フウコッ!」
射線は確実に、二人を目掛けていた。膨大なチャクラの塊が迫ってくる刹那、シスイは折られていない左腕でフウコの頭を自分の胸へと抱え込む。
彼の心臓の鼓動と温かさを、何よりも感じる。気が付けば、両腕を彼の背中に回していた。
―――……守るッ!
絶対に、彼を、
守ってみせるッ!
もう絶対に、危険に晒してやるものか。
私が。
私がッ!
須佐能乎の身体から漏れていた余分なチャクラが圧縮され、変化されていく。
骸骨の姿が限界だったはずが、肉を付け、装束を纏う。
顔には、左半面が砕けた般若の面が。
圧縮された須佐能乎は、五本の両腕で自身の身体を覆った。
そして、
閃光に包まれ、
音が……消えた。
いや、一度だけ脳を揺さぶるほどの音が二人を襲ったが、その直後に音を感じ取れなくなった。なのに、空気は震え続ける。内臓全体を容赦なく振動させる衝撃は、細かい筋肉の動きさえコントロールさせてはくれない。
横隔膜は不自然に痙攣し、呼吸がままならない。
さらには、須佐能乎の副作用による全身の激痛がやってくる。
酸欠状態と激痛。
もはや身体の感覚も喪失してしまっている。生きているのか死んでいるのかすら分からない、朦朧とした意識だけの世界だった。
その意識さえも、飛びそうになる。
―――……まだ。…………まだッ!
意識を失うのは全部が終わってからでいい。
身体がバラバラになってもいい。
死んでも構わない。
まだ須佐能乎を発動できているチャクラの感覚は、儚げに残っている。何としても、その感覚を手放すわけにはいかない。
やがて。
衝撃が止み、激痛と共に身体の感覚が戻ってくる。
ああ、とフウコは思う。まだ両手には確かに、彼の身体を感じ取れる。鼓動を感じ取れる。生きている。
安堵しながらも、フウコは顔を挙げ七尾がいた方向を見る。濁った水のように歪む視界の彼方には、大量の砂煙が舞い降りていた。七尾の姿は見えないが、血涙を流す万華鏡写輪眼は、砂煙の向こう側に七尾の形をしたチャクラを捉えていた。
七尾は動かない。
だが、フウコは容赦なく、渾身の力を振り絞って須佐能乎の三本の左腕を伸ばした。
矢よりも早く、槍よりも鋭い十五本の指が、七尾を穿つ。
七尾は暴れた。音は聞こえないが、絶叫したのか風が起き、砂煙が一蹴される。
フウコたちを中心に出来上がったクレーター。その外側にいた七尾の目を、右眼の万華鏡写輪眼が捉えた。
今度こそ、意識を刈り取る。
血涙が頬を大きく汚し、顎から地面に落ちた。血と共に、自分の意識も身体の外へと散らされているような錯覚に襲われる。
「…………ッ!」
散漫とした意識の隙間。
そこに吸い込まれるように、須佐能乎を―――フウコのチャクラを―――通じて入り込んでくる別の意識に、フウコの表情は大きく歪む。
『どけ……、小娘……ッ!』
獰猛な重低音の声が聞こえる。
麻痺してしまった聴覚からではなく、頭に直接響いてくる。
それが七尾の意識なのだと、フウコは直感する。
『俺は、フウを………運ぶのだ……ッ! 邪魔をするなッ!』
「―――ッ?!」
入り込んでくる。
須佐能乎を伝って。
七尾の―――チャクラが。
黒く、
赤く、
深く、
底無しの、
怒りのような、
悲しみのような、
イメージが、
そう、七尾がこれまで見てきた、
人々の争いの記憶、
そのイメージが、
圧迫が、
人間の、残酷で残虐な―――くだらなさが。
フウコは叫んだ。
声に出ていたのか、それとも声なき声だったのか、分からない。だが間違いなく、意識は悲鳴を挙げていた。
あまりの恐ろしさと、暗さに。
蒼い精神世界すら、汚染浸食されていく。
須佐能乎が揺らぐ。
装束は焼け落ち、仮面は剥がれ、肉は落ち、骸骨の姿へと戻っていく。
右眼は、七尾すら捉えていなかった。
意識が焼き尽くされ―――。
しっかりしろ、フウコッ!
耳元で、本当に微かに、彼の声が、した。
―――シスイ? ああ、イタチに、イロリちゃんも……。
意識の彼方に、彼らがいる。
たった半年しか過ごせなかった、アカデミーの頃の、三人が。
イタチが優しく笑っている。
イロミが嬉しそうに手を振っている。
シスイが爽やかに笑いながら、頭の後ろで両手を組んでいる。
写真のように完成されたその情景は、けれど、一瞬だけしか見えなかった。
でも、一瞬で、十分だった。
理想とする平和な世界が、基準となる世界が、フウコの意識に弱々しながらも、軸を与える。
再び、右眼は七尾を睨む。
―――高天原。
七尾の意識を刈り取ると同時に。
フウコも意識を失った。
☆ ☆ ☆
「副忍様。人柱力の保護、無事に完了しました」
「………………そう」
「負傷者の回収も、もうすぐで終わります」
「…………そう」
抑揚なく報告する【根】の男に、フウコは唇だけを動かして応えることしか出来なかった。半ばいい加減な返しに、しかし男は苛立つだけでも呆れるわけでもなく、無反応。まるで報告することそのものが目的でしかないというようで、フウコがいようといまいと関係ないといった感じだったが、生気をまるで漂わせないそこでは、救援部隊としてやってきた【根】の者たちの機械的な後処理はむしろ正しいように思える。
「水、貰えますか?」
足を伸ばし切って、木に背中を預けっぱなしに座るフウコ。鞘に戻した黒羽々斬ノ剣は力無く帯に結ばれている。その右横に座るシスイが男に頼んだ。シスイの右腕と指には、骨折の応急処置程度のテーピングがされている。
男は無言のまま水筒を彼に手渡してから「では」と言って、作業に戻った。これから遺体の回収がされるのだろう、とフウコは疲れ切った頭で判断する。半開きの瞼の向こうで、凄惨な死骸を淡々とした作業で遺体袋に詰めているのが見えた。
「飲めるか?」
「……ありがとう。でも、一人で開けられるから」
右手をまともに動かすことのできないシスイが、どうにか左手だけで開けようとしているのをフウコは力無く奪う。しかし、フウコも両手をまともに動かすことはできなかった。疲れと痛みがもたらした弊害は、水筒の蓋を開ける為だけにも関わらず、両手に全神経を集中させても、指は震え力が入らない。しかしどうにか開けて、水を渇いた口内に流し込む。舌触りが心地よかっただけで、渇きは一切消えてはくれなかった。
呼吸を静かに落ち着かせて、水筒を持った左手を地面に置いた。
目を覚ました時には、既に【根】の者たちは到着していた。彼らは、意識を失っているフウコを見て、傍にいたシスイに状況を確認し、尾獣化が解かれた人柱力の保護と負傷者、遺体の回収を行っていたのだ。
シスイは、目を覚ました時からずっと隣にいた。隣にいて、意識を取り戻してから、右手を握ってくれていた。フウコが水を飲み終わってから、また彼は右手を握ってくれる。
「シスイ……腕、大丈夫?」
「折れただけだ。気にするな」
「…………ごめん。全部私のせい」
目を覚ましてから、彼は一度として、尋ねてこなかった。
仮面の男について。
そして、うちはフウコについて。
おそらく【根】の者たちがいるからだろう、とフウコは考える。けれど、微かに視界の端に見える彼の横顔からは、そういった疑念を抱いているような機微は見られなかった。勘違いかもしれない。疲れてしっかりとした処理が行えないからかもしれない。
彼は小さく手を振って、笑った。
「気にすんなよ。結果的にどっちも無事だったんだし、俺はお前に助けてもらったし。俺の方こそ、あれだ……上手くサポートできなくて、悪かった」
「……ううん、シスイがいてくれたから」
彼がいてくれたから、おそらく、結果的にはだが、全て上手くいったのだ。
感情を剥き出しにしたせいで、こんな事態を招いてしまった。
けれど、その感情が意識を繋ぎ止めてくれた。
須佐能乎の副作用にも耐えられた。尾獣玉の衝撃にも堪えることができた。七尾のチャクラにも、屈することはなかった。
たった一人だったら、きっとこの身体は【彼女】のものになっていただろう。
そうなったら、全てが終わりだ。
いや、彼だけではない。
イタチやイロミ。
自分が経験した全部が、支えてくれたのだ。
楽しくて、嬉しい、日向ぼっこをするような、輝かしい記憶たち。それが、これからも積み上がって自分を囲んでくれるだろうという未来への期待。それらが、全て。
どうして千手扉間らが、平和を守ろうとしていたのか、その偉大な思想が理解できたような気がする。
ふと、思う。
自分の中にいる、彼女。
彼女は一体、どうしているのだろうか。
七尾のチャクラは、間違いなく精神にまで汚染してきた。
彼女の所にも及んでいるかもしれない。
彼女を囲う檻は健在だ。たとえ今すぐ暴れられても、彼女を抑え込み続けることはできる。だが、珍しい、と微かに思う。
こんなにも自分は疲弊しきっているというのに、幻術一つかけてこない。
不気味なような、安心するような。
「副忍様。全ての処理、完了しました」
気が付けば、先ほどの男が報告に来た。彼の後ろには数人の男たちがいるだけで、どうやら他の者たちは、木ノ葉隠れの里へ帰還したようだ。七尾の人柱力の子も、木の葉隠れの里に送られた。
「……そう。それで?」
「ダンゾウ様から、副忍様とシスイを無事に連れて帰るように仰せつかっています。動けますか?」
シスイを見ると、彼もこちらを見ていた。
二人は同時に、小さく頷く。
「問題ない。帰ろう」
☆ ☆ ☆
木ノ葉隠れの里には、何事もなく到着した。何事もなく、というのは、仮面の男の襲撃を、実のところ警戒していた部分があったからである。彼の能力を顧みれば、尾獣玉で消し飛んだということは考えられなかった。【根】の者たちに護衛されるように移動していたが、気休め程度の警戒はしていた。
また、女の子からの幻術も意識していたが、それもやってこなかった。
門を潜って、ようやくフウコの張り詰めた警戒心は解けた。ダンゾウに今回の顛末を報告しに行こうとした時、シスイに肩を掴まれる。
「今日はもう帰るぞ。報告は明日だ」
「え、だけど……」
「悪いんですけど、俺たちが無事なことを、ダンゾウ様に報告してもらってもいいですか?」
男がこちらを見る。良いのか悪いのか指示を出せ、ということみたいだ。
シスイが顔を耳元に近づけてきて、小さく呟いた。
「お前も俺も、もうクタクタだ。報告くらい明日でもいいだろう。ダンゾウも、俺たちが無事なのが分かったら強く言ってこない」
「大丈夫かな……」
「今の俺たちを見たら、余計に心配されるぞ。お前なんか、小言を夜中ずっと言われるかもしれない」
まあ確かに、一理あるかもしれない。そう思った途端に、彼は悪戯好きな笑みを浮かべた。アカデミーの頃は大抵、その笑顔を浮かべたら「逃げるぞー!」と言うのだが、流石に今回はそうしないらしい。しかし、あの頃の彼の行動力に振り回された頃を思い出す。イタチがやれやれといった感じにシスイについていき、イロミが困ったようについていき、自分は何となくついていく。そんな、馬鹿みたいな光景。
少しだけ微笑ましい気分になって、フウコは頷いた。
「悪いが、頼む」
「……分かりました」
【根】の者たちが姿を消すのを見送ってから、手を繋いで、うちはの町に帰る。
先に着いたのは、イタチの―――自分の―――家だった。玄関から、微かに灯りが漏れている。居間の灯りだ。おそらく、サスケ以外は皆、起きているのだろう。何も言わずにこんなに帰りが遅くなってしまったのだから、きっと心配している。頭の隅で、微かに玄関から入りたくないな、と思った。怒られるかもしれない、と考えたのだ。
「正面から入るのか?」
同じことを思ったのか、シスイがそう尋ねてきた。
「お前の部屋から入るなら、手伝うぞ」
「どうして?」
「いけないか?」
「イタチが、シスイは絶対に部屋に入れない方がいいって言ってた。悪いことを考えてるって」
「あいつは母親か」
しかし起きているのは間違いないのだから、玄関以外から入ったらそれこそ問題になってしまう。素直に玄関から入ることにした。
「シスイは帰らなくていいの?」
「いや、一応事情の説明をしないとな。これ見せれば、信じてくれるだろ」
シスイはテーピングされている右腕を見せた。
玄関を静かに開ける。
いつも自分が過ごしてきた、嗅ぎ慣れた温かい雰囲気が、鼻の先を擽った。
「……ただいま、帰りました」
控えめな小さな声が、廊下に吸い込まれていった。右手は変わらずシスイの手を握っている。すぐさま、足音が聞こえてきた。ドタドタと慌てた足音で、あれ? とフウコは思う。イタチの足音じゃない、と。
姿を現したのは、ミコトだった。
後ろの方で、げっ、とシスイの声が聞こえ、彼の手が強く離れようとする。だが、離したくないな、とフウコは淡々と思い、離さないようにした。
「ああ、フウコ。おかえりなさ―――」
そして、ミコトの表情が、心配したものから急激に冷えていく。目が据わり、焦点が弓矢の如くフウコの右手に向かっている。
音も無く、ミコトはシスイを見た。
「あ、ははは。ど、どうも。ミコトさん……その、こんばんは。あのですね……、少し、勘違いをしているみたいですが。ええ。ここは少し、冷静になりましょう、お互いの為に。そのですね、いつだって将来の為を考える時は冷静に―――」
「フウコ、その手、離さないでね。包丁持ってくるから」
「え、あの、ミコトさん?」
「離せフウコ! 俺は逃げるぞッ!」
「右腕見せて事情を説明するんじゃないの?」
「ミコトさん!? 俺の右腕、右腕見てッ! ほら、痛々しいでしょッ! そう、すんごい痛いんですよこれがッ! いいから見てくださいってッ! 任務! 実に健全な任務が急にあってですね、ミコトさん?!―――」
しかしミコトは聞く耳を一切持つことなく、奥の方に消えて行った。遅れて、二人の人の気配があり、駆け抜けていったミコトを見て「どうした?」とフガクの声と「母上?」とイタチの声が聞こえてきた。
二人は同時に姿を現し、やはりフウコの右手を見て、フガクは厳しい表情を、イタチは呆れたように額に手を当てて「シスイ……」と呟いた。
フガクは口をへの字にしながら、
「シスイくん、すぐに逃げなさい。ミコトには、俺から言っておこう」
「ですがフガクさん。シスイと一緒に、その、事情を説明しないと」
「大方、任務だったのだろ? 彼の右腕を見れば分かる。さあシスイくん、逃げなさい。ああなったらミコトは人の話を聞かないんだ」
「ありがとうございます! じゃあな、フウコ。あ、イタチ、俺は何もしてないからな!」
「何かしてたら俺がお前を殺してる。さっさと帰れ」
「……おやすみ、シスイ」
「おう、またな!」
シスイの手が離れ、瞬身の異名に負けない速度で彼は逃げていった。同時に、ミコトの怒りが伝わってくる足音が聞こえ、フガクは肩を降ろしながら廊下の奥に消える。二人の会話が聞こえてきた。
「落ち着きなさい。二人は任務だったんだ」
「任務?! 貴方、何を言ってるの。娘の危機なのよ!? いいえ、もう危機が過ぎてしまったのかもしれないのよ!? 信じられないッ!」
「だから、任務だったんだ。それにフウコもそういう年頃だ。別にいいだろう、恋愛くらい」
「フウコにはまだ早いわ。恋愛なんて、きっとフウコは言葉も知らないはずよ。あの子は昔から純粋で素直な子なんだから、私たちがしっかり見てあげないと! とにかくどいて。やっぱり私の予感は正しかったわ。シスイくんはケダモノよ!」
剣呑なミコトの声が聞こえてくるのを背に、イタチは至って冷静に「大丈夫か?」と尋ねてきた。
「帰ってこないから心配していたんだ。何かあったんじゃないかって」
言葉とは裏腹に、イタチの黒い瞳は別の心配をしているようだった。
つまり、計画に支障が出たのではないか? と。
フウコは言葉を選んだ。
「大丈夫。本当にただの任務だったの。シスイは右腕と指を骨折したけど、私が治せば印を結べるくらいにはなるから」
それを聞いて、イタチは笑みを浮かべた。
「おかえり、フウコ」
「うん。ただいま、イタチ」
「ご飯は温めればすぐに出来る。でもその前に風呂に入って来い。汚れが酷いぞ」
それからは―――。
あっという間に時間は過ぎていった。
風呂に入るところまでは、時間は正常に流れていたように思える。風呂に入り、身体が温まったあたりから、半分寝ていたのかもしれない。風呂を出てから夕食を食べることにしたのだが、対面に座るミコトが泣きながらに長々と何かを訴えかけてきた。けれど、あまり覚えていない。とにかく、結婚は人生において大切なことで、信頼出来て安心できる相手を選べ、というのが一貫したテーマだったと思う。その上でフウコは、【家族】を除いて信頼でき安心できる異性を思い浮かべると、自然とシスイの顔が思い浮かんだ。
どうにかフガクがミコトを落ち着かせ「もう寝なさい」と言ったので、素直に眠ることにした。自分の部屋の前で「ゆっくり休め。おやすみ」と言ったイタチの表情は、優しかった。
布団を敷き、その中に入ると、意識は急激に沈んでいく。夢の中にいるように時間は進んでいったが、意識が沈んでいくと、これから本当に夢の中に入るのだと実感できた。
時間が早く感じ取れたのは、きっと、安心してしまったからだと、ぼんやりと思う。楽しい時や嬉しい時は、総じて時間は早く流れるものだ。でも何だか、勿体無いと思ってしまう。不思議な考え方だったが、確かにそう思った。時間が、勿体無い。
もっともっと、長く、ゆっくりと流れてくれればいいのに。
平和な時間はどういう訳か、早く流れてしまう。守る為の労力は多大なのに……不公平だ。
けれど、そんな小さな悪態もすぐに消えた。もう九割がた、夢の中。
これからは、そう、平和な時代がやってくる。
自分も無事。
シスイも無事。
計画には、支障はない。
これから楽しい、嬉しい時間が、約束されるのだ。
―――ああ、でも、やだなあ。
考えてしまう。
ずっとずっと、そんな時代が続いても。
いつかは、終わってしまうのだ。
脳裏にフラッシュバックする、遺体袋に入れられる亡骸たち。
いつか、自分も、みんなも、死んでしまう。
寿命は必ず、やってくる。
その時は、もしかしたらあっという間に来てしまうのかもしれない。
そう考えると、悲しくなった。
すごく、悲しくなった。
考えるのは、止めよう。
今日は色々とあった。
疲れた。
安心して、眠ろう。
色々な雑念を静かに払いのける。
イロミの真実や、仮面の男。壊滅状態の滝隠れの里のこと、人柱力のこと。木の葉隠れの里のこと、イタチのこと、シスイのこと、色んなこと。
意識から、音が無くなる。
安定する。
寝よう。
「させないよ、ばぁか」
「え?」
蒼い、
世界が、
広がっていた。
目の前には、彼女が入っている、檻が。
「どう……して…………」
別に、意識した訳でもないのに。
ただの夢の中に入っただけなのに。
どうして、ここに―――。
「私が、フウコさんをここに連れてきたの。フウコさんに、お別れを言いたくて」
嫌な予感がする。
首の後ろ側が、ゾワゾワと。
檻には問題ない。
精神チャクラは、間違いなく彼女を抑え込んでいるし、暴れられても問題ない。
なのに、どうしてだ。
目の前の彼女の笑みが、途轍もなく、不気味な空気を放っている。
フウコは恐ろしい予感を必死に抑え込みながら、彼女を見据えた。
「フウコちゃん、言ったはず。もう、身体は渡さない。里は、私が守る」
「うん。知ってる。だ、か、ら……奪っちゃうの」
「させない。檻からは、フウコちゃんは、出られない。今までだって、出来なかったでしょ?」
「うふふ……あはははははッ!」
女の子は高らかに笑った。
何かの確信を得た、力強さを持っている。
背筋が凍える。
「何が、おかしいの……」
「今までは、ね。うふふ。でも……ほら」
彼女が無邪気に顔を傾けると、
あっさりと、
檻は、
破壊された。
混乱し―――そして、空と海が、逆転した。
フウコは、空に、叩きつけられる。
空は海に。
海は空に。
つまりそれは、精神世界が、逆転したことを意味している。
自分が彼女から、身体の支配権を奪った時に起きた現象と、同じだった。
意識が、重くなる。
息苦しい。
そう、ここは。
彼女の、世界になった。
「どうして……」
精神チャクラの量では、絶対に彼女には負けていない。確信できる。
なのに彼女はあっさりと、それを否定してみせた。
混乱する思考の中、目の前に立つ彼女は、無邪気に笑う。
その背中に、フウコは見た。
どす黒い、チャクラを。
七尾から感じ取ったものと、同一の、チャクラを。
「フウコさんは、アレのチャクラに苦しんだみたいだけど、私は平気だよ。あれぐらいの暗い気持ちなんて、私、へっちゃらだから」
うふふ、と笑い、見下ろしてくる彼女の両眼には、自分と同じ、万華鏡写輪眼が。
ついさっきまで彼女を抑え込んでいた檻の柱が、破壊されたはずの柱が、元に戻り、今度は、自分を狙っている。
自分の周りではなく、身体を貫こうと。
「お願い、フウコちゃん。少しだけ……あと少しで、里は平和になるのッ! 待ってッ!」
「嫌だよ。そんな都合のいいこと、しないよ」
フウコは背を向けて走った。
もう、逃げるしかなかった。
どこに?
この精神世界で、彼女の精神世界で、どこに?
シスイはいない。
イタチもいない。
イロミもいない。
誰も、いない。
彼女と、自分だけ。
だけど、フウコは探した。
自分の基準となる世界の欠片を。
それさえあればまた、きっと乗り越えることができる。
強い感情があれば、どんな辛い時でも、耐えることができると知ったんだ。
だから、それさえあれば―――。
一本の柱が、フウコの腹部を破壊した。
上半身と下半身で分断される。
今度は、胸を。
声が出ない。
意識の血と共に、白い勾玉が、宙を舞っている。
手を伸ばす。
シスイが握ってくれていた、右手を。
ずっとずっと、伸ばし続ける。
―――イタチ、
―――シスイ、
―――イロリちゃん、
―――皆……私に、力を貸し
「あははははははははははははッ! バイバイ、フウコさんッ!」
柱が、フウコの頭部を押しつぶした。
もう、フウコは、何も喋らない。
喋れない。
動けない。
残った柱たちが、バラバラになるフウコの意識を、押し潰し肉片にしていった。
ご指摘、ご批評がございましたら、ご報告のほど、よろしくお願いいたします。
※追記です。
最終推敲をしたのですが、白ゼツに奪われた黒羽々斬ノ剣に関する描写が思い切り抜けており、明確ではなかったため、その描写だけを追加で書かせていただきました。申し訳ございません。