いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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幼少編(改訂版)
月は、その夜を眺めていた


 

 

 

 ―――健やかに生きて、フウコ。……私は誰よりも、貴方の幸せを願っているわ。もう貴方は、誰よりも、自由よ。さようなら……私の、愛しき子………。

 

 

 

 かつての母の言葉だった。本当に血の繋がった(、、、、、、、、、)、母の記憶だった。

 

 

 

 ―――平和な世を……必ず、ワシと、そして木ノ葉の子らが実現してみせる。だから、フウコよ……お前はその世で生きろ。

 

 

 

 一度は恨み、けれど惜しみない愛情を捧げてくれた彼は、真っ暗な未来へ、一筋の光を垂らした指針となった。

 

 

 

 ―――頑張れ……フウコ………。

 

 

 

 きっと、彼への愛は、本物だ……。

 

 

 

 

 砂粒のような記憶が、鈍色の光を放ちながら、手の形をした意識から零れ落ちていく。

 

 足元には、真っ赤な血と黒い嗤い声が。

 

 輝く記憶たちは井戸に飲み込まれる蛙のように、血と声に飲み込まれ、あっさりと色を変えられていく。朝焼けを追いかけ、その果てに夜空で命を燃やし落ちていく鳥の姿にも似たその残酷さを、ただ、ぼんやりと眺めることしか出来なかった。

 

 喪失感はなかった。

 絶望も、なかった。

 ましてや後悔なんて……あるはずもなく、確かなものは、灰色の感情が役目を終えた秋の案山子のように立っているということだけだ。

 

 ふと意識を外に向けると、身体は熱かった。

 燃えるように熱く、そして苦しかったかもしれない。

 

 皮膚に塗りたくられている血のせいなのか、鉄臭さと生臭さを放つ自分から逃げるように、視線は夜空を指していた。

 

 満月だった。

 

 青白い光が、薄い雲で研磨され反射され、平等に無機質に、地上に降り注がれている。

 きっと、月も自分がそうであるように、淡々とした感情で、けれど見下ろしているのだろう。何となく、そう思う。あるいは、嗤っているのかもしれない。愚かしいことをしたのだな、と。

 

 たとえ嗤われているとしても、どうでもいい。

 

 雑音は、もう、聞き飽きた。

 この雑音に満ちた世界に期待していることなんて、何もない。

 くだらないことを垂れ流す、壊れた世界なんか……。

 

 

 ―――待て…………、フウコ………。

 

 

 フウコと呼ばれた少女は、血で赤く染まった顔を後ろに向ける。細い顎と小さく閉じられた口、すらりとした鼻筋は顔を端整に表現しながらも、無機質さも伴っていた。長い睫は二重瞼を綺麗に囲っている。少女の両瞳は、長く軽くウェーブのかかった黒髪に纏わりついている血よりも赤かった。

 

 いや、ただ赤いだけではない。

 

 黒い瞳孔を、正三角形の頂点のように囲う黒い勾玉模様が三つ。それらを円形の黒い線がつなげていた。

 

 写輪眼―――うちは一族が持つ、特殊な眼を、少女は持っていた。

 

 憂いも疲れも感じさせない冷淡な視線は、幼い頃から過ごした町の姿を捉える。

 

 町を囲っていた塀は、かつてのように月明りを鮮やかに反射せず、ひび割れ、所によっては抉れていた。道も同様に、抉れ、幼い頃に歩いていたのが信じられないほどに荒れ果てていた。

 

 それらは、戦闘の跡だった。

 

 悲惨な町並み……道の中央に、一人の少年がうつ伏せに倒れている。少年は、痛みと疲れで震える首を動かし、顔をあげていた。口端から血を流し、整えられた顔は痛みで歪んでしまっている。

 

 黒い瞳から送られる視線は、それでも真っ直ぐ、少女を睨んだ。

 

「まだやるの? 私は、やだな。イタチは弱い、弱すぎる」

 

 高級な鈴のような声は深海のような夜を澄ませるほど無機質で、同時に呆れを隠そうともしない重さも持っていた。

 

 少女は、今度は身体ごと少年に向けながら、ちらりと視線をあげる。

 

 少年の後ろには、両眼から涙を流している男の子がいた。倒れている少年と顔立ちが似ている。

 

 ―――どうして……、姉さん。どうしてだよッ!

 

「……姉さん? そんな呼び方、止めてよ。虫唾が走る……、気持ち悪い」

 

 一筋の生温かい風が、少女の髪の毛を柳のように揺らした。

 

「私は……ずっと、我慢してきたの。ずっとずっと……。分かる? 新しい術を思いついても試せるくらいに強い相手がいない、少し本気を出せば何でも出来てしまう、挙句にうちははその身に宿る才能を平和の中でのうのうと腐らせる。嫌になる。こんな事になるなら……平和なんて、望むんじゃなかった」

 

 ―――……嘘だ…………、なら…………なぜ、今になって………………。

 

「何となく。ああ、でも、イタチとの勝負は少し、楽しかったかな。でも、シスイ程じゃない。シスイの時は、もっと、楽しかった」

 

 ―――…………ふざ、けるな…………!

 

「ふざけてない。ふざけてるのは、イタチだよ。結局、イタチは一度も私に勝てなかったね。本当に、本気だったの?」

 

 少女は夜空を見上げた。

 いつも少女は、空を見上げていた。

 

 初めて彼と出会った日も、

 災厄が暴れて辺りが火に包まれた夜も、

 いつの間にか無邪気にアカデミーで過ごしてしまっていた日常でも、

 

 それらの記憶は空の色と重なっていた。

 

 海のように美しい蒼だったり、

 影のように怖く深い黒だったり、

 泣きそうな程に輝く黄金のオレンジ色だったり。

 

 流れ星のように頭の中を駆け巡り、そして消えて行く。もう自分にとって、不要で、いらない記憶たち。

 

 少女の両眼、その瞳が変わる。

 

 左眼は【三角形が三つ、微かにズレて重なった】紋様に。

 右眼は【星の形をした】紋様に。

 

 万華鏡写輪眼。

 

 本来ならありえない筈の、左右非対称。

 

「もういいや。せっかく、イタチと遊ぶのを楽しみにしてたのに。二度と、私の前に姿を現さないで。気持ち悪いから。弱い人は弱い人らしく、平和に生きた方がいいよ。寝て、起きて、ご飯食べて、お風呂入って……きっと二人とも、明日になればそうなるから。じゃあね、バイバイ」

 

 少女は後ろの男の子に視線を合わせた。

 倒れる音が、虚しく響き渡る。

 今度は少年と。

 少女は常に無表情で、少年は気を失うその寸前まで苦しみと怒りと、疑惑を表情に滲ませていた。

 

 

 

 砂粒はもう、無くなった。

 

 彼らと一緒に過ごした楽しく輝かしい日常はどこか遠くへ行ってしまった。

 いつか見た、黄金の時間は暗闇の中へ。

 全ては……過去の中へ。

 

 町から音が無くなる。

 

 それでも、月は青白い光を放ち、その夜を眺めていた。


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