Training
「せいッ! やあッ!」
俺は木に向かって拳を交互に突き出していた。
生まれ育った町を出てから早一週間、俺とアーシアは近くにあった山で生活していた。
山と言ってもそこまで標高が高いわけではなく、人里離れているわけではないが、全く手入れはされていないため人が滅多に来ない。
俺はそこで体を鍛えていた。
これは俺の
「イッセーさーん。ご飯の準備できましたー」
アーシアに呼ばれて、イッセーは繰り返し前へ突き出していた腕を止めた。
「イッセーさん、今日のご飯は煮込み野菜のスープです」
「……そ、そうなんだ」
若干どもったのはアーシアの料理の腕に問題があるわけではなく、最近そればかりしか食べていないからだ。
しかも野菜と言っても山に生えていた食べられる野草で、調味料なんかもないので味気ない。
それでも食べられるのは他に食べる物がないから――というより、アーシアが作ってくれたからなんだろうと思う。
「すいませんイッセーさん。私、こんなものしか作れないくて……」
俺の顔が引きつったのを見逃さなかったアーシアが顔を曇らせる。
「いや、アーシアが悪い訳じゃないんだ! ただ、育ち盛りな元男子高校生としてはたまには肉も食べたい訳で……とにかく、アーシアが悪いわけじゃないんだ」
料理のできない俺としてはアーシアが料理をできたのは大変助かっている。
アーシアを慰め、スープ(他に何も無い分量だけはある)を飲み干すと、俺は修行の続きをするべく立ち上った。
「イッセーさん。少し休んでからの方が……」
「悪いアーシア。俺は一刻も早く強くなりたいんだ」
この前は堕天使を撃退できたとはいえ、あの時アーシアがいなければ死んでいた可能性の方が高い。
自分が死ねばアーシアは今度こそ一人になる。それを恐れているイッセーは人間では体を壊してしまうようなハイペースで体を苛めていた。
「それでも休息は必要だぞ、少年」
イッセーが歩き出そうとした直前、周りを囲む木立の中から声が聞こえた。
「誰だ!」
イッセーは
「ふぅん、反応は良くなったね。でも、声で相手を判断できないのは減点。声だけで敵か味方か判別でいれば、すぐに攻撃できる」
イッセーの対応を分析しながら木立から出てきたのは黒一色の和装に身を包んだ正体不明の神器使い――ロウだった。
「……随分質素な食生活を送ってるね君たち」
空になった鍋――落ちていたのを使えそうだったから拾った――を見て、ロウは憐れむようにそう言った。
「仕方ないだろ! 今の俺たちは一文無しなんだよ!」
荷物さえ置いてきてしまったから服しかないんだよ。
「……今度から差し入れ代わりに何か持ってくる……ああそうだ、渡すものがあったんだ」
そう言ったロウは、いつの間にか旅行かばんを手にしていた。
「あの……それは私のですか?」
「そうだと思うよ。落ちてたから拾っておいた」
それは逃げる際に置いてきてしまったアーシアの荷物だった。
「ありがとうございます」
「これぐらいお気になさらず。それで、今君たちは何をしてるの?」
「強くなるために体を鍛えてるんだ」
そう答えるとロウは二三度顔を縦に小さく振った。
「なるほど。君の
確かに、こんな森の中でできる事は走りこみと筋トレ、木に対してのパンチの練習ぐらいしかない。
体を鍛えるだけならそれだけでもいい。でも、俺の目標を体を鍛える事じゃなくて、誰にも負けないように強くなる事だ。
ここでも確かに体を鍛える事はできる。でも、強くなるために必要な『実戦経験』は得られない。
それが分かっているのか、ロウは続けてこう言った。
「だから、私が君をそれが得られる場所へ連れてってあげる」
その提案は俺に取っては渡りに舟だった。
「頼む」
「オッケー。ところで、そっちの子はどうする? 一緒に連れてく?」
アーシアを差してロウが尋ねる。
「今から行く場所は主に低級の魔物しか生息してない所だけど、強いモンスターもいるかもしれない。もしそれに出会ったとき、君は彼女を守れる保証はない。――もう一度訊くよ。君は彼女に付いて来てほしい?」
その質問に俺は言葉に詰まった。
本音を言えばアーシアには付いて来てほしい。だが、俺のわがままでアーシアを危険に晒すことは出来ない。
「行きます」
俺が悩んでいると、強い意思を感じられる言葉が耳に届いた。
その声の主――アーシアに俺とロウは振り向いた。
「いいのかい、お嬢さん。ここから行く場所はもしかしたら命の危険があるかもしれないんだよ?」
「はい。それでも私はイッセーさんについて行きます」
強い意思を感じさせる目でロウを見据えて、アーシアはそう言った。
「ふぅ……」
ロウは煙管を咥えて紫煙を吐いてから、こっちを見た。
「少年、これは連れてくしかない。このお嬢さん、何が何でも付いてくるって目をしてるよ」
そう言われてアーシアを見ると、綺麗なグリーンの瞳には強い意思が感じられた。
「アーシアの事はちゃんと守るからな」
「はいっ」
「それじゃあ話がまとまったところで、早速行きましょうか!」
どうやって行くのかと思ったが、その疑問はすぐに解消された。
「転移準備開始――完了」
ロウの吐いた煙が複雑な図形を描き、それが足元に
「転移、開始」
黒煙が立ち込め俺たちの視界を奪うと、不思議な感覚に襲われた――。
「はい、到着~」
ロウの声を聞いて目を開けると、さっきとはまた違う森の中に立っていた。
「ここは?」
「さっき言った魔物が沢山いる森だよ」
一瞬だった。足を一歩も動かしていないのに、俺たちはさっきまでとは全然違う場所に立っていた。
「ここなら戦う相手がいるのか」
「いるよ。でも、一応知性がある相手だから、
「わかってるよ」
何も
「相手は私が見繕ってあげますから。勝手したらダメだよ?」
それぐらい、釘を刺されなくても分かってる。
「それじゃ、早速行こうか」
ロウはそう言うなり森の中に向けて歩き出す。辺り一面森なのに、今自分がどこに居るのか分かっているみたいだった。
「おい、ちょっと待てよ! アーシア、行こう」
「はい」
俺ははぐれないようにアーシアの手を握り、こっちの様子を見ないロウの後を追った。
「うん、ここでいいかな」
そう言ってロウが立ち止まったのは湖の前だった。
「ちょっと待ってて。今呼ぶから」
「呼ぶ? 何をだよ」
「それは君の修行相手に決まってるでしょう?」
修行相手……湖から?
(まさかいきなり水棲のモンスター的な相手と戦わされるのか?)
そんな俺の不安を知らないロウは湖に向かって呼びかけ始めた。
「おーい、ディーネちゃんやーい」
その声が水面を揺らすと、水が逆巻いて湖の中から何かが現れた。
「……こいつ、は?」
現れたのは綺麗な水色の髪と透明の羽衣を纏った――戦場帰りの傭兵かと思うほどの筋骨隆々の存在だった。
「ご紹介します。彼女はウンディーネのディーネちゃんです」
俺の思わず漏らした呟きに反応して、ロウがこの歴戦の戦士を紹介してくれた。て――
「こいつ女かよ!」
しかもウンディーネだ。俺のイメージの中でのウンディーネは大人のお姉さんだった。
「……ウンディーネも強くないと生き残れないんだよ」
そう言うロウは苦笑いしていた。どんな世界でも戦わなければ生き残れないのか。
「という訳でこれがあなたの最初の対戦相手です」
「嘘だと言ってくれよ……」
戦わなくても分かる。今の素の俺がディーネちゃんと戦ったら間違いなくミンチにされる。
「安心しなさい。ディーネちゃんも武者修行中でね。修行相手を探してたから……死ぬことだけはないと思う」
最後の言葉が不安過ぎる!
「だ、大丈夫ですイッセーさん! 怪我をしたら私が治します!」
「アーシア……!」
ああ、アーシアだけが俺の救いだ。
「ああ、そのお嬢さんの
そしてこいつは鬼だ。
「お嬢さん、できればで良いんだけど、もしディーネちゃんが怪我した時は回復してあげてくれる?」
「はい、イッセーさんのお相手をしてくれる方ですから」
アーシアの優しさが眩しい。でも勘弁してください。
「よし、それじゃあディーネちゃん、存分にやっちゃって!」
ロウの声と共に、ディーネちゃんがこちらにゆっくりと近寄って来た!
「くそぉぉぉ!
俺はやけくそ気味に叫ぶと、ディーネちゃんに向かって殴りかかった。
「……あー、あー、あー……ありがとうな、アーシア」
怪我を治して貰った俺は声を出す練習をしてからアーシアにお礼を言う。
何故声を出す練習をしたかと言うと、あれから三時間ぶっ通しでディーネちゃんと組手をしている最中ずっと叫び続けていたので声が枯れてしまったのだ。
それにしてもアーシアの
「お疲れ様ー。はい、水とおにぎり」
そう言ってロウが水筒を差し出し、サランラップに包まれたおにぎりが乗った木のお盆を差し出してきた。
「ありがとな、助かる」
正直お腹がペコペコだった。
「味の保証はしないぞ。おにぎりは塩だけだから。具なんて用意できない」
だったらなんで米は用意できるのかが疑問だったが、それよりも腹が減ってたので、水で口をすすいでから(ディーネちゃんに殴られた時に口の中を切って出血したからだ)包みを剥がしておにぎりに齧り付く。
疲れた体が塩分を欲しがってたのか、白米に塩を振っただけのおにぎりも美味しく感じられた。
「それで、調子はどう?」
「散々だ」
ディーネちゃんマジで強い。三回倍化した俺よりも強かった。
そのパンチは俺が避けた後ろにあった木をへし折り、そのキックは水面を割る。そして鍛え上げられた鋼の肉体はこっちの打撃を物ともしなかった。
「ウンディーネ恐るべし……」
あそこまで強くなってもまだ強くなる必要があるのかと思ってしまうぐらい強かった。堕天使なんか目じゃないぜ。
「ここに住んでるウンディーネは肉体派だからね」
あれを肉体派という言葉で片付けていいのか。
「で、君の当面の目標は彼女に勝つことだね。贅沢を言えば
「すいません無理っす」
悪魔の体になって身体能力が上がったとはいえ、ディーネちゃんに完全に生身で勝つのは無理じゃなくても相当時間がかかると思う。だってディーネちゃん俺より一回り以上大きいんだぜ。
「そうだ。休憩がてら、君のもう一つの力について話そうか」
「もう一つの力?」
おにぎりを食べ終わり食後の休憩をしていると、少し離れた場所で煙管を吹かしていたロウが前触れもなく口を開いた。
「そう、君の悪魔としての力」
「…………」
それを聞いた俺は押し黙る。
悪魔の力。それは俺から人間としての全てを奪ったものだ。
そんな俺の気持ちが顔に出てたのか、ロウは微苦笑した。
「気持ちはわかるよ。でも、使う使わないは今は置いといて、話だけでも聞いてくれる? それにほら、こうも言うでしょ? 『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』。もし悪魔と戦う事になった時、今から私がする話はきっと役に立つと思う」
ロウの言う事も尤もだったので、俺は素直に頷いた。
「納得してくれた所で話を始めましょうか。悪魔の使う力。それは魔力と呼ばれてる。魔力っていうのは悪魔なら誰でも持ってる力だ」
「ってことは、俺にもあるのか?」
元は人間で体にドラゴンを宿してはいるが、今の俺が種族的には悪魔に分類される事は疑いようがない。
「……うん、あるよ」
なんとも歯切れの悪いセリフだった。
不信に思って問い詰めてみると、なんと俺の魔力はあるにはあるが無いよりマシ程度しかないそうだった。
「えー……気を取り直して。それで、魔力っていうのは悪魔の意思によって色々なことができるんだよ。攻撃・防御・補助、一通りなんでもござれだ」
詳しく聞くと魔力というものは
「血筋ごとに特殊能力がある悪魔もいるけど、基本的な攻撃方法は『弾丸のように撃ち出す』『炎や水などに変換して攻撃する』の二通りかな。下級相手なら回避も簡単だけど、上級――その中でも上位の最上級悪魔になると地形が変えられます」
「怖っ!」
できる事なら一生会いたくない相手だ。
「――それで、どうする少年。魔力を使う練習する?」
「いや、今はいい」
悪魔の力に頼りたくないというのもあるが、向いてなさそうな魔力に時間を割くより、体を鍛えた方がいいと思ったからだ。
「成程ね。それはいいと思うよ。一つの事に集中するというのは悪くない」
その考えを伝えると、ロウもその考えを肯定してくれた。
「でも、一応教えておくよ。魔力の扱い方は難しく考えず、ただ真っ直ぐ思うことだ。
一際強く放たれた言葉は、俺の胸の中にストンと落ちた。
(イメージ、か……)
「だけど、あんまりって事は出来ないことはあるんだな」
「死者蘇生とか時間遡行とかは無理だもの」