「ぐはっ!」
背中に強い衝撃を受けて、ヴァーリが苦悶の声を上げる。
イッセーはヴァーリに衝突したが、勢いはここで終わらない。というよりも地面に激突するまで止まれないのだ。
ヴァーリに激突したイッセーはすぐに地面に向かって落ちるように下に向けて力を込め始めたが、そろそろ地面だと思ったところで地面とは違う何かに激突した。
それは固いものではなく、むしろ抵抗無くイッセーとヴァーリはそれを突き抜け、それから僅かに時間が経ってから柔らかい地面に激突した。
そこからイッセーはすぐに立ち上がろうとするのだが、それはうまくいかなかった。
大気中とはまるで勝手の違う環境に、イッセーは何が起こったのかわからずに目を凝らして周りを見る。
「ごばっ!?」
イッセーが出したのは驚きの叫びのつもりであったが、実際に口から飛び出たのは空気の塊だった。
イッセーとヴァーリは川に落ちてしまったのだ。
ここでイッセーとヴァーリに一つの問題が発生した。
二人は現在鎧の姿だ。尤も、その鎧は自身に宿ったドラゴンの力が形を成した物であり、一般的な鎧とは違って体の一部のように軽いため水に沈むということはない。
だが、それは鎧だ。生命にとって呼吸が必要である以上、隙間は必ず存在し、そこから中に水が侵入する。
イッセーは泳げないわけではないが、それは水着を着ているのが前提条件だ。鎧を着た状態では満足に泳げない。
もう一方のヴァーリと言えば冥界に海が無いためか、泳いだことなどほとんど無く、翼を広げて飛ぼうとしているが、空中と水中では勝手が違うのかうまく行かず、数日前の雨で増水し流れが速くなっている川に二人まとめて流されていった。
すわ、このままでは海まで流されてしまうと思ったイッセーだったが、その体が突然何かにかかって止まった。
「ふぃっしゅ」
イッセーが何事かと思った直後、気の抜けたような言葉と共に体が持ち上げられ、ヴァーリ共々水中から引き上げられる。
「がはっ! ごほっ! はっ、はっ、はっ」
川から引き上げられたイッセーは何度か咳き込むと、荒く息をする。
「魚じゃない……」
残念そうに呟いたのは相も変らぬ黒装束に身を包んだロウ。
「な、なんでお前がここに……?」
「それはこっちの台詞ですよ。何河童の川流れの真似事してるのさ。網切れたし責任取れ」
ロウは足元に転がっているヴァーリを思い切り踏みつけると、ヴァーリの口元から水が吐き出された。
一見救命行為に見えなくもないこの行為だが、
「あ、遂に出会ったんだね。ご愁傷様。でもこの有様だと勝ったのはイッセー君の方かな?」
「止めを刺したのはお前だと思うぞ……」
何せ、今現在進行形でロウの足はヴァーリの鎧を貫通しているぐらいだ。
「まあお前らに全力で戦われるとこの町無くなっちゃうからやめてね。普通に迷惑だから」
「それはそっちに言ってくれ」
戦う気が全くないイッセーはそう言って鎧を解除する。
「あ、ヴァーリがやられてるぜぃ」
「しかもロウまでいるにゃん」
「黒歌さん、お知り合いですか?」
「その人物にヴァーリが踏まれているみたいですね」
そんな三人(内一名気絶)に、美男美女の四人組が近寄って来た。
「「げ、黒歌」」
その中で唯一見覚えのある猫耳を生やした女性を見て、イッセーとロウは揃って顔をしかめた。
「げとはなんにゃ。げとは!」
当然、そんな扱いをされた黒歌は怒ったが、イッセーはロウと黒歌が知り合いだったことに驚いてそれをスルーした。
「面倒いわー。なんで魚を捕らえようとしただけなのにこんな事になるんだか……」
「この川、魚いないと思うぞ……」
イッセーは言葉にしたこと以上に、川で網を使って魚を取ろうというロウの考えが信じられなかった。
「仕方がない、スーパーで買った特価グラム98円の切り落とし肉でも焼いて食べるか……」
ロウは残念そうに呟くと、近くに設置してあった
「何故にマッチ……」
普通火を点けるならチャッカマンとかライターとかを使うだろうと思うイッセーだったが、煙管愛用者のロウはマッチを好んで使用してた。
「さて、ご飯も炊かなくては」
「まさかの
完全にキャンプな雰囲気を出しているが、ここは町中の河川敷である。
「ルフェイ、皿出すにゃん」
「えっ? 黒歌さん、まさかたかる気ですか?」
黒歌の発言にその隣にいた魔女の様な三角帽子を被った少女が目を丸くして驚く。
「ないわー。偶然居合わせただけなのに飯たかるとかないわー」
黒歌に残念なものを見る目を向けるロウだが、その口元は微妙に釣り上がっており、注意深く見ればからかってるのがわかる。
しかし、動揺している黒歌はそれに気づかない。
「……ほれ」
そんな黒歌に向かってロウは全力で何かを投げつける。
「にゃッ!? ……財布?」
額に直撃した物を拾い上げながら黒歌が呟く。
「それで追加の食材でも買ってきなさい。そしたら食わせてやる。財布の中身は好きにしていいよ」
「わかったにゃー!」
ロウから許しを得ると走ってスーパーへと向かう黒歌。それを仕方ないなと言いたげな目で見ていたロウへと、イッセーが疑問を投げかける。
「あんなこと言っていいのか?」
「あの財布には1,000円しか入れてないから。その程度使われても問題ない」
変なところで手回しのいいロウである。
「そっちのお嬢さん方も、ご一緒にどう?」
そこに居たから目に付いたので、
「おう、わりぃな」
「お言葉に甘えて」
「あ、私お手伝いします」
案外あっさりとロウの提案を受け入れた三人はロウが用意していた折りたたんで持ち運べる机に食器を出す。
「プラスチック製か。落としても割れないし、安いから経済性にも丁度いい選択だね」
「紙皿と迷ったんだけどよぅ。旅暮らしだといつ補充できるかもわかんねえからな」
「ティーカップが陶器なのは譲れませんが」
「拘りは大切だね」
「あの、こちらもう焼いてもいいでしょうか?」
「あ、先に油引いてねー」
その光景を見て、イッセーが思わず叫んだ。
「打ち解けるの早っ!」
念の為に言っておくが、彼らは初対面である。
「ところで、あいつはいいのか? 仲間なんじゃないのかよ」
気になったイッセーがヴァーリを指差して訊ねる。
「多分しばらく起きねえだろうから、寝かしといてやってくれや。あいつ、お前さんを待ったから昨日寝てねえんだよ」
「え、あいつ寝ないで俺のこと待ってたのか」
何それ怖いとイッセーは思った。何故出会ったこともない人物にそこまで執着されているのだろうと。
「あいつ結構あの戦いを楽しみにしてたんだぜぃ? まさかすっぽかされるとは思ってなかったみてぇだけどな!」
「それでも俺は謝らない」
(だって戦いたくないんだもの)
「そんな戦闘バカはほっといてお前も手伝いなさい。そろそろアーシアも来る頃だよ」
「ちょっと待て。なんでアーシアまで……」
「あ、イッセーさーん!」
噂をすれば影がさすということわざの通り、ロウが言ったすぐ後にアーシアが姿を現した。
「アーシア、どうしてここに?」
「イッセーさんの帰りが遅いので心配になって来ました」
ロウが呼んだわけじゃないのに何故ロウはアーシアが来るのかがわかったのかと疑問に思ったが、ロウ相手では考えるだけ馬鹿らしいのでやめた。
「よー、アーシアちゃんお久ー」
「あ、ロウさん。ご無沙汰してます」
「大分日本語上手になったね。これなら日本でも十分にやっていけるよ」
ロウとアーシアが談笑を始める中、ヴァーリの仲間である美猴がイッセーの肩を叩いた。
「あの金髪の姉ちゃん、お前のコレ?」
そう言って小指を立てる美猴。それを見たイッセーは一瞬ポカンとしたが、すぐに理解して顔を赤くして否定した。
「ふーん。なら、そういう事にしといてやるぜぃ」
今にもニヤニヤ笑い出しそうな美猴を見て、イッセーは美猴を殴りたくなる気持ちを必死で抑えた。
「あの、お肉が焼けましたけど」
「あ、悪い。はい、遊んでないで皿持って並んでー。すぐに野菜焼くから肉はすぐに撤去したい」
「ならなんで焼いた……?」
「個人的に肉野菜肉肉野菜肉野菜肉肉の順番で焼きたい派なの。それで肉を焼きすぎると野菜に味が移る」
ロウの妙な拘りにイッセーが絶句した時、盛大な擦過音を立てて黒歌が戻ってきた。
「人の事を忘れて何先に美味しく頂こうとしてるにゃ!」
「魚を買ってきている段階で貴様に反論の余地はない」
「にゃ!? 何故それを!」
「猫が魚買ってこないわけないじゃない」
「ぐっ……! 反論したいけどその通りだから反論できない」
「はは、ざまぁ」
「……何だこの空気」
この場のノリについて行けないイッセーはそれだけ漏らすと、ロウが用意していた予備の皿を持って肉を貰う列に並ぶのであった。
○ ● ○
「はっ」
「あ、ようやく起きた」
ヴァーリが目を覚まして起き上がる頃には、すっかり日は高く昇っていた。
「俺は……負けたのか」
「いや、良くて引き分けじゃね? 個人的には無効試合だよ」
自分の発言に口を挟んだ声の主に顔を向けると、その顔面に水の入ったペットボトルがぶつけられた。
「……良い子の皆は危ないから真似しちゃダメだぞッ」
「ごまかし方が露骨すぎるにゃ」
明後日の方向を指さしておどけるロウであったが、当然そんなことでさっきの出来事が消えるわけがない。
ペットボトルをぶつけられたヴァーリは気にしておらず、膝の上に落ちたペットボトルを拾い上げてその中身を一口飲んだ。
「それで、川に落ちてから俺はどうなったんだ?」
それ以降の記憶がプッツリ途切れているヴァーリは、近くにいた美猴にこれまでの経緯を尋ねた。
「お前らが川に落ちた後、あの黒いの……ロウって奴がお前らを網で引きずりあげてよ。んで、あいつはその後お前を踏みつけてた」
「何故だ?」
誰からの挑戦も受けると公言してこそいないものの、いついかなる時、いかなる相手でも戦うと決めているヴァーリであるが、初対面の相手にそんなことをされる覚えがなかった。
もっとも、これが三大勢力に属する者であれば不思議ではないが、だとしたら自分がこうして呑気に寝ていられたはずがないとヴァーリは思った。
「さあ? 本人に直接訊いてくれよ」
ヴァーリに尋ねられて初めてそれを疑問に思った美猴は、首を傾げて親指でロウを指した。
「そもそもあれは誰だ?」
和服は体のラインが出やすいのだが、その上にもう夏なのに黒い振袖を外套のように羽織っている上、そもそもの体つきが中性的であるロウの性別は一目ではわかりかねたため、あれという呼称を使ったヴァーリの質問に対して、美猴は再び首を傾げた。
「オレっちもよく知らねえんだけどよ。黒歌の知り合いみてえだぜぃ」
「そうか」
それっきり興味を無くしたかの様にロウから視線を外して立ち上がる。
「兵藤一誠」
「俺はもう戦わないからな」
話しかけただけで警戒心をあらわにするイッセーを見て、ヴァーリは苦笑する。
「俺も今すぐには再戦は申し込まないさ」
「永遠に申し込むな」
当然といえば当然だが、イッセーはヴァーリに辛く当たっている。
「そんな事を言わずに、またやりたいんだがな。宿命付けられたライバルなんて滅多にいるもんじゃない」
「そんなこと俺が知るか。そもそも、その因縁はこいつらのであって俺には関係ない」
自分の左腕を指差して不貞腐れているように呟くイッセー。ドライグそのものに対する不満はないが、二天龍の因縁などについては物申したいことがたくさんあるのだ。
「釣れないな」
少し残念そうに呟くヴァーリ。彼はイッセーとの戦いを本気で楽しみにしていたのだ。
「ヴァーリさま」
そんなヴァーリにルフェイが駆け寄ってきた。
「
「いきなりだな。至急と言っても誰もがすぐに集まれるわけではあるまい」
「転移を使えば一瞬だぜぃ?」
「美猴、それやったら確実に見つかって大騒ぎになるから」
ただでさえ今まで敵対する勢力が隣にある冥界は警戒網が厳重であり、人間界であればレーダーを上空に張り巡らせているようなものだ。
「なら私が送るよ? 私なら冥界の感知網ぐらいくぐり抜けられるし?」
ことも無さげにそう提案するロウをその場にいる全員が見た。作り笑顔が張り付いているその表情からは本心を図ることは誰にも出来なかった。
「……頼めるか?」
僅かに考えた後に発言を、ロウは容易く了承する。
「あいあい、お安い御用ですよ。それで、早速――」
ロウが表情を無表情に変えた瞬間、周囲の雰囲気が一変する。
そして地面を覆うように黒い魔方陣が一面に展開される。
「転移――開始」
● ● ●
世界が一瞬黒で塗り潰され、塗りつぶされる前と後では光景が変わっていた。
空の色は紫という冥界の色。ロウは見事一瞬で冥界へと転移してのけた。――ただし、少しミスっていた。
「おいロウ……」
なんと、イッセーとアーシアまで一緒に冥界に転移させてしまったのだ。
「なんで俺たちまで……」
ロウに文句を言おうとしたところで、イッセーはふと気づいた。
「転移させた本人はいないのかよ!」
さて、これが過失か故意かは確認しようのない事だが、イッセーはとにかくロウに再会したら一発殴ることを心に決めるのであった。