朝、私は頭からシャワーをかぶっていた。
恐らく人類初のタイムスリップを成功(?)させた私は昨夜、結局そのまま眠ってしまった。
いろいろ衝撃的過ぎて、とてもうまく頭が働かなかったのだ。それまでディスプレイにかじりついていたのだろう。目もちかちかしてまもなく寝ることができた。
まだ私は完全に認めたわけではないが、これはどうも夢とかそういった幻想夢想の類ではないとも確信し始めていた。
朝の目覚めは当たり前のように起こり、そして当たり前のように元に戻ってなんかいなかったし、今肌を流れていく湯の感覚もどうにもリアルすぎる。
「これはホントに、まじで覚悟決めないといけないかな......」
そんな呟きも水音にとけて消え、しかし私は決してネガティブになっているわけではなかった。
朝起きて、やはり戻っていないことに呆然とし、心もようやく落ち着いてきてふと思ったのだ。
これは、チャンスなのだと。
よくよく考えれば智子、お前は何度も過去に戻れたらなんて夢想していたじゃないか、と。
あの後悔を、この後悔を、どの後悔も、もう一度やり直せる機会が与えられたのではないか。
両親にあれほど心労を負わせることも無く、弟にあれほどに迷惑をかけることなく、親友にもっと誠実でいられたのではないかという後悔を。
あの子や、あの子や、あの娘や、あの娘と、友達にだってなれたのではないかという後悔を。
「私は、やり直せるのかもしれない」
今一度呟いて、それはなんだかすばらしいことのように思えた。
私本来の人生は、それはもう恵まれたものだった。
正直私一人ではそれはそれは悲惨かつ凄惨なものになっただろうが、多くの人のおかげですばらしいものだったと自信を持っていえるまでになった。
それでも、どうせもう一度やり直すことができるなら、きっとそれはもっと素晴らしいものになるはずだ。
未来に戻る方法なんて浮かぶわけも無く、その方法を探すなんて想像もつかない。
きっとその方法があったとしても、それは未来の私に起こったことがそうだったように唐突で、理解し得ないものなのだ。
それならば、私は次こそ、ひとつでも後悔を少なくできるように生きてみるのはどうだろうか。
知らず知らずのうちにこぶしを握りこんでいた。
「......よっし」
ぱちんと頬をはたいて鏡を見つめる。鏡の中の自分は、先ほどより幾ばくか気合の入ったいい顔をしていた。
シャワーのおかげで血色はよくなりクマもうすれている。
汗臭かったからという理由でシャワーを浴びたが、これは思わぬ効果だ。
もっとも、今日からは夜の12時には寝るようにするつもりだが。
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丁寧に髪を洗い、リンスも丁寧につけて(このあたりは30手前の女性の努力といったところか)洗い流す。
終わった後は洗面所でしっかりと乾かした。もちろんドライヤーを使ってだ。
それだけのことで、お母さんは驚いて台所から洗面所までやってきた。
「ちょっと智子、あんたどうしたの?」
「え、なにが?」
「朝はいっつもギリギリまで寝てるじゃない。それがいきなりシャワーなんてして、それにドライヤーも......なんか悩みでもあるの?」
そういって本当に心配そうに眉をひそめる。
おい私。
おいこの頃の私。
お前、どう考えても駄目だろおい。おい。
せめて最低限の努力をしろよ。
朝に汗流してドライヤーで髪の毛乾かすという行為で心配される女子高生ってどうなんだおい。
過去の自分のあんまりといえばあんまりな状態に突っ込みを入れていると、お母さんが黙っていた私の何を勘違いしたのかにんまりとした。
「あ!もしかして......好きな子でもできたの?」
「いや違うけど」
即答で否定したが、お母さんはまーまー照れちゃって、とそのまま台所へ戻っていってしまった。
はぁと小さくため息をついて櫛で髪の毛を梳かす。
お母さんはいつもそうだ。私が教師になってから飲み会やそういった集まりに参加するだけでいろいろ勘ぐってくる。
心配してくれているのも分かるがそこはもうちょっとふんわりと放っておいてほしい部分もある。
弟の智貴は朝練で私が起きた頃に既に登校しているとの事。
正直最初、どんな顔をして会えばよかったか分からなかったので少しほっとしている。
この頃の兄弟仲がどんな感じだったかあまり覚えていないが、なんか凄い迷惑かけてたのは覚えている。(というか常に迷惑かけていた)
あ、お母さんとも最初どんな顔してあえばいいのかわからなかったが、完全に取り越し苦労であった。
普通に、本当に自然に会話が始まった。内心若いなぁーとか思っていたが、まったく気づいていなかったようである。
そうそう、ちなみに今は高校一年生の五月の半ば、つまるところ私は高校三年間をほとんど丸々やり直すことになりそうだ。
どうせなら入学からなら友達も作りやすかったのに、なんてことを思わなくも無かったがそんな贅沢は言うまい。
朝食を食べているとあることが気になりだした。
鬱陶しい。
非常に鬱陶しい。
私の視界をさえぎり、ものを食べていると一緒に口に入りそうになる。
そう、この非常に長い前髪である。
いや、長さ自体はいい。横に流すなどすれば問題ないし、多少鬱陶しくともそういう髪型は存在する。
ただこの量はいただけない。シャワーとドライヤー効果でかなり綺麗に収まっているが、それでも多い。
こういうのは一度気になりだすとどうしようもなく気になる。
何度も手で振り払っていると見かねたお母さんに美容院へ行くよう言われた。
渡りに船とばかりに了承すると、また驚かれた。
「智子、ホントにどうしたの?前は前髪を切るのも美容院に行くのもあんなに嫌がってたのに?」
先ほど以上に真剣で心配げなその表情に、そしてそんな顔をさせているかつての私にげんなりした。
いや、だから美容院に行って心配される女子高生って何なんだ。
私は自分の記憶がアレでもだいぶ美化されていたことに気づいて戦慄した。
高校生の私っていったい......。
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制服に着替えて鏡に映る自分を見る。
女子高生としてここまで校則通りに制服をかっちり着ているのはどうかと思いながら、まぁ今日学校でほかの生徒でも見て参考にしてみるかと考える。
すっかり艶々とはいえあまりにも無造作な髪型なので、目立たない黒いピン止めで前髪を留める。
「うん。よしよし」
なんかナルシストみたいな発言だが、正直まだ自分の姿だと認識できていない故なので許してほしい。
私の自分像はいまだ30台目前のあの私で止まっているのだ。慣れるにはもう少しかかるだろう。
「いってきまーす」
お母さんのいってらっしゃいを背に、私はついに学校へ登校することになる。
私の第二の高校生活がついに幕を開けるのだ。
あれ、学校ってこっちだっけ......あれ