一時間目の授業は無事終了した。IS関係の授業内容ではあるが、生徒達は皆よく予習をしてきているようで、先ほどの授業はつっかえることなく円滑に終わることができた。
ちなみに話さない私がどうやって授業を行ったかというと、まず私が教科書を読む、美生にその内容を伝える、美生がそれを一字一句間違えずに言う、というものだ。一見すると私は居るだけの置物で、美生が全てを行っているように見えるかもしれない。しかし、私は喋らないだけで授業で使うプリントや資料の作成をきちんと行っている。それも分かりやすくなるように考えて作っている。先輩教師が「そういうことは真面目にするんですね」と言うくらいだ。
全てのことを美生がやっている訳ではない。彼には作成したプリントの印刷や配布、私の言葉を音として教室の全員に伝えるということをやってもらっているだけだ。私生活では大いに頼っているけれど。まぁ、あれは美生が率先してやってくれているだけであって、決して私が強要している訳ではないことを言っておく。
さて、授業と授業の間隔は短いのですぐに教員室へと戻ろう。次の授業の舵取りは私ではないが、まだまだ新人で酔っ払いな真耶に付き添わなくてはならない。他の教師から絶対について行くようにと釘を刺されてしまったから仕方がない。ちなみに美生も真耶の授業に付き添わなければならない、主に私の存在のせいで。
長居は無用と、美生と一緒に廊下に出る。後ろから慌てたように真耶がついてくる。
「千冬姉!」
背中に声がかかる。弟が私のことを呼んでいる。
振り返るとちょうど教室の出入口を塞ぐように立つ弟がいた。やけに嬉しそうな顔をしている。
「何で――」
「邪魔をするな」
何かを言いかけた弟だったが、教室の中から伸びてきた腕に引っ張られて視界から消えていった。その代わりに見知らぬ女子生徒が教室から出てきた。
恐らく伸ばしただけ銀髪と左目を隠す眼帯、それと小柄な体が特徴の女子生徒だ。視線を真っ直ぐこちらへと向けてくる。
「織斑千冬先生」
強い視線に違いなくはきはきと声を出してくる。何をそんなに意気込んでいるというのだろう。
「どうかしましたか?」
美生が問いかける。私の思っていることを読み取っての行動だ。一方的ではあるが、視線だけで理解してくれるから助かる。
「キサマは黙っていろ。私は織斑先生と話しているんだ」
いや。美生を黙らせたら駄目だろう。
「織斑先生。覚えておいでですか、あの日の事を。先生は教官として私に多くのことを教えてくれましたよね」
……誰?
「私は先生から多くのことを学び、期待に応えてきました。私が何かを成す度に、先生が優しい笑顔と声をかけくれたのは良い思い出です」
何の話をしているのだろうか?」
「ドイツでの日々は私にとってかけがえのないものです」
ドイツ? ああ、そういえばISの世界大会の会場がドイツだったな。そのころに出会ったことがあるのだろうか。だけど、私の記憶にはこんな訳の分からない女子生徒などいないのだが。クラなんとかなにフォーフだったか、美生にばかり話しかけてばかりいたからか、そんな名前の奴は覚えているけれど……この小さいのは全然知らない。
そもそも、ドイツには行ったことあるが、滞在期間は短かったので日々ってほどのものはない。誰かにモノを教えた覚えも全くない。
「……どうして何も言ってくれないのですか?」
美生に黙るように言った人間が何を言っているのか。というか、本当に誰だろう?
「もしかして私をお忘れですか」
忘れる以前にまず知らないのだが。
「お、織斑先生」
酒の効果が切れた真耶が後ろから控えめに声をかけてくるので、振り返って先に行くよう指示を出す。もちろん美生経由で。
さてと。私は目の前の人物をどうにかしなければならない。美生に目線を向けると、美生は出席簿で名前を確認しながら女子生徒に話しかけ始めた。
「えーっと、ドイツから来たラウラ・ボーデヴィッヒさん?」
「その通りだ」
「何の用でしょうか?」
「キサマに用はない」
バッサリと年長者の言葉を切り捨てる。あまり褒められたものではない。
「何するんだよ!」
再度、美生が問いかけようとしたら、教室から弟が飛び出して来てラウラを睨み付ける。
「キサマにも用はない。黙っていろ」
「ふざけんな。お前こそ黙っていろよ」
生徒は生徒同士で仲良くやってほしい。そう思ったので、私は美生に目くばせしてこの場から立ち去った。幸い弟とラウラは二人だけの世界に夢中になっていて追われるということはなかった。だが、私としては貴重な休憩時間を大幅に削られてしまったと文句を言ってやりたい。
職員室に戻る。次の授業まで時間がなくゆっくりすることがない。
息抜きにコーヒーが飲みたい。そう思った瞬間に美生が動き出して、コーヒーを持って戻ってきてくれた。本当に彼は私に関しては敏く、すぐ行動に移す。他の人間相手だとあまり機敏に動かないというのに。まぁ、私としては嬉しいかぎりである。
「織斑先生、黒白銀先生。少しよろしいですか」
美生と一緒に何も語ることなく黙々とコーヒーを飲んでいると先輩教師に呼ばれた。
美生と顔を合わせるが、互いに何か問題を犯した覚えがないので呼ばれる理由が分からないもしかして、初日にして一年生が自分達の親に酒気帯び労働をする教師がいると伝えて、その親から苦情でも来たのか。連帯責任というのはなんとも面倒なものだ。
「まだそうと決まったわけじゃありませんよ」
決まっていない。だけど私の未来予想の内の十パーセントは真耶である。残り九十パーセントは未知である。
先輩教師の元へ行くと隣に見知らぬ女性がいた。短く切りそろえられた紺色の髪と水色の瞳だから日本人ではないだろう。きちんとした佇まいは緊張から来るものでなく元々のものであろう。こちらを見つめる瞳も揺れることなく真っ直ぐだ。
ただ、何故だろう。私を見つめる視線に変なものを感じる。そして時折チラチラと美生の方を見ている。それも私に向ける視線とは違うものを。
「お久しぶりです、黒白銀美生さん。クラリッサ・ハルフォーフです」
そう言って美生に握手を求めてくる笑顔なクラリッサと、差し出された手を見て首を傾げる美生。
「えーっと…………………………………………どちらさまでしょうか?」
明らかに覚えていないという顔で、きちんと覚えていないと言った美生。私でもほんのりと覚えていたというのに。
『再会』~一年一組の教室にて~
「うおぉ!?」
「大丈夫か?」
「悪い、助かった」
「気にするな。遅れれば机の角に頭をぶつけて死ぬところだったのだからな」
「そんな大事!?」
「……久しぶりだな、一夏」
「何で無視したんだよ? 久しぶりだな、箒」
「うむ。実に久しぶりだ」
「そういえば、去年剣道大会で優勝してたな。おめでとう」
「どこでそれを」
「新聞で見たのを覚えていただけだぞ」
「なるほど。お前も鍛錬を怠ってはいないようだな」
「俺の言葉のどこに鍛錬を匂わせる単語があった?」
「新聞を読むことによって情報を手に入れ知力を鍛え、その情報を忘れないように記憶力も鍛える。これを鍛錬と言わずなんと言うか!」
「普通のことだろう!」
「ふむ。しかし、私は包容力があるからお前の意見も受け入れよう」
「微妙に会話がかみ合ってないぞ」
「そうだな。それは私が悪い。すまない」
「いや、別に怒っているわけじゃないから」
「ほう。忍耐力の鍛錬も行っているのか」
「忍耐力って……そういや、何するんだよ!?」
「突き飛ばされただけであの女にそこまで根に持つとは、一夏は鍛錬が足りないな」