篠ノ之束の死。
その情報はIS学園から発信され全世界に行き渡った。
やりたい放題に世界を乱した天才の死亡ニュースを聞いた人間たちは半信半疑だった。今まで見つけ出すことのできなかった史上最悪の愉快犯がIS学園で死ぬ。当事者でなければ私だって疑う情報だ。
世界をかき乱したテロリストと言えど、ISを作り上げたその知識は喉から手が出るほど欲しい。日本が篠ノ之束を確保し、その死を偽ることで知識の独占を企んでいるのではないかと思った各国は調査団を派遣。IS学園に集結して事の真偽を確かめに来た。
そして篠ノ之束の遺体を確認した。頭蓋骨に罅が入り、腹部を何かが突き破って背中を貫通した亡骸を見て、誰もが死を疑うことをしなかった。
篠ノ之束によって十年間も監禁されていた親友の束は衰弱しきっていたので、すぐさま病院へと運ばれた。付き添いは美生と箒がしてくれた。
篠ノ之束が死亡したことで少し問題が…いや、かなりの問題が一つ浮上してしまった。
篠ノ之束が監禁していた篠ノ之束そっくりの人物は何者か、もしくは監禁されていた篠ノ之束にそっくりな容姿をした篠ノ之束と名乗っていた女性は誰なのか。
私と美生と箒は私たちの知る篠ノ之束がまったく知らない篠ノ之束に攫われたこと知っているが、その他大勢は篠ノ之束が篠ノ之束を監禁していた事実を初めて知った。今生きている束は何者か、死んだ束とどんな関係があったのかと頭を悩ませていた。
双子の姉妹か?
戸籍を確認すると、篠ノ之家には束と箒しか子供がいないので否定される。
どちらかが束の真似をしていたのか?
DNAを比較してみると、多少の違いはあれどもほぼそっくりだったらしい。
某ドイツの某デザイン何とかではないか?
いつ作られたかは定かではないが、見た目が同じなのでおそらく年齢も同じだろうということでありえないという結論になった。
結局、束が回復するまでは結論を保留することになったそうだ。難しい問題は先送りにする、それも一つの手段だ。
ただ、この束が死亡した束と同じようなことをするかもしれないので、入院中は警護兼監視役がつけられることになってしまった。プライバシーを大きく侵害する行為だが、言い換えればそれほど世界は死んだ束を危険視していたといことになる。
とにかく世界を怯えさせた脅威は消え去った。それは喜ばしいことだった。
世界は悪を滅ぼした正義が誰であるかを知ろうとしたが、どうしてもその人物の名前が報道で発表されることはなかった。
あの日IS学園にいた教師および専用機持ちたちも口を重く閉ざして情報を外に吐き出すことはなかった。
私も特に目立ちたいと思わなかったので周囲に自慢することはなかった。そもそも仮に自慢しようにもできない状態にあったのだ。
じゅっ、と音を立てて香ばしい匂いがしてくる。生だった肉が網の上で炙られ色が変わっていく光景に、知らずの内に唾液が溢れ出てくる。アニメや漫画なら、だらしなく開いた口からヨダレがだらだらと垂れることだろう。もちろん、そんなみっともないことはしない。
「そろそろ焼けてきたんじゃないですかね?」
トングで肉をひっくり返していく。十分な焼け具合だ。
「いただきまーす」
横から箸が伸びてきて網の上で一番大きな肉を掻っ攫っていく。肉はたれにつけられるとそのままひょいっと口の中に入っていった。
「いやぁ、久しぶりの肉だから美味しく感じるね」
隣人はほっぺがとろけてしまったんじゃないかと疑いたくなるくらいだらしない笑顔を浮かべていた。そこまで肉に飢えていたのか。肉を攫っていくことに遠慮がない。見事に野菜を掻い潜って獲物を獲っていく。
「肉ばかりでなく野菜も食べましょうね」
美生が無視されて炭になっていく運命の野菜を救って、肉しか乗っていない皿に放り込んでいく。隣人は嫌けらけら笑って皿に乗せられた野菜を私の取り皿の上に移動する。諦めて食えよ。
「病院食の味気無さがいまだに舌に残っちゃってるんだから、それを消すために肉食べて悪いの?」
一年前までがりっがりの衰弱体だった束が箸を休ませることなく肉を口の中に放り込む。その姿は健康体でボロボロだった肌も髪もかつての張りを取り戻していた。
「私のことよりも美生、君はもーっと肉を食べた方が良いよ。野菜ばっかり取って」
「それは束が肉ばかり取っているからですよね?」
「千冬はバランス良く食べてるからいいんじゃない。ほら、三人でうまい具合にバランスとれてる」
「個人個人でバランスとれていないと駄目ですからね」
考えてみれば十一年ぶりの三人での食事だ。
十年ぶりの再会は束と言葉を交わしあうことはなかったし、それから半年以上束は入院生活と監視を受け続けていたらしいし、私はあの日から一年も束と会う機会がなかった。束が監禁されたまま死んでしまい、もしかしたら十一年どころか、永遠に再会できなかったかもしれない。
そう思うと、十一年という区切りの悪い数字であっても、こうして一緒のテーブルで食事が食べられるのは嬉しい。昔崩れた物を長い年月をかけて取り戻して食べる飯の美味いこと、きっともう味わうことはできないだろう。後はどう頑張っても日常の味となって感動なんて埋没してしまう。
いや、こんな美味しい食事は今日だけでいいか。また、誰かがかけてしまうという事態は来てほしくないからな。平凡な味が一番だ。
「あ、そういえば千冬。刑務所の中って臭い飯出たの?」
束が頬一杯に詰め込んだ肉を飲み込み質問してくる。
刑務所。罪を犯した人間が入る場所であり、私が一年間お世話になっていた施設だ。
一年前私が篠ノ之束を殺害したことを償うために刑務所に入っていたのだ。一応世界各国の政府の人間たちはワタシをテロリストをなんとかした人間として英雄に祭り上げようとしていたらしいのだが、日本政府はどんなに英雄的行動をしても人殺しの罪は償わなければならないと決断して、私は一年間刑務所に入ることになったのだ。例外を作るのはよくない、とのことらしい。確かに殺人の例外を認めてはいけないと思うので、不満はあまりなかった。束に会いに行くことができないのが少し不満だったが。
一年で刑務所から出られたのは、これが形式上の形でしかなかったからだ。仮にも最悪のテロリストを止めた人間なのだから、本来は称えられるべきと考えた政府の人々によって決められた破格の刑期だった。ちなみに秘密裡に刑務所に入って秘密裡に出所したので、経歴に傷はついていないので安心である。あっても別に構わないけど。
「そんなもの……ない」
臭い飯など出てこなかった。そう伝えると束はあからさまにがっかりした。過ぎ去った不幸なんてもう関係ない。コイツはそういう奴だったな。
「そういえば一夏くんが暴れてましたね。千冬姉が刑務所なんて許せない。皆で救出作戦をしようぜ、って。国家反逆罪を犯すところでしたよ」
そうらしい。一年ぶりに自宅に帰ってきたら一夏が飛びかかって来たのを覚えている。あの時は確か、勝手に家に居座っていた束と箒に撃退されていた。
「箒さんは入院中の束のそばに付きっきりでしたし、鈴音さんは馬鹿な行動をしないように一夏くんの監視をしていましたね」
「……そうか」
鈴には弟が苦労をかけていたようだ。何かお礼の品を渡そう。
「あーあ。こうして娑婆の空気を吸って美味しいご飯を自由に食べられるようになったけど」
肉を食べるのを止めて束が箸で皿を叩く。
「無職なんだよね。どうすればいいかなぁ。働く気も特になし、だしね」
「働きましょうよ」
「えー。面倒だよ、そんなの。他の有象無象に愛想なんて振り向きたいとも思えないし。もうヒモでいいからさぁ、千冬に美生、私を養ってよ」
「養うのは構いませんけど、少しは稼いでくださいよ。給料はあまり使っていませんでしたけど、こんなものすぐに消えますから」
きひひと笑う美生。冗談ではなく本気で言っているのだろう。私も束を養うことに反対はない。私たちは三人一緒に過ごしてきたのだから、二人の内誰かを養うことには躊躇は全くないし、養われることにも躊躇はない。親友だから、という言葉で納得できてしまう。
ただ、これだけは言っておこう。二人はともかく私には一切の恋愛感情はない。単純に離れる気がないだけだ。
私は今更になって美生の異常さが気になることもないし、束の前世が何者であったかも興味はない。そして、今更自分が何者であるかの告白もしようとは思わない。
私は正面にいる美生を見る。この空間が楽しいと表情が物語っている。
隣にいる束を見る。あの時見た姿が嘘のように笑顔が輝いている。
「ねぇ、千冬」
私に見られていることに気がついた束が上目使いでこちらを見てくる。
「何か?」
私は箸を置いて束の方に向き直る。
「今日は三人一緒の部屋で寝ようよ!」
束が私の腰に抱き着いてくる。腹部に顔を埋めてきたのでその頭を撫でてやる。
ああ、失った三人の明日が十一年の歳月を経て戻ってくる。夜は私の家の同じ部屋で三人一緒に寝よう。変な会話は要らない。積もる話も必要ない。ただ、一緒に寝て明日になるのを待とう。
明日からいつもと変わらない日常が返ってくると思うと笑みがこぼれてしまう。
久しぶりに笑ったと自覚しつつ、私は束の頭を抱きしめてその存在を確かめた。