束は嗤っていた。
私たちがどう足掻こうとも束の条件を飲んで事に当たらなくてはならなくなってしまったことを、愉快に思って嗤っているのだろうか。それとも何の感慨もなく嗤っているだけか。
束の心の内を知ることもできずに、私たちは自分の生徒を危険な任務に放り込んだ。何があるかも分からない。敵の情報も全くない状態でだ。唯一全員が理解しているのは、刺客を送り込んだのが束ということくらいだ。
出撃していいのは三人だけ。そのうち二人は弟と箒でなければならない。
私たちはその条件の通り、弟と箒を向かわせることにした。正確にはしなければならなくなったのだが。
問題は残り一人を誰にするかということだ。
私は軍属のクラリッサか、オールラウンダーなシャルロット、酒さえ飲めば並の代表候補生など簡単に蹴散らせることのできる真耶の誰かが望ましいと思った。
私自ら役を買って出るのも一つだが、生憎私は束に用事がある。次に何時現れるか分からない。逃げられる前に彼女に聞きたいことがあるのだ。
ほぼ全員がクラリッサもしくはシャルロットの出撃を望んだ。しかし、二人は首を横に振ってそれを拒否してきた。
曰く、私たちにはやることがあると。
では真耶はどうかと思ったが、悲しいことに誰も真耶が実力者であることを忘れているようで話題に上がってこない。
じゃあ誰にするかという話になると、教師たちは閉口してしまう。分かりやすく言えば、彼女たちは責任逃れをしたいのだろう。専用機持ちとは言え所詮は生徒。戦力としては不安が残る。そんな二人を率いてはたして勝つことができるのか、もしかしたらそのことで責任を取らされるかもしれない。そう怯えているのだろう。現在の状況よりも未来のことを考えて生きているだ。下手すればその未来にたどり着く前に死んでしまうかもしれないというのに。
しかし、私も出る気がない以上それを責めるのは間違いだろう。
どうするべきか。教師たちが悩んでいると、美しい動作でセシリアが挙手した。
セシリアは強い意志を瞳から覗かせてはっきりと「わたくしが行きます」と言った。どうやら教師たちが大役を押し付け合っている間に、生徒たちで議論をしていたらしい。その結果、セシリアがその大役を引き受けることになった。弟のISは近接特化型であり、箒のISも彼女の特性と装備を見る限り近接型なので、ここは遠距離に重きを置くタイプが良いと判断したようだ。決してセシリアが袖の下饅頭で票を得たわけではない。
そうして選ばれた三人は緊張と恐怖と重圧と決意を抱えて出撃した。残った私たちは彼らの安全と成功を祈るだけだった。
「いえいえーい。改めて久しぶりだねぇ、ちーちゃん」
旅館から少し離れたところにある森の中で、束は両手を大きく広げてその場でクルリと回転した。
話すことがあるからどこかに連れて行こうとしたら、束の方から呼び出してきた。他人の居ない場所で話しがしたいと。その結果、この森の中で話すことになった。もちろんそこには美生も同席している。
暫く、束はクルクル回っている。
私と美生はそんな束を見つめていた。
「篠ノ之さん」
美生が他人行儀に束の名前を呼ぶ。事実他人だ。友達でもなんでもない。
「もー。そんな遠慮しなくていいのに。もしかして、さっきのことで若干引いちゃってるのかな?」
自分の引き起こした騒動が引かれるものであることを一応は自覚しているようだ。自覚していれば何をやってもいいというわけではないが、自覚していないよりかはマシだ。
しかし、自覚していようがそうでなかろうが、私は目の前の束に聞かなければならないことがあり、その返答によってはその一物ありそうな真っ黒な腹をぶち破る。
「単刀直入に聞きますが篠ノ之さん。貴女は一体何者ですか?」
「何者? 何者って目が節穴で馬鹿じゃないんだから見れば分かるだろ。世界に変革をもたらす大天才! その名も篠ノ之束様さ!」
「質問が悪かったようです。貴女はワタシたちの知っている篠ノ之束でしょうか?」
「うーん。さっきの質問と何が違うのかな?」
「ふざけてないで本当のことを言ってほしいって言ってるんですよ」
「本当のことも何もないよ、みーくん。私は常に本当のことを言っているよ。その真偽を疑うのは自由だけどね」
束は訳が分からないと笑った。
美生はまったく笑っていない。彼の質問は真剣なものでふざけなど一切なかったからだ。私も今の質問に笑うところがないと思った。
むしろ私は今すぐにでも束をぶん殴りたい。
ここで誤解のないように言っておくが、私は気に入らない人間を誰彼かまわず殴るような短慮な人間ではない。生徒が問題行動を起こしたら鉄拳制裁などせずに、ちょっとした肉体労働や反省文を書かせることで罪を悔いてもらう。決して暴力でなんでも解決しようとは思っていない。
だけど、それは生徒の話だ。
相手がテロリストであるのなら話が違ってくる。テロリストに反省文なんか書かせて罪が帳消しなるか? ちょっとした肉体労働で罪を償ったことになるか? ならないだろう。
「目の前にいる篠ノ之束は、ワタシたちが中学卒業間際まで一緒に過ごしてきた篠ノ之束とは別人。ワタシも千冬もそれから箒さんもそう思っています」
「そうなの? 大変だね、証拠もないのに」
「証拠はありますよ」
「何かな?」
「一つ目の証拠は本物はワタシのことを『みーくん』なんて呼びませんし、千冬のことを『ちーちゃん』とも呼びません。それに箒さんのことを『箒ちゃん』なんて言うの一度も聞いたことはありません」
束に会った時にコイツが偽物だと思った要因は呼び方だった。私の知る束は私たちの名前を呼び捨てにしていた。この束のようによく分からない愛称を口にしたことなど一回もなかった。
「みーくん。人の話聞いてなかったの? 十年もあれば人間なんてどうにでも変わるって言ったよね。天才束さんも常に常に進化して変わってるんだよ。いつまでも昔のままじゃあないさ」
言ってることは間違ってない。本物は出会ってから一度も呼び方を変えなかったが、十年の間隔も空けば呼び方が変わる可能性は十分にある。この理由で追及するには弱いか。
しかし、こちらにはもう一つ札が残っている。これは切り札だ。目の前の人物が偽物であることが判明する決定的な証拠だ。それも彼女は既にこの切り札を否定することができなくなる一言を言っていた。
「なるほど。確かに呼び名は変化しますね」
「そうそう。みーくんもちゃーんと理解できたね」
「ええ。ではもう証拠を」
「まだあるの? しつこいなぁ」
「こんな薄い証拠一つでどうにかできるなんて思っていませんから。ワタシたちの直感を相手にそのまま伝えられるのなら話が早いんですけど、そんなことできませんから、こうして証拠を提示しなければならないんですよ」
「凡人さんは大変なんだねぇ。でもね、大変だからって天才束さんの足を引っ張っちゃだめだよ」
「二つ目の証拠はですね……うん、ちょっと何が言いたいか分かり辛いかと思いますが、千冬ですね。千冬が第二の証拠です。そして一番強い証拠なんですよ」
「うん。つまり、ちーちゃんの腕っぷしで無理矢理偽物だって供述させることかな? だとしたらお馬鹿さんだよ。私は超オーバースペックだから、いくらちーちゃんでも無駄だよ」
「暴力は必要ありませんよ」
そうだな。まったく必要がないぞ二人とも。束は私とと暴力を結び付けるな。あまり接点はないから。
「ところで、篠ノ之さんは千冬が何を思っているか分かりますか?」
「分からないなぁ。人類の一番凄い発明である言葉を用いてくれなきゃ、天才どころか凡人にだって分からないよ」
そうか。やっぱり分からないか。
「ほら、やっぱり貴女は束じゃない」
「ふぅん。どうして?」
「ワタシたちの知っている束はですね。ワタシと同じように千冬の思っていることが分かるんですよ」
私たちの切り札。本物の束は私の思っていることが分かるというもの。この事実は箒も弟も知っている。
私は度々、この束に視線を向けながら心の内で問いかけてきたが、一度もそれを読み取ったような返事はなかった。
さて、どう反論する。もう自ら逃げ道を塞いでいるんだぞ。
本物との相違点を告げられて、束は必死に反論するのかと予想したが、彼女は少し考える素振りをしたかと思うとおどけるように舌を見せてきた。そこには焦りの一欠片もない。
「ばれちゃった?」
ちょっとした悪戯がばれたかのような言い方。悪気すらない。
「みーくんの言うとおりでーす。私は二人の知る篠ノ之束なんかじゃありませーん。いやん、ばれちゃった。おかしいな、ちゃんと本人から色々情報を聞き出してその通りにやってきたのになぁ。もしかして嘘教えられちゃったのかな? だとしたらちょっと悔しいね。でもまぁ、そんなことで怒って復讐なんかしないよ。怒りに身を任せるなんて楽しくないから。えへへ、この勝負みーくんの勝ちだよ。この束さんに勝つことができたんだ。誇ってもバチは当たらないねぇ」
開き直った……というわけではないだろう。きっとバレようがそうでなかろうが関係ないのだろう。
私は美生に視線を送る。今一番私が知りたいことを美生に質問してもらう。そしてさきほど決意したように、その返答によってはその一物ありそうな真っ黒な腹をぶち破ろう。
美生は小さく頷くと、ゆっくりと息を吸い込んでからもっとも重要な質問を吐き出した。
「では、本物の篠ノ之束はどこにいますか?」
私は質問の答えを聞いて、束がこの森を去るのを何もせずに見送った。