弟の数少ない友人である凰鈴音の転入がもたらすことはなんだろうか。
昔からの弟と鈴のやり取りを思い出してみればすぐに答えが出てくる。
鈴は暴言を吐いたり暴力を振るったりするが面倒見の良い性格だ。放っておけばいいのに、弟の駄目人間化を見ていられなくなって私からできる限り遠ざけたり、友達ができるように集団に放り込んだりとあれこれしたりしてきたのである。当時中国からやってきたばかりだというのに。
そのおかげと言えば良いのかあの弟に友達ができた。鈴の努力が多少は報われた瞬間だと思われる。言い方を変えれば、鈴があれだけ頑張ったのに友達が二人しかできなかったのである。
さて、そんな弟の為に努力を惜しまない鈴がIS学園内で弟に対して何をするかと言えば、徹底的に鍛えることをしようとする。
鈴が言うには、クラス対抗戦が迫ってきてるというのに、危機感もなく日常を淡々と過ごしている弟が許せないらしい。
仮にも専用機を所持しているのだからISの腕を磨くには当たり前だと、頬を膨らませながら弟の背中を蹴飛ばしていた。教師の目の前で容赦なく暴力が行われていたので美生がやんわりと注意したのはまだ記憶に新しい。
まぁ、鈴の暴力ありきの教育指導のおかげで、弟が最初の頃に見せていたギクシャクした動きはなくなった
。多少甘い部分が見受けられるが、それでも必死に飛び回って見えない弾丸を避け続けている。
「あー、凰さん。手加減しているみたいですね」
「そうみたいですね。いくら一夏くんが上達したからと言ってあそこまで当たらないということはありませんしね」
「ふーん。世界で一人しか見つかっていない男子って言うから凄いと思ってたけど、案外そうじゃないんだ」
「努力が足りていないから実力がない」
クラス代表戦当日の会場に聞こえてくるのは辛辣な評価だった。
残念なことに弟の少しの成長は厳しい観客の感想と鈴が手加減しているという事実によって微々たる成長に評価が落とされていた。所詮そんなものである。
私も正直そこまで成長していないと思う。確かに動きのぎこちなさは取れたが、それだけで判断からの行動が遅い。そして鈴がわざと見せている隙を見落としたり、見つけても判断の遅れで取り逃したりしている。敬虔不足は判断から行動までスムーズにシフトできないことにあるようだ。生徒達も反面教師としてきちんと見て勉強してほしい。そして、弟も今日の経験を噛みしめて勉強に励めば良い。
教師である前に人間である私は変わり映えもしない戦闘に飽きた。飽きたので観客席を眺めることにした。
視力は良いので遠くにいる人間の顔も良く見えるからそれらを観察する。特に面白い訳ではない。
「千冬先生は弟くんのこと好きですか?」
ぼんやり当てもなく人間の表情の移り変わりを見ていたら、美生を挟んで隣にいるシャルロットが質問を飛ばしてきた。顔がにやけている。だらしのない顔だ。
弟のことが好きかどうかなど簡単な質問だ。考えて答える必要もない。
はっきり言うとどうでも良い。好きでも嫌いでもない。ただの血の繋がった弟だ。
「血の繋がった弟だそうですよ」
美生。どうしてそこを言葉にする。
「そうなんだ。つまり血が繋がってる程度にしか思ってないってことは、血の関係がなければ他人ってことだね。どうも思ってないんだ」
あははと笑うシャルロット。
シャルロットが何を考えて笑っているか分からない。
教師としてシャルロットがやってきた時、先輩教師から幾つかの情報を貰ったが少なすぎる。採用に当たって資料が届けられたというが、そんな紙切れに書かれているものは表面上だけの当たり障りのない情報だけだ。彼女が何を考え、どう行動する人間かなんぞこれっぽっちも記されていない。
デュノア社社長とその愛人との間に生まれた子供。それがシャルロット・デュノアだ。十六で母親が死に、父親であるデュノア社長に引き取られた。
資料の中にはその程度のことしかない。それ以のことを知りたければ現地に行って入念な調査をしなければならないだろう。
あとは本人に直接聞くくらいだ。私はそこまで興味がないから聞きはしないが。興味がないから分からないし、分からないからといって興味を惹かれるというのもない。
「真耶先生は好きな人いるの? あ、異性でも同性も構わないよ」
「え? す、好きな人ですかぁ!? あー、えー。そのーですね、まだそういう人にはで、出会えていないと言いますか、まだ……いないです」
「そうなんだ。美生先生は誰かいるの?」
「千冬のことが好きですけど、それがどうかしました?」
「す、凄いです。さも当然のように言いきりました!」
「そうなの。これからも頑張ってね」
「こっちも自然に返した!?」
「そういえば、ハルフォーフ先生がいませんね。どこに行ったのでしょうか?」
「あ、さっきラウラちゃんのところへ向かうのを見たよ」
「目が離せない妹なんですかね?」
真耶のツッコミを無視するかのように会話をするシャルロットと美生。真耶が体育座りになって心を閉ざしかけたころに二人が謝った。
二人が言うように、クラリッサは誰にも何も言わずに消えるように私達から離れていった。ラウラの方へと向かったらしい。何か用事でもあったのか、それともラウラが何かをやらかさないか心配になったのか。
後者はないな。お目付け役だと嘆いていたが、それらしい行動を見たことがないから。
後者がないから前者だ。だけど、出来の悪い部下と評するラウラに何の用事があるのだろう。
最近、具体的に言うとシャルロットがやってきた辺りからクラリッサとラウラ動きに変化が見られるようになった。
美生に引っ付いてばかりいたクラリッサは度々シャルロットについて回ることがあり、ラウラもどこか視野が広くなったように周囲に目を向けている。
この変化はなんだろうか?
クラリッサとラウラは軍人だ。もしかしたら彼女達はシャルロットを警戒しているのだろうか。一般人が気がつかない何かに気がついたか。
観客席のどこかにいるクラリッサを探そうとして自然と上を見た。
何か光を見た気がした。
「どうかしました?」
私が天井を見上げたことを不思議に思った美生が声をかけてくる。
美生の言葉に、天井を見上げる私に気がついた真耶とシャルロット。二人は私の行動を不思議に思って揃って天井を見上げる。
「あれ?」
真耶が素っ頓狂な声をあげた瞬間、空から光の線が伸びてきてシールド・バリアーを突き破って試合中の弟と鈴の近くに突き刺さる。
誰かが悲鳴を上げた。
生徒達が怯えたような声で誰かに問いかけてくる。アレは何、と。
その質問に明確に答えられる人間はこの場にはいない。私にも説明できないし、放送席近くに待機している先輩教師にもクラリッサにもシャルロットにも説明はできないだろう。
試合に乱入してきたのがISであることは私にも分かる。
それ以外には全身が装甲に覆われていること。武器として左右腕に合わせて四門のビーム砲を持っていることしか判明していない。
もう一つ分かることがあるとすれば、あのISはシールド・バリアーを突き破る威力のビームを撃てるので、会場にいる全員が瞬時に人質と化してしまったことか。由々しき問題である。
全員の命を脅かすことのできるISに対峙するのは素人という言葉が抜けきれない弟と、代表候補生の鈴の二人。
教師達がISを取りに動き出したが、誰の仕業か会場のドアというドアがロックされ、外部との通信も遮断されてしまって手の打ちようがない状況だ。
救援として駆けつけることも、助けを呼ぶこともできない。
まさしく八方塞がりだ。
「織斑先生!? 後ろです!」
非常事態への対応で席を離れていた真耶の叫び声が聞こえてくる。
隣にいた美生と一緒に背後を振り返る。
振り向いたことで視界に映り込んできたのは、灰色の装甲と無機質なモノアイだった。