「死んだ女生徒の霊、ねぇ」
「ほんとにそうなのかな?」
夕食後、再び簪の部屋に集まった五人は昼間に薫子から聞いた情報を思い返していた。
鷹野奈々。過去にIS学園に通っていた先輩であり、三年前に事故死した少女。
彼女は才能に溢れ、なによりISで空を飛ぶことが大好きだったという。訓練機でありながらスペック以上の機動を再現してみせるなど、将来を期待された操縦者だったそうだ。
彼女はよく放課後はアリーナで一人で飛行訓練をしており、楽しそうに飛ぶ姿は学園でも有名だった。そのとき、彼女が愛用していたのが訓練機『打鉄』の七号機。あの、アイズたちが見た、無人の訓練機である。
死んで未練が残る彼女の霊がその『打鉄』に宿り、飛べなくなった未練からたびたびアリーナに現れて空を飛ぶ生徒たちに襲いかかるのではないか、というのが最有力の説であるらしい。さすがに不謹慎であるために声を大にして言う人間は少数だし、薫子もそこまでは記事にも載せていないという。
「ていうか、ISに霊が憑くとかはじめて聞いたわ」
「でも、たしかにそう考えれば辻褄は合うよね。まぁ、こんな超常現象に辻褄もなにもない気もするけど」
「ううむ、実体のない操縦者か。対処法など軍でも教わらなかったぞ……」
そもそも科学技術の結晶のはずのISが幽霊などというオカルトに操られるという話だけでもとんでもないのだ。対処法などわかるわけもない。
そもそも対処する義務もないのだから、一番確実なのはもう関わらないことだろう。薫子によれば、アリーナの使用時間をしっかり守れば遭遇することもないそうだし、危険ということもない。
「ほんとにそうなのかな?」
みんながこれ以上の深入りを諦めようとしていた中、アイズがふと呟く。アイズの顔は、みんなと違い困惑などではなく、ただなにかを気遣うような表情が浮かんでいる。
「ボク、あの気配を感じたとき………どこか泣いている感じがした」
「泣いている?」
「うん、まるで、なにかを心配しているような……そんな切ない気配。雨の中で親の帰りを待つ子供……こんな表現でいいのかな、そんな切なげな印象を受けた」
噂話のような、未練とか、妬みとかそんなものではない。あれはずっと澄んだ思いを宿したものだった。アイズはそう感じた。だから、みんなが大なり小なり恐怖を感じる中でアイズだけはそんな恐怖は微塵も感じてはいなかった。
「ボク、もう一度会ってみる」
「会うって……会ってどうするのです? 会話できるような相手ではありませんよ?」
「ううん、きっとわかる。そんな気がする。だって、ボクはあのとき………」
みんなに担がれて逃げたときも、アイズはただじっとその機体から発せられるなにかを感じ取ろうとしていた。アイズだからこそ、わかる。気配や空気で、その人の考えや感情を読み取る術を持つアイズ・ファミリアだからこそ、あの訓練機がなにを言いたかったのか、なにをしたかったのか、わかってあげられるような気がした。
傲慢で思い上がりなのかもしれない。でも、アイズは、もしそうならあの機体ともう一度向き合ってみたかった。
根拠なんてないのに、アイズは確信していた。あの機体は、噂話のように誰かを襲っているわけじゃない、と。
そう、あれはそういうものじゃなくて。
あれは…………。
***
「あーあ、結局全員揃ってまた来ちゃったわね」
鈴がぼやくように言い、全員が苦笑して返す。またしてもアイズのわがままを聞き入れた形となったが、そうさせるだけのなにかがアイズにはあるのだろう。全員が逃げることなく、アイズの感じたというその『想い』とやらを確かめることに同意した。
それはアイズを信じてのことでもあるし、このままでは終われないというプライドもある。知ってしまったことをないことにはできない。それは、この五人に共通した考え方であった。
とはいえ、またもISが使えないことが予想されるので逃げる準備だけは万全にしてある。全員が動きやすい服装であるし、セシリアが万が一のときのために隠し持っていたリムーバーと呼ばれる剥離剤を用意してある。個体につき一度しか使えないが、これを使用すればISを解除できるという優れものだ。もっとも、操縦者なしで動くあの機体にどれほどの効果があるかも疑問だが。
「アイズ、いざというときは強制的に逃げ帰りますからね?」
「うん」
同じようにアリーナであの機体を待つ。薫子の話によれば、出現する時間は使用時間を過ぎて少ししたあたり。しかし、必ず現れるというわけではないということだ。
「まぁ出てきて欲しくないけどねぇ」
「私たちのISはまだ反応してる……今日ははずれなのかな?」
前回と同じようにアリーナに侵入するも、まだあの機体の姿は見えない。出てこないならそれはそれで安心するが、アイズはそわそわと辺りをしきりに伺っている。
「アイズ、そんなに気になりますの?」
「うん、絶対になにか言おうとしてた。ボクは、それが知りたい」
アイズはみんなに無人の訓練機がなにかを言いたがっているんだと主張して譲らなかった。しかし、アイズは自身の直感を信じている。あのとき訓練機から感じたものは、決して悪いものじゃなかった。アイズしか持ち得ない、気配や空気から察するこの直感はセシリアさえも理解しきれないが、それでもその直感がとんでもない精度で核心をつくことは経験則から知っている。
しかし、今回のように無人で動く機体などというオカルトカテゴリに入るであろう相手に、それがどこまで通用するのかまでは未知数だ。
「セシリア、どうなのよ結局」
「………アイズの直感は、もう超能力の域ですし、もしかしたら本当になにかあるのかもしれません」
「霊が憑いた機体………大丈夫かな?」
「いざとなれば、姉様を担いで逃げるしかない。姉様はけっこう頑固だから、止めても一人で行ってしまいそうだ。なら私たちが一緒にいるほうが安心できる」
アイズ以外の四人は、どちらかといえば否定派であった。ISという科学の産物に関わる者として、想像ならまだしも、本当に幽霊がISを使うなどということは受け入れがたいことだった。百歩譲って幽霊がいるとしても、それがISを操縦できるというのは飛躍しすぎというのが本音だった。
しかし、全員がこの目で見たのだ。納得せざるを得ないが、その原因は別の科学的ななにかじゃないかと思ってしまう。
「――――………来た」
空気を変えるアイズの声が響く。アイズが向いている方向を注視すれば、そこから聞こえてくるのは前回と同じ金属の摩擦音。そして足音のようなテンポで重厚な音が響く。
人のいないIS………無人の訓練機『打鉄』、その七号機が再び姿を現した。
「来ちゃったよ……」
「みなさん、機体は?」
「……ダメ、やっぱり起動しない。データ上はバグもなにもないのに……」
「逃げる準備を、やつが動いたらすぐに姉様を連れて撤退を」
そんな中で、アイズただひとりだけがゆっくりと動き出す。なんと、その訓練機に向けて足を進めたのだ。
「アイズ、なにを……!?」
「大丈夫、まかせて」
そんな根拠のない言葉を言いながらもアイズは足を止めない。そんなアイズに気づいたのか、あの『打鉄』もゆっくりと、しかしぎこちなく動いてアイズのほうへと向き直る。一同に緊張が走る。
「hjdyuens......snjiw/..doi1jfs」
「うん、お話しよう」
まるでアイズは『打鉄』が発する駆動音と会話するかのようだったが、もちろんアイズにはなにを言っているのか、言葉として理解できているわけではない。
アイズは、視力を失い、それでも確信が持てる直感で『打鉄』との対話を試みている。
かつて、束が言っていた。ISは、生きている、と。自分で考え、共に空を飛ぶ友となれる存在。それがISだと。
アイズはそう嬉しそうに語った束を知っている。だから、アイズは信じている。ISにも、心があると。たとえなくても、生まれ出るものだと。
だから、アイズは信じた。信じてみたくなった。
この『打鉄』から感じるものは、『心』から零れ落ちる雫なのではないかと。
「こんばんは」
「mjd//......d.........3df0v」
「あなたは、なにを伝えようとしているの?」
アイズが問いかけるも、『打鉄』は耳障りな金属音を発したままだ。当然だ、ISに会話するという機能はないのだから。だが、会話だけが意思疎通の手段じゃない。アイズはそれをよくわかっていた。
再びゆっくりと足を進め、手を伸ばして『打鉄』へと触れる。からっぽの機体でも、アイズと比較すれば大人と子供以上の違いがある。そんな一人と一機が、まるで握手でもするように手を合わせる。それを見ているセシリアたちはハラハラしっぱなしだった。
しばらくそうしていたアイズが、いきなり顔をあげると嬉しそうに笑った。それは、見ていたセシリアたちからしても唐突としか言いようのないものであった。
「……ボクを、乗せて。あなたと、空を飛びたい」
「nhiue9」
がくん、と『打鉄』が身をかがめた。それはまるでアイズを前に膝をついているようだった。そうしてぎこちないが、優しい動作でアイズの身体を抱え込んだ。
「アイズ!?」
「大丈夫。この子は、危害を加えたりしないよ」
先ほどよりも確信に満ちた言葉だった。その声が、セシリアたちを止めた。アイズは『打鉄』の揺れる腕に抱えられながら、機体の中心部、空洞となっている場所へと向かう。目が見えないが、『打鉄』のエスコートでなんなくその場に収まると、パーツごとに揺れていた『打鉄』の各部装備が瞬時にアイズへと装着される。
欠けていたものが埋まり、本来のISとしての形を取り戻した『打鉄』は今度はその外見のように雄々しく立ち上がる。
AHSシステムがないためにアイズの目は未だに閉じられているが、それでも一体となっていることでアイズにもその感覚が伝わってくる。視覚以外の五感が、アイズに高揚感を与えている。
「…………そっか、そうなんだ。あなたは、……」
「――――」
正常に稼働している今となっては、あの不快な金属の稼動音は聞こえない。しかし、アイズはしっかりと『打鉄』の“声”を聞いた。
「もういないんだ。鷹野奈々さんは、もう、いないんだよ」
「――――」
「でも、あなたは覚えてる。ボクに見せて。あなたと奈々さんの“空”を……!」
***
「あ、あれが量産機の機動か?」
ラウラが驚愕の声を上げるが、それは全員の共通した思いだった。アリーナを所狭しと飛行する『打鉄』。しかし、その機動はこれまでになく早く、しなやかで、そして美しかった。明らかに量産機のスペックを超える機動を見せるそれに、全員の目が釘付けになる。
「違う……」
「セシリア?」
「あれは、アイズの動きじゃない」
ずっとアイズを見てきたセシリアだからわかる。あの『打鉄』の機動はアイズのものではない。アイズの癖が一切なく、まるで別人が操縦しているとしか言えないほど違っていた。
「あれは、誰……?」
「アイズ……」
見守るしかないセシリアたちが見つめる先で、アイズは『打鉄』の中でその機動を体感していた。激しくも、でもまるでゆりかごに揺られているような優しい飛び方。アイズは、この機動に虜になった。
「すごい……、綺麗な空」
「――――」
「うん。……ボクも、そう思うよ」
「――――」
「でも。奈々さんはもういないんだ。だから、あなたが教えてあげて欲しい。あなたが、奈々さんから教わったこの空を、今度はあなたがみんなに教えてあげて欲しい。………空はこんなにも、素晴らしいということを」
「―、――」
「………ありがとう。ナナ」
***
“彼女”は、待っていた。
“彼女”の、友を待っていた。その友が来るまで、ずっと、ずっと。
三年という月日はあっという間に過ぎた。それでも待っている。来ない彼女を探して、さまよいながらもただただずっと待っていた。
“彼女”が得た、プログラムされていないなにかに刻まれたメモリーが、“彼女”をそうさせていた。
―――七号機、あなたも『ナナ』なのね。お揃いね、ナナ。
―――空は、気持ちいいわね、あなたもそう思うでしょ?
―――もっと、たくさん空を飛びましょう。それはきっと、あなたが生まれた理由でもあると思うの。
―――だから、私と出会ったのも、きっと運命なのよ。
―――どこまでも一緒に飛ぼうね、ナナ。だって、……。
―――空は、こんなにも素晴らしいのだから。
そう、“彼女”の名前は、ナナ。訓練機『打鉄』の七号機。名付け親は奈々。ナナはずっと奈々と空を飛びたかった。そう願ってしまっていた。それは、本来ありえないとされるものの獲得の証だった。
ナナは、奈々と共に飛ぶ。
それが、自分の存在意義として。生まれた理由として、心を得た嬉しさとして。
だから、彼女は待っていた。奈々が、再び来る日を待っていた。
「こんばんは」
彼女のメモリーに誰かが入ってくる。閉じられているはずの瞳に、見つめられるようにその誰かは語りかけてくる。
「あなたは、なにを伝えようとしているの?」
伝えたいこと。奈々はどこ? 奈々と空を飛びたい。奈々は、どこにいるの?
「……ボクを乗せて。あなたと、空を飛びたい」
囁くように向けられた言葉に、嬉しさが宿る。共に空を飛びたいと言ってくれたその誰かに、奈々の姿が重なる。しかし、その誰かは言う。
「もういないんだ。鷹野奈々さんは、もう、いないんだよ」
奈々が、いない。もう、いない。ああ、そうなのか、奈々とは、もう飛べない。それは、とても悲しいことだ。
「でも、あなたは覚えてる。ボクに見せて。あなたと奈々さんの“空”を……!」
奈々とナナの空を、見せる。この誰かに、見せてあげる。それは、とても素晴らしいことだ。
その誰かと共に、アリーナを飛ぶ。狭いこの空間でも、ナナにとってそれはかつて奈々と共に飛んだ紛れもない空だ。
「すごい……、綺麗な空」
そう、綺麗な空だ。奈々の空は、綺麗なのだ。奈々の空はとても素晴らしいのだ。
「うん。……ボクも、そう思うよ」
そういってくれる誰かの言葉が嬉しい。奈々とナナ、二人だけだった空が認められることが、こんなにも嬉しい。
「でも。奈々さんはもういないんだ。だから、あなたが教えてあげて欲しい。あなたが、奈々さんから教わったこの空を、今度はあなたがみんなに教えてあげて欲しい。………空はこんなにも、素晴らしいということを」
奈々は、いない。奈々とナナの空は、もう、ない。
でも、それをナナは覚えている。奈々の空は、ナナが覚えている。それを、ナナが教える……。
空は、こんなにも素晴らしいということを。
それは。
奈々も、ナナも、喜ぶことだ。
「………ありがとう。ナナ」
***
「動いていたのは霊とかじゃなくて、IS自身。かつての操縦者を探して、夜な夜な動いていたっていうの?」
「それ以外動かなかったのは、ずっと奈々さんを待っていたから……」
「そして襲っていたんじゃなくて、ただ探していただけ……」
アイズから聞かされた真相に一同は面食らう。霊が憑いているというのも摩訶不思議だが、IS自身が自己判断でそこまでやってのけるということも十分に摩訶不思議といえるレベルだ。
「あの子は、心が芽生えかけていた。奈々さんが名前を与えたからだと思う」
「鷹野奈々………ISに心を与えた操縦者、か」
「でも、たしかにアイズがあの機動をできるわけではありませんし、IS自身が奈々さんの機動を再現したというほうが納得できます。いや、つっこみたいところは多々ありますが」
「すべては少女とISが起こした奇跡、……か。ほんとにこういうことってあるんだね」
「じゃあ、なんで私たちのISは動かなかったのですか、姉様?」
「きっとIS達はわかってたんだよ。あの子が、ボクたちに危害を加えないって」
不思議な出来事ではあったが、それでも一同はなんとか納得する。それほど、あのときアイズを乗せて飛んだ機動は説得力があった。全員がIS乗りだ。その機動を見れば、その操縦者がどれほどの人物かはなんとなくでもわかる。
あんな楽しそうに、どこまでも飛びたいと表現している機動は、それだけで納得できるほどのものだったのだ。
「でもさ、一番つっこみたいのは………アイズ」
「ん?」
「あんた、ISと会話したの?」
「んー、会話っていうか………心がね、溶け合うんだ。ラウラちゃんは、前にボクとそうなったからわかると思うけど」
「はい、なんとなくですが………姉様の言うことはわかる気がします」
かつての暴走事件の際に、アイズと心を溶け合わせたラウラはすんなりとアイズの言葉を受け入れた。あの不思議な感覚は言葉にできないが、たしかにそういう現象が起こり得るとわかるだけでも十分であった。それがなぜ起こるのか、どうやって起こるのかはわからないが、今はそれは重要じゃない。ただはっきりわかることは……。
「ISと、心を通わせる、か。比喩なんかじゃないのね」
鈴が感慨深そうにブレスレット……待機状態の『甲龍』を見つめる。同じように全員が自分の専用機になにかしらの思いを馳せているようだ。
「でも、そうならこれからもずっとあの『打鉄』は勝手に動くのかな?」
「もう、そんなことにはならないよ」
アイズがはっきりと口にする。そして頬を緩め、心底嬉しいというように笑って言った。
「あの子は、これからきっと空の素晴らしさをみんなに教えてくれるよ。だって、あの子は………“ナナ”だからね」
***
「ねぇねぇ聞いた? 学園七不思議の、訓練機の話」
「ああ、勝手に動いて襲うってやつだっけ?」
「違う違う、それもう古いよ。あのね、七号機に乗るとあっというまに空が飛べるようになるんだって! それも、めちゃくちゃすごい機動で!」
「なにそれ、なんかいいことっぽいけど」
「うん、もう何人も体験してるけど、まるで機体が空の飛び方を教えてくれるように、あっというまに上達するって。私も明日演習だから楽しみだなぁ」
「へー、それはすごいわね。でも、なんで急にそんなことになったのかしら?」
「うーん、噂だとね。例のなくなった女生徒の幽霊が、生前の機動を教えてくれているんじゃないかって」
「幽霊が先生か。それはまたすごいわね」
「あ、でもひとつ条件があるんだって。七号機に乗るとき、ちゃんと名前を呼ばなきゃいけないらしいの。そうじゃないと機嫌が斜めになるとか」
「ほんと人間らしいわね。で、その女生徒の幽霊の名前って?」
「えっとね、ナナ。ナナっていうんだって」
番外としてちょっと不思議な日常編をお送りしましたがいかがでしたでしょうか。
本編からは外れた番外編ですが、いくつかはこれからの伏線もちょろっと入れています。
次回からまた本編を進めていきます。
IS学園も学校なら七不思議とかあってもおかしくなさそうじゃね、ってとこから思いついた今回のネタでしたが、一番ヤバイのはアイズが「指チュパ」を覚えてしまったことだと思うんだ(汗)
それにしてもアイズってこういう役どころってかなり似合うなぁと思いながら書いてました。
またいずれ番外編を書くかもしれません。それではまた次回!