簪の部屋にやってきたアイズは、ベッドに座らされた。
靴と靴下を脱がされ、やや腫れた足の治療をされながらアイズは簪を観察するかのように彼女の気配に感覚を傾けていた。
少し希薄な感じはするけど、それはけっしてネガティブなものじゃない。少し自信がない、というような感じだ。でもこうして怪我の手当もしてくれることから、すごく優しい人なのだろうと考える。
それがかなりのいい線をいっている分析だとは、アイズはこのときは知りもしないが、やはりここまでの観察ができることはアイズの特殊能力といって差し支えないレベルであった。
「わざわざありがとう、簪ちゃん」
「……かまわない」
「簪ちゃんって、もしかして楯無センパイのご家族?」
「っ………妹」
「そっかそっか、なるほど」
事前情報で楯無には妹がいることを聞いていたアイズはそれが簪だと知って納得したように頷く。
しかし、対する簪の表情は暗い。完璧である姉と平凡な妹の自分、それが簪のコンプレックスであり、無意識にでも比較されることに嫌悪を抱いていた。決して姉は嫌いではない、でもそれ以上に姉といると自分の無力さが浮き彫りになるようでいたたまれない気持ちになってしまう。
このアイズも、そうなのか。自分を姉の、更織楯無の妹と見るだけなのか。そんな疑念を抱くも、アイズの発言はその予想の斜め上をいくものだった。
「いいなぁ、楯無センパイ。簪ちゃんみたいな妹がいて、羨ましいな」
「え?」
「うん? だから、簪ちゃんのお姉さんなんていいなーって」
楯無が姉だから羨ましい。それは今まで山ほど聞いた言葉だ。だが、簪が妹で楯無が羨ましい。そんなことを言われたのははじめてだった。
「な、なんで?」
「だって、ボクのこと助けて気遣ってくれて、とっても優しい……。ボクが見えないから、ここに来るまでもずっとボクの周辺をきにしてくれていたでしょ?」
足をくじいたアイズを抱え、さらに周囲が見えないアイズの代わりにずっと気を配ってくれていた。たしかにそうだ。でも、それがわかるものなのか。
「ボク、気配には敏感なんだ。簪ちゃんが気にかけてくれてたことはちゃんとわかった」
「でも……」
「ありがとう、簪ちゃん。あなたに会えて嬉しいよ」
簪はここまで屈託のない笑みと純粋な好意の言葉を向けられたことに困惑してしまう。目が見えないとわかっていても、アイズから顔を背けてしまう。しかし、その人の纏う気配や空気から察してしまうアイズは、そんな簪がどこか微笑ましく思えた。
「でも簪ちゃん、楯無センパイとは仲悪いの?」
「ど、どうして?」
「んー、なんか、センパイの話をしたとき、ちょっと嫌な空気出してたから」
このあたりになるともうアイズにしかわからない感覚だった。さながら、第六感とでもいうのか、そうした説明できない、でも確信に近いものを抱かせる感性だ。
「アイズは不思議。まるで見透かされているみたいなのに不快な気分にならない」
「んー、見えない分、変な力に目覚めたかな?」
「なにそれ」
おかしそうに簪が笑う。その笑みに先ほどまでの硬さはなかった。それから少し雑談をしていたが、アイズがふと思い出したことを尋ねた。
「簪ちゃんって四組なんだ。もしかして四組の専用機持ちって簪ちゃんのこと?」
「一応、ね」
「一応って?」
「私の専用機、未完成だから今作成途中なんだ」
「未完成で作成中?」
「うん、それで毎日調整の繰り返し」
「簪ちゃんがやってるの?」
それも変な話だ。普通、専用機は操縦者のバックアップを務める企業が作成するはずだ。もちろん本人の協力も必要不可欠だが、普通は自分が乗る機体を自分だけで作ることはない。アイズのレッドティアーズtype-Ⅲだって、束をはじめとしたカレイドマテリアル社の科学者たちがその技術を結集して作ってくれたのだ。整備くらいはできるが、作成しろと言われても無理だ。
まぁ、そもそも二機のティアーズはもはや束以外にどうしようもないくらいの、オーパーツといっていいほどの超技術の塊になっている。以前束が言っていたが、ティアーズ一機を作るのに通常の専用機10機分の予算と時間が必要らしい。
「でも、どうしてそんなことに? どこが作ってたの?」
「倉持技研で作られていたんだけど、その、ちょっと事情があって、作成が凍結されたの」
「凍結?」
しかも、また倉持技研か。アイズの中で倉持技研の好感度がどんどん下がっていく。大方、表向き世界初の男性適合者である一夏の登場で白式の開発のために簪の機体作成を放棄したのだろうが、いくらなんでも簡単に仕事を破棄するなど信じられない。
技術屋として高いプライドを持つ多くのカレイドマテリアル社の人間を知っているだけに、こうもあっさり自分の仕事を投げ出すことに不愉快と思ってしまう。あの束さえ、一度受けた仕事は完璧にやり通す。気分でおかしなアレンジをすることはあっても、仕事で手抜きや破棄など絶対にしない。
「簪ちゃんだけでできるの?」
「うん、できる……と、思う」
「完成度は?」
「だいたい、6割といったところ」
聞けば、フレーム自体はある程度完成系に近いらしい。足りないのは、プログラム系の大半だそうだ。それに専用機だけあり、汎用機にはない特殊兵装を稼働させるために複雑なプログラムが必要となる。それらをすべてひとりでやろうというのか。無理だ、とも思う。それでも。
アイズが思ったことは、無謀さに対する呆れではなく、…………敬意だった。
「やっぱり簪ちゃんはすごい」
「どうして?」
「普通、誰かに手伝ってもらったりするよ。ボクでも、たぶんそうだと思う。でも、簪ちゃんは違う。………ううん、きっと、ひとりでできるとかじゃなくて、ひとりの力でやり遂げたいって強く思っているからなんじゃないかな?」
「…………」
簪は答えない。しかし、もしアイズに視力があれば一目瞭然だろう。その表情は、それを肯定していた。
「ボクはね、こんなだから、誰かに支えてもらわないとなにもできない。セシィがいなきゃ、気ままに散歩することすら難しい」
いつも自分の手を引いてくれるセシリアの手に、何度感謝したか、アイズももうわからない。でも、今でも毎日祈りを捧げる教徒のように、常に感謝の気持ちを抱いて接している。
「そんなボクでも、意地がある。ボクは、セシィの横に立てるくらいに強くなりたかった。セシィに精一杯の感謝と、それと同じくらい、セシィに頼られたいと思っている」
だから、と言葉を紡ぐ。
「ボクは、ボクの力で、いつかボクを支えてくれたすべての人にこの恩を返したい。ボクだけができることが、きっとあるんだって信じてる」
簪は言いようのない、なにかに心臓を掴まれたような気がした。アイズの言葉が、まるで自分でも気づかなかった心を代弁しているかのようで。
「だから、簪ちゃんがそうやって自分を信じて頑張ることは、ボクも励まされるんだよ」
そのアイズの言葉に簪はなにも言えない。ただ呆然と、信じられないように目を見張っている。どこかショックを受けたような雰囲気を感じとったアイズは、初対面で馴れ馴れしく言い過ぎたかと反省しながら立ち上がる。足の痛みはまだあるが、もう歩くには大丈夫だ。寮は階層ごとの間取りは一緒なので、部屋に戻るルートも頭の中にある。アイズはここらで失礼することにした。
「偉そうに言ってごめんなさい。治療、ありがとう。ボクはそろそろ戻るね」
手探りでドアを開けると、一度振り返って頭を下げてもう一度礼を言う。
「簪ちゃん、今日はありがとう。じゃあまたね」
「………うん」
アイズが去り、しまったドアを見つめながら簪は穏やかでない胸中になぜか泣きたくなった。
「………わ、私は、……」
そんな立派な人間じゃない。簪は気がつけばそう口にしていた。
「私は、ただお姉ちゃんみたいに、……なんでもできるあの人に追いつきたくて……でも、結局私はあの人に追いつくことなんて……」
専用機の開発だって、既に限界が見えていた。一人だけではどうしても完成はできない。そんな限界を見て見ぬふりをしながら意地になっているだけ。簪の冷静な部分がそれを認めていた。
かつて姉は自身の専用機を自ら組み上げた。でも、自分にはできない。それを認めることが怖くて、なにもできずにただ立ち止まっているだけ。
「………わたし、は……ただ、………」
そんな自分でも、アイズ・ファミリアには希望のひとつとなる。その言葉が、いつまでも頭の中でリフレインしていた。
***
「ただいま、セシィ………あれ、この気配は鈴ちゃん?」
部屋に戻ったアイズは慣れ親しんだセシリアの気配の他に、つい最近覚えた気配を感じ取ってその人物を特定する。
「ほんとにその感覚はすごいわね。なにか一芸でもできるんじゃない?」
遊びにでもきていたのだろうか。鈴が感心したように小さく拍手を送ってくる。
「アイズ、足どうしました?」
セシリアがめざとくアイズの足に治療の痕跡があることを見つける。歩き方も少々ぎこちないこともすぐにわかっただろう。
「ちょっとくじいちゃって。友達に治療してもらったの」
「もう、アイズは確かに気配察知は超能力レベルですけど、無理はしないようにといつも言っているでしょう?」
「うぅ、ごめんなさいセシィ」
「どれどれ、ちょっと見せてみなさいよ」
ベッドにアイズを座らせて処置されたばかりの足に手を添える鈴。そしてゆっくりと患部をなぞり、次第になにかを送るように掌を押しやった。
「あ、あれ? 痛みが……」
「いろいろ言い方はあるけど、気功とか集気法とかいうやつよ。活性化させて治癒力を高められる」
「すごいですね、本当にここまでのことができるとは」
鈴の技術にアイズもセシリアも舌を巻く。IS装備したまま発勁をするくらいだからこのくらい当然なのかもしれないが、こうした気に関しては詳しくない二人は鈴のこれはまさに魔法のように見えた。
「はい、終わり。あとは安静にしてれば明日には治るでしょ」
「鈴ちゃんありがと、気を遣ってくれて」
「お互い殴り、斬り合った仲じゃない。水臭いわよ」
えらく物騒な友情もあったものだとセシリアは思ったが、自分とアイズの絆もまともとはいえない馴れ初めだったために口には出さなかった。
「それで、鈴ちゃんは今日はどうしたの?」
「うん、まぁ一夏のことでね」
「一夏くん?」
そういえば幼馴染とか言っていたことを思い出す。
「あいつって強いの?」
「まだまだ未熟です。ですが、素養は十分です。油断すれば食われかねない程度には実力をつけています」
「鈴ちゃんのほうが強いけど、一夏くんって成長速度が早いから、下手したら足元すくわれるかもよ?」
二人の評価に鈴は嬉しそうに笑う。せっかくの再会戦だ。どうせなら強くなければ面白くない。
それにこの二人が鍛えているのなら、間違いなく強くなる。経験量は足りずとも、聞けばセンスは高いらしい。鈴は一夏との戦いに胸を躍らせていた。
「あとさ、箒いるじゃない」
「彼女がどうしました?」
「なんかやたら睨んでくるんだけど、もしかしてあの子、一夏にお熱?」
セシリアとアイズは苦笑して「多分」とだけ返す。傍からみても箒が一夏に好意を寄せているのはわかりやすい。本人は気づいていないようだが、今でもたまに二人は箒から嫉妬染みた視線を受ける。
もちろんセシリアもアイズも、一夏相手に恋愛感情などない。しかし、そうはいっても仲がいいことも確かなので嫉妬の対象になるのも仕方ないだろう。もともと硬い性格のためか、未だに箒は少々ぶっきらぼうな態度をとられる。
「一夏も変わらないわねぇ、蘭といい、箒といい、よくもまぁ無自覚に女の子落としちゃうわねぇ」
「鈴ちゃんは違うの?」
「あたしは、悪友っていうのが一番しっくりくるわね。昔は一夏とあたしと、あと弾ってやつと三人でいろいろバカやってたのよ」
鈴が面白おかしく過去の武勇伝を話し、アイズはケラケラと笑いながら、セシリアもくすくすと微笑みながら盛り上がった。
「で、あたしがボスで二人が取り巻きみたいなものね。気分はマフィアの女頭領って感じではっちゃけてたもんよ」
「うわ、鈴ちゃんかっこいい」
「実際、あたしが一番強かったしねぇ。ミニマムタイガーって不本意な異名がついたけど………あ、もういい時間ね。そろそろ戻るわ」
時計を見ればもう消灯時間間際だった。これ以上は規則にひっかかる。鈴は名残惜しそうにしながらも退散することにした。
「楽しかったわ。こんなふうに駄弁るのってけっこう飢えてたのよ」
「そうなの?」
「いろいろ期待をかけられてたのは嬉しいけど、おかげで生活も半分は監視付きみたいなものよ。買い食いするだけでも大変だったわ。ったく、あたしは庶民派だってのに」
「候補生ともなれば、素行も重要視されますからね……」
「まぁ、あたしの場合は代表になりたかったわけじゃないんだけどね」
「じゃあ、なぜ?」
それは何気なく聞いたことだった。しかし、鈴は少し苦笑してから懐かしむように口を開く。
「あたしの両親、離婚してね、それで中国に帰らなきゃならなくなったの。でも………あたしさ、一夏と弾とバカやってたときが一番楽しかったのよ。ぎくしゃくする家にも、やたら期待ばっかかけてくる周りにも正直うんざりしてた。だから、また日本で一緒にバカしたかった。候補生になれば、貧乏なあたしでもIS学園にも入学できる。入学できれば日本に戻れる。日本に戻れば、また、って……ただ、それだけなのよ」
どこか自嘲するような鈴は、恥ずかしい話をしてしまったとでもいうように照れた表情を見せていた。
「だから、あたしはたとえ箒とか一夏と付き合っても構わない。今のあたしは、ただあいつと戦えることが楽しみ、それだけなのよ」
「なら、楽しみにしていてください」
「ん?」
「一夏さんは私とアイズが手塩にかけて鍛えました。鈴さんを飽きさせることは決してないでしょう」
セシリアの言葉に、鈴はただただ満面の笑みを浮かべたのだった。
あれ、いったいいつの間に簪攻略編になったんだっけ?、な話。次回からは戦闘パートに入ります。
そろそろまたレッドティアーズの面白びっくり隠し武装が解禁しそうです。