2015/9/21
感想欄にて指摘いただいた誤字を修正
大して→対して
夢はまだ続いていて、私が海姉さんと空さんを相手に古典の講義を始めようとしている。
確かこの講義をしたのは、海姉さんと空さんが警戒を解いてくれたが、真名で呼ぶ事ができなかった頃だ。義父さんと初めて会ってから、だいたい1年くらい時間が過ぎている。
幸いにして、あの時の会話で義父さんは私の有用性をある程度認めてくれて、奴婢という扱いは無くなった。それどころか糜家の養子として引き取ってくれたので、結果的には良い方向に事態が進んだと言える。
もっとも糜家の麒麟児として噂を流される事となったため、やけに他人に注目されるようになってしまったが。この二つ名を得た事で常に人目に晒されている事を意識するようにり、迂闊な行動を取る事ができなくなった。それも義父さんの狙いの内だったのだろう。人前では余計な事はせずに大人しいふりをしておけと。
まあそんな事よりも、だ。些細な事かもしれないが、この体に入っている中身としては二つ名とかかなり痛い。具体的にはその呼び方を耳にする度に頭を抱えてうずくまりたくなるくらい恥ずかしい。
やめて!二十歳を超えていた人間にそういう遊びを許されるメンタルはもう無いの!!
……まあ、話を戻そう。確かに今後の事を考えると、異端者として扱われるような振る舞いは絶対に避ける必要がある。
下手をすれば、黄巾党のような怪しい集団に首魁として祭り上げられて、旗印にされる可能性だってあるのだ。知識は小出しに、気づかれないようにこっそりとするべきだろう。
え、自重しろ?前世で知識を得ようとした自分の努力、それを蔑ろにするつもりはまったくありませんよ?
さて取り留めの無い思考はこの辺りにしておいて、目の前にいる長い茶色の髪の女の子と、長い焦げ茶色の髪の女の子を生徒にした青空教室に目を向けましょうか。
……客観的に見て、子供が教師として年上の子に故事を教えるってありえないよな。
いきなり先の決定を台無しにするような、普通の子供達がまずしないような光景を思い出させられて、夢の中だというのに全力で頭を抱えてしまった。
そんな私の様子が気にされるはずもなく、授業は始まった。
「先ず隗より始めよ」
「この言葉の意味は、燕の王である昭王が郭隗に人材を集めるにはどうすれば良いのか、と尋ねた際の答えです」
「そう聞かれた時に、郭隗は昭王に対して次のような逸話を述べています」
「昔、一日に千里走る名馬を求めた王様がおりました。家臣に金を渡し、名馬を見つけて来るようにと命じました」
「しかし、名馬を見つけることは叶いませんでした。 しかし、死んでしまった名馬を見つける事はできました」
「そこで家臣は、金五百で死んだ名馬を買いました」
「当然ながら無駄な金を使ったと、王は怒り家臣を責めました」
「しかし家臣は慌てずにこう言ったのです」
「『死んだ名馬にもお金を払う、そのような評判が立ち名声が広まれば必ずや生きている名馬を人は競って連れてくるでしょう』」
「しばらくすると、実際に名馬を連れた者が何人か王様の元へ訪れ、実に三頭も名馬を手に入れる事ができました」
「これが郭隗がした話です。死んだ名馬を自分に、それよりも才能が有る人たちを生きている名馬に例えて『私の様な小才子でも丁重に厚遇すれば、それよりも優れた賢人達が我先にと貴方の元に集うでしょう』という事を伝えたたんですね」
「郭隗の考えは当たり、昭王は優秀な人材を多く招く事に成功しました。 そうやって集めた人材の中には、中華の歴史において最も優秀な将軍と言っても良いかもしれない、楽毅もいました」
夢の中の私は、郭隗について話し終える。
「郭隗って凄く頭が良かったんだねー」
「その意見を受け入れた昭王も凄いよねー」
二人がそれぞれ今の話に対する感想を言う。確かに穿った見方をすると、自分に対する厚遇を要求しているようにしか聞こえないしな。堂々とそれを主張した郭隗も、気にせず受け入れた昭王も度量がありすぎる。
「ちなみに、私が義父さんに引き取られる際に挙げた、『死んだ馬の替わりくらいは務められる』というのもこの逸話が出展元です」
夢の中の私は、続いてあの時の私の意図の説明を始めた。
(あの時はもっと上手い立ち回りもできたんだよなぁ。怒りに我を忘れて、調子に乗った結果とはいえ、自分の失敗を省みるのはきつい)
……夢の中の私も隠そうとしているが、口許が引きつっている。
ここに鏡があれば、恐らく私も同じ顔をしているのが見られるだろう。
(……はあ)
ため息を吐くが、夢は勝手に進んでいく。
「つまり、ここで私を助けておけば、『暴力を振るっていた弟から、財を使って甥を助け出した人』っていう名声を得る事ができますよね、と伝えたんです」
「名声ってそんなに大事なの?」
「物凄く大事です」
小首を傾げながら質問してきた空さんに対して、夢の中の私は、間髪入れずに答えを返す。
「例えば、公祐さんがお菓子を誰かにあげるとします。 相手は二人居て、一人はあげたお菓子のお返しをくれて、時々あげる分より多くお返ししてくれる人。もう一人は今まで一度だってお返しを貰ったことの無い人。どっちにあげたいと思いますか?」
「それはもちろん返してくれる人だよ!」
「何で子仲姉さんが答えるのさ……」
あ、空さんが苦笑いしている。昔からこの関係って変わっていないんだなぁ。
「まあ、良いか。 公祐さんも同じでしょ?」
「うん、それはもちろん」
空さんは、先ほどの質問に対する回答を自分で得る事ができたようだ。顔に理解の色が浮かび、ゆっくりと何度も頷いている。
「うん、それが名声なんだよ」
「え?」
そんな空さんに対して、海姉さんはまだ理解できていないようだ。
本当に理解できているかを確認する意味も含めて、代わりに説明してもらおうと空さんへ目配せをする。
あ、笑って頷いてくれた。
「海。 返してくれる人にお菓子をあげるのはなんで?」
「必ず返してくれるから。 お菓子を損しないもん」
「うん、その人は『あげたお菓子に対して必ずお返ししてくれる』っていう名声を持っているんだよ」
「……あ! そうか、そういう事か!」
海姉さんが両手を打って、理解できた事をを表現する。
こうやって子供染みた表現を見ると、この頃から空さんの方が海姉さんよりもずっと大人びていたんだな。
「そう、それが名声。 子仲姉さんや公祐さんは、お菓子をあげる相手を選ぶ基準にしたでしょ?これが大人の世界になると、戦争の時に味方をしてくれる人ができるかもしれないし、食べる物が足りない時に、この人には食べ物を分けてあげようって優しくしてもらえるかもしれない。 そういう風に繋がるんだよ。 これは言い換えれば、『徳』があるとも言うんだ」
「『徳』……」
「逆にお菓子を返してくれないって知れ渡っている人は、悪い名前が広まっちゃってる。 言ってしまえば『悪い名声』や『悪評』が広まっていて、『徳』が無い人だと言い換える事ができる」
「『徳』が無いと、友達になってくれる人が居なくなるかもしれないし、ご飯を分けてくれる人も居なくなるかもしれないんだね……」
「うん、そうだね。 だから名声は重要なんだよ。 これが無いと、仲良くしたい人が居ても仲良くできないかもしれないからね」
この後、悪評についても、簡単な例を挙げるんだよな。
「悪評について1つ例を挙げておこうか。 例えば、二人が苦手な虫をわざわざ近づけて来る子が、大人に怒られている時に味方をするかっていうと……」
「死んでもやだ!」
「絶対に嫌」
「まあ、そうなるよね。 そうやって、『徳』を失うような行動をしていると、いざ困った時に助けてもらえなくなるんだ」
(……すまん文嚮、宣高。これ、フォロー無理だ)
当時の私は、たしかそんな事を考えていた気がする。
今では自重するようになったが、この頃はいつも海姉さんと空さんの気を引こうとちょっかいを出していた、悪友達に詫びる。
当時の私は、「二人の気を引きたいんだけど、協力してくれ。まずは自分の事をどう思っているかを知りたい」と相談に来た悪友二人へと了解を返したし、評価が低いようなら持ち上げておこうと考えていた。
だが、これは予想以上に好感度が低そうだ、と悟ってしまった。下手にあいつらのフォローを入れようとすると、二人にへそを曲げられかねなかった。
(まあ、人生は長いんだ。 巻き返せるように自力で頑張ってもらおう)
たしか、そう考えて思考を打ち切ったんだよな。
だが、過去の私よ。……数年経っても巻き返せていない可能性については、予想していなかっただろう。
毎度毎度、二人の気を引こうと巻き起こす騒動に関わり続けるはめになる事を考えると、ここでフォローしておいた方が未来は楽になったと思うぞ。
ちなみに、簡単に悪友達を紹介しておくと。
悪友その一、姓が徐、名が盛、字が文嚮。
悪友その二、姓が臧、名が覇、字が宣高。
どちらも三国志において超有名とは言えないが、名将と呼ぶにふさわしい実績を持っている。
二人ともここ、東海郡出身ではないのだが、住んでいたところで賊が多くなりすぎたために家族と一緒に逃げてきたのをこの村で受け入れたのだ。
正直、武官において目立った者がいないこの徐州において、将来が名将になる可能性が高い人材を抱える事ができるのは、非常にありがたい。
余談だが、空さんの家族も同じように青州北海郡より逃げてきたらしい。きっと徐州北部、青州、兗州は修羅の国の様になっているに違いない。
実際に三国志においては、青州で黄巾党が大量に蜂起している。この青州近辺の治安悪化は青州黄巾党発生の前触れなのだろうか?
「とりあえず、この言葉に関しては説明を終えようか。 次はせっかく名前が出てきたから、楽毅の話をしようか」
「「はーい」」
私の考えを他所に授業は順調に消化されている。
元気な返事をする二人の声を聞いて、夢の中の私は次の逸話の話を始める。
こうやって、故事を覚えておくのは人と議論をする時に必要となる。過去にやって成功した事を引き合いに出せば相手の了解を得やすくなるし、失敗した事を引き合いに出せば相手を翻意させやすくなる。
そうやって故事を説得力を持たせる材料とするのは、中華において身を立てるには必須とも言える。
(この頃は、義父さんの手伝いはほとんど無く、農作物の生産量を上げる方法を糜家の土地の片隅で試しつつ、海姉さん達に勉強を教えてたんだよな)
最初は海姉さんだけに教えていたのだが、「親友である空さんも一緒に学んだ方が、互いに切磋琢磨できて学業が捗るだろう」と義父さんに進言して、空さんにも授業に参加してもらうようになった。
古典以外にも、四則演算を教えている。税や軍需品の量を計算する時に必須だし。
先日空さんに説明した豊作の原因となった仕掛けは、義父さんの許可の元この頃から試し始めていた。人目につかないように気を付けながら、義父さんに紹介してもらった信用できる人たちに頼んで糜家の土地を開墾していくのは、秘密基地を作っているようでテンションが非常に上がった。
すまん、昔からミニスケープ系のゲームは好きなんだ。
そんな事を考えているうちに、「報遺燕恵王書」の内容まで説明を終えたようだ。
この手紙は、昭王の後を継いだ恵王に疎まれ、謀殺されることを恐れて趙に亡命した楽毅が、恵王に宛てて書いた。矛を逆しまにして、燕に攻め込む気が無い事を示しつつ、抜擢してもらった昭王への変わらぬ忠義心を示した事で有名だ。
海姉さん達もいたく感心しているようだった。
「さて、頭も使って疲れてるだろうし、おやつにしようか」
夢の中の私がそういうと、二人は両手でバンザイしながら歓声をあげた。
やはり、子供は甘い物が大好きなのだろう。
あと数年すれば、海姉さんが自室で脇腹の肉を指でつまみながら、深い溜め息を吐く姿を多々見かけるようになるのだが、今は何も気にしていないのだろう。
ちなみに私はいつもそういう光景を目にする度に、八つ当たりされる危険を感じて気配を殺して離れるようにしている。
(……少しくらい肉付きが良くなっても、作ったお菓子を美味しく食べてくれる方が嬉しいんだけどなぁ)
この間、自作のお菓子を出した時に溜め息を吐きながら無言でお皿を遠ざけられたときには、本気で心が折れそうになった。海姉さんは、落ち込んでいる私にすぐに気づいて慰めてくれたけど、やっぱりそういう態度を取られると非常にへこむ。
それに比べて、空さんは太らない体質らしい。(本人談)
確かに私が作ったお菓子を、いつも気にせずにぱくついている。
海姉さんは空さんのそんな様子を悔しそうに見ている。……だけなら良いのだが、最近服の上からも自己主張を始めた空さんの一部分を凝視した後、自分の体の同じ部位を見て殺意を漲らせるのは勘弁してほしい。
まだ十三歳なんだから、気にする事は無いと思うんだけどなぁ。
軽くそんな事を思い出して冷や汗をかいていると、夢の中の私はお菓子を籠から取り出して皿に盛り付けた後、お茶の用意を始めた。とはいっても、家で淹れたお茶を竹筒に入れて持ってきているので、それぞれの茶碗に注ぐだけだ。
当然温くなっているが、二人とも猫舌のため熱いままだと飲む事ができない。そういった意味では、温くなっている方が都合が良い。
「きょうのおかしはなんだろう♪」
「……♪」
海姉さんは適当な節回しで歌って、お菓子が並べられるのを待ち、空さんも歌いはしないが期待に顔を輝かせてこちらを見ている。
夢の中の私は苦笑いをしながら、持ってきたお菓子を2つ載せたお皿とお茶を入れた茶碗を二人の前に置いてあげる。
「今日のおやつは、この間掘った芋で作った『甘芋』です」
俗に言う、スイートポテトだ。
この村では、農業用ではあるが牝牛を飼っているため、牛乳を取る事ができる。それを放置しておき、生クリームを調達した。
中国では牛乳を飲む習慣が無かったため、牛乳を飲むと牛になるなどの迷信を言われてきた。だが、散々私が料理に使用したため、家族と親しい友人はすっかり平気になっていた。
(この時にはまだ遠心分離機は作成できていなかったんだよなぁ)
そのため、生クリームの調達に少し時間がかかっていた。
別件で遠心分離機を作成してからは、簡単に生クリームを調達できるようになったため、お菓子作りが非常に捗るようになる。
そして、海姉さんの溜め息の回数も増えていく事になるのだが、それはまた別のお話。
サツマイモはジャガイモと同じく原産地がアメリカ大陸であるため、まだこの時代には中国には伝わっていない。なので、サトイモで代用した。
甘味料はハチミツを使っている。
「「美味しい~!」」
二人がお菓子を口にすると、はもりながら喜びの声をあげる。そうやって嬉しそうに食べているのを見ると、やはり作り手としては凄く嬉しい。
夢の中の私もそんな二人の様子を見て、嬉しそうにニコニコと笑っている。
そろそろ夢から醒めるのか、目の前の光景が白み始めた。
義父さんに引き取られてからの数年間は、こうやって穏やかに過ぎていた。あの男と放浪している時には、こんなにも騒がしくも楽しい毎日をもう一度送る事ができるようになるとはまったく予想していなかった。
しかし、私は前世で読んだ『三国志』の内容を覚えている。数年後に漢帝国の終わりの始まりを告げる大乱が起こる事も、決して忘れてはいない。
この徐洲もきっと戦乱の渦に巻き込まれていく事になり、私たちもそれに翻弄される事になるのだろう。
そのための備えは始めている。しかしどこまで備えれば良いのか、過去の私はもちろん今の私にも見当がつかなかった。まだ足りないかもしれない、そういう考えは年をどれだけ重ねても拭い去る事はできていない。
その結果、焦るなと自分に言い聞かせながらも、体の成長で年月が過ぎていく事を実感するたびに焦燥感は増していく。
(もっと力を蓄えた方が良いのではないか?)
(もっと色々な技術をが導入した方良いのではないか?)
(できる事は?もっとできる事はないか!?)
しかし、そういう焦燥感は海姉さんと空さんと一緒に過ごしている間はゆっくりと溶けていく。やはりこの二人と一緒に過ごす時間が私は好きなのだろう。縁側で飼い猫と一緒に日向ぼっこをしている時のように、非常に心地良いのだ。
(私を家族として、友人として受け入れてくれた人たちを不幸にはしたくないな)
そうやって焦燥感の代わりのように、ゆっくりとその決意を心に固めていく。
天下も、至尊の座も私は欲さない。それどころか、母の夢の中で麒麟が話した天子の柱石となる事すら望まない。
(例え動乱の時代を迎えたとしても、こうやって近しい人間が欠ける事無く集まり、楽しそうに笑いながら過ごす事ができる未来が訪れて欲しいな)
私が望むのは、精々これくらいだ。しかし、例え他人に小さな事だと笑われたとしても、何よりも大事にしたいと心から望む物だ。
私は夢から覚醒していくのを感じながら、心の底からそう願わずにはいられなかった。
精神年齢が三十歳近くて二つ名とか、かなりの拷問だと思うのです。
そんな作者もアラサー世代。二つ名で呼ばれたりしたら、年甲斐も無く相手へ殴りかかる自信があります。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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