2015/9/21
感想欄にて指摘を頂いた誤字を修正
期限→機嫌
海姉さんと空さんをなだめ終え、作業を再開できたのはあれから三十分後だった。
遅れを取り戻すように、話もせずに黙々と手を動かす。さっきから二人が、話をしたそうにしているが、先に作業を終わらせようとたしなめる。
理由はきちんとある。さっき気づいたのだが、風に湿気が混ざっているし、風上に入道雲が見える。おそらくもうすぐ通り雨が来るのだろう。それまでにできるだけ終わらせておきたい。
そう口にすると、二人とも不思議そうな顔をしながらも作業に集中してくれた。
作業は約一時間後に終わり、まとめ終えた麦穂を納屋へ入れた。その後すぐに、予測通り桶をひっくり返したような大雨が降り始めた。
丁度納屋へ麦穂を収め終えた時に降り始めたため、そのまま納屋の中で雨宿りをする。
「すごい、本当に降り始めた」
「麟君が嘘を吐くとは思っていなかったけれど……」
二人とも目を丸くして驚いて、私の顔を見た。
「雨を降らせる大きい雲が、風上方向の空に見えたからね」
こんなの何でも無い事なのだが、自然科学が発達していないこの時代では、天候の予測はやはり凄い事なのだろう。諸葛亮も東南の風を予測した時には、やはりこんな風に驚かれるのだろうか。
二人は私の方へ顔を向け、尊敬の眼差しを向けてきた。
少しばつが悪い。自然科学を学び、雨が降るメカニズムを多少なりとも理解していれば大多数の人間に出来る事なわけだし。
「ねえ、ところで麟君」
「ん、何?」
そんな事を考えていると、空さんから声をかけられた。
「さっきも聞いたけど今年の豊作、麟君が何かしたんでしょ?何をしたのか、教えてくれないかな?」
……そういえば、そういう話してましたね。海姉さんが暴走したから普通に忘れてましたよ。
「そうだよ。最初は家の土地だけでやっていたんだけど、何年も続けて豊作になったの。 それで、こんなに続くのであれば凄い事だ!って父様が主導して村のみんなに教えたんだよ」
「へえ」
海姉さんが誇らしそうに胸を張りながら、空さんへそう言った。空さんは期待に満ちた視線を私に向けてくる。
……そんな風に見られても、たいした事話せませんよ?また溜め息を吐きたくなるのをこらえながら、平静を装って説明を始める。
「堆肥を使って地力を強くして、農薬を使って害虫を殺したんだよ」
「堆肥? 農薬?」
空さんが首を傾げながら、分からなかった単語を聞き返してくる。
「簡単に言うと、野菜くずとか、馬や牛の寝藁や糞、落ち葉なんかを土に埋めて掻き混ぜて、限界まで腐らせた物」
「それって、ばっちい物なんじゃ……」
「限界まで腐らせると、逆に臭いも汚さも無くなっていくんだよ。 家畜の排泄物を直接撒くよりはずっとマシだね」
人間の体に害となる寄生虫の卵や病原菌も、堆肥を作成する段階で発生する熱で軒並み殺せる。
これに関しては、目に見えない寄生虫の卵の事を話してもおそらく理解されないだろうから、言葉にはせず胸中にとどめる。
「話を戻すけどそうやって、そうやって作られた堆肥は地力を安定して回復、増強させることができるんだ。 だから、こうやって麦穂や野菜がたくさんできたんだよ」
あとは、貝殻を乾燥させて砕いて少量混ぜていたりもする。
「けど、それって牛糞とかを直接撒くのとは違うの? 材料に使われているなら、あんまり違いが無いと思うんだけど」
姉さんから来た質問に同調するように、空さんもうんうんと頷く。二人ともここまでの話について来れる上、疑問も持てるのか。頭も良いし、好奇心も強い。こういう部分が能吏になれる素養なのかなぁ。
まあ、さっさと質問に答えてしまおう。
「糞を直接撒くのは作物には強すぎる事があるんだ」
「強すぎる?強ければ強いほど効果がありそうな気がするんだけど?」
「いや、そうじゃないんだよ。 それだと作物にとって毒になってしまう事があるんだ。 人間だって、漢方薬を飲む時に、薬師やお医者さんに適切な物を調合してもらうでしょ。 それと似たような感じかな」
「あ、なるほど」
自分たちも医者にかかり、調合してもらった薬を使った事があるためか、すんなりと理解ができたようだ。
「そうやって糞を直接撒いてると、根が腐ったりする事があるでしょ。 ああいう状態になってしまう原因の一つが、糞を直接撒く事なんだよ。 まあ堆肥でも使いすぎると同じ状態になり得るから、気をつけないといけないけどね」
正確には糞を分解する際に発生する熱やメタンガスで痛むんだっけかな。あとは、窒素や有機酸が過剰に土中にあっても駄目だったはず。
「まあ、堆肥についての説明はこんな物で良い? 良いなら農薬について話すけど」
「あ、お願いします」
了解。とはいっても、こっちはあまり長々と話せる事はないんだよな。
農薬といっても、何も化学合成された薬品だけがそう呼ばれるわけではない。前世では、自然に存在している物を農薬として利用する事も多々あった。
「農薬っていうのは、アブラムシとか、作物を食べる虫を殺すのに使う物。 ほら、春から夏にかけて竹で作ったおもちゃで色々な液体をかけるようにお願いしたでしょ」
「あー、あの白く濁った液体とかかー。 あれ、服とかについてそのまま乾いちゃうと嫌な臭いがするんだよねぇ」
その時の臭いを思い出したのか、海姉さんが顔をしかめ、空さんが苦笑いを浮かべる。
誤解が無い様に説明しておくと、竹のおもちゃは水鉄砲。白く濁った液体は牛乳だ。牛乳を拭いた後の雑巾の臭いは人を殺せるに違いないと、前世の記憶から確信できる。
「まあ、臭いで殺すわけじゃないけど。 かけると簡単にアブラムシをまとめて駆除できたでしょ」
「うん、あの光景はちょっと凄かったね……」
「ちょっと夢に見そうな光景だったよね……」
二人ともちょっと顔を引きつらせている
まあ、大量虐殺に近いしなぁ。まして虫が苦手な女の子の場合にはきつい光景だろう。
中国において、牛乳は一部の地域を除いて常飲されるほど普及していない。そのため、農薬として使わせてくれないかと義父さんに打診し、数年の試用期間を経てようやく村全体で使用して良いと許可が出たのだ。
「あとはにんにくとか、トウガラシを水に溶いた物だね。 人に絶対かけないようにやってほしいってお願いした物がそれ。これは臭いで虫が来づらくなる」
「あれかー。 目に入ってボロボロ泣いてた子がいたね」
「うん、目が真っ赤になってたね」
「……後でその子の家教えて。 お詫びに行くから」
刺激物を目に入れたわけだから、視力とかに影響がある可能性も捨てきれない。んー、やっぱりこの辺は使い方をしっかり指導しないと危ないな。
「……まあ、お詫びは雨が止んだ後すぐに行くとして。 後は畑を囲うように植えた木。 あれも農薬に近い。 植えておくと、臭いで外から虫が来づらくなるんだ」
「あの背の低い木?
「うん。 あれは虫避けだけではなく、お茶にもできる。 それ以外にも、少量だけど油を取る事ができるし、料理の香辛料にも、薬にもなる。 凄く便利な木なんだよ」
「ふえー。 あの木、そんなに色々効果があるんだー」
迷迭香。これは西洋名でローズマリーと呼ばれる木だ。地中海沿岸が原産のはずなのだが、既に中国にも伝わっていたらしい。野生化していた木から挿し木を取って、畑の周りに植えた。多少世話が適当でも、どんどん大きくなっていくのも手間がかからなくて良い。
しかし、今植えている量では、村内で消費するだけで無くなってしまうだろう。もっと増やして、売り物にできるくらい作った方が良いかな。義父さんが帰ってきたら相談してみよう。
「今年やったのはそれくらいかな。 来年以降の話をするならば、休耕地を作らなくて済むように植える物と場所を計画し直す事と、ちょっと手間がかかるけど水路を引く事くらいかな」
ノーフォーク農業。休耕地を作らずに農業を続ける事ができるようなる画期的な農法だ。四輪作ができれば全体的な生産量が上がるし家畜を増やす余力ができる。
また、水場が近くなればそれだけ水を汲みに行く手間が省けるようになるから、地味ながら効率が上がる。ただし村の男手を借りなくちゃ絶対無理だから、この辺の領主である義父さんにやって良いか許可を取る必要があるだろう。
「駆け足で説明したけど、大体今回やった事は全部説明できたと思うよ」
「え? 麟君、色々作った道具は説明しないで良いの?」
海姉さんから、そんな質問の声が上がった。んー、1つ作るのに結構手間暇かかるから、村全体に普及させるの難しいんだけどなぁ。
まあ、空さんも期待の眼差しをこちらに向けてるし、説明するか。
……本当に知的好奇心旺盛だな。私も見習った方が良いんだろうか?
「土地を耕す時に使った三本刃の鍬(備中鍬)とかは省略するよ? あれは形を変えて、より深く掘れるようにしただけだし」
「うん、大丈夫」
「他にあるのは、収穫した後に使う千歯扱きと唐箕だね。 千歯扱きは、まとめて麦を脱穀できる道具。扱箸よりもずっと効率的に脱穀する事ができるんだよ」
ただあれはなぁ。
「けど、それって周姉さん達が困るんじゃない?」
「そうなんだよなぁ……」
海姉さんの言葉に、頭を抱える。周姉さんっていうのは、数年前旦那さんを賊の手により亡くした20代半ばの未亡人だ。子供たちに優しく、村の子供達にとって姉のような立場のため、みんな姉さんと呼んで慕っている。
この村には他にも、病気などで旦那さんを亡くしている女性が数人居る。基本的に脱穀は力仕事ではないため、未亡人の仕事とされている。そのため、脱穀を楽にできるようにしてしまうと彼女たちの仕事を無くし、自活能力を奪ってしまう事になる。
現在は、我が家に試作品が一台あるだけだから問題無いが、普及させてしまうと彼女達を間接的に殺してしまう事になりかねない。実際に、千歯扱きの別名を後家倒しって言ったりするからなぁ。
普及させるのは、周姉さんたちに他の仕事を提供できるようになってからの方が無難だろう。
「とりあえず、千歯扱きに関しては普及を保留しよう。 空さんも、そういう道具が有るって言いふらさないで欲しいんだけど……」
「うん、分かった。 内緒にしておくね」
「うん、ありがとう」
笑顔を作って感謝する。空さんはこういう時に絶対に嘘を吐かないから信用できる。
ん?何で、顔赤くなってるの?
海姉さんはまた機嫌が下降気味みたいだし。
「な、なんでもないよ。 それよりも、えーっと……唐箕だっけ?それの説明もお願いして良いかな?」
「うん。唐箕っていうのは、脱穀し終えた麦からもみ殻やわら屑を取り除く道具。 風を起こして、軽いゴミを吹き飛ばすんだよ。 ちょっと大型の道具になるから、どこかへ設置して村で共同で使えるようにした方が良いかもしれないね」
「……ちょっと想像するのが難しいかも」
空さん苦笑い。
まあそうだよなぁ、と私も苦笑いを返した。
「今度うちに遊びに来た時に見れば良いよ。 多分見たほうがずっと分かる」
「え……。 あ、うん! じゃあ今度遊びに行くね!」
空さんが凄く嬉しそうに返事をした。そんなに喜んでくれるなら、誘った甲斐があるって物だ。
私としても、海姉さんや空さんと一日中遊べるのは久しぶりだ。義父さんにその日は休むと伝えておかないと。
まあ、それは義父さんが帰ってきてから言えばいいとして。
「むー!」
「何で海姉さんは、突然そんなに不機嫌になってるのさ!」
さっきまで嬉しそうに空さんと一緒に説明聞いていたじゃないか。
なんで数分の間に機嫌が急降下してるの!?
空さんも頬に両手を当てて嬉しそうにしてないで、一緒に宥めて!
「空を遊びに来るように誘った!」
「は? そりゃ幼馴染だし、遊びに来るように誘うくらいするでしょ」
もう少しすれば思春期が訪れるから、その頃に疎遠になる可能性は捨てきれないが。現段階で距離を置く理由はまったく無いよ?
「海姉さんだって、空さんと遊ぶの好きでしょ? だったら家に誘っても良いじゃない」
「……え?私も居て良いの?」
「……え?居ないつもりなの?」
あえて海姉さんを仲間はずれにする理由が見当たらないんだけど。
そう伝えたら、途端に海姉さんの機嫌が上向いた。何だったんだろう。
しかし、今度は空さんがさっきまで凄く嬉しそうだった顔を、拗ねたように唇を尖らせてそっぽを向いていた。
え?何で?
海姉さん、なんでそんなにニヤニヤしながら自分も一緒に遊ぶ事を空さんに念押ししてるの?
ちょ、空さんそんなに涙ぐむほど悔しそうにプルプルしないでも!ほら、そんなに手を強く握り込んでたら血が出ちゃうから!
結局雨が止むまでの間ずっと空さんが落ち着くようになだめ、テンション高く空さんにちょっかいを出す海姉さんを止めるために全力を尽くす事になった。
なんで休みの日なのに、こんなに疲れてるんだろう……。
私はそう嘆息せずにはいられない、忙しくも疲れる一日を過ごすのであった。
最後までお読み頂きありがとうございます。
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