真・恋姫†無双 -糜芳伝-   作:蛍石

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遅くなりました。

第二十九話投稿します。

宣言していたとおり、黄巾の乱開幕です。
前回から二、三年後くらいの想定です。


青年期② -原作序盤-
第二十八話 Tie A Yellow Ribbon…… -会議は踊る-


 私、羊叔子は県城の廊下を歩きながら小さく溜め息を吐きました。

 元々人見知りをする私は、人前に出るのが得意ではありません。それなのに、これから多くの人の前で自己紹介をする事になると考えると、非常に緊張します。溜め息の一つも吐きたくなるという物でしょう。

 

「あんまり溜め息吐いてると幸せが逃げちゃうよ。 まあ、同じ癖がある私が言っても説得力無いけどね」

 

 どうすれば緊張を解せるでしょう。そんな事を考えながら歩いていた私へ、隣からのんびりとした、と表現したくなる口調で声がかかりました。

 隣へ首だけを傾けてみると、見慣れた男の人と目が合います。全体的に見るとそれなりに整っているけど、どこか地味な印象を与える顔立ち。それに柔らかい笑みを浮かべながら私を見ていました。

 仲が良い家族達の中でも、特に私が親しく感じている人。麟お兄ちゃんです。

 お兄ちゃんは、私にとって兄であると同時に学問の師でもあります。私が持つ知識の大半はお兄ちゃんの講義から授かりました。今こうして、この場に官吏として歩いているのもお兄ちゃんの教えが強く影響している事は明白です。

 私自身はまだまだ自分の事を未熟だと思っていますので、仕官をするにはまだ早いと思っているんですけど。

 

「そうは言っても人前に出るのは苦手だし緊張するよ」

「まあ数分の我慢なんだし、頑張ってよ」

 

 そう口にしながら、私の頭を手のひらで私の頭を撫でてきた。

 思わず猫の様に目を細めて、お兄ちゃんの手のひらの感触を歩みを止めないまま享受してしまいます。

 まるきり子供扱いなのですが、お兄ちゃんにされるのは嫌ではありません。きっと昔からされ慣れていたので、感覚が麻痺してしまっているのでしょう。他の人に同じ扱いをされると反発をするのですが。子供ではなく、自分は大人だと考えている複雑な年頃なのです。

 しばらくするとお兄ちゃんは手を戻してしまいました。少し残念です。

 

「それじゃ、行こうか。 まあ、仮に挨拶に失敗しても誰も気にしないよ」

「私が気にするよ……」

 

 がっくりと項垂れながら思わずそうこぼします。

 お兄ちゃんは苦笑しながら言葉を継ぎました。

 

「そうじゃなくて、例え失敗しても誰も覚えていない、といった感じかなぁ」

「えっと……?」

 

 いまいち言っている意味が分からないんだけど。

 それじゃあ、自己紹介をする必要は無いんじゃないかな。

 そこから先は説明をする気が無いようで、お兄ちゃんはどこか楽しそうにしながら答えをはぐらかし続けました。

 もっともその意味は、この後嫌でも分かる事になるのですが。

 

 ようやく目的地である部屋に到着しました。扉の脇には兵が二人立っており、お兄ちゃんと一緒に会釈をしました。

 お兄ちゃんは扉の前で立ち止まり、私の方を見ました。

 

「心の準備は良い?」

 

 来るまでの間にお兄ちゃんと話していたので、大分緊張は解れています。ですので、私はお兄ちゃんへ無言で頷きを返しました。

 

「それじゃ、行こうか」

 

 お兄ちゃんは満足そうに頷いた後そう言いました。

 その言葉に反応し、兵達が扉を開けました。

 開いた扉から先にお兄ちゃんが入り、私はそれに従い付いて行きます。ここから先は主従として接する必要があるので、お兄ちゃんの前や横を歩くわけにはいきません。

 ……お兄ちゃんはまったく気にしなさそうではありますが、私が気にしますしお兄ちゃんの配下の方々が気にします。子瑜さんとかその辺りかなり厳しい人ですから、後で大変な目に遭う事は簡単に想像できます。

 というより、お兄ちゃんにもその辺りの礼法をもう少し大事にして欲しいと常々思っています。お兄ちゃんの場合、知らないわけでもできないわけでもなく、面倒くさがってやらないだけなのですから。

 

 思考が脇に逸れている事に気付き、慌てて打ち消します。

 入った部屋の中の真ん中には、十人ほどの人間がかける事ができる机と椅子が置かれており、上座に当たる二席を除いて既に埋まっています。お兄ちゃんが部屋に入ると同時に全員が席を立ち、拝礼をしました。

 お兄ちゃんはその机の前で歩みを止め、座っている人達の方へ向き直り拝礼を返します。当然私も一緒に止まり、拝礼を行います。

 

「おはようございます。 席に付いてくれて良いよ。 それじゃ定例会議を始めるけど、その前に今日から新しくここに仕える事になった者に挨拶してもらおうと思う」

 

 その言葉と共に、お兄ちゃんは私を見ました。その視線を受けて、私は改めて席に付いている面々の顔を見渡しながら言葉を作ります。あ、空さんがこっちを見て小さく手を振ってくれてる。

 

「本日より琅邪(ろうや)(きょ)県の県尉に就く事になりました羊叔子と申します。 まだ若輩の身ではありますが、どうぞよろしくお願い致します」

 

 そう言って頭を下げると、パチパチと拍手の音が鳴り響きます。無事に噛まずに挨拶が出来た事に安心しながら、私は顔を上げました。

 今日一番の憂鬱な事はこれで解決したはずです。

 

「今聞いたとおり、先日莒から陽都へ異動になった子義殿の後任として着任する。 軍事と治安の統括をお願いする事になるので、各々心得ておくように。 それじゃ、天明。 空いている席に座って。 お勧めはそこのお誕生日席」

「折角だけど遠慮させて頂きますね」

 

 しれっと一番の上座を勧めるお兄ちゃんへ澄ました顔で固辞の言葉を返してから、私はもう一つの空いている席に座ります。お兄ちゃんもその様子を見て苦笑しながら、上座に座りました。

 位置としては、角を挟んで右隣にお兄ちゃん、真正面には空さんが座っている。席次は地位によって場所が決まっているのでしょう。(ここ)の県長であるお兄ちゃんが一番の上座。次席には県丞である空さん。その次に県尉である私が続く事になります。

 予想はしていましたが、昔からお兄ちゃんに仕えている方を差し置いての県尉の就任。どうしてこうなったのかなぁ、と思わず漏れてしまいそうな溜め息を押し殺します。

 それ以外に座っている方を確認すると、お兄ちゃんの義兄妹である子瑜さん、お弟子さんである恵さん、数年前にお兄ちゃんが迎え入れた子布さんと子綱さんのご兄妹となります。今は私が着いている席には、以前は子義さんが座っており、この六人がお兄ちゃんの腹心となっていました。

 今はここに私を含めて七人しか居ませんが、一月に何回かは有秩(ゆうちつ)の方や徴税を司る役人等を呼ぶらしのですが、今日は腹心のみでの会議となります。

 

「それじゃ、いつもどおり(・・・・・・)実りのある議論をするとしようか」

 

 どこか楽しそうなお兄ちゃんがそう口にすると、今まで静かだった場は途端に喧騒に溢れる事になりました。

 

 ……会議が始まって十数分。たったそれだけの時間だったにも関わらず、思わず圧倒されて呆然としてしまいました。朝廷で行われている朝議にしろ、郯で行われていた会議にしろ、ここまで大声を張り上げながらする事はないでしょう。

 良く言えば活発、悪く言えば騒がしいと言ったところでしょうか。少なくとも儒教で教わる礼法では、主君に当たる人物へ指差しながら非難するという物は無かったと思うのです。無礼討ちにされてもおかしくないその行動をしている子布さんも、それを笑いながら聞いているお兄ちゃんも色々とおかしいと思うのです。

 先ほど、仮に私が挨拶に失敗しても誰も気にしなくなると言っていたのはこの事ですか。確かにこの勢いでは、私が多少の非礼をしたところで誰も気にしなくなるでしょう。

 

「ですから! これ以上難民の受け入る事はできません! 税収よりも支出の方が多くなりますぞ!!」

「それは認識はしているけど、受け入れなかったとしても存在が消えるわけじゃないよ? 近隣に残る事になるし、一部は賊徒と合流するだろうから治安が悪化するだろ」

「そのような輩は、領内に入れても騒乱の種となって治安が悪化するでしょう!」

 

 両者ともに口調こそ激しいですが、話している内容は極めて真っ当です。

 

『徐州は豊かであり、食べる物に困らない』

 

 このような噂は十年前ほどから絶えず流れていて、多くの賊に襲われた近隣の民達は徐州に庇護を求めに来ました。陶州牧様も積極的に流民達の受け入れを行った事で州の力が蓄えられて、ますます豊かになっていくという好循環を実現してきました。

 余談となりますが、父母を賊に殺された私や、賊の勢い著しい青州から逃れてきた空さんも元々流民として徐州に入ってきた経緯があります。

 ところが最近は、黄巾党と言われる大規模な賊徒が発生した事で難民達の数は激しく増えました。そのため、今までは受け入れる事ができていた難民以上の数が徐州に押し寄せてきており、受け入れが難しくなってきています。難民達が生産力を発揮するまでの間、食べ物や住むところの世話をする必要があるためお金がかかるのです。莒県では、その収支状況が難民受け入れにより悪化しており、既にギリギリになってしまっているという事なのでしょう。

 さらに、難民達と元々の住民との間に諍いや衝突も起きています。その結果、住民達に不安が広がっており治安の悪化が予想されます。人が増えたからこそ起きる問題とも言えます。

 

 さて目の前の議論ですが、どちらの言う事にも一理あります。

 仮に受け入れを行わなかった場合には県の収支は維持できるかもしれませんが、隣の県や近隣の州である青州、兗州に迷惑がかかるかもしれません。さらに、そういった難民達が賊徒と合流してしまった場合、大規模な反乱となって討伐が困難となる事が考えられます。

 しかし、このまま無制限に受け入れ続ける事ができない事も確か。さらに、対応次第では州内で反乱を起こす事も考えられます。

 あちらを立てればこちらが立たず。実に難しい問題です。

 

「まあ、現実問題として受け入れは必須だよ。 特にこれからしばらくは大規模な軍事行動は控えなくちゃならない」

「……県尉の交代が原因ですか」

 

 うん。それは私も考えていました。子義さんから私に責任者が代わった事で、一時的に軍事が麻痺してしまうだろうと。

 兵を率いる者にはそれぞれ指揮する時の癖があります。大雑把に分けてしまえば、自分自身が前線で戦いながら指揮をする猛将型と後方で指揮に徹する知将型です。

 徐州では、前者は宣高さん、文嚮さんの二枚看板や子義さんが代表格でしょう。後者はお父さんや陶州牧さま、義兄さんや子瑜さんが当てはまるでしょうか。

 私も後者の知将型になります。猛将型だった子義さんから知将型の私に指揮官が代わる事で、兵達の陣形や戦術を大きく見直す必要が出てきますし、私も兵達に信用を得なくては指揮がままなりません。そのためにはどうしても調練に時間が必要になるため、その間は行軍を行う事ができないのです。

 県長であるお兄ちゃんが兵を率いればそういう問題は起きないのですが、その間お兄ちゃんが決裁を下さなくてはいけない案件が完全に止まってしまいます。その状態が数ヶ月間続くとなると、もしかしたら難民を受け入れる以上の損失を出すかもしれないので、本当に最後の手段となります。

 

「そう。 だから短期制圧を見込めない可能性が高い以上、反乱を誘発する事は可能な限り避ける必要がある。 長期化したり、他県で略奪なんか始められたらそれこそ責任問題に発展するよ。 最悪、隣に住む姉さんに怒鳴りこまれるぞ」

「それはそうかもしれませんが……」

 

 海お姉ちゃんは現在陽都の県長となっています。私達が今居る莒県とは目と鼻の先と言っても良いくらい近い場所です。お兄ちゃんの県長就任とお姉ちゃんの県長就任には、色々と面倒くさい事情が絡んでいたりもするのですが割愛します。いつか語る事もあるでしょう。

 

「天明。 調練にどれくらい時間が欲しい?」

「最低一月。 確実を期するのであれば二月欲しいところです」

 

 お兄ちゃんからの質問に即答します。来るだろうと思っていた質問だったので、事前にどのくらいかかるかを考えておいた甲斐がありました。

 現在の兵の錬度次第でもありますが、大体そのくらいでできるだろうと予測しています。もっとも、子義さんが県尉をやって鍛えていた兵達ですので柔弱という事は有り得ないでしょう。ですので、一月あれば必要な錬度に達する事ができるでしょう。

 また、ある程度まで錬度が達すれば、逆に積極的に軍事行動を起こして経験を積む必要が出てきます。ですので、その間に行軍に耐えうるだけの状態まで持っていくのが当面の職務となるでしょう。

 

「それじゃあ、一月の間は難民の受け入れを止めない事にするよ。 それ以降に関しては、また議論しよう。 結論の先延ばしかもしれないけど、現状だとやむを得ない。 幸い、県には先年からの蓄えがあるからそれを放出すれば即座に破産はないでしょ。 いざとなれば州牧様なり国相(こくしょう)様に頭を下げるさ」

「……御意に。 ですが、受け入れを続けるとなると、治安がますます悪化していく事が考えられますぞ。 そちらはどう対応致すおつもりですか?」

 

 子布さんがそう質問します。

 多くの難民を受け入れるので、県の外に大規模な賊徒は生み出さなくなりますが、県の内側に不満分子を呼び込む事になります。確かに治安への対策は必要となるでしょう。

 お姉ちゃんに子義さんと兵を貸して欲しいと言えば二つ返事で貸してくれそうですが、陽都の守備が緩むのでそれはできません。

 

「それなんだけど、解決の糸口になるかもしれない事がある。 ちょっとみんなの意見を聞かせて欲しい。 恵、この間見せてくれた資料出してくれ」

「承知しました、師父」

 

 そう言うと恵さんは、机に丸めていた紙を広げました。それは琅邪国の地図で、色々と恵さんが書いたとおぼしき走り書きが至るところに入っています。

 

「私は農政を担当しているので、琅邪国内の他県も巡る事が多いんです。そこでも何度か争いや揉め事が起こっているのを目にしました。それを纏めるように師父に命じられて、そういった事が増え始めたここ一年での住民同士の衝突や小規模な反乱について纏めたのがこの地図です」

「丸で囲っているのがそういった事が起きた集落、日付はそれが発生した日ですよね? ……こうやって見ると北部で多く起こっています?」

 

 子瑜さんの言葉を聞いて改めて地図を見ると、確かに北の方で多く丸が付いているのが分かります。北部を中心に発生していると言われれば、なるほど確かに、と思います。

 では何が起きて、そうなっているのでしょうか?

 これを解決すれば、問題の一つである治安の改善に繋がる。そう言われた以上、全員が集中して地図を眺めるのも当然と言えましょう。

 

「扇動ですか?」

「その可能性はあるけど……途中でいくつか集落が飛ばされているのが説明つかないんじゃないかな?」

 

 子綱さんがそう疑問を口にして、それに空さんが指摘をします。

 

「そこなんだよね。 扇動者が入ってきてやっていると仮定すればある程度は納得できるんだ。 けど、空さんが言ったように、いくつか村が飛ばされたり、人口が多い町を無視したり、理屈に合わない動きをしている部分も見られる」

「治安が良かったため扇動に失敗したと考えれば……いや、駄目か」

「はい、兄様。 開陽でも諍いが起きているので、治安はそこまで問題ではなさそうです」

「さらに付け加えれば、扇動を疑って街道から外れた場所の巡回回数を増やしたんだけど、不審人物は特に見つかっていない。 堂々と街道を使って動いていれば関所で捕まえられるだろうから、あえて街道を外れて移動していると思ったんだけど」

 

 開陽は琅邪国の行政府があり、人口が多い分治安維持にも注意を払っているので、治安はかなり良いです。なので、張兄妹が口にしたように、治安状態もあまり関係がなさそうです。

 

 みんなして地図を見ながら思うところを口にしていきますが、いまいちこれ!と言う意見が上がりません。

 私も地図を眺めて色々考えては、打ち消していきます。そんな風に時間が過ぎる中、ふと気づく事が有りました。

 一見何の脈絡も無しに集落で問題が発生しているように見えますが、ある視点から見れば説明がつくような気がします。

 私の左隣に座り、会議の記録を取っている子瑜さんの方へ顔を向けます。

 

「子瑜さん、筆をお借りしてよろしいですか?」

「? 構いませんが、どうするのですか?」

「ありがとうございます。 恵さん。 これに書き込みをしても大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫ですけど……。 何か思い付いたので?」

 

 二人に許可を取った上で筆を持ち地図に書き込みをしていく。

 拠点と拠点の間を線で結んでいく。最初の起点は徐州の北部、もっとも日付が古い場所に取る。その際無視する箇所には付けないように気を付けて、日付順に点を結んでいき、終点を開陽にして一本目の線を描き終える。そうやって一本の線を描いた後、同じように二本目の線を描いていく。

 

「……ああ、なるほど」

 

 そうやって線を書いていく途中でお兄ちゃんが声を漏らしました。

 二本目の線を引き終えて、私は筆を置いて口を開きます。

 線を辿っていくと、青州に近い町から開陽に向かい、また開陽から北に戻る。そういう風に動いているように見えます。

 

「おに……県長様は気づいたみたいですけど、これは徐州を巡る行商人の経路じゃないかと思います」

 

 この件に関する想像を箇条書きで挙げると以下になります。

 

 一.扇動者は行商人に扮しており、まずは青州以北から琅邪国に入ってきて、南下しながら開陽まで行商を続ける。

 二.開陽から折り返すように反乱地域が北上していったのは、別の巡回路で行商をするため再び北へ移動していくから。

 

 徐州独自の政策もこの動きは関係しているのでしょう。

 徐州で産業の保護政策として(こう)と言われる組織を作っています。簡単に言うと、職人や商人など、同じ職種の者同士が集まって作る物で、商家同士が集まってできた行も存在します。

 その商家の行では州公認の組織として認める代わりに、『行商は徐州中を巡る事』を州府より要請されています。この巡回路は行内で誰がどの地区を回るか決めており、一ヶ所に複数の商人が集中しないようになっています。

 

 そう考えれば、一部飛ばされている場所がある理由もある程度説明がつきます。

『自分の行商の経路に含まれないから』でしょう。

 

「そう考えれば、街道の外れを警備させても尻尾を掴めなかった事を説明できます。 行商人として、堂々と街道を移動しているのでしょう」

 

 おそらくこの予想は大きく外れていないだろうと思います。ただ、一点気になる事があるのも事実です。

 

「ただ、私の記憶が確かだったらですけど、行商経路に含まれているのに飛ばされている場所もあります。 ここ、それからこの辺り一帯です」

「羊県尉は徐州の行商路をすべて把握しているので?」

 

 指でその場所を指し示しながら、私はそう言葉を作ります。

 それに対して、驚きと呆れが混ざったような声でそう子綱さんに問いかけられました。

 

「すべて、ではないです。 移民の受け入れで絶えず集落が増えているのが現在の徐州の状況ですので、巡回経路も頻繁に変わっていますし」

 

 お兄ちゃんの手伝いをするに当たって、行商の経路を押さえておく事は重要だったので常に最新の状態を確認する癖は付けています。今回はそれが役に立ちました。

 続いて子瑜さんから質問が来ました。

 

「けど叔子。 そうすると、飛ばされた集落が存在する理由は何なのですか?」

「そこまでは分かりません。 商品が無くなったため開陽まで向かったのかもしれませんし」

「それだと、飛ばされた地点から開陽までに寄っている理由が検討つかないよ」

「売る物がなくても、特産品の買い付けのために寄ったとか……」

 

 続けて向けられた空さんからの質問へそう答えを返しますが、自分でもあまり自信がありません。

 そこにお兄ちゃんから声がかかりました。

 

「いや、多分違うと思う。 そこにも寄ったんだけど、何も起きなかったんだろうね」

「麟君、どういう事?」

 

 空さんが不思議そうにそう言いますが、お兄ちゃんは顔を上げずに地図に注目して考え込み続けています。

 そのまま三分ほど無言で考えた後、多分こうかなと呟いて顔を上げました。そして、私達全員を見渡して言葉を作りました。

 

「多分、天明の言ったとおり行商人か、それに扮した者が扇動者になっているのは間違い無いと思う。 天明が補足として言った、巡回経路なのに特に何も起きていない地点。 そういう場所はここ数年で受け入れた移民達で作った集落だよ」

 

 そう言われて地図を見直すと、確かにお兄ちゃんの言う通り比較的最近できた集落がそれに当てはまりそうです。しかし、それはそれで疑問が出てきます。

 

「けど師父。 扇動をやりやすいのは、最近移住してきた方々に対してではないでしょうか? 昔から住んでいる民ならば、少なからず為政者へ忠誠心を持つ物でしょう?」

「それに対して、最近来た者達はその忠心が薄い。 確かに伯侯殿の言う事に一理ありそうなのですが」

 

 私と同じ事を思ったのだろう。恵さんと子布さんから質問が飛びます。

 それに答えたのはお兄ちゃんではなく、空さんでした。

 

「ううん、そうじゃない。 多分私の家族達と同じ。 そういう事なんだよね、麟君」

 

 空さんはお兄ちゃんに確かめるようにそう問いかけます。

 お兄ちゃんは顔に苦笑いを浮かべながらも頷き、空さんに続けるように促しました。

 それを受けて、空さんは言葉を続けます。

 

「私も元々は青州から逃れて徐州に住み着いたんだけど、やっぱり色々と気を使うんだよ。 追い出されてしまったら、また放浪しなくちゃいけないし、徐州みたいに良い条件で受け入れをしてくれるところって無いから。 私の父も受け入れ先の地主だった子伯様に頭が上がらなかったし」

「いや、姉が色々と無茶をしたようで……」

 

 お兄ちゃんが冗談めかしてそう口にしながら、頭を下げる。空さんはそれに対して苦笑を浮かべるに留めた。

 その話は私も何度か聞いた事がある。

 空さんとお姉ちゃんが出会った時、空さんがお姉ちゃんに無礼を働いたと誤解した空さんのお父さんが空さんを叱ったらしいです。

 その背景には、あの村の土地が糜家の私有地であり、申し出を白紙にされて追い出されては敵わないという事がありました。

 なるほど。今回の件もそれと同じ風に考えれば、移住してきた人達はおとなしくすると考えられます。不遇な扱いを受ければ話は別でしょうが、徐州では収穫があるまでの免税や、道具や食料、種籾(たねもみ)などの貸与など、移民達に対して至せり尽くせりといった対応を行っています。

 その上、優秀な人物は官吏に登用するとも宣言しているわけだから、わざわざ反抗する必要はないでしょう。実際に移民してきた空さん、文嚮さん、私など、中央から官職を与えられている例が有るわけですから説得力があるはずです。積極的に従う事を選ぶのではないでしょうか。

 他の方も合点がいったのか、納得の表情を浮かべています。

 

「なるほど。 移住してきた者達が問題では無いのですな。 では、騒乱を起こしているのは昔から徐州で暮らす中で、不満を持った者共という事で?」

「おそらくは。 ただ、その不満も何事もなければ(くすぶ)るだけだったんだろうね」

「それを煽って大火にしようとしている者が問題という事ですな」

 

 子布さんとお兄ちゃんが言葉を交わします。お兄ちゃんが少し苦い表情をしているのが気になります……。

 ですが子布さんの言う通り、扇動者を捕らえなくてはいずれ大規模な反乱が起こりかねません。

 

「それじゃあ、行商に化けていると思われる扇動者を速やかに捕らえる。 そのために関所での通行に一層の注意を払うという方針で進めようと思いますが、良いですよね?」

 

 一応私は治安維持を担当する県尉なので、そう口にする。実際には指示を出すだけで、私は兵達の調練に集中するつもりですが。

 ですが、それにはお兄ちゃんから待ったがかかりました。

 

「そんなに単純に済む事じゃ無いと思うよ。 行商人の振りをしているだけなら、何処かで存在が露呈していたはずだし。 割符(わりふ)を手に入れれば関所を越えるのは難しくないけど、巡る集落からすれば、今までと違う人が突然来れば疑問に思う。 そこから行なり商会に問い合わせが発生すればすぐにバレるよ。 それが無いという事は、よほど顔が似ている人物にやらせていない限り無理じゃない?」

 

 そこで言葉を区切り、お兄ちゃんは難しい顔をしながら腕を組みました。

 

「というか、そもそもさ。 仮に私がここにいる誰かに、行商人に化けて諜報活動しろと命じたとしてさ、馬鹿正直に巡回経路どおりに動く?」

 

 お兄ちゃんは、そう言って私達の顔を順に見ました。

 ……言われてみれば、そういう行動はしないでしょうね。

 どうせ諜報が終わればそこから離れますし、目的地への最短経路のみを進むと思います。

 諜報にかける時間が少なければ少ないほど、出会う人が少なければ少ないほど、バレる危険性は低くなるのですから。

 

「となると、この相手は扇動をするために行商人のふりをしているのではなく、行商を主目的として動き、結果的にその場所で不満を煽っているの?」

「多分。 もしかしたら、自分がしている事が扇動になっているのに気づいてすらいないのかも。 身を隠すでもなく、あまりにも堂々としているし」

 

 空さんからの質問にお兄ちゃんが答えました。

 確かに、あまり自分の存在が露見しないように気を付けているように見えません。

 

「けど、そんな事ありえるのですか? いくら不満が燻っている相手とはいえ、明確な悪意を持って扇動しないと行動を起こさせるのは難しそうなんですけど」

「……話しているうちに、一つ思い当たった事がある。 軽く話せてしまうような何でもない噂話でも、聞いた人が大きな反応を返す可能性のある物が」

 

 子瑜さんからの疑問に、お兄ちゃんは心底苦々しい表情を浮かべながらそう答えました。

 

「それを話す前に、ちょっとここで情報を整理しようか。 藍里、筆と紙を貸して」

 

 そう言って藍里さんから筆を借りて、箇条書きで今までに出てきた話をまとめ始めました。

 

 一.発生している順番は行商の巡回経路の二つに合致する。

 二.扇動者(以下甲とする)は行商経路である徐州内の街道を利用して拠点間移動をしていると思われる。

 三.甲に煽られていない拠点は、比較的最近できた集落。これは、移民達が徐州から放逐されないように自重したため?

 四.三から消去法で考えると、甲が扇動に成功した拠点は古くから徐州にある集落と想定される。実際に地図上からもそれが読み取れる。

 五.甲は行商人に化けた偽物ではなく、本物の徐州の商人である可能性が高い。行商のふりをして扇動しているのではなく、行商のついでに扇動していると思われる。

 

 こんなところかな、と呟いてお兄ちゃんは筆を動かすのを止めました。

 うん。今まで話した内容が良くまとまっていると思います。

 

「で、ここに追加で情報を加えると」

 

 六.開始地点が徐州の内地に近い南側ではなく、青州と接する北側である。

 

「これは良いよね? 天明の引いた線でも分かるように、日付が一番古いのは北側だし」

 

 お兄ちゃんからの確認の言葉に、席に着いている全員が頷きました。

 

 七.甲は青州より北を巡っていた可能性がある。

 

「これは、戻って来たのが琅邪国の北部からだから?」

「うん。 青州以外から戻ってきたら、別の場所から戻ってくるだろうね。 まあ、最低でも?州から青州に入ってから戻って来た事は確実だね」

 

 お兄ちゃんは一旦言葉を止めましたが、すぐに口を動かし始めました。

 

「追加で書いた部分から察するに、甲が扇動を始めたのは徐州の外から戻ってきた後。 これは、それ以前に騒ぎが頻発していない事からの推測。 では、外に出ている間に甲に何があったのか」

 

 お兄ちゃんはそこまで話して、大きく一つ溜め息を吐いた後、情報をまとめた紙へ再度筆を向けました。

 喋りながら何かを書いていきます。

 

「徐州より北で発生していて、人を熱狂させ、暴力的行動を起こさせる物。 多分これなんだろうね」

 

 そう言ってお兄ちゃんは、紙の一番したに筆で八つの文字を書きました。

 みんな息を飲んでその文字を見つめます。その文字は、最近ではよく耳にするようになった物。しかし、私達のように官吏として仕える者には受け入れられない物です。

 その様子を気にかけず、苦い顔をしたままお兄ちゃんは私達に指示を出し始めました。

 

「空さん、すぐに開陽に出立して。 商家の行で、この日付の前後に各地を回っていた行商人の身元を確認をお願い。 時間をかけたくないから藍里も補佐として一緒に向かって」

「承知しました」

「分かったけど、その場に居たらすぐに拘束してしまって良いんだよね?」

「問題無いよ。 むしろ積極的にそうして。 私は州牧様に手紙を書いて注意を喚起する。 それから、開陽以外の近隣の県には直接説明に向かう事にする。 悪いけど、恵達は残って政務を進めて」

「承知しました」

 

 そこまで言って、お兄ちゃんは私の方へ向き直りました。

 

「天明は空さん達の護衛を選定。 子義の引き継ぎ資料に使えそうな人材をまとめさせたから、そこから選んで」

「了解しました。 けど、お兄ちゃんは?」

「……ああ、そうか。 いつも護衛を頼んでいた子義は居ないのか。 じゃあ、私の護衛も一緒に選定して」

「了解です」

 

 子義さんがまだ配下に居るとボケていたお兄ちゃんへそう返事をする。

 

 お兄ちゃんから矢継ぎ早に出された指示により、慌ただしくみんな部屋から出ていきます。

 私は最後まで部屋に残っていましたが、お兄ちゃんが最後に記した文字を部屋を出る前にもう一度見直しました。

 

『蒼天已死 黄天当立』

 

(このお兄ちゃんの危惧が当たっていたとしたら、どう考えても厄介事に繋がるよね)

 

 そんな感想を抱き、心中で溜め息を吐きながら部屋を出て扉を閉めました。

 どうか、これがお兄ちゃんの勘違いでありますように。

 そんな風に祈らずにはいられませんでした。




最後までお読み頂きありがとうございました。

これだけ書いても結構削ったといふ。

削って分かりづらくなった部分に対して少し補足します。
まずは移民達の態度について。

「黙っていても待遇は悪くない。 下手に騒げばまずい事になる。 なら大人しくしておこう」
移住者達はそう考えているので、大人しいです。それに、徐州がかなり自分達を手厚く扱ってくれているのが分かるため、結構忠誠が高い状態です。
もっとも、それに甘えて都合が良い要求ばかり通そうとすれば、軍が動いて排除されかねません。
基本的人権の無い時代、命は吹けば飛ぶのです。

逆に、昔から住んでいる人間で不満が高いのは、財産を継げない三男以下の男です。
「あいつらに土地をやるくらいなら、俺らに寄越せ!」と言ったところでしょう。
まあ、貸与であって贈与ではないのですが、彼らには些細な違いです。
二十年ほど前に、日本車をハンマーでぶっ叩いていた米国の自動車業界関係者とか想像すれば分かりやすいでしょうか。
麟が苦い顔をしたのも、元々の原因が徐州で推し進めてきた民屯政策である事に気づいたからです。政治は難しいですねー(棒

この時点で麟は黄巾を宗教勢力として見ています。なので実際はどうあれ、人々に強い影響力を与えるだろうと思い、可能性を指摘しました。
けど、実際には多分こんな感じ。

『いやー、聞いてくれよ。 冀州ですっげー可愛くて、歌の上手い子達がいてさー。 俺、好きになっちゃったよ。 それよりも、その子達の取り巻きに言わせれば、もうすぐ漢王朝滅びるって言って武装しているらしいんだよ。 物騒な世の中だよねー』
「マジか、パネェw 今の内に下に付いておけば、良い目見せてもらえるだろうし、成り上がってビッグになれるんじゃね? 働くのだるいし、参加してみようぜwww」

こんな連中が集まって、どうせ漢が滅びるんだったら今略奪しちゃおうぜ、というノリで行動して反乱とか騒動を起こしています。時は正に世紀末ぅ!!

ただ、積極的な移民受け入れにより、青州黄巾フラグは叩き折っています。食い詰めても、黄巾に参加する前に徐州に集めて、衣食住を保証して回っているので、大勢力にならないんですね。多分、将来的に一番割りを食うのは青州兵がいなくなる曹操。

今回出てきたキャラの役職状況はこんな感じ。
莒県
麟……県長(県のトップ)
空……県丞(県のNo2)
天明……県尉(県の治安担当 警察署長)
藍里……主簿(麟の私設秘書)
伯侯……民政担当官
張昭……財務担当官
張紘……司法担当官

陽都県
海……県長
大史慈……県丞

ご意見・ご感想等ございましたら、記載をお願い致します。

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