『諸葛子瑜様へ』
その宛名が入った手紙が、数ヵ月前に義兄となって頂いた麟義兄さんより届いた。
その事に例えようもないほどの安堵を感じて、胸を撫で下ろす。
その後にじわじわと喜びが沸き上がり、胸を多幸感が満たしていく。義兄さんからの手紙を両手で胸に当てて、動悸を鎮めようと試みる。
この手紙が届くまでの間、義兄さんがこの家で看病してくれていた日々が、麻疹の熱でうなされて見た夢だったのではないだろうかと不安に思っていたのだ。流石に「私が義兄さんと真名の交換をしたのは現実だったのか」と妹に確認する度胸は無かった。勘違いだったら傷心でまた寝込みかねない。
そのため喜びもひとしおという物だ。これくらいの感情の揺れはしょうがない物だろう。
どう考えても、義兄さんに真名を交換して頂いたあの日、私は熱で頭がどうかしていた。思い出すだけで奇声を上げながら寝台に潜り込んで頭を抱えて転がり続けたくなる。はしたないのでやらないが。
あの時、同じ部屋にいた皆は私の突然の申し出に、実際に私が真名を捧げた義兄さんはもちろん、朱里達でさえ一様に驚きに満ちた顔をしていた。私が家族と将来の伴侶以外の者へ真名を捧げるとは思っていなかったのだろう。
それを見て、一瞬で熱で湯立っていた頭が冷えた。
すぐに自分が何を口にしたのかに気づき、血の気が引いた。拝礼の姿を取り続け、顔を伏せていたから気づかれなかっただけだ。恐れから来る体の震えは全力で止めた。
誤解の無いよう明言するが、義兄さんに真名を捧げた事と義兄妹となって欲しいと申し出た事に対しては、何一つとして偽り無い私の気持ちだ。
しかし、なんの根回しも無くいきなり真名を打ち明け、義兄妹となって欲しいなどと言い出したのは如何な物だろうか。
どう考えても私が理想としている真名の交換とはほど遠い、節操の無い振るまいです。本当にありがとうございます。
簡単ではあるが、過去と現在の真名の扱いの違いについて補足しておこう。
現代の真名の扱いは、過去に比べて非常に軽くなっている。残っている風習としては、真名を捧げた相手以外が呼ぶ事は許されない事くらいではないだろうか。
しかし高祖の時代まで遡らず、光武帝以後の時代であっても、真名を捧げる事は今よりも非常に大きな意味を持った。それこそ、夫婦の仲であっても真名を渡すに及ばぬと判断されれば互いの真名を知らない事すら有ったと言う。
しかしここ数十年は、同じ志を持った者が結び付きを固めるため、主従関係を結ぶ際の信用を表すため、もっと不埒な例を挙げれば異性の気をひくためなど、比較的簡単に真名を捧げるようになっている。
しかし諸葛家のように、元帝の頃まで家系を遡れるような古い家だと、昔のままの真名の扱い方が残っている。
その薫陶を受けている私が、真名を家族以外の者、それも出会って数日しか経っていない方へ捧げるというのは、非常に異質な行動に映っただろう。
実際に、子山殿は無二の親友と言っても良いくらいの間柄ではあるが、真名を捧げていない。
本当は、義兄さんにもっと私の事を知っていただいた上で申し出るつもりだった。
しかし、そんな事を忘れてしまうほど彼の行いに心を惹き付けられてしまったのだ。
自分を捨てた家に対して復讐を企てる者は、この町だけでも掃いて捨てるほどいるだろう。しかしそれを許すどころか、その家の縁者へ自ら支援を申し入れる者がどれほどいるだろうか?
それだけではなく、病気に倒れたその家の子供を忌避の態度を見せずに抱きかかえて、治療方法を惜しげもなく教え、治療のための物資がその家で足りないと見ると、私財から惜しみ無く提供してみせたのだ。その知、徳、果断さを備えている者はおそらく数えるほどしかいないだろう。あの謙虚な人柄を持つ義兄さんはそんな事無いと否定するだろう。しかし私にとっては、彼が生まれた時に流れた仁獣の生まれ変わりという噂を信じるに足る行動、態度だった。それほどの人物は、中華全土を見渡しても一握りしかいないだろう。
そんな事を熱に浮かされた頭で考えていたら、自然と体が動いてしまったのだ。それほど彼のあり方は、この乱れた世の中で輝いて見えたのだ。熱に湯立った頭で冷静な判断ができず、自制心が脆くなっていた状態では、私の心情が表に出てしまってもおかしくはない・・・と思う。
あの時の事を思いだし、再び羞恥で転げ回りたくなるのを意思の力を総動員して押さえ込む。
仮に、義兄さんが私の真名を受け取ってくれなかった可能性を思うと、恐怖に体が固まる。本当に受け取ってもらえて良かった。
真名を捧げるのは自らを捧げるに等しい行為であるが、それを受け入れるかどうかは相手側に選択肢がある。
もし受け入れて貰えなかった場合、捧げた者にとって物凄い恥辱となる。実際に新が滅んだ理由の一つとして、王奔が長年仕えた忠臣の真名を受け入れないという、不要な辱しめを与えて離反を招いた事などが挙げられる。その他に高祖が漢建国後の粛清劇も、粛清された人々と心が離れた原因が真名だったのではないかという説すらあるほどだ。
しかし今回の場合は、長く付き合いのある相手でも無いのに、私から突然申し出ている。私をよく知らない事を理由に断られても仕方がないのだ。
幸い義兄さんは驚きから立ち直ると快く私の真名を受け入れてくれた。その上、私に自らの真名を渡してくださり、義理の兄妹となる事を承知くださった。望外の喜びと言うべきだろう。
『丁寧なご挨拶痛み入ります。貴女からの拝と真名、慎んでお受け致します。
しかし、義兄妹に関しては・・・。自分で言うのもなんですが、僕はあからさまに変わり者ですし、貴女も奇異の目で見られる可能性が高いのですが、それでもよろしいので?』
そう聞いてきた義兄さんへ私は無言で何度も首を縦に振り、肯定の意を返す。
『それでは、私からも』
そう言って義兄さんは口元に着けていた布を外し、私へ立礼を返してくれた。
『徐州・東海、糜晃が養子、芳、字を子方と申します。これより貴女の義兄として恥ずかしくないよう振る舞いを心がけさせて頂きます。どうぞ、末長きお付き合いをよろしくお願い致します』
『また、貴女より献じられた真名に対する返礼として、我が真名『麟』を貴女へ捧げます。どうかお受け取りください』
私の無作法にも快く応じて下さり、私が理想とするような非常に丁寧な返礼をして頂いた。天にも昇る気持ちというのは、あの事を言うのだろう。
その後の事は朧気にしか覚えていない。
正気に戻った時には、既に義兄さんは歩家の兄妹を連れて郯へと旅立っていた。
妹の話によると、私は旅立つ三人へきちんと礼儀に則った別れの挨拶を交わしていたらしい。まったく記憶に無いのですが。おかげであの場面が私の都合の良い夢だったのではないかと思っていたのだが、この手紙でそんな不安は過去の物となった。
そんな風に真名を大事にする私と比べて、妹の朱里は、比較的簡単に真名を捧げているが、本当は諸葛家の者としてもう少し慎重に行って欲しい。そのうち顔は良いが節操無く他の女性と何股もかけるような男に入れ込んだ挙げ句、あっさりと真名を渡してしまいそうで怖い。
あの妹は私よりもずっと優秀で賢いにも関わらず、そそっかしく軽率な部分がある。私が姉としてしっかり導かなくては。
・・・私が義兄さんと真名を交換した際の事を軽率等と揶揄するようであれば教育的指導も辞さない覚悟で接する必要があるだろう。
興奮を収めるためにあえて関係無い事を考えながら、ふわふわと雲を歩いているような頼りない足取りで部屋まで向かう。
部屋に着くと、机の上に手紙を載せて椅子に座る。背筋を伸ばして目を閉じ、軽く深呼吸してから手紙を読み始めた。
『拝啓 藍里様。
長らく連絡を取らなかった事、申し訳ありませんでした。
私も|朐<く>に到着し、身辺も落ち着きました。ようやくまとまった空いた時間が取れましたので、文をしたためさせて頂きます。
さて、まずお話ししなくてはならないのは歩家の兄妹の事についてでしょうか。もしかしたら子山から連絡を取っているかもしれませんが、私からもご報告させて頂きます。
もう既にご存じかもしれませんが、歩家が廃される事が決定致しました。
もしかしたら、この事はその町に住んでいる貴女の方が詳しく事情を知っているかもしれませんね』
私は、義兄から届いた手紙をそこまで読んで、自分の口が自然と笑みの形を作ったのを感じた。
確かに、歩家の取り潰し決定が通達されたあの日、この町は蜂の巣をつついた様な騒ぎとなった。
諸葛家、そして私たち家族と仲の良い家は、そうなる可能性が高い事が分かっていたためあらかじめ混乱に対する備えができていたが、大半の人々は違った。
風の噂では、元歩家当主殿は遊興にふけるために、莫大な借金を町中からしていたらしい。
それでも糜家からの援助で返済能力があったため、人々は彼にお金を貸していた。
それが今回の取り潰しと、糜家からの援助打ち切りで歩家から返済能力が失われると皆一斉に返済を迫ったのだ。
その際の、彼の人の態度は顔をしかめたくなるような物だったと人伝てに聞いた。
私や家族達も彼に何度か不快な態度を取られている。他人の不幸で喜ぶのが品が無い事は自覚しているが、少し胸がすっきりした。日頃から、朱里に慎みの無い行動などを叱っている立場としては口にする事はできないが。
『さて肝心の歩兄妹ですが、郯の街で義父に会い、今後糜家で二人を保護する事を伝えました。そう動く事が予想されていたのか、既に州牧に伝達済みだったのには驚きましたが。私の行動が簡単に読めてしまうほど単純なのか、義父の洞察力が優れているのか。おそらく両方なのでしょうが。その後数日かけて村に戻り、私たちの家へ案内しました。書庫を案内した時、子山殿が目を輝かせていたのは、私たちの様に武で身を立てるのではなく、文で身を立てようとする者達の習性なのでしょう。私も立場が同じならば、そっくりな表情をするでしょうし。何はともあれ、無事に村に到着して村人達へ兄妹を任せる事ができて、肩の荷が降りた気分でした。あの村の人々ならば、何くれと二人へ世話を焼いてくれるでしょうから、そこに関しては心配要らないでしょう』
私としても、二人が無事に新しい住居へたどり着いた事に安心できた。新しい環境に馴染むまでもうしばらく時間がいるでしょうが、あの礼儀正しい二人ならば大人たちが放っておかないでしょうし、おそらく大丈夫でしょう。
『また、私と姉、幼馴染みの三人は郯で仕官する事が決まりました。おそらくこの手紙が届く頃には既に武官として練兵に励んでいる事かと思います。糜家の跡取りである姉が、兵を率いる適正を全く持ちあわせないため、代理として率いる事ができるようになれという事なのでしょう。正直私も適正は高くないと思うのですが・・・。そう任じられたからには職務に励むしかないでしょうね。
それから広言はできませんが、州兵の練度はなかなかに酷い物です。これから数ヵ月は預かった兵達の練兵に励む事になるでしょう。初陣はその後となる予定です』
驚いた。義兄さんは武官として仕官したのですか。ご自分で仰っているように、義兄さんは武官よりも文官として身を立てる方が合っている気がする。それでも視野が広く、細かい所まで気がつく人であるから、軍でも全く役に立たないという事はないのだろうが。長吏や司馬のように、作戦の策定を行う際には有為な人材となるだろう。
『さて、取り急ぎ伝えたい事は書き終えましたので、筆を置かせて頂きたいと思います。最後に、この手紙と一緒に届けた書や装飾品はご家族の皆様と分けてください。また、私へ手紙を送るつもりがあるようでしたら、貴女の町へ訪れる糜家の商人へ預けてください。そうすれば私の元へ届きますので。
どうかお体に気を付けて健やかに日々を過ごしますように。朱里と叔起さんにもよろしくお伝え下さい。
またお会い出来る日を楽しみにしています。
敬具 麟』
何度か手紙を読み返して、ようやく動悸が収まった。
そして私はふと違和感を感じた。もう一度読み直すとその正体に気付いた。
下の妹は字で呼んでいるが、上の妹の事は真名で呼んでいる。さて、これはどういう事だろうか?礼儀正しい義兄さんが間違えて真名を記載する事はないだろう。
とりあえず、事情を朱里に尋ねてみましょう。内容によっては・・・ふふふ。少し苦言を呈さなくてはならないかもしれませんね。
私は口元に笑みを浮かべながら、朱里をどう問い詰めて行こうかと思い描き始めた。
最後までお読み頂きありがとうございます。
藍里は冷静そうに見えて、やっぱりはわわの姉っぽく色々迂闊な子です。
朱里に対して色々理不尽なのは仕様です。
別れる際に挨拶をしたというのは、朱里の嘘です。
本当は、熱が下がらず面会謝絶のままでした。
本当の事を言うと姉が落ち込むと思ったので、礼儀に則った挨拶を返していると伝えました。
朱里、良い子や・・・。
朱里逃げて、超逃げて。
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