魔法少女まどか?ナノカ   作:唐揚ちきん

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新編・第四話 去った少年と手品師

 センスのいいインテリア。明るいオレンジ系統のライトに照らされたマンションの一室。

 ティーカップに注がれた紅茶の水面に私の沈んだ暗い顔が反射して映る。

 こんなにも落ち込んだ気分になったのは一体いつ以来なんだろう。前とは別の理由で胸が苦しい。

 

「鹿目さん……どうしたの? そんなに浮かない顔して」

 

 正面に居る部屋の主であるマミさんが声を掛けてくれたけれど、表情を取り繕う元気は今の私にはなかった。

 三角形の背の低いガラステーブルの周りに座った他の皆も心配して私の顔を覗き込んでくれている。

 

「どうしたのさ、まどか。何か悩みがあるなら聞いてやるよ?」

 

「そうそう。恋の悩みならこのさやかちゃんにまかせたまえ!」

 

 自信満々で胸を張るさやかちゃんに、テーブルの上からお茶請けのクッキーを摘まんだ杏子ちゃんが目を逸らしてぼそりと言う。

 

「幼馴染に告る事もできずに失恋した奴が何言ってんだか……」

 

「ちょっ、それはもう言わない約束でしょ! 杏子のバカっ。ね、酷くない? こいつ、酷いよね? まどか」

 

 大袈裟な手振りでショックを受けたポーズを取ったさやかちゃんは隣にいる杏子ちゃんの肩をぽかぽか叩く。

 杏子ちゃんとさやかちゃんもわざとふざけて明るく振る舞って場を和ませようとしてくれるのが分かる分、どうにか笑顔で応えたいと思うのに表情が言う事を聞いてくれない。

 

「う、うん」

 

 頷いてみせるが、自分でもそれがどれだけぎこちないのが分かる。

 私の隣で最近この輪に加わったほむらちゃんが戸惑うように尋ねてきた。

 

「それで何があったの?」

 

「……ゴンべえ君が家から出て行っちゃったんだ」

 

「ゴンべえって、少し前に川で拾ったあいつの事か?」

 

 そう聞きながらクッキーを頬張りながら、紅茶を一気に流し込む杏子ちゃん。

 事実だけど、そう言われると微妙な気持ちになる。

 マミさんもそう思ったようで、何とも言えない顔で空いた杏子ちゃんのカップに新しい紅茶を注ぐ。

 

「佐倉さん。間違ってないけど、その言い方はあんまりだわ。犬や猫じゃないんだから」

 

 興味津々でさやかちゃんがテーブルに身を乗り出して聞いてくる。

 

「でもでも、出て行ったって事はまどかなんかしたの? お風呂覗くとか、下着盗むとか」

 

「そんな事して…………なくもないけど」

 

「え? 私、冗談で言ったんだけど……」

 

 さっきまで私の方に寄っていたさやかちゃんはさっと身を引いて、引きつった顔で私を見る。

 あ、誤解されてる……。

 前に一度だけ、ゴンべえ君がたっくんをお風呂に入れてくれている事を知らずに、歯を磨こうとして洗面所に入ってしまって色々見てしまった事があるけれど、それと今回の事は関係ない。……多分。

 

「いや、偶然ちょっと裸見ちゃった事はあるけど、それが理由じゃないの」

 

 ゴンべえ君と出会って数日後、唐突に私たちへ別れを告げた。

 このまま、いつまでもこの家でお世話になっている訳にもいかない。それにひょっとしたら家族が自分のことを捜索しているかもしれない。

 警察署で捜索願が出されているかもしれないから自分は市の警察署へ行く。

 最後にお礼の言葉で締め括られた置手紙が今朝、リビングの上に残されていた。

 一方的な別れにしばらく理解が追い付かなかった。ただ、彼がこうして手紙だけの別れを残したのはもしも面と向かって別れを告げられたら私たちが引き留めかねなかったからだと分かった。

 実際、何度かゴンべえ君が警察署へ行こうとした事はあった。でも、それを無理やり引き留めていたのは私だった。

 記憶が戻るまではここに居てほしいと無理に頼んで、別れを引き延ばしていた。

 そのせいで彼はこういう方法でしか私たちに……私に告げる事しかできなかったのだと思う。

 悲しいというよりも、強い喪失感だけが胸に残った。同時に彼が私の事を迷惑に感じていたのかと思うと自己嫌悪で息苦しくなった。

 

「ゴンべえ君は……自分の本当の居場所を探しに出て行ったんだよ……」

 

 パパやママも一目で分かるくらいに悲しそうにしていたが、決してそれを口に出す事はしなかった。

 彼を「にーちゃ」と呼んで懐いていたたっくんは家中を歩き回って、彼の姿を探していた。私がゴンべえ君はこの家には居ないと教えると声を上げて泣き出してしまうほどだった。

 私はママたちのように仕方のない事だと割り切る事も、たっくんのように感情を曝け出す事もできず、沈んだ顔で喪失感を抱えるしかなかった。

 

「それにゴンべえ君の記憶が戻っても、見滝原市に住んでいるならまた会えると思うし……身元が分かったら知らせに来てくれるかもしれないから……」

 

 自分でも強がりにしか聞こえない言葉を並べても、気分は明るくはならなかった。

 周りにいる皆も何と反応すればいいのか分からずに困っているのが感じられた。

 そこへふよふよと部屋の中を舞っていたもう一人が私の膝に降りて来る。

 

「マスカルポーネ! カマンベール! モッツレラ?」

 

 チーズの名前を連呼しながら私にその小さな手足を振る、赤い頭巾を被った小さな人形のような彼女。

 魔法少女ではないけれど、私たちと一緒にナイトメアを浄化してくれる掛け替えのない仲間の一人だ。

 

「きゅー」

 

 さらにいつの間にか傍にやって来た白い猫のようにも見える小動物が私の肩にひょいっと乗る。

 言葉を喋れない代わりに、私の頬に自分の顔を擦り付けて慰めてくれた。

 

「べべ。それにキュゥべえもありがとうね。皆も」

 

 二人ともその態度や素振りでどうにか私を元気づけようとしてくれているのが分かった。

 駄目だな。私は。

 別にもう二度とゴンべえ君と会えなくなった訳でもないのに。

 落ち込んで皆に心配を掛けて、これじゃ魔法少女失格だ。

 自分の顔を両手で叩いて、気分を無理やり切り替える。

 

「ごめんね。心配かけちゃって。でも、もう大丈夫」

 

「本当に大丈夫なの?」

 

 ほむらちゃんが不安げに見つめてくる。

 そうだ。私は少なくともほむらちゃんより魔法少女としてちょっとだけ先輩なんだからしっかりしたところ見せないと。

 

「うん。平気だよ」

 

 元気よく頷く。できるだけ明るい表情で口の端を柔らかく曲げてみせた。

 それに同調するようにテーブルの向かい側のマミさんも大きく頷いてくれる。

 

「それでこそ、見滝原ホーリークインテットよ。鹿目さん!」

 

「ゴルゴンゾーラ!」

 

 膝の上に居たべべはその小柄な体をすうっと浮かして、空中で片手を大きく上げてまたチーズの名前を力強く叫んだ。

 その可愛い仕草がおかしくて、皆も口元が弛んでしまう。

 ひとしきり、皆で笑った後、マミさんが手を叩いて立ち上がった。

 

「さあ、それじゃあ、今夜も街をナイトメアから守りましょう!」

 

「はい!」

 

 マミさんの号令に皆が口を揃えて答える。

 ソウルジェムを出して、それぞれ魔法少女に変身すると部屋の窓を開いて夜の見滝原市へと飛び出して行く。

 ゴンべえ君が居なくなって悲しいけれど、それでもまた会えると信じて私は今日もこの街のために頑張るよ。

 だから、きっとどこかでまた会ったらお話しようね。

 心の中で彼にそう言って、私は皆と一緒にナイトメアを探しに夜の街へパトロールに出かけた。

 

 ***

 

「暁美さん。ナイトメアの浄化の方法は覚えてる?」

 

 マミさんがまだ魔法少女になって日の浅いほむらちゃんにそう尋ねた。

 

「はい。ナイトメアを捕まえたら、歌を歌って……べべに食べてもらうんですよね?」

 

 一指し指をピンと立てて前の浄化の光景を思い出しているらしいほむらちゃんにマミさんは首を縦に振る。

 

「ええ。そうよ。一緒に食べて歌ってナイトメアを満足させたうえで浄化させる。それがナイトメアを浄化するのに必要な儀式なの」

 

「どっかの馬鹿はいきなり殴って逃がしちまったけどな~」

 

「アンタも一緒にやったでしょうが。一人に責任擦り付けないでよ」

 

「はいはい。そこ、喧嘩しない」

 

 マミさんは軽くさやかちゃんと杏子ちゃんを窘めるものの、二人が本当に喧嘩している訳じゃない事は皆分かっていた。

 むしろ、二人は仲が良く、姉妹みたいに見える。

 微笑ましく思いながら、夜の街を歩いていると建物の屋上で何かが飛び跳ねる姿が目に入った。

 ビルからビルへ飛び移る姿は人間くらいの大きさだった。けれど、その跳躍力と速さはとても普通の人間に出せるようなものには見えない。

 私たちよりも少し大きいくらいの人影を小さな子供のようないくつかの人影が追っている。

 

「マミさん、あれ!」

 

「……ナイトメア? ううん、違うわね。取りあえず、近付いて確認してみましょう。佐倉さん」

 

「分かってる。まずはアタシとマミが見て来る。全員で行ってこの前みたいに逃げられんのは困るからね。残りは回り込むように進行方向から近付いて……」

 

「すみません。その役、私にやらせてください」

 

 杏子ちゃんの台詞を遮った。

 何故だか分からないけれど、どうしても人影が気になって仕方なかった。

 

「なら、私も一緒にいいですか?」

 

 私に続いて立候補したのはほむらちゃんだった。

 

「私の魔法なら、時間を止めて動きを止められますし、一人くらいなら手を握って移動すればその間、私と同じように止まった時間の中を動けます」

 

 ほむらちゃんが自分からこう言った積極的な発言をするのは少なかったので皆驚いていた。

 魔法少女になってから日が浅い彼女は裏方から皆をサポートする事が多く、矢面に立つのは珍しい。

 

「……まあ、アタシは構わないけどさ」

 

 杏子ちゃんがマミさんにアイコンタクトで窺う。

 マミさんは私とほむらちゃんの顔を見つめた。

 危険に飛び込む私たちの覚悟を問うような瞳と視線が合う。

 私が頑として譲りそうにないと納得すると静かに頷いた。

 

「分かったわ。じゃあ、ここは二人に任せて、美樹さんと佐倉さん、それとべべは私と一緒に先回りするように動きましょう」

 

 それだけ言うと他の皆を連れて人影が向かっている方向へと走り出す。

 内心でマミさんに感謝をしているとほむらちゃんが私へ左手を差し出して来た。

 

「まどかさ……まどか」

 

「うん。行こう、ほむらちゃん」

 

 ほむらちゃんの手を握ると、彼女は右手で左手の手首に着いた小さな円形の盾を弄る。

 私たちを除いたすべてがモノクロ写真のように白と黒で表わされた。音がなくなり一瞬で静けさがやってくる。

 これが初めてではなかったけれど、ほむらちゃんの時間を止める魔法は本当に凄い。遠ざかっていた人影や走り出したマミさんたちまでぴたりと動きが止まっている。

 

「あまり長い時間は持たないけど、使わないよりは早く追い付けると思う」

 

 謙遜だと思ったけれど、私はそれに応えず彼女と息を合わせて、ジャンプを繰り返してビルの壁を駆けあがる。

 建物の凹凸に足を掛けてながらも、ほむらちゃんとタイミングを合わせて一気に上に跳ぶ。

 時間を止める魔法は一旦途切れてしまうが、屋上まで登り切ってからまた再びほむらちゃんが魔法を発動させ、時間を止めた。

 前を行く人影たちはとても速かったが、ほむらちゃんの魔法を何度か繰り返して追い掛けるとどうにか目で相手の姿を確認できる距離まで近付く事ができた。

 

「ありがとう。ほむらちゃん」

 

「どういたしまして……でも、これ以上の連続使用は」

 

 ほむらちゃんの自分の手の甲に着いた紫色の菱形のソウルジェムに目を落とす。

 さっきよりも少し穢れが溜まってしまった様子だ。相手がナイトメアじゃなければ、ソウルジェムは浄化できないし、これ以上の時間停止の魔法はさせるべきじゃない。

 

「もう魔法は使わなくていいよ。何かあっても、ほむらちゃんは私が守るから」

 

「まどか……ありがとう」

 

「ふふ。お互い様だよ」

 

 お礼を言うのは私の方だった。もしもほむらちゃんの魔法がなければ、こんなに早く人影に近付く事はできなかった。

 ほむらちゃんの魔法が解けると、世界に色が戻り、音が再び耳の中に入って来る。

 動き出した人影が街の明かりに照らされて姿を現す。

 大きい方の影は黒いテールコートにシルクハットを被っていた。

 前に見失った卵のナイトメアに似た手品師の格好だったけれど、今目の前に居るのは人型をしている。

 背格好は私たちよりも大きく、服の上からでも肩や腰の形から男の人だと見て取れた。

 追い掛けていた小さい方は子供のように見えた。でも、明らかに普通の子供には見えない。

 現実味のない子供の書いたような頭が異常に大きく、身体の細いデフォルメされた体形の子供。

 鼻がない代わりに眼球と口が大きいアンバランスな顔をしている。

 彼女たちもそれぞれ違った黒い服装をしていたけれど、手品師と違い、立体感のない絵本から飛び出して来たような質感の服だった。

 数は四名ほど居たそれはナイトメアにも、人間にも見えない。

 顔立ちからは判別しにくかったけれど、服装や髪形からみて全員女の子のようだった。

 

「あなたたちは……何なの?」

 

 恐怖よりも困惑が先に出た。ほむらちゃんを庇うように一歩前に出て、彼女たちに話しかける。

 絵本のような子供たちは四人ほど居て、その内、二人がちらりと横目でこちらを見た。

 けれど、興味がなくなったのかすぐに手品師の方へ向かっていく。

 手に持ったのは細長い棒状の武器。先が丸くなった長い杖のようだった。

 手品師もまた手に杖を持っている。子供たちの杖よりも短く、上下ともに先が白くなっている。

 魔法使いが使うような魔法の杖というよりも、本当に手品師が使うステッキに見えた。

 子供たちが長い杖で手品師目掛けて振り下ろす。小さな身体から想像もできないほど速い殴打だった。

 風を切るような音を立てて、手品師の頭を潰そうとしている。

 とっさに弓矢を構えて、それを止める間もなく、杖は手品師を襲いかかる。逃げる事を止めた手品師はそれを自分のステッキで弾いた。

 

「だ、駄目……え?」

 

 ステッキが子供の一人の杖にぶつかった瞬間、子供の持っていた杖が消えた。

 弾かれて飛ばされたのではなく、一瞬にして消滅したようにしか見えなかった。

 離れた場所で見ていた私よりも子供の方が驚いた様子で自分の手元を見つめた。その隙に手品師のステッキが手首を返して、子供に当たる。

 その瞬間、手品師の前に居た子供が消えた。杖と同じように跡形もなく、消滅した。

 

「また、消えた……」

 

 私はいつかテレビでみた消失のマジックを思い出した。

 消えた一人を除いた残りの三人の子供が今度は一斉に杖を槍のように持って手品師へ飛び掛かる。

 彼はそれを待っていたかのように前へに踏み込むと円を描くようにステッキを横薙ぎに振るった。

 ステッキの先端に触れた順に杖を持った子供たちは消え、持っていた杖がカランとビルの屋上に落ちた。

 手品師が落ちた杖を一つずつ無造作に踏むと、杖もまた子供たちのように消え去った。

 

「あ、あの……あなたは?」

 

 手品師は私の方へ顔を向ける。

 シルクハットのつばに隠れてちょうど顔が見えなかった。

 

「…………」

 

 手品師は無言で私を見つめた後、身を翻して屋上の落下防止の金網の上に跳ぶと、何も言わずにそこから後ろへと倒れるように落ちて行く。

 

「え、ま、待って」

 

 急いで金網の網目越しに手品師の姿を探すが、落ちたはずの彼の姿はどこにもなかった。

 

「鹿目さん。暁美さん。無事かしら? 追っていた人影もいつの間にか消えているようだけど」

 

 代わりにマミさんたちが私の背後にある金網を越えて屋上へと辿り着いた。

 今起きた事をありのまま皆に伝えるものの、絵本の住民のような子供たちもそれを消した手品師の事も私自身何者なのか判断ができなかった。

 

「ほむらちゃんは何か気付けた?」

 

「ううん、何も。何も分からなかった。けど……」

 

「けど?」

 

 ほむらちゃんは怯えた様な顔で自分の身体を抱き締めるようにして、言葉を絞り出す。

 

「あの、手品師の格好をした方……怖いと思う。まるで……まるで何もかも消してしまえるように、見えた」

 

 恐怖の滲んだ声で彼女は俯いた。

 私は彼が消えていったビルの下を金網越しにを見つめる。

 確かに彼の力は怖いものだと思う。けれど、私には何故だか彼自身がそれほど恐ろしい存在には思えなかった。

 




べべをようやく登場させる事ができました。
ナイトメアに関してはあの浄化シーン(まあるいケーキ)は面倒なのでやらないつもりです。文章で書いても映えそうにないので。

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