目覚まし時計のアラームが部屋の中で鳴り響く。
不快なその音が僕の意識を夢から現実へと導いてくれた。
まだ頭がぼんやりとしたままだが、枕元にある目覚まし時計のアラームを止めて起き上がろうとした。
その時、突いた左手が柔らかい何かに触れる。
「んっ……!」
くぐもった女の子の甘い声が聞こえ、僕はぎょっとして、その何かを注視した。
見れば、その場所だけ掛け布団がこんもりと盛り上がっている。大きさとシルエットから見て、恐らくは人間だ。
「……え? な、何これ……?」
自分以外の誰かが知らない内にベッドに潜り込んでいるという異常な状況に、先ほどまでの眠気など完全に霧散した。
見なかったことにして部屋から出て行きたいくらい怖かったが、ここは僕の部屋である以上そんなことはできない。覚悟を決めて少しづつ、ゆっくりと掛け布団を
まず最初に見えたのはツインテールに結われた真っ白の髪と猫のような耳、続いてレースの意匠が施されたオレンジ色の服とスカート、最後に白くて大きなリスのような尻尾。
布団を取り払われても未だにすやすやと寝息を立てているその少女に僕は見覚えがあった。
そして、僕は思考が落ち着きを取り戻し、今起きている状況を全て把握することができた。
溜め息を一つ吐いた後、寝ているその子の肩を揺すって起こす。
「べえ子さん。朝ですよー」
「ううん……ん? あ、おはよう、政夫」
顔を丸めた拳で猫のように擦りながら、ニュゥべえが目を覚ました。
すぐに表情が嬉しそうな笑顔に変わって、頭部から生えている猫のような耳をピコピコと動かす。
「何で人型になってるの? 昨日、僕のベッドに入って寝てた時はいつものマスコット型だったのに」
「政夫も第二次性徴期の少年だからね。こっちの姿の方が嬉しいかと思って」
「最高に余計なお世話だよ」
呆れて僕がそういうとニュゥべえは少しでしょんぼりとして「そうかい……」と呟くと、一瞬光に包まれた後に元のマスコット型の姿へ戻った。
彼女は良かれと思ってやったことなのだろうが、あいにくと僕はそういうことはあまり好きじゃない。スターリン君辺りなら嬉々として喜ぶシチュエーションかもしれないが、僕は友達に欲情するなんて絶対に嫌だった。
そんなことになったら、僕は自分を一生軽蔑し続けるだろう。
まあ、僕のためにやってくれたことらしいので、それ以上ニュゥべえに小言を言うつもりはないが、お礼を言う気にはなれない。
昨日のあれ以来、ニュゥべえは感情エネルギーの変換方法を理解し、魔法少女へとなった。
しかし、厳密に『魔法少女』をインキュベーターに願いを叶えてもらった存在と定義するなら、ニュゥべえはそれに当てはまらないだろう。
むしろ、インキュベーターの独自進化系と言った方が適切だ。
彼女は既存のインキュベーターと違い、ソウルジェムを持たない。ニュゥべえによれば、体内にソウルジェムに変わる魔力の貯蔵器官があるそうだ。
だが、そんなことは
彼女と既存の魔法少女との決定的な差異は魔女にならないという点だ。
昨日、家に帰った僕はニュゥべえに何をどこまでできるのかを確認するため、一通り実験をした。
そこで分かったことは魔法少女が魔力を使った際に出る、『濁り』がニュゥべえには存在しないという事実だった。
これもまた正確に言うならば、存在しないのではなく、処理することが可能という意味だ。
『濁り』とはそもそも魔力を使った時にソウルジェム内に発生する、魔法少女には処理しきれない負のエネルギーのことだ。
あくまでこの『濁り』も感情エネルギーでしかない。つまりは魔法少女には使用できないだけであって、エネルギーとして使用することは可能なのだ。
インキュベーターは元々この負のエネルギーを回収することが目的なのだから、使用できなければ魔法少女システムの意味がない。
ニュゥべえは元インキュベーターにして魔法少女だ。
故に魔法少女ではエネルギーとして転用できなかったこの『濁り』をエネルギーとして使用可能なのだ。
簡単に言えば、ソウルジェムに内包されているものが『
『
ニュゥべえは、『
つまり、事実上の永久機関だ。
この永久機関を仮に『循環の理』とでも名付けておく。
循環の理によって、ニュゥべえは魔女になることは、ほぼ確実にない。
既存の魔法少女からすれば、とんでもない裏技のようにしか見えないだろう。
ニュゥべえ曰く、「政夫を永久に守るために魔法少女になりたいと願ったから、絶対に魔女にならない特性を得た」だそうだ。……そこまで深く想われていると流石に僕も照れる。
魔力に制限がなく使えるので既存の魔法少女よりも魔法を使えるが、一度に使用できる魔力の量は大して違いがないらしい。いくら、水が永久に出せるからといって、蛇口の大きさは規定のサイズということなのだろう。
これほどまでに反則じみているにも関わらず、魔法少女になった鹿目さんやワルプルギスの夜には遠く及ばないだろうとニュゥべえは言っていた。
鹿目さんがどれだけ規格外の存在なのかを改めて思い知らされる。
父さんとの朝食を終え、身支度を整えた僕は家を出た。
頭にはニュゥべえが乗っている。魔力を使い、支那モン時代と同じように僕や魔法少女たちにしか見えないようになっている。
『政夫』
ニュゥべえが僕の脳内に直接語りかけてくる。
ニュゥべえのテレパシー能力も魔力を使うことによって復活していた。昔は人の心に土足で踏み込んでくるような冒涜的な能力だと思っていたが、使用するのがニュゥべえだからか前よりも抵抗はなかった。
僕も同じように喋らず、脳内で返事をする。
『昨日言ったとおり、魔法少女になったことは皆には内緒にしておいて』
『いや、その事じゃなくて……いつものあの待ち合わせ場所に行くのかいって聞こうと思ったんだよ。昨日の昼からほむらとは連絡取ってなかったから、顔を合わせづらいんじゃないかと思ってね』
ニュゥべえのその台詞で僕の足がピタリと止まる。
忘れていた。ニュゥべえが手に入れた力で何ができるかをずっと考えていたから、暁美のことを考えている暇がなかった。
どうしよう……いや、ここで会わないのも間違ってるな。
昨日の告白には僕ははっきりとした答えを返した。
それで暁美がまた前のように友人付き合いしてくれるならそれでいいし、もう僕の顔を見たくもないというなら極力近付かないようにしてあげればいい。今の暁美には仲のいい友達がたくさん居る。僕が彼女から離れて行っても平気だろう。
どちらにしても、きちんと彼女に会ってから決めるべきことだ。
『取り合えず、待ち合わせの場所には行くよ。……美樹さんか志筑さん辺りには引っ叩かれるかもしれないけど』
『政夫がそこまでされる必要はないと思うけど』
『好意をあんな形で拒絶したんだ。そのくらいのことは甘んじて受け入れるよ』
一拍ほど空いた後に、しみじみとしたニュゥべえの声が僕の頭の中で響いた。
『……政夫は身内には呆れるくらい優しいね。その優しさはきっと政夫を傷付けるよ』
僕はその言葉には返答せず、待ち合わせの場所を目指して足を動かした。
待ち合わせの場所まで着くと鹿目さんと美樹、志筑さん、そして暁美の四人が既に待っていた。
志筑さんを除いた三人は僕の頭上で脱力したように寝そべっているニュゥべえを見て、言葉を失っている。
暁美だけはニュゥべえの存在は知っていたが、ニュゥべえが普通の人に見えるようになっていたことまで知っているから、この場に連れて来るとは思っていなかったのだろう。
「おはよう、四人とも」
「……今日は来ないと思ってましたわ」
志筑さんが僅かに僕を睨むような目で見る。
それに僕は安心感を感じた。
暁美のことでそこまで怒ってくるのは彼女を心から大切に思ってくれている証拠だ。志筑さんは魔法少女のことは知らないが、だからこそ、普通の女の子同士の友情を持ってくれている。
僕が居なくても暁美は大丈夫そうだ。
「もう来て欲しくないなら、これ以降僕は顔を出さないよ。まあ、同じクラスだから嫌でも顔を合わせなきゃいけないけど」
申し訳なさそうにそう言うと、志筑さんはますます怒ったように声を大きくした。
「そういう言い方が駄目なんです! まるで自分は孤立しても一向に構わないように聞こえますわ。政夫さんにとって、ほむらさんは何なんですか!?」
僕としては、このコミュニティ内できちんと相互扶助が成り立っているのなら、別に彼女たちと疎遠になっても構わない。
男子の友達もクラスにはたくさん居るし、必要なら交友関係の幅を増やせばいい。鹿目さんたちのグループと疎遠になっても多分僕はそれほど困りはしない。
『大切』ではあっても、『必要不可欠』ではないのだ。彼女たちが僕を拒絶するなら、それもそれでいい。
それにしても、暁美とは僕にとって何なのか、か……。随分と哲学的な問いだ。
けれど、僕の中の答えは最初から決まっている。
志筑さんではなく、暁美の目を見て答えた。
「友達だと、少なくとも僕は思ってる。ほむらさんさえ良ければ、僕は君と友人関係を続けていきたいとも思ってる」
「私がそれ以上を貴方に求めたら……?」
「昨日と同じだよ。失礼な言い方だけど、僕は君に友達以上の好意はもっていない」
きっぱりと暁美に告げた。
僕は暁美が他の誰かを好きになり、恋人同士になったとしたら、間違いなく喜んでしまう。
彼女の幸福を心の底から祝福できる。彼女の過去を知っているからこそ、彼女の成長を嬉しく感じてしまうだろう。
暁美に対して僕は友達以上の感情は抱くことができない。出会い方が違ったら、変わったのかもしれないけれど、少なくても僕の意思は変化しそうになかった。
暁美は一瞬だけ顔を俯けた後、顔を上げて僕を見つめた。
「……それでいいわ。今はまだそれで」
今の暁美は昨日よりもずっと落ち着いているようだった。
志筑さんもそんな暁美を横目で見て、口を
ただ暁美は口下手なところがあるから、志筑さんの口出しもそこまでずれたものだと思わない。
暁美の件はここで終わりにしておいて、ニュゥべえに戸惑いを隠せない二人の方に視線を移す。
『ニュゥべえ。二人にも念話を送れるようにしてくれる』
『任せてよ、政夫』
ニュゥべえを介して鹿目さんたちに念話を送る。
鹿目さんと美樹がインキュベーターの本性を知らなかった時とは立場が真逆なのが、少しおかしかった。
『この子は旧べえのやり方に嫌気が差して、僕たちの仲間になってくれた魔法少女の味方の心優しい旧べえなんだ』
僕がそう紹介すると、ニュゥべえは僕の頭から肩の上に降りて、片方の前足を上げて二人に挨拶した。
『やあ。まどか、さやか。ボクの名前はニュゥべえ。政夫の友達で君たちの味方だよ。よろしくね』
にこりと目を細めてマスコットらしさを前面に押し出して愛らしく笑みを浮かべた。
『えっと……初めまして。よろしくね、ニュゥべえ』
『そ、そんなキュゥべえが居たんだ……』
二人とも今まで、旧べえに良い感情を抱いていなかったため少々面食らっているようだったが、性格にあまり険のない鹿目さんたちはニュゥべえを友好的に受け入れてくれるようだった。
暁美は念話を送ってこそこなかったが、一応聞こえてはいるらしく旧べえのやり方が
会話に参加して指摘しないあたり、暁美も分かってきたようだ。
『あれ? その首に巻いてるのって……』
鹿目さんがニュゥべえの首に巻いてあるレースが付いたオレンジ色のハンカチを見た後、僕の目に視線を移動させた。
『うん。僕のハンカチだよ。信頼の印にニュゥべえにあげたんだ』
『ボクの宝物さ』
やや顔を上に逸らして、ハンカチを自慢げにニュゥべえは見せ付ける。
本当に喜怒哀楽が分かりやすくなったな、この子。旧べえと顔のパーツが同じなのにまるでまったく違う見た目のように感じる。
『そうなんだ。……信頼してるんだね、ニュゥべえの事』
『う、うん。信頼してるよ』
鹿目さんはどこか複雑そうな表情をした。
僕は彼女のその顔の理由が分からなかったが、取り合えず肯定しておいた。
詳しく、聞き出そうかと思ったが、ずっと
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それにしても、本当に政夫は他人を必要としない人間ですね。
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