~ニュゥべえ視点~
「っ……! まさか、君はボクに強く願わせる事のために自分の命を懸けるつもりなのかい……? それで本当にボクが感情をエネルギーに変えられるようになる保証はどこにもないんだよ!?」
「いや、危険な賭けだとは思うけど満更確信がないってわけじゃないよ」
ビルの屋上のフェンスの向こう側で政夫は優しく微笑む。
髪を風に
「僕はニュゥべえを信じてる。君が僕を助けてくれるってね。確証はないけど……確信してるよ」
「できる訳ないよ! ボクはもうインキュベーターでもない……ただのか弱い生き物だ。そんな力はないんだよ」
政夫の言葉をかき消すようにボクは声を荒げて喋った。
彼の期待には応えられない。今のボクは何の力もない存在だ。
魔法も使えなければ、奇跡も起こせない。
政夫がボクを信じてビルから飛び降りたとしても、ボクには彼を助ける事なんてできはしない。ただ、政夫の命が無意味に散るだけだ。
政夫はそんな情けないボクを見て、なおも力強く、穏やかに言う。
「ニュゥべえ。願いっていうのは、強い祈りのことだと思うんだ。祈るだけで願いが叶うとは思わないけど、祈らないことにはスタート地点にも立てない。人間は何かを成し得る時、祈ることから始めてきたんだと僕は思ってる」
その台詞にボクは首を振って小さく答えた。
「人間がそうだったとしても、ボクは人間じゃないよ……」
しかし、政夫はにんまりと笑って、事も無げにボクの言葉を否定した。
「いいや、君は人間だよ」
「……何を言っているんだい? そんな訳ないじゃないか。訳が分からないよ」
困惑するボクに向けて彼はフェンスの網に指を掛けながら、静かに語り出す。
ボクの目を見て、思いを伝えるように。淡々とだけど、一言一言に思い込めるように。
「確かに君は生物学的にはホモ・サピエンスじゃない。それどころか、ヒト科に属する動物ですらない。でもね、『ヒト』であることと『人間』であることは別だよ。これは僕の個人的な考えだけど、『人間』っていうのは心の在り方だと思ってる」
それをボクは黙って聞く。
彼の言いたいことを一言一句聞き漏らさずに受け止めたいと思っていた。
政夫の声を聞くたびにふつふつと胸の中で何かが生まれてくるのを感じた。
うまくは言えないけど、とても温かくて、優しい名前の分からない感情。
「君は僕を理解しようと努力してくれている。僕のことを信じてくれている。僕のことを好きだと言ってくれる。他者を理解しようと試み、信頼し、愛せるのならそれはもう僕の定義では『人間』だよ」
「人間……?
「少なくても僕はそう思ってる」
今、ようやく理解できた。政夫と共に居て感じたものが何だったのか。
胸に宿る感情の名前をボクはこの瞬間知った。
ああ、きっとボクの心の中にある感情の名前は――。
「『人間』は『人間』を信じるもの。この見滝原市で僕が学んだこの世で一番大切なことだよ。だから、僕は君を信じてる」
その言葉を言い終わると同時に、政夫はフェンスから手を離してビルの縁を蹴った。
重力に身を任せて、彼は下へと落ちていく。
僕の中の感情が一つの指向性の元、収縮を始めていくのを感じた。
想いは、一つ。――『彼を愛してる』。
祈りは、一つ。――『彼を助けたい』。
願いは、一つ。――『彼を守れる存在に……魔法少女になりたい』。
これがエントロピーを凌駕した力の正体か。
やっとボクは知る事ができた。
魔法少女の力とは。魔力とは。感情エネルギーとは。
「どうにもならない何かをどうにかしたいと心のそこから思う事!」
手が、足が、身体が、自分の姿が変化していく事をボクは文字通り肌で感じていた。
首に巻かれた彼から譲り受けた大切なオレンジ色のレースのハンカチもそれに応じるように形状を変えて再び、ボクの身体を覆う。
「政夫!」
絶え間なく位置エネルギーを感じ、死への恐怖にその身を震わせていてもおかしくないというにボクの愛する彼は不敵な笑顔をボクに投げかけた。
「信じてたよ、ニュゥべえ……にしても、随分と見た目が変わったね」
「ほっといてよ、そこは」
彼を抱き寄せて、ボクは感情を魔力へと変換する。
ボクと政夫の周りだけ重力がなくなったようになり、ボクらはゆっくりと地面へと降り立つ。
二本の足で大地を踏みしめるのはこれが初めてだが、特別に不便は感じなかった。
「これが君の魔法?」
「いや、これはただの魔力の操作だよ。ボクらは感情エネルギーを生み出す事はできなかったけど、感情エネルギーの運搬はずっと昔からやってきたんだ。これくらいは余裕さ」
政夫を離して、自分の身体を見回す。
さっきは時間がなかったから、自分の姿をまじまじと見る暇がなかったけど、こうやって改めて見ると感慨がある。
レースの装飾がされたオレンジ色のファンシーな衣装。先にインキュベーターだった名残の模様と飾りの付いたツインテールの白い髪。
頭に触れるときめ細かい髪が指先に絡み、びくっと驚いてしまった。さらに上の方まで指を持って行くと何故か頭部にインキュベーターだった時の耳は残っていて衝撃を受ける事となった。
隣に居る政夫はボクをまじまじと観察すると一言呟いた。
「なんというか……非常にあざとい見た目だね」
「それが命を救ったボクへの言葉なのかい!?」
「いや、だって猫耳とかさ、こう秋葉原のメイド喫茶的なイメージを感じるんだよ」
何の断りもなくボクの頭へ手を伸ばして、頭頂部に起立しているボクの耳を摘まむ。くすぐったいから止めてほしい。でも、もっと触れていてほしい気もする。
感情をエネルギーにするプロセスを理解した事で自分の中の感情がより複雑になった気がした。
「でも、本当にありがとうね。ニュゥ……」
「どうしたんだい?」
急に歯切れ悪くなった政夫にボクが尋ねると、彼は微妙な表情をしながら頭をかいて目を逸らした後もう一度ボクの顔を見る。
「もう『ニュゥべえ』って呼んでいいものかと思ってさ」
「え? 何故だい? 今までどおり呼んでくれればいいじゃないか」
すると彼は少し言いづらそうに述べた。
「今はもう見た目が完全に女の子になっちゃったから、『ニュゥべえ』だと違和感があるんだよ」
「元の姿にはいつでも戻れると思うよ。政夫が嫌ならこの姿だって変えるけど……」
政夫が付けてくれた「ニュゥべえ」という名前はボクにとって何よりも掛け替えのないものだ。彼が名前を呼んでくれなくなる事は絶対に嫌だった。
不安な気持ちで彼を見上げていると、政夫はくすりと小さく笑って、前と同じように頭を撫でてくれた。
「嫌じゃないよ。とっても可愛いくらいだよ。まあ、君が望むなら『ニュゥべえ』のままでいいよ」
「ボクは可愛い、かな?」
ボクだって、感情理解している身だ。前の姿の時に言われていた「可愛い」と今の姿で言われている「可愛い」が違う意味合いを持つ事ぐらい分かる。
うまく言葉にならないくすぐったい気持ちになりながら、ボクはこの多幸感を感じていた。
「でも、まだ他の魔法少女たちには内密にしておきたいから、普段は元の姿のままで過ごしていてほしいかな。それと、後一つやってほしいこともあるしね」
政夫はそう言うと思案に
例え、彼が何をボクに要求しようともそれに応じるつもりだ。政夫に「与えてあげられる」のはボク以外にいないのだから。
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ニュゥべえは僕の信頼に応え、見事感情エネルギーの変換プロセスを理解してくれた。これは大きな一歩だ。
計画の第二段階までもがクリアできた。残るは第三段階だけだ。
しかし、そのためには旧べえに接触する必要がある。
ニュゥべえの感情エネルギーの変換プロセスを餌に
難しいところだな。餌としてはまだ弱い気がする。
もっと奴らの気を引きそうな旨味のある話はないか。
目を
鹿目さんとの契約。これだろう。
彼女がさらに魔女になることで得られる莫大な感情エネルギー…………魔女? そうだ、魔女だ。
「ニュゥべえ」
「何だい?」
いかにも魔法少女ですと言わんばかりの姿の猫耳ツインテール少女が反応する。……駄目だ、慣れそうにない。
面影が耳とツインテールの髪の毛先に付いた飾りと真っ赤な目ぐらいしか残ってない。
まさか、見た目まで少女になるとは正直予想外だ。もう彼ではなく、彼女と呼んだ方が適切だろう。
「普通の女の子が魔法少女に至る感情のプロセスが理解できたのなら……魔女についても分かったりする?」
「魔女かい? 今のところは、絶望してはいないから分からないけど、感情エネルギーの本質を理解したボクなら魔女について完全に理解する事は可能だろうね」
「それなら魔女を魔法少女に戻すことって、できると思う?」
きっと、これは暁美や旧べえですら知らないものだ。
なぜなら、あれば使うはずだ。魔法少女にした魔女をさらに魔法少女にし、また魔女にする。
鹿目さんほどじゃないにしても、それなりに強い魔法少女だって居たはずだ。それを何度もそうやって使い回せるなら、新しく素養がある子を探すよりもずっと楽だろう。
「それはボクらですら知らない試みだね……できると断言するのは難しいよ」
「なら『できるかもしれない』と思わせることは可能かな?」
ニュゥべえは僕の意図に気が付いたようで、真っ赤なルビーのような瞳を大きく開くと返答してくれた。
僕はそれを聞き、にやりと笑う。
あの臆病者どもをもう一度、僕の前に引きずり出そう。
今まで育てていた
ニュゥべえがヒロイン過ぎてヤバイです。
もう他に女の子とか要らないんじゃないかとすら思ってしまいました。
大丈夫なのか、これ。
何にしても、ニュゥべえ編ももうそろそろ終わりです。
次回は出なかった女の子たちの視点の話を書きます。じゃないとあまりにも彼女たちの活躍がないので。