午後の授業が終わった後、いつもなら鹿目さんが一緒に帰ろうなど言ってくれるのだが、そそくさといつもの皆は僕を置いて帰って行ってしまった。
最低な僕を除け者して暁美を慰める会でも開くつもりなのかもしれない。
まあ、無理もない。僕はそれだけのことをしたのだ。
僕も一人で学校を出て、学校の近くにある公園に行く。空いているベンチに学生鞄を抱えて座ると一息吐いた。
「君らしくないミスをしたね、政夫。君ならもっとうまくほむらたちを誤魔化せる台詞くらい持っていただろう」
学生鞄の中から白い猫のような生物が顔だけぴょこんと飛び出した。
首に巻きつけてあるレースの付いたオレンジ色のハンカチがアクセントになっている。
「……ニュゥべえさん。今、あなた普通の人にも見える状態なんだから、こういうところで出ないでって言ったでしょ」
「大丈夫だよ。今はほとんど人が居ないし、声も小さくしている。遠目で見られても政夫が鞄に入れたぬいぐるみを持ってきて話しかけている変人にしか見えないさ」
「それは僕がすごく困るんだけど」
また一つ、溜め息を吐くと僕はニュゥべえの頭を撫でた。
今日、僕はニュゥべえを学校に連れて来ていた。理由は放課後の魔女退治に僕とニュゥべえを一緒に連れて行ってもらうためだ。
感情エネルギーを魔力へ変換しているところをニュゥべえに間近で観察させて分析させる予定だった。
だが、その予定は昼休みでの僕の告白により中止を余儀なくされた訳だ。
「でも、本当に何であんな事言ったんだい?」
昼食の際に屋上に鞄ごとニュゥべえを持ってきたいたせいで、ばっちり彼にも聞かれてしまっていた。
教室に置いたままにするのが不安だから持って行ったが、こんなのことを聞かれるはめになるなら置いておけばよかったと思う。
「本心からの台詞だよ。僕はさ、今まで人を本気で好きになったことがないんだ」
気がついたのは織莉子姉さんに大事にしていた信念を否定された時だった。
僕は人間が嫌いだった。薄汚くて、自分勝手で、すぐ人を裏切る。
嫌いで、嫌いで、嫌いで仕方がなかった。
でも、それをぐっと堪えて織莉子姉さんに教えられたことを実践し、生きてきた。
鏡の前で友好的で好感を持たれる笑顔を気が狂いそうなるほど練習して、何を言えばどういう反応を示すのか絶えず人の顔を
その過程でたくさんの友達ができた。その友達に僕はできる限りのものを与えてきた。
困っていると言われれば、何を困っているのかを懇切丁寧に聞き、一緒に改善策が見つかるまで考えた。
助けてくれと
求められるだけ、与えてきた。
最後には本人だけでどうにかできるように調整して、傍で手を貸さなくても平気なように安定させてきた。
「僕はさ、見下していたんだと思う。『仕方ないから面倒を見てやる』ってね」
「それの何が問題なんだい? 実際に頼りにばかりされていればそう考えるのも無理はないだろう?」
「人間は与え合いだよ。相互関係が成り立ってない一方的なものじゃ破綻する」
「でも、政夫の交友関係は破綻しなかったんだろう?」
首を傾げて聞くニュゥべえの一言に僕は自嘲の笑みがこぼれた。
「そうだよ。僕が彼らに何一つ求めなかったからね」
僕は彼らに助けを欲しなかった。向こうから何かをしてもらおうとは毛ほども思わなかった。
与えるのが自分の役目だとそう信じていたから。それをずっと信じていればやがて幸福になると思っていた。
だから、気がついたら他人を必要としなくなっていた。
義務で正しい行いなんだから、それをすることに何の疑念も抱いていなかった。
多分、僕は父さんが死んでも絶望しない。
涙を流して心を痛めることはあっても、しばらくしたら当たり前のように立ち直って親類に後見人になってもらって黙々と生きていくだろう。
そして、それはこの街で仲良くなった彼女たちも同じだ。
傷付くことはあっても、絶望などはしない。彼女たちが居なくなったとしても僕は生きていける。
生きていけて『しまう』。彼女たちの死は僕を死に至らしめるものにはならない。
そういう風になってしまった。
「僕は誰かも愛せないし、誰かに愛される気もない。だから、ほむらさんの気持ちには応えられないんだ。まあ、正直に言っても傷つけていること変わりないんだけど」
「……難儀な性格しているね」
ニュゥべえまでも僕につられてしょんぼりしてしまった。
参ったな。これだから、自分のこと他人に聞かせるのは嫌なんだ。
こんなことを聞かせて、それでまた誰か落ち込ませてたら世話がない。
「あ、でも。僕今、ニュゥべえに頼みごとしてるからニュゥべえのことは愛せるよ!」
「無理に明るく振舞わなくていいよ、政夫」
心配そうに見上げてくるニュゥべえ。彼の目には僕はそんな風に心配されるほど酷い表情をしているのか。
本心を隠す演技だけが得意だったのだが、今はそんな余裕もないらしい。
暁美を振ったことで予想以上に傷付いている自分に驚いている。
――彼女が世界で一番大切だとすら思えないくせに。
自分が自分で腹立たしい。辛いのは暁美の方なのに、まるで自分も辛い思いをしていると主張するように痛む心が憎らしい。
加害者のくせに被害者のように傷付いている僕が不愉快だった。
「難しいんだね、感情って」
「そうだね……本当に、そうだね」
ニュゥべえの感想に相槌を打った。
しばらくすると小さな子供たちとその母親らしい女性が数人、公園にやって来た。夕食の食材を買い終えた奥様方とその子供たちだろうか。
僕はニュゥべえの入った鞄を再び閉めて追い立てられるように公園から去っていく。
小さな子供たちの楽しそうな声を聞きながら、ふと思う。
もしも母さんが死ななかったら僕もここまで歪まなかったかもしれない、と。
さて、どうしたものか。
再び、暁美たちと出会ったところで、魔女退治にご同行させてもらえるとは思えない。
かと言って、残り少ない時間を無為に過ごす訳にも行かない。
ポケットから携帯電話を取り出し耳に当てる。
誰かに電話する訳ではない。鞄の中に居るニュゥべえと会話しても不自然に見せないためだ。鞄から返事が発されるのはご愛嬌。歩きながら独り言をぶつぶつ言う中学生よりはマシだろう。
「ねえ、ニュゥべえ。君の元同胞はあれ以来見てないけどどうしたの?」
「ボクもリンクを切られて以来会っていないけど、政夫との接触を恐れて姿を見えなくした後は、魔法少女たちの前にも現れてないみたいだね」
「僕を恐れている?」
「君との自己矛盾による自我の崩壊が怖いのさ。何せ直接対峙していたボクを切り捨てたぐらいだったからね」
恐怖を感じている時点でもうすでに感情の一端を得ているのにね、とニュゥべえは馬鹿にするように言った。
確かにニュゥべえの言うとおり、あいつらは感情を得ている。それを頑なに認めようとはしていないけれど、それは紛れもない事実だ。
「訳が分からないよ」という台詞はもう本心からは言えなくなっただろうな。
まあ、いずれ奴らとはまた対峙することになるだろうが、それは計画が第三段階に入ってからだ。
今はとにかく、第二段階を突破することが先決だろう。
「ねえ、ニュゥべえ。話は変わるけど魔法少女には『願いごと』が必要不可欠って話だったよね?」
「うん。そうだよ。魔法少女の魔法は願い事がベースになっているからね」
「へえ」
ならば、願いごとが停滞している第二段階を突破する鍵になりえるかもしれない。
強く何かを願うことが感情をエネルギーに変えるのだとしたら、ニュゥべえにそれを行ってもらうのが手っ取り早い。
「なら、ニュゥべえも何か強く願うことがエネルギー変換技術を得るのに必要なんじゃない?」
「『願い事』か。確かにそれがブラックボックスだという可能性は高いね。でも、ボクには今のところそこまで強く願う事なんてないよ」
「そっか。まあ、いきなり願いなんて聞かれても困るしね~、ニュゥべえ」
僕がわざとからかうような声音で言うと、僕の言わんとすることを察したらしくニュゥべえは
「……政夫はいじわるだよ」
「ごめんごめん」
謝罪をするがニュゥべえは機嫌を悪くしたままでしばらくは無言状態が続いた。
あの腹立たしい似非マスコットと違い、ニュゥべえはわりと繊細な神経をしているのでちょっとからかうとすぐに拗ねてしまう。そこら辺も含めて可愛いと思うけど。
しばらく、歩いた後、僕は人通りのない裏路地を通り、薄暗く
そこで大きなビルの手前に来ると僕は鞄を開けて、ニュゥべえの顔を露出させる。
「……なんだい?」
「もう、そんなに拗ねないでよ。ほら、このビル覚えてる? 『魔法少女体験コース』で巴さんに連れられて来て……」
「魔女の口付けにあった女性が飛び降りそうになったところをマミが助けた」
「そうそう。やっぱりちゃんと記憶は共有されてるんだ」
「リンクを切られる前はだけどね」
自分はもうインキュベーターとは縁を切ったのだから一緒にするなとでも言いたげな目で僕を見つめてくる。
僕はそれに答えるように彼の頭を撫で回した。
「懐かしいから入ってみようよ」
「政夫が良いならいいよ。ボクが自分で歩いている訳でもないからね」
ニュゥべえの許可を取ると、僕はビルの中を見回す気もなく階段を上がって屋上へ行く。
外だというのにどこか
「高いね。屋上は」
「そんなの上がるまでもなく分かってた事だろう?」
学生鞄からぬるりと這い出したニュゥべえが僕の隣に鎮座した。
それを横目で確認すると僕はフェンスをよじ登り、外側の縁の部分に足を乗せた。幸い、フェンスはそれほど高くなく、網目が細かいこともあって指を掛けやすく、中学生の僕でも簡単に越えられた。
程よい高さといい、フェンスの乗り越え安さといい、このビルは本当に自殺しやすそうな造りをしている。
「あ、危ないよ。何しているんだい政夫!?」
慌てるニュゥべえを他所に僕は彼に尋ねる。
「ねえ、ニュゥべえ。君は僕のこと、好き?」
「好きだよ! それがどうしたっていうんだい!? 危ないからさっさと戻って来てよ!」
フェンスの網目に顔を押し付けて必死に僕に戻れと叫ぶ彼は、もうインキュベーターとはまったく異なる存在だった。
最初は利用するためだけに捕まえたのに、今では鹿目さんたちと同じぐらい大事に思えるようになった。
僕はそんなニュゥべえの様子を見て、温かい気持ちになりながらもう一つだけに問いかける。
「じゃあ、ニュゥべえ。僕がここから飛び降りたら――助かるように心の底から願ってくれる?」
フェンス越しのニュゥべえの顔が恐怖と驚愕で歪んでいく様子がありありと見て取れた。
目の前で友達が飛び降りようとしている。でも、ボクには彼を止める術を持っていない……。
自分がこれほどまで無力だと思った事は、魔法少女たちに追い回された時でもなかった。
どうか、ボクに彼を止めさせてください……どうか、ボクに友達を救わせてください……。
〈次回~たった一つの願い事~〉