夜も白んで、朝へと向かおうというかの頃、第六駆逐隊の四隻、暁、響、雷、電は遅い休憩をとっていた。
夜戦からの帰りということもあって、休むにしてもこの時間になってしまったのだ。
白い湯気が体中を覆い、存在を染めてしまうかのような鎮守府の大浴場。平時であれば鎮守府の中で働く従業員を妖精まで含めて収容できてしまうほどの大きさを持つそれは、現在暁達貸し切りとなっていた。
同時に出撃していた島風はいない。まだ彼女には仕事が残っているらしく、提督に引きずられて司令室へと行ってしまった。
本来、艦娘としての戦闘能力を、人の療治方法で癒やすことはできない。こうして湯船に浸かることは、兵器としては意味のないことなのである。
しかし兵器である艦娘は同時に人間としての機能を持つ。精神的な疲れはあるし、こうして風呂にはいることを文化とするのは、人間であろうと艦娘であろうと同じこと、というわけだ。
「ふー」
早速湯船に浸かりながら暁が大きく心の疲れを載せた吐息を漏らす。湯の熱さが体中に染み込んで、一瞬我慢を要するほどの熱が暁を襲うものの、それもやがて慣れでもって心地よい感覚へと消えていく。
まるで、疲れがその熱によって湯の中へともっていかれるようだった。
「はらしょー」
その隣で、響もまたぽつりとこぼす。彼女にしては少しばかり甘ったるい声は、彼女特有の言葉回しを、熱さにとろけさせている様子だ。
「ふたりともー、湯船にはいるの早いんじゃないのー?」
遠方、入口から雷の声が響いてくる。ようやく脱衣を終えて浴室の中に入ってきた雷と電は、まだ浴槽に入れそうにはない。
「早く来たほうがいいよ。これは本当に、すごくいいな」
響の声が周囲に飛び散って跳ねまわって広がっていく。タイル貼りの大浴場は、声が複数に分裂して聞こえてくるのだ。
「その前に体洗わせてもらうわ。電、背中流してあげる」
「そ、それくらいは一人でできるのです」
体を覆うには少し小さめのタオルを前に添えて、雷が周囲を見渡しながら電へと声をかける。胸元をタオルで抑えながら、必死に電がそれを否定した。
「あー、一日の疲れが全部癒やしに変換していくようだわ。そうでしょ響」
「うらぁー」
楽しそうな暁とそれに感嘆の吐息で返す響、雷はそれに惹かれながら大浴場というにも足りないほどに広い室内を見渡す。
入ってすぐには体を洗うためのシャワーその他一式。左右に広がり、更にその角から曲がって少し伸びている。そこから敷居があり、浴槽は揺れる水面のような、複雑な形をしている。左手側の外壁がすべてガラス張りとなっており、そこからは鎮守府と港、その先にある大海原が一望できるようになっていた。
今は、沈みゆく月をのんびりと眺めながらぼんやり湯船に浸かるのが良いだろう。外は、少しの光ばかりで景色を確かめられそうにはない。
「じゃあ、さっさと洗うわよ」
「あ、ちょ、ちょっと待って下さいなのです」
体を洗う場所に足を向けた雷に、電が待ったをかける。ぱたぱたと駆け足気味に湯船に向かうと、いつの間にやら手にしていた桶――入り口に山積みにされている――を湯船に入れると、体を落としてから引き上げる。
それから体の前を覆っていたタオルを離して丁寧にたたむ。電の日焼けしていないホイップのような肌が露となる。
周囲には見知った者しかいないとはわかっているものの、それでも少し気恥ずかしいのだろう。体を抑えるように隠しながら、お湯を汲んだ桶を、頭から垂れ流していく。ゆっくりと飛沫を立てないようにお湯をおろして、白い肌を通り抜けたそれらは、やがて床に落ちて溶けて消えていった。
「んぅ」
熱さが肌にしみたのだろう、目を細めながら吐息を漏らし、大体すべてを終えると再びタオルで体を隠しながら立ち上がる。
それを見ていた雷が、苦笑気味に声をかけてきた。
「何よ、掛け湯? わざわざそんなことしなくても、体はちゃんと洗うんだからいいじゃない?」
「それでも、お風呂にはいる時は気持ちを湯船に入れないと行けないと思うのです。そのために、こういうことは必要なんじゃなかな……?」
自信なさげではあるものの、内気な妹にしてははっきりとした物言いに、少しだけ雷は嬉しそうな表情を浮かべて、それから軽く笑んで見せる。
つられるようにして電も優しげな微笑みを浮かべた。
「じゃあ私もそうしようかしら。きっとそうしたほうが、ゆっくり休めると思うのよね」
艦娘は湯船で体を癒やすことはない。しかし、心を癒やすことはできるのだ。だとすれば、思うようにあるがまま、心を安らげるよう努力するのも、艦娘としてただしい姿ではなかろうか。無論、それは普通の人間にも言えることだ。
「なによ、ふたりともずるいんじゃない? お風呂を私たちよりも満喫している気がするわ」
すでにお風呂に入っているため、暁と響は作法に則る事はできない。響は今でも十分湯船を堪能しているようだが、暁はどこか不満気だ。冗談めかして攻め立てるように言葉をかける。
「こ、これは電の勝手な思い込みなのです! だ、だから雷までやる必要はないというか、えっと、その、あの!」
しかし、それを真に受けてしまった電が、慌てたように雷へと寄っていく。慌てふためく電の様子に暁はいたずらっこのような笑みをこっそりと浮かべ、やれやれといった様子で雷も苦笑する。
そして、
「ちょっと、そんなに急いで歩くとバランスが――あ、」
そんな雷に駆け寄っていた電は、思い切りツルッと足を滑らせて、仰向けに跳ねてしまった。巻き上がったタオルと桶が、どこともしれぬ場所へ跳ぶ。
「ちょ、」
暁の慌てたような声。呆然と倒れゆく電を見守るしか無い雷。時間が、歩むことを忘れてしまったかのようだった。
「――ふきゅ!」
尻もちを着いた電の、跳ねるようなソプラノボイス。
直後、どこかへと墜落したらしい、桶がカコ――ンと、跳ねるような音を周囲に響かせるのだった。
♪
体を洗い終えて、雷と電も湯船に使った。四人は少し手狭にすることで、向かい合うことができるようデザインされた浴槽の一角で、体を付きあわせて極楽を味わっていた。
「あぁー。いやぁお疲れ様ぁ」
ぽつり、と言った様子で暁がこぼす。
「まぁ、大変だったのは否定しないわね」
おちょぼ口気味に吐息を漏らしながら、思い切り気持よさそうに目を細めた雷が同意する。それに寄り添うように電もまた、頭にタオルを載せて一息つく。
「島風さんはすごかったのです。でも、あの人は本当に駆逐艦なのでしょうか」
駆逐艦の最高峰を目指した島風の性能は、戦艦すらも特定条件下であれば打倒しうる強力なものだ。通常の駆逐艦である暁達とは、一線を画するのは間違いない。
とはいえ暁型も特Ⅲ型駆逐艦と呼ばれる、吹雪型駆逐艦の完成形であるのだが。
「ただ性能がいいってだけじゃないよ。すごく戦い慣れているからね」
「そうなの? 響も良くわかるわね」
同じ暁型の、姉妹とも呼べる四人だが、その誕生は思いの外偏っている。艦娘が先代から名を“継ぐ”形式であるため、実際に暁が長女というわけでもない。この中で最も経験を持つのは響だ。駆逐艦の一隻であるために戦闘経験はさほどあるわけではないものの、少なくとも人を見る目は誰よりも養われている。
雷の意外そうな声に反応し、ひとつ頷いてから答える。
「最初の一発。私たちより遠い距離から、あの人は一撃で駆逐艦を撃沈させていたね。私たちは一発じゃ大破がせいぜいだよ」
駆逐艦の本分は雷撃戦だ。主砲による砲雷撃戦で敵を沈められずとも、さほど問題はないが、島風は当たり前のように重巡や軽巡など、より砲雷撃戦に特化した艦種が保つ距離から敵を撃滅するのである。
「アレを“当てる”のが本人のセンス。アレを“沈める”のが本人の性能、ってわけだね」
「島風さんも、それを解説する響もかっこいいのです!」
キラキラと目を輝かせながら、跳ねるような声音で電が言う。雷も響に視線をやって、そんな状態に暁はどこか不満気だ。
「私がネームシップなのに、響はなんでも知っていてずるいわ」
「……さすがに、なんでもは知らないかな、学んできたことをいかしてるだけだよ。大丈夫、暁だって強くなってる」
だといいけど、嘆息気味にぶくぶくと泡が湯船を盛り上げる。口元を覆って暁は目線だけで他の三名を一度見た。
「それに、島風と私たちじゃ少し年季が違いすぎる。あの人は五年も駆逐艦として活躍してるからね」
「……ご、ごね!?」
あまりの事実だったのだろう、雷が思わずといった様子で絶句する。無理もない、艦娘は戦争の中に身を置く存在だ。轟沈してしまうこともあるし、そうでなくとも精神を疲労させる。特に駆逐艦は装甲が薄く“死にやすい”存在だ。数年もしない内に次の艦娘に役割を引き継がせるのが慣例である。
「すごいのですよ! 世界最強の駆逐艦として、あのマリア海戦やレイ海戦にも参加し、戦果を上げているのです」
「へー、ってあれ、それだけ?」
「それだけなのですよ?」
少しの違和感を覚えるも、電がそう答えると、なるほどと雷は納得する。
「でもそれって、つまり長く戦い続けてきたってことよね。……疲れちゃわないのかしら。艦娘って、楽に続けられることじゃないと思うのだわ」
暁の嘆息。無理もない事である。戦闘に死が伴うのは事実であり、今回まったく無傷で勝利をおさめることができたのは、単純に運が良かったから、というだけなのだ。
――島風が旗艦であったこと、それもまた、暁たちにとっての幸運なのである。
「戦争って、幸運な存在が他者の幸運を吸い取って生き延びるものだと思うわ。そうでなくちゃ、私たちはいつまでも戦い続けられるはずだもの」
戦えて、活躍できて一人前。暁にとって一流とはその先にあるものだ。自分が一人前であるとは思って入るが、それ以上だとは思っていない。
持てるプライドが、小さな物しか許されない。駆逐艦というのは、そういうものだ。
「ふぅん。でもしょうがないんじゃない? そんなこと言ったら、私たちの戦う意味だってわからなくなるでしょ」
「……戦う意味?」
雷の言葉を、反芻するようにして問い返す。
「もともと私たちは、どこから来るかもわからない怪物と、もう始まりすら解らなくなった戦いを続けてるのよ? 死ぬときは死ぬ、勝つときは勝つ。同じじゃない、なんだって」
戦争が日常化し――日常化せざるを得なくなり、すでに時間は幾つもの間を刻んでいる。始まりはいつだっただろう。それすら、歴史書の中にしか記されていない事実と化してしまっているのだ。
戦うことに意味を求めてはならない、求めてしまえば、失ってしまったことに気がついてしまうから。
「えっと、よくわからないですけど、私は今まで深海棲艦と戦ってきた艦娘の皆さんはすごいと思うのです。それを導いてきた提督も、支えてきた整備妖精や人間の皆さんも」
電が語る。
「過去に築いてきた栄光は、決して血塗れなものではなく、あくまで誇らしげに語って良いものだと思うのです。スポーツの世界を席巻する人たちがいるように、電たちも、誰かに自分を誇ることはできませんか?」
普段は口数の少ない電が、ここぞとばかりに言葉を何度も何度も連ねていく。それら一つ一つが思いに変わって、過去から未来に繋いでいくものだとでも言うように。
暁や響から見て、電は口数の少ないおとなしい少女だ。第六駆逐隊に最も遅く参加して、後輩である以上に、ほっとけない妹のような存在といえる。
そしてそれは特に、雷に言えることだ。最も近くの姉妹である彼女たちが、如何に信頼しあっているかは語る必要すらないことだ。
そんな妹の、今まで垣間見ることのできなかった凛とした姿。それを横目に眺めながらも雷は、
「そうだと、いいんだけどね」
いくつかの感情をのせた、少しだけ低音気味の声で、そう言った。
ヒトロクマルマル、提督の皆さん、お風呂が恋しい皆さん、こんにちわ!
今回は暁型四人の歓談回となります。
……実はいろいろそれ以外にも意味はあるのですが、軍機なのです。
次回更新は9月16日、ヒトロクマルマルにて、よい抜錨を!