「やった!?」
島風の声が歓喜とともに響き渡る。装甲空母姫は煙と水の爆発にまみれた。彼女の姿を、覆い隠した。とはいえ、直撃だ。島風が飛び上がるのも無理はない。
「いえ、まだでしょう」
だが、即座に赤城は否定した。この程度で終わる相手なら、まさか一隻で戦艦も空母も用意せずこの場に現れるはずもない。
島風もそれに気が付き、瞳を鋭く細くした。見えてくるのは、混沌に覆われた装甲空母姫の行方。
――健在であった。
明らかに装甲を煤が覆っていたものの、それでもまだ目立った損傷は見受けられない。せいぜいが小破といったところか。
「シット! やっぱり一発じゃこの程度ですか!」
金剛が言う。手応えはあった。しかし直撃したのは一つだけ、それ以外も、至近という程ではなかったはずだ。
だが、脅威である。直撃をものともしない、かすり傷程度であるとあざ笑うかのような、そんな様子は――畏怖すらも、抱きかねないような様相だ。
「でも、ここまで来たんだから、後はあいつを包囲圧殺、押し潰せば勝てる。最悪夜戦にでも持ち込んでしまえばこっちのものなんだから」
それでも、最終的に行き着く所はすでに決定的だ。空も海も、もはや装甲空母姫に押しとどめる術はない。手足とも呼ぶべき浮遊要塞を失ったのだ。であるなら、彼女の終末ももはや目前と言える。
ここが正念場だ。まだ気は抜けない。それでも、勝利は確実に見えている。
だからこそ、その手のひらに力が宿る。あとは押し切るだけ、ここまでくれば、もはやこの海は南雲機動部隊のものだ。
「さぁ、最後の仕上げ。沈めるよ――装甲空母姫を!」
艦列を離れていた島風と北上が帰還する。装甲空母姫の砲撃は、その一瞬に限っては停止していた。再装填中に砲撃を受けて手間取っているのか、空に気を取られているのか、どちらにせよ、これはチャンスだ。
――ここまで、本当に長かった。南雲機動部隊は設立し、活動し、そうしてここに、その一つの節目を迎える。彼女たちの戦いが、その旅が、ここに最初の終劇を迎えるというのだ。
肩の荷が下りる、というわけでもないが、息を付くことができるのは確かだった。
「……提督?」
ゆっくりと、島風達が動き出す。空の殲滅はもはや時間の問題。装甲空母姫も、決して無敵の装甲を有してはいない。島風達が牽制し、金剛の主砲と、赤城ないしは龍驤の攻撃で、戦闘は終了する。
その一瞬、提督はなにかを告げるかと島風は考えたのだが、開いているはずの通信から言葉はない。
『――――』
沈黙、していた。
首を傾げながらも、砲塔は回転させる。狙いは空母姫。――狙いよし、打ち方準備、いつでも完了だ。
「……テー!」
宣言。そして――
『……ッ! 全員後退しろ! “呑み込まれる”ぞ――!』
直後、満の声。
疑問に思う暇すら無く、島風達は理解した。視界に映る光景が、否が応でも理解を及ばさせたのだ。
「――かいとぉっっっ!」
島風の喚声。だが、遅い。
そして、あまりにもいともたやすく、小さな円を指で“引き伸ばすように”――渦が装甲空母姫を、覆った。
渦潮である。突如としてそれが周囲を多い現出した。
『――おかしいとは思ってたんだ。こいつらは間違いなくミッドウェイクラスの戦略的意味があるはずなんだ。それが、単なる姫種ひとつで終わるはずがない』
無線機の向こうから愕然とした風の満の声が響く。ただその口調だけは饒舌で、すらすらと言葉を絞り出していく。
『深海棲艦が、いびつな形で――それこそあの浮遊要塞のように、“艦艇”としてですらなく出現している。それが、莫大な勢いを伴って海中で渦を作っているんだろう』
怨嗟、深海棲艦の源流であるそれが、周囲には湯水の如く散らばっている。それらは、さながら水槽に染み込んだ墨のように、辺りへ散って広がっていく。後は、それらが深海棲艦の一部として現出、盛大に海をかき回せばいい。
当然、ほとんど沈没しているようなものだから、それらは直ぐに機能を停止する。だがここはカスガダマ、“墓場”と呼ばれるほどの怨念が固まっている場所。
補給ならば、無限と呼べるほど存在している。
さながらそれは――
『――世界を破壊する怨嗟の渦』
世界を、破壊する。
満の言葉が、島風達に衝撃を与えた。今も装甲空母姫の渦潮は猛烈な速度で広がっている、すでに島風達は巻き込まれた。――もしもこれが、際限なく世界に広がり続けるのだとしたら。
「提督……何が、戦略級? こんなの、それこそ世界そのものを何とかしかねないじゃない!」
誰がそんなものを予想できただろう。深海棲艦は人類の敵だ。しかし、人類の生存を脅かしているわけではない。あくまで、処理に難儀する害獣でしかないはずなのだ。
それが、世界を破壊する? ――笑わせるな、それでは本当に、深海棲艦が人類の天敵となるではないか。
『おそらくだけど、あの装甲空母姫こそがそれを行っているんだ。これは世界そのものに甚大な影響を与えかねない。――だが、その根源はあくまで“アレ”なんだよ』
「――なんで、何のために!」
『――決まっているだろう。……僕達に、負けたくなんかないからだ』
絶句した。
そんなことのために、世界は脅威にさらされなければならない? ふざけるな、それこそ絶対に、認められるはずがない。
「……全員! 状況を報告!」
島風は、比較的無事であった。最速で四十ノットを越す出力は伊達ではない。しかも軽い船体はさほど大きなエネルギーを渦潮から受けない。
それは金剛も同様だ。
「こっちは問題ナッシーンです!」
彼女の場合、莫大な重量を要する船体を動かすだけの出力が、ほとんど無傷で維持されている。島風とは対照的ではあるが、問題はない。
「こちらもです」
そして、赤城にも言えることだ。金剛と同様、船体を前に進めるための出力は、そこらの巡洋艦をはるかに上回る。
だが、問題があった。
「……こっちは、大丈夫じゃないです」
愛宕だ。小破している彼女は、おそらく機関にもダメージが言っているのだろう。このまま行けば、間違いなく海へと呑み込まれる。
だが、それよりも窮地に立たされている者もいる。当然それは、
「っっぐ、ぅぅぅううううううううううッッッ!」
北上だ。もはや返答すらできないほど、彼女はその船体を揺さぶっていた。中破して、さらには浮遊要塞を沈める囮として無茶までした。――その船体に及ぶダメージは、計り知れない。
だが、もう一人、この場に問題がある者もいた。
「こっち、全然アカン!」
――龍驤だ。
彼女の場合、その船体が問題なのだ。非常に特殊な構造をしている彼女の船体は、大きな揺れに非常に弱い。渦潮に巻き込まれれば、何とか船体を維持することがやっとだ。しかしそれでも、大きく身体がブレ、飛行甲板がどこかへ飛んでいってしまいそうなほどだ。
凶報は、止まらない。
「……新たな艦載機、多数――発艦は装甲空母姫から!」
赤城が金切り声を上げた。もはや彼女ですら、この場では平静を保ててはいなかった。否、耐えてはいた、しかしいつ、何によって決壊するかもわからないほど、彼女は――そして南雲機動部隊は危うい立ち位置にいる。
「……と、とにかく! ウチの艦載機はまたしまう。このままやと、こっちは完全に全滅や!」
「ですが、そんな体勢で着艦など無謀です! 一体何機海に沈むか――」
赤城が反論した。龍驤の言うことは最もであるが、それでも、そもそもその着艦事態が不可能では、どうすることもできないのだ。
「それでも! このままやと、あの艦載機等全部が燃料切れてまう。もう時間がないねん! 全部海に沈むくらいやったら、回収出来るだけ、するしかないやん!」
そうなのだ。龍驤の艦載機はすでに燃料が乏しくなっていた。これでは、もはや空に浮かび続けていることすら危うい。
ならば、ここは一度艦載機を飛行甲板にしまわないければならない。
それ以上は赤城も言葉は挟みようがなかった。進退は窮まっている。渦潮がもたらす圧迫が、赤城の身体を苛み続けていた。――今はいいかもしれない、しかしいずれ、これに呑み込まれたら――
「それだけは、沈むのだけは絶対にノーセンキュー! とにかく、やるしかありまセーン」
「――でも、どうやって! こっちは渦潮のせいで録に砲撃すらできないんだよ?」
そう、そうなのだ。現在出力をこの渦に対応させるために全力を傾けて入るが、もはやあまりに猛烈である振動により、照準すら島風達は合わせられないのだ。
だというのに敵の砲撃は今も続いている。もはや敵の砲撃が直撃することは時間の問題。刻一刻と、その瞬間は近づいているのだ。
「……金剛さん、まさか貴方は――!」
「赤城、金剛は一体何を……って、ちょっとまって、金剛が何かするつもりなの!?」
赤城の言葉、それに反応してようやく、島風は合点が行った。金剛のしようとしていること、その意味を理解せざるを得なかったのだ。
「今この状況を打開しうる方法はおおまかに三つ。一つは赤城もしくは龍驤がエアーから装甲空母姫を沈める事」
「……ごめんなさい、それは不可能です」
――現状、敵の全空力が空にあった。もはや出し惜しみはないということだろう。それは先ほどまで浮遊要塞を併せて赤城を抑えていた時とほぼ同様。つまり、実質的に空の支配は敵にあるということだ。
押し込まれないことだけが、せめてもの幸運。
そして龍驤もまた、揺れる船体を相手に苦闘を続けている。空は、完全に機能を停止していると言って間違いはないのである。
だからこそ、この場で動きを見せることができるのは、二人だけ。
「だったら――だったら私が何とかする! 接近して敵を撃つ、それくらい、この島風ならいくらだって」
「……でも、火力が足りまセーン。見ていたでしょう? 相手はこちらの全力ファイアを喰らっても、まだピンピンなのデスよ?」
「それでも、それだって――!」
島風は、実に惜しい。彼女であればこの渦潮であっても自由に動きまわる事ができるだろう。渦潮の流れにのれば、砲撃だって可能だ。
だが火力が足りない。島風では装甲空母姫を落とすには至らない。
攻めて後一発。空からでもいい、海からでもいい、装甲空母姫に直撃を与えていれば――
だが、言っても遅い。それはナンセンスというべきものだ。
「――やってやります。この私が、戦艦金剛が――装甲空母姫を道連れにしてでも」
となれば、残るは金剛――空母姫をどうにかできるのは、もはや彼女しかいないのだ。
確かに、砲撃はできないかもしれない。しかし、流れに乗ってしまえば、流れに逆らうことをやめてしまえば。
――自由に砲塔も、照準も合わせることができるのだ。
そして後は、それを叩きつければいい。超至近まで接近し敵を討つ。渦潮の流れで通常以上の速度を生み出す金剛ならば、不可能ということはないだろう。
だが、だからこそ――
「無茶だよ! だってそんなことしたら金剛が――」
「――心配ナッシーン! 私は沈みません。この心に、燃え続ける愛がある限り!」
もしも、失敗すれば、その時は金剛は確実に沈む。もはやどうやったって手の施しようもないほど完全に、海の藻屑とかして消える。
そうでなくとも、この渦潮の中で砲撃が可能な距離まで接近すれば、相手の着弾による余波がある。それが金剛を襲えば、ただで済むとは限らない。
「それに。……もうこれしかありません。話をしている暇はない。だから」
金剛は、無線をそこで切った。相手からの通信を遮断して、自身も肉声のみで周囲に声を伝えて――伝わるはずもない距離なのに、それでも金剛の意図は、読み取れた。
――提督に、愛していますと、伝えて下さい。
そして彼女の姿は――渦潮に呑まれ、消えてゆく。掻き消えると言ってよいほどの速度で、金剛はその場を離脱した。
「――ッ! 金剛――――!」
叫びは、しかし彼女には届かない。島風が手を伸ばす。当然のようにその先には金剛がいて、手は虚空を空振って――そんな彼女たちを引き裂くように、装甲空母姫の砲弾が、両者の中央に突き刺さった。
――激烈な水の勢いの先に金剛が消え去ってゆく。
けれども、それだけですべてが終わることはなかった。
「――ぁっ」
北上の、声だった。
「――北上さん!?」
「……ごめん、愛宕っち、提督、皆――」
爆音。
「あたしもう、持ちそうにないや」
ついに耐えかねた機関が、爆発。そして炎上。中破で踏みとどまっていた北上は、しかし自身の負荷によって大破へと至った。これではもう、満足に機関を動かすこともできない。
爆炎の先――北上が、もはや立っていることすらままならず、ゆっくりと倒れ伏していく。
「あ、あぁ……あぁぁああああああああああああ!!」
動き出したい。今にも身体をそちらへ向けたい。そんな愛宕の姿を、渦潮が引き止めた。身動き一つままならず、愛宕はそれを見送るしか無い。
ただ、のばそうとした手は異様に細く感じられた。愛宕には、驚くほど北上の姿が――小さく見えた。
そして――
もう一人。
「龍驤さん――!」
赤城の絶叫。
押し込めきれなかった。赤城が敵艦載機を自身の艦隊へと向かわせてしまった。それだけではない。気がついた――今、装甲空母姫の砲塔が向いている先にいる艦娘を。
そう、龍驤だ。
未だ着艦に苦しむ彼女を、奈落の底へと突き落とすべく、砲塔が、そして敵艦載機が向けられている。
「……あかん、アカンて」
解った。解ってしまった、もはやそれは、避けようがない対処しようがない。
――金剛が、死を覚悟して前に進んだ。
――北上が、耐え切れず船体を爆破炎上した。
――龍驤が、どうしようもない状況で装甲空母姫の餌食にされようとしている。
もはや蠢きだした大いなる渦はとめることはかなわず。――渦中の少女たちは、翻弄されるがまま、その渦に呑み込まれてしまったのだ。
誰が悪いではない。ただそこに生まれ出た“禍津”。
悪鬼、装甲空母姫。彼女はただ笑うように、その一瞬を、全てを飲み込む瞬間を待望しているのであった――