加賀さんへ。
最近は随分と暑くなって参りました。決してそれが不快というわけではありませんが、今は間宮納涼祭の最中ということもあってか、氷菓子が恋しくて仕方がありません。加賀さんの所はどうでしょう。こちらは随分南に位置していることもあってか暑さはなかなか無視ができません。
それでは本題ですが。前回の手紙に対する返信ということで書かせていただきます。先日おっしゃられていた我が基地の提督の話ですが。まずはどこから語りましょう。少し特殊な事情はありますけれど、それ事態は有名なので、書かなくてもいいですよね? では、まずはあの人のことを簡単ながら、あくまで主観にもとづいて語ろうと思います。彼は若い提督です。これは良い面もありますが、基本的には悪く言うと青臭いということですから、あまり良いことだけではありません。ただ、幸いな事に彼は思いの外思慮深い方です。若いながらも考えを持ち、多くの希望を持っている。決して悪い傾向ではないと思います。彼自身、どこかその幼さを理解していることもあるのでしょうが、非常に前向きな態度でこちらのいうことを聞き入れ、また取り入れ自身の知恵にしています。子を育てる、いえ、この場合は教え子を育てるというのでしょうか、ともかく新鮮な感覚です。私自身、秘書艦としてはまだまだ未熟ですからね。
ですが、少し気になる点もあります。それは、彼が少しばかりまっすぐすぎる所です。これは私に対してだけではないですが、信頼の方法がとにかく直接的です。言葉がどこか気が多いというか、気を持たせすぎるような言動が目立ちます。彼を慕う艦娘は決して少なくはないですが、その分少しだけ心配です。彼を想う艦娘は気が気でなくってしょうがないのではないでしょうか。私も少し心配です。そういう意味ではないですが。
客観的に見れば、彼はとても優秀な提督であると言えます。今のところ轟沈艦が無く、一流でありますし、その精神も犠牲をためらわず勝利に拘れる強い精神です。まだまだ未熟な面は多いですが、それはこれから少しずつ改善されていくことでしょう。
それでは、短いながらもここで筆を置かせていただこうと思います。これとは直接関係はないですが、せっかくですのでお聞きしたいのですが、そちらの生活は如何でしょう。提督を目指す以上、普通の艦娘とは一線を画すと思います。できれば、普段の加賀さんの日常をお聞きしたいです。
――赤城。
♪
「……これが、赤城が書いた手紙の中で唯一、加賀への“ヒント”じゃなかった手紙なの?」
「あぁそうだ。……他人に見られると気恥ずかしい内容だけれどもね」
夜の帳も、いよいよもってその姿を暗がりに変え、人の視界を塞いでいる。曇天ということもあってか、月明かりや星明かりが一切望めないこの夜に、外にでるのは些か意味を逸しているように思えた。
ただ、島風も満も、なんとは無しに外にいた。司令室でするような話か、二人きりでするような話か判断に迷い、とりあえずということで外に出た。
「――“赤城”を、提督は救いたいんだよね?」
早速、直球で島風は本題に飛び込んだ。――あの海でみた亡霊は、間違いなく赤城であった。何故あんな姿で、何故あんな所にいるのかは知らないが、察するに、どうやら今の赤城は、深海棲艦であるらしい。
「……そうだ」
満は、一拍置いてそれを肯定した。改めて、という思いがあるのだろう。満がこうして赤城に対する思いを露わにすることは、本当に久しぶりのことであった。
「じゃあ応えて、“アレ”は何?」
「念現象だ。そしてその本体は間違いなく――深海棲艦、“赤城”だ」
その時の島風には、薄々感づいていた、ある事実が脳裏をよぎっていた。深海棲艦と艦娘の関係だ。今まで、確信には至らなかったものの、島風の思考は、それが正しいのだと何度も告げた。
「艦娘には、艦としての記憶がある。それは別世界の戦争の歴史で、私達はそれを元に生まれてきた――どこから?」
「……、」
満は沈黙していた。島風はすでに答えを持っているとわかっていたからだ。必要のない会話を、挟むつもりは一切なかった。
「――海から、だよね。私達が生まれる場所は海しか無い。そして、還る場所も“艦娘”が“艦娘”のまま生を終えるのは、海しかない」
陸で一生を終えるということは、人間になるということで、艦娘は陸では一切死にようがない。生命活動事態が行われていないのだから、当然だ。
「じゃあ、深海棲艦がくるのは、どこから? ――それも、海。私達が何度も何度も深海棲艦を沈めても、復活するのは、海から無限にあいつらが襲ってくるから」
そして、
「その源は、私達と同じ“別の世界”なんだ。……私のように“島風”っていう根本を持つこと無く、そして何かを守りたいという気持ちを持つこと無く生まれた存在、それが深海棲艦。……提督、答えて」
一言、そこで区切った。意図せず、彼女の意識が紡ぐことを拒んだ。
だが、それでも言った。感情を持って、その問いを言い切った。
「私達と深海棲艦は、“同じもの”なの?」
満は、島風を見た。あくまでその意味を問いかけるように、真剣な眼差しだ。怯えはない。あくまでまっすぐ満を見ている。
「……そうだ」
肯定した。しない理由がどこにもなかった。
「正確には、“そうかもしれない”だがな。日本海軍は――否、世界は、深海棲艦と艦娘の同一性を断言したわけではない」
公的には、そうなっているというだけの話で、決して誰もそれ以外の可能性は考えてなどいない。ただ、内容が内容であるために、隠した上で、ある程度の予防線を配置しているのだ。
「そっか……そうなんだ」
島風は、至極納得したように頷く。彼女には、驚愕も落胆も無かった。ただ納得していた。その程度のことだった、少なくとも島風には。
「じゃあもう一つ。なんでタダの怨念集合体でしか無いはずの深海棲艦は、赤城の姿を取ったの。――これってつまり、“赤城”単体が、深海棲艦になったように思えるのだけど」
――島風は、深海棲艦というものの特性をすでにほとんど理解していた。それ故に、ある疑問があったのだ。深海棲艦は無限に湧き出てくる。その根源である“何がしか”への怨嗟は、一つ一つは小さなものでしか無い。
だからこそ、赤城という“怨念”が、一つの個体を保つことは、“ありえない”事に思える。
「そして加えて、一緒に答えて下さい。――赤城は、救えるの?」
畳み掛けるように、島風は満を睨みつけるようにした。
「目処はある。結論から行けばそこだな。そしてもう一つ、あいつがこんな風に出現した原因は、だいたい二つほどの要因がある。ひとつは装甲空母鬼と同じ原理だ」
「空母鬼……? そもそもあれって、どういう原理で出てくるんですか?」
島風の疑問は最もだ。何故、通常の命名法則を伴わない深海棲艦が存在するのか。なぜ、それらは通常の命名法則とは外れて名前が付けられるのか。
「原因は、装甲空母鬼はそれそのものがひとつの怨念であるために、通常の深海棲艦とは発生の方法が違うからなんだよな」
「え? 違うの?」
そもそも、それを説明するには、この世界に怨念がやってくる方法を説明する必要がある。怨念は世界のある海の一点に存在する門のようなものから流れだし、世界中に散らばり、深海棲艦となる。要するに、海に流されることで門の中から飛び出した怨念は“散っていって”しまうのだ。
かくして散ってしまった怨念のうち、幾つかの塊が各地で深海棲艦として覚醒、行動を開始する。コレ事態に明確な理由は今のところ解明されていないが、世界の原理なのだろう、というのが定説だ。とても大雑把に言ってしまえば、朝が来て、夜になるのと同じことなのである。
だが、それらとは別に門の側には飛び出したばかりの怨念が非常に高密度で密集している。これらは基本的に一つの塊として扱われ――
「寄り固まった怨念が、特殊艦種、いわゆる鬼種やなんだと呼ばれる艦種を生み出すんだよ」
「……なんだ?」
「あぁそれは今は関係ない……まぁ、多分北方海域に湧いた連中が想定以上だったことは無関係じゃないから、そのうち話すけどな」
閑話休題。満は続けてもう一つ、“艦娘”でもなければ“深海棲艦”でもない存在の例を上げる。この世界に辿り着いた意思でありながら、どちらに偏ることもなく、ただ生への渇望を望んだ存在。
そう、
「――僕だ。艦娘でも、深海棲艦でもない、全く別の転生存在だ」
――南雲満のことだ。
「……え? ちょっと待ってくださいよ、それって!」
満は、生を望んでこの世界に来た。その事実事態に島風は狼狽したのではない。その事実の“意味する所”に、気がついたのだ。
彼は生を望み渇く。その意味は――
「提督の、赤城を――“大切な人を”救い出したいっていう渇望は、そこから来ているんですか?」
満の姿は、とにかく前に進む提督に思えた。だが――その根底には、ある一つの心情があった。満は、――きっと誰にも吐露することはなかったのだろう。それこそ、赤城にこそ。
ただし、彼女の場合は、そもそも赤城が生きていた時、満がその心境を自覚していなかったことにあるが。
「そうだ。……どうも僕は、僕にとって大切な人、仲間、友人、家族――そして“僕自身”が喪われることが、絶対に許せない人間らしい」
続ける。
「だってそうだろう? おかしなことか? 昨日まで隣にいたはずの人が、喪われることに、その顔を見れなくなることに、――耐えられなくなることが」
満は――頭上、ここ数年で被り始めた軍帽を、目元まで勢い良く押し込める。――きっとその軍帽は、彼の中に生まれた自覚であったのだろう。自身の立場、そしてやるべきことの象徴であったのだ。
だから、彼は少しだけ、笑みを見せて言う。
「だから――救うことにした。あの人を」
島風は、沈黙で応えた。それは、絶句と言い換えても同意である。
「話を戻そう。彼女がああなったのは、彼女の念があまりに強大であったためだ。だから、装甲空母鬼と同じように“特殊”な形で現出、そしてもしも、その念がバラバラな思いであれば、きっと霧散して彼女は消え去っていただろうな。――だが、そうならなかったのは、彼女の思いが一点に集中していたからだ」
――つまり、赤城は一つのことを、ただただ思い続けていたために、あの姿で復活を遂げたのだ。
「……提督は、それを確信していたの?」
「いくつか方法は考えていた。あいつの換装をサルベージし、それに思念を“引き戻させる”とか、な。ただ、それらが必要なく、一番単純な方法で現れたんだ。幸いなことに」
前振りのように、島風は問いかけた。満は、それを何でもないように応える。続けざま――島風は、本題を切り出した。
「じゃあ提督は……赤城を“救いたい”の?」
その意味は大きく最初の“救うつもりか”という意図とは異なっていた。島風はそれをどうしても聞かなくてはならなかった。ここ数年の満を間近で見てきたからこそ、あるひとつの意思を引き出す必要があった。
それは、満の覚悟である。
「――島風」
案の定、
「……僕は、希望という言葉が嫌いだ」
満は、そう返した。
「僕は何かを“したい”とか、何かで“あればいい”という言葉を使わないようにしている。……他人が使うならばともかく、自分が言うことを考えると、虫唾が奔る」
「――提督」
「島風、僕は決めたんだ。勝利を得るために犠牲がいるなら、その犠牲なんてもの“踏みにじってでも”僕は――僕が決めた結末にたどり着く」
いいか、と――繰り返すように、満は続けた。
「僕にあるのは、願望でも、欲望でも、希望でもない。渇望だ――飢えているんだよ、僕は」
かつて、満には愛した人がいた。
その人は満に多くの知識と知恵を与えた。満に多くの手助けを与えた。――わけもわからぬまま、提督という地位に付いた彼にとっては、愛した人――赤城こそが、“希望”であったのだ。
だが、その希望は潰えた。よりにもよって、その愛した人の手によって。
今の満には希望はない、大望はない。少年のように、ただあこがれを眺める感情はない。――ただ、自身の思いを信念とし、一人立つ男が、そこにいた。