戦艦ル級エリート。ついに姿を表した敵艦隊主力が一翼。その強さは、もはや語るべくもなく。その異様さは、もはや目にするだけでも明らかだ。
僚艦は重巡リ級二隻に軽巡ト級一隻。そして駆逐ハ級二隻。全てエリートクラスによる構成である。
思い出されるはかつて戦艦ル級と島風を旗艦とした艦隊が初めて相対したあの時。かつてエリートクラス一つなかった艦隊が、今度は全てがエリートという、一つ弩級を増した凄みで持って、島風達に狙いをつけている。
「戦闘は出来る限り回避。複縦陣で艦隊を組んで、片方は戦艦達をやり過ごす事に専念。片方は船団護衛に専念!」
「分け方は!?」
「いつものように!」
雷の問に、端的に島風は答えた。いつもの通り、明白な答えだ。それにそって、暁と響が島風の後方に、雷と電が不知火の後方に回った。
「……では、戦艦はこの不知火にまかせていただきましょうか」
きゅっと、手袋をはめ直して鋭い眼光で戦艦ル級を睨みつけると、不知火はそんな風に表明した。島風も首肯してそれに同意する。
「お願い。くれぐれも気をつけて、戦艦ル級の一発で大破なんてことになったら、守れる自信、今の私にはないよ」
「そちらこそ。旗艦が大破しては士気に関わります。くれぐれもご自愛を」
多少刺のある会話を、しかし一切の刺を含まずに飛ばし合い、島風達はふた手に別れた。
「――では、不知火の本領、お見せいたしましょうか」
あくまで、それは静かな声。ただ瞳だけはもはや人に向けるそれではない。殺意、敵意、そして隠しようもない威圧。駆逐艦不知火、その“威容”でもって、その力を露わにしようとしていた。
♪
ル級を狙うのではない。あくまでル級達を逃れ、船団を無事にキス島へ送り届けるのが島風達の目的だ。その上で、この戦闘はある方法で持って行われる。
不知火は敵重巡、リ級へと砲撃の手を向けた。真正面から入れ違うようにル級の艦隊へ接近する不知火達艦隊の左舷は、そのまま切り込んでいく。
逆に島風達右舷は船団をその場から引き離すようにル級艦隊から距離を取り、不知火達との間に大きな間隔が生まれた。
放火とともに不知火達は魚雷も同時に解き放つ。狙いは敵艦隊を半壊させること、そして自身は傷つかないことだ。
そこでリ級である。重巡は戦艦が運用できないような資源状況においては、戦闘の主力となりうる戦力である。つまり、そこを崩せば無視できないダメージが生まれるというわけだ。
だからこそ、不知火及び暁と響はここを突く。
飽和しかねないほどの射撃が一度にリ級を襲えば、さしものリ級でも耐え切れるはずがない。しかも、魚雷までが彼女をくらい尽くそうというのでは、エリートというクラスも型なしだ。
魚雷はそのすさまじい火力でもって、やりようによっては空母や戦艦すらもこれを受けて海に帰すこともある。
だからこそ、それらが一隻の敵艦に向けば、大きな損害は必至。一隻でも深海棲艦が艦娘を中破に追い込めばそれも違うだろうが、それを不知火がさせない。
目前にせまる砲弾を、足元を行き交う魚雷を、巧みに風穴をあけるようにすり抜けているそれは、まさしく歴戦。暁達は、その後を追うように海上を滑っていった。
ついに魚雷がリ級を捉える。回頭する暇もなく、リ級を覆うように水が氷山の如くリ級を貫いた。
何とか無事を保ったリ級ではあるが、それでも継戦能力を失って、大破状態で艦隊から後方に遅れる事になる。
――この戦闘。そもそも敵にメリットと呼べるものはない。獲物である艦娘はたかだか駆逐艦の六隻。大物といえる空母戦艦は現在主力艦隊とのにらみ合い真っ最中だ。
よって、ここで重巡リ級を失う理由はない。艦隊を離れたリ級に寄り添うように、駆逐艦ハ級が後を追った。
これを追わない。敵に戦闘のメリットがないのと同様、島風達にもメリットがない。そこで行われるのがこの方法。無視できない戦力、リ級を大破に追い込み戦闘から離脱させる。後を考えて駆逐艦をその護衛につけるのであれば、二隻の艦艇を戦闘から追い出すことが可能になるのだ。
ここまで数分、ほとんど時間はかかっていなかった。鮮やかなまでに鮮やか過ぎる手管。直後、不知火は――吠えた。
「次! 後一隻叩きます!」
否やはない。暁も、そして響もまた不知火の後に続き、リ級へと砲塔を回転させる。
――片や、その後方とも言える場所で戦闘の行く末を見守る島風達。息を呑むようにしながら、半壊させられる敵艦隊を見ていた。
さきほどのリ級一隻目に続き、二隻目をも即座に大破へと追い込む不知火の手腕。その後ろに続く暁達も、通常以上に身体の動きが良いように思えた。
「……いつも、以上?」
そこまで考えて、島風はある違和感に行き着く。それはそう、通常以上という言葉の意味。――“通常”とは何だ? 何が通常? そうだ、その通り。島風は今まで、駆逐艦の全力戦闘など、目にする機会はなかったではないか。
隣に先代の電がいる時も、それからこの間の演習も、自分のことで手一杯で、観察をする余裕などなかったではないか?
――自分は、一体何を持ってそれを通常と定義するのだ?
「……何も、ないじゃん」
駆逐艦島風は、駆逐艦でありながらその扱いは軽巡、重巡のそれに近く、求められるのは主力としての戦闘能力であった。駆逐艦としての能力など、誰一人として求められていないのである。
だから、今まで島風は自分を軽巡、重巡、はたまた戦艦とすら比べていた。それでよかったのだ、少なくともごく最近までは。
それでは“行きつけなくなった”のが今の自分ではないのか? 遠くを見すぎて、目の前が見えなくなっていたのではないか?
『今更俺が何かを言うことでもないが、島風。――お前は思ったよりも大したことがないらしいぞ?』
そこまで思考して、木曾の言葉が島風の脳裏をよぎった。そこから止めどなく、止まり用がなく木曾の言葉が襲い掛かってくる。
さながら幾つもの“栓”が引きぬかれていくかのように。
『なぁ島風。お前の背中は、遠いな。後ろから見ていて、遠くまで来たのだと実感する。“すごく”なったよ、お前』
『だから……小さいな。お前が小さいよ。……これならすぐにでも追いつけそうだ』
思い返せば、随分綱渡りな言葉選びだと島風は思う。当時、自覚はしていなくとも島風はスランプだった。そこに、かけてはならない言葉があまりに多くあった。
もしも木曾が“強くなった”だとか、ただ“背中が遠ざかった”のだとでも言えば、島風は自身の感情に、無意識に牙を打ち込まれることになっただろう。
だが、木曾は間違えなかった。正しく等しく言葉を選び、行き着くところまで島風を導いた。
「……感謝しても、しきれないなぁ」
島風にとって、木曾は隣にいる幾つもの艦娘の一人だった。自分と彼女たちはイコールであった。だが、実際は違った。島風と軽巡が、イコールで結ばれるはずがないのだ。
駆逐艦なのである、島風は。巡洋艦や戦艦などと比べられるはずもない。
「比べるべきは――見つめるべきは、駆逐艦だよね、やっぱり」
気がつけば、島風は食い入るように不知火の戦闘に没入していた。魅入られているとも言って良い。
「それに……きっと、一人きりでもだめなんだろうな」
不知火の戦闘は、暁達を導くものだった。自身は司令塔として、そしてそれでも“足りない部分”があることを自覚し、一人で全てをこなそうとしない。どちらかと言えば木曾もそうなのだろう。自分にカリスマを与え、それを要いて艦娘を引っ張る。
島風のそれは、きっと一人で何かをこなし、完璧であろうとするものだ。だが、それでは艦隊が成り立たない。完璧であるうちはともかく、島風が崩れてしまった場合、フォローが飛んでくることはない。
今まではそれでもよかった。だが、これからもそうで良いはずがない。西方海域も、いま北方海域に出現する敵も強大だ。これまでの敵の比ではない。
だからこそ、島風はここで立ち返る必要がある。
――意識の外ではあった。それでも、先の戦闘で、島風は頼るということをした。“任せる”ことは慣れている。だが、誰かを“頼った”ことは、あれが初めてではなかったか。
「……うん、多分できる。私はきっと“優秀”だから。やろうと思えば、直ぐにでも」
不知火達に動きがあった。軽巡ト級を轟沈させ、戦闘を続行させる意思がル級のみになった時点で、ル級は大破したリ級を伴い、この海域を離脱するものだと誰もが思っていた。
しかし、そうはならなかった。ル級は全速力で不知火達を振りきった直後、船体を回頭、大きく迂回し、今度は島風達の側に“切り込んできた”のだ。
「――よしっ!」
パンッ! と一つ頬を叩き、そのまま身体をル級ヘ向ける。揺らめく連装砲が一度に一点を狙い定める。魚雷が海へと、発射管を向ける。
「私は島風! 艦隊“旗艦”! たとえそれが戦艦であろうが空母であろうが、一緒に戦う艦娘がいる限り――」
チラリ、と僚艦、雷と電を見る。島風の意思を汲み取ったか、意思の強い瞳で首肯して返す。島風も満足気に頷くと、暁、不知火、そして響にも同じようにする。
同一の返事を受け取ると、満を持して声を張り上げる。
「――負けませんよっ!!」
戦艦ル級を相手取った、“新生”島風の戦闘が始まった。
♪
回転する。砲撃が入り乱れ、しかしル級のみを狙ってその足元で水柱がはじけ飛ぶ。かつてのように、あの時の夜戦のように。
だが、違いはひとつ――大きな大きなひとつがある。
島風の後方から轟いた爆音が、そのままル級に突き刺さる。直撃だ、小さくはあるが、確かな一撃だ。
だれが放ったかは解らない。それでも、意味が無い一つではない。
ル級が動きを止めた。それを見てから島風は即座に回転をやめ前進に切り替える。同時に幾つもの魚雷が島風から放たれた。
艦隊決戦能力が高い島風の魚雷は、重雷装艦を除けば艦娘に置いても最強クラスの高い雷撃能力を誇る。酸素魚雷といえば帝国海軍が開発した世界の常識をはるかに超えるトンデモ魚雷であるが、その中でも島風の五連装酸素魚雷は最高性能を誇る魚雷である。
当たればたまったものではない。即時回頭で魚雷から自身を逸らしながら、ル級は己の主砲を盛大にかき鳴らし、島風を狙う。
だが、たかだか一隻の主砲程度で、島風が捉えられるはずもない。史実からして、敵の主たる攻撃に一度として捉えられることもなかったのだ。
こと回避に関してこの島風、碌な道理で攻撃を見舞われるはずもない。もはやル級は眼前。――かつての光景と、今の光景。なぞらえるには、相違点が多すぎた――!
「ッッラエエエエエエエエエエエエ!!」
三門、艦娘らしい武器としての挙動。全てが同一方向へ、同一の地点へ向けて真正面に添えられた。迫る。超至近からル級を穿つ。
――刹那、ル級の瞳が赤く吠えた。主砲が、黒煙を伴ってル級を赤く照らしたのだ。この距離、外すには、あまりに状況がル級に向いていた。
それでも、躱す。
――島風は、避ける。
ル級が放った砲撃を沿うように、撫で切るように身を反らし、身体を一回転させていく。砲塔が、広げられた雨傘のように、円を描いた。
「もらう!」
即座、急停止。あっという間もなく速度を落とした島風が、ル級に、添えるように主砲を放つ。ノータイム、構えた直後にはもう、火花は散ってル級を包み込んでいた。
爆炎。だが、ル級はそこで沈まない。
両腕の盾。主砲と呼ばれるそれを犠牲にしてもなお、彼女は完全に健在であった。
「――貰うよ、轟沈させる。でもね、貴方は少し見誤ってる。貰うのは私じゃない」
島風は、余裕たっぷりに言葉を連ねた。身体は身動き一つせず、ル級とは未だにらみ合いを続けている。この距離で、ル級が砲撃を行えばひとたまりもないことはわかりきっているというのに。
それでも、動かなかった。
否、動けなかった。
――なぜならば、そこから動けば島風は、“仲間の”雷撃にさらされることになるのだから。
「“私達が”――なんだから!」
直接耳元で鉄鋼同士を高速で叩きつけるような爆音。連続五つ連なって、ル級エリートを飲み込んだ。島風が誘導し、避け得ぬ状況で雷撃が、戦艦ル級へ叩きこまれた。五発も魚雷を受ければさしもの戦艦とてひとたまりでは済まない。
ところどころを黒墨に染められた敵戦艦は、その艤装を悲鳴のように唸らせて、それでも島風に対し最後のあがきを見せようとした。
「……ありがと、敵に言うことじゃないけど。貴方のお陰でちょっとは前に進めそう。……貴方だけのおかげじゃないけどね」
その言葉を追うように、放たれた魚雷で持ってこの戦闘は終了した。これは同時に、島風達の大きな戦闘が全て終了したことを意味する――
♪
その後、キス島を包囲する艦隊と最後の戦闘を行ったものの、せいぜいが軽巡程度というこの艦隊は、もはや島風達の敵ではなかった。終わってみれば決死の撤退作戦とはいえ、ほとんど無傷で島風達は切り抜けたのである。
島風達がキス島の人員を収容し、包囲網を突破した時点で、敵艦隊は北の警備府主力艦隊によって殲滅された。数時間に及ぶにらみ合いでしびれを切らしたのだろう、木曾の活躍は獅子奮迅の名にふさわしく、鬼神のごとく戦果をあげていた。
かくして不穏に満ちた北方海域での戦闘は終了。しかしこれにより、敵艦隊はいよいよその本体を垣間見えさせた。特にアルフォンシーノ周辺はすでに制海権を奪われ、盛大にきな臭さをましているという。
東方艦隊のもう一翼との決戦を控える西方海域も併せて、島風達の奮闘はまだまだ終わりそうにない。
それでも、状況は一定の進展を見た。島風のスランプ脱出は、大いに艦隊の活力となることだろう。
南の鎮守府に帰投する飛行機の中、島風はぼんやりと外の景色を眺めていた。高度数万メートル、大気圏すれすれか、それより飛び出しているのか、知識のない島風には一向に興味のないことではあるが、とにか宙は黒に染まっている。そこは、もはや青ですら無い空と海から隔絶された場所であるのだ。
「どうだった?」
「……どう、って?」
隣でゆったりとくつろいでいる満の言葉を、なんとはなしに問い返す。意味はわかるが、思考がおぼつかない。眠いのだ、少なくとも今は。
「島風は随分と遠くばかりを見ているようだった。木曾に教えてもらったが、駆逐艦の戦闘という根本的なものを見落としていたそうじゃないか、よくそれで戦えていたな」
「……見落としてたんじゃなくて、忘れてたんですよ。木曾と根本的なことは同じじゃないかな」
「――先代電の置き土産、か?」
「やっぱり……そうなるかなぁ。あの時置いてきちゃった忘れ物を、ようやく私は取り戻したんだと思います。……それでも、あの時の私は、やっぱり恥ずかしいんですけど」
あれも、これも先代の電のせい。すさまじい黒幕ぶりだと、二人口をそろえて苦笑する。
「なぁ島風、お前は本当にあの電がただ沈んだと思うか?」
「……どういう意味ですか?」
「なんでもない、忘れてくれ」
――そんな風に会話は途切れて、そうして飛行機は空を行く。これから先訪れることを免れない、多くの困難へ向けて。