艦隊これくしょん -南雲機動部隊の凱旋-   作:暁刀魚

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『08 背中』

『木曾さんは、きっと何かを間違えていたわけではないと思います』

 

 ――それは、出撃の直前に秘書艦、愛宕が木曾へ向けて放った一言だ。

 

『ただ、それはボタンを掛け違えてしまったかのように、何かがすれ違ってしまったのではないかしら。……少なくとも、それは間違いではない。間違いがあるとしたらそれは――』

 

 ――それ以上は、愛宕は続けることはなかった。

 ただニコリと笑って、木曾の背を押すように艦隊の出撃を見送った。晴れやかな空を、そのままキャンパスに描き写したかのような透き通る笑みは、木曾の心底を打ち、海にその体を預けるまでの間、愛宕がかけた言葉とともに、木曾を釘付けにするのだ。

 

 今、木曾も島風も、同じ海の上にいる。これまで交錯することすら無かった少女たちが、交差どころか、列を並べて艦隊を組んでいる。

 不思議なものだ。

 

 木曾にとって、島風は決して嫌な相手ではなかった。けれども、心底“上でありたい”と思う相手であった。それは純粋なライバルというよりも不和な感情が大きく会って、敵対しあう者同士よりも、奇妙な友情を感じていた。

 強いて言うなら、宿敵。加えて言うなら――戦友。

 

 それが崩れてしまったのは何時のことだろう。

 無論、先代の電が轟沈してしまった、かの日からであることは間違いない。しかし、そこから止まってしまった二人の時間は決して動かせないものではなかったはずだ。

 

 だが、いつの日にか滞ってしまった。

 木曾と島風が“すれ違っている”のはきっと、時間がそうさせてしまったからだ。時間により分かたれた二人は、それ相応に変化した。

 木曾は第二水雷戦隊の旗艦、エリート中のエリート。

 島風は南雲機動部隊――正規空母すら席をおいていた艦隊の旗艦、いわばエース。

 

 ぶっきらぼうで不器用な少女は軍人らしい軍人に成長し、わがままで不器用な少女は優等生らしい優等生へと変化した。

 

「――敵艦見ユ! このまま薦めば、おそらくT字有利で戦闘に入ります!」

 

『単縦陣で戦闘配備、敵艦隊を撃滅せよ』

 

「了解!」

 

 すでに直列していた艦隊の全ての艦娘が一挙に満へ返事を返した。前方の島風から大きな飛沫があがる。急速にスピードを上げた彼女に追いつくべく、各々艦娘達も、徐々に速度をトップスピードに近づけてゆく。

 水を掻き切った前方の飛沫が、木曾の元へ届いた気がした。艦娘達の距離はそれほど近いわけではない。ただ、そんな“気がした”だけだ。

 

 それはきっと、島風のものなのだろうと木曾は勝手に決めつけた。

 

 

 ♪

 

 

 潜水艦隊との戦闘を切り抜け二戦目。一度撤退を余儀なくされた海域において、島風達は再びかの艦隊と相まみえた。正確には、編成され直した敵艦隊と。

 砲撃は、瑞鳳の航空機が空を舞った後、始まった。たたきつけられた艦爆と艦攻の絨毯爆撃は、しかし敵艦隊をほとんど穿つことはない。わかりきっていることだ。敵は空母機動部隊。たかだか一つの空母でもって放たれる戦力では、そうそう複数空母の編隊は崩せない。

 

 あくまで、最初の爆撃は牽制。せいぜいが脇の駆逐艦を穿てれば良いというほどのもの。むしろ本命は二の太刀雷撃。重雷装巡洋艦――北上の、開幕雷撃が敵に向けて放たれるのだ。

 

 飛沫が吹き上がった。敵の軽巡ホ級に着弾、直後船体が真っ二つに避けた敵艦は、そのまま海の底へと消え去っていった。

 

「っし!」

 

 軽くガッツポーズをして見せて、北上は即座に続く三の太刀――砲撃戦のための主砲を構えた。

 

 ――戦闘はほぼ一方的といえた。そも、前回の戦闘でダメージを負ったのは運悪く一撃をまともに浴びた島風と、無茶をした木曾の両名。

 少なくとも後者に関しては普段通り――南雲機動部隊としての活動だけを見れば、普段以上の動きのキレで、木曾は敵艦を狙い撃っている。

 

 その木曾の表情はどこか堅い。まだ何かを胸に抱えている様子だ。しかし、それでも戦闘における調子は取り戻しつつある。絶好調と言えるレベルにまで、彼女は仕上がっているよだった。

 あらゆる水雷戦隊の中にあって“最高”と呼ばれた第二水雷戦隊、その旗艦であった木曾。つまり彼女は言い換えれば――日本最強の軽巡。少なくとも旗艦としては、彼女と並び立つ艦娘はそうそういない。

 

 T字有利状態という追い風があったにしても、終わってみれば島風達は、一切損害を被ることもなく、敵機動部隊を殲滅した。完膚なきまでに――決定的に、南雲機動部隊は勝利した。

 

 そして、進撃。

 続くは敵の最深部。東方艦隊――主力郡が、その一つ目。

 

 万事際しなし。しかし、一つだけ気がかりが木曾にはあった。

 戦闘中、敵空母ヲ級が放った艦爆が、島風を穿とうと空を駆けていた。それは単純に、目に止まったのが島風で、そしてそれを木曾がそう認識したからこそ、そう決めつけたのだ。

 

 だが、それがよくわからない。要するに、何故木曾が島風に対する攻撃であるか、それすら判断できない状況で木曾はその攻撃を島風へ向けたものだと判断した。

 即座に対空火器でそれを迎撃、回避のまもなくその直撃を受けた敵の艦載機は空中にて黒煙混じりの花火を上げて、そのままあらぬ方向へとそれて消えた。

 

 そのまま意識もせず砲撃戦へと木曾は舞い戻る。身を翻し、迫り来るいくつかの砲弾をやり過ごした。だが、その最中であってもまだ、木曾は先ほどの艦載機に意識を奪われていた。

 

 もしもアレを落としていなかったら、取り返しのつかないことになっていたのでは? そうでなくとも非常に“面倒”なことになっていた可能性はある。どうしてか、そんな思いが拭えなかったのだ。

 

 拭えぬまま戦闘は終わり、木曾はその不可解と、元よりあった島風への複雑な胸中を綯い交ぜにし、続く主力艦隊と決戦へ赴く事になる――

 

 

 ♪

 

 

 海は驚くほど風を逸していた。波の無い洋上というのは、あまりに異様な光景だ。ただ島風達の描く航跡だけが、泡を描き道を作る。

 さながら純白シルクのロードといった様相であるが、描くは無骨な艦娘の装備だ。幻想的な過去の世界に思いを寄せるようなものではない。そも、シルクを運ぶからシルクロードなわけで、シルクで作られた道でもないが。

 

 益対の無いことを思考しながらも、島風の胸中には未だ支え棒が突き刺さっている。感情は、“どう”するべくもなくそこにある。島風の手におえないほど。

 

 直後、己の口は敵艦見ユとそう告げた。正確には瑞鳳の偵察機が告げた情報であるが、報告は島風の役目だ。それは今までも、そして島風が南雲機動部隊の旗艦であるかぎり変わらないだろう。

 

『――島風』

 

 声が聞こえた。個人の会話ということだろう。接敵までに少しの時間がある。それを利用して木曾が無線機越しに話しかけてきたのだった。

 

『あの時のことはすまなかった。……いや違うな、あの時のことを引きずってばかりいて、すまなかった』

 

 ふと、島風は幻想を見た。イメージの中に、木曾が現れた。

 ふたりきりの海。今は昼で、空も海も青に染まっているけれど、島風の心のなかは黒墨の一色だ。そこに、木曾がポツンと立ち尽くしている。

 

 風を切る前傾姿勢から、立ち尽くすような態勢へ切り替える。とはいえそれで船速が変わるほど島風は全速力ではないわけだから、周囲に意識されることはない。意識されるほど、島風に変化はない。

 

「……うん、ありがとう。実は龍驤と話をしていて気がついたんだけどね、木曾、貴方と私の相手に対する感情って、すれ違っていたんだね」

 

『――どうも、そうらしいな。こうもすんなり受け入れられるとは思わなかった。でも、腑に落ちた。何だな俺達――こんなに不毛なことを今まで引きずっていたのか』

 

 すれ違いは、不毛だ。お互いに言葉を交わせばすぐに関係を修復できるのに、すれ違いがそれをさせなくする。そして、すれ違いによって生まれた不和の時間が、ながければ長くなるほど、勘違いはあまりに大きく、取り返しの付かないものになる。

 

 少なくとも、木曾と島風にとってはそうだった。誰かの力を借りなければ状況は解決しないほど、ネジ曲がっていた。

 木曾は言う。――こんなに単純なことだったのに、と。

 

『なぁ島風。お前の背中は、遠いな。後ろから見ていて、遠くまで来たのだと実感する。“すごく”なったよ、お前』

 

 ふと、イメージの中の木曾が、島風の胸元に手を載せた。それはごくごく自然な動作で、二人の距離感を測るようであった。

 決して近くはない。だが、手を伸ばせない距離ではない。言い換えてしまえば“手を伸ばさなくては届かない”距離。

 

『だから……小さいな。お前が小さいよ。……これならすぐにでも追いつけそうだ』

 

 彼女は、何かをたぐり寄せるように島風へ言った。引き寄せるように、語りかけた。

 

「……もうすぐ接敵するよ。まずは敵の主力を叩く。付いてきて」

 

『委細承知!』

 

 跳ね上がった水が連なって、ひとつの淡い弧を描く。敵艦隊は、すぐそこまで迫っていた。

 

 

 ♪

 

 

「撃ち抜けッ!」

 

 敵編成は戦艦ル級フラグシップを旗艦とし、空母ヲ級フラグシップ、そして重巡リ級エリートと軽巡ト級エリート。そして駆逐ロ級エリート二隻。

 

 その後方、ト級エリートを狙い定めた木曾の主砲が、木曾の背中、右手側から振るうように煙を跳ねさせた。

 瞳が、衝撃に振り回されるビー玉の如く周囲を転がる。視界がブレにブレ、揺れに揺れ、飛び交う砲弾を追いかける。

 迫る致死はいくつもあった。その中から幾つかの、己に迫る致死を判じて動く。体がぶれた。一瞬のこと速度の緩急が異様なほど揺れた。

 

「あまいな、甘いなアマイナあまぃなぁ!」

 

 降り注ぐ弾丸。黒のカーテンが襲う死を木曾はその中に身を躍らせて、その中をかき分け突き抜け、振り切るように滑り行く。

 即興の逆流滝、朽ち果てた神殿跡。やがて消え行く柱があれど、その直後その場所に、三度砲弾が突き刺さる。

 

「がむしゃらな砲撃だ。さながら児戯……! 違うなぁ、砲撃はそうじゃないそうじゃないんだよ俺の敵!」

 

 その砲弾。ほぼすべては木曾が狙う軽巡ト級エリートからの一撃。一部は他艦艇の流れ弾という風であるが――

 届かない。軽巡ト級はミステイク。間違いを犯し続けているのだ。そう、届かない。がむしゃらに砲弾を押し付けて、あたったとしてそれが何だという。それは、所詮ラッキーパンチというものだ。

 

 意味が無い。到底それでは意味が無い。

 

 木曾の砲塔が回転を始める。唸りを上げて狙いを付ける。ほんの小さな左回転。直後――吹き上がった一撃は敵ト級エリートの至近にたたきつけられる。

 あふれた飛沫の衝撃と破裂した砲弾の破片がト級エリートをえぐり、切り傷を刻み込む。

 

 至近弾。正確にはそれは、先ほどト級エリートに放った砲弾から距離を修正して放つ“夾叉弾”だ。一つでは仕留めない。余裕を持って続けて二つ。そしてまとめて三つ目で落とす。

 

 一度で当てることはない。必要ないのであるそのような幸運。――それが兵、それが歴戦というものだ。

 

「さぁ沈め……お前は海に、必要ない!」

 

 ようやく、ここまで来た。

 三発で木曾は軽巡ト級を沈めた。二の太刀いらず、どころか、必殺すら必要ない。ただ薙ぎ払う一振りだけで持って、ト級はなすすべもなく沈んだ。当然のように木曾は続く敵へ意識を向けた。

 

 ようやく、木曾は感覚を取り戻しつつある。

 水雷戦隊の旗艦としての仕事と、艦隊決戦を行う主力艦隊の随伴艦では、役割は大きく違えられるだろうが、それでも木曾は天性のセンスでもって戦いを進める。

 もう、無茶はない。

 木曾は本来の調子を取り戻していた。島風との会話で、彼女の中で踏ん切りがついたのだ。

 

 結局のところ、単なる行き違い。言葉のたり無さと、それに伴わない思いの反発。愛宕は言った。島風が悪いのではない。木曾が悪いのではない。

 

「まったく……面倒な置き土産をしてくれたものだ」

 

 そう、この面倒な状況に、悪者がいるとすれば――

 

「電の奴め、本当に最後の最期まで、厄介な奴だよあいつは」

 

 ――先代の電。彼女が沈んだことが悪いのだ。木曾はそんな思いを込めて、一人ごちる。それは彼女の中で、電の轟沈に対して、そういった思いを持てるようになったということである。

 

 見れば金剛の主砲が空母ヲ級フラグシップに炸裂していた。

 戦闘は終わる。つつがなく、南雲機動部隊の勝利でだ。先の戦闘で、大破したということが信じられない程、一方的に、徹底的に。

 

 直後、降り注ぐ龍驤の爆撃。その一撃は、戦いの終了を続けるには、十分すぎるほどに十分であった。

 

 

 ♪

 

 

「――木曾?」

 

 龍驤がふと、気がついたように木曾へ向けて声をかける。すでに帰投を始めた洋上。戦いを終えた海は、そのあまりある穏やかさを持ってなお、抱えきれない静寂であふれていた。

 

「……なんだ?」

 

「…………久しぶりやね」

 

「あぁ……本当に、久しぶりだな」

 

 もう、何年ぶりになるだろう。おそらくは七年ほどの歳月、言葉をかわすことのなかったかつての戦友とようやく木曾は言葉をかわした。

 続きはない、ただ二人並んで海を滑って、どこに続くとも知れない雲のない空を見上げている。

 

「今度、島風を誘って飲まないか?」

 

「あはは、魅力的な誘いやね。ウチお酒呑めへんからジュースやけど、いい?」

 

「島風だってそうだろうさ」

 

 ――違いない、二人は軽く笑い合った。龍驤と木曾、互いに遠慮をしていたわけではない、それでも会話の機会がなかった両者はようやくここで、お互いの時間を近づけることに成功したのだ。

 

『――そういえば木曾、山口さんが君に話があるそうだ。こってり絞られてくるんだね』

 

 ふと、満が無線機越しにそんなことを言ってきた。山口とは、北の警備府司令、一応満の上司にあたり、木曾達の指揮官である。

 

「ははは、それは怖いな。ひ……提督のお叱りは長いからなぁ、昔から」

 

 口調は全く怯えを見せず、むしろ楽しげに木曾は語った。

 やっと、掛け違えていたボタンは外れた。それが果たして正しく直されたのか、それともそのままなのかは木曾には解らない。それでも、今が悪い状態でないことは確かなのだと、晴れやかな顔で、そう思う――


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