潜水艦。海の中を駆け、時には駆逐艦を、時には軽巡を、時には空母すらも轟沈させるスナイパー。史実における第二次大戦時の潜水艦は、現在のイメージされる潜水艦というものよりも、『潜ることのできる船』、可潜艦というのが実際のところだ。
とはいえ、大日本帝国海軍はこの潜水艦に多くの艦を沈められ、艦娘の中にも、潜水艦を苦手だと感じる艦娘は多い。島風の報告を聞いた金剛は露骨に嫌そうな顔をして縮こまっている――役割の関係上、彼女は潜水艦には無力だ。その上、史実における戦艦金剛は潜水艦に沈められている――逆に我が意を得たりとは、軽巡洋艦夕張だ。
いかにも楽しげに笑みを浮かべて、彼女の両舷に出現したアーム上の兵器――爆雷投射機だ――を愛おしげに撫で回している。両舷に拡がるそれはKのような形をしているため『K砲』と呼ばれる通称を持っている。
どちらかと言えば軽巡の中でも中堅どころに入る夕張の性能は、追加可能兵装四という、他の軽巡には無い特徴で補われている。状況によってその装備は変更されるわけだが、中でも対潜水艦戦闘に使われる装備を搭載することで、彼女は対潜の鬼へと変わる。
その姿はまさしく獲物を前にする鬼神の如く。直後、爆雷投射機のアームが跳ね上がり、爆雷が音を立てて山を描いた。
「ッケェ!」
航空爆弾と同様の形状を有する『三式爆雷』が弧を描いて空から海へと落とされる。一度吹き上がったそれは勢い良く海底の潜水艦を狙うのだ。元はドラム缶式の物を使用していたのだが、降下速度が遅くなかなか成果を挙げないため、このような形に改良されたのが今の爆雷だ。
爆雷は簡単に言えば時限式の機雷で、敵の位置を察知した上で、その敵が移動する先に爆雷を投射、潜水艦を撃滅するための装備だ。当然、これだけでは何ら意味は無い。これを数撃ちゃあたるの要領で投げ込むことが、まず対潜の基本。
そして、そこにもう一つ、別の装備を利用することが対潜のもう一つの基本だ。
夕張の顔のすぐそばに、何やら無骨なモニターが出現する。但しそれは近未来的なモニターオンリーのシロモノではなく、いわゆるブラウン管テレビのような箱型の物。
そこに、“ソナー”によって反応した敵の姿が映し出される。
兵装の名は『三式水中探信儀』、いわゆるアクティブソナーと呼ばれるたぐいのもので、こちらが放った超音波の反響を元に。敵の居場所を察知する兵器。
それによれば、夕張のはなった爆雷は数秒後敵に着弾、問題なく敵を轟沈できるはずだ。無論、敵が避けなければの話だが。
「島風ー! そっちは大丈夫!?」
前方、行き交う形で遭遇した敵潜水艦隊は、当然最前に立つ島風がまず接敵することになる。
「……梯形陣で反航戦になってるから、ちょうど相手が私達の足元を抜けてくみたい。嫌な感じ……」
「それは、そうね。じゃあ、このまま殲滅してやりましょう?」
別の艦隊に所属する艦娘同士とはいえ、島風と夕張はそれなりに会話が多い。続けて、身体を反転させながら後方、もう一人の対潜要員へと意識を向ける。
「……えっと、木曾、でいい?」
「あぁ、構わないぞ」
少しだけ遠慮がちな夕張の問いかけに、木曾は頷いた。潜水艦が反応するソナーを敵意満面に睨みつけながら、片手間のようにそれに同意した。
「旗艦のカ級エリートは私が何とかするから、島風と一緒に他のをよろしく」
この中で最も対潜能力が高いのは追加兵装に三式ソナーを二つ積んでいる夕張だ。
「エリートクラスなら俺でも十分に駆逐できる。……役割分担はいらない。相手は潜水艦だ。全部落としてしまえばいいだろう」
その語気は強い。夕張はしょうがないと嘆息し、爆雷を構えた。そもそも潜水艦という艦種が特殊な形態を持つ。その意味は大きい。戦闘においても、意識の上においてもだ。つまり、他の艦種とは違う認識を、艦娘達はここに潜水艦へ抱いている。それはつまり、憎しみと言って、しまってもいい。
ソナーに浮かぶ点は五――まだ、敵は誰も沈んでいない。
――潜水艦との戦闘は甚だ地味だ。しかし、潜水艦との邂逅は、うってつけな悲劇の舞台だ。かつて読んだそんな言葉を反芻し、夕張はココロの奥底で沈殿しきった何かをこぼした。
木曾が悪いではない、島風が悪いではない。自分が悪いではない。ただ、潜水艦という存在が、あまりに大きく意識を集中するというだけのこと。
振りかぶって、飛び上がった爆雷が水しぶきを上げて海を叩く。
「沈め、沈んでしまえ潜水艦!」
後方、木曾の声が肉声で響き渡った。即座に夕張の右舷前方へ向け、流線型のそれが降り注ぐ。鉛色の味気ない無骨な流星群が、金属音を尾ひれに変えて、海に爆発的な芸術を作り出す。
「――うぁ?」
直後、北上の前方で水中が浮かんだ。何かが、それに伴って衝撃へ変わる。それだけだ。北上が濡れネズミになったものの、他に変化はない。端的に言えば、潜水艦の魚雷。
「セーフ!?」
「セーフ!」
夕張の問いかけに、北上は心底驚いた顔で頷いた。一体どの段階で魚雷を放っていたというのだ? 狙いを定めたところで、本来であれば当たり用がないのだ。前方からすれ違う敵艦に、魚雷を当てるのは至難の業。
そもそも、雷跡が残るはずなのだ。魚雷は線をを残して海を這う。突如として空間に出現することなど、ありえない。
ならば、何か。
「木曾、爆雷投げすぎだってば!」
「だが! 潜水艦が撃滅できていないぞ!」
――原因は二つ。正し、それは要因であり根本的な理由としては、一つ。爆雷の投射が過剰であるために、その水柱がうまい具合に雷跡をかくしてしまったのだ。
「こっちのこと考えてくれないかな……」
「で、でも!」
北上の言葉に島風が即座に反論しようとして、しかし詰まらせる。原因、つまり過剰な投射は木曾と島風に拠るものだ。一応、投げるだけという様子で手当たり次第に投げていた北上と、ソナーを用いて手堅く狙いを定めていた夕張の投射数は少ない。
前者は狙いがつけられないことを考えて、後者はそもそも必要がなかった。
――結果として、過剰な爆雷は北上を救った。しかし、その過剰な爆雷が原因で、北上は窮地に陥ったのだ。皮肉、といえばその通りではあるだろうが、
「……なぁ、ちょっとええ?」
後方、龍驤がおそるおそると言った様子で問いかける。声の先はおそらくちょうど前方にいて、現在の状況で最も声をはりあげているであろう夕張だ。
どこか遠慮がちだが、しかし同時に焦りも見える。声を出すことに躊躇いはないのだろう。遠慮は要するに、内容そのものが由来しているのだ。
「ん。なぁに?」
振り返る。爆雷を構えながら、ソナーを注視しながら。残念ながら未だ敵潜水艦は全て沈めたわけではない。故に、爆雷を投射する手を夕張は緩めていないわけだが――
そんな折、通信が途絶えていたはずの満の声が通信機越しに響く。
『島風! 今すぐその海域を離脱しろ、潜水艦は一切気にしなくていい。最大船速で離脱することだけを考える!』
「ちょ! いきなり何言ってるの? 潜水艦は沈んでないんだよ? それなのに逃げるとか、鴨にしてくれって言ってるようなものじゃないですか! 私達にシネって言うんですか!?」
『そうじゃない! だが説明している時間もない。これは命令だ。繰り返す、これは命令だ。今すぐこの海域を離脱しろ!』
「でも、」
「――でもも何もあるかい! ウチは帰らせてもらうで!」
突如として、龍驤が大声を発して速度を上げた。当然前方にいる夕張もそれに押されるように速度を上げる。
「何をしている龍驤! まだ敵が残っているんだぞ!?」
木曾の声。不服そうにしながらも、夕張を避けるわけにも行かず、押されて速度を上げる。根は真面目なのだ。――少なくとも、今は行き過ぎているという他にないが。
『……シャラップ!』
――無線機を使用したのだろう。耳に響くほどの大音量で、金剛の声が周囲をかき鳴らした。無線機に耳を傾けていた北上が思わず呻いて飛び上がる。龍驤は何かに気がついている。そしてそれは金剛も同様なのだろう。鋭い声は、彼女の存在を海に示した。
忘れがちだが、彼女はもう十五年近くものあいだ、世界中の海で敵を蹴散らしてきた歴戦の艦娘なのだ。それは新米を多少脱したところでしかない満の言葉以上に重く――それどころか、反論する艦娘の誰よりも強く、周囲を圧した。
さすがに、金剛の雄叫びを受けて反論できる者もいない。島風がしぶしぶといった様子で速度を上げると、全速力でもって艦隊は戦場を駆け抜けていった――
「……それで、」
数分程度しただろうか、夕張が再び振り返って龍驤に問いかける。先ほどは満の命令で中断された。そしてようやく一息ついたという様子の龍驤を見て、問題ないだろうと声をかけたのだ。
「一体何だったのかしら。さっきのあなた、どうみても普通じゃなかったし」
「あーうん、いまさら何やけどな」
前置きをして、言う。先ほどまでは必死だったのだ。しかし、後になればそれはぶり返して恥ずかしさに変わる。
「ウチな。あそこで北上はんの前で魚雷が爆発したの、偶然やないと思うねん」
「え? いや、それはさすがに偶然でしょう。どう考えてもあの潜水艦。とんでもない距離から魚雷を撃っていたはずだし。まぁそういうことが無いわけじゃないとは思うけど、でも、結局そういうのは、偶然でしか片付けようがないでしょう?」
「あ、うん。それはそうなんやけど。っていうか、別にそれが偶然ではないとは思わへんねん。ちょっち違くてな? 魚雷が“北上はんにあたること”やなくて、魚雷が“機雷にぶつかって爆発すること”が偶然やないって思うのん」
「……あっ」
夕張も、そこに至ってようやく気がつく。無理もない、夕張の本分はデータの取り扱いだ。手先の器用さであればこの中で適うものはいなくても、発想の多様さで勝てる相手は、あまりいない。
一つの技術に慣れすぎたエンジニアが、その技術以外の発想を浮かびにくいのと同様だ。
そしてあの場でそれに気がつけたのは龍驤と金剛、それから北上だ。何も北上はただ無線に気を取られていたのではない。気を取る必要があると判断したからこそ集中して周囲の声に耳を傾けていたのだ。
「――つまり、魚雷は機雷に偶然ぶつかったっていう前提が間違ってるの?」
「うん、せやから要するに……」
声はそこで途切れた。否、続いてはいた。しかし聞きとりようがなかったのだ。“それ”は容易に世界から音を消し去った。夕張の声も、龍驤の声も、もはや届かないところまで連れて行かれ、消失した。
そう、魚雷がぶつかったのは偶然ではない。では、どういうことか。――簡単だ。
爆発。連続して吹き上がる水柱。下から上へ、その瞬間西方海域の大海原に地から生まれた滝が天を昇った。
「……っ! 一体何ごとだ! 島風ぇ!」
「潜水艦全五隻ロスト、今ので沈んだってことね」
木曾の声に、すでにわかりきっていたことではあるものの、それを明らかにするように夕張は告げる。――直後、今の今まで展開されていたソナーも爆雷投射機も、まるで最初から無かったかのようにどこへともなく消え失せた。
簡単なこと。――魚雷は偶然爆発したのではない。“魚雷がどこかで衝突し、激突するほど機雷が投げ込まれていた”のだ。
龍驤達が憂慮したのはこれだ。魚雷の勢いも合ったとはいえ、北上を覆い尽くすほどの水しぶきがあの時あがった。それだけ多くの爆雷があの海の中に点在していた。何かにぶつかり一斉にそれが爆発すれば、海の一角を覆い尽くすほどの衝撃になる。
過剰過ぎたのだ。原因は明白、爆雷をところかまわず投げ入れ続けた島風と木曾である。
『別に今は咎めるつもりはない。進撃してくれ島風。敵艦隊主力はすぐそこにいるからな』
「は、はい……」
肩を落として、島風が了承した。――精彩を欠く。島風は南雲機動部隊、鎮守府所属の第一艦隊旗艦であるのだ。それなのに、この有り様。どうにも、上手く行かない。
木曾もまた同様だ。栄光の第二水雷戦隊旗艦が、このざまだ。だが、島風以上に木曾は落胆が大きい、島風以上に彼女は感情に意識を任せていたようにも見える。
――龍驤は、そんな後ろ姿をふと、見た。寂しげだ。決して彼女はミスのおおい艦娘ではない。それは同じ基地に所属していたころから変わらない。優秀な艦娘なのだ。潜水艦を相手にしても、本来ならばこんな風にはならないはずだ。
原因は間違いなく島風だろう。無理もない、“アレ”を気にするなというのはムリだろう。だが、声はかけられない。あの時、声をかけられなかった自分に、いまさら何かをいう資格はないだろう。
「……“役立たず”の自分に、木曾はんにかけられる声なんてあるわけ、ないやん」
「――ん? どうかしたの?」
「あ、あぁ何でもないで」
幸い、この艦隊には経験豊富な金剛もいれば、最近やたらと頭角を現してきた愛宕もいる。問題は起きるだろうが、解決する人材にはことかかない。
意識を切り替えて、龍驤は続く主力艦隊との決戦に備えるのだった。
♪
『敵主力艦隊撃滅……これより帰投します』
無線越しの声に。満は了解と返して通信を切る。
「……拍子抜けだな」
「拍子抜けですねえ」
愛宕が同意した。無理もない、主力艦隊とはいっても、結局は残りカスだったのだろう。敵旗艦は重巡リ級フラグシップ。戦艦も正規空母もいない艦隊が待ち構えていた。
当然今更島風達の相手になるほどでもない。あっという間に殲滅が完了、ジャム島攻略作戦はこれにて終了と相成った。
「それにしても、いきなり問題が起こったな」
「起こりましたねー。でも、大体どんな感じか解りましたし、次くらいにはなんとかなるんじゃないかしら」
「だといいけれどもね」
しかし……と満は帽子のつばを弄りながら嘆息する。深々と腰掛けに身を投げ出し、天井を眺めながら、ぼんやりとした調子で言った。
「木曾はまぁ何とかなるんだろうが、何だか気になるな」
「島風さんですか? うぅん」
「どうした?」
「いえ、提督でもこのくらいなら解るんですね」
「どういうことだ?」
「どうということはないです。ただ島風ちゃんの場合、これは一人で考えるか、もっと近しい立場の人が何とかしないと」
――問題は深い、愛宕は大げさにため息を付いて、肩を揺らす。満は興味なさげに“それ”から目線を外すと、
「僕じゃあダメなのか?」
「ダメだと思います。……少なくとも、島風さんの過去を直接見た人でないと」
「そうなると……龍驤、より響の方がいいか? 同じ艦種だしな」
「あら鋭い。それかもしくは、駆逐艦の娘と一緒にするのがいいと思います。でも、今はあまり気にする必要もないわね。まずは木曾さんとの事をどうにかしないと、本人も気が付かないとおもいますし」
木曾との事。満はそれを改めて口の中で転がした。思考は愛宕との会話からも離れ、どこか深い海へと沈んでゆく。
潜水艦が潜むような、大きな大きな海の底へ――