北方海域がきな臭さを増す中で、西方海域への進出作戦は計画通り実行されることとなった。これは、現在西と北以外に大きな戦線がなく、また南がおとなしいために。余裕をもって艦隊を送り出せるというのが大きい。西を攻めている間に北がどうこうなろうと、それをカバーするだけの余力は、日本海軍には残されていた。
そこで、日本海軍、及び満達南雲機動部隊が所属する鎮守府は西方海域攻略を開始、まずはその緒戦。『ジャム島攻略作戦』が開始されようとしていた。
西方海域のこれまで満達が攻略してきた海域との違いは、戦線が広域に渡るということだ。単純な話、戦闘をする場所は一箇所に限られず、このジャム島を攻略の後、カレー洋、リランカ島と、戦線を拡大していく必要があるのだ。
「今回相手取るのは敵東方艦隊の本当にごく一部、フラグシップすら確認されない末端の艦隊だ」
満の言葉だ。
「しかし、このジャム島を攻略することは、つづくカレー洋攻略のための足がかりを作るという意味では重要だ。カレー洋、及びその次に侵攻するリランカ島には、東方艦隊の主力が駐泊している。まず、これを順次叩く」
続ける。
「ジャム島は攻略においては要所だが、おそらくそこに用意できる戦力は無かったのだろうな、ジャム島の敵は囮だ。敵がここを攻めた時点で守備を放棄、反転してカレー洋の主力と合流するだろう。僕達はジャム島を攻略、電撃的にそのカレー洋主力艦隊を叩く。ここまではいいかな?」
「はい。……敵艦隊はあくまで囮です。戦艦を持ち出すのは過剰戦力では?」
「それを言ったら愛宕、僕達が三年前の戦いで投入していた艦隊は割りと過剰戦力だぞ? 今は艦隊に余裕がある。使える以上使うのが礼儀だ」
「それもそうですね……では続いて、本作戦の最終目標は?」
愛宕が間髪入れず続けた質問に、満は一瞬だけ空白を差し込んで、口を重く結んだようにしながら、続けた。
「――深海墓場の奪還。東方艦隊の中枢戦力は“深海墓場”カスガダマ島にあると目されている。当然、それ相応の戦力は必要になるだろう」
「……深海墓場!?」
島風が、驚愕するように反芻し、問いかける。それに満は、わかっているという風に頷いて、回答する。
「あぁそうだ。それ相応の戦力とはつまり、大艦巨砲主義的な強力艦であり、――対潜能力を持つ水雷戦隊でもある。そして深海墓場、カスガダマ島は――」
その名を口にすることを、満は一切ためらわなかった。島風と、龍驤がそれぞれ息を呑むのを理解した上で、淡々と、平然と、わかりきったように、それを伝えた。
「すでに歴史の名となった伝説の駆逐艦――先代“電”の眠る場所でもある」
♪
伝説の駆逐艦、電。その功績はかのミッドウェイにて、轟沈が不可避とされていた正規空母を救出したことから始まり、あらゆる面に渡る。時には駆逐隊の旗艦として成功確率数%とされた遠征を成功に導き。時には大海戦に参加、フラグシップ渦巻く海域を抜け、敵主力を一騎打ちで討ち果たし。
歴史に名を残す、という点では約七十年前の海を賭けた駆逐艦雪風や、その雪風が沈んだ海戦を唯一生き残った駆逐艦時雨などが話題に上がるが、それと同様以上の知名度を、この先代“電”にはあった。
その電が、沈んだ場所が深海墓場、カスガダマ島。
数多の海戦を駆け抜けた伝説の駆逐艦は、なんということのない輸送任務の最中、――潜水艦の一撃から同型駆逐艦、響をかばい轟沈。
あまりにも、あっけない幕切れでこの世界から姿を消した。
彼女のその最後を語るのに、艦娘である以上、沈むときは沈むのだから当然だという者もいれば、彼女があのような場所で沈むのはありえないと言う者もいる。これは、彼女を実際に知っている、いないにかかわらず、一定数あらゆる層に存在しているのだ。
満はといえば、警備府司令の言う『あの子はただで沈むような子じゃない』という言葉を支持している。つまりこのどちらにも属さない。ただしこれは極少数派、一部の艦娘と軍の上層部が語るだけ。
これは満の艦隊においても、その意見は別れる。金剛や愛宕は少数派であり、それ以外は龍驤が後者、北上と島風が前者といった風であった。
そして今日――西方海域攻略のため、対潜要因として派遣された北の軽巡洋艦二隻、うち一隻は、後者に属する。
名を木曾。――彼女は龍驤や島風と共に、電と同じ艦隊に属していた軽巡洋艦であった。
♪
「周囲敵影なし、それじゃあ進撃するよ」
島風が、音頭を取るように声をかける。洋上、西の風は日本の秋暮とは大いに感触を違える。そもそも、日本の南に位置する満の鎮守府と、北に位置する警備府の間でも、ずいぶん気候に違いが生じるのだが。
「おまかせあれ、潜水艦なら任せてよね!」
軽快な声音。――軽巡洋艦夕張、北の警備府においては古参であり、榛名と共に秘書艦を務める優秀な艦娘だ。軽巡としては癖が強く、対潜には強いが、その速力の遅さと装甲の薄さは、改造を施した駆逐艦と同等、無いに等しいというわけだ。
『それじゃあ、気をつけて行ってくださいね? 特に金剛さんは修復費高いんですから』
「善処しマース!」
無線機越しに、愛宕は金剛へと声をかけた。金剛はといえば気のない返事だ。わかっているから気にするなと言いたいのだろう。そしてそれは慢心ではなく、単純な事実である。
――対潜のため北の警備府から軽巡洋艦二隻が配属され、結果として一人飽和した艦隊から、愛宕が抜けて、現在の艦隊メンバーは旗艦島風、そして順に金剛、北上、木曾、夕張、そして龍驤となる。龍驤のような空母を前方に配置するか後方に配置するかは、その時の作戦と提督のセンスが問われる。今回は対潜を優先し、軽巡洋艦及び重雷装艦を前方に配置した形だ。
それにともなって、通常時の火力担当は金剛となる。対潜だけを優先するのならば金剛は六番眼に配置されるが、今回は潜水艦以外との戦闘も想定されるためこの配置となる。
なお、愛宕は対潜要員ではないために艦隊から外された、という側面もあるが、大体の理由はそこにはない。彼女が艦隊からはずれた最大の理由は北の警備府から二隻以上艦娘が派遣された場合、愛宕が艦隊から外されることが定例となっているためだ。
ここ最近、愛宕は艦隊の艦娘としてだけでなく、あることをするようになった。それは秘書艦。提督をサポートする役職だ。
この三年でその実力を開花させた愛宕は、戦闘だけでなく、提督のスケジュール管理等秘書業務、そして作戦立案などを行う軍師としても活動するようになった。
曰く、――才能はあったが、ここまで化けるとは。総意であった。
「じゃあ、改めて出撃します! 私に続いて!」
島風が声をかける。金剛へ、そして北上へ――だが、そこでふと島風の視線が止まった。木曾へ向けて、少しだけなんとも言えない表情を浮かべるとそれに木曾が気付いたことで、即座に視線を外す。逃げるようなそれで、そのまま身体を翻した。
「……、」
木曾は、一瞬睨みつけるように島風を見たが、すぐにどこかバツの悪そうな顔をしてそっぽを向く。その表情は島風のそれと大差がない。どちらも何かを言いたげで、しかし言い出せない、そう言った顔で背を向けあった。
周囲に口を挟むものはいない。ただ一人、龍驤だけは口を開きかけて、しかし言葉がないのだろう、すぐにそれを噤んで終えた。
海の波が艦娘達の航跡に染まる。西方海域攻略作戦の緒戦、ジャム島攻略作戦はかくして幕を開けるのだった。
♪
「それにしても……」
司令室の一室。すでに通信を終えた満が愛宕に声をかける。戦闘が始まるまで、彼らはここで待機する必要がある。少なくともその間、ある程度気を張り詰めた上で、時間を潰さなくてはならないのだ。
すでに幾年も海を駆けまわってきた艦隊の司令は、程よい気の抜き方というものを理解していた。ようは洋上で暇をつぶす海兵たちと同様だ。自覚を疎かにしない程度に、他のことに意識を向ければそれでいい。
「本当に良かったのか? アレで」
すでに選択してしまったことを後悔するのは提督の仕事ではないが、満という一個人として、それは大いに疑問を残す。疑問の余地があるからではない、そもそも疑問を浮かべようがないから疑問となるのだ。
つまるところ、それは人間関係の問題であった。満が最も苦手とする分野だ。
「さすがに連携に支障が出るだろう。そうなった時、引き返していては資源の無駄だぞ?」
目下話題となるのは、主に島風と木曾のことだ。満としては関係に不和があると満ですら解るような者同士を戦場に向かわせるのはいかがなものかと考える。
『――木曾だ。俺は俺の仕事をする。少なくとも、誰も沈ませはしない』
初めてこの鎮守府を訪れた時、木曾は“島風を注視して”そう言った。何がしかの意識を持った上で、彼女を排そうと言うのだろう。
否、木曾は島風から露骨に“避けたがっていた”。排そうというのではない、自分自身がいなくなってしまいたい、と同時に島風の事を必要以上に気にかけている、避けたいのに避けたくもないという、そういった二律背反的考えを木曾は持っている。――と、満は愛宕から聞かされた。
「んー、それはそうなのですけど、でも島風さんと木曾さんって似てるのよね」
「……似てる?」
「えぇ、二人ともすっごく優秀なの。聞くところによると、木曾ちゃんはここに来る前、海軍本部にいたんですって、第二艦隊の旗艦として」
――海軍本部の第二艦隊といえば、通称第二水雷戦隊と呼ばれる水雷戦隊の花形だ。要するに最も練度の高い駆逐艦が集まる場所で、島風達のいた鎮守府に来る前の、先代電もそこに所属していたはずだ。
その旗艦ともなれば――艦種は違うが、練度の高い駆逐隊をまとめるための能力を彼女は有しているということになる。
「優秀さにおいても、そして弱さの面に置いても、この二人ってにてると思うの。……昔、島風さんが第二艦隊の響さんから一年以上逃げ回っていたことは、覚えてますよね?」
「当時の名物みたいなものだからね。……あぁなるほど、つまり島風は苦境が目の前にあった時、それから“逃げる”タイプだって言いたいのかな?」
逃げる。そう、逃げ足の早さが島風の原点だ。先代の電が沈んだ後、島風はかつての自分を顧みてそれを触れたくない過去とした。はたから見れば自分はそうとうなわがまま娘なのだ。目をそらしたくなるのも無理はない。そうして島風は、自分の優秀さにあぐらをかくこと無く、優秀であろうとした。
――それはきっと、もう二度と大切な親友を失うという現実を直視したくないという、逃げの感情から生まれているのだろう。
そう、愛宕は語った。
「それは木曾さんにも言えるんです。そんな二人を平時で何とかしようと思ったら、きっと一年じゃ足りません。その間不安な連携を残す訳にはいかない。これはショック療法です。叩けば治るというのなら、叩かないと行けないんですよ、誰かが」
「……この場合、それは本人でなくてはならない、か。だから愛宕は他の艦娘に、“木曾と島風の事を口出しするな”と言ったんだね?」
「正確には、口出ししない以上に有効な方法があるのなら、その限りではないですよ。私だってこれが最善だとは思いませんもの」
――けれども、だれも反対の意見を述べるものはいなかった。満にとってもそれは反対のしようがないことではある。だからこそ改めて問いかけた。愛宕の言葉に、論理的正論性を求める必要があったのだ。
両者の会話はこれで途切れた。そうして島風達からの通信。敵艦隊と接敵したというものだった。
ただしそれは軽巡ヘ級フラグシップ一隻とエリート二隻。そして駆逐ニ級一隻と駆逐ロ級二隻どちらもエリートという、身も蓋もない言い方をしてしまえば道端の雑魚。一時間もかからずに殲滅が完了すると、満は即座に進撃を命令した。
それから更に数刻。
「……ここからですよ、提督」
「あぁ、おそらくそろそろ出てくる頃合いだろうな。それに、このショック療法は、僕が艦娘を沈める判断をしないという前提の元に成り立っている。……誰も沈ませはしないさ、だれも、ね」
一度だけ軍帽を眼深に被る。その意思を愛宕は読み取った上で見なかったことにした。それから、島風たちの入電を待つ。
“そろそろ出てくる”――何が? 簡単だ。
『ソナー反応ッ! 来ます、潜水艦隊。数は五。全て潜水艦です――!』
潜水艦カ級。エリートを旗艦とした潜水艦隊。満達が潜水艦と相対することはこれが初めてだ。
「爆雷用意! 順次投射! 飽和攻撃で敵を殲滅しろ!」
その意思を込めて、満の雄叫びがこだまする――
次回更新は明日、ヒトロクマルマルです。