海を滑るのは、何も艦娘と深海棲艦だけではない。瑞鳳の弓から放たれた艦上攻撃機『天山』は一瞬の間、海を撫でるように滑空し、空へと浮かび上がる。
生み出された風が海を切り裂いてか、その跡に白い軌跡が残った。乱戦入り乱れる海の上、第二次攻撃隊が空を翔けるのである。
島風の号令の下、第一陣を切ったのは当然といえば当然か、戦艦榛名。此度の非定期配置転換により新たに配備された主砲『41cm連装砲』が、怒涛のごとく唸りを上げる。
――非定期、つまりは大海戦を想定した段階的戦力の整理。十年前のミッドウェイ。そしてかのレイ沖、マリア沖に準ずるものだ。
そうして放たれた41cm全門斉射。跳ね上がった水中はエリートル級の眼前とその後方。一撃目のそれは想定よりル級に近い。つまり、続くニ撃の修正は容易であるということだ。
全身する自身の推進に力を込めて、榛名は更に距離を修正。二度目の砲撃を行う。
直後、跳ね上がったエリートル級の艦橋。爆発し炎上して舞い上がり、叩き落とされるは――水底だ。
「ル級エリート大破炎上を確認! 見る限り応急処置は不可能、ほぼ轟沈と見ていいと思います!」
「了解!」
榛名の報告を即座に受け取り、島風は更に速度を上げる。最大船速。そのまま敵陣へ乗り込み最後方へ切り込む。
タイミングは全て島風へと委ねられていた。
――その直後だった。瑞鳳の艦載機が海原へと飛び出したのは。声もなく艦載機を見送った瑞鳳は、その狙いが駆逐ニ級エリートにあることを確認する。
直後、先ほど放たれた榛名の主砲もかくやと言うほどの爆音。轟いたのは敵戦艦、ル級が放つ主砲の炸裂音。
しかし同時に、また別の種の爆発が吹き上がった。ル級エリートの主砲が爆発四散したのである。端的に言えば、ねじ曲がった主砲を無理に行使仕様とした結果、砲弾が砲塔内部で炸裂したのである。
ル級エリートがほぼ自沈。しかし同時に、ル級フラグシップの砲撃が見舞われる。狙うは後方、重巡青葉。
「わ、わわわ! 狙われてますよーっ!」
「避けろ馬鹿者!」
慌ただしく身を躍らせる青葉に、利根がすかさず声を浴びせた。怒りではなく、気付けのような声音であった。
「無茶言わないでくださいよう!」
すでに回避は行っている。しかし、重巡は重武装。当然それだけ船速は墜ちる。それこそ島風のように、自由気ままな回避は不可能。
不自由な身体を踊らせて、何とか降り注ぐ主砲を回避した。喝采のように吹き上がる水柱も、勢いを失くし何処かへと消え去る。
下手くそなタップダンスのように揺れ動いていた青葉の身体も、ようやくどうにか、そこで静けさを得た。
嘆息が漏れる。
「ふぃー、避け切りました」
だが、
「避けてないわ、バカタレぇ!」
直後、今度こそ怒りの混じった利根の言葉に、青葉はふと顔を上げた。――眼前に、ル級の主砲は迫っていた。
「あぇ?」
悲鳴を上げる暇もなく、主砲は青葉に突き刺さり――否、青葉の極至近。鼻先三寸ほどの間近に着弾、吹き上がった水の爆裂に、青葉の身体は今度こそ宙を舞った。
「うきゃああああああああああッ!」
直撃ではない、しかし直撃と言っても良いほどにその一撃は衝撃を伴った。青葉が悲鳴を上げるのも無理は無い。
「し、至近弾ですぅ! 小破、小破ですよう!」
「だからぼさっとするな阿呆青葉!」
降り注いだ水に濡れた髪をぶるぶると振るって露払いをし、しかし残る潮の匂いに辟易する青葉に、利根は更に言葉をかける。
そして、
「この――! 良くも青葉を! 青葉の仇!」
「死んでませんってば!」
失礼な事を言い放ちながら主砲を向ける。狙いは正確ではない。しかし、正確過ぎる必要はない。
吹き上がる朱の閃烈。音は連続して二度――光の瞬きに遅れて響いた。
直撃――しかし、小破にすら至らない。何せ敵はフラグシップ。深海棲艦の、集大成の集大成――!
「って、何ちゃっかり装甲の薄いヲ級の方狙ってるんですか!」
とはいえ、狙いはヲ級、空母である。空母の装甲などたかが知れたもの、やりようによっては軽巡洋艦ですら装甲は抜ける。
ただし、轟沈にまでは至らないだろうが。
「反航戦なんだから、まずは露払いからしましょうよ! この後艦列ひっくり返して追討戦なんですよ!?」
「ええい、よりにもよってなんで青葉にそんなことを言われなくてはならんのだ!」
「私でなくたってだれでも言いますよ! というか青葉も主砲で敵を狙っちゃいます!」
直後、青葉も主砲を幾度か奏でた。こちらも直撃――狙いはル級。戦艦である。
「よっし沈めた!」
「――って、轟沈寸前のエリートではないか! 死体蹴りなど、名誉在る日本海軍所属艦のすることか!?」
「名誉で飯は食えません!」
「食えるわっ!」
――あくまで意地汚い文屋の如きパパラッチ精神。しかし、実際のところ名誉で飯は食える。利根の言うとおり、日本海軍の聯合艦隊旗艦は名誉で暮らしを得ているのだ。
無論、その名誉に見合う実力は有するが。
もはや戦場でのことなど眼中にないかのような言い争いだ。端から聞いている瑞鳳がちらりと視線をむけて、諦めて攻撃に立ち返るほどに、今の青葉達は周囲が見えていないように思える。
危うい、実に危うい。もはやそれは、艦隊の穴にしか思えないようなものだった。
当然敵は狙う、青葉と利根を。
狙わないはずもない。何せ彼女たちは深海棲艦なのだから――そう。
艦載機の音が響いた。もはや諦めといった様子で瑞鳳が目をそらす。しかし他に動きを見せるものはいない。
断頭台で死を待つように、それは青葉と利根を切り裂くモノとなる。深海棲艦。空母ヲ級フラグシップは、疑わなかった。
確信を持って勝利を。
確定を持って栄光を。
沈めるのだ、青葉と利根両名を。恨みが、憎しみが、ヲ級フラグシップを構成する全てであるのだから――
――直後。
青葉と利根の口元が、
もはや滑稽とすら思えるほど、三日月に歪んだ。
「ふっふっふ」
青葉の声、思いの外高音の、どこか気の抜ける声に思える。天真爛漫とはまさしく彼女を指す言葉だ。
「――――ハーッハッハッハッハ!」
それとは対照的に、利根の声には自信の程がにじみ出て聞こえる。しかし、決して低音の厳しいものではない。
あくまで少女らしい声を利根はしていた。
「かかったなバカ空母!」
「かかりましたねアホツインテール!」
言葉の尻に、青葉は(鋼鉄)と付け加える。でないと利根に睨まれる。もはや言いがかりもいいところではあるが、ヲ級のクリーチャー染みた頭のそれは、ある種ツインテールに見えなくもない。
まず絶対に意図しなければ見えないが。
直後、青葉と利根の換装が爆音に震えた。しかし、主砲ほどのチカラはない。それは『12cm30連装噴進砲』いわゆる対空ロケットランチャーで、通称ロサ弾と呼ばれるロケットを三十連発する兵器だ。分類上は対空機銃である。
連続で鳴り響く艦載機と噴進砲の兵器的サウンドトラックは、優雅とは言いがたい、しかしチカラに満ち溢れた青葉達の声をバックに奏でられる。
「誘えば来る! これが深海棲艦のいいところですねお利根さん!」
「しかも艦載機の練度は低いと来たぞバカ青葉!」
ハッハッハと、高笑い混じりの言葉のドッジボールは、絶え間なく吹き荒れる艦載機の爆破嵐に、三十連装のロケットランチャーは唸りを上げる。吹き上がるのはまさしく弾幕の如く。入り乱れる敵艦載機の、急所を貫き炎上に持ち込む。
どれだけ機体が揺らめいたとして、その怒涛の対空火砲に対抗する術はない。空のあちこちで、火の手があがる。もはやそこは空と空の戦闘フィールドではない。海が空を蹂躙する、スクリーンの一幕だ。
「これぞ七面鳥撃ちだな」
「マリアナを思い出しますねぇ」
言いたい放題の利根と青葉、しかし七面鳥の逸話を残したのは米国海軍だ。この世界におけるマリア海戦でも、青葉たちは別に七面鳥撃ちをしているわけではない。
「さぁ、瑞鳳よ! 空は我々が開いたぞ! よもやこれで、飛べないとは言うまいなぁ!」
「もしも飛ばせなかったら、ぎゅっとしてドカーンしちゃいますからね! 第三砲塔が!」
――突然、自身の名を上げられた瑞鳳は大いに戸惑う。だが、理解した。理解したからこそ、瑞鳳は己の身体から余計なチカラが抜けていくのを感じた。
この艦隊、もっとも無理が“ある”のは誰か。言うまでもない、これまで一度として組んだことのない面子と艦列を並べる瑞鳳だ。
島風や愛宕は、別の艦隊に属するとはいえ、これまで何度も利根や青葉たちと連携を取ったことが在るはずで、自分にはそれがない。
彼女の義姉――祥鳳は、こんなハチャメチャな艦の居る艦隊で、戦っていた。それも、瑞鳳の背中を押す。
「――余計なお世話よ!」
声は、自然と飛び出していた。三度目の発艦。狙うは、駆逐ニ級である必要はないだろう。利根の一撃で小破寸前まで持っていった空母ヲ級、フラグシップに一撃を叩きこむ。
「それに、私に第三砲塔なんて――――」
ギリギリ目一杯まで引き絞られた弦が、奏でるように振り払われる。発艦の音は響かない。音もなく瑞鳳の艦載機は空へ、向かう。
「ついて、無いんだからァァァァァアアアアッッ!!」
ル級フラグシップの対空火砲が揺らめくように弾幕を描く。すでに島風達とヲ級始め深海棲艦艦隊は背中合わせに艦隊を交差させている。
浮き上がった直後には、紅い米粒が、波のように広がり――はじけていた。
「うふふ」
同時に、海に潜むような声が届いた。後方、愛宕で間違いないはずだ。互いに駆け抜ける数十ノットの世界において、それはある種異様に映る。
視線を向ける。――すでに艦隊は入り乱れ、戦艦フラグシップの真横を榛名が駆け抜ける。砲撃はない、準備が整っていないのだ。お互い、ただ視線だけをぶつけて駆け抜ける。
すでに、利根も青葉も主砲を斉射している。島風はまだだが、彼女は超至近から輸送ワ級を狙うはずだ。それが最も効率的なのだ。
瑞鳳は言うに及ばず、そして残るは――愛宕、重巡愛宕だけが、未だ主砲の一撃を残している。
正確には、敵の駆逐二級もであるが、それを意識するものはいない。
「こんなの、如何かしら」
嫌にその声ははっきりと聞こえた。――否、耳に残った。それほどその後の光景は、瑞鳳にとって衝撃的であった。
何せ――
――交錯の一瞬、愛宕は戦艦ル級、フラグシップの装甲を抜いたのである。主砲が炸裂、直撃、爆炎を吹き上げた。
「そんなっ! 相手は戦艦ですよ! それもフラグシップの!」
「あら、あなたがそんなこと言うなんて。ありがとう、感謝しているわよ?」
瑞鳳の叫びに直後、愛宕から返答があった。――しかし、ありがとう? わけがわからない。一体どこに、愛宕から瑞鳳へ、感謝の意が生まれてくると――
「え?」
そこまで思考し、思い至る。一つだけ心当たりがある。ル級は愛宕の一撃で中破した。しかしそれ以前に攻撃を受けたことはない。愛宕が装甲を抜ける理由がない。
ただひとつの攻撃だけを除いては。
――開幕爆敵。瑞鳳が少しばかり与えた傷が、ル級フラグシップにはあったはずだ。当然その場所は装甲が傷つき薄くなっているはず。
はず、だ。
だがそうだとして――今、愛宕はなんと言った? 違う。――何を、した?
「そんな! まさか当てたっていうの!? その、“小さな傷”を。針に糸を通すかのように!?」
振り返る。今度こそ、体全体が反転した。榛名は何も言わない。その表情は驚愕ではないにしろ、どこか呆れに近い。――意味するところはつまり、“やりかねない”。
そして愛宕は、どうか。笑むだけだ。ただおっとりとした笑みを浮かべて、おっとり刀で速度を増している。
「――ちょっと、よそ見しないでよ!」
判断に時間はかけられなかった。島風から声がかけられる。瑞鳳は艦列の二番目にある艦。つまり、島風からの要件は、切り返しを始めるということだ。即座に身体を翻し島風の後を追う。
彼女の身体が、大きく傾ぐのが見えた。瑞鳳も合わせ、タイミングをみて斜め前方へ切り込む。
ここはもはや日頃の修練と感覚の問題。島風は理想的な流線型を描いた。教科書的とも言える。そしてそのお手本を、参考にできない瑞鳳ではない。
風がゆらめき、抵抗に変わるのを瑞鳳は感じた。重力が、バランス感覚が激烈に瑞鳳を揺さぶる。身体を抑えるので精一杯、砲撃に意識を向けることはほとんど不可能だ。
これは瑞鳳が無茶な回頭をしているということもあるが、空母の瑞鳳に、砲撃に必要なスキルは必要がないのだ。
しかし、無理な態勢で、できることがないというのは視線的な余裕を生む、状況を確認する余地がある。
見れば、島風はほとんど身体を逸らさず完璧といって良い回頭をしていた。すでに進路は後方、ワ級と平行に向いている。後はそのワ級を沈めるだけだ。
砲撃が待った。おそらくは榛名の副砲と、島風の主砲。
ワ級を直接仕留めようというのだろう。榛名の一撃が至近弾として突き刺さり、ワ級に最も近い最前列、島風の主砲がワ級を包み爆発した。
これで、残るは駆逐ニ級エリート一隻と、中破のフラグシップ級二隻。
揺らめくフラグシップの主砲は、艦隊を狙い放たれていた。しかし、振るう轟砲にチカラはない。砲塔が大破したか、無いしは何がしかチカラを失う要因でもあったか。
どちらにせよ、もはや敵艦隊に島風たちと砲火を交えるチカラはない。榛名の至近に、息絶え絶えといった様子のル級が砲撃を着弾させる。しかし続かない。――返し刀に放たれた、榛名の一撃が空白を切り裂いた。
黒が、吹き上がるように生まれでる。
直後、駆逐ニ級エリートを、青葉と利根がそれぞれ一発ずつ、叩き込み轟沈へ追い込んだ。
残るは中破、ヲ級フラグシップ。
艦載機が飛び上がる。最後のあがきか、刹那の無茶か。その数は、もはやかつてを語るまでもない。
十は、浮かんでいないだろう、決して。
それも、瑞鳳が放つ艦戦による機銃で火の手を上げ、海へと散る。落とされた爆撃も、もはやどこか知れぬ海へきえ、島風たちは、その吹き上がった水滴だけを身体に浴びた。
直後、二度爆発が起きる。
一つは瑞鳳の艦攻が、ヲ級に一撃を突き刺す音。もう一つは、愛宕の主砲が唸りを上げる音。
大破、炎上。もはや死体蹴りでしかないだろう。それでも、最後の一手は旗艦島風、彼女に託された。
『――島風!』
どこからそれを予測していたのか、島風自身が行動を起こすよりも早く、空白から満の声が響き渡った。
これだ――かつての彼と、今の彼。
大きな違いが、そこにある。
「言われなくとも、これで決めますよ! てーとく!」
最後の一手。
島風が駆け抜ける。――チェックメイトの一言に、かかった時間は極薄であった。
次回更新は明日、ヒトロクマルマルとなります。