吹き上がる黒煙。一つではない。およそ五つの塊から、幾つもの煙が噴出している。海上にて、島風を始めとする北方海域哨戒艦隊は、けたたまし爆音をその海に響き渡らせていた。
「ハーッハッハッハ! ヌルい、ヌルいぞ吾輩の“的”!」
敵であり、的。
利根の言葉は三味線のようなものではあるが、決して“ふかして”居るわけではない。敵の編成は旗艦重巡リ級エリートとその随伴艦に同リ級エリート。
軽巡ト級エリートと雷巡チ級エリート。そして駆逐ロ級エリートが二隻。決して強敵と言うほどのものでもない。
戦艦を要する島風達にとってみれば、何というでもない敵。ただし――
「何でこんなところにエリートなんて湧いてるんですかねぇ!」
言葉の後を追うように、それは僚艦のリ級エリートに突きつけられた主砲が震える。青葉の主砲は敵を狙い、その前方、至近弾として見舞われる。
――そう、通常北方海域に出現する敵はせいぜいが無印の戦艦ル級。エリートのように一段階無印とは上の敵が、そうポンポン飛び出してくるはずもない。
「次は当てますよぉ!」
「当てるのが当然じゃ、気張れ青葉!」
「言われなくとも!」
青葉と利根。両者の主砲が“同時”に音を立て爆煙を上げる。飛び出した砲弾は、弧を描き、寸分違わず敵へと向かう。
回避の間はない。リ級の視線がぐん、とブレた。二つの弾丸を一種の傍観を伴ってか、しかし視線を外すこと無く睨み続ける。
直後、リ級エリートもまた主砲を放った。遅れること数秒。砲弾が交差し、駆け抜けてゆく。
「ほれ来たぞ!」
「あいあいさー!」
言葉を交わし合って、両者が勢い良く左右にブレる。青葉の左舷、利根の右舷で水が爆発的な噴出を見せる。両者が海上を走り去った後、降り注いだリ級の一撃が、天に届くかというほどの柱を打ち立てた。
とはいえ、これで僚艦のリ級エリートが海に沈んだ。青葉と利根は軽く視線を交わして笑みを浮かべると、即座に艦列を正し先をゆく島風達の後を追う。
「ヒュー! やるじゃん!」
軽く身体を反転させながら――進行の向きは変わらず。艦娘の進退は艦船の進退。多少人間らしい挙動はあれ、艦娘は船だ――島風が手を叩いて笑む。
「まだ終わってませんよ!」
瑞鳳が咎めるように言う。島風は即座に身を翻し砲塔を構えると――
「わかってますよ! っとぉ!」
狙うは重巡リ級エリート。旗艦だ。すでにこれまでの戦闘で、敵艦隊に残るはかのリ級のみとなった。
島風の砲塔がリ級を向いた、直後。リ級が唸る。まさしくそれは鉄の咆哮といったところか。切り払うかのような風刃の耳鳴りが、島風を、そして瑞鳳を襲う。
島風の体が揺れた。否、ブレた。
最速四十ノットオーバー。世界最速とされる駆逐艦の全速力に、機関部が轟々と響き渡る我鳴声を上げた。
姿勢を前傾にして、身体を落としてリ級に島風が接近する。
視線と視線。お互いの瞳の色すら移りこむかというほどの至近距離で、リ級エリートと島風は邂逅していた。
主砲を並べ、もはや一瞬の余地もなく――爆煙が、二つ、否三つ。ほとんど同時に、吹き上がった。
弾けるように吹き飛ぶ島風。その姿は、黒の煙を追っている。
「島風ッ!」
思わず、と言った様子で瑞鳳が声を上げる。同時に矢筒から、即座に屋を番え構えると、リ級を狙い水平線に平行を保つ。
息を呑むようにして、リ級を見た。
仕留める、確実に。もはや殺気にすら至ろうかという瑞鳳の視線は、弓引かれた弦が切り裂き、リ級へ寸分違わず向けられている。
そして言葉を、島風へ向けて告げた。
「――倒しきれてないじゃない!」
島風は、黒の硝煙を伴ってはぜた。当然だ、あの至近距離で躱さなければそれはイコール直撃である。
リ級は動こうとした。しかし間に合わなかった。島風と同様の瞬発力は、彼女の体躯から生み出されない。
「ゴッメーン! トドメお願い!」
先の一撃でリ級は一発大破、炎上している。ここに一撃を叩き込めば戦闘は終了だ。そしてそれは、瑞鳳のこの警備府における初陣の終了を意味している。
「大口叩くなら、沈めるのが義務でしょ!?」
文句を島風に向けて言い放ち、更に瑞鳳は一言加えた。
「だからこれで――」
一拍、戦場に、否応なく空白が生まれた。吹き上がる煙、リ級の赤い瞳だけが揺らめいて、陽炎めいて、ただそこに在る。
瑞鳳は、一息を持って、それを終焉に向かわせた。
「――おしまい!」
言葉に違わず。飛び出した強気な艦載機は、水上を切り裂くように滑空、浮かび上がると水面に、跡を残すように航空雷撃の足跡が駆け抜けて――飛び散らかるように水を噴出。はじけ飛んだリ級の換装が、彼女もろとも海の底へと沈んでいった。
♪
「ご苦労、それではこのまま進撃してくれ」
無線機越しに満が指示を出すと、艦娘達は勢い良く返事をくれた。思わず漏れそうになる嘆息を殺して、満は続ける。
「いいか? この哨戒は帰還が必須条件だ。わざわざこんなところでむざむざ轟沈するんじゃないぞ?」
『南雲提督は心配性さんですね』
榛名の、軽口とも取れる言葉に同じような口調で、そうでもないさと返して連絡を切る。半ば一方的ではあるが、誰も咎めるものはいない。そもそも、戦闘中の艦娘と提督は物理的にも精神的にも隔絶された場所にいるのだ。
よって満が通信を切ったとして、気付くものはいない。気付いている余裕のある艦娘は、海にいない。
この警備府で、提督として必要な物を幾つも学んだ。それを学び始めて三年が経った。ここからが正念場だ。
北方海域に、西方海域。どちらも激しい戦いが待ち受けていることだろう。気を引き締めなければならないのはきっと自分の方だ。
何せ艦娘はすでに覚悟を完了している。それこそ“自分が沈む”覚悟だって――
「……いや、それは余計な思考だな」
頭を振って意識を切り替える。
ともかく今はこの海域の哨戒だ。北方海域は穏やかな海で、特に強力な深海棲艦がこれまでに確認されたことはない。せいぜいがエリートの駆逐艦。それも、エリートが出てくる艦隊が、敵艦隊の主力であった。
しかし、この艦隊は明らかに違う。そもそもの交戦経緯からして、敵がまず島風達を捕捉。奇襲を仕掛けたのだ。おそらく目的は哨戒。そう、主力艦隊ではない。
エリート重巡二隻を要してもなお、それは主力ではない。
青葉や利根の言うとおり、そもそもそんなエリート重巡が、主力でないことはこの北方海域にとって異様なことだ。
このまま進めば、敵の機動部隊か、ないしは侵攻艦隊の主力と鉢合わせることになるだろう。
――島風からの報告が入ったのは、それから相当の時間を要してのことだった。
『報告! 敵侵攻艦隊を発見、これより戦闘海域に突入することが予測されますよ!』
威勢のいい声は、なるほど聞き慣れた声だ。島風を旗艦とした理由は多くあるが、やはり彼女が旗艦であることは満にとて腑に落ちる。
「敵の詳細は?」
『ル級戦艦二隻、フラグシップ及びエリート各一隻。駆逐ニ級エリート二隻。ワ級輸送艦エリート一隻。そして旗艦はヲ級空母のフラグシップです!』
「――ヲ級フラグシップ!? ……何かおかしな点はないか?」
『おかしな点? って何ですか?』
不可思議、と言った様子で島風が問いかける。当然だ、そのヲ級におかしな点など何もない。そもそも、ほぼ全てのヲ級は同一の容姿、同一の装備をしている。どこにおかしな要素を介在させる余地があるというのか。
「ないんだな?」
改めて問いかけ、しかし返答はない。ならば無いのだろうと結論付けて、満は更に言葉を並べた。
「では、単縦陣を取れ、必ず敵艦隊を殲滅させろ、撃ち漏らしはないようにな」
『了解!』
島風の言葉が返されてくる。これで良い、何もできなかった三年前から対して変わらず、そもそも満に取れる選択肢などさほど多くない。
基本的に戦闘は、まずそもそもからして艦娘達のものだ。撃った撃たれたは彼女たちの領分。
ならば満は――? 引き金を引けばいい。かつて引けなかった引き金を、今は引くことができるトリガーを、一思いに引く。
勝利のため。暁の水平線に、己が証を刻むため。
『空爆終わり――! 被害報告ーっ!』
『青葉、一発貰っちゃいました!』
『航行に支障は!?』
『ありません、小破至らず戦闘続行可能です!』
「敵被害は!」
満がそこで問いかける。
『敵ワ級エリート小破とちょっとフラグシップ戦艦にかすめただけです。ごめんなさい、制空権取られないようにするので精一杯で』
「そんなものだ、あまり気負うなよ」
瑞鳳の答えに返すと、即座に島風がそこへ加わった。話の内容は次に移っていた。
『このまま進むと反航戦になります。ごめん提督、殲滅は無理そう!』
「後方に切り込んで反転、同航戦に持ち込んでくれ。昼の内に殲滅したい」
満の言うことは単純だ。敵の最後尾、輸送ワ級の後ろを抜け反転、右舷から切り込み左舷に周り、同航戦での火力で打ち勝つ。その際ポイントは反転の際、火力を一つの艦に集中させることだ。こうすることで効果的に敵に火力をぶつけることができる。
反航戦時における切り返しの方法としては一般的なもので、島風も即座に理解が及ぶ。
『ちょっと難しいですけどやってみます!』
そうして島風は同意したものの、その言葉通り、言ってもそれは単純で明快ではあるものの、容易ではない。
そもそもの話、島風達はさほど連携を積んでいない艦隊で、特に瑞鳳に至ってはこの艦隊での戦闘行動はこれが初めてのこと。本当の本当に、これが処女航海の新人ではないとはいえ、連携に不安は残る。
とはいえ否やはない。島風は難しいがやるといった。満はやれと命令した。そこに、否定が入る信頼関係を、両者は築いてはいない。
「もしも殲滅しきれなかった場合は間違いなく夜戦に突入するものと思ってくれ、ただし艦隊が壊滅した場合は島風に夜戦突入の判断を任せる」
夜戦に突入すれば、敵に大きな打撃を与えることができる。しかし、もしも攻撃が不可能なほどこちらが大破に持ち込まれていれば、夜戦に突入したとしても一方的に打撃を受けるのは島風達だ。
艦隊が大打撃を受けた際の夜戦突入判断は、戦闘センスの高い島風に任せる。針に糸を通すような見極めは、わざわざ門外漢の満が下すよりも、プロフェッショナルの島風に任せたほうが良い。
これは、その判断だ。
『了解! でも、見た感じ敵もそんなに強くないし、私の判断は必要ないと思うよ!』
「それは頼もしいな。しかし、先ほど宣言通りに敵を沈められなかったのはどこの誰かな?」
『……最近の提督、口ばっかりうまくなってるからキラーイ』
「言う前に砲塔を動かせ。もう会敵区域に入るぞ」
――頭の中に地図を描く。
今、島風達は敵と会敵する直前に居る。空爆は終えた、開幕に雷撃を行う艦はない。お互いに、一触即発の状態で接近している。
射程にさえ入ればすぐにでも砲撃の音が無線越しに満に伝わってくるだろう。
想像上の地図の上で、一刻の猶予もなく砲撃戦が開始しようとされている。映像という形で戦況を知ることのできない満は、こうして想像による世界観の創造によって、情報を統制、シミュレーションしていくのだ。
二次元空間戦闘。北の警備府提督は、そう呼んでいた。
「改めて言う。コレは哨戒だ。しかしこの戦闘における目的は殲滅だ。一隻たりとて逃すな。もしも逃せば、それは次の艦隊の“餌”になる。沈めて叩き潰すのが重要だ」
『フフフ、最近の提督は何だか物騒になりましたね』
横合いから言葉が入る。愛宕だ。果たして賞賛しているのかあざけっているのか。どちらにせよ彼女の声音はそれを推測させない。
ただ、それでも彼女は悪性ではない。ならば、その声に嫌味は一つとしてないはずだ。
「――島風、頼むぞ」
『了解! 榛名、砲撃構え!』
『お任せ下さい!』
激戦ではある。しかし苦戦ではない。
けれどもこれは満達の苦闘が始まる、最初の戦い。誰もがこの先、楽な戦いは想像しないことだろう。
だからこそ全員が意識を込めて島風の声を待った。
満が命じ、島風が放つ、その言葉を。
一拍、空白が合って。
『砲雷撃戦。入ります!』
青の空色に、島風の声が響き渡った。
次回更新は明日ヒトロクマルマルとなります。