戦艦榛名。
金剛の妹にして、北の警備府が虎の子。満が北の警備府に足蹴よく通うようになって以降、彼女とはそれなりの付き合いがあった。
とはいえ金剛のように――最近は、どこかよそよそしさが目立つが――濃密なスキンシップを取っているわけでもなく、ごくごく通常の、いうなれば親しい同僚程度の付き合いが続いていた。
提督と艦娘の関係は、上司と部下かといえばそうでもなく、艦娘は戦闘員である部下と同時に、日本の戦力を担う守護者でもあるのだ。
指示する側とされる側。
守られる側と守る側。
これらが相殺しあって、満の場合、大体が対等の関係で結ばれるようになっていた。――ちなみに通常の提督は、ここに年上と年下という関係が混ざるため、提督の方が目上に扱われることが多い。
「それでですね、お聞きになっているとは思いますが、軽巡の五十鈴さんが転属になって、新しい軽巡洋艦が配備されることになりました。今度ご挨拶に伺うと思いますので、よろしくお願いします」
事務的なことではあるが、榛名の優しい物腰もあってか、それはさほど堅苦しくはない。満も満足気に頷くと、少しばかり笑みを浮かべてそれに応えた。
「あぁ、了解した。五十鈴も壮健でやってくれればいいけれどね」
「大丈夫ですよ、あの子は強い子ですから、きっと優秀な軽巡洋艦になってくれます」
後に五十鈴は二度目の改装が決定、軽巡の中でもトップクラスの対潜能力を有する対潜のプロとなるわけだが、それはまだ先の話だ。
「それともう一人、祥鳳さんと入れ替わりで入ってきた艦娘がいるんでしたっけ?」
愛宕が、更に追加するように問いかける。榛名はくるりと愛宕へ向いて――現在、満達は警備府に到着、司令室に向かっていた――ニカリとはにかんだ。
「そうなんですよ。軽空母の人が入れ替わりになったんです。素直ないい子ですよ?」
「楽しみだわ、どんな艦娘なのでしょう」
華やかな笑みで応えて、歩を進める。現在島風はここにいない。警備府到着直後に飛び出して、すでに司令室へ到着しているはずだ。
「では、早速ですが今回の哨戒について簡単にお話させていただきます。よろしいですか?」
――唐突に、というほどではなかったが、さらっと話題を切り替えて榛名が言う。満としてもそれに否はないと首肯する。愛宕は無言だ。最近の彼女は、どこかかぼんやりとしているものの、その思考を見透かすことが難しくなっている。
端からあきらめている満には、さして関係のないことではあるが。
「北方海域に深海棲艦の大艦隊発生の兆候あり、大いに警戒されたしとのこと。西方海域進出戦が控えるこの時期に、あまりうれしい事態ではないですね」
「西方海域は各地に点在する艦隊の各個撃破が基本的な方針だから、それほど難しいことではない。作戦に支障はきたさないさ」
北方海域は現在、日本――ひいては人類側が制海権を有する海域の一つだ。常に警戒がされ、北の警備府は主に北方海域の守護を目的として設置されたのだ。
そこに深海棲艦の部隊が侵攻してきた。南西諸島沖が奪取されたことにより、北を手に入れる事を目標としてきたか、はたまた何かの前哨戦か。
「詳しい敵の戦略はともかくとして、まずは目の前の敵だな。モーレイ海周辺に出現したのだったかね? 各艦に即座に出撃可能となるよう連絡しておいてくれ」
「了解しました。それでは――」
「あぁ、出撃準備ができ次第司令室に集合。そこで詳しい話をしよう。特に、軽空母の艦娘には至急司令室へ来るよう通達するよう、頼むよ」
続けて、満は榛名に問いかける。
「そうだ、改めてその軽空母の子の名前を教えてくれるかな? こちらでも確かめてきたが、記憶というのは曖昧だからね」
「そうですね。その子は――」
駆け出そうと身体を反転させ、その態勢で満の言葉に耳を傾けていた榛名が満の方へ身体を向ける。
一拍、間を置いてそれから、満とそれから愛宕に、その少女の名を告げた。
「――祥鳳型二番艦、瑞鳳です」
♪
軽空母、瑞鳳。
確か史実において軍縮条約の関係から即座に空母に改造可能な艦の建造計画にそって設計された『高崎』が全身にある空母であったはずだ。ちなみに祥鳳は『剣崎』である。
こちらの世界ではなんとミッドウェイ以前から現役で活躍する大ベテランの一人だったはずだ。なんでも榛名とは同世代だとか。
「そういうわけですから、よろしくお願いします。えーっと」
「南雲だよ。基本的に、僕は南の鎮守府を預かっているからね、呼び方が複雑なんだ」
「あはは、何だか少し不思議ですね?」
小柄な姿は軽空母らしいとも言えるが、一応の姉にあたる祥鳳は、どちらかと言えば長身ではあるので、単純に彼女の特徴なのだろう。
「提督ではあるから、南雲提督が妥当だろう。名前負けの感が拭えないけれどもね」
それを言ってしまえば南雲機動部隊に関しても、名前負けはその通りなのだろうが、それはそれだ。そもそも、正規空母四隻という大盤振る舞い艦隊と、この世界における一基地の主力艦隊を同一視してはいけない。
「さて……榛名、地図を出してくれるか?」
挨拶を交わせば、後は出撃の準備だ。作戦会議というほど上等なものではないだろうが、ある程度の話はしておくべきだ。
司令室の本棚に押し込められたA4サイズの本。表装の薄さは雑誌のようだが、正確な地図だ。パラパラとそれをめくり、北方海域の地図を持ち出す。
同時に黒いボールペンを取り出すと、ペン先を取り出さずに日本の横線を平行にして描く。
「まず前提として、現在この北方海域は現在僕達人類側に制海権がある」
「南の戦闘が激化しているぶん、こちらが手薄になっていることもあって、ここ十年大きな戦闘はありませんでした。哨戒も、楽だったのですけどね」
榛名が苦笑気味に語る。満もそれに合わせるように音のもれない笑みを浮かべると、見開きの内右ページ、東側を丸く描いて示す。
ほぼ右ページ全てを大雑把に円で囲む。特に意識もせず、だ。
「そして現在、この辺りに敵の戦力が集中している……とされている。また主力艦隊が駐留しているとすればこの左端だろう。どうしても米国が大西洋に意識を向けている分、守りが手薄になっているようだ」
深海棲艦は絶えることなく、世界のあらゆる海域を闊歩しているのだ。たとえ世界の米国といえど、そうそう全てに注力できるわけではない。
「今回僕達が哨戒をするのはモーレイ海。北方海域の入り口も入り口だ。定例でしてるものだからな、そこまで危険な出撃はできない」
無論、そこに強力な部隊が進行しているということはすなわち、北方海域に大艦隊が出現したという意味だ。危険であることを懸念する以上に、そこまで行けば十分という意味合いもある。
最低限、あくまでこれは最低限の出撃なのだ。
「旗艦は島風、それ以降の並びは順に瑞鳳、榛名、愛宕、そして――」
ちらり、と視線を向ける。この北の警備府には主力艦隊として戦艦一隻、軽巡二隻、軽空母一隻、そして重巡二隻を保有している。
今、満が意識するのはこの内の重巡二隻。
どちらも、顔ぶれは配置転換前と変更されていない。見知った顔だ。
「――“青葉”、最後に“利根”とする」
重巡洋艦。青葉型一番艦青葉。そして利根型一番艦利根。それぞれネームシップである。両者は即座にきれいな敬礼をして。
「はーい! 青葉、任されました!」
「うむ、吾輩が殿を努めてみせるぞ!」
勢い紛れに返事を返す。
良い返事だと、満足気に満は大げさな首肯をする。
「ふふふ、やはり吾輩が索敵をしなければ戦闘は始まらんな。腕がなるぞ」
「もう、イヤですねーお利根さん。索敵は瑞鳳ちゃんがやってくれますって」
自慢気な利根の言葉に、青葉は笑顔で反論する。声の調子はテンポ良く、会話好きの軽口といったところか。
しかし、利根としてはそれは中々どうして感情をくすぐる物があったらしい。即座に食いつくと、激しい剣幕で青葉に詰め寄る。
「ええい! 索敵と言えば吾輩じゃろうが! 索敵せずして何が利根か。吾輩を愚弄するか? 良いぞ、決闘だ!」
ビシィ! と、突然指を突きつけるのは青葉――と瑞鳳。どうやら青葉の言葉に琴線が触れて、その対象は瑞鳳にも及ぶらしい。
「えぇ!? わ、私ですか!?」
思わずのことに加えて、瑞鳳自身、どちらかといえばおとなしい性分だ。わたわたとして青葉と利根を交互に見やる姿は、ある種、小動物的と言える。
即座に言葉を返すのは青葉だ。キラキラした笑みは、瑞鳳のような人懐っこさはあるものの、青葉には遠慮というものがない。
「いえいえー、むしろ私、お利根さんのこと尊敬してるんですぅ! 索敵がお得意なお利根さんなら、当然砲雷撃戦もお得意ですよね!」
「お? う、うむ」
機関銃の如くまくし立てる言葉は、おだてるようであれ利根を賞賛するものには変わらない。怒りに近い感情と、急に湧いて出た気恥ずかしさ。複雑な二つの感情螺旋から、利根はなんとも言えない微妙な笑みで、頬をかいた。
「さぁさ、張り切ってまいりましょーぅ! 青葉、お利根さんのいいとこ見てみたーい!」
「……うむ! フハハハハ! 任せろ青葉、吾輩こそが北の警備府主力重巡! 青葉よ、ついてこい!」
大げさな高笑い。利根もギアが上がってきた――以上に、青葉に完全に乗せられている。現在利根は青葉に背を向けて彼女を連れ立つようにしているが、とうの青葉はしたり顔で黒い笑みを浮かべている。
「え、えっと、あのう、えっと、そのー」
置いてけぼりにされているのは当然、瑞鳳だ。展開は急転直下、利根もちょろいというレベルではない。
新参者で、しかもいきなり絡まれたのだから戸惑うのは当然だ。
「て、提督ー」
「あまり気負わない方がいいぞ? うん、気負わない方がいい」
軽く腕時計で時間を確かめていた満に、助けを求めるとにべもない返事が帰ってきた。端的に言えば、時間にはまだ余裕はある。好きにさせていてもいいだろう、と言ったところか。
完全に投げている。この三年間、満は提督としてのスキルを高める傍ら、スルースキルも向上させていたようだ。
「は、榛名さん?」
「はい、瑞鳳さんも大丈夫ですよ!」
続けて助けを求めた艦隊旗艦は、まるでなんでもないかのように笑みを浮かべる。ニコニコと、慈愛の笑みだ。
「え、えっと……」
島風は――つつ、と距離を取っている。関わりたくない、という意味合いだろう。そして最後の一人、柔和な笑みは榛名に近い。愛宕だ。不思議とそこを感じさせない大物そうな笑み。
期待を込めて、愛宕に声をかけた。
「え、えっと――」
「うふふ」
ダメだ。
何だか分からないが、この人はだめだ。直感が告げる。嫌悪感とはまた違う、関わることに焦燥を覚えるような雰囲気。
なんと言えばよいのだろう。身も蓋もない話を言ってしまえば、きっとこの人も島風と同様なのだろうが。ツツっと視線を逸らす、こちらから頼りたく無くなってしまうような島風に対し、愛宕は真逆だ。
頼らせようとしない。協力はしても、依存はしない――と。
いやいや違う。これは違う。間違いない、この愛宕という重巡は――“なんとなくシリアスな雰囲気”を醸しだしてギャグ空間の瑞鳳から隔絶されようとしている――!
「フッフッフ、瑞鳳よ。見ておれ、この吾輩が! 重巡洋艦利根が! 必ずや最高の勝利を届けて見せようぞ!」
――絡まれている!
いつの間にか、利根がすぐそばに居る。チラリと青葉をみると、視線が合った。“メンゴ”? ふざけるな。
気が重い。
驚くほど気が重い。
多分、悪い人ではない。悪い場所ではない。何せ提督はとても親身で信頼のおける人だ。その提督が副司令として信を置く南雲満という少年も、優秀であると聞き及んでいる。
だからこそ、これから自分は大変な思いをしながらこの艦隊に馴染んでいくのだろうな、と瑞鳳は予感せざるを得なかった。
この間顔を合わせたばかりの軽巡二隻も、中々どうして“むつかしい”艦娘だ。
――ふと、提督――――満と顔が向き合った。申し訳無さそうな顔が、瑞鳳の感情を感じ取ったのか、やわらかなものへと変わる。
北方海域に出現の兆しを見せる深海棲艦の大艦隊。そして同時に、満たちは西方海域への進出が決定されていた。
新たな風、新たな始まり。
戦いが再び、激化しようとしていた。
次回更新は明日ヒトロクマルマルとなります。