『00 戦後』
在る年の某月某日。その年の秋が老け、終わりを告げようとしている頃――一航戦と呼ばれ、日本が誇る正規空母赤城は轟沈した。
戦闘中、轟沈したと思われていた戦艦ル級フラグシップの一撃を受け轟沈。
それは誰の目から見ても明らかな提督の失策であり、失態であった。弁解の余地も一切なく提督――南雲満はやり玉に挙げられる。
はずだった。
本来であれば問題の責任を全て背負わなければならないはずの満が、しかしその責をあくまで“一端”とされるほど、その出来事は衝撃を持って海軍を駆け巡った。
内容は単純だ。
赤城の轟沈に対し、海軍上層部の一部が“赤城自身と”合意していたということだ。
イレギュラー的に満が鎮守府に着任することが決定――言い換えれば認識された時点で――赤城は一部の影響力を持つ海軍の人間と接触を持ち、轟沈を前提として、赤城を配備することを了解していた。
言ってしまえば彼等が赤城を沈めたようなもの。赤城に沈む意思が合ったとはいえ、それを否定することはできない。
赤城自身が海に還る事を選んだのは簡単だ。艦娘は海に還ることで、一切の怨念を持たなければ新たに艦娘として転生するのである。
そうでなくとも、轟沈した艦娘の装備は、新たに引き上げることが可能であるのだ。艦娘が出撃するということの中には、轟沈した艦娘の換装をサルベージするという意味も存在するのである。
解体し、新たに建造するよりもそれは簡単で、彼等はそれを、肯定し促進することを望んでいた。
艦娘は兵器である。そんな兵器に、わざわざ退役後の金をつぎ込むのは非効率極まりない。――兵器は兵器らしく、“使われていれば良い”のだ。
外道の考えでは在る。しかし、一定の支持があるのは確かだ。対外的にはともかく、内外的な海軍内部ではそういった声は小さくない。
結局のところは自尊心の問題だ。娘子どもに世界を守らせて、自分はただふんぞり返っているだけ、不甲斐なさがやがて八つ当たりのように艦娘へ向くことはよくあることだ。
ただし、この考えを持つ人間のほとんどは七年ほど前に一掃されているため、赤城と取り決めをしたのはその当時一掃されることのなかった極少数の人間だけなのだが。
それでもその少数は大きな影響力を海軍に対して持っていたし、そんな彼らが“満を提督とすることに反対していた”ことも事実である。
明らかにしてしまえばその構図は簡単に理解ができる。
約二年前、赤城は一部の海軍上層部と密約を交わした。それは赤城が海に沈むという内容であり、それぞれが狙いあっての事だった。
上層部側は赤城が轟沈すれば満を排除する大義名分を手にする事ができる。赤城は精神的疲労から開放される。少なくとも両者はそういった認識で約定を交わしていた。
しかし、それは赤城の策であり、彼女の轟沈直後、一人の艦娘によってその事実が明るみになってしまった。
その艦娘とはかつての同僚、一航戦加賀であり、彼女と赤城は日頃から手紙のやり取りをしていた。この時代に文通など時代錯誤も良い所だったが、それには情報の流出を守るという意味があったのだ。
加賀に対する赤城の手紙は、海軍上層部の暗躍を指し示す多くのヒントがあり、そのヒントを“赤城の轟沈”という結果で悟った加賀は、即座に証拠を入手――赤城が保管していた――白日のもとに晒した。
結果、満に対するバッシングはある程度消滅することになる。バッシングする側がそのままバッシングの対象になるのだ。
とはいえ、満に対して何のお咎めも無かったかといえばそんなことはなく、彼は北の警備府、今回の件で加賀に手を貸した長年の友である提督の下、北の警備府副司令という立場に“左遷”させられることとなった。
ただし、その際満の鎮守府はそのまま存続、その司令は北の警備府提督が担うこととなるが、実質的な運営指揮は満となった。
これは満自身がそうするべく行動した結果で、満の鎮守府と北の警備府は実質的に合同で指揮が取られることとなる。
狙いは単純で、提督としての知識が乏しい満が北の警備府から教導を受けるというものだ。
何も不思議な話ではない。満は一人でも十分に一人前の知恵を手に入れることはできるだろう。その程度に彼は優秀で、否定しようのないものだ。
しかし、だからといって誰かに教えを請わず、もくもくと一人で知識を蓄えるような非効率をするほど、彼の心情は特殊ではなかった。
プライド以上に上昇志向が高く、上昇志向以上に完璧主義が多く見られる。少なくとも満はそうだ。最善を、最善を、その場その場で求めるのは、彼の一種のあり方である。
まさしく激動であった。満が北の警備府に“左遷”されることが決定し、事態に一定の鎮静が見られるまでおよそ一ヶ月。満はほぼ出撃をせず、事態解決に奔走していた。
――ここに、感情を持ち込むべきではないだろう。
彼らの感情は秘されるべきものだ。満だけではない、親友を失った加賀も、そして北の警備府提督にとっても、それは思うことがあまりにも大きかった。
事態の落着に走り回っていた満が決してそれだけを思い続けていたはずがない。
親友からのヒントを元に、真実を曝け出した加賀が、それだけを想いに糾弾を行ったはずがない。
失われてしまったもの。赤城という正規空母を喪失したことは、誰からも惜しまれる事実である。そして同時に、赤城という女性がこの世から失せてしまったことは、満たちにとって小さくない楔となるのだ。
それを単なる一つの事象として語る事はできない。
語るべきではない。
全ての物事に終わりはある。しかしその終わりが、今である必要はなかった。ただ、それだけのこと。
そして、語るべきことは何もそれだけではない。艦娘達のことだ。一連の騒動が終結し、満が精力的に提督としての経験を積み始めるに連れ、半分ほど麻痺していた鎮守府も元通りの機能でもって再開された。
違いは、赤城の不在に拠る資料の滞りであったが、全力出撃のない現状で、それは大きな問題とならなかった。
時間だけなら腐るほどあるのだ。満がそうであるように、全員少しずつ、前に進もうとしていた。
目新しい変化があったのは龍驤だ。大規模な改造が行われ、追加兵装のスロットを一つ増やすことに相成った。
他にも金剛も、改造はすでに行われているものの、前々から行われていた近代化改修がついに終了、完全な状態に至った。なお、今後さらなる改造が行われる可能性もある。
また、愛宕の近代化改修も大幅に進み、北上の追加改造も決定している。
更には鎮守府正面海域の哨戒も本格的に開始され、それに際し第六駆逐隊の面々も随時改造が行われた。現在では相当に練度も向上し、演習を目的とした遠征であれば、旗艦を任せられるほどだ。
これはすなわち第六駆逐隊が第三艦隊以降の旗艦を務める事が可能になるということであり、近い将来、暁達はそれぞれ別の基地に配属され、艦隊の旗艦などを行うようになることだろう。
――あ号艦隊決戦、通称『沖ノ島海戦』から三年。かのミッドウェイ海戦からは、すでに十年の月日が経とうとしていた。
満達はそれぞれの思いを胸に抱えて、前に進むことを選んだ。
そうしてこのたび、満達は西方海域への進出を決定。同時期、かねてより北の警備府が守護していた北方海域に出現する深海棲艦が活性化の兆しを見せる。
この三年、大きな海戦と呼べる海戦を満達が経験することはなかった。しかしこの脈動により、大きく波は蠢き始める。
新たな戦いが、幕を開けようとしていた。
♪
超高高度飛行用旅客機――主に、この世界の翼を担う飛行機は、ほぼすべてが超高高度、大気圏直近ほどに上昇し、飛行することに特化している。これは深海棲艦の制空権から逃れるためで、彼女たちは通常の戦闘機しか空の武器を持たない。この旅客機はその領域を避けて通るため、この世界独自に発展した技術であった。
少なくとも、必要に駆られ開発されたそれは、かつての満世界の旅客機以上に高性能だ。
かくして、そこから降り立つ者が入る。白の制服は、日本海軍特有の者。三年前は多少癖のある髪をそのままさらけ出していた頭上に、今は海軍指定の軍帽が収まっている。
三年という歳月を持っても、彼に肉体的な変化はない。当然といえば当然のことで、彼は軍艦、この世界に於ける艦娘と同様、その姿を艦齢によってしか変化させない。
三十年か、四十年か、生きていけば彼の人間ではない部分の機能が停止、人間として成長することができるようになるだろうが、今の彼に変化はない。
しかし、どこかその顔立ちは三年前とは違っている。理由は『眼』だ。彼の目つきは、三年前とは比べ物にならないほどチカラに満ちている。
――南雲満。提督としてそれなり以上の経験を積んだことが、彼に少しだけ成長と呼べるものを加えていた。
伴って、旅客機から降り立つ者が入る。
二名。どちらも目を引く容姿の少女と女性だ。満の後ろから、それを追い抜くように駆け抜ける少女、島風と、更にその後ろから満に並ぶ女性、愛宕だ。
この組み合わせは中々珍しいものがあるが、今回はこれで問題ない。
現在満達は北に警備府にやってきている。
目的は単純で、今日は北の警備府司令が席を外しているために、代理で警備府の運営を行うためだ。これは通常であれば異例のことだが、満が“一応”“名ばかりとは言え”“形式的には”この警備府の副司令であるため、そこまで珍しいことではない。
満の鎮守府はかなり日本の南方にあるため、頻繁に北と南を行き来することは、中々負担では在るのだが。
「とーっちゃく!」
島風が楽しげに言う。彼女と愛宕がここに来るのは、単純にその必要があったからだ。今回の目的は北方海域一部、モーレイ海の哨戒。現在主力艦である軽巡二隻が提督に連れ添い警備府を離れているため、主力艦隊を形成するための援軍が必要だったのだ。
「こらこら、あんまりはしゃぐのは良くありませんよ」
「具体的な例を出さないのは言葉の説得力を欠くんじゃない?」
愛宕の言葉に、島風はなんとはなしに反論する。
「落ち着きが無いのは少し印象が悪いわ、あなたは私たちの旗艦なんだから。それに――」
「……うわわぁ!?」
続けようとして、しかし島風がそれを遮るように声を上げた。直後、思い切り鈍い音が響き渡る。はしゃぎまわっていた島風が体制を崩し、ひっくり返ってしまったのだ。
「――そこ、凍ってるわよ?」
「先に行ってよー!」
島風の抗議に、愛宕はあらあらとふんわりした笑みを浮かべる。しかしその実表情は笑みによって覆われ仮面のようだ。艦娘としての経験を積み、どうも最近はそう言った振る舞いが板についてきた。ついてしまった。
満は軽く嘆息し、島風を引き起こすと、手に持っていたコートを手渡す。支給品で、今現在愛宕が着ているものと同様のガウンコート。
「そもそも、その姿でここはキツイ物があると思うけれどね、まったく」
咎めるようではないものの、コートを渡す手はお座なりだ。真正面からそれを島風も受け、「わぷっ」と思わず声を上げた。
「えー……? ってさむ、なにこれ、超サムイ!」
「当たり前だ。今は冬の間近だぞ」
いそいそとコートを着こみながら島風は満の横に並び、三人は連れ立って進むことになる。空港から海の港までは距離がある。送迎の車が外に来ているはずだ。
高高度飛行の飛行機は、軍の所有物であるため、中には島風達の換装も詰め込まれている。それを改めて受け取り外にでる。
今はまだ長期休暇の時期ではないため人通りは少ないが、無いわけではない。この中から人を探すのは手間のかかる作業と言える。
すでに幾度か似たような事をしているので、満は慣れたものであるが。
三人がそれぞれに人通りをかき分け――というよりも、島風達はそれなりに名の知れた艦娘だ、周囲が勝手に道を開ける――やがてたどり着いた先に、どうやら自分たちを待っている者がいるようだった。
顔はもはや見知ったものだ。
顔を合わせれば、すぐに互いが目的の人物であると知れた。
「――南雲提督!」
軽やかな女性の声。彼女にとって満は副司令という立場ではあるが、色々な事情が重なり、これが楽だからとそう呼ばれている。
やはり“彼女”がいつものように満を待っているようだ。
それもそう、援軍に金剛がいない理由。
“彼女”は秘書艦を務めるが、同時に艦隊の切り札でもあるのだ。よって、基本的には出撃の予定がある場合、軽巡二隻が秘書艦を代行するのである。
「やぁ、待たせたね」
満が軽く手を上げてそれに答える。
愛宕と島風もそれぞれ仕草で挨拶をして、さらに満が告げた。
「――榛名」
金剛型の三番艦。日本が誇る四隻の高速戦艦のうち一翼にして、北の警備府旗艦。
“榛名”。
それがその少女の名前であった。
本再開は2月17日ヒトロクマルマルとなります。