艦隊これくしょん -南雲機動部隊の凱旋-   作:暁刀魚

31 / 68
『30 あ号艦隊決戦その3』

 戦艦ル級フラグシップ。

 戦艦ル級エリート三隻。

 駆逐二級エリート二隻。

 

 敵艦隊主力を構成する艦種の概要である。言葉にするだけで目眩がしてくるような戦艦の群れは、見間違いなどありえない。

 現実だ。南雲機動部隊がこうして直面する最初にして最大の山場。南西諸島は日本だけではない。オーストラリア、他オセアニアの諸国が明日、この海に出ることが叶うかどうかの一戦であるのだ。

 

 敗北は許されない。この場合、撤退は敗北ではない。敗走は完全な敗北ではない。ここで島風達が求められるのは、確実にこの艦隊を撃滅すること。全てを排しこの海域の制海権をもぎ取らない限り、戦術的な勝敗の有無すら、決定する土俵に彼女たちは立てない。

 同時に提督であるところの南雲満は、彼女たちの進退を決定する権限がある。この戦闘の結末に、勝敗という端的なあとがきを加えるのだ。

 

 一人、ぽつりと取り残された司令室。無線の向こうから、島風達の声は聞こえてくる。しかし、戦闘中の彼女たちに満へ声をかける余裕はないし、素人である満に何かを求めているはずもない。

 ゆえにこそ、今の彼には戦いの行方を座して待つ他にない。

 

 出来るだけのことはした。そも、島風達がこれまで作り上げてきた連勝の山は、この戦いに勝利を想像させるに十分だ。

 今の自分には、足りないものが多すぎる。それを少しでも補うために、これから前に進む必要がある。この戦いは、それを為すためのものだ。だからこそ、負ける訳にはいかない。

 

 絶対に、負けられない。

 

 おそらくは――そう一言付ける必要もないだろうが――どの艦娘とてその意思は同様だ。この海域を攻略することで、自分たちは一つ前に進む。

 それぞれにはそれぞれの迷いがあって、悩みがある。満はそれを多少なりとも知ってはいるが、推し量ることは出来ない。それでも、こうして前に進んでいくことで、解決しなくてはならない、解決が不可能ではなく、困難と呼べる時が来るのだろう。

 

「南雲機動部隊……か。島風、よろしく頼むよ」

 

 旗艦に向けての、たった一言。聞こえることはない。こちらからの通信は切っているのだから。必要としなければ、その通信が再び満の手で始まることはない。

 

 ふと、思い立って窓から空を見上げる。

 決して悪い天気ではない。雲は目立つものの、陽の光も、直接満の司令室へと届いている。十分だ。この陽気なら――島風達へ満の思いも、届けることができる。かもしれない。

 

 

 ♪

 

 

 龍驤の右手が振り上げられる。その手には、布状の飛行甲板が握られている。数十ノットの風にあおられたそれは、はためき空に対して水平に変わる。

 その上空を、艦載機が舞い、それぞれ合わせて着陸していく。そこに一切の無駄はない。飛行甲板に着艦すると同時、白紙の紙へと変じていくのだ。

 

 龍驤の艦娘としての感覚が、妖精から攻撃の報告を受け取る。内容は戦艦の対空砲火で散った艦載機の詳細と、敵の被害報告であった。

 仲間たちへ告げるのは後者のみ。現状、問題が出るほど艦載機は撃墜されていない。

 

「敵艦! 駆逐二級二隻を狙うも小破至らず。また、敵旗艦、戦艦ル級フラグシップを赤城の艦載機が狙うも、一撃すら通らず!」

 

「――そんな!」

 

 思わず声を上げたのは、愛宕だ。無理もない、赤城といえば日本の象徴、六隻の正規空母が一翼である。その一撃が通らないなど、敵は如何程までに強固であるのか。

 考えるには、頭が痛すぎる問題だ。

 

「今は気にしないで行こう! それより北上は魚雷用意、直ぐに一発叩き込んでね!」

 

「あいあーい!」

 

 島風の掛け声に北上が応えた。即座に魚雷を敵旗艦、ル級フラグシップへと向ける。何度か咆哮を修正しながら、北上は渋面で愚痴るように、ぽつりと零した。

 

「これは、マズイねー。あんま攻撃通らないかも」

 

「やっぱり、このまま進むと反航戦か」

 

 同意するように島風が言った。それに気が散るからと北上が視線で言って、即座に魚雷の発射に移る。正確には甲標的、魚雷を発射するための小さな船だ。

 

「ィッケェ!」

 

 発射音にかき消されながら、それでも北上は声を震わせた。そして――

 

「ごめん! 外した!」

 

「ちょっとー!?」

 

 島風の声が海に響く。ル級に届かないまでも、それは艦隊全てに轟いて、しかし振り払うように島風は意識を切り替えた。

 

「ともかく、このまま考えられる方法は二つ、だね」

 

 現在、このまま進めばル級達と島風達は交差して会敵する。先ほど島風が述べた通り、反航戦となるのだ。

 反航戦の特徴は、お互いが艦を並べて戦闘を行う、いわゆる同航戦とは異なり、すれ違いざまの戦闘であるために、戦闘時間が短くお互いに及ぶ被害が少ない。

 ここまで島風達は全ての戦闘を同航戦で行ってきたが、それとは違い今回は一瞬の打ち合いが前提となる。

 

 そこで取れる選択は、島風の言う通り二つ。

 

 まず、このまま戦闘を行い、即座にこの海域を離脱すること、つまり昼の戦闘を少ない被害でやり過ごし、夜の戦闘で敵艦隊を撃滅するか。

 しかし、これにはあまりにも問題点が多い。まず、敵戦力と味方戦力を比べた場合、明らかに敵艦隊の方が夜戦に向いているためだ。これは、空母が夜戦では一切行動を起こせないという点を鑑みれば、説明するまでもないだろう。

 

 そしてもうひとつは、まず反航戦で行き違い、“全力で反転”その後敵艦隊に追いつき同航戦でもう一度戦闘を挑む、というものだ。

 夜戦火力が足りなければ、昼の火力で敵を圧倒しようというのだ。とはいえ、問題点が多いというのはこちらも同様だ。まず、そもそも前提として昼の火力すら島風達は劣るのだ。戦艦四隻という、ミッドウェイクラスの海域に出撃するのでなければ運用の難しいはずの艦隊が相手だ。通常の艦隊である島風達には、少しばかり荷が重い。

 加えて、ここまでの連戦で弾薬の残りが心もとない。夜戦に突入することを考えれば、ここで反転による再戦などをすれば、夜戦に必要な弾が無くなってしまう。

 

 そこで――と、提案をしたのは愛宕であった。いつも細めている瞳を大きく見開き、何かを考えるようにしながら、つらつらと言葉を選び始める。

 

「状況を意図して作成しましょう。こちらが夜戦に持ち込むのが有利か、はたまた昼戦をもう一度するだけの意義があるのかを条件付けします」

 

 即座にそれを理解したのだろう。北上が補足するように言う。今は、とにかく時間がない。情報の共有が可能であれば、即座に行う。

 

「つまり、駆逐艦二隻の撃墜を夜戦突入の条件とするの?」

 

「そう、夜戦に突入すれば私も北上さんも、それに島風ちゃんだって有効な打撃を持ちますし、メリットも多い。こちらの被害状況と、前提として作った条件をある程度査定して、その場で判断します」

 

 被害が多ければ反転、戦意高揚による轟沈回避の状態で、多少無茶でももう一度戦闘を挑む。夜戦は昼戦と同一戦闘のはずではあるが、それを証明するデータは現状海軍にはない。

 

『……それは、僕ではなく赤城の方がいいな。被害の報告すら面倒だろう。迅速に頼むぞ』

 

 即座に、満が判断を決めて告げた。それは満の無知という理由もあるが何より、そこで判断が最も早くできるのは、艦列最後尾で戦況を見極められる赤城しかいない。

 

「――――分かりました」

 

 そこまで、ひたすら無言を貫いていた彼女が口を開く。決意に満ちたような、いつもよりも低い声。満は一拍だけおいて、次の言葉を口にする。

 

『頼むよ、みんな。僕達に――勝利を』

 

「ラジャ! それじゃあ行っくよ! 砲雷撃戦。はっじめ!」

 

 ――直後、オーダーを受けた金剛の砲撃が、勢い盛んに、敵艦隊へと向けられた。

 

 

 戦闘開始直後から、状況は拮抗といってよい状態にある。敵戦艦、ル級エリートの一撃が愛宕の右肩をかすめ、駆け抜ける。小破には至らないものの、至近弾以上のダメージが換装に伝わる。

 

 一発で、これか。

 衝撃は痛みには変わらない。ただ鈍く残り、それは痛みというよりも重しを載せられたような感覚だ。鈍痛という意味では痛みでも間違ってはいないのだろうが。

 ともかく、艦娘が“沈む”というのはつまり、この重しに精神が耐えられなくなったということなのだろう。

 

 慣れる、ということはないのだろう。往々にして、歴戦の艦娘が沈むという話は、さほど珍しい話ではない。この重みを耐えられるほどに精神が鈍っているというのなら、それはもはや機械のような、不沈艦の誕生だ。

 

 ありえないといえばその通り。そも、それほどまでに精神を疲労させれば、本来であれば疲労の“下限”が上がり、無傷の状態ですら轟沈の可能性すら生まれる。つまり、慣れたのではない、痛みなど分からないほどに、“すり減った”のである。

 

 愛宕は若い艦娘だ。見た目で言えば島風や、北上とはだいぶ年の離れているように思えるが、実際はその島風、北上等の方がよほど年を経ている。

 慣れては行けないということを解った上で、実践できる、若葉マークのドライバーといったところか。

 

 故に、前に出る。痛みを知る艦娘よりも、自分のほうがよっぽど、その資格があるはずだ。

 

「テェー!」

 

 行き交う艦隊の、前方に設置するかのように砲塔を構え、放った。降り注いだ一介の鉛は、ル級の独特なフォルム、つまるところ左右の手に備えられた換装を兼ねた装甲板に突き刺さる。

 フラグシップ、旗艦の黄金色を帯びたボディに、黒い炭と煙がこびりつく――が。

 

「……効いてない!?」

 

 急所にねじ込んだ、ではないにしろ十分直撃といえるレベルの一撃、であるはずだ。それをこうもやすやすと、跳ね除けるようにするというのだ。

 異常。愛宕の息を呑む音は、おそらく無線を通じて、周囲に伝わった。

 

 直後。

 

「何しよるんや! 足とめんと、前向きィ!」

 

 後方、ちょうど一つ後ろに居る龍驤から、激が飛んだ。言うまでもなくそれは叱咤に近いものであり、愛宕を急かすためのもの。

 だが、それが愛宕には良い刺激となる。声と同時に、前方に一つの影を感じ等。ル級エリート三隻の内、最後方からの一撃が、愛宕を襲う。

 

 慌てて身を逸らすと、先ほどまで愛宕がいたすぐそこの後方。龍驤の目前で水柱が上がった。中学生程度の、小柄な龍驤はそれに覆われ、愛宕の視界から消える。

 声をかける間もなかった。

 続いて、意識を向けている暇もなかった。返すように副砲を放つ。何度も、何度も。空に、一文字の閃光が列を成してキャンパスを駆け巡った。

 

「……っ!」

 

 副砲が、今度はエリートの至近弾として着弾する。しかし、効き目はない。その前方、ル級フラグシップに向けて、金剛が砲撃を構えているのが見える。

 ほぼ同時に、後方から柱をぶち抜いて龍驤が躍り出る。右手の飛行甲板が風になびいて、そこから艦載機が飛び出す。すでに宙を舞い始めている者もいた。

 ――掻き切った水が、キラキラと空の光に照らされ輝き、どこへともなく、消えていった。

 

「っけェ! 艦載機――!」

 

「全砲門、あらん限りにスタンバイ!」

 

 声が連続するように鳴り渡る。その言葉は、ある種の勧告だ。本命は艦載機――駆逐艦ニ級エリートを狙う、龍驤である。金剛のしていることは、そのサポート。対空火力を持つ戦艦の意識をそらし、攻撃を完遂させる手助けをすること、そして、自身の砲撃で敵艦隊の隊列を乱し、ニ級エリートに一撃を叩き込む隙を生み出すこと。

 この昼戦で戦艦エリートと、戦艦フラグシップを落とせる可能性は零に等しい。そもそも、有効な打撃が金剛の砲撃のみなのだ。夜戦か、ないしは反転しての連続戦闘でもない限り、まず、火力が足りない。

 

「ファイア!」

 

 金剛の砲撃が、二度響いた。主砲がル級フラグシップに迫り――一つは外す。もう一つは、至近弾。避けられた。攻撃の瞬間にル級の身体は不規則に揺らめいていた。海の波以上に、そうなるようル級が身体を揺らしているために起こる事態だ。

 不気味、不可思議、そう評するのが正しい手合。何せ深海棲艦は、得体のしれない怨念どもの群れなのだから。無機物よりも生物、人間の思念に近いそれらは、憎悪か、はたまた執念か、何がしかのマイナス感情が蠢き、悪夢のような不協和音を奏でる。

 

 フラグシップとは、不協和音が創りだした、不快と不快の集合体なのである。

 故に、強固。その意思は、金剛達歴戦の艦娘が持つ、大義の感情よりもなおもって、厄介。荒唐無稽とすら言えた。

 

「――通らないネ!」

 

 数が必要なことくらいはだれだって解る。反航戦ではろくな砲撃の機会がない。敵の攻撃も、些かか細く、そして味方の弾幕にも、力がない。

 金剛の砲撃が残した痕は、フラグシップの放つ異様な圧力、黄金と化す煌きの帯に飲まれて消える。光ではない、深海棲艦が持つ特有な陽の光の反射だ。

 

 例外は、龍驤だけだ。彼女の手元から放たれて、空を駆ける艦載機編隊は、今も変わらず、空に在る。

 

 ただし軽空母の龍驤では火力が足りないためフラグシップに風穴を開けるチカラはないが。

 

 だからこそ龍驤の狙いは駆逐ニ級だ。戦艦ル級に対しては、対空火力が余りあるために難しい。しかし、一切対空砲撃ができない駆逐ニ級にであれば、一発で必殺のモノとなる。

 

 とはいえ、ル級の砲塔が空を向いている。赤く染められた熱が、艦爆『彗星』の左方に吹き上がる。否、彗星は避けたのだ。弧を描き、身を歪めて、円を描いて。

 

 高度を上げる。超高高度。雲の切れ間に、白の線が埋もれた。

 

「イッケェェ――――ッッ!」

 

 ここまでくれば、もはや対空は意味を成さない。一瞬の合間にニ級を強襲しそして離脱すればそれで状況は完璧だ。

 そう、それだけならば。

 

「……龍驤さん!」

 

 愛宕の声が響いた。訳は聞くまでもない。彼女の隣を、砲弾が駆け抜けた。ちょうど、龍驤の方向へ。それだけではない、愛宕をすり抜け、龍驤へ、降り注ぐように鉛の雨が集中している。

 左右にも、上下にも、余りあるほどに、四隻の戦艦が砲撃を集中させていた。

 

「――解っとるよ」

 

 ソレは果たして、誰に向けた言葉だったか。愛宕に、ではあるだろう。しかし、愛宕の“何に”対してであったか。語るには、その一言はあまりにも、“含み”がありすぎた。

 

「ウチがやることは、これで終わっとるからね!」

 

 言葉とともに爆発の雲に龍驤はまみれた。金剛も、北上も振り返ることはない。それを見るのは、最後列赤城と、振り返る愛宕、そして一瞬だけ視線を向けて沈黙する、島風の三人。残る二隻はためらうことなく砲塔を回転させた。

 

 愛宕もそれに続く。煙から飛び出す龍驤の姿は見なかった。ただ、海を踏み抜く独特の、浮力を伴った衝撃が愛宕に伝わってきた。

 

 直後、その龍驤の艦爆が、勢い任せにニ級へ爆撃を敢行する。

 

 金切り声が宙を裂き、そのままニ級は火を吹き上げて真っ二つに切断される。

 

 ――それで、終わりだろうか。

 否、それでは決して終わらない。

 

 わざわざ中破にまで追い込まれたのだ。一隻で満足するのは、気概が足りないと龍驤は考える。一つではない――二つだ。

 

 駆逐ニ級エリートを、全て落とす。

 

 すでに賽は投げられた。宙に浮き上がる龍驤の牙、それがひとつであるわけではない。ここまで連戦を続け、それでも残ったいくつかの艦載機、それらが一斉に飛び立ち、空に居る。

 

 ニ級を落とすには、十分だ。

 

『――よっし! 撤収するよ、これでこの戦闘は十分だからね!』

 

 島風の声が無線を越して響く。でなければ届かないのだ。戦場であるということもそうだが、今その瞬間に、二隻目のニ級エリートが、海の中へ埋もれていくのだから。

 

『さあこれで全部の準備は整った。思い残すところはない!? あったら夜に、持ち越しだけどね!』

 

 一拍、置いて。

 続けた。

 

 

『夜戦、突入!』

 

 

 ♪

 

 

 島風達からの連絡が途切れて――夜戦への突入が決行されてから少し、満は先ほどまで食べていた飯が入った皿を机に投げ出して、椅子に体重を預ける。

 今現在そこには人がいた。満と、そして間宮である。

 

「ありがとうございます。わざわざ夕食を用意していただいて」

 

「長丁場ですからね。それに、もののついでという奴です」

 

 給糧艦『間宮』。日本中を飛び回る特殊な艦種の艦娘である。現在は満の鎮守府に寄港し、司令室を訪れていた。その理由は満に夕食を届けるため――ではなく、別の基地へ移動するための補給であるらしい。

 時期さえ合えば、士気を上げるために氷菓を振る舞うことも考えられているのだが、現在は主力が出撃中であるため、甘味を味わえるのはこれから彼女を護衛することになる第二艦隊の面々だ。

 

「それともう一つ、気になることが在るのですがよろしいですか?」

 

 これもまた、“もののついで”というものだろう。ふと思い出した、という様子で問いかける。

 

「構いませんよ。これから少し気が休まらない時間が続きますからね、どうしても――話し相手が恋しくなります」

 

 すでに夜戦は開始されている。向こうからの声は届くが、満からの声に、耳を傾ける余裕があるものはいないだろう。

 

「心中お察しいたします」

 

 軽く微笑んで、間宮が返した。人好きのする笑みだ。満でもなければ、思わず息を呑んでしまうかもしれない。元より彼女は、相応に美麗な容姿である。

 

「それで――」

 

「話というのはですね、間宮納涼祭のことなのですが」

 

 続ける。

 そして、それを聞いた満の顔が、見る見るうちに驚愕に変わる。

 

 呆然のようなものを、伴った。

 

「赤城さんがこちらで何か作業をしていましたよね?」

 

「……え?」

 

 ありえない、事だった。思わず問い返した満に、今度は間宮がポカンとしたようだ。

 

「いやえっと、納涼祭の最中は一切仕事はしないようにしているんだ。前日までに必要な作業は全て終了させて、最悪出撃の必要が出ても、あとは出るだけという準備だけはして。……書類も全て片付けてあるから……僕に話しの来ない書類が、残っているはずもないよ?」

 

「でしたら……いえ、それは言いのです。おそらくは個人的な手紙などでしょうから」

 

「そうだね、彼女はよくここを利用しているし、気分転換に司令室で手紙を書くこともなくはない。でも……」

 

 言いかけて、しかし口をつぐむ。気分転換が必要な手紙、というのは不可解だが、間宮の言葉には次がある。本題が片付いていないのだ。

 

「その時、少し様子が“不可解”だったのです。具体的に言えば、赤城さんはどうしてか“私がアイスを勧めても断った”のです」

 

「……まさか」

 

 ――心当たりは、在る。

 あの日、まず満は“赤城と共に間宮の氷菓子を堪能した”。そこで一人前と一流の話を二人でしたわけだが、ともかく。

 その後席を立った満が外に出ると、第二艦隊の艦娘達からミサンガをプレゼントされ、そして帰ってきて首飾り状になった方を去年の納涼祭で撮った写真の横に飾った。今も、今年の納涼祭の写真と去年の写真の間に丸められて置かれている。

 そうして外に出て、赤城と会話し、別れた。その後は昼食を金剛や北上等と食べて、それで終わりだ。

 

 おそらくは、満が席を立った後に間宮が訪れたのだろう。そうして、アイスを食べる事を断った。不思議に思いながら間宮はそこを後にして、そのままだ。

 とにかく忙しい彼女は、満に声をかける間もなかった。

 

 納涼祭からこれまで、赤城と言葉をかわして、その様子を近くで見て、今にして思えば違和感に思えるようなことが多くあった。

 一人前と一流に関する会話も。

 あ号艦隊決戦直前の、あの食事での赤城の様子も。

 

 そして、あの時の赤城の言葉も。

 

 

『――――赤城、行きます』

 

 

 行きます? 行ってきますではなく? 通常ならばともかく、赤城からしてみれば違和感の在る物言いだ。まるで、帰るという意思を放棄したような。

 

 間宮が去ってから、ずっとそんなことを考えていた。本来ならば気にするほどのこともない違和感かもしれない。だが、気にかけてしまえば、それはもはや不安としかならない。間宮は対してそれを重大だとは考えていないようだった。

 無論、それが本来は正しい。大食漢な赤城がその時に限って食事を拒絶した。それだけで終了することだ。――しかし、満にはそれがあまりに不穏なことに思えた。

 

 思い上がりであればいい。赤城を想うあまり、向こうの考えを勘違いした愚かな男であればいい。満が一人で恥をかくだけだ。

 

 だがもしも、そうではなかったとすれば?

 その満の思い上がりが、思い上がりではなく、本当の本当に、赤城にとっての転機だったとすれば、満は、あの会話で赤城の引き金を引いたことになる。

 イヤ、それは単なる契機であって、満自体が問題ではない。だがもしも、満の思うことを赤城が思っているのだとすれば――

 

 満が“一人前”になるために、必要なことを学び始めた時、まずかの『ミッドウェイ海戦』のことを知った。それが世界を変革させるほどの激戦であったことも、知った。その中で赤城が果たした役割も。

 そこで、赤城が満の思う通りのことを考えたのだとすれば、

 思い違い――そう、満の鈍い感情察知能力による勘違いであれば問題は解決する。何の問題はないのだから、解決したも同様だ。

 

 だが、どうしても満は最後の不安の一欠を拭えなかった。

 

 

『こちらにいたのですね、満さん』

 

 

 あの時、満にかけてもらった赤城の言葉。

 

 それが満の楔となってしこりとなって、心に残り続ける。不安として、在り続ける。

 

 

 ――その時だった。

 

 

 一つの通信が、赤城の声が、久々に満の耳へと届いた。

 

 

 <>

 

 15

 

 

 激戦から数年。赤城は第一航空戦隊と命名された日本海軍直属機動部隊の旗艦として活躍していた。相棒には加賀を据え、レイ沖海戦、マリア沖海戦を駆け抜け、そして戦果を上げた。

 

 とはいえ、長門を除く全艦が中破以上の大損害を受けたミッドウェイ海戦のトラウマもあってか、大抵の場合赤城が活躍したのは後方の制圧。大きな艦隊決戦の舞台ではなかった。

 当然ソレは、加賀にとっても同様である。

 

 しかし、結果としてそれが赤城にとっての休暇となった。正しいことと、間違っていることを決める。ある種電や、提督の宿題とも呼べるそれに、結論を出すこともできるようになった。

 

 ――戦いを終えて、無傷ではなくとも、生きて帰ってきた赤城に、加賀は鬼のような形相で噛み付いた。なぜあんな無茶をしたのかと、生きているからこそかけられる言葉を、あらん限り持ちうる限り。

 

 長門や陸奥からも責められたし、蒼龍や飛龍は、あまりのことに泣きだしてしまった。

 長かった一日の終わりは、夜に拡がった満天の星空と、数多の仲間が迎え入れてくれた。

 

 提督と、それからその妻の墓参りにも行った。誘いは提督の遺書の中にも記されていて、彼を惜しむ多くの軍人とともに、赤城は静かに黙祷を捧げた。

 

 激しくも、静かな一日が過ぎていくようだった。

 

 あれから五年、悩んで、悩んで、悩み続けて、そうして赤城はそこにいる。これから赤城は異世界からの来訪者である一人の少年を導き、一人前の提督としていくこととなる。

 

 それは赤城の願いでもあり、誰かに望まれたことでもあった。

 

 名前はそう、なんと言ったか――起き上がろうとしている提督の名を思い出しながら、これからのことに赤城は思いを馳せる。

 

 五年で、色々とけじめがついた。

 

 正しいことと間違っていること、その自分なりの結論と、そしてその行く先。電も、提督も、答えを出してくれる相手はもういない。

 それが正しいと、赤城は思うことにした。

 

 一度は、覚悟を決めて死を待った。その死は、誰かが赤城に与えたものだった。それはきっと提督で、赤城はその感情を疲弊させた。

 長い間無茶をして、その無茶が、提督という父のような存在を、失ったことで露呈したのだろう。それを振り払う方法などあるものか、すくなくとも現世には無い。

 

 そう、赤城は――




 ――次回更新、1月14日、ヒトロクマルマルにて。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。