人気の少ない食堂は、元より人員の少ない満の鎮守府における日常風景の一つだ。更に、それぞれの役割ごとに休憩時間などが大きく変わるため、別々の仕事をこなす人間が、ブッキングしにくいのも人の少ない理由だ。
基本的にごくごく例外――満の鎮守府はこの例外にあたる――を除いて、赤字での経営になりがちではあるが、近くにコンビニ――どころか人の住む集落すらない基地もある。食堂にはそれなり以上の補助が出ている。
ちなみに、ごく例外とは、主に某空母がいる鎮守府である。
「提督ー、こっち開いてますよー! 早く早くゥ!」
食堂に入った満の姿を見つけた島風が、勢い良く右手を振り上げる。どうやらすでに食堂での注文は済ましているようだ。手元には湯気が吹き上がるようにしている。
黄色味がかった麺の光沢が、満の視界にまで光って見えた。
その隣にはすでに龍驤がスタンバっていて、こちらに満達が来るのを待っているようだった。ちなみに龍驤は麻婆丼を頼んだようだ。
「さて、じゃあ僕達も早く注文をすまそう、そろそろ金剛や北上達も来るだろうしね」
隣に立つ赤城に、そうやって声をかける。龍驤と会話をして以降、全員で食事をする機会はなかなか持てなかったが、今日、ようやくそれがかなったのだ。
というのも、全員の手がそれなりに開いていたことに加え、どうしても全員で集まる必要があったからだ。とはいえ、遠征メンバーはタイミングが合わなかったので後日、ということになる。
手には薄い、しかし多少の膨らみを持つ封筒。それを示すように島風たちへ返事をすると、赤城を伴って券売機に急いだ。
二人でカレーを頼んで席に着くと、ちょうど金剛がやってきたところだった。大げさに笑みを浮かべて手をふって、料理を頼んでからやってくる。即座に提督の右隣に座る。左隣は赤城がすでに陣取っている。島風は真正面だ。
「さて、じゃあ早速だけど、開けようか」
最後にやってきた北上と愛宕が並んで座り、全員がそこに集まる。満は手にしていた封筒を早速開封した。中から、満達が映った写真が飛び出してきた。
集合写真である。小さなはがきサイズのモノが人数分――遠征メンバーを含む――と大きなものがひとつだ。前回も同じように中に入っていた。全員に身体的な変化はないため、一年前とさほど変わったようには見えないが、それでも大きく雰囲気は変化している。
その違いは、龍驤、そして金剛が加わったことだ。
金剛は満の――現在と同じように右隣でポーズを取っているし、その横に島風、龍驤がいる。赤城は左隣、前回よりも少しだけ前にいる。
後は前回と同じような位置に全員が立ち、並んでいる。ただその表情は、若干の緊張が見られた前年よりもずっと、穏やかなものになっている。
「YEAH!! とってもヴェリィ良く撮れてるのネ! それに戦艦と空母が一緒に並ぶなんて一生モノのレアショットデース!」
誇るように、金剛は言う。誰も気にする様子はないのだが、それでも、だからこそ、金剛は誇らしげに言うのだ。“誇れるからこそ”誇るのである。
「来年にはまた、こうやって撮るだろうけどね。戦力的にこれ以上艦娘が増えることもなさそうだし、構成だって同じじゃないか?」
「そうとは限りませんよ。これからも、気を引き締めて行かないとダメです」
叱るように、赤城は言った。満は少しそれに困ったようにしながらも、優しげに笑みを浮かべて頷いた。
「当然だよ。これまでも、これからも、僕の艦隊は不沈艦隊でなければならないんだからね」
「せっかくここまで誰も沈めて来なかったんですから、やっぱりずっとそのままの方がいいですよね?」
愛宕が、同意するように言った。満には誰も沈ませて来なかったという信頼と、実績がある。それは満を提督として認める誰しもの指標であるのだから、揺るがすわけには行かない。
誰もがそれを当然と理解していた。だからこそ前向きに、今の満を鼓舞するのである。
「それにしても、納涼祭、良かったわぁ。ちょうど真夏のどまんなかやったのもそうやけど、料理がまた絶品で……!」
写真を見ている内に思い出してきてしまったのだろう、龍驤が卑しい笑みを浮かべて思わず涎を垂らしそうになる。
「とっても素敵な一日でしたネ! こんなにCOOLでブラヴォーな一日は、中々体験できないんデス。来年がこれから楽しみね!」
ねー、と島風に飛びついて金剛が言う。あいも変わらずオーバーなリアクションだ。北上と愛宕、それから満から苦笑が漏れた。
「……、」
そうして耳のようなリボンを揺らす島風は、しかし無言のままラーメンを一人で啜っている。考え事をしているようで、周囲の声など耳に入っていないかのようだ。
先ほどまで――満が封筒を開くまではいつもどおりであったのに、今は食事にも集中できていないようで、その速度は明らかに遅い。
「どうかしましたカー? 辛気臭いと幸せがESCAPEですヨ?」
「逃げるのは溜息と同時だと思うけどなー。まぁ、うーん。なんというか……」
「何か気になるんかいな」
「そう! 気になるの! 何なんだろ……あぁもう! 全然出てこない、あと少しなのにィ!!」
首元をひっかきながら、むがー、と島風は吠えた。感情が行く先を失ったのだろう。思考が、迷い道に引っかかってしまったのだ。
「気負い過ぎじゃないか? 次の戦闘が大規模なものになるのは確実だ。あまり気を入れすぎても良い結果は得られないぞ?」
「それは……そうなんですけど」
いたずらを咎められた子どものように、島風はどこか納得がいかない、と言った様子で答える。無理はないかと満は考えるものの、島風の言う“何か”が気になるのもまた事実。
ふと視線を向けて、赤城へと声をかける。終始無言であった彼女は、どうやらカレーを味わって、楽しむように食べているようだ。最近の彼女は、二杯、三杯と繰り返し注文を取ることはあるものの、その食事の速度はゆっくりだ。秋も近いからだろうか、去年は――よく思い出せない。今年と同じように味わっていた気もするし、いつもどおりであった気もする。
「……どう思う? 赤城」
ふと、その言葉を受けて手を止める。スプーンを机において、そうですね、と神妙な面持ちで少しだけ思考を回転させたようだ。
「今まで、島風は大きな艦隊決戦の“総旗艦”を務めたことはありませんから、無理もないのでは?」
「それもあるけど……っていうか多分それだけど、それだけじゃない気も……あぁ、多分それ! それ以上はわかんない!」
赤城の言葉に、島風がやけになったと言った風で答える。無理もない、どう悩んでも答えが出ないのだ。ここまで出なければ、つまりもう二度と浮かんでくることはない考え、ということになる。何かのキッカケでも無い限り。
「きっとそのうち思い出すわ。あまり得意気には言えないけれど、よくあることですものね」
慰めるような愛宕に、北上が笑いながら同意する。北上は、そも思い出せない島風を、からかうような笑みであったが。
「何にせよ次だよ次。あのレイ沖で奪われた私たちの南西諸島が、ようやく帰ってきそうなんだから。それを成すのは私たち。――南雲機動部隊なんだ」
まとめるように、北上が言う。笑みをからかうものから挑発的なものへと変えて。
南西諸島海域。マリア海戦。レイ沖海戦で奪われた日本、そして世界の制海権。かつて失った栄光を、取り戻すべく立ち上がる。
島風。
金剛。
龍驤。
北上。
愛宕。
そして――赤城。
戦艦一隻に空母一隻。一つの基地に配備された戦力として見て、十分すぎるほどのものだ。そこに高い練度を誇る島風や龍驤のような歴戦の艦娘に、独特の高い戦闘センスを持つ北上と愛宕。これほどの精鋭、他にあるとすれば北方海域の防衛における主翼を担う、高速戦艦“榛名”要する北の警備府程度だろう。
「まぁ、それはそうだろう。南西諸島海域最後の戦いだ。これに勝って、僕達は僕達の、目指す栄光を勝ち取ろうじゃないか」
「……そうだね、うん。これは祝杯。勝つための、前祝いかな?」
島風が、気を取り直したといった風に言う。
「じゃあ、僕達の前途と、日本海軍の栄光を祈って、乾杯でもするかい?」
「提督ー、あたし等ジュース無いんだけど」
北上の抗議。満も当然だといったふうに苦笑し頷き。
「僕もだよ」
と返した。
賑やかに、言葉をかわす満たちを他所に、もくもくと赤城はカレーを味わっていた。何かを考えるようにしながらも、しかしそれを言葉にすることはない。必要がないと判断しているのか、何か思うところがあるというのか。
「――だから、赤城」
そんな赤城の様子に気付いてか、気付いていないのか。満が彼女に意識を引き上げるように、言葉を投げて渡した。
一拍、言葉を置いた。
意思を深く直線に向けるように、少しの祈りを込めて言葉に替える。
「この南西諸島での戦いが終わったら、キミに話したいことがある。できることなら聞いて欲しいのだけど、いいかな?」
一気にまくし立てるように、満は言った。一度でも詰まってしまえば、もう言葉に出来ないからだと、そう考えたのだ。
周囲が、それであっという間に色めき立つ。金剛がムァーッ! と大きな声を上げた。
「――――、」
対する赤城は、食事の手を止めて無言でうつむく。何かを言い出そうとして、しかし止める。その様子を、満は見て取れたものの――どうこうすることはできなかった。
そんな満だからこそ、気づくことなどありえない話だった。
その場にいる誰もがそうであるように、満もまた、雰囲気に飲まれていたと言えるだろう。――誰も、気がつくことはなかった。
一瞬。本当にごく些細な瞬間。赤城の瞳が満へ向けて揺れているということを――
<>
12
順調に状況を勧めているように思える長門達。しかし、それは一瞬の幻想でしか無く、完全な一進一退と呼ぶべき状況が続いていた。
タ級二隻が轟沈したとはいえ、戦艦の“真横を通り過ぎる”という無茶を越えて無謀な選択は、前衛の長門と陸奥に、相応の被害をもたらしていた。
すでに小破していた陸奥は大破、戦闘続行を困難とし、長門も小破、それもギリギリ踏みとどまったような、中破寸前の小破である。
さらに、もう一隻のヲ級フラグシップは、制空権を得た加賀の一撃で沈められたものの、それと刺し違えるようにヲ級の艦載機が蒼龍と飛龍を遅い、制空権の確保にほぼすべての艦載機を消費していた両名は、為す術もなく飛行甲板を大破、空母としての戦闘継続能力を失っている。
最後に赤城、タ級を狙った彼女の一撃は、しかし致命傷には至らず、それを小破させるに留まる。
「やはり抜けるには……厳しいか!」
「わかってても言わないでよそういうこと! ……あぁもう、なんで打てないのよ、ちょっと、ちょっとぉ!」
第三砲塔が爆破、炎上したために、砲戦火力を失った陸奥の愚痴が、海にこぼれて砲撃に掻き消え消える。間近に迫ったタ級に、歯噛みするようにしてその横を駆け抜ける。
「とはいえ、あの水雷戦隊の群れを突破するのは無理な話だったぞ? 何せ電探が一色に染まるからな」
長門のそれは、通信機越しに周囲へ届くことはない。あくまで陸奥へ向けたものだ。戦場に戯言を持ち込むのは長門の仕事ではない。
幾つもの長門の言葉は、陸奥個人に向けたもので、大破した陸奥を鼓舞し、意思を薄弱させないためのものであった。
「――長門さん!」
その時、赤城の声が後方から響いた。
「加賀さんが中破しました! これで、戦闘継続を持つ空母は、私一人となります」
「何ッ!?」
――加賀は、長門がいくども戦場を共にする、それ相応に信頼を置く戦友だ。全幅の信頼を置く陸奥についで、長門がその手腕を買っている艦娘でもある。
「……あと少しだ。こらえろ赤城! ここを抜ければ我々の勝利だ!」
長門の声が響く。すでに大勢は決した。ミッドウェイの制海権は深海棲艦に奪われることとなるだろう。しかし、この戦いで“生まれた”深海棲艦と“結集した”深海棲艦の数は、前者のほうが圧倒的に少ない。
タ級というイレギュラーはあるものの、奪還することは容易であろう――と、この当時は考えられていた――そのために、それを為す主戦力となる、長門達は必ず陸に帰らなければならない。
そう考え、声にこもるチカラは増し、しかしそれに水を指すように、赤城の言葉が続けざまに放たれる。
「――殿を私が努めます。各艦がこの海域を脱出するまで戦闘、その後、私も可能であれば離脱します」
「……なっ!?」
「何を行っている!」
陸奥の絶句と、長門の恫喝が続いた。赤城はつまり、囮となりこの場に立つ二隻のタ級を自分一人で受け持とうというのだ。
「現状、もっとも継戦が期待できるのは、一番被害が少ない私です! それに、どちらにしろこの状況はジリ貧です。私たちはこのまま相手に一撃を加える事もできず、追い込まれているではないですか!」
「しかし……」
「誰かがやらなくてはならないことです。そしてそれを最も可能とするのが私です」
「だが、それならば轟沈の可能性がない旗艦である私が――!」
「貴方が……! 聯合艦隊旗艦が、大破し、誰一人無傷な艦がなく帰還することは、日本のプライドが許さないのです! 深海棲艦どころか、世界から日本を食い物にさせるおつもりですか!?」
沈黙、長門の言葉は喉の奥で淡く広がし、しかし飛び上がること無く胸底へと消えていった。後には海と、砲撃と、艦載機の舞う音だけが響く。
長門の表情がはっとしたものから、何度も眉を揺らし。百面相のように変異していく。一度、二度、開けようとした口は、やがて真一文字へと変わっていった。
赤城の放った艦載機が、赤城の上空から、長門の上空へと駆け抜ける。その先の、タ級を沈めるという目的を持って。
その音が、空白にぽつんとひとつ響く。
「……全艦、全速前進! 誰も沈むな! これは命令だ! 誰も、沈むなぁぁあ!!」
はい。
帰ってきた声音の数を、長門は数えることが、できなかった。
ヒトロクマルマル。提督の皆さんこんにちわ。
来年もまた良い年でありますように。
次回更新は来年、1月2日ヒトロクマルマルより。良い抜錨を!