艦隊これくしょん -南雲機動部隊の凱旋-   作:暁刀魚

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『24 艦を背負った少女たち』

 食堂には、多くのスタッフ――大半は妖精であるが――が詰めかけている。鎮守府全体をカバーしてあまりあるテーブルと椅子を要するはずの食堂も、今日に限っては狭苦しく、機能を行使するのが困難に思えた。

 とはいえ、それは昼時の本当に混んでいる時間だけで、大抵の場合スタッフは――艦娘や満を含め――思い思いの場所で歓談などを楽しんでいるため、比較的空いている。

 

 意図的に混雑を避けた満も、そんな空いた食堂で昼食を楽しむものの一人だ。空いているとはいっても、それを狙って訪れる者はいるため、一定の人員はいまだここにいる。

 その多くは食堂を切り盛りするスタッフのようだ。軽く労って、バイキング形式の食事を楽しむ。

 

 食堂のバイキングにはほぼすべての食が揃っていると言っても過言ではないが、満はその中空サラダ、それにかけるドレッシング、唐揚げ、スープと、どことなく朝食風のチョイスを選んだ。無論白米もセットにして、だ。

 

「うむ、サラダが美味しいね。悪くない」

 

 シャキリとした歯ごたえと、みずみずしさを持つキャベツや人参等が山盛りになったサラダ。少し酸味のあるドレッシングが絡まり、口を通り過ぎるのに違和感のない食感が魅力だ。

 

「あら、あらあら。美味しそうですね、提督」

 

「唐揚げちょうだーい」

 

 ヒョイッと、二、三個載せられた唐揚げの一つが箸に取り上げられて、そのまま言葉の主の口元に持っていかれる。見上げると、北上が美味しそうに頬を緩ませていた。

 目尻が下がり、トロンとした表情で、ほくほくと唐揚げの熱さを楽しむ。

 

「新しいのが出たてなんだねー、おいしー」

 

「……文句を言ってもいいかい?」

 

「ダメだよ」

 

 キリッとあからさまな北上のドヤ顔に、満の頬が何度かぴくつく。と、そんな北上の頭に、隣に立つ愛宕の手刀が襲いかかった。

 

「あいだっ!」

 

「ダメですよー、いくら食べ放題だからって、ヒトのをとったらマナー違反です」

 

 いいながら、ニコニコと優しげな笑みを浮かべる愛宕には、どことなく母性を感じることもできるのだが、しかし足元にうずくまる北上の様子を見ていると、そうは言えない。

 

「ぉぉぉぉおおお」

 

 と、地獄のような唸り声を上げる北上。どうやらほとんど下限なしに叩きつけられたようだ。遠慮がなければ痛みが大きいのは当然である。

 満は嘆息し、それから北上がテーブルに乗せた皿に目を移した。

 

「はぁ。じゃあこのサイコロステーキ、これ一つ貰っていいかな?」

 

「あ、うん、いいよ。ごめんね?」

 

 ちらりと満を見上げて、愛想笑いをする北上。満は全く気にした様子もなくサイコロステーキを一つとると、口に運んでその味を楽しむ。

 柔らかい感触だ。あまり熱心に焼かない焼き方だったのだろう。広がるのは肉汁とそれによく絡められたタレの甘味だ。

 

「うまいな、次はこれも貰ってこよう」

 

「あ、北上さん。私も一ついいかしら?」

 

「愛宕っちはいいよー。提督はもうだめだけど」

 

「別にいらないよ。というか、早く座ったらどうだい?」

 

 言いながらも、結局愛宕は手を付けないようだ。あとで自分の分を取りに行くのだろう。北上はよっと吐息を漏らしながら立ち上がり、そのまま椅子に腰掛ける。背もたれに体を預けて、勢い良く伸びをした。

 

「いつもお疲れ様。こういう場でしかいう機会がないけれど、助かっているよ、とてもね」

 

「いえいえ、それにいつも気にかけてもらっていますし、提督の助けに慣れているのであれば、私たちはそれで満足です」

 

 満の言葉に、愛宕は遠慮がちに微笑んで返した。北上がその横から、満を覗きこむようにしてちゃちゃを入れる。

 現在満の横に愛宕、さらにその横に北上というふうに、一列で同じ方向を向きながら三人は食事をしていた。

 

「ちょっと方向性が気障だけどね」

 

「……いやいや」

 

 自覚はないが、そんなふうに言われる筋合いはないはずだ。一瞬金剛の顔が脳裏をよぎったが、すぐにかき消してなかったコトにする。

 

「でもさ、提督のお陰でこっちはかなり助かってるのは事実なんだよね。なんていうか、雰囲気がいい」

 

「気を使わなくて済む、というのは組織の中では難しいですからね」

 

 艦娘は実際に戦闘を行う、他に替えのない特別な存在だ。彼女たちはある程度であれば好き勝手に振る舞うことが可能だ。しかし、好き勝手にできるよう“気を使われている”というのは、存外普通の人間からしてみれば居心地のいいものではない。

 たとえそれが、比較的我の強い艦娘であっても、だ。

 

「それもあるけど、やっぱり“普通に”起きて“普通に”食べて“普通に”出撃ができる。これって割りと貴重だよ?」

 

 功を焦れば無茶が生まれる。轟沈の危険は高まり、艦娘の疲労がたまる。それを考えてみても、満という存在が如何に提督として的確で、優秀であるかは、轟沈ゼロの鎮守府という実績が証明している。程よく知識がなく、程よく思慮がある。一介の少年ではあるものの、満は一人の提督であった。

 まるで、それこそ作為的であるとすら言えるかのように。

 

「だからその、これからも提督のために頑張っちゃうからね、見ててよ!」

 

「うふふ、私もです」

 

 会話の間にも、食事の口は止まっていなかった。元よりのんびりと食事を楽しむつもりだった満はともかく、北上と愛宕はこれから共に向かうところがあるようだ。鎮守府の外に出るのかもしれない。そこらへんは、彼女たちの考え次第だ。

 特に聞いてみようというつもりもない。

 

「じゃあ、失礼いたしますね」

 

「まったねー」

 

 二人は軽く満に手を振って、満が手を振り返したのを確認してから背を向けてその場をあとにする。そうして一人になってから満は、自分が笑んでいることに初めて気がついた。

 

 

 ♪

 

 

 元より満は一度の食事で全てを終わらせるつもりはなかった。夕食にも食べることはできるが、その前に、腹を一度満たしておく算段であった。

 そんなわけで二度目は、サイコロステーキなど、一口サイズの物をふんだんにとり、さらには主食すらとらない、完全に味見目的の選択。栄養バランスなど、溝に捨てたと言わんばかりであった。

 

 そうして満がテーブルにとった食事を追いた直後、それを見計らったかのように、金剛が満の元へ飛び込んできた。

 

「HI! 提督! 元気にしてマスカー!?」

 

「うぉぁ!」

 

 艦娘の身体能力は、海の上以外では人間のそれと同様であるが、それでもほぼ全力疾走の勢いをそのままに身体に飛びつかれては、もはやその衝撃は凶器のごときソレと化す。

 思わずと言った様子で声を上げて、それから思い切り体を揺らして衝撃を逃した。

 

「危ないじゃないか金剛! ……一人で来たのか?」

 

「いいえ、今日は龍驤と一緒デース! 本当は島風も一緒したかったデスが、何やら取り込み中のご様子……!」

 

「龍驤か……ん?」

 

 言われて、しかし周囲に龍驤の姿はない。遠くに――具体的に言うと食事を取っている最中かと――いるのかと、目を向けてみると、どうやら一人ぽつんと取り残されているようだ。

 けれど、そんな龍驤であるが、何やら様子がおかしい。意図は受け取れないものの、なにやら視線をあちこちに泳がせて、そわそわしているようだ。

 

「……彼女は何をしているんだ?」

 

「わっからないんデスかー? そうですか! では、乙女心の分からない提督に、龍驤、やっちゃってクダサーイ!」

 

 金剛が、抱きついていた満の身体から離れて言う。しかし、その仕草は満を指し示すかのようだ。指標を向ける、といったところか。

 

「――え?」

 

 直後、呆けた満の胸元に、龍驤が勢い良く飛び込んできた。弾丸の如きタックル。危ない声が満から上がった。

 どうやら、金剛の真似がしたかったらしい。

 

 

「……それで、ふたりともまだ食事が済んでいなかったのかい?」

 

「せやで、ほんまやったら島風見つけて、早めに食うつもりやったんやけど、全然見つからんくて、結局こうして二人で寂しくお食事や」

 

「提督がいたからモーマンタイですけどネ!」

 

 いささか古臭い日本語を操りながら、金剛が笑う。

 

「あ、そういえば提督。月が綺麗ですネー」

 

「……ごめんね」

 

「あぅ、これで十八連敗なのデース」

 

 提督を愛していると、金剛は口癖のように言う。そうして十八度告白し、十八度玉砕しているのだ。

 

「それにしたって提督、何で金剛の誘い受けへんの? ちょっと煩いのは認めるにしろ、悪い子やないやろ」

 

「ひ、一言余計なのでーす。余計なものは無いのニ!」

 

「成長途中やし! た、退役したら伸びるやろ、まだせーへんけどなっ!」

 

 ジト目気味に金剛へと盛大なツッコミを入れる。そして、空気を切り替えるように満へと視線を向け、龍驤は一言、それで、と言葉を催促してきた。

 できればその話題は避けたかったのだが、満は向けられた視線から逃げるようにして顔を逸らして、苦笑い気味にそっぽを向いた。

 

「あー、いや、その、あはは」

 

「……あーうん、別に言わんでええで」

 

 納得したように嘆息すると、今度は金剛の方へと視線を向け、さらに龍驤は質問を続ける。

 

「それで金剛の方は? 提督に脈ないことくらいわかるんとちゃうの? はよう諦めとけば、ダメージ少なかったんとちゃう?」

 

 恋愛とか、よーわからんけどと言いながら、思考に吹けるようにに龍驤は問いかける。

 

「ふふ、LOァVEを知らない子猫ちゃんの質問に、答える意義はないのデース! とはいえ、せっかくなので応えて差し上げましょう」

 

 ある胸を誇るように、金剛はふんぞり返って得意気に言う。失恋直後の様子ではないが、そも十八連敗中であるがゆえ、もはや失恋という概念はとうの昔に捨てていた。

 

「ほぉーう、いうやないか。ソレやったら聞こうやないの、そのLAVEパワーとやらを!」

 

 売り言葉に買い言葉、龍驤が挑発するようにくってかかった。満は仲裁しようとも考えたが、出てくる言葉がLAVEは洗うという意味だ、しか無かったため、やむなくソレを諦めた。

 食堂の一角で、金剛と龍驤。世界を守る兵器を操る、唯一無二の艦娘であるところの二人が真っ向から睨みをきかせていた。

 

「いいですか、LOVEは世界を救うのデス。それが親愛であれ、恋愛であれ、LOVEである以上、乙女の原動力にならない道理はありまセン! ……まぁ、私のLOVEが親愛に寄っているのは、否定しませんけれど」

 

 続けて、言う。

 

「それに提督は……私を戦艦としてではなく、何より女性としてでもなく、“艦娘”として私を扱ってくれマシタ。気遣い、責務を任せてくれマシタ。そこに、一切の期待はなかったのですヨ!」

 

 思い返してみる。数カ月前のことだ。金剛と初めて対等に話をした時、金剛が自分を愛しているというようになった時――艦娘として、相応の期待をしている。満はそういった。

 本来の意味での期待は、きっと一方的な言葉だ。誰かから誰かへ向けた押し付けの言葉。満はソレを、提督としての立場を前提としていった。前提があれば言葉の意味も変わってくる。

 

 この場合、期待という言葉は、信頼という意味に置き換わるのだ。鈍い満でも、ようやく金剛が提督に対して愛、特に親愛を送る理由は理解できた。

 

 恋、というほどではないにしろ、それは金剛にとって、満に“信頼”を送るに足る言葉だったのだ。そしてそこに愛、そして恋を絡めたのはきっと金剛が――

 

「そして艦娘は、LOVEを知らない存在です。生まれは恋のない海。HOPEを持って生まれた私たちは、期待こそされ、信頼はされない。提督でもないかぎり。バット、そんな提督はたいていの場合私たちの肉体的な年齢とくらべて一回りも、二回りも年を重ねているネ」

 

「ホープ……希望? なんなの、それ」

 

 独特のイントネーションでもって、しかしポツリと漏れた言葉とともに龍驤がきょとんとした顔で小首をかしげる。

 

「そのままのフィールを感じるのネ、まぁ艦娘を続けていればそのうち解ることなのデス」

 

「ふぅん……」

 

 横目で聞きながら、満は気にしたふうもなく食事に没頭する。暗黙の了解を、わざわざ言葉にする理由はない。満がそれを知っているのは、暗黙でいられない事情があったからだ。

 

「まぁなんというか、提督はとってもとってもGREATでLOVELYな人デス! それに……提督として、一流の手腕を発揮していますから」

 

「……一流? そうかな」

 

 満がふと、耳聡くそれに反応した。その声音は、否定的でも肯定的でもない。純粋に、金剛の評価を求めているようであった。

 

「そりゃそやろ、一年半提督として活動し、誰一人として艦娘を沈めていないのは提督の判断あってこそ、や」

 

 反応したのは龍驤だ。満に対していくつか評価の対象はあるだろうが、行き着くところはその判断力だ。知識はない、素人でありながら、一流と言われるほどの執務は眼を見張るものだ。

 無論、知識はないことはマイナスである。知識でもって判断を下すことは、いうなれば一人前の条件なのだから。

 

「こんなに若くて、しかも一流。超優良物件な提督ネ!」

 

 若い提督は功に走り、二流とされることが多い。重要な拠点を任されることはまず無いし、通常の場合――水雷戦隊を率いるような艦長という地位――でも、任せるのは不安を覚えるものが多い。

 そんな中で、正確な判断を下し、老齢のごとき提督として活躍する満はそれだけで評価の対象であった。

 

「……でも、一流だけじゃダメなんだよね」

 

 ――ぽつり、と。

 誰に告げるでも無く漏らした言葉。

 

 満は、それを噛み締め、食事とともに喉の奥へと押し込んでいった。

 

 

<>

 

 9

 

 

 何事だ、長門はその言葉を必死に抑えた。今は、今はそう狼狽えるべきではない。優秀な艦娘として、艦隊の旗艦として、狼狽することはできなかった。

 

「被害を報告!」

 

「陸奥、蒼龍が小破!」

 

「立て直すぞ、各艦回頭!」

 

 陸奥の答えに返し、長門達が動き出す。日本海軍主力艦隊の前方に現れたのは二隻のル級フラグシップ。二隻が横並びに長門達を見ている。つまり長門達は現在T字戦の、しかも不利な状況に置かれているのである。

 

 本来であれば、それは彩雲による偵察で防げる自体のはずだった。彩雲は飛龍が積んでいるのは間違いない。つまり、ル級は彩雲が有効にならないほど突然に、そして近距離から“現出”した。

 

 これだけ近距離であれば、回頭しようとしても意味は無い。長門の狙いは海域からの脱出だ。わざわざフラグシップ相手に、通りの悪いT字戦不利で戦う理由はない。

 

 しかし、長門の考えを押しつぶすように、ル級の第二射が襲いかかる。

 

「……! 第二射が速すぎる! これじゃ回避が間に合わない!」

 

 降り注ぐ砲弾の雨。斜めに、艦娘をスライスするかのような角度でそれは襲った。風をきる音は無数に広がる。長門達は、絶体絶命の状況にいた。

 

「……グッ!」

 

 単縦陣ですすむ場合、当然旗艦として先頭を行く長門は特に損害をこうむることとなる。それを避けようとすればそれこそ陣形を変更する必要があるし、それは今、この状況では敵わない。

 飛来した砲弾が長門の身体をかすめる。貫いたのではない。右肩辺りに激突し、そしてはじけて海へ消えていった。

 

 風に揺らめく灰色の煙が長門の肩から吹き上がる。

 

「大丈夫!?」

 

「こんなもの、小破にも至らんさ!」

 

 砲弾の煙は未だ噴出しているものの、それだけだ。痛みは残るだろうが、性能を低下させることはない。構わず長門は前を進んだ。

 

「被害担当艦を変わります! これ以上、戦艦の長門さんを消耗させるわけには!」

 

 すでに小破していた蒼龍が後方で言う。こちらは機能こそさほど低下していないものの、中破寸前だ。あと二度も砲撃を掠めれば、それだけでもう空母としての戦闘能力を失いかねない。

 

「ダメだ。空母の装甲でル級の一撃をもろに喰らえばそのまま轟沈しかねん! それに、もしも次があった場合、貴様が大破していれば轟沈の可能性がある。それはなんとしてでも避けなければならない!」

 

 言葉を交わしながらも、足は留めない。しかし、それでもル級の砲撃は未だやまない。このままでは、長門達が全滅するのも時間の問題に思えた。

 

「……主砲、構え!」

 

 陸奥の掛け声。このまま手をこまねいている訳にはいかない。蒼龍と問答を繰り広げていた陸奥もそれは例外ではなく、二隻の戦艦が一斉に敵艦ル級に照準をあわせる。

 

 その時だった。

 

 

『待て!』

 

 

 通信機越しの声。

 

「――提督!?」

 

 赤城の困惑が、その声の主を晒した。突如として響き渡るそれに、しかし長門達は躊躇わず従う。戸惑いは、彼女たちを止めうる感情では決して無い。

 

『このまま主砲を放たず十秒待て! 赤城達は発艦用意!』

 

 老練な提督の声が、しかしこの時は咆哮に満ちたものに変わっていた。穏やかだが、しかしそれゆえに静寂の思考を持つ司令の言葉に、赤城達は即座に従う。

 

「攻撃隊、発艦!」

 

 弓矢式の鏃から放たれる無数の艦載機。空母の存在しないこの空に、艦戦の居場所はありはしない。あくまで徹底的に、敵戦艦ル級を撃滅するべく空へ羽ばたく。

 

『――7! 6! 5!』

 

 連続して響き渡るカウントダウン。何かを感じ取るのは、おそらくここにいる全員がそうだろう。しかし、その何かを理解しているのは、おそらく加賀だけだった。

 そしてその加賀も、黙して語らず。

 

 ――不可能だったのだ。語れなかった。語ろうとしても、それは恐ろしいほど、時間が足りないのであった。

 

『3! 2! 1!』

 

 “それ”に気づくものは誰もいなかった。音は砲撃戦と移動の音にかき消され、電探に“それ”は映らない。しかも艦娘達の視界は、空とル級に向けられている。

 

 気づこうとしても、それを可能とする材料が何一つ、少女たちには存在しなかった。当然、フラグシップ戦艦ル級にも、だ。

 そして、

 

 

『――0!』

 

 

 提督の声とほぼ同時に、一隻の軍艦が、敵の砲撃から艦娘達をかばうべく、飛び出してきた。

 

 

「な、何事だ!?」

 

「もともと、ここにたどり着くつもりだったのですよ、提督の戦艦は」

 

 長門の困惑に、即座に加賀が返答する。

 簡単に行ってしまえば、捨て石だ。ル級の砲撃は、艦娘達には有用であるが、人間由来の素材に対しては、爆発炎上はしない。つまり、高速で飛来するただの鉄でしかない。

 逆にこちらからの砲撃を制限し、軍艦の砲撃はル級に一切通らないため、空から敵を叩くための空母が少ない日本では、むしろ非効率とされることが多いが、空母を多く有する米軍などでは有用な戦術だ。

 

 ただし、これには大量の鉄を無駄にしなければならないため、あまり使用される戦術ではない。そして、使用される場合、捨て石とされる軍艦は、無人の遠隔操作であることがほとんどなのだ。

 

「何を考えている! あそこには提督だけではない、乗員だっているはずだ!」

 

「死んでも構わないと、そう決めているのですよ、自分自身で」

 

「止められなかったのか!? わかっていたのだろう!」

 

「確信がありませんでした。それに、私が言ってもどうにもなりません」

 

 止められるはずもないだろう。むしろ、止めれば作戦が露見する危険があったために、加賀はこの艦隊から外される可能性もあった。それは加賀の望むところではない。

 

『――聞こえているか、赤城』

 

「……提、督? まさか、その戦艦に乗っているのですか?」

 

 長門と加賀の会話をよそに、状況は切迫し、急変している。

 赤城の表情が、蒼白に染まっていた。

 

「は、速くその艦から脱出してください。私たちが護衛します。乗員の方たちも、提督も、全員……」

 

『ならん、私は死ぬためにここに来た。……もう、残すものが何もないのだよ、ここで沈まねば、私は無為に死を迎えねばならなくなる』

 

「無為の死? 生きてきた証が、何かに残らなくてはならないのですか!? そのために、貴方は海に沈むというのですか!? それに……」

 

 赤城の口から、それが漏れたのは、果たして提督に対する言葉だっただろうか。かつて自分に向けられた、死を迎合してはならないという言葉。それを語った提督が今、自ら死を選ぼうとしている。意味のある死を。――戦いの中での、死を。

 

『人は、誰かから忘れられたその時が、つまり死ぬ、という時なのだ。名を残し、人生に意を持たせなければ、その人間は、何の価値もなく消えてゆくのだよ』

 

 ――そして、それの意味するところは、提督に、何かを残せる人間がいないということでもある。人間が未来に己を標すには、血族か、記録のどちらかにしかない。

 

『……赤城には言っていなかったな。私の妻は、元より先の長くない体だった。もって数年、ちょうど私たちがこちらに転属されることまでだろう、と』

 

「……え?」

 

『赤城には心配をかけないように、内緒にしておいてくれ。そう頼まれた。済まないね、今まで語ることができなくて』

 

 衝撃だった。

 秘密にしていたこともそうだ。しかしそれ以上に、その秘密を今ここで語ることもまた、衝撃だった。

 理解できてしまうのだ、赤城には。

 その言葉の意味が。

 

『……赤城、君はこれから先、艦娘として色々なことを感じていくだろう。どうかそれを無為にしないで欲しい。幻想に、帰さないで欲しい』

 

「――待って、下さい」

 

 艦載機の舞う音がする。すでに賽は投げられた。ル級たちは砲撃を通すことのできない戦艦を打撃だけで轟沈させることに必死で、艦載機を振り払う暇すら無い。しかし、高速で叩きつけられるそれは骨董品の戦艦にはいささかきつく、轟沈も時間の問題だ。

 

 そんな中で。

 

「お願いです……」

 

 赤城の声だけが、

 

 

「……まって、まって、お願いだから」

 

 

 ただ虚しく響き渡る。

 

『赤城、艦娘は人だ。人として生きることのできる、十代半ばの少女だ。しかし、提督は違う。いつまでも最善を、最良を選び続けなければならない』

 

 提督のそれは、果たしていかなる思いを添えたものか。まるで遺言のように、告げられるそれは、まったくもってその通り、別れを語るものでしかない。

 

 ――すでに、数百メートルの船影を誇るかつての軍艦は、煙を上げ海に沈もうとしている。しかし、それが最後の仕事であると言わんばかりに、未だその姿を保とうと海に浮かんでいる。

 本来であれば、戦艦はル級を轟沈するまでの時間を稼げない筈だった。だというのに、今にもル級は沈もうとしている。応急修理要員などいるはずもなく、戦艦をただ“動かす”だけの最低限の人員しかいないはずの艦が、未だその姿を保っている。

 

 沈まず、己が勇姿を世界に示す。

 

「――提督!」

 

『案ずるな長門。私とともにいるのは、私と同じように老い先短い老兵だ。軍に、迷惑をかけるようなことはないだろう』

 

「だがっ!」

 

 反論し、しかし次が続かない。わかっている。死を覚悟した人間に、そんな言葉何の意味もないということくらい。

 

『……いいか、赤城。覚えておいてくれ』

 

 ――沈みゆく艦の、最後の艦長。

 提督として、一軍人として。

 

 生きてきたものが最後に水平線へ刻む勇姿。

 

 

『――――私は機械である。常に精密な動作が必要な、ちっぽけな歯車である』

 

 

 暁に染まった黒山は、やがて、空へ溶けて消えてゆく――




ヒトロクマルマル、提督の皆さん、こんにちわ!

金剛さんはいくお……もとい、アラサーなの(艦齢的に)は、ここだけの秘密なのです。
また、番外編に対して色々言うことのある人に対しては、私もそう思うのです、とだけ言っておきます。

次回更新は12月21日、ヒトロクマルマルにて、良い抜錨を!

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