入渠ドックは基本的に、艦娘の装備を修理するためのスペースが大きく取られ、艦娘自身の療養を取る場所は別に設けられている。大抵の場合艦娘は、整備の間鎮守府内の温泉に浸かるか、自室でゆっくりと休眠を取るのが普通だが、金剛はどうやら、自室で睡眠することを選んだようだ。
とはいえ戦艦の装備は修復に時間がかかる。性急に装備を回復するための特殊な資材――高速修復材と呼ばれる――を投入しない限りは、基本的に数日間の休暇となるのだ。当然、睡眠することも、入浴することもあるだろうし、今がたまたま布団に潜っているだけだ。
そこを狙って、訪問者が現れた。
満である。
普段の彼は、高速修復材節約のため、すきあらば艦娘をドッグに入れる。そのため中破以上で待ちぼうけを喰らう艦娘はそうそういない――例外は昨年の戦艦襲来の件だ。当時は高速修復材を常備していなかった上、事件が終息しても忙しさから彼女たちに関わる時間はなかった。
しかし、今回の場合、出撃自体にはそれなりの猶予があるため、満はふと思い立ち、金剛の元を訪れたのである。
「元気がなさそうだね。……何か飲むかい?」
お見舞い、というわけではないが、満はいくつかここに来るまでにペットボトルを買い込んでいる。金剛が何を好んでいるかなど、満は知らないし、踏み込んで聞くつもりもない。それでも、なんとなくこうして接することが、艦娘と自分をつなぐ正しい在り方に思えたのだ。
別にそれがどうというわけでもない。ただ満はそれなりに人がよく、気遣いは苦手だが人を傷つけるような人間ではなかった。
「紅茶……ストレートティーをお願いしマース。ただのジュースデスけど、無いよりはマシネ」
「紅茶が好きなのか。君はどちらかと言うとイギリスからの帰国子女なのかな」
金剛はイギリス製の戦艦だ。日本が世界と敵対する前の、日英間でそれなりの友好関係が築けていたこと、史実の中の彼女は生まれている。
ペットボトルを袋の中から取り出し、手渡すと、金剛は起き上がりキャップをひねって開ける。小気味の良い音が響いて、そしてそのまま空白に消えた。
「飲まないの?」
「喉はそんなに乾いてないデスヨ。お話しながら、飲みます」
そのために来たんでショウ? と小首を傾げる金剛に、満も苦笑してから適当に椅子へ座る。基本的に艦娘達の寮は間取りが変わらず、またこういった家具も変わらない。勝手知ったる、というわけでもないが、満は来客用の椅子に座ると、金剛と同じ目線で向かい合う。
「まぁそうだけどね、少し暇ができてしまって。困ったことに僕は建造の知識がないから、工廠に行っても赤城さんの邪魔にしかならないんだ」
「旗頭提督、デスか。大変デスネ」
海軍内での別名、満をそう呼ぶものがいた。別に侮蔑しているわけではないが、物珍しさか、はたまた忌避感か、満はあまりよその人間には好かれない。
艦娘は、さすがにそうでもないようだが。
「別に僕を慮ってくれるのは嬉しいけれど、今はやはり君のことかな。あまり無理はしないでおくれよ? 艦娘は戦うための精神を維持してこそだ。無茶は精神的な疲弊を呼ぶ。君たちに、傷つくために戦場に行ってもらいたくはない」
「それは……“戦艦”金剛に言うセリフではないと思いマース。別にいいですケド、私は戦艦なのデスヨ? 気を使われるより、栄華を当たり前と思ってくれた方がいいんデス」
落ち込んだように顔を伏せる金剛の、真意を満は読み取れない。それでも言葉尻に浮かぶ意思は、どこか先入観からくる、当然という常識があるように思えてならない。
絶望だとか、失望だとか、そういった抱え続けるにはあまりにも重すぎる訳ではない。ただ、少しばかり引きずるには重い感情。落胆、と呼ぶべきだろうか。
「……よくわかんないな」
満の結論は、つまるところそれだ。金剛の浮かべる感情も、その背景も、満にはよく解らない。戦艦はすごい、確かにそれはそうだろう。だが、実感が無い。
「それは……ちょっとおかしいデス。提督の元いた世界では、戦艦は憧れではないのデスカ?」
おかしい、そうだろうかとは思うが、きっとそうなのだろうとも思う。遠い所まで来た、文化の違いは、たとえ言葉が同じでも、世界が違えばあるのだろう。
普段が馴染んでいる分、こうして直面すると、よく解らなくなってしまう。
「さて……昔はそうだったのかもしれないな。今も、そうかもしれない。けれども、僕はよくしらないよ。君のことも、君のもととなった船のことも」
この世界に、世界を二分する戦争は起こらなかった。しかし、艦娘という異世界の残滓が、その歴史をこの世界に伝えることがある。
提督として着任してから一年でその歴史も、少しだけ学んだ。
「まぁ何にせよ、僕の仕事は艦娘達と世界を守ることだ。そのために君たちには相応の期待をする。それでいいじゃないか」
自然と――特に意識することもなく――満は金剛の頭をぽん、と撫でた。それは丁度、そこに偶然金剛がいたから。手を置くのにちょうどいい位置に、金剛の頭があったから、そんな気軽さだ。
目を白黒させる金剛がいる。まるで予想もしていなかったという表情だが、当然満は読み取れない。そもそもコレが、よくある創作のいち場面であることすら気が付かないのだ。
「――ふふ」
金剛は一度だけ、本当に楽しそうに照れた様子もなく笑う。
今度は満がきょとんとする番だ。よくわからないが、笑われるようなことを言っただろうか、そんなふうに首を傾げる。
「提督は……面白い人、ですね」
面白い人。
なんていう評価を満は初めて聞いた。しかしどこかむず痒くなるような感覚と、頬を掻きたくなるような感覚。それを照れていると理解するには満は疎く、そして青いのだった。
♪
「敵艦見ユ!」
島風がピッと敵を指し示す。戦闘開始の合図はそれで十分だ。直後に赤城と龍驤が、こぞって艦載機を繰り出す。
赤城の射出とほぼ同時、龍驤の持つ飛行甲板を模した布が揺らめく。
――艦載機の発艦方法には二種類あり、弓を使った射出型と、龍驤のような呪術的な召喚型に別れる。また、他にもごく一部には艦載機を保存するボックスから艦載機を引き出すようなタイプも存在するようだ。基地型、とでも呼べばよいか。
現在そのタイプの射出方法を取る艦娘は日本海軍には籍をおいていないが。
とにかく。
「艦載機、発進!」
――赤城の弦を揺らすような声音と、
「出陣や、艦載機の皆、頼むで!」
――気合の入った龍驤の威勢のいい声音が響く。
敵艦隊は戦艦ル級を旗艦とし、空母ヲ級一隻、軽空母ヌ級、重巡リ級。さらに駆逐ハ級二隻で構成されている。
その中から、空母ヲ級と軽空母ヌ級の二隻が艦載機を射出する。それぞれ空母ヲ級が召喚型、ヌ級が“自分自身をボックスとした”基地型に近い。それぞれ、艦娘の側では珍しいとされる発艦方法であるというのは、ある種の対比か、またまた壮絶な皮肉か。
とにかく、発艦する艦載機の数で言えば、正規空母として圧倒的な艦載機の数を誇る赤城有する島風達南雲機動部隊が優勢だ。
完全に航空権をダッシュしたわけではないが、それでも一定の流れは掴んだようだ。
空中を舞う艦載機が、真正面から行き交って、いくつかが煙を上げて墜落していく。操縦するのは不滅の兵器妖精であるため、母校に帰還し補給を行えばまた復活するため何ら問題はない。
艦戦の機銃が空を切り裂き敵艦載機を撃ち貫く。ゆらめき、ジェットコースターの三百六十度回転のようなひねりを加えた前方への回転が、それを回避するもそれでも、一部はかわしきれずに墜ちてゆく。
墜ちて行く数は明らかに敵艦隊の方が上だ。
それだけ機動部隊へ向かう空母を減らした以上、大きなダメージは受けるはずもない。対空装備に特化した北上が、即座に機銃で敵を迎撃していく。
みるみるうちに数を減らした艦載機は、結局のところろくな攻撃もできず、爆撃も魚雷もあさっての方向へ消えてゆくのだった。
対する赤城と龍驤の艦載機はその活躍が顕著だ。
流星の如く駆け抜けた、風を切り裂く一条は、そのまま重巡リ級、軽空母ヌ級に一撃を叩き込み、ヌ級を中破、リ級を大破にまで追い込む。駆逐ハ級は避けこそしたもののかなり危ない回避であり、実質偶然と呼べるものだった。
――そのまま両艦隊は一同に雁首を揃え、相まみえる。
艦隊戦の始まりだ。
まず長距離の射程を持つ金剛が、敵が接近するよりも早く主砲を叩き込む。吹き上がった方弾は、敵の旗艦。先頭を行く戦艦ル級に突き刺さる。
直撃こそ避けたものの、その一撃でル級が大破。それでも、続く砲撃はル級の主砲だ。
「気をつけて! 狙われたら即座に回避!」
島風の声がけと、主砲の炸裂する音は、ほぼ同時だった。内容自体は至極当然のものとはいえ、果たしてきちんと僚艦へと伝わっただろうか、確認するすべはない。
それをする必要も、すぐに無くなる。
砲弾の射線上にいるのは愛宕だ。すぐにそれを理解した愛宕は戦列を乱すように左右に揺れ、回避行動を取る。
しかし、だ。ル級の砲撃は金剛の一撃が大きく痕になっている。本来であれば飛んでこないような場所に回避した愛宕、しかし彼女をあざ笑うかのようにその上方から、ル級の砲弾が襲いかかった。
「きゃあぁっ!」
思わず、と言った様子の悲鳴。見れば丁度急所に直撃をもらったようで、服が焼け焦げ煙を上げている。中破であった。
「何よ、もう!」
文句を垂れるようにしながらも、主砲を向けた先には重巡リ級がいる。たとえ中破しようとも、愛宕の機能全てが低下するわけではない。たとえ低下しても、相手はそれよりダメージを追ったリ級である。何ら問題は――存在しない。
直線上、同方向に向かう両者の戦列。愛宕の一撃はリ級を寸分違わず狙い――リ級は回避行動を取ろうとした、“した”で行動は終了している――直撃。きっちり重巡の残りカスを、海に散らして還して見せた。
「――ありゃ」
その横で、北上の砲撃が駆逐艦の上方をかすめる。視認しにくい人型サイズの深海棲艦は、時折こうした回避を行うことがある。無論艦娘も同様だ。当てにくい、故に当たらない。
「ちょっとー!」
島風が口を挟みながら、中破したヌ級に主砲を直撃させる。放物線を描いた弾道は、中破したヌ級にはいささか回避し難いものがあった。
爆発、炎上するヌ級を尻目に、赤城、龍驤が次々と艦載機を繰り出す。
狙うは駆逐ハ級二隻。空を切り裂き白雲の痕を宙に残して、ただ直線上の一閃が広がる。爆発的な轟音は直後。ハ級に突き刺さり、黒煙を上げた。
「よっし」
「上々ね」
敵空母の一撃を回避するように、前方に速度を上げた艦隊に追いつくべく、両者が高速で身体を動かす。艦載機からの魚雷が勢い任せにその後を貫いていった。
残るは空母ヲ級と戦艦ル級。敵艦隊の主力二隻だ。最後に、二巡目の攻撃。島風と、そして戦艦金剛が動く。
速度を更に増して動き出した両名の主砲が、ル級とヲ級にそれぞれ向かう。
ル級の狙うのは島風。速度を増して、高速でル級に突撃を敢行する。一直線の戦列に、亀裂が生じる。稲妻の如き揺れの亀裂。島風の速度が勢い任せにル級の砲塔をかいくぐった。
同時に、ヲ級ヘ向けられた金剛の主砲。『35.6cm連装砲』がその圧倒的な爆音を火花とともに巻き上げる。
そして――
「――――バァァァアアアアアニング、ラァァアアアアアヴ!」
それすらも上回るような鮮烈な咆哮。
――しん、と直後に生まれた空白は、
「……んふ?」
「ぬぁ?」
愛宕の漏れるような吐息と北上の反応。
「……なんやて?」
「…………おや?」
小首をかしげる龍驤と赤城。
――そして、
「――へ?」
思わず振り返りながら、それでも主砲を直撃させて戦艦ル級を轟沈させた、島風の間の抜けた声音が飛び出した。
一撃のもと、空母ヲ級が海へと沈み、もくもくと吹き上がる六つの黒煙と、主砲を構え“薙ぎ払え”と言わんばかりに右手を振るった金剛が立ち尽くしていた。
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2
赤城が生まれた鎮守府は、提督とその妻が切り盛りする鎮守府だった。提督が全指揮をとり、妻は食堂を運営する立場にあった。
老齢の夫妻であったことと、提督自身が非常に優秀で名の知れた提督であったことから、正規空母赤城は、彼の預かるところとなった。
当時そこに所属する艦娘は誰もが優しく、赤城を暖かく迎え入れてくれた。赤城自身も温和な性格であり、周囲との軋轢を生むことはなかった。
戦闘面においても、赤城は正規空母としての実力を遺憾なく発揮する。当時、他の正規空母は五航戦と呼ばれる二隻の正規空母しかおらず、正規空母自体に対する期待が大いにあった。
後に建造ラッシュで一航戦、二航戦の正規空母が建造されるまでの間、赤城は日本でたった三隻しか無い空母の一翼として、名を馳せることになる。
ともかく、その活躍はめざましいものがあり、赤城は空母として期待された以上の仕事をこなし続けた。当時の彼女はとにかく仕事熱心な、ともすればワーカーホリックとすら言える働きぶり出会ったが、熟達の提督とその伴侶は、上手く赤城をコントロールして、彼女をいつでも最適な戦力としていた。
そうして一年がたった頃だろうか、少しずつ太平洋周辺が騒がしさを増してきた。深海棲艦の動きが活発となり、若干前線に置かれていた赤城達の基地も、忙しく周辺海域を駆けまわることとなる。
特に赤城はその基地の最高戦力であり、切り札として重要な海域にはことごとく参戦し、活躍を求められていたため、周囲の不安をよそに赤城は戦った。それが自身の役目であると信じていたからだ。
しかし、思いむなしく彼女は日を追うごとに傷を増やし、ドッグに入る数も多くなっていた。闘いの激化と同時に彼女の精神自体も、大分疲れを生じていたためだ。
さすがに戦闘を続ける気力を失えば、赤城も出撃の機会は減っていたが、本人はそれでも戦う意思を見せた。
――戦って、戦って、戦って、最後は艦娘として、戦いの中で沈み、消えていくのだと言わんばかりに。
きっと提督の、“司令官は精密でなくてはならない。しかし銃を持つ者に人間の心がなければ、それは無差別に全てを破壊する兵器に変わってしまう”。という説得がなければ、最後までそうして、戦い、そして海に沈んだことだろう。
そんなある時の事だった。司令官、及び赤城に辞令が下る。それは海軍本部への異動命令だった。
しかし、それは単なる栄転ではない。日本海軍の勢力を結集し、日米合同の深海棲艦掃討作戦を実行するための、戦力整理だった――
ヒトロクマルマル。提督の皆さん、海の中からこんにちわ!
金剛さんの感情は、らーぶはらぶでも恋愛的ではないのです。一応。
そこら辺は金剛さんってばとても現実主義者なので、まぁおいおい。
さて、明日は定期メンテナンスなのです。戦艦改二は一体何御召艦なのでしょう。
豪奢になったヒエーさんを早く見たいものなのです。
次回更新は11月23日、ヒトロクマルマルにて、よい抜錨を!