「……被害を報告!」
一瞬の間意識に浮かんだ無言の空白。さっと体中から体温が消えるのを感じ、それから即座に沸騰するほどの体温が湧き上がる。それは怒りか、はたまた冷えきった思考にくべられた薪か、満は怒りが薪であるのだと、そう判断した。
通信機越しに叫んだ言葉、しかし返答はない。島風は何をしているのか、おそらくは状況の確認だろうが、一刻を争う事態は、それだけ自身の時間を引き伸ばさせる。
返答が来るのに要した時間はほぼ五秒。
しかし満には、その五秒が五分の空白にすら感じられた。
再び開きかけた口を閉じる。赤城に向きかけた視線を元へと戻す。熱く煮えたぎる感覚がそうさせた。スマートに、あくまで真っ直ぐ思考を回転させる。余計な不安など、今の自分には必要ないのだ。
そして、
『報告! 雷、大破!』
安堵はできない。それでも満はその報告に、大きく息を吐き出していた。沈んではいない。それならば大丈夫。もとより、沈んでいないだろうことは解っていた。ただ何か見落としはないか、それだけが満の不安を煽っていたのだ。
慢心や油断がなかろうと、ミスは必ずどこかで生まれる。それが“今”ではないか。そんな考えが、彼の思考をよぎったのである。
「……了解。よく聞いてくれ、これは赤城さんから聞いた話だが、艦娘が轟沈する条件は、主に精神的な疲労によるものとされている。特に連続出撃によって疲労した場合や、中破した状態で進撃したことに拠る疲労などが、原因とされる」
逆に言えば、一度の戦闘の中でどれだけ被弾し、大破しようがその艦娘が沈むことはない。この戦闘の間、雷が轟沈することはありえないのだ。
満が気にしていたのはそれ以外のこと、何かの見落としで轟沈する可能性があった場合、この一撃で雷は沈んでいたことになる。多少の不運はあったとはいえ、その際の責任は全て満にあるのだ。もし沈んでしまえば後悔してもしきれない。当然のことだ。
「雷は下がっていてくれ、念のため砲撃は許可するが……おそらくは当たらないだろう。残りの五隻で敵を殲滅! 三対三は少し厳しいかもしれないが、決して動じず、戦闘に臨んでくれ」
『了解!』
島風の声、遅れて愛宕、さらに第六駆逐隊が続いた。思わぬ障害が発生したもののここからが戦闘開始、本当の正念場だ。
誰もが意識を切り替える。満が視線を向けた先にいる赤城も、先ほど異常に顔つきを引き締めて、満を見て頷いた。
頷き返し、そして一言。
「改めて、幸運を祈る!」
言葉とともに、島風たちを送り出すのだった。
♪
愛宕は重巡洋艦の一隻であり、その中でも高性能な部類にはいる優秀な艦娘だ。さすがに島風や赤城には及ばないものの、数年のキャリアを積んだ一流の強さを誇る艦娘である。
とはいえそれでも、戦艦の相手というのは些か荷が重いのは事実だ。
雷のこともある。意識がそちらに割かれるようなことはないが、多少の動揺は愛宕も覚えた。ありえないだろうという、理不尽に対する憤りもあった。
そして、
「……まずい、かな」
それを否定するほどに、戦艦ル級は強大だった。
ル級は一度目の砲撃から二度目の砲撃まで、多少の間隔がある。それは他の戦艦クラスにも言えることだが、とにかくそれが、この状況におけるル級の弱点になる、はずだったのだ。
しかし、それがそううまくも行かない。一発目、愛宕が放った一撃はル級に直撃した。しかし急所には当たらず大きなダメージとならなかったのである。
無理もない。愛宕のはなった距離から急所を狙い撃てるのは、それこそ島風くらいなものだ。射程が本来の愛宕のそれよりも離れていたのである。
焦りがあったかといえばあった、と答えることになるだろう。雷が大破した瞬間、嫌な考えが思考をよぎった。そして煙の中から現れた彼女は、服を燃え滓のように灰にして、ボロボロに焼け焦げていた。
本人に残ったダメージはともかく、周囲からして“見ていられない”物があったことは間違いない。加えて、多少の恐怖を与えることにも繋がっただろう。
結果として、大したダメージは入らなかった。しかしそれはあくまで距離が遠のいた要因だ。たとえ多少距離を遠くしていても、直撃していればダメージは通る。しかし今愛宕の目の前にいる存在は、まったくダメージを受けているように見えない。
加えて、一発目の砲撃が終わったことにより戦艦ル級の砲撃はいよいよ持ってそのタイミングを不透明にさせる。愛宕もル級も、それぞれが主砲を構えて狙いをつけている。
どちらかが放てば直後、もう片方が砲撃を行い、互いにダメージが届くことだろう。
その時、愛宕の一撃がル級に痛打を与えるイメージが浮かばない。もしも目の前の存在が見た目以上にダメージを受けていて、それをこちらに示さない演技をすることでそのイメージが生まれているのだとすれば、敵はより一層強大だ。厄介な相手だ。
何にせよ愛宕には、勝てるというイメージが浮かばなかった。浮かべ用がなかった。それがポツリと、己の弱みを言葉にしてしまう。
「全然、勝てそうにないかな」
普段の自分からしてみれば、驚くほど弱気な発言だと思う。無責任な言葉だとも思う。決してそれは正しくない言葉だろう。
「なんだか、らしくもないなぁ。こんなこと」
普段の愛宕は、戦艦や重巡洋艦とともに、もっと大きな海域で自分の仕事をこなすような戦闘が多かった。誰かを守ることや、無茶な戦闘に見を投じることもなかった。
それをポツリと漏らす。
漏らした上で、否定する。
だからこそ、それを反転させて次に繋げるのだ。たとえどれだけ絶望的な状況であろうと、それをどこまでも自覚していようと、曲げない気持ちを顕にするために。
「……でも」
そう、つなげる。
「私がこれから“守っていきたいと思う人”を守ろうって気持ちは、誰よりも強いつもりなんだから……っ!」
雷を。必要のないことかもしれないが、島風を、そして暁達を自分が守るのだと、そう言い聞かせて、戦闘に臨む。
自身の言葉を証明へと変えていくために。
♪
「Ураааааааа!」
バンザイ、とその意味を持つロシア語。しかしそれはもはや、神に捧げる祈りか呪いの類だ。
響の慟哭、それとともに放たれる主砲は駆逐艦ロ級を狙う。しかし、外した。一撃は本来狙うべき射線上をそれ、どこともしれぬ海の藻屑へ成り果てる。
厳しげに潜めた眉が響の苦渋を端的に現す。
「っ……!」
息を呑む音。それから続いて暁が勢い良く名乗りをあげる。
「どいて! もう一発叩きこむ!」
響に対しての宣告と、それから砲撃。銃口から巻き上がる炎が爆発的な勢いを産んで主砲からの一撃を支える。
放物線を描く砲弾が、退いた響の横を通りぬけ高速で空白を駆け抜けてゆく。
回転する弾頭。音速に迫らんとする弾丸スピードが、静止する駆逐艦ロ級へと差し迫る。そうしてそれは、音、速度、風が貫いて、衝撃だけがロ級に残った。
「沈めた!」
顔を晴れやかに輝かせる響、その視線に対して頷く暁。それぞれが周囲に意識を向け用として、直後。
電の声が、響いた。
「――危ないのです!」
それは、爆発と同時に起こった。
え? と漏らしたのは暁だ。突然のことに、困惑と言った様子の言葉を漏らす。状況は認識していた、それに追い付けるほどに思考が回らなかったのだ。
声は、やがてどこかへと消え去って、そして、
響は、
「……、」
愕然とした様子で、目の前で大破した電を眺めていた。
かばったのだ。それは駆逐ロ級――二隻目だ――からの一撃。遠くからのものであったが、運悪く響がその射線上にいた。故に、電はその前に飛び出したのだ。響をかばうべく。
砲撃を背中で受けて、影が差すように響の前に電はいた。
天高く昇った太陽が煤に塗れ、服を焦がした電に降り注ぐ。響はその電の顔をしっかりと覗き込むことができなかった。
影故に、認識することができなかったのだ。
だが、笑っているのがわかった。
かつての電。
いまの電。それらが交錯するように、響の記憶の中で融け合っていく。――同じだ。今の瞬間と過去の記憶が、同一の記憶としてデジャヴする。しかし、デジャヴではない。気のせいではない。今眼の前で電は大破している。
――あの時、電は沈んでいるのだ。
ぽかんと空いた口元を沿うように、響の涙が頬を伝って海へと消える。響の瞳の中から光がすぅっと消えてゆく。
倒れゆく電。意識はあるのか、無いのか、伺えない。覗きこむことが、怖かった。
それを響が受け止めるて、ぺたん、と海の上へと放す。一度波紋が拡がって、海の波にもまれて消えた。後は、そこに響だけが立っている。
「……響?」
大破した電へ意識を向けながらも、響にロ級を任せ雷巡へ向かおうとしていた暁が問いかける。答えはない。ただポツリと、響が何かを言ったの暁の耳は捉えた。内容は、そう。
“電を”。
歯を食いしばってそれから大きく口を開け放つ。眼を上方へ、顔を上げて瞳に殺意を込めて、憎しみを込めてキッと睨みつける。
「私の、妹を――――」
ぞくりと、暁の背筋を悪寒が奔った。
それは、初めて見る妹艦の、“響”の何かを心底恨む怒りの眼だった。
「奪って、いくなあああああああああああああああああああああああああああッッッッ!!」
直後、響の足元の水が噴出する。響が高速で飛び出したのだ。四十ノットに迫らんかという彼女の最大船速、それをほぼゼロの状態から一気に開放したのである。
慌てて暁が電を飛沫からかばい、そして改めて響の方へと視線を向ける。
響は大いに瞳を揺らし、駆逐艦と衝突しかねないほどの勢いで接近し、そして、
二回、爆発があった。連続して一度ずつ。その中心にいるのは響だった。彼女もまた雷と電のように大破し、戦闘能力を失った。
「響ぃ!」
その叫びは、沈みかけた電の意識を浮上させる。もとより朦朧としてはいたが、それが一気に認識を周囲から得るほどにまで回復させたのだ。
それが、さらなる悲劇を呼んだ。
雷巡へ急ぎながらも、未熟故に意識を散らしてしまった暁が、
敵雷巡、チ級の主砲による一撃を、土手っ腹から受けた。第六駆逐隊のすべてが、大破により戦闘続行能力を、失った。
それらを電は、間近で見ていた。現実感のない夢の様な一瞬が、泡沫のように浮かんで、消えた。
♪
雷はそれを遠くから、一人眺めているしかなかった。狙いをつけても、今の自分では敵に当てることはできても、駆逐艦イ級すら屠れないだろう。
故に、ただ口惜しく、暁達が全滅するのを、眺めているしかなかった。
その後の展開は非常に単純だ。軽巡ヘ級を二発できっちり沈めた島風がその場に到着。雷巡へと雷撃戦を仕掛けた。
「……悪いけど」
静かな言葉とともに現れた島風は、さながらヒロインのピンチに駆けつけたヒーロー、そしてその感情は、あまりにも静かな、青い烈火のようにも思える怒りによって完成していた。
「私の目の前で、駆逐艦を沈める敵に容赦はできないから!」
発射される雷巡と島風の魚雷。全く同じライン上を、少しだけずれて走る二つの必殺は、雷巡には直接クリーンヒットした。しかし島風は回避した。回避するにもあまりに厳しい距離だったにもかかわらず、迷うことなく体を捻り、最小限の動きで魚雷をいなした。
結果、雷巡チ級は轟沈。戦艦を除く、すべての艦がこれで沈んだことになる。あとは、一隻だけ。
戦艦ル級を残すのみとなった。
♪
にらみ合いの末、愛宕はある作戦をとるに至った。その詳細は簡単。主砲を囮とするのである。行動は即座に移した。
砲撃、愛宕はそれによる両者の開戦と同時に、行動を起こす。文字通り、行動したのだ。回避行動である。
言葉にしてみればアタリマエのこと。愛宕の砲撃と同時に戦艦は主砲を放つ。それに合わせて回避を行うのなら、何らおかしなことは――ある。
回避を行うにしても、まずは砲撃の行程をすべて終え無くてはならない。そしてその時には敵の砲撃もまた愛宕を襲っている。それが本来の状況だ。それを愛宕が覆したのである。
砲撃と同時に回避を取ることによって。
これにより何が起こるか。簡単だ、回避によって射線軸をずらせば、当然あらぬ方向へ砲弾は飛んで行く。それを承知した上で砲撃を行う事により、愛宕は戦艦ル級に砲撃を“行わせた”。
状況を硬直させるストッパーとなっていた砲撃という手段を、実際に行わせるよう仕向けた。自身も砲撃を行ったことにより、一度の攻撃を捨てることとなるがそれでも、意味はある。
戦艦は雷撃戦ができない。重巡にはできる。雷撃能力はさすがに駆逐艦や軽巡洋艦には届かないものの、それでも直接至近距離で魚雷を急所にぶち当てれば、戦艦ル級でもただでは済まないはず。
「……テェ――!」
そう考えての一撃だった。
放たれた魚雷から即座に愛宕は離脱。背を向けて距離をとった後、反転。
「やった!?」
思わずそう言葉が口をついて出る。多少の疑問はあれど、そこで愛宕は勝利を確信していた。なにせ魚雷は一発ではない。すべての魚雷を戦艦へと叩きつけたのである。
沈んだはずだ。爆発はした、あとはそれがル級の轟沈でさえあればいい。
だが、
状況はそうもうまく転ばない。
「……うそ、でしょ?」
信じがたい光景がそこにあった。
戦艦ル級は、未だ健在。砲雷撃戦と雷撃戦をおえ、ル級は戦闘海域を離脱しようとしていた。もしもこれを追うとなれば、間違いなく夜戦となるだろう。
それを決めるのは提督だが、しかし。
「そんな、これ。夜戦をしても、私たちに倒せるかわからないわ」
ポツリと、こんどこそ本当に、奮い立たせるための二の句すらなく、愛宕は心の底から弱音を吐いた。諦めるように、つぶやいた。
見れば、暁達が大破している。このまま追撃を行うのは不可能だろう。勝てはしないのだ、この艦隊では、戦艦には一矢報いることすらできない。
たとえ戦術的に見てそれが勝利であろうと、あと一歩で敵を殲滅するというほどの、大勝出会ったとしても、戦艦を倒すことは敵わない。
それが、愛宕にはわかってしまった。
解り、そして諦めてしまったのである。
だが、
「……愛宕!」
そうではないものも、一人いた。
島風だ。
「暁達の様子を見てて! ちょっと衝撃で放心してるみたいだから、先に四人を連れて撤退してもいい!」
何を言っているのだろう。疑問が浮かぶ。その島風の言葉には決して、自分自身のことが上げられていないのだ。
「あと一歩が欲しい時、どうしてもその一歩が続かないっていうのは、誰にだってあることなんだよね」
ゆっくりと速度を落としながら、島風は大破した暁達第六駆逐隊の元へと向かう。一瞬だけ響に視線を向けて、それから何かを言いかけて、紡ぐ。
誰もが下を向いていた。特に響はそれが顕著だ。暴走してしまった。――結果として戦果を上げても、あの場所で取り乱してしまったという事実が自分を責めたてる。島風はその理由を知っている。だが、だからこそ、他の第六駆逐隊メンバーにその理由は語らない。逆に一層つらそうな顔をして、しかしそれを見せないために背を向けて、語った。
「私にも覚えがある。あの時自分にも何かできていたんじゃないか、そう、自分自身を責め立てることだってある。その意味は、きっとあなた達とは違うのだろうけれどね」
一瞬だけ、愛宕の視線を見た。
「――愛宕、それは正しい結論じゃない。私達はまだ戦える。それは私が証明する。最後の最後まで戦って敵を殲滅して、どんな形でも全員が生き残って帰れれば、それでいい」
まだ、解らないかもしれない。まだ、勝てないと思ってしまうかもしれない。だが、きっとそれで終わるはずはないのだ。愛宕は、重巡洋艦――艦娘なのだから。
「あえていう、あなた達はそこで見ていて。後は全部私に任せて。これは、命令」
――見る。今度は電だ。誰かに重ねて彼女を見る。
「次に、私達全員で勝利するために、今は私一人が道を開く――この道は、かつて私以外の誰かが私に築いてくれた道。私があなた達へ、あなた達が誰かへ繋ぐ道!」
続けて、言う。
「私はこれより、――単騎で夜戦に突入します!」
それは、誰もが耳を疑うような、事だった。
ヒトロクマルマル、提督の皆さん、そろそろ新米が恋しい皆さん、こんにちわ!
今回はイロイロ重要な回ですが、一つだけ。
響の慟哭は、いわゆる旧日本軍の万歳的なアレです。
次回更新は10月1日、ヒトロクマルマルにて、良い抜錨を。
※思うこともあるので島風の描写を更に追加しました。