艦隊決戦の主役。戦艦の出現は鎮守府全体を大いに忙しくさせた。旗艦として出撃した島風が北上達を置いて急遽一隻で帰投、休息に入る。北上たちは帰還次第順次ドッグに入渠と相成る。優先されるのは回復にさほど時間のかからない北上だ。
同時に、翌朝出撃の防衛作戦が決行することとなった。出撃するのは旗艦島風、及び第六駆逐隊の駆逐艦四隻と、到着予定の重巡一隻だ。
この目的は端的に言えば赤城の装備到着までの時間を稼ぐこと。秘書艦として鎮守府に配属され、出撃の予定が一ヶ月後となっていた赤城はそれに合わせて装備の準備をしていた。そのため現在は出撃することができず、この緊急事態においてそれを解決する必要が出てきた。
島風達は戦艦を排し、製油所地帯から撤退させればそれで良い。加えて戦艦の到着は明日の昼ごろだそうだ。それまでに準備を終えればいいという状況は、多少の余裕はある。
想定外でこそあれ、切羽詰まった危機ではない。それでもとにかく、末端にして戦闘の主力である満達の鎮守府は急な行動を要した。
「ただいま帰りました提督! おやすみなさい!」
報告に来た島風がドアを開いてそのまま一言だけ言って去っていったのが印象的なほど、あらゆる人員がせわしなく鎮守府内を動き回っていた。
満も赤城とともに南西諸島沖警備に要した資材やこれから必要となる資材に関する書類の確認に余念がない。
島風の帰還から一時間ほど遅れ、北上他三隻も無事帰投した。報告に訪れたのは龍田と天龍の二人。北上はすでにドック入りしているようだ。
司令室を訪れた二人は中破し、多少服装を乱していたのだが、朴念仁を持で行くデリカシー皆無人間の満はそれを完全にスルー、龍田の無茶などをひと通り説教すると、二人をドックに向かわせた。
その間、彼の視線は二人の眼だけを見ていた。これが赤城の肢体であれば大分事情は違うのだろうが。
ある程度の確認が終わり、今日の内にできる作業も凡そ終わった。そんな時だった。鎮守府に一人の艦娘が訪れたのは。
司令室を訪れたその艦娘は、明日配属が予定されていた重巡洋艦。本来であれば早朝におとずれていたはずだというのに予定を前倒しし、日もくれて月が天頂に至ろうかという時刻での到着。にも関わらず彼女は優しげで表裏のない笑みを浮かべてその名を告げた。
「重巡洋艦、高雄型の二番艦愛宕です。覚えてくださいね? 提督!」
♪
砲弾が暁の横をかすめる。小さなダメージだ。衝撃はどこか現実的でなく、気にすることなく暁は主砲を構える。
「てぇー!」
振りぬくように放たれる12.7cm、勢い紛れの海を切り裂く弾丸が敵艦をえぐり飛び跳ねどこかへ消える。こちらも致命傷とはいかない。ギリギリ小破寸前程度のダメージ。少し遠くからの射程であったために手元がブレた、島風ならば外さないのだろうが――
「どいて!」
思考した瞬間、噂に影が差すかのように島風の声が暁に向けて放たれた。即座にその場から飛び退く暁。その後を追うように、島風の主砲が先ほど暁の抉った敵駆逐ハ級を襲った。
爆発、そして炎上。急所に大きな一撃をもらったために、ハ級が沈んでいったのだ。
島風を見る。暁よりも更に後方から、明らかに片手間と言った様子で主砲を放ったのだ。なにせ移動中に主砲と視線だけを向けながら砲撃を行っている。今も彼女は移動をつづけ、次の目的に狙いを定めているようだった。
振り向いた瞬間、ほとんど島風は移動していない。その時みた彼女の大きさと、駆逐艦の大きさはほぼ同等のようだった。
敵わない、そう感じながらも手を止めず周囲の状況を確認する。
現れた敵は敵の前衛艦隊。軽巡ヘ級一隻に駆逐ハ級が一隻とロ級が二隻。さすがにこれらを打破することは対して難しいことではない。
気がつけば残っているのは、雷と電が二人がかりで落とそうとしている、最後の駆逐艦のみであったようだ。
愛宕は一撃で敵旗艦を葬った。
響が偶然か、はたまた必然か敵の駆逐を一隻開幕直後に沈め、残り三隻との対決となったそれは、どうやら雷撃戦を待つこともなく終了したようだ。
大きな炎が吹き上がる音がして、最後の一隻が海の藻屑とかして消えてゆく。ひと息入れてその上で、暁は一度空を仰ぐのだった。
――第六駆逐隊、特Ⅲ型駆逐艦『暁』他四隻は、ごくごく平均的かつ優秀な駆逐艦である。その性能は島風に及ばないとは言わない程度の良好なもの。戦闘においては艦隊決戦の主役、戦艦や正規空母などの大型艦に一歩譲る感はあるものの、けしてそれらと共に戦場を駆け抜けることは不可能ではない。
端的に言ってしまえば、磨けば光る艦娘である。
しかし、それが現状の彼女たちに伴っているかといえば、残念ながらそうでもない。今回の戦闘においても、開幕で駆逐艦一隻を沈めた響はともかく、雷と電は二人がかりでの勝利、暁は多少の被弾を覚悟ではなった一撃も、敵を穿つには至らなかった。
実験的な兵装を積んでいるという事情があるために、他の暁型よりも少しだけ性能が上の暁でさえ、だ。
「……少しだけ、考えてたことがあるのです」
移動中は、第六駆逐隊を中央に、愛宕と島風がそれを挟む形で移動する。周囲に島等による影が生まれず潜水艦などの存在も確認できないため、海は比較的静かだ。暁達の小声に拠る会話が聞こえない程度、といったところか。
島風と愛宕もぼんやりと移動しながら海か空を眺めているようで、暁達には意識を向けてはいない。
「きっと、島風ちゃんは私たち以上に厳しい戦場を、私たち以上に活躍して駆け抜けてきたと思うのです。それはセンスや性能なんていう基礎的なものだってあるとは思います。それでも、それ以上にきっとあの人は、運が良かったんだって、そう思います」
どれだけ準備をしても、どれだけ万全の状態で戦っても、艦娘は沈む時は沈んでいく。それはたいてい、油断であったり、実力のみ誤りであったりするものだが、その中でも最も多い原因は、やはり運なのだ。
幸運に恵まれれば生き残る。恵まれなければ、たとえどれだけ厳重に守りを固めても、あっけなく沈む。
「……私たちみたいな駆逐艦ならそうかもしれない。無能な提督が判断をミスすれば沈んだっておかしくない。でも、戦艦や空母みたいな、すごい人たちが、ふつう沈むなんて思えない!」
雷の言葉も最もだ。最強とされる戦艦や、空母が沈むなんて状況はきっとだれだって想像できないものだろう。しかしそれは、ある種はっきりとした幻想でもあるのだ。
「知ってる雷?」
割って入るように、響が雷に声をかける。
「これまでに大きな艦隊決戦は何度かあった。世界中で、二年に一度くらいは人類の進退を決める戦闘も置きている。それは誰もが知っている。けどね、そこで沈んだ艦娘の名前は、だれも知らないんだよ」
「え、それ、どういうこと?」
「単純な話、艦娘は大きな戦争があれば必ず一隻か二隻は沈む。ここの司令みたいによほど優秀な提督じゃない限り、功を焦って、無謀を選ぶ」
その際沈んだ艦娘の名は伏せられる。沈んだことすら公表されない。そのほうが軍部にとって都合がいいためだ。深海棲艦との戦争が膠着化し、早幾年、世論の楽観的な感覚もようやく根付いてきたところで、末期感を煽る訳にはいかないのである。
「先代の駆逐艦暁も、駆逐艦雷も、駆逐艦電も、すべて沈んで除籍している。けれどもそれを、果たして誰が知っているんだい?」
それは、暁達にとって初めて聞く、先代特Ⅲ型駆逐艦の終焉だった。先代の存在は聞いていた。響が彼女たちと交流を持っていることも知っていた。だからこそ、きっと何処かで生きているのだとばかり思っていた。
衝撃が走る。明らかに雷の瞳が動揺し、揺れた。誰も知らない秘された事実。
電は、そうではなかった。きっと予測はついていたのだろう。深海棲艦との戦争の歴史に詳しい彼女は、きっとある時を境に、先代電が戦史に登場しないことに気がついていたはずだ。そしてその意味を、理解できないほど彼女は愚かではない。
「……やっぱり、ね」
そして暁は、そうやってやれやれ、と言った様子で嘆息する。なんとなくではあるがそんな気はしていた。別に難しいことではない。暁よりも遅くに雷として生まれ出た艦娘には、底に至るまでの時間が足りなかったのだ。
「私たちは、もっと強くなるべきだと思うわ、きっと。私は絶対に海の底には行きたくない。それに司令もそんなこと望んでないと思う」
「……今まで、いろいろな艦娘がいろいろな海戦で散っていったと思うのです。けれどもそれはきっと無駄ではなくて、私たちはそんな昔から繋いできたリレーを、一艦娘として、守っていかなきゃ行けないと思います」
暁の言葉を継ぐように、しかし電は自分自身の言葉でそれを語った。知識を得ようとして、誰よりも好奇心旺盛な彼女らしい言葉だった。
「うふふ、なんだか電もそれらしい言葉を使うようになったじゃない。私ほどじゃないけど、立派なれでぃーになってきたんじゃない?」
「……そ、そうですか?」
無い胸をはる暁に、少し気恥ずかしげな電。――響はそれを、少しだけ新鮮そうな眼でみていた。それから、帽子をめぶかにかぶってポツリとつぶやく。
「強くならなくちゃ、だね。暁、雷、電。私たちは、強くなるべきだと思う。でもね、私はそれなりに艦娘をしてきて、少し疑問に思うことがあるんだ」
どうしたの? 雷が問いかける。
「これでも私は、いろいろな経験をしてきたつもりなんだ。その経験の中で、いろいろなことを知ってきたつもりなんだ。でも、それが正しいのかと時々思うこともある。知るって、臆病になるってことなんじゃないかと、時々思う」
落とした視線の先に、揺れる水面が映る。どこまでも広がる海面は、自分自身が今立ち尽くす場所と、先をゆく島風が立つ位置にも、これから接敵するであろう戦艦ル級の存在する場所にもつながっているのだろう。
それが、解る。わかってしまうから、揺れる水面が少し怖い。
どれだけ今が、澄んで穏やかな海であろうと、嵐が暮れば濁り、そして荒れ狂うだろう。それを知ってしまえば、単なる青一色の世界でしかない海が、とても怖いものに感じられる。同じだ。今自分が立つ場所と、戦場が同一であるということは、少し怖い。
――先ほど響が語った話にも出てきた、戦争において人民は無知であることが好ましい。それはきっと、当の本人達にしてみれば全くもって愚かしい事なのだろうが、その愚かしさを最も露見させるのが、混乱だ。
混乱は生まれるだけで人を醜くさせる。
大きな変化を受け入れないことに拠る混乱も、自身の生活を乱されることに拠る混乱も、同じこと。自身の愚かさを理解できずに愚鈍だと何かを攻め立てる醜態を晒すよりは、ずっといい。
変化は、前向きでなくてはならない。故に、その前向きを理解できるものから変化は訪れる。響たちは、そうなら無くてはならない。
だが、恐ろしさがそれの邪魔をする。何よりも、自分自身の足を竦ませる。
「別にいいんじゃないかしら」
暁は、言う。
少しだけ前向きな、目線で空を見上げながら。地平線の向こうをじっと眺めるようにしながら言う。
「知らなければ良かったことを、知らずに後悔するより、知って後悔したいなんて、強くなくちゃいえない。――だから、強くなってそう言えるようにするの。今はそれで十分じゃないかしら」
「……うん」
そんな暁の声に、一体響は何を考えただろう。“先代の”暁を知っているであろう響が、今の暁を前にして、果たしてどんなことを思うだろう。
そしてそんな最中、雷はぼんやりと宙を眺めていた。何かを探すように雲を追い、意味が無いと諦めては別の雲に目を移す。
「強くならなくちゃ……」
一度、ポツリと声が出た。それは彼女の中にあるひとつ限りの答えへの鍵。言葉に出して考える。答えはなにか、そもそも答えとは何なのか。
分からない。
だから、
「――強くならなくちゃ、か」
もう一度だけ言葉にだして考えて、それから再び空を仰いだ。
♪
「敵艦見ゆ!」
先頭を行く島風の叫び。轟砲のような威勢を伴って、海上中に響き渡り消えてゆく。敵もすでにこちらを視認していることだろう。
見れば解る。戦艦一隻に、軽巡一隻と駆逐三隻。おとなしい構成ではあるものの間違いなく今までで最も度し難い強敵だ。
「手筈通りに、愛宕は戦艦のおもり、私は軽巡を落としてくるから、その間に、四隻がかりで軽巡と駆逐を殲滅して、できる!?」
「……やります!」
島風の伝令に、勢い混じりに答える暁。すでに覚悟は決まっている。この一戦を経験のための場とするのだ。強くなるために、強く、そしてあらん限りにこの戦場を駆け抜けるために。
それは他の駆逐艦、響達も同様だ。
強くなるために勝つ。そのために真っ直ぐ前を見て全力で戦う。そう心に刻んだのだから。
「これより敵主力艦隊、及び敵戦艦の撃滅に入ります。厳しい戦いになるでしょうが、決して勝てない相手ではないと私は思います。皆さんの全力で、暁の水平線に勝利を刻みましょう!」
どこか、演説のような感覚を思わせる島風の指揮。それは艦隊の艦娘と、そして通信機越しの提督や赤城にも伝わっていた。
『……幸運を祈る』
満の声を端として、それぞれが一列に、単縦陣を組んで行動に移る。誰もが万全といえるだけの、気運を己に乗せていた。
そして、
“それ”に気が付かなかったのは、ごくごく不運な見落としでしかなかった。敵の能力を見誤っていたというよりも、敵ですらそれが当たることは想定していなかったような、一撃。躱すことも、認識することも不可能だった。
勝利を必定とするべく臨む艦娘達、それに水を差すかのような一瞬の出来事だった。
そう、
「……しまっ!」
――島風の、上空を見やっての一声。
「…………なっ!」
――目一杯瞳を見開いての、愛宕の瞠目。
誰もが予想もし得なかった場所からの一撃。敵主力艦隊と、島風達第一艦隊の間には、島風が全力で進んでも数分を要する程度の距離があった。
それを、誰が無視して砲撃するなどと思えよう。
それは、空中に浮かぶ影と、鉄色の鉛球。
「――え?」
雷の、どこか間の抜けた叫びと同時に起こった。
――爆発。閃光が、彼女の体を貫いたのである。
放物線を描いて到達した戦艦の主砲が、何の対応を取ることもできなかった雷を、まるごと飲み込み、消し飛ばさんとばかりに爆煙を上げた。
ヒトロクマルマル、提督の皆さん、日差しが弱くなったことにあんどする皆さん、こんにちわ!
製油所地帯防衛戦。
第一部前半の転にあたる今回は、いきなり波乱の幕開けです。
次回更新は9月28日、ヒトロクマルマルにて、良い抜錨を!