ストライクウィッチーズ 一匹の狼   作:長靴伯爵

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第七十話です

感想、アドバイス、ミスの指摘などよろしくお願いします


インターバル 1942 扶桑
第七十話


 

 目の前にある階段を登れば、そこには見慣れた鳥居が変わらず出迎えてくれた。

 

 春の足音が聞こえる季節。

 まだ肌寒さが残る風が吹く横須賀の街。

 それを見下ろすような郊外の山々の1つにある神社があった。

 

 質実剛健という言葉をそのまま形にしたような木造の神社。

 所々、修理した後なのか新しい木材に変わっていたが、それ以外は何の変化も無い。

 3年・・・いや、4年前に見た景色と全く同じだった。

 

「帰ってきた・・・のか」

 

 4年前、一礼して立ち去った神崎神社に神崎は再び立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遡ること2日前。

 「(シュランゲ)」所属である試作潜水艦伊399による扶桑への航海は約2ヶ月に及んだ。海面に浮上した状態と潜航した状態を繰り返し、ネウロイの襲撃を回避しながらも出来うる限りの最短航路を辿った結果だった。

 伊399は深夜の横須賀の軍港に入り、海軍の横須賀鎮守府に設置された工廠、さらにそこの外れにある古びたドッグに入った。巨体の体を横たえるように伊399が固定され、上陸用のタラップがかけられていく。伊399のハッチが開放され、次々と人員が上陸していく中に、神崎と才谷の姿があった。

 

「こんな夜中の上陸ですまない」

 

「いえ。問題ありません」

 

 才谷の斜め後ろを歩く神崎は、航海中に左腕が回復していた。しかし、精神的には未だ回復しきっていないのか表情は暗いままだった。才谷は神崎の様子を把握しているのか、チラリと視線を向けるもそのまま歩を進めていった。

 

 その日はそのまま宛がわれた宿舎に泊まり、翌日は上層部への報告や他部隊への調整、手続きといった才谷の仕事の手伝だった。このような助手のような仕事はスオムスではファインハルスがしていたらしいが、一応カールスラント帝国陸軍所属であるため扶桑皇国海軍の中枢部への立ち入り許可は下りなかったのだ。神崎の表向きの所属はスオムス派遣分隊だったが、ネウロイの襲撃により部隊が壊滅した折に才谷の部隊に合流した扱いになっていた。「(シュランゲ)」の存在は扶桑海軍でも最上級の機密になっていた。

 一通りの仕事を終わらせた夕方。

食堂で夕食をとっていると、才谷がふと告げたのだ。

 

「神崎君。明後日には出港するから、明日は自由にしておいで」

 

「・・・はい?」

 

 急にそんなことを言われ、神崎は肉じゃがをつついていた箸を止めた。困惑している神崎を置いて、才谷はニコリと笑い、1人話を進めていった。

 

「そうね。実家に顔を出してもいいんじゃないかしら?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなやりとりがあり、翌日には基地の外に放り出され、上官が言ったのならば行かざるを得ず、神崎は今、神崎神社の鳥居の前に立っていた。

 4年前も軍に入る直前に、こうして炎羅(えんら)を腰に差した状態で鳥居を見上げた。あの時は持っていて違和感しか無かった炎羅(えんら)も今は自身の体の一部のように馴染んでいた。馴染んでしまった。

 

「ふぅ・・・」

 

 鳥居を見上げて1度大きく溜息を吐いた。ここで鬱々と棒立ちしていても時間の無駄だと自身に言い聞かせて、お辞儀をして鳥居をくぐった。

 仄かな緊張感が張り詰める神聖な空気は、神崎にとって懐かしいはずだった。しかし、戦場に居た時間とは比べ物にならないぐらい長く過ごしたはずなのに・・・あまりにも自分がここに居るのが場違いに感じた。

 拝殿へと繋がる道で足を止めてしまう神崎。

 そこへ本堂の方から足音が近づいてきた。

 

「来たか・・・」

 

 拝殿の正面の入り口から現れたのは、狩衣と差袴を纏った壮年の男性。表情には厳格さが滲み出ているが・・・最後に見た時よりも幾分老け、頬もこけていた。

 神崎は軍帽を取り、ゆっくりとお辞儀した。

 

「お久しぶりです。・・・父さん」

 

 25代神崎家当主、神崎孝三郎はゆっくりと頷いた。

 

 

 

 

 

 拝殿から続く本来なら人が立ち入ることのない本殿。

 その本殿の中にある祭壇の前で神崎は父親と正座で正対していた。

 

「・・・」

 

「・・・」

 

 お互い向き合ったまま口を開かなかった。

 神崎はやや視線を落としたままで、孝三郎は目を閉じたまま。

 時間だけがただただ過ぎていった。

 

 

「・・・」

 

「・・・」

 

「風の噂で・・・」

 

 沈黙を貫いていた孝三郎がようやく口を開いた。神崎も目線を上げ、目を開けた父親を見つめる。

 

「風の噂で、お前の活躍を聞いた。頑張っていた・・・ようだな」

 

「・・・はい」

 

 まさか軍と張り合っていた父が自分の動向を気にかけていたとは思えず、神崎はわずかに目を見張った。自分を軍に売ったという事実で素直に喜ぶことが出来ず、複雑な思いが胸に湧き上がるが・・・。

 

「・・・どうだ?こちらに戻ってこないか?」

 

「・・・は?」

 

 孝三郎のこの言葉は、冷水を浴びせかけられたように神崎の感情を一気に冷めさせた。段々と神崎の瞳が冷めていくのに気付かないのか、孝三郎は構わず言葉を続けた。

 

「神崎神社と軍との関係は改善した。もはや、お前が軍にいる理由は・・・」

 

「父上」

 

 言葉を聞き続けることが苦しくなり、神崎は自分が口を開くことで強引に言葉を止めた。そして、口を閉じた孝三郎によく見えるように炎羅(えんら)を目の前に置く。

 

「この炎羅(えんら)で俺は戦いました。何度も」

 

「・・・そうか」

 

 孝三郎は重々しく、そして若干の苦々しさをまじえて応えた。

 それは神崎神社の神主として軍の要求に妥協してしまったことへの後悔か。

 それとも親として息子を軍への生贄に差し出したことへの後悔か。

 

「アフリカで。スオムスで。空で。街で。森で。ネウロイと。人間と。・・・魔女(ウィッチ)と」

 

「お前・・・それは・・・」

 

 目を見張って何かを口にしようとした孝三郎を、神崎は鞘から抜き放った炎羅(えんら)の刀身を向けることで押し止めた。

今の神崎の目は、ひどく暗い。

 

「この炎羅(えんら)の刃は沢山のネウロイの装甲を切り裂いた。コアを砕いた。そして・・・魔女(ウィッチ)の心臓を刺し貫いた」

 

「・・・」

 

「父上。神崎神社は魔女(ウィッチ)を守るはずだ。・・・魔女(ウィッチ)殺しをここに置けるのですか?」

 

「それは・・・」

 

 言いよどむ孝三郎の姿に神崎の胸の内には言いようの無い黒い感情が湧き上がる。

 孝三郎が悪い訳ではない。

 だが、湧き上がる感情を抑え切れない。

 悲しみ、怒り、後悔、嫉妬・・・。

 

「置けない。置けるはずもない。ここには居れない。俺が魔女(ウィッチ)を殺したから。俺が軍に入ったから。俺が軍に入れられたから・・・!軍に入れられたから!!」

 

 炎羅(えんら)を握る手には筋が浮き出るほど力が篭っている。今まで自分の親に対してここまで感情を爆発させたことはなかった。いや、感情を爆発させる機会が無かった。

 だとしても・・・初めて見る父親の苦渋の表情は、神崎を我に返すには十分過ぎた。

 

「・・・ッ!!」

 

 どこに感情を向けるかを見失い、しかしそのまま鎮める出来ず・・・。炎羅(えんら)を怒りに任せて振り下ろした。

 ガツンッという音ともに床が揺れ、空気が震え、炎羅(えんら)は孝三郎と神崎の間に突き立つ。

 

「・・・失礼します」

 

「・・・待て!!」

 

 もう話すことは無いとばかりに目の前から立ち上がり本殿の扉を半ば開いた神崎を、我に返った孝三郎は止める。

 

「行くな、玄太郎」

 

 初めて。

 初めて孝三郎は神崎に対して、父親として思うが侭に自分の意思を神崎に伝えた。

 しかし、それは余りにも遅すぎた。

 

「・・・その言葉を4年前に聞きたかった」

 

 神崎はポツリと呟いて、扉を閉めた。

 本堂には、呆然と立ち尽くす孝三郎と床に突き刺さった炎羅(えんら)だけが残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 軽くなった腰に若干の違和感を覚えるも逆に歩きやすいとばかりに、神崎はスタスタと神社の出口へと歩みを進めた。

 もうここですべきことは全部やった。

 何も思い残すことはない。

 

 そう思い込んでいた神崎の耳に随分と久しぶりに聞く音色が入ってきた。

 西洋音楽の楽器とは違う、厳かで、どこか脆く、しかし芯が通った音色に神崎の足は自然とそちらの方に向いていた。

 年季のある廊下を体が覚えている道順で歩いていき、中庭が覗ける本殿とは別の離れにたどり着いた。建物に体を隠して視線だけを向ければ、軒先で演奏される雅楽の音に合わせ、2人の巫女が舞を踊っていた。

 紅白に分かれた巫女服と煌びやかな髪飾り。2人の頭部から除く髪飾りに彩られる鹿の耳。

 神崎神社に仕える巫女。

 魔法力を持った少女達が魔女(ウィッチ)とは違う道を進んだ姿。

 そして・・・神崎の妹達。

 

 5歳下の神崎佳代。

 更に2歳下の神崎千代。

 

 神崎が軍に入ったからこそのこの光景。

 もし神崎が軍に入っていなければ彼女達は巫女装束ではなく軍服を纏い、ここではなく上空で戦いの舞を踊っていただろう。

 人間同士で戦う血生臭く醜い戦いに引き釣りこまれることもない。

 

 妹達が命を懸けて戦う未来は無い

 

 軍で蔑まれても。

 魔女(ウィッチ)に殺されかけても。

 魔女(ウィッチ)を殺しても。

 仲間が傷ついても。

 親友を失いかけても。

 

 少なくとも、それだけは神崎が手に入れたものだ。

 

 静かにその場を後にした神崎の目に一筋の光が流れたのは、誰にも見られることはなかった。

 

 

 

 きつく口元を結んだ神崎が、拝殿を出て鳥居に差し掛かった時・・・。

 

「玄太郎」

 

 背中に、身に染みこむような優しく柔らかい呼び声を掛けられ、足を止めた。湧き上がる懐かしさと愛情、そして後ろめたさを噛み締め、振り返る。

 

「母・・・さん・・・」

 

「おかえりなさい。随分と逞しくなって」

 

 風呂敷に包まれた長物を携えた和服姿の黒髪を結った神崎の母、絹代。

 最後に見た時は神崎より背が高かったはずだが、四年の歳月で近づいてくる母親は神崎を見上げていた。

 

「孝三郎さんから聞いたわ。軍に戻るのね?」

 

「・・・はい。もうここには居られません」

 

 神崎がそう言うと絹代は唇を噛み締めた。自分の息子にそのようなことを言われて辛くない母親がいるだろうか。神崎も母親の悲痛な顔を見て苦しくなるが、これ以上母親の表情を悲痛なものにさせたくない一心で無表情を装う。

 

「孝三郎さんはね。あなたを軍に差し出したことを相当悔やんでいたの」

 

「・・・」

 

「神主としては立派だった。けれど、父親としては最低だった。それは孝三郎さん自身も痛感していたわ。もし・・・もし、玄太郎が戦死したらそれは私が殺したことと同じだって」

 

 絹代は風呂敷包みを抱き締めながら一つ一つ言葉を紡ぐ。

 思いもしなかった父親の思いを知り、神崎は視線を伏せて呟いた。

 

「それでも・・・俺はあの時止めて欲しかった。一言でも・・・」

 

「・・・そうね。そうよね」

 

 神崎の独白に絹代は更に表情を悲しげなものにする。だが、すぐに無理矢理微笑みを浮かべると神崎に近づき、風呂敷包みを解きながら中の物を差し出した。

 中から覗く、神崎が今まで握り続けた、扶桑刀「炎羅(えんら)」の柄。

 

「この扶桑刀は、神崎神社の御神体。けれど、あなたが軍に入るのが決まった時からずっとお祈りしていたものなの。私達の祈りが・・・あなたが行く先で役に立つのかは分からないわ。けど・・・けど、少しでもあなたを守れるなら・・・」

 

「・・・」

 

 絹代が全てを言い終わる前に神崎は炎羅(えんら)の柄を掴んでいた。風呂敷から抜き取った炎羅(えんら)を流れるよう挙動で腰に差す。在るべき物が収まった感覚に神崎は表情を引き締め、絹代に頭を下げた。

 

「ありがとうございました」

 

「いつでも帰ってらっしゃい。待っているわ」

 

「・・・はい」

 

 はらはらと涙を落とす絹代に神崎は安心させるように微笑みかけて背を向けた。

 

 再び戻ってくるつもりは毛頭無かった神崎神社。

 しかし、少しだけでも再び帰る理由が生まれたのは、少なくとも悪いことになるとは思えない。

 神崎はそう思いたかった。

 

 

 

 

 

 

 石段の長い階段を下っていくと、一番下の脇の木陰に誰かが立っていた。

 

 見慣れた白い制服。

 見慣れた軍帽。

 そよ風に揺れる茶色い髪に、優しげな横顔。

 

 階段の残りが少なくなるにつれ歩く速さは段々と遅くなり、一段残して歩を完全に止めた。

 木陰に立っていた人物も神崎を見て近づき、両者は一段違いで向かい合った。

 

「おかえりなさい。ゲン君」

 

「・・・ただいま。醇子」

 

 最後に会ったのはアフリカ。

 その直後から随分と状況が変わってしまったが、神崎は、婚約者である竹井の微笑みに釣られ小さく笑みを浮かべた。

 それは扶桑に帰ってきて初めての心からの笑みだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 横須賀鎮守府まで続く道を竹井を連れ添って歩く神崎。

 行きは自動車を都合してもらった為に大した時間はかからなかったが、徒歩になるとそれなりの時間がかかる。鎮守府に到着するのは夕方ぐらいになるだろう。

 

「アフリカ振りだから・・・」

 

「半年振りぐらいね」

 

「もうそんなに・・・、いやそれだけしか経ってないのか」

 

 自然が覆い山間の道を抜け、海岸沿いの道へ出る。心地よい潮風を浴び、オレンジ色に変わり始めた日の光を受けて煌く海面を眺めながら、2人は歩を進めた。

 

「どうしてここに?」

 

「仕事で横須賀鎮守府に来てて。そこで才谷中佐とお会いしたの。そしたら、ゲン君が来ているって・・・」

 

「才谷中佐とは面識があったのか?」

 

「北郷先生を通じて何度かね」

 

「・・・そうか」

 

 何気無い会話。

 だが、こういった何気無さが最近は殆ど無かった。いや、何気無さを感じる余裕が無かったと言う方が正しいかもしれない。

 会話をしながら神崎はふと視線を感じ、竹井の方を向いた。

 心配しているのかどこか気遣うような目を向ける竹井に、神崎はなんとなく理由を察しながらも声をかけた。

 

「どうした?」

 

「・・・スオムスでのことは聞いたわ。報告が上がって海軍内では話題になっていたの」

 

「ああ・・・。知っているのか」

 

 だが、あの戦闘の実態を竹井が知っているとは考えにくい。いくら才谷のことを知っているとはいえ、そう簡単に情報は開示されないだろう。

 案の定竹井の口から虚偽の報告が聞かされた。

 

「防衛線の隙を突かれたネウロイの奇襲で部隊が壊滅・・・」

 

「・・・」

 

 違うとも言えず、ただ視線を落とした。落とすことしかできない。

 

「あの、戦闘機のパイロットは・・・」

 

「負傷した。今はリベリオンに輸送されている」

 

「リベリオンに?」

 

「負傷が・・・脳にまで影響したらしい。リベリオンの医学なら・・・と」

 

「そう・・・だったの」

 

 それから互いに押し黙ってしまい、ただただ海岸沿いを歩くだけになってしまう。先程まで心地よかった潮風も何も感じなくなり、海を見ていた目もどこか荒涼したものに変わってしまっている。

 だが少し経つと、神崎はいきなり後手を引かれて立ち止まることになった。

 竹井が両手で神崎の左手を掴んだのだ。

 

「・・・どうした?」

 

「大丈夫?」

 

 覗きこむように伺ってくる竹井の気遣いが煩わしい。

 彼女は本当に心配してくれているのだろうが、思わず声に剣呑な色が混ざってしまう。

 

「・・・何が?」

 

「私も・・・経験あるから。戦友が傷つくのは・・・」

 

「ああ。そうか・・・。そうだな」

 

 竹井の言葉で神崎は気付く。

 彼女は扶桑海事変からリバウの激戦を経験している。神崎が経験した以上の激戦だってあっただろう。当然、味方に損害が無い訳もなく、戦友が傷つき、命を落とすこともあったはずだ。

 そう、竹井は神崎の感情を理解してくれる。ネウロイ(・・・・)との戦いなら。

 

 仲間を人間に傷つけられ、殺された感情は理解できるのだろうか。

 怒りと憎しみを向ける相手が守るべき人類ならば、どうすればいいのだろうか。

 

 ・・・・・・。

 

 それでも、彼女の気遣いへの煩わしさは無くなった。いつもこちらが心配する立場だったのに、今は心配される立場になってしまった。

 神崎はいまだに覗き込んでくる竹井の目をジッと見つめた。

 アフリカで気付かなかったが、随分と凛々しくなったものだ。気弱さと涙の印象の竹井の瞳は、今は強い光を湛えている。

 

 頼ってしまいたくなるほどに。

 

「・・・もし」

 

 掴まれている竹井の両手を解き、自分から彼女の手を握る。掌から感じる彼女の体温で自身が落ち着くのを自覚して、正面から向き合った。緊張し顔が赤くなっている竹井に、神崎は真剣な声音で問いかけた。

 

「もし、俺が・・・。俺が人に言えないような任務に従事にしても・・・」

 

 

 

 

 

 

受け入れてくれるか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竹井は息を吸い、神崎の手を胸の前で優しく握り締めて。

 包み込むような微笑みを浮かべて。

 

「私はいつでも受け入れるわ。婚約者だからって訳じゃないわ。小さい頃はあなたの背中に憧れて支えられていたけど、今度は私の番。今度は私があなたを支えたい。人に言えない任務だとしても、ゲン君が生真面目で片付けが出来なくて優しい・・・私の好きな人ってことは変わらない。だから・・・」

 

 それ以上竹井は喋ることができなかった。

 神崎が自分の胸に引き寄せて力一杯抱き締めたからだ。

 

「!?!?!?」

 

「醇子、ありがとう」

 

 パサリッと竹井が被っていた軍帽が地面に落ち、茶色い髪が潮風に揺れる。神崎は鼻先をくすぐる竹井の髪に顔を埋めるようにして呟くように言葉を紡ぐ。

 

「俺は・・・多分やっと、自分が成すべきことを見つけた気がする」

 

「ゲン・・・君・・・」

 

「ああ。だから自分の中でもずっと葛藤があった。だが、お前の言葉を聞いて・・・踏ん切りがついた」

 

 神崎が腕の力を緩めて竹井と顔を見つめる。恥ずかしそうに頬を赤く染め、しかし真剣さを残す目に神崎は微笑んだ。

 

「俺は任務を果たしてくる。それがどんなに血生臭いものでも。やるせないものでも。危険なものでも。それでも帰ってくる。だから・・・待っていてくれ」

 

「・・・はい」

 

 染まり始めた夕焼けが見つめ合う2人を照らす。

 地面に移った影法師の頭が繋がるのにそう時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「準備はすんだようね」

 

「はい」

 

 翌日、早朝。

 伊399が停泊しているドックの待機室に神崎と才谷はいた。

 先日の才谷の言葉通り、本日中に出港する予定である。

 目的地はブリタニア。

 

「これからの任務は完全に『(シュランゲ)』の任務になる。君の所属は公には偽りの部隊に所属になる。ここまではいい?」

 

「はい」

 

 神崎の表情は冷静そのものだった。昨日まであったことを表面上に出さないまでには整理できている。

 

「命を懸けることは勿論だ。だが、この任務は口外できない機密になるものばかりになる。嫌悪を抱く任務を行うことにもなる。分かっているね?」

 

「はい」

 

「よろしい。行きましょう」

 

 才谷が立ち上がって待機室に出るのに、神崎はすぐ後ろをついていく。古ぼけたドックの中に鎮座する伊399。乗り込むためのタラップの傍にはファインハルスが控えていた。

 

「人員装具、問題ありません。中佐」

 

「よろしい」

 

 報告を終えたファインハルスは先導するようにタラップを登っていく。才谷もタラップを登り始め、神崎もタラップに足を掛けた。

 

 目の前に鎮座する伊399の船体の黒色が一瞬、こちらを飲み込むように広がるのを幻視し、神崎はふと足を止めてしまった。

 

「神崎少尉?」

 

「いえ・・・」

 

 勿論そんなことが起こる訳はなく、振り返った才谷に神崎は頭を振った。

 

 タラップを踏む足が止まることはない。

 

 出港は誰からの見送りを受けることなく、静かに始まる。

 

 日が昇らない黒々とした海に、伊399は静かに姿を消した。

 






一度、ここで一区切りにし次回はスオムス番外編でも書きたいと思います
スオムス編ではほとんど遊びがなかったので

それと、この作品で出ている才谷美樹の元ネタの同人誌である「蒼海の世紀」が完結しましたね。坂本竜馬が生きていたらというイフの日本での物語。とても面白かったです。

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