ONE PIECE~Two one~   作:環 円

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09-選択

 さざなみが打ち付けては引いてゆく。潮の満ち引きは終わらない。自然の営みを象徴するかのように続く、波打ち際に、アンは立ちつくしていた。

 空には今にも落ちて来そうな程の星が瞬いている。

 手を伸ばせば掴む事が出来そうだ。

 

 手紙をくしゃりと握りしめる。

 

 目を通したそこにはサボらしい几帳面な文字が綴られていた。

 「広くて自由な海には、いろんな不思議が眠ってるんだ。たとえばこのドーン島、ゴアの国は元々、移民によって造られた。知ってるか?」

 いつも横を向けば、暴れまわるエースとルフィを見守るように、立つ姿があった。

 すぐに何かへ飛びつくふたりに次いで、ポジションはいつも3番手か4番手。

 ふたりが喧嘩をし始めた時はじゃんけんでどちらを止めに行くか決めたり、木を削り弓矢を作って狩を楽にしてみる工夫をしてみたり…考えより体が先に動く暴走ペアを、補助し合っていた。

 これからはひとり、どうすればいいのか分からない。

 

 いろいろな話もした。

 たくさんの本を読み、語り合った。

 世界の景色を、埋もれたお伽話を見に行くと楽しげに笑っていた顔が思い浮かぶ。

 

 けれど、サボはここにはもう、居ない。

 ドグラから話を聞いた時は、嘘だと一蹴した。

 サボがそんな危ない橋を渡るわけが無い、制止を振り切ってアンは町に跳んだ。

 しかしドグラが言っていた事は本当だった。この国を訪れた、世界貴族が乗る船を横切ったとして、小舟を天竜人自ら直々に手を下したのだ、と。小舟はあっという間に火に包まれた、という。砲により炎が上がったのだ。そして紅は青の中に消えた。

 世界貴族が到着する。船よりそちらのほうが優先されるのは当然だった。人々はもろ手を挙げて声を上げ出迎える。誰も彼もがすっかりと、世界貴族によって沈められた船の事など、忘れられてしまっていた。多くがそんな事があったような気がするが、それがどうしたんだ? もしかして不敬を行ったあの船に乗っていた誰かの知り合いか? 寄るな、寄るな。 破廉恥がうつる。

 

 アンは苛立ちを隠す事無く、相手を見る。睨みつけてはいなかったが、誰もが一歩、足を後退させていた。

 

 だれも助けには行かなかったのだ。

 子供ひとりの命など、たかがしてれいる。

 この日に世界貴族が到着すると、前もって交付されていたはずだ。知らないとなれば首都の住人では無い。どこかの辺鄙な村か、生き残りか。どうでもよい。

 

 世界の中心に有られる、やんごとなき存在を手厚く迎える方が、国王を初め王侯貴族だけでは無く民衆までもが優先した。

 

 仕方無いじゃない。世界貴族様がいらっしゃったのだもの。

 恥知らずと言ったのは悪かった。だが本当のことだろう? あんたは違うとしてもだな…

 

 唇を噛みながら、話をしてくれた人の元を去る。

 この人にどうして、と問うのはお門違いだ。なぜならば、その人々の意見こそ、この国の常識であるからだ。世界貴族がやってくる。それを知っていながら、船を出したあの子供が悪い。それが大多数の意識だ。

 アンは諦められなかった。諦めたくなかった。もしそれが自分の身に起こっていたならば、仕方が無いと割りきれていただろう。ただアンがそうやって受け入れたとしても、エースやサボ、ルフィはアンのように諦めないだろうと断言できる。友達として、兄弟としての絆は時間では無い。諦めないのが当然だからだ。

 

 目撃情報を集めて回った。

 ようやく見つけたその人は、周囲を気にしながらそっと教えてくれた。子供がひとり乗っていたのは確かだが、船の残骸を引き上げた時には姿が無かったという。沖に出る海王類にでも食べられたのだろうと語った人は苦い顔をしていた。

 その日、アンはどうやって戻ってきたのかは覚えていない。ダダンの家に帰り着いた頃にはどっぷりと日が暮れていた。

 エースは一晩木に縛り付けられ、翌日この海岸で声を上げて泣いた。

 ルフィは悲しみを隠すことなく感情のまま泣き、まだ眠っている。

 

 そしてアンはひとりで丸一日を過ごした。そして闇の中を見据えていた。

 ひたり、と空虚が寄り添ってくる。この感覚は身に覚えがありすぎて、不自然な笑みが浮かぶのが自分でも分かった。

 

 サボの夢など片鱗もなかった。

 世界は余計な情報ばかりをアンに押し詰めて来てくる。なのに肝心な、兄弟の事が解らないなどあり得ない。あって欲しく無かった。

 しかしアンはただの受信機なのだ。伝聞は選べない。分かっている、分かっていたつもりだった。世界が放つ、刻まれた時間を全て把握するなど、出来はしないのだ。それでも、どうして気付けなかったのだろう。アンはただそれだけを繰り返し考える。

 何かある時は夢で教えてくれる、と過信していた。

 火事の件も、シャンクスの件も、近しい身の回りの出来事が記憶に残るほど夢に出続けたからだ。

 

 サボは高町に捕らわれていた。兄弟を心配し端町まで抜けだし、逃げろと叫ぶサボをなぜ最初に迎えに行かなかったのか、後悔が心を苛む。

 だが実際に出来ていたか、と言われれば、無理だった、に違いない。エースと出会うまで、何度跳んだか覚えていないくらいだ。

 

 あの日、嫌と言うほどサボが置かれていた状態を思い知らされた。

 なぜ貴族を嫌っていたか。10歳という年齢で、見切りをつけねばならなかったほど、腐敗した思想の中で何を成せるというのだろう。自分と言うモノを偽ってまで、生きていく程、息が詰まる場所も無い。

 

 エースの怒りも、ルフィの涙も、ダダンの制止も。それぞれがそれぞれを思い行動していたのに。

 アンはギュッと両手を握りしめる。

 無力だ、と。

 

 

 あの身動き出来なかった、そういい訳を繰り返す。

 失敗したならもう二度と繰り返さなければいいじゃないか。

 自分自身の弱さや甘さの部分がそっと囁いてくる。だがその回答としてアンは、『2度もあってもらっては困る』として受け付けなかった。

 

 出来た事があったはずだ。

 過去を戻す事など、出来はしない。

 作り物のゲームでは無いのだ。都合が悪くなったら、セーブしてある場所からやり直せばいい。何手そんな事、出来る訳じゃない。現実は現在進行形で進んでいる。今の一秒もすぐに過去となるのだ。

 その時に出来る選択の中で一番良いものを。

 今回は出来なかった。

 悲しいのに涙も流れない。

 硝子の破片が刺さったように痛いのに、心は寒々としている。

 手を伸ばした先に水面があるならば、姿を映した向こう側に居るアン自身は、きっと不敵な笑みをたたえているだろう。

 その気持ちの名を知っている。

 "全てを壊してしまえば楽になるよ" "復讐すればいいじゃない。世界なんて脆いのだから"

 

 必死にアンはその心を抑える。これらは赦されない衝動だ。

 どんなに大切にしていたとしても、こぼれ落ちて無くなってしまうならば、最初から持たなければいい。作ってしまいそうになるなら、壊してしまえばいい。

 

 かつてのアンはただ両親の死を抱えるしかなかった。

 加害者になにを言うのでも無く、ただ必死に空虚に涙した。

 なにも出来なかったからだ。

 なにをしていいのかも分からなかった。

 

 けれど今は違う。

 世界を跨いだとき、知った事柄がある。

 それを使えば、世界は簡単にひっくり返った。そして全てが無へ還る。

 

 嫌だ。

 アンは瞼を閉じる。

 「復讐しても、失ったものは戻って来ない。加害者に仕返しに行けば、余計に憎しみが、悲しさが深くなるだけだもの」

 どうせするならば生き地獄を味わって貰わねば、困るのだ。

 ただ命で償う、それだけでは軽すぎる。

 

 アンは伸びてきた手を握り返す。

 「貴方はわたしの願いを、言ってくれてるだけなんだよね。ありがとう」

 本音を自覚するのは、胸が切り裂けてしまうかと思うくらい、痛い。

 誰もが幸せに、暮らせる場所なんてありはしない。

 分かっているのだ。

 どんなに物質的に恵まれ、豊かな国で暮らしていても、うめられない空虚感がある、ということを。

 する方はいつでも無自覚だ。些細な言葉、些細な行動で知らないうちに、誰かを傷つけている。

 大切な物を作らないように生きようと思っていた。

 必要以上に関わらないように一線を引こうとした。

 

 けれど。

 得てしまった。

 ひとつの体を半分こして生まれてきたエースを。

 義祖父を、友達を。

 そして何より大切な、盃を交わした兄弟達を。

 「…ごめんね」

 アンは白い手を引き、自分の中へと招き入れる。どんなに否定したとしても、それはアン自身の衝動であるのには変わりないからだ。

 出て来てくれてありがとう。ごめんね。アンは自分自身にそう言葉をかける。

 

 見回してみれば、優しい手ばかりが差し出されていた。

 怖々と取れば、大丈夫だと握り返す手の温かさに頬が緩んだ。

 それを壊してまで、世界を巻き込み復讐なんて、出来ない。

 

 「ったく、お前は難しく考え過ぎなんだよ」

 不意の声は、アンの体をびくり、と震わせる。

 振り返るとエースが立っていた。

 ぶっきら棒にアンの掌を握り、そのまま黙って座らせ、自分も背中合わせに胡坐をかいた。

 

 

 火事が起きた日、ダダンとエースに合流は出来た。

 

 ダダンが振るう斧と、使いなれた鉄パイプを持つエースが繰り出す手数に、さすがのブルージャムも追い込まれた。1対2、幾ら徒党を束ね自身も腕に自信を持っていたとしても、周囲を火に囲まれじりじりと焼かれ続けているのだ。体力自慢であってもじわじわと削られてしまう。

 「お前らァ…こんなことをして、ただで済むと思ってんのかァ」

 ブルージャムがしわがれた声で威嚇する。しかしふたりは攻撃の手を止めなかった。

 喧嘩を売ってきたのはそっちだ。買ったからにはとことんやってやるよ。

 覚悟を決めたダダンは強かった。

 時間経過と共に悪くなる足場も気にせず、エースは打撃の手を休めない。撃ち尽くされた拳銃は既に炎の中に消えていた。

 「俺は返り咲くんだ!! 奴らに復讐する為に!! こんな所でしんでたまるかァァァ!!!」

 吠えた瞬間の隙をダダンとエースは見逃さなかった。

 正面からダダンが、真横からエースが武器を大きく振りかぶる。

 「ごみ山のボスザル、お前にはお似合いの最後だよ」

 斧を振り抜いたダダンがゴミから噴き出した炎の中に消える、ブルージャムに最後の一言を言い捨てた。

 「逃げるよ!!!」

 ダダンが事の終わりを確認するや、もうここには用が無いとそそくさと駆け出した。

 エースはこくりと頷き、ダダンの後を追う。

 そしてアンを拾った。

 「ったく、起きろ、アン、寝るな、黒焦げになるぞ」

 ブルージャムとの戦いをしている場所を目指していたらしい。だがアンの体は既に力が失われていた。なんとか意識を保っているようだが、それこそエースにしてみれば信じられない精神力だと言っても良い。

 

 (…エース)

 唇を動かすのも億劫なのだろう。意識での会話を何度か繰り返し、ダダンと共に炎の海を跳ぶ。

 気配を感じた際、目的地がエースだと、アンがここまで来るのは予想していた。熱に浮かれた状態でなにを指針にするかは一目瞭然だからだ。それに実の所、来てくれて助かった。周囲はすでに逃げ場が無い状態だったのだ。

 跳べるかと聞けば、肯定が戻ってくる。だがどこに跳べるかは分からないという答えだった。

 ダダンは不安げな表情を見せるが、走ったところで森まで行きつけるかどうか、危うい状態だ。それならばいちかばちか、跳んでみるのも手だというエースに、嫌々ながらも承諾した。

 そして最終的に跳んだ先は森まであと少し、という場所だった。

 だがその着地点は大きく火を吹きあげる場所だった。ダダンはふたりを庇い、全身に大やけどを負ってしまう。エースはアンとダダンを背負い、狭間の森に流れる小さな小川近くで隠れ潜んだ。ここは海へ出る事も出来る小道にもすぐ行ける。

 エースは大きく海側からう回路を使い、何度も町へ盗みに入った。衣糧や医薬品。自身と仮親、そして双子の命を繋ぐため、エースは必死だった。アンにもそれは、してはならぬ事だと言えなかった。

 

 ある程度回復したエースとアンで、ダダンを家へ運び込めたのは、大火事の日の翌日、昼過ぎだっただろうか。

 式典とはどういうものかと、新聞を見ていたドグラがごみ山の様子を見ると同時に見物し、サボの遭難を目撃したのは二日目の午前中だ。アンとエースならば片道数時間で不確かな物の終着駅(グレイターミナル)からダダン宅まで走れるが、山賊とはいえドグラの足でも優に倍以上はかかる。この時はフーシャ村から出ていた臨時便の船に乗って、首都へと向かっていた。そのため、報が一味にもたらされたのは夕日が沈む前、だった。

 ふたりを守ったダダンは一味によって介抱され、清潔な包帯を巻いて横になっていた。エースとアンも水で体を清め、手当がなされる。

 心配していた一味から、なにがあったのか聞かれるのは当然だろう。

 ぽつりぽつりとダダンは皆に聞かせながら、会話が進行する。

 そしてもたらされた訃報に、エースが激高した。薄闇の中、かたき討ちに出ようとするエースを止めたのは、意外な人物だったと言っていい。ダダンだ。全治1カ月の体に鞭打って、エースを諫めた。今頃、開いた傷に再度悪態をついている頃だろう。

 

 温かさが伝わってきた。

 エースはなにも言わなかった。手のひらが冷たい指を探り当て、ギュッと握りしめてくる。

 アンはは膝を抱き、体温を感じながら声を押し殺すことなく、泣いた。

 

 

 朝日が昇る。

 どうやら立ち直るのが一番遅かったのは自分らしいと気付いたのは、迎えに来たルフィの姿を見た時だった。ダダン達が寝静まった頃に出かけようとするエースから、大体の場所を聞いたのだと言う。

 「腹減った!狩りに行こう!!」

 いつもの鉄パイプを持ち、いつでも出かけられる準備をしていた。

 「アン、17歳で出航だぞ」

 「え…なんの話かよくわからないのだけれど」

 首をかしげていたアンがもしかして、と思った事を口にする。

 サボが18で成人として認められるから、17で海に出るって言ってたあれ、かな?と。

 「そうだ!!! サボの分まで海賊になるんだ!!」

 この世界では自由に海を往けるのは、海賊しかない。国の許可を得て、政府の承認されても、侵入してはいけない海域が存在している。もしそこに入ろうものなら、世界で最も罪が重い判決が下されるとされていた。

 海賊旗を掲げたサボの行方が分からなくなっても尚、海賊しかないのだろうか。アンはゆっくりとふたりを見る。

 このふたりがどこかに所属する、とは性格的にも考えづらい。だがそれは命を粗末にしてまで、なるべきものなのだろうか。

 

 ぐー。

 アンは苦笑する。ルフィは腹が減ったと胸を張り、エースが果物幾つか置いて来ただろう。と呆れた。

 「じゃ、先にお腹いっぱいになろうか」

 それからでも考え事は、出来る。

 人間生きている限り腹は空くのだ。

 かなづちのルフィを陸に残し、穏やかな波へと双子は身を沈めた。青の世界が広がる。木を削ったくいを使い、魚を追いこみつつ一気にどどめを刺すのはエースの拳だ。いつの間に覚えたのか、ルフィが薪を拾い、火を熾して待っていた。

 「ありがとう、凄いね、ルフィ」

 えっへんと胸を張るルフィも成長しているのだと感じる。留まっているのは自分だけだ。

 ふたりが海賊になるというならば、致し方ない。ならば海に出る、その目的を助けるための力を蓄えなければならない。そうアンは結論付く。

 

 2mを超える魚が焼き上がるまでには少し時間が必要だった。

 「町の方はまだ片付けが残ってるみたいだからな。当分あっちには行かねェ」

 体のだるさも忘れて、飛んだ"不確かな物の終着駅(グレイターミナル)"の閑散具合を思い出す。エースはアンを通して、その惨状を見たからだろう。門が平行になるまで積みあげられていたゴミの量がどれだけ凄まじかったのか、現状を見ればわかった。大門からそれも随分と長い階段が見えていたからだ。高さで言うと大体、35mくらいだろうか。

 下に降りると銃を撃たれるようだった。生き残った住人を駆逐するように、上層部より言い渡されているらしい。壁の上から見た景色は、数日前までそこにゴミが大量に廃棄されていたとは思えないくらい落ちくぼんでいて黒かった。そもそも可燃物が大量に層を成していたのだ。くすぶっていた多くの火種が、爆発による火を得て劫火と化すのも分かる。壁に当たった風が上昇気流となりアンの鼻にも届いた。

 死の匂いが濃厚に含まれている。

 だが下で作業している兵達はそれにすら気付かない。ただ臭いとだけ、認識している。

 ゴミも人も等しく燃やされ消えた。

 

 軍隊による後始末が初日という事もあり行われていたが、彼らはきっと数日後には適当な理由をつけて撤収するだろう、とアンは踏んでいた。

 なぜならゴミとして様々な物を捨てることに疑問を持ってはいない王国内部の人間達は、同じ事をまた繰り返すだろうからだ。適当に、明日から投棄出来る場所が確保出来れば、後はどうでもいい。

 

 海に潜り三日振りの食べ物を口にしたアンは昨日、ふたりで話し合った事を聞く。

 失わない為に強くなる。その思いは共通だった。

 「中間の森に隠してた財宝は全部無くなってた」

 木の葉で焼けた部位を掴み、口へ運びながらエースは言った。

 財宝集めは終わりだな。

 「その方がいいかもね」

 同意を示しながら、アンは体についた塩を払い落した。当分の間はエースが言う通り、町に近づかない方がいいだろう。本当はこの機に乗じて、しておきたい事もあったのだが、自身で手を下すのもどうかと思っていた。わざわざ手を汚しに行かなくても、彼らはその内に自滅するだろう。

 

 衣服をまとったアンに、ぎゅーとルフィが抱きついてくる。

 死、と直面するにはまだ、7歳という年齢は幼すぎた。10歳でも受け入れがたい現象ではあるだろう。しかし弟は理解している。意味を押しつけられたエースやアンとは違い、どういった種類の感情であるのかを含んで知っていた。だから生まれるべきでは無かったと自分の命を否定するエースへ、自然と寄り添った。必要だと叫び、死を遠ざけたのだ。それでもエースは生への執着が弱い。生きているのは、アンを含め、どうしてもエースが居なければ立ち行かない存在があるからだ。

 「アンも死なねェでくれよな」

 弟の目が、潤んでいた。たくさん泣いたのだろう。目尻がまだ、赤い。

 「大丈夫だよ、ルフィ。わたしは、大丈夫。鉄砲玉のふたりを置いて、逝けるわけないじゃない」

 "悔いのないように生きる"

 それは杯により結ばれた兄弟に共通する思いだ。

 自由の対義語は専制、束縛、統制。この中で最も的を得ているのは専制だ。

 サボは権力に殺された。支配者と置き換えてもいい。

 

 どう足掻いてもこの世界の現状は、一部の特権階級だけに富が集中し豊かに暮らしている。天に上る龍の如く君臨する、世界政府の根本を作った偉大な王達の子孫が権の殆どを握っているのだ。

 秩序を守る立場にある、海軍や司法でさえ天竜人の一言には敵わない。

 腐っても鯛、ということわざと同じだ。彼らが白と云えば白、黒と云えば黒となる。

 正悪は関係無い。天竜人の定めが全て、なのだ。強者の理屈は、いつでもまかり通る。そして歴史さえも、勝者の自由となる。敗者の綴った歴は黒く塗りつぶされ、偽りとされた。

 国に属して生活している限り、束縛は続く。

 海に出る人達は少なからず、何かを断ち切って出てゆくはみ出し者だ。

 国に住むことで得られる権利や安全を捨て、身一つで海原へと旅立つ。確かに自由だ。しかし身を守るすべは己だけとなる。だから思考の似通った者同士で徒党を組む。もしくは人を奪略し恐怖で縛りつけた。

 徒党は賊となり己の欲望が赴くまま、国の圧力に屈し生きる人々を奪略し自由を謳歌する。

 脱する事の出来ない人々をあざ笑いながら、自由の意味を取り違え罪を重ているのが現状だ。

 

 「自由に生きること。一番難しい選択だよ。それでもふたりは、自由を求める?」

 生き方としては何かに所属するほうが楽なのだ。

 自由を選びとれば、全において己で決断しなければならない。

 

 「おれ…アンの言ってることさっぱりだ。サボは誰よりも自由を求めてた。難しいってことも、知ってただろ」

 そうだね。

 弟の言葉に頷く。

 親から貴族であるならばそうであれ、と望まれ続け、姿を消しても探そうともせず。一応の世間体を考え、捜索、の形だけは取っただろう。けれど親自身が探しには来なかった。5年間も、サボは二重の生活をし続けていたのだ。最後の一年は本格的に家出をしていたが、それでも4年間、子供の行動に不審を見つけられなかったなど、あり得ない。どれだけ放任なのだ。義祖父よりも始末が悪い。

 ゴア王国の上流階級そのものが、トリカゴなのだ。

 そこで生まれ、育ち、小さな世界の中で老い、寿命を迎える。

 ある意味、幸せなのかもしれないと、アンは思う。それだけ、でよいのだから。それ以上を考えずにいて、いいのだから。

 けれどサボは知ってしまった。世界がそのトリカゴだけでは無い、と。

 自由の意味を知ってしまったのだ。貴族社会だけではなく、ありのままの外を実感してしまったから、余計に居られなくなったのだろう。心を捻じ曲げて、煌びやかな世界に留まるのを良しとしなかった。

 

 だから海に出ようとし、いよいよ戻されてしまった機に実行した。

 17という年齢を定めていたのにも関わらず、留まれなかったサボに吐息をつく。

 

 ……サボのバカ。

 サボなら、6年とちょっとくらい、どうにでもなったでしょうに。

 死んだなんて信じない。信じてやるものか。

 絶対に生きてなさい。死んだとしても黄泉の淵から引きづり出して呼びもどしてやるんだから。

 焼けた魚を食べながら、アンはこの場に姿なき、サボへと語りかける。

 

 「おれはシャンクスみたいな海賊になりてェ。そして海賊王になるんだ!!!」

 大きな葉に掴み取ったほくほくの白身を飲み込んだルフィが、大きく発言する。

 アンはびくりと身を硬直させ、立ち上がり夢を語るルフィを見上げた。

 弟が目標としている海賊の名は、遠く、この東の海にまで届いてきている。

 その理由を何となく、アンには見当がついていた。その身にまとう雰囲気が、海原と反するその赤の色が、より強く、青に誘うのだ。しかもあの一味のメンバーは誰であっても魅力的だった。あんな仲間達と海に出れば、何があっても乗り越えていけそうな気がする。だからルフィは連れて行って欲しいとねだった。けれどその願いは叶えられず、今に至る。

 

 「おれは悔い無く、自由に生きる海賊になる」

 エースの瞳には強い意志が秘めていた。

 そしてちらりとアンを見、問う。お前はどうするんだ、と。

 「私も一緒だよ。悔い無く自由に生きたい」

 けれども。海賊一択というのが、ね? 

 アンはロマンを語り始めたふたりに、しまった、と思いながら苦笑した。

 そして自分に言い聞かせる。

 時間を浪費するな、人生は時間の積み重ねなのだから、と。

 ここで立ち止まっている暇など無い。サボも留まる事を否定した。そのサボを消失した感情で自分を動けなくしてしまうのは、彼に対する侮辱だ。

 遺体は上がっていない。生きている。勝手に殺してくれるなと、そう世界へ断言した。

 

 「船だ!!」

 ルフィーが立ちあがった。大きな船の船首には犬の像が飾られている。

 大ガレオン船だ。色は違うが、黒い龍のガレオンを見たばかりのアンが言う。

 「最近大きな船が良く来るね。祭典の船も含めて3隻目、か。軍艦が東の海に何の用があって…あれ?あれって…おじいちゃんの…船なんじゃないかな?」

 アンの声にエースは、「げ、マジかよ」と心底嫌な顔をする。

 「じいちゃん帰ってきたのか!!」

 エースとは正反対の反応をするルフィを押しのけ、まじめな顔をして肩を掴む。

 「逃げろ、アン、いいか。絶対にジジイには捕まるなよ」

 「え、どういう意味」

 「だからとにかく逃げろよ。おれも逃走には手を貸す。何があっても振り向くな。絶対に逃げ切れ」

 

 その意味を理解するのに、そう時間はかからなかった。

 


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