北の空が赤く染まっていた。暗闇の中に見える粉じんは大量の黒い煙を空に舞い上がらせ、東へと流れてゆく。
「お頭、町じゃねえ。"不確かな物の終着駅(グレイターミナル)"が…燃えている!!」
隠すことなく舌打ちをしたダダンは厳しい表情のまま煙草に火を付けた。
「お前ら、ガキどものねぐらは知ってるね」
見て来いという指示を受けた一味のひとりが駆け出す。
「…おばさん、家には誰もいない。ふたりは…炎の中に、いる」
その声に走り出していた男がつんのめり転がった。
なぜそんな所にふたりが居るのかアンには分からない。分からないが、伸ばした意識の先は確かにごみ山だった。しかもブルージャムまで近くに感じる。サボが居ない理由を探して視線を彷徨わせた。
熱で朦朧とした意識が語りかけを邪魔をしていた。エースの様子が、視えない。
「アン、おめェは寝てなきゃだめだ」
マグラが浅い息を繰り返しながら、外へ出てきたアンを抱きあげる。
「行かせ…て」
だめだ。ダダンはアンにぴしゃりと否定する。可愛くないクソガキの方割れだとしても、弱っている状態で放りだすのはばつが悪かった。
「寝てな、いつもは簡単にすり抜けるマグラからも逃げられねェんだ。あたし達が探しに行く。何人か残って、アンを見張ってるんだ。残りは行くぞ、ついてこい!」
寝床へ連れて行かれたアンは、額に冷たいタオルを乗せられる。熱は身を焼くように、じりじりとこがしている。
待って、私も連れて行って。
声は届かない。
たくさんの悲鳴が聞こえる。友達や、顔見知りになった人、横切った事があるだけの人。
そのすべてから叫びがあがっていた。
町からは動揺と、不安、嘲笑、そして安堵と興奮が伝わって来る。
その中でひときわ大きな声があった。
サボ、だ。
兄弟の身を案じ、逃げろと叫んでいる。
大門の前では軍隊が炎を逃れて町へ入ろうとする命を狩り取っていた。
誰が一番多く射落とせるかのゲームが行われている。
サボのそばに、感じたことのある気配がひとつあった。
義祖父やルフィによく似ている。
芯の通ったまっすぐな想いは、触れていても嫌な気はしない。
混濁とした意識の中、浮遊感に任せて一気に不確かな物の終着駅(グレイターミナル)まで至る。
ひときわ大きな絶望と怒りを発しているのはブルージャムだ。
体よく切り捨てられたのだと知るまでにそう時間はかからない。
黒幕は単体では無いだろう。規模が大きすぎる。となれば王かと見込む。
違う。高町全体、だ。最終的な指示を出したのは王だが、以前からごみ山を処分する進言が行われていたようだった。使われたのはハイエナのように足元をうろつく海賊だ。
燃やす見返りに貴族にでも召し上げると言う餌でもぶら下げられたのだろう。
歴史を紐解いてみても上流社会と言われる場所では表立っての抗争はない。覇権争いは水面下でじわじわと行われるのが定石だ。決して表沙汰にはならないよう真綿で首を締めあげるがごとく、ゆっくりと策謀を達成させる。誰もが気付かない間に、蜘蛛の糸に絡めとって突き落とすのだ。そもそも血統を重んじるゴアの貴族社会に下賤な血を混ぜるわけはない。
貴族という煌びやかな生活美や権力、ブルージャムはその表側の姿だけを羨み欲した。足元を掬われているなど、思いもよらなかっただろう。
アンは不思議と笑んでいた。
なにかに急かされるように、むさぼるように本を読み、得ていた情報が、よもやこんな所で役に立つとは思いもしなかったからだ。
それよりも気になることがあった。エースとルフィが動いていないのだ。火事で周りが火の海であるとはいえ、足がすくむ二人では無い。しかもエースは剃が使える。ルフィが一緒だとしても炎の中を一瞬で、抜けられるはずだ。
内側では無く、肌を焼く痛みを感じた。捕まっているのだ。何かに捕らわれている。
こんなところで寝ている訳にはいかなかった。行かなきゃ。ただその想いが体を動かす。
「アン、お頭の言う事を聞け。お前が行っても足手まといだ」
いつもなら振り払える手も、今は全く敵わない。
涙がこぼれる。
無力だ。
大切な人を助けにすら行けない。
力が欲しかった。
誰かを打ちのめす力ではなく、守るために力が欲しいと強く願う。
あちらでも願った。
両親を返してください、と。私の大切な家族を奪わないで。
けれどその願いは叶えられなかった。どんなに泣いても、この命と交換しても構わないとすら叫んだとしても死んだ者は戻ってこないのだ。神や悪魔に願ったところで、差し伸べられる手や囁きは無い。
誰もいない空間にたったひとり残される虚しさはいつまで経っても心を苛む。
二度と失いたくなかった。
死んでも助ける。
アンは自分のために残ってくれたふたりに、ごめんなさい、と伝え姿を消す。
炎は森にも迫っていた。
火の粉に揺れる木々の葉が、熱にあぶられ茶色く変色し始めている。
エースの元に飛んだはずが、飛距離が足りず途中で落ちてしまったようだった。幹に寄りかかり呼吸を整える。カラカラと乾いた喉が痛かった。内外からの熱さで、本当に焼けそうだと思いながら、夕焼け空のよりも赤く揺れ動く炎が燃え盛る場所に目を凝らす。どこが火元であるか、もう、分からない。こんな所に入っていけるのだろうか。
アンは両手で頬を叩く。
きっと火の中に居るエースとルフィはもっと熱いだろう。弱音を吐きそうになる唇を噤み、力を解放した。跳べる。跳んでみせる。そう自分に言い聞かせ、アンは空間をたゆませ結ぶ。
2回目の移動は炎の中だった。ふたりはここでも無い。かくりと、ついてしまった膝を立て、体を持ち上げる。
はやりこの熱でいつもの通り、とはいかないらしい。
門の近くに来すぎていた。思い通りに点と点を結べない。
耳に届く音以上の声が響いては去ってゆく。音がさざ波のように引いては押し寄せてきていた。
「アンちゃん」
小さな声が自分の名を呼ぶ。
駆け寄ってくる友達に、アンは表情を歪ませる。
「どうして、こんなところに…いつもは森の方に夜は!」
呂律がまわらない唇で問いを放てば、びくりと幼子達が身を縮めた。
「パンをくれるって。いつも叩いてくる人達が居なくて…ほどこしだから食べていいって言うから…」
幼子達が咳を繰り返しながら、アンへとしがみついてくる。ここに住まう子供たちの多くは、捨てられた者たちばかりだ。サボのように自ら家を出、不確かな物の終着駅(グレイターミナル)へとやってくる方が希少だと言えた。なぜならば人々が自然とこの場所を嫌うように、仕向けているからだ。町という囲いの中にある端町を、外と繋がっているから、として汚物と言い捨てている町の住人もいる。
ただ国は、国民が嫌う端町、そして不確かな物の終着駅(グレイターミナル)を必要な【施設】である、と認識していた。その理由として、利用価値があるから、という模範解答を示すだろう。
また、首都に住む者達にとってみても、無ければ困る【施設】となっていた。
国民が日々出すごみを捨てる場所は必要不可欠であり、またその中から探し出される再生資源は、人々の暮らしの根底を支えている。
王国は資源の持ちこみを端町に限って許可し、再生品の販売も黙認していた。
人々もそれに準じ、賃金を必要としない労働力によって回収された品々を加工し、中心部へと持ちこむという経済路を生んでいる。偶に、だが持ち込まれるワニや蛇の皮など、高町に住む貴族達が最も欲する装飾品にもなるのだ。人々の暮らしは、繋がっていた。
これらは経済が回る、という視点に於いてはなかなか良い考え方、ではある。
だが見方を変えれば、本来の目的が見え隠れしているのに気が付くだろう。
そう。不確かな物の終着駅(グレイターミナル)には、大切な役割があった。
最も住環境が悪い場所に、最下層の存在を置いてやる事で、本来上層部に向かってくる平不満を、別の方向へ逸らす、先として、活用されているのだ。
賤民。
言葉としては明確化されてはいないが、まさしく、端町の一部、そして不確かな物の終着駅(グレイターミナル)に住まう者達はここの区分に入れられていた。
だから首都、ゴアに住む人々は自分の身を、まだましな方だと認識している。
自分よりも貧しい暮らしをしている誰かがいる、そういう状況を作ってやるだけで、この身はまだ裕福なのだと、中間層は勝手に認識する、と高町、そして王侯は理解していた。
本来ならばこの首都に不必要である、醜悪なもの、に目をつぶっているのだ。
そうでなくては、困る。
そして貧富の差を身近にする為に、わざわざ不確かな物の終着駅(グレイターミナル)から端町へと、本来はごみの排出口として作った扉から、出入りを容認しているのだ。
壁の内側にあることが、特別だと誤認して貰わなければ、困る。
全ては紋を持つ者達が裕福に暮らし、天上人と同様とまではいかぬまでも、雅を共有したい。そして出来るならば彼らと同じく、その場に鎮座するだけで甘い蜜を長々とすする事が出来る仕組みを作り出したい。
願いを叶えるため、人の心の中にある感情を把握し、操ってきた。
その結果、今の形をゆっくりと形成したのだ。
熱に浮かれていたからだろうか。
今まで感じなかった、意思までもがアンの中に流れ込んできていた。
今までで最も、嫌悪を感じる意識体だ。否定はしないが、同意もしない。
この国には必要なもの、ではないが、お前達の存在を許してやろう。
与えるのは底辺の役割だ。
生きたいのであれば、与えてやろう。
哀れみと言う名の蔑みを。
慈愛と言う名の虐待を。
アンは過ぎ去ってゆくそれらにぶるりと体を震わせた。
血の気が引く感覚は手足を凍えさせる。
こんな考え方を持つなど、同じ人間、だと思いたく無かった。
事実、彼らにとって、ここ、不確かな物の終着駅(グレイターミナル)に集まった全てが床に落ちた埃、塵あくたと同じだったのだ。
アン自身が彼ら、貴族に対しノブレス・オブリージュ、を期待し過ぎていたと語った方が良いだろう。
王侯貴族は全くぶれてはいない。
元々からそうだったのだ。だからサボは、貴族を捨てたがっていた。
その理由がやっと分かった。ゴア王国の貴族は贅沢を楽しみ、搾取、収奪するだけの存在なのだ。
アンが思い描いていた、社会的尊厳を保ち、少なくとも建前として社会に奉仕する名士、では無かった。
「…わたしは、サボになんて事を」
発言した言葉は、もう取り返せない。サボに謝らなければならなかった。
そして決断の日が訪れる。
王は王の血族が長きに渡り生み出してきた、負の遺産であるこのごみ山を綺麗にする。ただそれだけだった。
どうせならそこにしか住まう事しか赦されなかった、生きてはいけない虫けらも同時に、処理してしえば一石二鳥と言うものだ。そうすれば時折、海風が吹かぬ日に漂ってくるあの、悪臭も少しはどうにかなるだろう。
全て焼いてしまえばよい。そうすれば、より一層、良い暮らしが出来るに違いないのだから。
本当に心の底からそう思っている彼に、開いた口が塞がらない。
反吐が出る。とはこういう気持ちを言うのだろう。
アンは炎の向こう側に見える、王宮を見上げた。そしてそこでのうのうと、この大惨事を眺めている存在へ声を上げる。
「どこまで人の命を軽薄すれば!心乏しい者たちが!」
叫びと共に周囲の炎が円形に掻き消え、黒く焦げたゴミからは白い煙が上がった。
炎から身を守れる場所を見つけた人々がどんどんと集まって来る。
腹が煮えくり返っていた。
人の命など顧みられてはいない。それをアンは分かっていた。どういう心理であるかも理解もしている。
限られた特権の人々のみが幸せを謳歌出来る世界だと言う事も、わきまえていた。
貧困も良しとしよう、差別されたって構わない。
不平不満を胸に押し込めながらも、この場で生活している人々はただ生きていたいのだ。
「なぜそれだけの事が、許されない!」
叫喚があがる。
それに応じるように、風が生まれた。
大きな渦だ。ゴミを吹き飛ばし、えぐり取り路が出来る。
「アンちゃん、船だよ!」
幼子達が指す指先の向こうに、巨大なマストが見えた。
「ガレオン船…」
なぜそんなものがこのごみ山に停泊しているのかを考えている暇などない。
死に直面して嘆いていた人々が一斉に動き出す。アンも3人の幼子達の手を引いて船を目指した。
大きな船だった。船首にはドラゴンの意匠が施されている。
「自由の為共に闘う意思のある者は! この船に乗れ!!」
声は上から降ってきた。
最初は誰もが顔を見合わせる。だが次第に、言葉の意味を理解すると、ゆっくりと集団が動き出す。呼びかけに応え、下ろされていた縄梯子を掴み、人々は船へと登った。
自由。それは魅惑の言葉だ。
今まで抑圧されて生きて来たごみ山の人々にとってもみれば、初めて手にするものに違いない。
「自由ってなあに?」
アンは少し考え、ゆっくりと発言する。
「もう誰からも叩かれたり、奪われたりしない事。やりたい事を言葉にして出来る事、かな」
幼子達はアンの言葉にきょとんとしていた。意味がまだ、分からないのだろう。
「もう少し大きくなったら、理解できるようになるわ」
「アンみたいに本も読めるようになるのか?」
「ええ。いろいろな事も学べる。もう恐れなくていいの。生きる事を不安に感じなくても、大丈夫」
列はだんだんと伸びていた。
下に降りて来たのは船員だろうか。誘導により喧嘩などは起きていないようだったが、ひしめき合う人々の姿があった。
アンひとりだけなら、縄はしごを伝って昇り切る事が出来る。だが子供達は途中で力尽きかねない。
アンは背にひとり、片手にひとりづつ抱え、空を蹴る。義祖父から使用を制限されている技だが、今使わず、いつ使うというのだろう。
ふわりと体が持ちあがり、子供たちが声を上げた。炎の中とはいえ、広がる景色に瞳を輝かせている。空を飛ぶなど、一生に一度あるかどうかだ。
船を見下ろせる高さからゆっくりと船頭へと降りる。
そこにはフードを被った、気を引く人物がいたからだ。眼光は鋭いが、不穏な目つきではない。
「こんばんは。あなたがこの船の船長さんですね」
男がアンを見定めるかのように観察する。
「…炎を払ったのは君か」
男がゆっくりと声を発した。周りに控えた人物達は動かない。
「この子たちを宜しくお願いします」
男の問いには答えなかった。しても意味の無い事だからだ。
「…ヴァナタは一緒に来ないの」
アンはこくりと頷く。
本来の目的をまだ、達してはいない。
見つめて来る目は、言を問うていた。
なので、大きな顔の人だなぁ…
見たままの感想をそのまま思う。
「今ヴァターシの顔が大きいって思っチャブルね!?」
「あーうー、えと。はい」
「考えたんかい!!」
どこかしらから聞こえてくる突っ込みに、顔の大きな人、は楽しそうにくるりとターンする。
「素直な子は好きよ」
投げられたウインクを無視してアンは、幾分か視線を和らげた男にほほ笑んだ。
彼、が何者なのか。分かったからだ。
「ドラゴン。貴方とはきっとまたどこかでお会い出来るでしょう」
男の目がす、と細められる。
名乗っていないのに、なぜ知ったか、と言う色を隠さない。
だがそれをも、アンは答えない。
今ここで説明する時間が惜しかったからだ。
あなたは大切な弟へ血を繋いだ人。
愛情故に手放した、ルフィをここ、に感じたのでしょう?
だからわたしを助けた。
意思の強い目は義祖父やルフィと同じだ。どこまでも先を見つめている。
しかし自分とは混ざらないものを同時に感じた。
しようとしている事、は今の世界に必要かも知れない。しかしどういう手段を用いたとしても革命は劇薬だ。どうやっても必ず血は流れてしまう。
だからこそかつてアンが暮らしていた世界で、過去起こったとされる無血で行われた名誉革命が、背景がどうであれ、尊いと言われる所以だった。
ドラゴンの目尻がふと和らぐ。瞬間、アンは姿を消した。
その間、銃数秒。視線を合わせていただけだ。
面白い存在だ。
ドラゴンは赴いたであろう場所に視線を向ける。
「瞬間移動!?」
誰かが消えた少女を見て口にした。
「逃した魚は大きいかもしれなッティブルわよ」
男は何も語らない。しかし静かに笑みを浮かべていた。
「いずれ会える」、と。
SIDE エース
熱さに目が回りそうだった。
ヤツはもう、正気じゃない。ってか、こんな炎の中で、正常を保っていられる方が、おかしいんじゃないか?
息をする度、鼻が痛ェし、喉もガラガラする。
きっとサボは分かってくれるだろう。今はルフィと、そしておれの命を優先しても、サボは笑って許してくれる。
長い時間をかけて貯めた金だ。でもそれは誰かの物であって、おれ達自身が得ていた金じゃない。マホロバだよ、って、アンが言ってた意味がようやく分かった。
泡、なんだな。
だから未練は振り切った。宝はまた、集めればいい。
隠し場所を、おれは言う。
「宝の場所は、山のふもとにある木の洞だ。よく見れば幹に登った跡を見つけられる」
ブルージャムは狂気の笑みを浮かべた。
「いい子だ。じゃあそこまで一緒について来て貰おうか」
嘘という可能性もあるからなぁ。
ブルージャムの目が爛々としていた。完全にいっちまってる。
金、金、金。
金があればなんでも買える!
ヤツは自分の言いたい事を、ぶちまけた。けどおれ達にとってみれば、そんなもの、本当なら必要ないものだったんだ。海に出るため、船が必要だった。船は買うものだと、サボに聞いて、集め始めた。
「フザけんな!向かってるうちに逃げ場が無くなっちまう!場所は教えたんだ、お前らだけで勝手に行けよ!」
おれは叫ぶ。
だけどブルージャムには伝わらなかった。しかも執拗に、おれに案内しろと言う。
「ガキの分際で…俺をこれ以上怒らせるなよ」
かちゃりと撃鉄(ハンマー)が鳴る。
ヤツは本気だった。
「ガキの集めた財宝を頼りにしてでも…俺は再び返り咲いて、貴族どもに復讐すると誓ったんだ!」
ブルージャムの目からドス黒い感情が噴出していた。付き従ってるやつらも恐怖で頭がどうにかなっちまったみたいで、言われた事だけを忠実に実行している。
ルフィ。
おれの気がかりは、弟だけだった。
くそ、放せ!放しやがれ!こいつらおれ達も道連れにする気かよ!
「おめェらの兄弟もそうだ。貴族なんてもんは、自分を特別な存在だと思ってやがる。だからあんな一芝居を打ったのさ。壁の中に戻るためになァ。ヤツらは結局、その他大勢は全部、どうでもいいんだ。なあ、やり返してやろうぜ。あの壁を越えてよう…」
「違う!!サボはそんな安っぽくねェ!!!」
「いいや、違わんな。お前らも大変だっただろう。貴族の坊ちゃんに合わせるなんてなァ。わざわざこんな場所まで来てつるむ理由なんざ知れてるだろうが。お前らは優越感に浸るためだけに利用されてたんだ、可哀そうに。親が大金持ちのあいつになんの心配がある?全てが保障されてるあいつになんの危機感があるってんだ?せいぜいおつむの良し悪し位だろうが。お前らは貴族の道楽に付き合わされたのさ。腹の中じゃお前らを見下して、鼻をつまんで笑ってたのさ!」
ブルージャムは一気に、心の内に溜まっていた言葉を吐き散らした。
けど、それをおれに分かれって言うほうが、無理だ。
おれはサボを信じてる。だからブルージャムが言ってる意味が分からない。恨むのはサボを除いた、貴族だけにしろ。おれに同意を、求めるな。
「それ以上…サボを悪く言うなよ」
腹の底から吐き出す言葉は自分に言い聞かす言葉でもあるそうだ。ブルージャムはたぶん、おれ達を罵(ののし)る為に言ったんじゃない。おれ達を身代わりにしやがったんだ。正直カチンときていた。兄弟を馬鹿にされて、黙ってられるほど大人じゃねねェし。
…けど、この喧嘩は買わねェ。すべき事がある。…しかも今、増えやがったし。
「…おれ達を放せ」
「そうだ!! サボはただ自由になりてェだけだ!! 放せ!!」
ルフィが自分を捕まえている一味の腕にかみつく。固い肉でも噛み切る頑丈な歯だ。噛まれた男が悲鳴を上げ、背の刀を感情のままに抜いた。抜きざまに鉄パイプを切り裂き、ルフィへ振り斬る。
赤が吹き出る。
「ルフィ!!!」
男がとどめを刺そうと、地面に落ちたルフィの腹へ向かい剣をたてる!
「ルフィに手を出すなァ~~~~~!!!!!」
ドクン、とおれの中でなにかが波打つ。そしてその何かが、体の外に噴き出す感覚に一瞬あっけにとられた。
なんとか倒れずに踏ん張れたのは、支えが、あったからだ。
アンの野郎。無茶、しやがって。あいつ、自分の体の状態、分かってやがんのか。
おれは襲い来る脱力と眩暈を振り切る。
しかも丁度都合のいい事に、周りのやつらが全員、泡吹いて倒れやがったんだ。
ブルージャムを除く8人がその場に横たわっている。
「何をしやがった!!! 胡散臭ェガキめ!!!」
おれの腹に奴からの足蹴りが入る。咄嗟のことで避けられなかった。
いってぇぇ! っ、踏むなよ!
「殺してやる。全員、俺以外の全てを殺しつくしてやる!!!」
「エース!! やめろォ~~~!!!!」
ルフィの声が遠い。
引き金が引かれる。
瞬間、おれは死を覚悟した。
悪ィ、アン。迎えに行けねェや。
「やめねェか海坊主!! エースを放しなァ~~~!!!」
その声は突然だった。特にヤツにとっては、炎の中から突然出てきた存在に、不愉快さを表した。邪魔が入ったせいで、鬱憤が晴らせなくなったからだ。
ブルージャムは炎の中から飛び出した斧に、左手で引き抜いたサーベルで対応する。そして間合いを取るように、後方へ飛び退いた。
「ダダン…!!!」
ルフィーの声におれは顔を上げた。いつの間にか目の前に一味が勢ぞろいしている。
「やっといた!!」
マグラがそう言うって事は、まさかおれ達を探していたのか。
「サボの奴がいニーが?!」
「大丈夫だ。サボは壁の中にいる」
だらだらと血を流すルフィにドグラが駆け寄っていた。
「てめェ…コルボ山のボス猿だな…」
「山賊ダダンだ。何の因果かこのガキ共の仮親登録されててね」
大分短くなった煙草を吐き捨てると、くるりと身を翻し、叫ぶ。
「逃げるぞ!!!」
「ハイ、お頭!!!」
誰もが従う。
統率力は、ダダンの方が上みてェだ。おれはこんな時だけど、笑っちまった。
「エースも、急げ」
マグラがおれに声をかけてくる。けどおれは動かない。ブルージャムの目が言ってやがるんだ。すべてを殺しつくしてやる、ってな。それにさっき、ダダンが来てくれなきゃ、おれは死んでた。だからいい。
「おれは、逃げない」
さっさとルフィを連れてってくれ。
ダダンが足を止めておれを見る。
「そいつはヤミとけ!!! ブルージャムのヤバさはハッタリじゃニーぞ!!!」
子供が粋がっていいレベルじゃねェ?そんなこと端から分かってる。
理屈じゃねェ。理由もわからねェ。
けれどなにかが、おれに立ち止まれって、言ってんだ。
「お…おれも!!!」
「ダメだ!! ルフィ、お前出血してるだろう!! 早く止めねェと!!」
マグラが止めてくれて、助かる。
ルフィはすぐに、おれやサボの真似をしたがる。いくら言っても聞かなくてさ。危なくて放っておけねェんだ。
ブルージャムが一歩前に進んできた。けどおれは動かない。
その様子にダダンが盛大に舌打ちを響かせた。
「エースはあたしが責任を持って連れて帰る」
だからお前らは、走れ!
その声に、一味が一斉に駆け出す。一糸乱れぬ逃走だった。
さすがだな。
おれはダダンへ意識をちらりと向ける。
こういう時、ちゃんと言う事を聞くのは、ブルージャムのように恐怖で縛りつけてるからじゃねェんだよ。普段から一味の面倒だけは、ぶつくさ言いながらも見てるからな。
「ダダン、アンはどうした」
炎がちりちりと肌を焼く。目はブルージャムを捉えたままだ。視線が外れたら奴は動く。
「家で転がしてある」
嘘じゃない。ダダンが家を出る時は、転がされてたんだ。
あいつ…無茶しやがって。
「…来てるぞ」
おれの一言に、ダダンは意図が分かったらしく、再び大きく舌打ちをした。
あいつがじっとしてるわけない。さっき感じたのは、やっぱりアンだ。
「女に…子供…少し腕に覚えがあるくらいで過信すると血ィ見るぞ」
戦場で生き残るのは『強者』と『臆病者』だけだ。『勇者』は死ぬと相場が決まっている。
ブルージャムが気持ち悪ィ顔して饒舌に語った。ハッタリじゃねェってことくらいは、おれにも分かる。
火の勢いは増すばかりで、落ちつくような素振りが全く見えなかった。
「タバコ切れか。と落ちつかねェな」
面倒臭そうな物言いに隠れて、さっさと終わらせるぞ、と暗にダダンは含ませる。
「言ってろよ…すぐに終わらせてやる」
おれは唇を弧にする。
そしてアンのバカを迎えに行ってやらなきゃ、だからな。
まったく、おれ以外は心配ばかりかけさせるヤツばっかだ。そう思いながら、拳を握った。