ONE PIECE~Two one~   作:環 円

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07-焔群の山(1)

 視野が真っ赤に染まっていた。

 炎が幾つもの柱を上げている。途切れることのない悲鳴、逃げ惑う人の影が揺れ動く焔の中に映っていた。

 エース!サボ!ルフィ!

 名前を呼んでも炎が立てる轟音に邪魔されて届かない。

 立ち尽くしている場所は見たことのない景色のように思える。

 だがそこは、小さな頃から何度も足を運び、幾人もの友達を得た"不確かな物の終着駅(グレイターミナル)"だ。

 分かっていた。

 

 これが夢だ、と。

 

 熱くも無ければ苦しくも無い。

 けれど涙がこぼれていた。人が息絶えてゆく。

 この炎が上がる原因が何であるのか、分からない。止められない。

 嗚咽が漏れる。

 何とか出来る術が欲しい。

 

 アンは夢の中で叫ぶ。

 誰か、助けて、と。

 

 

 SIDE エース

 静かな夜だった。フクロウの鳴き声も聞こえない。

 アンがまた唸されている。観ているんだ。

 触れない。

 ただ流れていく景色みたいなものがずっと続く。

 

 おれたちがもっとガキだった頃、その夢を共有したことがある。繰り返しみる夢は最初、陽炎みたいにはっきりしない。けど日を重ねるにつれ、次第に鮮明になってく。

 丁度おれ達が海賊貯金を始めた頃に、悲鳴が聞こえるって言いだした事があったんだ。そん時はおれも引きずられて何度か見た事もある。血の匂いがする焦土に、ひとりの、今のおれ達くらいのヤツがこっちを見ていやがった。顔も覚えている。そいつはおれをみて言った。『罪を背負った忌まわしきは…さっさと死ね』ってな。

 

 けどそいつを、殴る事が出来なかった。

 当たってもおれが通り抜けるんだ。

 あの台詞は、おれ達に向けたものじゃねェってアンが言ってたけどさ。遭う事があったら、絶対に一発、やってやるんだ。

 

 アンは今、炎に苦しんでいる。

 額に触る。熱い。おれは小さくため息をついた。

 自分の無力さが歯がゆいんだ。早く大人になりてェ。そうしたら、もっといろんな事が出来るようになる。

 

 …ダダンの所に連れて行く…か?

 アンならおれやルフィと違って、嫌がらねェだろうし。ちゃんと看て貰えるだろう。

 何日か前から調子が悪そうだった。

 いつもなら躓いたりしねぇ場所で転がったり、食も進まずすぐに横になりたがってたんだ。

 おれ達でフォローに回ったけどどうも動きがおかしい。昨日の朝の段階で発熱してたから、一日安静にするよう、念押しして出かけた。動いてないと口で言っても、おれたちは繋がってる。だから観念して寝てたみたいなんだけどな。盗んできた薬も効いてないみたいだし。どうする。

 

 「エース…」

 「ん。水飲むか」

 いらない。そう小さく答えて、伸ばした手が掴んだのはおれの腕だった。そのまま自分の頬へと持って行く。

 「手が冷たくて気持ちいい…」

 いつもはおれのほうが体温高いのにな。

 

 狭いながらに我が家となったこの場所は、安心して眠れる。

 ルフィもサボも大の字になって寝ていた。

 木の上に作ったのはなんとなくだ。下に作るよりカッコイイって理由だったかな。

 設計はサボだ。組み上げはおれとサボがした。アンとルフィは下で、飯の支度とか、調達とか、だ。ダダンの家と比べたら小さいけどさ、おれたちにとってここは大切なアジトだった。

 体を丸めて眠りに落ちるアンの髪に触れる。

 柔らかい。

 この熱は、炎だ。夢がアンを玩ぶ。

 海へ出たいとこんなにも思うおれにアンは、”お父さんみたい。枠には嵌らない。嵌められない。エースは自在に形を変える炎ね”と、言ったことがある。

 おれは覚えてねェけど、母さんのこともアンは覚えていた。

 

 おれが炎だったら、絶対にアンをこんな目にあわせたりしねェ。

 

 翌日おれは嫌がるアンをダダン達に任せ、一足遅れて"不確かな物の終着駅(グレイターミナル)"へと向かった。剃(ソル)を使えば多少距離が開いてもすぐに追いつける。

 本当は教わる気なんて無かったんだ。

 けどアンが、折角おじいちゃんが指南してくれるっていうんだから、一緒に行こう? って言うから、だな。

 ジジイも村じゃなくてこっち側に来やがったし。

 ふたりで行くと、ジジイはすげェ嬉しそうにしてた。

 

 それからの事、は簡単に想像できるよな。

 

 擦り傷なんて当たり前、切り傷に打撲、骨はどうってことなかったけど、全身筋肉痛はきつかった。一番びっくりしたのが、アンが弱音を吐かなかった事だ。それなのに、おれだけが止めた、なんて言い出せねェよ。

 何日間かかけて、一通りをジジイから仕込まれた。けどまだ、余り使いこなせてねェんだよな。見よう見真似で、形だけは、ってところだ。

 アンに言わせりゃ、技のひとつひとつを理論的に解体すると、子供の体で使うには無理があり過ぎる、んだと。

 「負荷がかかり過ぎるのよ。だからおじいちゃんも手加減して教えてくれてる」

 …アンの言う手加減で、力が入らなくなってげっそりした感じになるおれ達は、どんだけ弱いんだろうな。

 結局、ジジイからは教えられた6つある技の内、使っても良いだろうって言われてるのは、剃(ソル)だけだった。

 

 「これで二人も海兵一直線じゃな!」

 って言ってたけど、そうそう簡単になってたまるかっての。

 でもなァ、アンは覚えてるんだろうか。ジジイとの約束。

 あいつ脇くすぐられて、うんって言ってた気がするんだよ。条件が条件だし、ジジイも仕事で忙しそうだからな。来るとは思えないけど。

 「サボ!ルフィ!」

 「来たな、エース」

 鉄パイプを片手に、集合場所で待っていてくれたふたりと合流し、おれ達は一気に山を下る。

 

 

 …待ち構えられていた。

 おかしいと思ってたんだ。

 

 ここ数日、ブルージャムの手下がおれ達の姿を見ても追いかけて来なかった。どの道を通るのか、どこへ向かうのか、見張ってやがったんだ。くそっ、アンがいたら、こんな事にはならなかったのに。

 「サボを返せよ!!! ブルージャム!!!」

 ルフィが叫ぶ。

 おれ達は捕まっていた。腕を掴まれていて身動きできねェ。

 サボはもう、軍隊の方へ引き渡されちまってる。

 「”返せ”とは意味の分からない事を。サボは家の子だ。子供が産んで貰った親のいいなりに生きるのは当然の義務なのだよ。学の無い小童どもに言った所で通じる訳もないか」

 見下げる目には蔑みがある。おれが一番嫌いなやつらが持ってる目だ。

 見たことがある顔だった。そう、以前サボを呼びとめたやつだ。

 「ゴミクズ共め…家の財産でも狙ったのか。息子をそそのかし、家出を強要して」

 違う。おれは否定する。

 だがサボの親がその口からこぼす言葉は、反吐が出るくらい気持ち悪いものばかりだ。いい加減おれもカチン、ときた。

 言わせておけばいい気になりやがって。誰がそそのかすかよ。

 サボは自分の意思でお前の元から去ったんだ。いいなりだと…子供はお前らの人形じゃねェんだ。勝手に未来を決めんなよ!

 

 ブルージャム一味のひとりが拳を振る。けど遅い。子供だと舐めてかかると怪我するぞ。

 おれは振りおろしてくる拳を受けず外側ではなく内側へ滑り込み、屈伸し力を溜めた拳を腹にめり込ませる。

 「ぐはっ」

 手を出してきた男があおむけに転がった。

 だが多勢に無勢で、おれはブルージャム率いる男達に捕らえられてしまう。

 がらくたが地面を成すそこに体を押しつけられ、頭蓋骨を踏まれる。

 「くそっ、どけやがれ!」

 必死にもがくけど、動かねェ。っていうか蹴るな!

 「コラ海賊!! 子供に手を出す際は気を付けたまえ!!」

 サボの親は飛び散った泥を払い、汚らわしい、消毒せねば、と心底嫌そうな感情を顔に表した。

 「止めてくれっ、ともだ…!」

 心からの叫びは途中で止まる。

 父親が手でサボを殴ったのだ。

 「うるさいぞ、いつからお前は口答えする子になってしまったんだ。全ては奴らのせいだな、可哀そうに。さあ家に帰ろう。そしていい子に戻るんだ」

 ブルージャム一味から、町へ続く門を警備する黒ずくめへサボの身が渡される。

 

 「後は頼んだぞ、海賊ども」

 「無論だ、ダンナ。もう代金は貰ってるんでね。このふたりが二度と坊ちゃんに近づけねェよう、始末しときます」

 愛想いいブルージャムの声が気持ち悪ィ。サボはその声の裏側にある真意に気付いてしまった。…言うな、おれ達ならどうにでもなる。だからサボ、言うなよ。

 だけどその願いは聞き届けられなかった。

 「…何でも言うこと聞く、言われたとおりに生きる…だからこの二人を傷つけないでください。大事な兄弟なんです。お願いします」

 ルフィがサボの名を呼ぶ。振り切れと、叫んだ。

 「おれ達なら大丈夫だ、一緒に自由になるんだろ!!?」

 シルクハットで顔を隠し、サボは歯を食いしばっている。なんだよ、これは。こんな別れ方じゃねェだろうが。

 「サボ!」

 名前を呼んでもサボは振りかえらなかった。

 おれはそのまま、町の中に消えて行く背を見てる事しか出来ない。アンが居たなら、サボが今、何をどう思ってるのか分かる事が出来るのに。

 

 残されたおれ達はブルージャムの一味に連れられ、やつらのアジトへ放りこまれていた。暴れるルフィを取り押さえられ、おれも踏みつけられてて逃げようにも逃げられなかったのもある。

 「くつろげってぇ言うのは無理だろうからな。その場でいい」

 ブルージャムはどかりとソファーに腰を下ろす。

 ここは入り江の横に作られた船長専用の建物だった。さすがに以前殴りこんだ所とは広さも、中に詰める護衛の人数も違う。

 「まったくわからねェもんだな。評判の悪ガキどものひとりが貴族様だった、なんてな。わざわざ”高町”からごみ山をバカにする為にやって来るとは…おめェらも災難だったな」

 ブルージャムは心底、おれ達を憐れんでいた。だからどんなに睨みつけても、口汚ェ言葉を喚き散らしても、よしよし、とあやすように見ていた。

 「バカ言え!! サボはそんなヤツじゃねェ!!」

 「そうだ!!おれ達は兄弟なんだぞ!!」

 おれ達の気が済むまで喚き散らさせた後、酒瓶を持ったブルージャムが口端を上げる。

 「運が悪かったと思え、な」

 ブルージャムはゆっくりとまるで子供に言い聞かせる親みたいに言い聞かせてくる。

 元々貴族とは住む世界が違うのだ、と。

 「貴族に生まれるなんてことはな、頑張って出来るような事じゃねェ。幸運の星の元に生まれるってこった」

 おれは深く息を吐くブルージャムを見た。

 出来るモンなら変わって貰いてェよ…、っていうのは、本心なんだろうな。

 

 サボはすげェ嫌がってた。

 ブルージャムが貴族を心底羨ましいと思うように、サボは貴族では無い、おれ達みたいになりたいって、言っていた。

 ないものねだりね。

 アンの声が、聞こえた気がした。離れていても、いつもアンが側にいる。

 けどさ、自分にないモノって欲しくなるもんなんだよな。よくわかるよ。

 「おめェら、奴にはもう近づくなよ」

 剣呑な目が細められる。

 近づけば殺さなきゃいけねェ。子供は大人の言う事を聞く、それが貴族の世界だ。あいつの事は忘れてやりな。それが優しさってもんだ。

 ブルージャムはおれを見る。

 

 大人ってヤツは自分の中にある考え方で、すべてを判断する。間違ってるとは思わない。

 ヤツはサボの事を知らない、だから言えるんだ。

 けど口には出さなかった。教えてやる義理もないからな。

 ちゃんと考えられたのは、おれが黙っている間も、ルフィが言い返してくれてたからだ。その分、頭の芯が冷えていた。

 本当ならこういうのは、サボとかアンがしてたからな。これであってるのか、あんまり良くわからねェけど。

 

 おれが黙っていると、ポルシェーミの名を出してきた。

 サボが言ってたように、根に持ってやがったのかと思ったけど、どうやらそうじゃないらしい。

 このごみ山での掟はたったひとつ。

 強いか弱いか、だ。

 ブルージャムは弱いモノが嫌いだという。むしろポルシェーミを倒したおれ達を、見なおした、と。

 むしろ強ェ奴は好きだ。歳は関係ねェ、

 「ところでよ、今人手が欲しいんだ。駄賃も出す。なあに、簡単な仕事だ。手伝わねェか?」

 そう言った。

 

 何を?

 おれは尋ねる。

 「さぁな、お国のするこった。俺達もこの地図の通り、旗の着いた木箱を置けって聞いてるだけなんでな」

 ブルージャムが手を放した紙が床に落ちた。

 こういう時サボやアンならどうするだろう。ルフィはおれを見ていた。

 周囲に立つ男達の数は、おれひとりじゃ、どう足掻いても余る。ルフィも逃げ足が大分早くはなって来てるけど、ひとりで逃げろって言ったって、言う事聞かねェだろうしな。

 …手伝った方が身のため、か。

 

 眼前のブルージャムの後方に立つ男達が刀に手を当てている。後ろからも低い笑い声が聞こえてきていた。

 「わかった」

 おれは頷く。サボも今日の明日なんかには動かないだろう。

 折りを見て、助けに行く。あの壁の向こうに迎えに行ってやる。はっきりあいつの口から、戻ると聞くまで、おれは絶対に諦めねェ。

 それにアンが観てる、あの夢。熱の原因がなにか、わかるかもしれねェからな。

 

 

 SIDE サボ

 いい子ってなんだろうな。

 繰り返してきた問いだ。答えは外を知って、出た。

 はっきり言って両親はおれを持て余していた。親の言う事を素直に聞いて意のままに動くのが彼らにとって普通の子供であり、なぜなにどうしてとおれが理由を聞いたり彼らの意にそぐわない行動をとるおれが理解できなかったのだろう。

 アン曰く、そもそも子供とは親の分身ではない。子供が親の言うとおりに育つのは稀で、それこそ操り人形でもなければ無理だろう、と。

 「どう足掻いてもジレンマにぶち当たるもの。この役割は、自分でなくてもできるんじゃないか。もしこの役割をこなし続けられなければ、誰かにとって代わられるのではないかって」

 ほんの少しだけ、苦味を交えた乾いた笑いをアンはこぼしていた。

 人は当然ながら自我を持つ。そしてできることとできないこと、出来るはずだと成長する過程で独り立ちする準備、反抗期というものが起きるそうなのだ。

 特殊なケースだとはおもうけどエースとアンみたいに、何も話さなくても通じ合うってのはなかなか出来ない代物だろうな。

 それなのに、おれの両親は、両親の思っている事を把握して、その通りに動かないおれを疎ましく、扱いかねていた。きっと両親も同じ事を言われ、なんの疑問も抱かずに育ってきたんだ。小さな頃から言われ続け、自分で考える事を放棄した。考えずに、親から言われた事をそのまま繰り返す。

  

 だからおれは焦っていた。

 貴族はそういうヤツらばかりだと、戻ってきてよく分かったからだ。

 使用人、ここで働いてる者達にも期待は出来ない。高町で働く事にステイタスを感じ、他の仕事についている一般民衆とは違うのだと、優越感に浸っているからだ。

 実際にそれなりの、特典もあるからな。

 

 火の手が上がる。聞いて愕然とした。と同時に、やるだろうな、っていう納得もあった。

 養子に入っていたステリーが、当然という態度でぺらぺらと話す。

 この国の汚点を全部燃やす、と。

 山と積まれたゴミだけじゃない。人も、全部まとめて、燃やす、という。

 聞いた瞬間、頭の中が真っ白になって気が遠のきかけた。

 誰もがみんな、分かっちゃいない。

 その汚点を作りだしたのはこの石壁の内側全なのに、ごみ山に住む人間にしわ寄せを全て背負わせるつもりでいる。同じ事を繰り返す、典型的なパタンだ。

 

 アンと話をして分かった。

 この国の人間は、特に壁の内側に住んでいるヤツほど、基本的に臭いものにはふたをして、見なかったふりをするのだと。

 

 「くそ、これをなんとかしてあいつらに知らせなきゃ…アンが観てた夢はこれだったんだ」

 何カ月も前から決まっていたという。嫌な夢を観る。そうアンが憂いを言葉にした、時間をさかのぼれば、夢が出始めた時期と符合する。

 世界政府の『視察団』が東の海(イーストブルー)を巡っているという話は、ニュース・クーの新聞で知っていた。今回は世界中で最も安全な海と云われてる東の海域へ"天竜人"がやってくる、と。その一団が3日後、この国に到着するんだ。

 

 

 王侯貴族は特に今回の来国を待ちわびていた。

 そりゃそうだろう。

 ゴアって言うこの国は、天竜人に憧れるが故に全てを模してんだから。世界がひれ伏す権力を持ってるやつらに気に入られたら、この国の注目度も上がる。数年に一度各国の王達が集まって会議がされるらしいけどさ、そこでの発言力も大きくなるらしいんだ。

 権力の頂きは赤い土の大陸(レッドライン)にある聖地マリージョア。ごく一部の血筋が、大昔に世界政府を作ったという理由だけでずっと君臨している。

 おれはそれを疑問に思った事は無かった。遠い世界の出来事だって、意識してなかったんだ。

 首を傾げたのはアンだった。

 アンはすごい。同じ歳とは思えないくらいだ。

 なぜ、と当たり前のことでも疑問をぶつけくる。そして分かるまで、自分が納得出来る答えにつきあたるまで調べていた。

 フーシャ村のルフィの家には、本が溢れてるんだ。村長から借りるだけじゃ足りなくなったとかで、町の本屋に通っていたくらいだ。手に入れられる種類は値段の関係もあったけど、ふたりでよく議論もした。

 嫌いだった勉強が、いつの間にか好きになっていた。きっとアンのお陰だ。

 

 世界の縮図。

 そう言ってしまっても、この国はおかしくない。

 壁の内側に暮らす人々は、不必要である、と判断したモノをすべて廃棄する。こちらとあちら、線を引き差別した。

 世界で最大権力を持つ天竜人もおれ達の事を下々民(しもじみん)と差別し、区別した人間を奴隷にするという。この国では奴隷制度が認められてないから、ごみ山の人間を嘲り侮蔑する。自尊心を満足させるために誰かを貶めることさえ厭わなかった。

 

 いつだったか、こういう話をしたことがある。

 「サボは国って何だと思う?」

 「え…」

 泳ぎ疲れて岸辺に上がり、火にあたっていたおれにアンは尋ねた。

 突然問われて、考える。

 「生まれた場所、人が集まる場所、貴族が大きな顔をしてて…」

 思いつく言葉を並べてみる。

 「うん、国は人が集って形成される。リーダーを決めて纏まりが出来たらそれが基礎となるのね」

 力を持つものが持たざる者の上に立つのは自然なこと。なぜならより強い個体が指揮を執った方が、上手く物事を動かす事が出来る。効率の問題、ね。それにて率先して引っ張ってくれる人がいたら楽、でしょ。

 

 アンは本の一文を引用しながら、話に興味をもったルフィにも分かるように噛み砕いた。

 

 「指導者に求められるのは、全ての責任を負う事。生も死も、別れや罪も。仲間が背負った荷物の半分を背負う。だから指導者が支配者でいられるのね」

 「じゃあおれが守ってやるよ! アンもエースも、サボも! おれは何も出来ねェから、助けて貰ってる。だからおれがみんなを守るんだ!」

 

 にしししし。

 ルフィが胸を張って笑う。

 「おれ達の半分は重いぞ、ルフィ?」

 おれがそう言えば、

 「バーカ、まだお前は守られてろよ。兄ちゃん達がいる間はな、任せとけ」

 エースが自信に満ちた笑みで、弟の額を突く。

 「その前にちゃんと体、拭いて火にあたろうね」

 アンはルフィの髪を拭き始めた。

 

 そして小さな声で、貴族の人達が早く気付ければいいのだけれど。この国が、本当に終わってしまう前に。

 緑の向こう側にある、青を見て言った。

 まだ貴族の生まれだって話す前のことだ。

 知ってたんだろうな。エースやルフィみたいに驚いてもなかったしさ。

 あの時もただ、頷いてくれた。

 おれに貴族の中に戻らざるを得なくなっても、頑張れば中から変えて行くことも出来るんじゃないかって教えてくれてたんじゃないかって思う。

 

 けど、アン、もう駄目なんだ。

 ステリーもおれの事もゴミ人とか臭ェとか、抵抗も無くさらっと使ってる。貴族っていう毒に侵されてんだ。

 分かっちゃいない。貴族なんて壁の内側の、誰かに守って貰わなきゃ生きていけねェくらい、弱っちいのにさ。

 高町でふんぞり返ってる方が、偉いだなんて、笑っちまう。

 しかも今の生活が永遠に、ずっと永続的に続くと信じて疑っちゃいないんだ。

 東の海(イーストブルー)が比較的安全だと言っても、いつ均衡が崩れるか分からないのにな。

 一度この国は、滅びるべきなんだ。

 戦争がどんなに悲惨か、アンが語った話は、冷や汗が出るくらいに怖かった。あっちゃいけねェって思った。

 けどもう、だめだって思うんだ。遅すぎた。

 なんでおれは、貴族になんて生まれちまったんだろう。お前らに会えて、おれはより強く思うようになった。

 

 高町をそっと抜け出す。外からの侵入は難しいけど、内から外に出るのは意外と簡単なんだ。

 おれは端町ににある守備の詰め所へと向かう。

 窓のあっち側じゃ軍隊の奴らがブルージャムを使って、油と爆薬を配置している最中だと言う話をしていた。

 おれは声を必死にかみ殺す。

 壁の外には、命が生きてるんだ。過酷な場所だけど、生まれてるんだ。

 王侯貴族こそが、生かされてるって言うのに、感違いもここまでいけば立派だよな。

 どうする? どうすればいい?

 

 木と壁をよじ登り部屋に戻って一夜を明かしても、高町は静かだった。ただ風が強い。火が放たれたら全てが燃えきるまで止まらないだろう。

 家庭教師が休憩に入ったところで、おれは家を抜け出す。そして高町を歩く何人かに声をかけてみた。

 「そんな事はみな知っているが、それがどうしたのかね?」

 「可燃ごみの日でしたわね。しっかりと窓を閉めて用心しませんと。ゴミが部屋の中に入って来てしまいますもの。汚らしい…思い出させて下さってありがとう」

 「それは皆が黙認すべき事だ。もし高町以外の誰かに漏れたらどうするのかね。我々は特別なのだ。君も貴族の子なら自覚を持ちなさい」

 

 おれは愕然とする。

 分かってはいた。けど、ほんのひとりでも、酷い事をする。

 そんな言葉が出ないか、期待してたんだ。

 

 誰も彼もが知っていた。

 おれは心のどこかで、やっぱりそうか。とも思ったんだ。

 この町は、ここで住んでいるヤツらはみんな、これから大勢の人が死ぬと分かっているのに、何事も無く飯を食い、勉強しろという。

 国があるのは当たり前。家があるのは当たり前。飯も温かな作りたてが出て来て、食べさせて貰えるのが当たり前。

 当たり前が崩れると、ぎゃんぎゃんと喚き出す。当然の権利だと主張し出す。

 自分でやってる訳じゃない。

 全て、誰かがやってるんだ。

 

 価値観が全く、違う。すべきは富と名誉をより大きくする事で、この国に住む人々が快く生きていけるようにする、なんて考えちゃいない。自分さえよければ、いいんだ。

 すぐそこで火事が起こされる。

 それなのにどこか遠い世界の出来事のように語る。

 

 何が美しい国、だ。

 上手く隠しているだけじゃないか。表面だけを取り繕って、その実は黒くドロドロしている。

 綺麗な物だけを集め、雅やかな物だけを留め、少しでも傷つき壊れたら新しいものと取り変える。壁の内側は、それが当然だった。

 貴族だってそうだ。王族に見向きされなくなったら没落する。だから必死に取り入ろうとしていた。

 本当の強さってなんだろうな。おれは弱い。なにも、出来ない。悔しいけど、火事を止められないんだ。

 アンならどうする?

 お前はおれの知らないたくさんの事を知っている。

 どうすれば、いい?

 

 王国の中心に近づけば近づくほど、思考や言葉が自分以外の誰かを蔑ろにする。おれは知ってしまった。自分以外の誰かを思いやって、自分の得にならなくても、喜ぶ顔を見れば、それでいいっていう奴らを。

 おれはもう、ここじゃ生きていけない。生きていたくない。自由が欲しい。

 アン、ごめん。内側から変えるなんて無理だ。

 

 「家出少年を見つけたぞ!あそこだ!」

 

 くそっ、もう追手が来てやがる。おれが家の恥になるってなら、何故放っておかないんだ。養子も、ステリーもいるんだ。おれじゃなくてもいいはずだろ。なのにどうしておれに関わる!

 エース…ルフィ…アン…

 お前達だけでもいい。今日か明日、数日間でいい。ごみ山から逃げろ。

 この国の人間は、”汚点”という名の大虐殺を、焼き捨てる気なんだ。

 …頼む、死なないでくれ。

 


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