ONE PIECE~Two one~   作:環 円

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59-水の都

 東の海を出て3カ月と6日目の朝、アンはどうしたものかと海原を走る家と並行しつつ、刻み付けられたいくつもの大きな傷にため息をついた。新造では無かったがかなり頑丈に作られていて、譲ってもらえた時はエースとともに飛んで喜んだ船だ。とはいえ無茶な航海と航路を突き進みすぎたせいで、各所に傷を負っている。船大工の知識をあまり持っていないアンとしては、ここらで専門家の意見を聞いてみたいところではあった。ゆえに舵の行き先は水の都となっている。以前の船で補修の仕事を手伝っていたという手先の器用な乗組員(クルー)が居てくれたおかげで、エースが悪魔の実よりもたらされる力の向上の為、幾度となく燃やしかけた跡を残しながらもここまで辿り着くことが出来た。

 新世界までの行程はあと残すところ、シャボンディ諸島でコーティングをし、魚人島を経由、アラナダ海中流に乗ってニューポートミューズに向かうだけとなる。

 魚人島への道筋は一応、ジンベエに聞いていており、その通りに進めば海底一万メートルまで下ることが出来るはずだ。海中に潜るのは初めての経験だから、はっきり言って何が待ち構えているか分からない。アン単体であれば赤い土の大陸をまたいで行ったり来たりするほうが簡単であったため、実際に海の底に潜るのはこれが本当の初体験なのである。

 ただそこまで辿り着くことが出来れば、前半の海よりも多彩な気候が混ざり合う楽しいたのしい新世界を縦横無人に渡れる船が待っている。

 そう、トムが約束を守りふたりのためだけに作られ産声を上げた船が今か今かと到着を待ちわびているのだ。

 

 …トムさんに迎えに来て貰うのは最終手段、か。

 迷わずに行けるかどうか、かなり危うい予感がひしひしとするのだ。海の中にも海流があり、普通に路が見えるというがそれはジンベエが魚人だからではないかと実は疑っていた。人間に泡の流れで潮を感知しろなど、かなり高度な技術すぎるのではないだろうかとおもうのだ。

 アンはそっと息をつく。確かな筋からスパンダムが、おのれはトムのストーカーかと叫びたくなるほどの執着を見せ、かなりしつこく、いまだにトムの行方を探していると人伝に聞いていたからだ。意中の人物が在住する島は新世界の中にあって、特に岩礁が多い地域に位置している。小型船が近づけば海獣により駆逐され、大きな船で近付こうものなら、海王類の餌食になる、そんな場所にあった。しかもあと数時間で到着する水の都さながら、トムを中心に船大工を輩出する拠点となっており、棟梁を守る布陣は強固だった。だからただのCPのメンバーが例え出向いたとしても簡単には辿りつけないし、仮に島に入りこめたとしても島の住民全員が顔見知りであるため四方八方から尋問が行われるのは目に見えている。そしてさらに世界政府関係者だと知れれば、手足があちこちから出てめっためたにされると断言できる。とはいえその絶対的な防御態勢も、あの島にいてもらってこその効果だ。

 この船にはひとりだけ魚人が船員として乗っているがしかし、彼はちょっとした方向音痴なのだ。海中限定で。船を目視できる距離であれば戻ってくることができるが、そうでなければすぐに行方不明になってしまう。彼には道案内を頼めない。

 誰か案内人をかって出てくれるやさしい誰かが現れてくれないだろうかと切に願うばかりだ。

 

 と、それよりも前にウォーターセブンから魚人島へ向かうには、楽園最後の難関と言われている魔の三角地帯を通り抜けなければならなかった。

 今月は20隻、既に行方不明になっているという。

 誰の仕業であるのか、考えればすぐに解る。

 そう、王下七武海のひとりであるゲッコー・モリアだ。以前、義祖父とセンゴクになんとか頼みこんで1日だけ休暇を得た際に、彼の本拠地へくまに連れて行って貰ったことがある。

 その際。悪魔の実の力でゾンビ化されていた、彼の手下は基本的に塩に弱いと解り、海水を彼の居城にぶちまけてやったのは、今は良い思い出となっている。

 だがアンが海軍から去り、気が緩んでいるのだろう。

 あの時は海水を掴んでくまに飛ばして貰う手法をとったが、今は海水をそのまま城内に転移させる事も出来る。

 「そろそろ再びのお仕置きの時間かな」

 封じられた魂が青の空に登っていく様は、壮観だった。

 1年前は海兵だけの解放だったが、今はもう、アンを縛る軍機はない。

 甲板に戻り仄暗い何かを立ち上らせるアンに、エースはほどほどにと伸びた黒をぽんぽんと撫でた。

 

 そんなこんなで水の都である。

 町の頂きに噴水を有する造船の町、ウォーターセブンの全容を眺めた乗組員たちの息も荒くなっていた。この町の名は海列車が走り、政府からの受注による恩恵が産業都市として再び名を轟かせるまでになっている。

 5年前から始まった、シフト駅での悪い意味で名物となっているヨコヅナの体当たりを阻止し、駅員をしているココロと数日後に会う約束を取り交わした船は1と2番ドッグの間にある岬へと錨を下げた。

 町の真正面、正面玄関には海列車の駅がある。その左右に、それぞれのドックに入る水門があるのだが、海賊旗を掲げた船が堂々と入る訳にはいかなかった。なぜならここには数年前から小規模ではあるが、海兵が駐留しているからだ。

 あまり知られてはいないが、ここウォータセブンは特例的に世界政府へ加盟する国々の中に名を連ねている。海軍が使う戦艦の製造を一手に引き受けているこの町は戦略上重要拠点として、赤い土の大陸(レッドライン)を中心線に黄色、青といったふうに、円形に区切られた中の赤点(レッドポイント)として守られているのだ。

 

 この世界の船は木造が基本である。

 しかも赤い土の大陸を除けば、残る世界のほぼ全てが海という立地である為、船という足がいかに必要不可欠であるかは語る必要すらないだろう。

 

 蒸気船もあるにはあるが、統一した規格が未だに無いため作り手も困ってしまうのだろう、あまり作られてはいない。

 時々、物好きが造船所に頼みこんで作らせるくらいだろうか。木造船は基本、竜骨という家で言う大黒柱を組んでから周囲を形作った。太さや木材の曲(くせ)や重さなど職人が長年培ってきた経験則の中で荷重のバランスを取りながら建造する。

 しかし鉄の船は全てをゼロから作る事が可能だ。しかし世界に統一した規格が存在しない為、それぞれの鉄工所が作った素材を組み合わせて作るしかない。

 結果、戦艦などの湾曲を描く船を作った場合、大砲を撃てば反動を受け止めきれずその反対側の海へそのままひっくり返るという笑い話ができあがってしまうのだ。

 木造艦だが実際に進水式で祝砲を撃ち、沈没してしまったスウェーデン籍軍艦"ワサ"がある。二層式ガレオンで、1200総トン、砲60門を積んだ肝入りの船だったが、あっけなく横ばいに沈んでしまった。

 

 「さて、わたしは見積もりして貰う為にガレーラに行ってくるね」

 半舷上陸の人員を決め、先発組の中に紛れ込んだアンはさくらを抱いて船舷に乗る。

 この町の情報は既に、良く知るアンから副船長であるツヴァイに伝えられていた。

 どこに市場があるのか、水路が縦横無尽に流れる都市の移動方法、そしてエースの腹をたっぷりと満たしてなおかつお値打ちな飯場などなどだ。

 後援を受けているとある場所からの定期収入を受け取るための窓口も、ツヴァイは知っている。

 

 身バレしないようにと男装したアンは、ひとつにまとめた髪をキャスケットの中に隠していた。いつもとは違う服装に、エースだけでは無く、船に乗る誰もが違和感を感じていたが、あえて誰も口に出さない。

 似合ってはいるものの、わざわざそんな恰好をする必要があるのか、と思う訳だ。

 アン曰く、今日は探偵ホームズ風、とのこと。なにがどう探偵ホームズなるものなのか乗組員達は全く解らなかったが、本人がご満悦なのだから良いのだろう。

 この船にはどんな力をもねじ伏せる両雄がいる。

 賞金稼ぎが群れをなしてやってきたとしても、例え海軍が大砲を持ち出して至近距離で打ち出したとしても、ふたりは傷ひとつ負わないだろう。

 

 そしてその変装の被害者となったのはさくらだ。

 幼さも手伝って性別を区別するのが難しくはあるのは確かだった。

 しかし今日は髪をツインテールに、赤と白のチェックリボンでまとめられ、フリルチェニックにふわふわのラッフルスカートを穿かされている。どこからどう見ても、今日のさくらは女の子にしか見えない。

 アンをひとりで行かせる事にエースは眉を寄せる。何か事を起こしそうな嫌な予感がしたのだ。こういう時の予感は、大抵、あたる。

 「おれも行く」

 「…諦めてください、船長。造船所は火気厳禁なんです」

 「だけどっ」

 それに金銭の受けとりもありますし、船長が居て下さらないと。

 ツヴァイにダメ押しをされ、エースは渋々買い出しについて行く事になった。

 「本っ当に大丈夫なんだろうな」

 「うん、何かあったらすぐに知らせるから大丈夫だよ」

 にこにこと笑顔を浮かべるアンに、どうしても納得がいかないエースが何度も念を押す。

 

 アンはブル乗り場に向かう仲間達の背を見送ると、船に残るメンバーに後を頼み、姿を消す。次の瞬間、像を結んだ場所は造船島、中心街にあるガレーラカンパニー本社の一室だった。

 「こんにちは、アイスさん。お邪魔します」

 突然降って沸いたような出現に、その部屋に居た人物達は揃って動きを止める。

 さくらを床に下ろし、部屋を見れば世界政府の標を胸に縫い付けた人物があんぐりとこちらを見て口を開いていた。

 「ああ、たしか…ダックス」と、お付きのAとB。

 「ゴーギーだっ」

 

 そうそう、確かそういう名前だったとアンは手のひらをぽんと打つ。

 「ンマー、いつも通り突然だな」

 にこやかに照れたように笑うアンの横手より、くぐもった咳払いが発せられる。

 お前は一体誰だ、と無言の問責を視線だけで示唆していた。もしも世界政府役人である自分よりも劣る身分であるならばどうなるかわかっているのだろうな。

 そんな意味も含まれていた。

 

 コーギーはきっと、海兵の姿をしたアンであればそそくさと直ぐに退席しただろう。

 なぜなら聖地でも何度かすれ違った事があり、一般的に見知られている姿はそちらの方が断然多いからだ。

 ここで名乗るのは容易いが、後々、説明するのが面倒なのでやめることにした。今現在、どういい訳をしようが、アンが乗っている船は紛れもなく海賊船に分類される。世界政府の役人とは穏便に事を荒立てないほうが良いと判断した。

 あの夜、老人たちからの誘いを蹴り束縛を否定した後、彼らが下した結論をアンは知らない。次の月が満ちた日に、デイハルドから何かしらの言葉は聞けるだろうが、言質を得るまでは楽天的に考えないでいた方が賢明だろう。

 

 と、なれば。

 「アイスさん、今度、このダックスさんから小言聞いてあげてね」

 アンは世界政府の役人3名が座るソファーの後ろ側に周り、その背をリズミカルにとん、とん、とん、と触れる。

 その瞬間、そこに居たはずの姿が順番に消えてしまった。

 「……」

 ぱんぱんと手を叩き、

 「タネも仕掛けもありません!」

 「あっても教えてはくれんだろう、アン」

 説明する気が皆無である友人に、アイスバーグは片眉を寄せた。

 

 そうでもないんだよ。

 アイスバーグは久々に姿を見せた友人に苦笑を洩らす。

 「ンマー、息災でなによりだ」

 「アイスさんこそ」

 アンは小さなレディ、さくらを紹介しつつ単刀直入に用件を申し入れる。

 「それは構わないが、焼け残りの跡がどれほどかによるな」

 

 船の状況を一度見てみない事には判断は出来ないと言う。

 魚人島を通り、向こう側に居る師匠の元まで船を渡らせる。アイスバーグにとってみれば、自分の手仕事を向こう岸にいるトムに見てもらう絶好の機会でもあった。

 それを知ってか知らずか。

 ここウォータセブンは世界政府からも受注する世界有数の造船所だ。同時に修理も、たとえ誰であろうとも船の保持者から依頼されたなら職人として受ける。だがアンは毎年のごとく生まれてくる、世間を賑わせる今年度の新人の船に乗っていた。彼女は海賊ではないとなんどもむくれていたが、世間では政府の旗を掲げてない限りその他すべてを海賊と称している。

 世界政府からの追求はいまだに続いている。彼女に手を貸せば、相手に良い名目も与えてしまうが致し方ない。友からの依頼は、損得関係なしに受けると決めていたからだ。

 元海兵とはいえ本社に直接、しかも市長となったかなり多忙なアイスバーグに今、持ちこんで来れる剛毅さと強運に、声を大にして笑いたくなってくる。ちょうどぽっかりと市長としての仕事が捌けたところだったのだ。

 

久しぶりの会話は弾む。

しかも話を重ねるほどに、海軍で在席していた時よりもゆったりと落ち着いているような気がした。ちまたには海賊と名乗るものがあふれる世の中だ。海軍が人々に求められているという証でもあるのだろうが、世知辛くおもえる。

 

 ある程度の近況を話し終えれば、実は、と船長である双子のエースも後ほど挨拶に来たがっているのだという。ただメラメラの実の能力者であるため、交渉の席は遠慮させてもらったこと。船長という責任ある立場となっているが、基本的に年頃の青少年である。船の工場である工廠に立ち入れば興奮して何かを燃やす可能性もあるのだがお邪魔しても良いだろうか、など事前相談でもあった。

 アイスバーグの答えは「構わない、」だった。

 造船所という場所にめちゃくちゃ興味があるらしく、(これは紛れもなくサボの影響だろうとアンは確信している)エースが聞けば喜ぶと言いながら、

 「ある程度のお金もちゃんと用意してるの」

 「生意気だぞ。お前から金を取ってみろ。後が怖い」

 「うわー、なにそれちょっとひどい」

 頬を膨らませるアンにアイスバーグは、ここ数年の出来事を語って聞かせる。若手だが"行程職"に腕が確かな青年が入った、とかフランキーが戻って来ている、などを簡潔に教えた。その若手に船の具合を見て来て貰うと電伝虫を手にすれば、ドアがノックされ、ひとりの女性が入ってくる。

 「そろそろ終了のお時間だと…あら、アン。お久しぶりね」

 瞬間、アンは返答に窮した。

 そこはやっぱり初対面を取り繕うのがお仕事なのではなかろうかと突っ込みそうになったのは秘密である。

 「うん、お久しぶり」

  アンの横を通りすぎ、アイスバーグの秘書であるカリファが何枚かの書類を机の上に置いた。

 それはこの水の都、ウォータセブンの市長としての仕事内容に関わるものだ。

 アンには分からない内容を、ふたりが幾度か取り交わし紙上にサインを描く。

 ふとアイスバーグが知人であるらしいカリファに速攻身バレしてしまい、ふてくされてソファに寝ころんでいたアンを見ると、紹介された幼子の姿がどこにも無い事に気づいた。

 「あ、うん、さくらは大丈夫」

 ちょっとそこらへん、散歩してるんじゃないかな。

 初めて訪れる町で気軽に散歩出来るものではないが、船のみんなも買い出しでここら辺にまで上がってきているはずだから、姿を見かけたら合流するだろう。そう言われてしまえば、それ以上の追及は出来ない。

 「では査定の件は伝えておきます」

 「ンマー、いい。今からドックに行くから直接伝えよう」

 お前も来るか、と言われアンは頷き起きあがる。

 

 久しぶりと心の中で思いながら、口にする言葉は初めまして、だった。なにを目的としてここにきているのか、アイスバーグにばれてもよいのだろうかと。機密保持などくそったれだとおもわしき状況に口元がやや引きつり気味なのは勘弁してほしい。

 黒の瞳の中に映るその男は、ただ無表情に自分を見下ろしている。

 世界屈指の造船技術者の元には、日々弟子入りを求めるもの達が門戸を叩いていた。

 アンが見上げている男もそのひとりで、まだ2年と年数は浅いものの、手にした技術は職長が太鼓判を押す程だと言う。

 「カクが戻ってくるまで暫くお待ちください」

 ところでアイスバーグさん、これからの予定ですが。

 カリファがアイスバーグの、市長として、ガレーラの社長としての予定を羅列しながら、時間の調整を取ってゆく様子を横眼で見つつ、飛び出して行ったカクが向かった先に視線を投げる。

 岩場の岬では、留守番をしている仲間達が思い思いの場所でゆったりと過ごしているはずだ。カクであれば往復で30分ほどだろう。査定にかかる時間を10分と見繕っても、往復時間が20分もあれば彼には軽い。

 

 「やあ、ルッチ。似合ってるじゃない」

 「………」

 ここでも無口な男として通っているらしく、会話を担当するのはもっぱらハットリだ。

 「お前が除隊したと聞いた時は、驚いた」

 静かな声が降ってくる。

 「まあいろいろと。あるんだよ」

 ジャブラが血相を変えて、ブルーノのところに掛け込んで来てな。

 アンは淡々と話すルッチにくすくすと笑む。

 狼男の彼とも数度、仕事を一緒にした事があった。良くも悪くも熱い男で、人を煽るのを得意としている。だが思いがけないところで優しかったり、状況把握に優れもしもの時の状況判断も悪くなかった。

 木槌が打ち鳴らされ、かんなが木を削る音に瞼を下ろしてふたつ目の音を拾う。

 周囲にはこの会話は聞こえてはいない。言葉の中に語彙を挟み、二重の音を発しているのだ。初めてこの技術を聞いた時にはさっぱり意味不明だったのだが、おつるの元に居た時、1年間必死に聞き取りと舌の動かし方を練習した。

 「…聞いたのか」

 「ん、ああ、まだ。次に月が満ちた時に聞けるのかな」

 朗報が。

 ルッチを見上げ、アンは笑む。

 その唇に、そっと己がモノを落とし、ルッチは口角を上げる。

 「楽しみにしているといい」と。

 

 

 岬に泊められていた船は職人の言によりなんとか修理可能とされ、ドックへ移動することとなった。

 残っていた船員たちに訪れたカク、という人物から空いている2番へ入るように言伝(ことづて)を受けたのだ。出かけている船長が戻った際に動かして貰えればいいとも、添えられている。

 船の作りにはあまり詳しくない船員に、分かりやすいようカクは説明した。

 そのおかげでなんとか、幾つかの文言は漏れているだろうが、伝える役目を果たせそうなくらいの理解力はつける事が出来ている。

 

 「おーい、おっさんがいねぇから簡単な昼飯だけど、達者なヤツが作ってくれたぞ。見張り替わるから食べて来いよ」

 

 それはありがたい。

 見張り台に立っていた男がするするとロープを伝って下りてくる。

 甲板や船首、船尾に立っていた男達も腹減ったぁ、と船室へと入っていった。

 入れ替わりに出てきた男達は4手に分かれて、見張りにつく。

 

 海風が陸に吹き上げる。

 町の頂きにある噴水の影響か、この島は珍しく島から海へと流れる風の方が強かった。

 安定した気候である事も要因なのだろうが、船員達は珍しい風に、さすが偉大なる航路と妙に納得した。

 エースが船長を務める、このスペード団に属する者達は偉大なる航路(グランドライン)の様々な場所で乗り込んだ烏合の衆だった。寄せ集めだからと言って、統率が取れていない訳ではない。数多ある海賊船と比べるべくもなく、船長の事を大切に思いその盾となる事も厭わない、それが全員に共通する意志と決意だ。

 おれがこんな檻から連れ出してやると連れ出された者、恐怖で縛られていた船から連れて行って欲しいと懇願した者、気付けばここにいたという者もいる。

 この船の中には、束縛が無い。

 航海に必要な、それぞれの役目は確かにあったが、れ以外、強制されるなにかは存在していなかった。

 個人の自由が認められているのだ。

 かつてここの船では無い場所で生活したことがある者は、下っ端が個室に3名集っただけで、その者らは殺されてしまうと言った。それは船内で何事かを謀っている、そう船長や幹部達に判断されるからなのだそうだ。

 しかしこの船では少なくとも、エースはすべての船員へ信用している、そう言葉していた。

 「信じなきゃ、同じ船に乗れねぇだろ。なんかおれ、間違ってること言ってるか」

 ここは海賊である意味を、噛みしめる事が出来る場所だった。

 他の船に乗った事のある誰もが雲泥の差を感じるほどに、船長は自由を理解し、日々の中で己に課した義務を果たしていた。

 時に突拍子もない行動を起こし、突っ込みを入れられているのも愛嬌だ。

 船長の求めるなにかに随行する。

 いつしかそれぞれの目的の中に、自然と船長ありきが浸透していた。

 

 そしてもうひとり、忘れてはならないのは船長の双生である存在だろう。

 この人物も癖の強い、船員達をはらはらとさせるトラブルメーカーである。

 

 そんなうららかな昼下がり。

 ただいまー。といつも通りほのぼのとした調子で船に帰ってきたアンの声に、船員達がいつものようにおかえりなさい、と返した直後、幾人が衣類を血まみれにしていたその姿に驚きの声を上げた。

 着ていたブラウスにはべったりと、朱が色づき、滲んでいる。

 「何があったんですか!」

 「喧嘩を売った奴らは無事ですかい」

 「心配すんのは相手かよ」

 

 そんなやり取りをしつつ、ほほ笑みを崩さないアンに、わらわらと集まってくる。

 アンと敵対して、無事に帰還出来る存在は片手で足りるほどしかいないであろうことは共に過ごしてきた日々で理解していた。

 船に残っていた者達が手のひらを負傷し、気絶したさくらを連れ帰ったアンの元へ集う。小さな体を受け取った船員がどこかに怪我が無いかと、衣類を脱がし始めるのを止める間も無く絶叫が放たれた。

 「ちょ、さくら女…?! 男、だよな。でもなんであるんだ」

 「こいつマジか」

 「初めて見た……」

 

 アンも初めて見た時は吃驚した。話には聞いたことがあったが、よもや遭遇するとは思いもしなかったというのが本音である。

 世界が違っても種としてはウン万という個体数を誇る人が居るならば、ひとりやふたり、存在していたとしても不思議は無いがこちらの世界では天文学的数字を叩き出すに違いない。

 そう、さくらは両性具有体だった。

 最近は色を売る島に寄っていなかったのが原因か。ふっくらと膨らみ始めた胸を、男達が頬を染めて見ている。

 

 

 「はいはい、そこ、さくらをガン見しない。どこでもいいから血が付いた服を着替えさせて寝かせてあげて」

 指示を出すアンの声に、生返事を返した船員が視線を泳がしながら船内へと入ってゆく。

 「あんたは動かない」

 「はい」

 がっしりと手首を握りしめられ、アンは身を固くする。

 留まっていた船医が知らせを受けて慌てて飛び出して来、大丈夫だと言い張るその手を見れば、深い切り傷が数本、骨には達していないが出血を続けるそれに、処置を行い始める。

 「船長が見たらこの船を燃やしかねないですぜ」

 折角修理して貰えるというのに。

 「大丈夫だよ。たぶん」

 にへらとこの人が笑む時ほど、大丈夫という言葉があてにならないと誰もが経験していた。

 傷が癒着しやすいように手のひらをボールを受け止める形に固定させ、船医はぐるぐるときつめに包帯を巻く。

 「絶対に激しい運動は禁止です。いいですね」

 「善処します」

 

 いくらダメと言われた所で、約束できない事柄には頷くことが出来ない。

 だから善処、に留める。

 エースには既に、怪我を負った瞬間に、アンの身に何が起きたのか理解したはずだ。

 そして町中で発火しそうになっている。こういう時、繋がっている不便さを感じる事がままあった。

 普通に生活している分には別にばれて困るような事柄は無いが、理由ある悪だくみをしている時はほんの少しだけ面倒だとは思う。けれど繋がっているこの感覚が消失したらしたで世界が終ってしまうかのような喪失感に見舞われるのだろう。

 

 エースに内緒で進めていたとある計画に関しても、問い詰められるのは必死だ。

 ツヴァイが必死にエースをなだめている様子が手に取るように伝わってくる。

 離れていても会話可能であるのに何も言ってこないのは、面と向かって喧嘩する気満々なのだ。たまには力の限りぶつかるのも悪くは無い。

 

 血が付いていた服を脱ぎ、怪我をした掌に気を付けながら水で体を洗い流した後、いつものゆったりとした衣服に着替えてから甲板に出た。

 空は青く、太陽が輝く空には雲ひとつない。航海中であれば、数日前のようにうとうととまどろんでいたい陽気だ。

 

 アンは仲間にカクからの伝言を聞きながら、エースとの対話をどうしようかなぁ、とまるで他人事のように青を見上げた。

 


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