ONE PIECE~Two one~   作:環 円

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53-悪魔の実

 同行者が増えた。

 水平線から太陽が上がる朝焼けのとき、東の海では初観測になるのではないだろうか。空が七色に輝くという話にだけは聞いていた珍しい現象を見ることも出来、今日はなんだけ良いことが起きそうだとおもっていた日のことだ。

 拾い上げて2日経つが、まだ一言も声を発してはいない。どうしてあんな場所、コノミ諸島の沖合で漂流していたのかも聞けず仕舞いだ。能力者であることは海水に浸っている時点で見慣れた、脱力しているさまで分かったものの声帯を痛めて話せないという訳でもなさそうで、とりあえず陸地に着くまではこのままで行こう、という事になった。

 やろうとおもえば思考を読むこともできる。だがのべつまくなしに誰も彼もの考えを覗くのはあまりよろしくは無い。もし拾った少年が牙を剥いたならば、海に落とすかアンの血を振りかければすむ、として放置となった。能力者に対しどうすれば対峙できるのかを知っていれば、どんな力を隠し持っていたとしてもなんとかなるのだ。

 船は海峡を抜け、アーロンパークがある島を左手に見ながらローグタウンへ向かう海流に乗っているはずである。しかし行けどもいけども島影のひとつ見えてこない。東西南北に区切られた4つの海にはそれぞれ大きく流れる渦がたまにではあるが生まれる。その渦巻きに乗ってしまったのだろうかとアンは眉を寄せた。もしそうならこの小さな船では脱出不可である。切れ目があればそこから出ることも出来るだろうが、探すのは大変だった。十二分に食料を積んだはずだったのだが、どうやら目測を誤ってしまったようだ。

 

 そして残念ながら魚人からの襲撃も受けてはいない。

 来てくれたならば位置の確認にもなるというのに、下っ端のひとりすら水面ならびに水中ですれ違わないとはどういうことなのだろう。

 待ち構えているのがいけなかったのだろうか。

 

 物騒な話題になるが、幹部のひとりくらいは引っ張り出したいなと話していたのだ。アンが海軍に在った頃は癒着によって守られていたがしかし、出奔した現在となれば関係など無い。来たならばここ数日分の運動不足を解消がてらに、と手薬煉(てぐすね)引いていたのである。

 だが今のところ現れてくれてはいない。

 

 小さな舟だから見逃してくれた、とも考えられなかった。なぜならあの島にいる魚人たちは支配下に置いていない見知らぬ人間を見かければとりあえず、殺しておくか、という思考の集団だ。

 この周辺を治安するコノミ諸島にある海軍支部の責任者と、アーロンが繋がっているという噂も聞いている。そっちの対応をしても良かったのだが、わざわざ会いに行ってやるのも面倒だったし、どうせ狩っても首が挿げ変わるだけである。

 少女の事は気になってはいたが、夢の内容を信じるならばここは弟の狩り場だ。しかもまだ、機も熟してはいない。

 

 こちらからはあえて手出しせず、もしあちら側から攻撃意志を発したならば。

 壊滅するまで全てを破壊しつくす、と結論した。

 アーロン率いる一団も海賊と自称しているのだから、それなりの腹を決めているだろう。

 

 はっきり言ってアーロンという小物に関してはどうにでもなろう。差しさわりの無い脅威よりも、アンは眼前の状況に頭を痛めていた。

 搭乗者がひとり増え、食事量も当初予定していた分量より2倍近くとなっている。当たり前に分かっていたことだが、考えが甘かったと言わざるを得ない。

 航海に出てから、日々悩むのは食事事情だった。

 島引き伝説が残る巨人族のオーズのように、船に島を括りつけて航海出来ればどれだけ楽だろう。

 それくらい貧窮していた。

 

 これはやばい。

 エースの胃が空腹で爆発しない内に食糧調達をしなければ、この船に乗り込んでいる3名ともの命が危険に晒される。

 5日前に運良く商船と出会い食料を分けて貰ってから全く、船影すら影形が水平線にかすりもしなかった。水だけが豊富であることだけが救いだろうか。

 

 男ふたりは、船上であってもよく食べよく眠った。

 エースとは夜の見張りと進路の保持を分担し、名も知らぬ少年には昼間に帆の番をして貰っている。動く手があるならば使う。身元が分からなくても、名前を名乗らなくても人手が足りないこの船に乗る限りは『働かざる者食うべからず』なのだ。

 

 ゆったりとした船旅ではあるが、食糧事情において切実な日々を過ごすアンは本格的に30名程が乗れる船とそれぞれの役割分担が出来る仲間の必要性を感じていた。ひとり増えただけでこんなにも切迫するのである。余剰が乗せられる食料庫の取得が課題となった。そして大きな船を手に入れたとしても、たったふたりでは動かせない。人が必要だった。

 だがどこでどうやって船を調達するのか、乗組員を募集するにしても、どのようにして誘うのか。これもまた頭を痛ませる。

 地図上に現存する村や町で「海賊になりませんか」と聞いたところで答えはNO、に決まっている。ゴール・D・ロジャーが死の間際に言い残した台詞の真意を求めて海へ漕ぎ出した多くが行き着く先は夢半ばで息絶えるか、インペルダウンへ幽閉されるか、テキーラウルフで労働に当てられるか、である。悪名を轟かせる海賊たちはいわばエリートと言っても過言ではない。荒波に揉まれ幸運にも生き残ったごく一部が勢力を確立し、世界の一翼を作り上げている。

 

 アンは一般市民に声をかけ、船旅に同乗させるのは最後の手段にしたいと思っていた。

 怖いもの見たさの一時的な興味で踏み込んで良い裏道では無いからだ。

 弟のように憧れから確固とした、目的を見出した人物ならば誘いの手を掛けたいと思う。そして性根を叩きなおすのだ。だが航海の危険性を知り、命の覚悟までもが出来ている人物は遠慮したかった。

 海でしか生きていけない、八方塞でもうどうにもならず、失望の中で明日が見えない。出来ればそういった人材がいい。生きる目的や差し出された望みに飛びついてくれる存在が。ついでに航海に必要な技能を持っていれば言う事無しだ。

 

 かつてシャンクスがルフィに語っていた言葉が重く感じる。

 海への誘いはその人物の命を背負うことと同意義だからだ。

 今まで己を確立させてきた一切を捨てられなければ、安易に海賊という身分に落ちるべきではない。なぜならしょせんは賊、だからだ。確かに力ある海賊によって和平が保たれている場所もある。あるが多くの地域は平安よりも苦難と辛酸のほうが多く、かりそめの平和の裏で涙を飲み続けている闇の方が濃いのだ。

 

 人間は善だけの存在ではない。道徳的に善きことだけで生きていければすべてが平等であろう。

 だがそんな世界を探してみたところで、ないものは無いのである。あればあったで気持ち悪いとおもうだろう。

 なぜならば善き世界には、向上心とか、願望とか、憧憬、野心、大志など先に進もうとする想いが、きっと、ない。ただそこにあるものに満足し、ゆるやかに衰退し消えてゆく世界だとアンはおもう。

 

 欲望を知らぬその世界の人々は、それはそれで幸せなのだろう、とも考えられた。

 だがことわざにもあるとおり、この世界の多くは『足ること』を知らない。もっともっとと手を伸ばす。

 悪いことではない。人間らしい感情だ。ただ少々、やりすぎの感はあった。

 

 海兵の汚職があったとしても、海賊からの被害を考えればまだましだと諦めにも似た許容があるのもそこら辺が影響している。おつるの下へ配属されていた頃に、いくつも監査を入れ人事の置き換えも行い、少しはマシになってはきているはずだが、大きな組織のため時間がかかるのが問題点だった。

 

 エースの気性からして一度、受け入れた仲間を決して見捨てはしないだろう。

 その背は受け入れた者達を守り、時には壁となって命を救おうとする。

 だから同じ船に乗り込む誰かを探すのならば、エースに命を託しながらも、決して己の命を粗末にしない者達であって欲しい。

 

 さて、エースはこの問題をどうするつもりなのだろう。アンとして最終判断は全て、エースに任せるつもりにしていた。助言する人物は多いに越したことは無いが、決断する人物はたったひとりでいい。

 アンは広く浅く、出来るだけ広範囲に見聞色を展開し人の声を探す。

 「おれも一緒に探す。そうすれば、早い」

 目を閉じ集中していた耳元で声が囁かれ、そこにエースが相乗りしてきた。

 アンが伸ばした範囲の、その向こうへと詮索の手が伸びる。

 ほんの数秒後、見つけた、と位置を把握したエースが笑みを浮かべ、視線をその方向へと投げた。

 

 「ありがとうエース、助かった」

 「なあに、たいしたことはしてないさ」

 

 お前が伸ばした足場があったから、出来たんだしな。

 にしし、と笑い広げた海図で現在地と目的地、そして見つけた船の位置を並べ、風と潮の流れを考えて船首の向きを変える。

 

 そんな賑やかしいふたりの会話を少年は唖然としながら聞いていた。

 島影もなく方位磁石が指し示す方向だけを手がかりに海図を引くという作業が、どれだけ難しいのかを身を持って教えられたからだ。

 少年はとある人物に陸だけでなく海の上で生きていく術をも叩き込まれた。北の海で名を轟かせるとある集団の長として立つ男が少年を家族のひとりとして迎え入れたからだ。

 

 ふたりは兄弟なのだと言う。どちらが年長であるかは問題でないらしい。普通は先に生まれた方が兄、姉と呼ばれるものだが、同時に生まれたとしても序列が生まれる。だが両者に関しては全くの対等とした存在同士に見えた。お互いがお互いを認め合っている。

 少年の脳裏に浮かんだのはかつての大人たちだった。体を蝕んでゆく白の恐怖によって固まり、砕けたとおもっていた心を溶かしてくれた恩人のその兄を長とした集団の。

 

 拾われた海は東であった。

 

 北にいたはずなのに、どうして。

 疑問を少年は閉ざした。このふたりが味方であるとは限らない。それよりも敵である確率の方が高い。

 双子であるというふたりは少年に名前こそ尋ねてきたが、出身や漂流していた理由などは全く聞いて来なかった。どこか陸が見えたなら、もしくは海軍と出会ったならば、連絡を付けるか、もしくはそちらへ乗り移るように言われただけだ。海軍ならばいくつかの事情聴取は受けるだろうが基本的に漂流者であれば故郷に移送してくれる。

 

 海賊ではないらしいが、賞金稼ぎでもないと言う。ならば海軍か。そう少年が訝しげにしていると航海者、だと胸を張って女が言った。すれば自称だと男が笑って額をはねた。仲の良い兄妹である。

 

 「はい、お水。そろそろ飲んで」

 コップに汲みいれた水が手渡される。本当は沸騰させたいところなんだけれど、と前置きされた水にはレモンを切り入れ、さわやかな酸味と香りで飲みやすくされていた。

 「エース、あと2、3時間くらいで接舷出来ると思う」

 「ああ、鉢合わせにならなきゃいいけどな」

 

 視線を交わし合い、女が溜息を重ねる。

 「"脱落組"だとは思う。だけど人数が結構、残ってる」

 偉大なる航路 (グランドライン)からの脱落組み。少年は耳を澄ませる。話には聞いたことがあった。

 引き波の関係で上手いことこちら側の海へ出て来られたのだろうが、かなり悲惨な状態になっているのは想像に難くないだろう。そう女が小さく告げる。東は4つある方角を示す海の中で最も程度が低い海だと聞いていた。生活水準や文化レベルではない。出現する海賊の強さである。賞金額ひとつとっても、他の海より4割程度低く見積もられているらしい。

 

 凪地帯(カームベルト)はその名の通り、風が吹かず海流の流れも緩やかな場所だ。しかし偉大なる航海(グランドライン)で時折起きる不規則な激流により、凪へ追いやられる事があった。そして大概の場合、その凪地帯で命を終える。小さな船であれば(かい)を使って漕げばいい。しかし大型の帆船ともなれば、かなり大きな動力がないと動かなくなる。しかも凪地帯は海王類の棲家だ。どんなに他を凌駕する力を持っていたとしても、自然の脅威には敵わない。

 

 少年は詰め寄る獲物の相談をしている双方を見た。海賊ではないと言っていたはずなのに、これから行なおうとしていることのどこが海賊ではないのか。

 でたらめだったのだろう。走り出しか。

 とはいえふたりの実力は未知数だ。何度も死にそうな目にあいながら鍛えられたとはいえ、あまりにも普通すぎて手が出せなかった。男が身につけているダガーを奪うなどたやすい。海賊であるならば殺したところで殺人に問われることもなかった。だがここは東の海であるという。少年が口にした実の力を最大限に引き出すために学ばなければならない知識はまだまだ山のようにある。

 

 命の恩人が、己の命をかけて生かしてくれた命だ。その恩に報い、心に決めた復讐を果たすまで死ぬわけにはいかなかった。

 お人よしにも助けてくれるとういならばせいぜい利用するまでだ。見知らぬ知識だけの海で、しかもまだ上手く能力を使いこなすこともできない。ならばこそだ。この兄妹はかなり腕に自信を持っているようだった。手並みを拝見させてもらおう。あのファミリー以上に使えるなにかを持っているならば奪わせてもらう。手段など選んでいられない。出来るだけ早く確実に経験を積んで強くならなくてはならない。そして果たすべき目的を速やかに行なうのだ。

 少年は静かに思考を終え、与えられた水をわずかに含む。すべては飲まない。沸騰消毒していない生水は毒と同じだ。少年は目を閉じる。

 

 

 

 アンは無意識に気配を殺した少年に小さく笑んだ。この少年は年齢の割になかなかに濃い人生を歩んでいるらしいことがわかったからだ。そしてこれから先の人生を、茨が生い茂る険しい道を選択して歩いてゆく苦難の相を持っていた。

 人は容易く妥協する生き物だ。頑張ったんだ、この辺でいいじゃないか。

 そう思い、頑張りを正当化しようとする。

 

 間違いではない。積み上げてきた努力はその人だけの経験値となる。

 だが忘れてはいないだろうか。生まれたての赤ん坊には失敗という概念が無い。できなくて恥ずかしいというおもいが無い。

 出来ないなら出来るまでし続ければいいのだ。そして何度も何百回と繰り返して立ち上がる。

 それがいつの頃からか、やり続けることがなぜか恥ずかしいことに変わる。やってもやっても成果が結ばない。そして焦る。周りがどんどん先に進むのに、自分だけが足踏みし進めない。だから諦める。安易に、逃げてしまう。

 しかし考えてみてほしい。成長すればするほど、目の前に差し出される問題が難しくなるのは当たり前の話だ。

 

 逃げたい気持ちがわからないわけではない。

 それは相対する人物に対してだったり、己の置かれた状況だったり、それらは様々だ。

 けれども自らの願いを貫き、どうあってもやり通すという気概を持つ人物は限られている。

 かつて多くの男達はロマンを追い求めて海へ漕ぎ出た。一般に荒くれ者、と呼ばれる者達だけではない。

 今でもそうだ。賞金稼ぎも、商人も、冒険者、学者達ですらたったひとつを得るために海へ出る。

 

 夢半ばで命を終える者達がこの"偉大なる航路(グランドライン)"では、最も幸せなのかもしれないとアンは時々思う。

 

 海はただ広がっているだけだ。

 無限ではない。だが有限ある青を漂う多くが、願う場所に辿りつけないでいる。

 それはなぜか。

 こうだろうと思う理由(わけ)、違うかもしれない推測、様々が混在し、絡まった糸の解き手が現れないでいるからだ。

 

 時が満ちていないのか、それとも既にほぐされた事実が表に現れていないだけなのかは解らない。確かであるのは、父が宣言した"ひと繋ぎの財宝"に辿り着いた存在が、とある選択をせねばならない、ということだ。

 手のひらには、多くの欠片(ピース)が生まれながらにして手渡されている。だがそれが全てでは無い。

 20年前、父が辿り着いた時には時期尚早であったという。では今は、どうなのだろう。

 たった20年だ。されど20年でもある。

 時は熟し始めてはいるのだろう。

 だが今が食べごろかと聞かれれば、果たしてどうだろう、そう答える事しか出来ない。最後の島は隠されている。行くための航路があるのだ。それを示したのが各地に散らばっている歴史の本文(ボーネグリフ)であった。あの島にたどり着いた、父をはじめとする一行が未来へ託した本当の意味を知らねばならない。そしてアン自身も備えなければならなかった。いつの時代も、歴を、世界を動かすのは人の強い意志だ。 

 行ってみるしかないのだろう。

 今や赤髪として四皇のひとりと数えられるシャンクスはかの地に寄りつこうともしない。あそこに何があるのかを知っていている数少ない『海賊王の一員』であったからだ。そして海賊王よりかの地について聞いた人物たちもまた、かの地へ行こうとは考えず、門番としての役割を果たしているかのように感じられた。

 

 アンは手綱で風を受ける帆を操るエースを見上げる。

 その時、小さな舌打ちが聞こえた。

 理由は簡単だ。

 商船が襲われているのだ。風向きが海賊船を押したのだろう。剣戟と銃声が耳に届いている。

 「あなたはここに居て」

 

 一刻を争う事態に陥っていた。

 凪地帯(カームベルト)を運良く、命からがら抜け出た海賊達は生きて出た高揚感からか、息絶えて横たわる屍までも必要に傷つけている。

 生きている命は必至の抵抗をしているとはいえ、岬を越え"偉大なる航路(グランドライン)"へ入ったツワモノ達相手では分が悪いといえるだろう。

 アンはちらりとエースへ視線を向ける。

 

 「心配するなって。大丈夫だ」

 

 信じる。

 そう心で伝え、もう一度少年にこの船から出る事無かれと念押しし、エースと手を繋ぐ。

 瞼を閉じた刻は数秒だ。それでふたつの接舷する船と、点在する人の位置を読みとった。

 「行くよ、エース」

 

 瞬間、少年の眼前からふたりの姿が掻き消える。

 「……!」

 思わず立ち上がり、周囲を見回してしまったくらい吃驚した。

 「…どういう、事だよ」

 丸く見開いた目が捉えたのは、大きな船の上で飛び回っている姿だった。

 ひとりは大人数に囲まれているにも関わらずその輪を軽々と打ち破り、もうひとりは風に舞うように多くを霍乱し続けている。

 「すげぇ…」

 近づくなと言われたが、もっと近くで見たいと言う欲求が擡げてくる。

 船の舵は帆と手漕ぎの櫂だけだ。少年は目で見、体で受けて体術も剣術も体得してきた。彼らとは違った戦い方をあの兄弟はしている。見なければならないと咄嗟に思った。

 

 迷っている暇は無かった。

 あのふたりは強い。海賊との戦いに勝つだろう。

 だがその後、きっと自分の技術が役に立つと彼自身は確信していた。あの兄妹の元に向かった理由付けとしては完璧だろう。

 海へ平らに削られている部位を挿し入れ、漕ぐ。

 商船へ添うように寄せると、何かの拍子に落ちたのだろう、縄はしごが下りている部分へロープを結びつけよじ登る。

 恩人に助けられ、絶望と復讐を誓う不安定な心の狭間で揺れ動きながら鍛錬だけは欠かさず毎日やってきていた。そしてようやく小さな商船だが、医者見習いとして乗り込ませて貰ってからもさぼった事はない。

 腕には覚えがある、そう言いきれた。

 

 

 

 船上では船室から見つけた悪魔の実を海賊達が戦勝品として掲げている所だった。

 そこへエースとアンが瞬間移動によって勝利の歓声を挙げ始めた男達の声を引きつらせる。

 「どっから出て来やがった」

 「子供が二人、おい、方割れは殺すなよ、いい値で売れそうだ!」

 

 「って、言われてるぞ」

 「言わせておけばいいと思うよ?」

 

 くすくすとアンはほほえみを含む。

 元が付くとはいえ海軍本部大佐を捕まえ、それ以上の実力を持つエースを殺せると思い込んでいる男達が哀れでならなかった。

 エースは島から出ず、顔の露出が無かった為仕方がないだろう。だがアンは幾度も新聞の表紙を賑わせている。多少服装や髪型が違った所で、わからないほうが悪い。

 

 エースは自然体のままカタールを手に持つ大柄の男へと無造作に近づいてゆく。

 男はにたにたと笑みを張り付かせていた。わざわざ獲物が間合いの範囲内に来てくれたのだと勘違いしているのか。

 大きく振りかぶった曲刀は確かに、黒髪の青年の肩口に切り込んだはずだった。

 「遅ェ」

 しかしその姿は眼前に無く、つぶやかれた言葉は男の側面から放たれる。

 男は慌てるがしかし、白く光る刀身は勢い余り床を成す木の狭間に囚われていた。

 六式を使うまでもない。

 見聞色も普段張り巡らせている分で十分だった。

 

 エースが男の脇の当たりをとん、と掌底(しょうてい)で押せばバランスを崩し横ばいに転倒する。

 気配を感じ視線を空に投げれば、風と戯れながら関節に指銃を放ち確実に無力化していた。さすがに対人戦慣れしているとエースは思いながら、手加減の具合を間違えないよう手首の力を抜く。

 

 そこへ新たな何かが乱入した。

 見つけたのはアンだ。上空から、その姿を捉えた。

 エースもアンも、海賊船と今乗りこんでいる商船の人員の位置把握と、先読みにのみ見聞色を使用していた。外からの来客を想定してはいない。

 潮の位置からして、両船に近づくのは出来ないと言い切れないまでも難しかったはずだ。

 

 見誤った。

 同時にふたりはこの後の展開を練り直す。

 

 船内を物色していた海賊船の数名が甲板戦になだれ込んできた。樽の中に入れられていた果実をぶちまけ、奇声をあげている。咀嚼しながら長剣を振りまわし、商船の乗員と赤へと沈める目は、狂気に支配されていた。

 空腹が満たされた歓喜ではない。血潮が散らされる行為への高揚からだ。

 

 「おまえらぁ、能力者か。いいぜぇ、相手してやるよ。"偉大なる航路(グランドライン)"から生きて出て来れた、我がなァァァ!!」

 

 カチャリと撃鉄(ハンマー)が下ろされる。

 「…やっとついた」

 

 小さなつぶやきにぬらりと銃を持つ男の視線が揺れる。ひょっこりと船の向こう側、船体に降ろされていた縄はしごを昇ってきた少年の顔が覗いたのだ。

 エースは大男の相手で忙しく、アンも弓使いと対峙していた。

 生かさずに殺すだけならば、こんなにも苦労はしてはいない。

 アンが海軍で多くの命を刈り取っている事をエースは知っている。だがそれは繋がっているとはいえその時の感覚は間接的な手触りだ。

 同じ人に対して直に死を与えるのは、未経験だった。一線を越えてしまえばなんの事は無い。だがその線を越えてしまうまでが異様に高い壁なのだ。

 

 躊躇が生まれると、アンは知っている。

 慣れるものかと思っていても、屍の山を幾つも築けば、知らず知らずのうちに無関心になってしまうものだ。そうならないようにしてきたつもりでも、首筋の動脈を掻き切り、血潮に濡れても胸の内に感じる痛みはどんどんと鈍くなってゆく。ただの単純作業となってしまうのだ。

 

 だからアンはエースに強要しない。

 戦い方も半身に合わせて、殺さずを守る。

 

 だがしかし、少年の出現によって男の標的が変わってしまった。

 エースが走る。

 ある男が引き金を引いたのだ。

 それよりも速く。

 体を盾に少年の頭部に向けられた鉄弾の前に立ち塞がった。

 

 アンは瞬時に弓を撃つ男の横へ跳ぶ。

 出来るだろうかと自分の思考を疑う暇もなく、腰に吊るしていた矢筒の中にある矢に触れ、思い描く。するのだ。失敗など考えない。

 男がその矢によって体中を射られている様を。

 そしてそれは実在となった。だがそれを確認する視線は無い。

 

 鼓動が嫌に耳に響く。

 独特な形が見えた。

 周囲がコマ送りのように再生される画面を見るがごとく、ゆっくりとした動きの中を懸命に走る。そして転がっている、アンの掌には大きい、うねった炎の形をした悪魔の実(それ)を両手で掴み、半身の真横へと跳んだ。

 この際力加減をしている暇など無い。最悪口の中に実が入ればいい。撮影機器などないのだ。コマ送りで見れば実で殴りかかっているようにも見えただろう。

 咀嚼し飲み込まずとも、粘膜、出来るならば味蕾にさえ触れてしまえば実の中に封じ込まれた悪魔はその人物に宿る。

 

 少年へ向かう銃弾の盾となったエースの視線が何事だとアンの横顔を捉えれば、がり、とこぎみよい音が口元から聞こえた。と同時に、銃弾を受けて硬直したエースの体が力を失い、両膝が甲板へとつく。次いで大量の血液と共に歪な果実が吐き出された。

 

 「フヒャヒャハハー!!」

 

 銃弾を撃った男の勝ちどきが耳に届く。

 

 脇腹の内側に突き刺すような痛みが襲ったが、これは自身の傷では無いと認識していた。まだ体は動く。蹲りたくなる体に鞭打ち、腰ベルトにさしていた使い慣れたナイフを横振りに投げる。

 だがそれはエースが相手をしていた大男が持つ長剣によって弾かれてしまった。

 

 形勢が逆転した。誰もがそう思った。

 どんなに兄妹が強者であろうとも、それは手負いでない場合だ。仲間が欠けていなければ再起の可能性もあるだろうが、何の考えも無く船に登ってきた子供と女ひとりであればどうとでもなる。

 余裕が海賊の側にもたらされた瞬間だった。

 

 「痛ェ…お前なぁ。おれの歯、砕く気かよ」

 ちょっとは加減しろよな。

 膝をついてしまったアンの真横でけほ、と口から喉に溜まった血を吐きだしながら、エースは切った唇をぺろりと舐めて首をふったのだ。死んではいなかった。

 そのとき海賊の誰かが叫ぶ。悪魔の実だ、と。いくつもの視線が言葉の実を捜し、次第に転がったそれへと釘付けとなる。

 

 「痛みも勝手に持ってくな」

 「え、あ…む」

 

 そんなつもりは無かったのだと言おうとすれば、むにっと唇を掴まれた。それ以上言うなといった所だろう。

 あんな不味ィものを噛ませてくるな、と手の甲で血を拭いながら言い捨てたエースがにかりと笑む。

 「…怪我、は?」

 「怪我? そう言えば、おれ、あのガキを庇って」

 

 何が起こったか、エースにも分かっていないようだった。頭の上にはクエッションマークが山と築かれているのだろう。

 だが確かに熱さを感じた。殆どの痛覚を無意識に、奪ってしまったアンに何も起こっていないのだ。持っていかれた体にはなにも起こらなかったのだ。

 「なアン、喰わせたのはもしかして」

 「もしかしなくてもたぶん悪魔の実、ですがなにか問題でも」

 

 どさくさに紛れて何を食わす気だ、お前はとエースがアンの両頬に手をあてる。

 「だって悪魔の実だったら肉体構成そのものが変化するから、どんなに大けがしても助かるかな、って。ごめんごめん、ほっぺた引っ張っちゃいやよ、お願いらはらやへてー」

 

 脇腹を押えながら、いひゃいと繰り返すアンの頬をつねる。敵陣の中にいるというのに、緊張感の欠片もない。

 だがしかし、それがこの兄妹の常でもあった。

 

 「ったく。喰っちまったもんは仕方ねェ。さっさと片付けるぞ、説教はそのあとだ!」

 「はあい」

 

 赤くなった頬に当てていた両手を下げ、戦いへ意識を切り替える。

 海賊達は戦闘を行っていたのにもかかわらず、襲撃者による見事な無視っぷりにより、唖然としていた。無論攻撃の手を止めろと言われた訳ではない。中には果敢に挑んだ者も居たが、ある一定距離まで近づくとなぜか海へと落とされていた。

 目に見えない恐怖が伝播した、と言っても過言ではない。

 

 再び時間が動き始めたのは、エースが自身に宿った力がどんなものなのか試すように、眼前で掌を揺らめく紅に変えたその時だった。

 薄く笑む青年の、眼光が細められ炎が舞う。それは美麗に具現化した。熱の揺らめきが踊る。橙の色彩がその体から上がり、優しく包み込んだのだ。それはまるで会話のようだった。炎の中に居るとは思えない穏やかな表情に、ローはなんともいえぬ恐怖を感じた。あの大人たちに抱いた形ある憎しみや痛みから生まれる鬱屈とした圧迫された恐怖ではない。

 悪魔の実の中には悪魔が居ると聞いていた。だがそれは食べることによって付加される能力の理由付けであるとローはおもっていた。恩人から口にするように言われたあの実をかじった時もそうだ。実際にローには経験がなかった。実に居るといわれる悪魔から語りかけられたことは無い。

 海賊たちがその光景に動きを止める。動けなかった、が正しい。ふとエースは目に留めた人物に向かって指先を揺れ動かせば、焔が銃弾のように撃ちだされた。次いで掌を横に薙げば男たちを炎が包み込みその身を焼いた。炎にまとわり付かれた男たちは海へと身を投げる。その操りはつい先ほど能力者になったばかりとは思えないほど使いこなしていた。実の能力を把握し、変わってしまった体を最初は誰もが持て余してしまうのが普通なのだが、エースは身の内に宿した焔を用途ごとに使い分けている。

 

 銃を持つ男に炎が肉迫した。いつまでも好き勝手にやられているばかりでは無い。

 そう言わんばかりに声に気合を込め、大男が長剣を振るうが、その刃はもう意味を成さない。斬られた個所が炎と化し、かつ鉄すら溶かし斬撃を無効化するからだ。銃も放たれるが同じだった。

 

 男は紅に包まれる。

 がしかし、ただで包まれはしなかった。

 羽織っていた衣類を広げればそこには筒状の火薬入れが並んでいたのだ。

 叫びがそこかしこで生まれる。最悪この船自体が沈んでしまいかねない火薬量だったからだ。

 炎はその場から動かない。そこへアンが風を纏ったかのような動きで駆け入る。

 男の体に触れ、海賊旗が揺れるその更に上へと一瞬へと至らせた。

 爆発が起きる。炎が黒く、煙を含んで空に立ち上ってゆく。

 

 青の中に黒と赤が弾ける。

 甲板上には少女の姿だけがあり、伏せていた目が周囲に向けられれば、男達はたじろいだ。今まで戦ってきた相手とは全く違う、なにかだ。そう、化け物と言ってしまっても誰も異議は唱えないだろう。

 

 「さあ、どうする? まだやるかい」

 

 ふたりが並び揃えば、海賊達の緊張も極限まで引きあげられる。

 苦悶の呻きが響き、恐怖が商船に押し寄せていた海賊達に伝染していった。そうなればもう、雪崩れるだけだ。

 

 少年は目を見開いていた。

 庇われたのが衝撃だった訳ではない。戦技に見入られてしまったのだ。

 炎と風、それぞれが能力者なのだろう。

 大人たちにも能力者はいた。恩人もそうだ。名を明かした、友だちだった少女もそうだ。

 だがこれほどまでに鮮やかな色は初めて見た。血と硝煙の匂いが立ち込めているというのに、兄妹が立つ場所、そこだけが異質だった。死の匂い、死神の鎌、表現はなんでもいい。ぽっかりと切り取られていたのだ。まるで兄妹がこの場で死ぬことはないと明確に示されているかのように見えたのだ。

 咄嗟の判断とはいえ、偶然手にした悪魔の実を正確に口内へねじ込んだ精確さも、どうやって移動したのか爆弾を所持していた男を空へと放り投げ、洗練された動きに魅入られてしまった。

 

 ふたりは逃げる海賊を追わなかった。

 黒く焦げた木にくすぶる炎を消して回り、息ある商船の人員を助けて回る。炎が炎によって消される様をただ、ぽかんとして少年は見ていることしか出来なかった。

 

 「体の調子はどう?」

 「って言われてもな。よくわからねェ」

 

 どうにかこうにか生きた電伝虫を救出し商船の生き残りたちが海軍へ救難を願うことが出来たあと、兄妹はお礼がてらいくつかの食料を受け取ることに成功した。しかし兄妹は商船の者たちにとって恐れを抱く対象となってしまったらしい。それはエースの体から立ち上る炎が原因だった。商人は腐っても、どのような状態になっても商人であるのだろう。助けてもらったとはいえ悪魔の実を売却した際の代金と現状を秤にかけたとき、損失の方が大きいと下したのだ。

 

 疫病神め、さっさと出てゆけ。

 

 ありがとうございます。助かりました。そう言いながら実際には悪魔の実を勝手に食べた泥棒たちめ、と思っているのだ。

 言葉に出さねば、笑った顔を貼り付けてさえ居れば相手に何も伝わらないのが人である。

 だがその心の内に秘められるはずの声がアンには聞こえた。だからいつもより余分に笑む。

 そうして踵を返しながらエースに触れた。このまま自分達の船に戻れば、大惨事になりかねないからである。

 炎の悪魔さん、ちょっと静かにね。夕焼け色のような揺らめきが残る指先をアンがそっと握りこめば、エースの体から立ち上っていたものが体の中に戻ってゆく。

 

 「けど……」

 「けど?」

 「しっくりと馴染む感じは、する」

 

 そう。それはよかった。

 アンが小さく息をつく。そして黒く焼け焦げた船の向こう側に隠れた少年を回収し、我が家とも呼べる船に戻った。

 波は穏やかで潮の巡りも良い。譲ってもらった海図どおりに進めば数日後には漁村にたどり着くだろう。

 

 エースから放たれる、耳に痛い正論もたまにはいい。

 アンは帆を操作しながら、ぐちぐちと続くそれに、はい、ごめんなさい、と何度も口にする。

 悪魔の実とはかなりくそまずいのだろう。少年の顔もかなり渋くなっていた。

 

 「口直しに肉な、肉。脂したたるのが無性に喰いてェ」

 「わかった。じゃああぶってね。いやあ、便利な能力が手に入ってよかったよ」

 

 あァ? お前、ぜんぜん反省してねェな。

 眉に皺をよせ、かなり物騒な顔面になり威嚇してくるエースにアンはにこりと笑んだ。

 ごろつきどもがよくやる、顔面しわ寄せ威嚇攻撃もエースならば全然怖くは無い。本当に怖いのは別の顔をするときだ。

 

 「ガキ、お前も馬鹿だ。来んな、ったのに来やがって」

 

 怪我、無くてよかったな。

 アン、お前が傷だらけってのはどういうことだよ、馬鹿だろ、バーカバーカ。

 

 優しくはない物言いだ。しかも上目目線である。

 だが仕方が無い。刺し傷はないが、切り傷はいくつか作ってしまった。綺麗な(はずの)水で洗って軟膏を塗ってもらったので大事にはならないはずだ。破傷風になるのだけは勘弁である。

 

 実は少年が医師見習いであることが判明したのだ。詐称であるかとおもいきや、かなり本格的な手当てだった。

 そして名も知った。 トラファルガー・ローという。

 

 ローは言った。教えて欲しい、と。

 兄妹は言った。何を、と。

 

 そして交わす。

 多分に兄妹のほうが割を食う内容ではあったが、名を知ることで多くを知ることが出来るアンが頷いたのである。

 ならばエースに文句などありはしない。

 

 戦い方を変えたい。

 それがロー少年の願いだった。

 弟子は師の教授により教えられた技の半分までは至れるが、そこから先は己で磨くしかない。ロー少年の心には隠すことなく叶えたい願いが示されていた。己に教育を施した大人たちを倒し、その屍を超えて往かねば目的にはたどり着けないと知っているのだ。

 だから請うた。

 そしてそれをアンは受けた。

 

 「びしばしいくからね。ちゃんと付いてきて」

 

 船の上で行なう訓練などお手のものであった。大きさは大分違うが、出来る事も多い。

 ロー少年は知る。

 目の前の人物が海兵であったことを。中将職に長年就いている、ガープの孫であるという事を。

 そしてテンガロンハットの奥で細められ、はるか彼方の水平線に投げられた視線の意味も。

 


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