ONE PIECE~Two one~   作:環 円

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52-海原の路(2)

 長く連なった幾つかの海峡のふたつめ目を順調に進む(バルシャ)は、後方からの風に押され、予定している次の寄港地に近づいていた。

 船が大きければもう少し長距離航行が可能なのだが、大体2日か3日に一度、食料調達という主な目的の為、見えた港に入っている。

 手持ちの金額はまだ余裕があるとはいえ、船を買うには足りず、人を雇うにもこの小型船ではあと一人乗れるか、といったところだろう。

 海峡の旅は時折漁船を遠目に見るくらいで大きな船の姿も無く、のんびりとしていた。

 薄雲が掛かった空から降る光も強過ぎず、眠気に誘われれば互いに融通しながら舵とりを代わる。そして他愛の無い話を交わし合い、一日、一日を過ごしていた。

 ここにルフィが居たならば、島での生活とほぼ変わりないだろう。否、体が動かせないのが退屈だと予想もつかない行動を取っている可能性も捨てきれない。目を離せばすぐに大小の違いはあれどやっかいごとを引き連れてくるのが弟なのだ。油断してはいけないのである。

 

 果たしてそんな弟がひとり旅できるのかどうか。はなはだ不安ではあるが、それぞれの目的、そして目指すもののため船出は共にできなかった。しかし兄弟同士、お互いが互いの最も良き理解者となり得ているのは間違いないだろう。

 男同士だけの約束が交わされているのも、アンは知っている。

 内容まではどうせふたりだけの秘密だとかで話してくれなさそうな口ぶりだった事もあり踏み込まなかったが、兄弟が楽しそうであるならば別に構わなかった。

 

 ああ、そうだ。そう言えばこの前、聞きそびれていたルフィの寝言の結末はどうったの?

 アンはなにかと必死に戦いつつ、なにかを食べ、叫びながら転げまわっていた話の続きを尋ねる。

 「どこまで話してたっけ」

 「焼き豚が走ってくるなんてウマすぎる、だよ」

 「そっからか」

 時間を忘れて笑い続けていたふたりは、夕焼け空になる頃ようやく気付いた。

 

 「めし」

 「ご飯」

 

 同時に出た言葉は、空腹を知らせる音を伴い波の音に混ざる。

 数日前に積み込んだ食糧も後わずかだ。

 「ん。いつの間にかの向かい風に阻まれて今日中に村に着けないかも」

 先日立ち寄った小さな漁村で金銭を払い、分けて貰ったパンも大きなバケットがひとつだけ残っている。

 言わずもがな、足りるわけがない。

 「…足りねェ」

 つぶやきは切実だった。それはそうだろう。

 島に居る時は獲物が森に溢れていた。木の実もあればきのこや野草もふんだんに生えていて食べ放題だったのだ。しかし船を浮かべての航海ではそうはいかない。

 魚を採るにしてもまずは海に潜り、捕獲すれば捌かねばならなかった。

 この小さな船の上で火をおこせば、火事になる可能性もある。だが問題はそこでは無い。

 

 この小さな船ではエースが満腹になるだろう量を備えた魚を、受け切れないだろう事が切実なのだ。小魚では満足しきれない胃であるのは、共に生まれて17年、良く思い知らされている。腹の足しになるどころか、もっと腹減った、そうのたまいかねない危険性すらあった。

 大きな魚を潜って取るのは簡単だ。海兵であった時に、ハムの在庫が少なくなってきたと料理長が言えば、艦長の許可を取って現れた海王類を獲った事も一度や二度では無い。

 だがしかし、一番小さな細長い海王類(もの)を選んだ所で、どう考えても重さに耐えきれず船が沈む。

 とはいえ腹を減らしたままのエースを放置するほど、怖ろしい事象はなかった。すべからく飢えた獣は凶暴性が増す。

 

 「アン、腹減った…」

 見上げてくる目に、残り時間が少ない事をアンは悟る。

 ぞわり、と身の危険を背筋に感じた。このままでは自身が食べられかねない。

 最悪の場合、フーシャ村に跳びマキノにご飯を作って貰う方法を考えていたが、そろそろ自身が海軍より出奔した事実がこの東の海にある支部にも届き始めている頃合だろう。故郷に網を張るのは常とう手段だ。戻れば村の人々や、ダダン一味にも迷惑をかけかねない。

 

 「エース、あとどれくらい我慢出来そう?」

 「もー無理。昼飯食いそびれてるから、な」

 

 満面の笑顔が怖かった。

 海賊デビューは今のところ何とか回避されているが、いつ何時、海賊船と遭遇するか解らない。海に出て翌日に、エースとアンは賞金稼ぎと遭遇した。

 海賊旗も無く、小さな船にたったふたりきりであったのが幸いして、ただの移動者だと思ってもらえたようだった。そのとき東の海に生息する海賊達の手配書を見せて貰うことが出来た。その中にはまだアンの手配書は無かったが、今年は東の海は新人(ルーキー)が大量出現しているらしく、他の海を縄張りにしている賞金稼ぎも続々と入ってきているという。

 小金を稼ぐにはもってこい、の穴場になっているのだそうだ。

 

 「なあ、アン、あれ船だよな」

 「そーだね、船だねー」

 

 宵闇が迫る、人の目が最も見え難くなる水面に、船影を見つけてしまったのだ。通りかかった船の不運に手を組み、祈る。

 しかもよくよく見てみれば、黒い旗を掲げていた。

 エースはぺろりと唇を舐める。なにを考えているのか分かってしまったアンは、出来るだけ穏便に事が終わるよう願うばかりだ。

 

 アンは潮の流れを読みながら海賊船へと進路をとる。小指の爪ほどだった影がみるみるうちに近づいてきた。あちらの船もこちらに気付いたようだ。目の良い者が乗っているのだろう。小舟を捉えられる距離まで近づくと、威嚇のように大砲の弾を一発、飛ばしてきた。

 狙撃手の腕がいまいちであるのか、それともあえて逸らしてくれたのか。随分と離れた場所で飛沫があがった。

 

 「先に手ぇだしてきたのはあっちだから、いいよな。ちょっくら行ってくる」

 「……はい、いってらっしゃい」

 

 アンは言葉を飲み込み、ひらひらと手を振り月歩で暮れなずむ橙の空を駆けるエースの背を見送る。元海兵のアンが行けば、長年の所属で身についた海賊は殲滅すべし、をさらりと日頃の行いとしてしまいかねない。ついでに目の良い人物を海兵にならないかと勧誘もかけてしまいそうだ。

 その点、島で野生児として育ったエースが行く方がまだ、波風が立たないような気もするような、しないような。ただ、そう、ただ保有する力の値として、エースは少なくとも条件付きではあったが中将級だと言われていたアンをも凌いでいる。戦闘に突入すれば、どうなるかは想像に容易い。

 

 砲弾は続かない。

 望遠鏡でこちらを見たのだろう。小さな船にたったふたり、載せている物品も期待できず手を出すのも面倒だ。気まぐれに遊ぶにも宵の時刻である。火を焚いてまで姿を照らし、襲撃するまでの獲物では無い、そう判断されたのかもしれない。

 なにかあればエースの横に跳べばいいと、船の揺れに身をまかせながら、半身の意識に添う。

 

 

 エースは黒く闇を先取りしたような海を眼下に、空を駆けていた。

 風を受けなびく伸びてきた髪を払い、大きな船へを上空から近づいてゆく。船の揺れは思っていたより平気だった。小さな船ほど波に揺られやすいと聞いていたが、それほど気にはならなかった。

 

 世界で名を上げるために手っとり早い方法は、一般的に悪と認知されている海賊行為を行うに限る。船出を決めた当初ならば、それすら生きるためには仕方ないと思っていた。どうせ生まれて来てはならなかった命ならば、どんなに憎まれようが恨まれようが、構わないと思っていたのだ。

 しかし共に生まれたもうひとりが居た。初めて友と呼べる親友が出来た。生きていて欲しいと願った弟が叫んだ。

 仕方なく生きるつもりだった生に、重さが加わった。

 そして世界を間接的にだが、もうひとりを介して知ることが出来たのは、思いの外大きな収穫だったといえるだろう。

 

 トン。

 

 立てた物音はそれだけだった。ブーツの底が着地の際に小さく、鳴り合わさった。

 羽織るシャツが海風に揺られ、飛ばないように手をあてたテンガロンハットの奥から、周囲を見識する。

 闇に落ちる直前の薄暗い視野の中、突如現れた影に気付いた数名が何事だと声を上げた。周囲には目立った船は無かったはずだと、誰かが叫ぶ。

 なんの用だと尋ねられ、素直にエースは答えた。

 

 「大した用事じゃないんだが…ちょっとばかり食べ物を分けて欲しくてね」

 

 若い。

 船員が放たれた声に注視する。

 テンガロンハットを被った、容姿から推測するに、まだ子供と言ってもおかしくは無い年齢だろう。だが音も無くこの船に辿り着いた若造を、ただの子供だと見る船員達は居なかった。

 船の中からも応援が駆けつけ、それぞれが刃を抜き、銃に手をかける。

 「バカ言ってんじゃねぇ。海賊にメシたかろうってか、マヌケた面して何様だ」

 

 「おれは別に、争いに来たわけじゃねェんだけどな」

 

 ただちょっと近くを通った縁というヤツで分けて欲しいだけなんだ。

 でもやるってんなら。

 エースは笑みを浮かべる。

 「売られた喧嘩は買う主義だ」

 放たれた銃弾が開始の合図となった。煙が星のきらめきを広げた空へ灰色のもやを生む。行動の先を読む事など、造作でもなかった。確かに海賊達は戦い慣れはしていた。だがそれは一方的な力の振るい方、悪く言えば弱者へ暴力を振るう術だけなのだと、ひらり、ひらりと避けながら見る。

 

 技を使うまでも無い。

 常時纏う見聞色だけで相手の動きの先読みが出来、周囲の動きが合わさってもどこにどう動けば同士討ちさせるかすら分かってしまう。

 戯れに首筋に手刀を落としてみたり、足払いをかければ、なにをやっているのかと仲間を罵倒する言葉が飛ぶ。

 

 こんな集団でも海を渡っていけるんだな。

 エースは自身が思い描いていた海賊像が、想像の中だけにある理想なのだと気付く。

 確かに赤髪が率いる海賊団だけをみれば、その通りだろう。だがそれはごく一部だけなのだ。

 エースは相手から喧嘩を買ったたとはいえ、同情してしまっていた。

 ほらあいつ、仲間を切っちまいそうだ。

 そんな事を思えば、振りかぶったナイフがエースの体を通り越して、味方の脇腹に突き刺さった。

 

 「気をつけろ! 手当なんざ後だ、たった一人になんの体たらく晒してる!」

 

 東の海ってのはこんなもんなのか。

 ついた溜息にくすくすと笑いを含む双子へ向かって聞けば、この海は極端から極端なのだと言う。

 その最たるは、たぶんという推測を込めてエースであり、ルフィであると前置きした上で、十数名が徒党を組めば普通に暮らし営みを過ごしている人達にとって十分に脅威だと言葉が伝わってきた。

 

 (例えれば幼かったわたし達とブルージャム達、じゃないかな)

 

 納得は出来なかったが、大体は分かった。

 守るべきものがあるならば、例え力及ばなくても抗うのがエースだ。

 しかし抗う力を持たない人々は、命を失う選択を良しとせず、奪われたとしてもまた一から作り直せばよいと考える。

 

 それぞれの立場によって考え方が違うのが当たり前だが、まだエースは自分を中心とする、必要としてくれる存在だけを包容する小さな世界しかしらなかった。

 アンは別にそれが悪いとは思っていない。人はみな、身近な存在を認識し少しずつ、少しずつ範囲を大きくしてゆく。それはあちらの世界で言う学校、が大きな役割を果たしているのだが、残念ながらこちらにはそういう施設自体が少なかった。大きな町であれば教諭を集めて学校を運営している都市もある。

 村では村長や有識者が私塾を開いて子供達に読み書きを教えてもいる場合もあるが、そこに通うにも、わずかとはいえ金銭が必要だった。貴族に関してはは語るまでもないだろう。

 この世界では教育を受けられる者とそうでない者の差は大きい。

 

 他愛の無いやり取りや考え事をしている内に、船上はいつの間にか静かになっていた。

 全員生きてはいる。

 低いうめき声が響いていた。

 エースを見上げる視線が怯えの色を宿し、一歩歩くだけで体をピクリと過剰反応させる。

 

 海賊となる覚悟。

 何時も、何度も考えてきた。

 海に出れば自分より強い存在が(たむろ)しているのだろうと、想像していた。

 実際にガープやアン、赤髪を中核とし組まれた部隊頭とその船員達、船大工であるトムですら驚くほど力を有していたのだ。

 

 …これじゃまるで。

 ごみ山で肩を寄せながら、振るわれる暴力から逃げ惑う子供たちを襲う暴漢達のようだ、とエースはため息する。

 

 「エースがこの海では強すぎるのよ。骨のある人達と出会いたいのであれば、最低限でも"偉大なる航路(グランドライン)"に入らなきゃね」

 

 いつの間にか船を繋ぎ、甲板まで上がってきたアンにエースは手を上げる。

 「準備運動にもならなかったでしょ」

 「なんか、すっげェ後味悪ィ」

 

 そんなものだとアンは笑む。

 「エース、お願いがあるの」

 「ん?」

 「エースは、エースだけはこの感覚に慣れないで。違和感を持ってて」

 

 「…分かった」

 真意は分からなかったが、泣きそうになっていたアンを笑わせるためにエースは頷く。

 ありがとう、は満面に咲いた笑顔だった。

 

 その後船室の幾つかを漁り、2人分の食料を調達した後、見つけた電伝虫で一応、連絡しておくかとアンは、気の進まないような顔をしながら電話をかけた。

 出たのは顔見知りだったらしく、安否を気にする言葉が幾つも並べられる。

 「大丈夫です、あれくらいで衰弱するとかありませんから。あ。良ければ海賊船の捕獲をお願いしたいんですけれど。もうひとつお願いできるなら、いい目をもった人物がひとり。確保するといいと思いますよ。…名前までは聞いてませんがそれはそちらで」

 船を動かすための舵と帆を壊しておきますから。さらりと海賊達が青くなる言葉をアンが発する。

 ついでにシェルズタウン行きの海流に乗せておくので、出来るだけ早くの"救出"をお願いします、とも付け加えた。

 賞金稼ぎじゃないからお金も要らないし、登録するつもりもないからと強引に切り、再度溜息を落としたアンの髪を、エースはくしゃくしゃと撫でる。

 

 

 

 水を一樽と暴飲暴食しなければ、3日は持つだろう食糧を頂いてきたふたりは、バルシャで再び波を切り始めた。海賊船にもちゃんと、食べ物は残して来ている。

 船上で飢えるほど苦しいものは無いからだ。必要最小限だけを貰ってきた。

 ただし、お宝関係はごっそりとアンが袋に詰めたのをエースは知っている。

 

 「だって。海軍があの船を回収したら、これ、全部没収なんだもん。行き先は…うん、まあ、その。いろいろだけれど。宝の地図が2枚と、金銭に変えられる装飾類は貰っても大丈夫。彼らにとっては、宝の持ち腐れになるから」

 

 にっこりと平気で言えるアンに、エースは自分より海賊としての素質があるのではないかとすら思った。だが本人いわく、海賊では無く航海者、なのだそうだ。

 同じものだとも思うのだが、そこは明確に違うと否定する。

 

 「おれもアンみてェにもっと力があればいいんだけどな」

 「どの口がなにを言うのかな」

 

 カンテラが照らす淡い光の中、風を操り方向を変えるアンに、エースがぽつりとつぶやいた。アンからしてみればエースの方が羨ましいくらいに強い。

 強いだけでなく、優しいし、(おご)らない。

 世が世ならば、こんな良好物件が女性達から放っておかれる訳が無いのだ。

 生まれが多少、特殊と言えば特殊だが、そんな事など関係が無いと、父を受け入れた母のような存在もいるはずだ。

 

 「隣の芝は青いっていうけれど」

 双子同士でそれをやってても不毛だから、ね?

 腹が満たされうとうととし始めたエースに毛布をかけ、カンテラの炎を吹き消す。

 数多の輝きを指針に帆の向きを確かめながら星座すら埋めてしまう白を仰ぐ。

 

 

 波が導くさざ波の路は、次の海峡へと入った。




マヌケた面して 誤字ではありません。
ふぬけた面、が正しい言葉ですがここでは上記のままでお願いします。


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