ONE PIECE~Two one~   作:環 円

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47-セイレーン

 なめらかに動く指が弦を弾く。

 音が連続して奏でられ、流れはじめた律に海兵たちが動きを止め暫し聞き入る者も出始める。

 

 出会ったその日、船で歌う事を了承したシノブは、船長であるガープと対面した。

 がっしりとした体躯に左目に沿ってついた傷跡、話し方、どれもが見ていたままの人物で、思わず本物だと叫びそうになったのは言うまでも無い。

 平面に描かれていた彼は、どちらかと言えば茶目っ気が強いお茶目なチョイ悪ジジイといった感じであった。が、そんなごく一部の情報で彼を軽んじ、侮ってはいけないとすぐに知れる。多くの海兵が至ろうと切磋琢磨する中将の座に、この老齢まで居座りかつ全うしてきているのである。その巨体から放たれる存在感に忍は一瞬、怯んだ。

 

 そっと触れてきた柔らかさに救われ、胆を冷やしながらも忍はなんとか挨拶を終えた。

 

 だが表紙上にだけ見ていた二次元をその目で見る事が出来た時の感動はひとしおだ。

 余りにもガン見してしまった為、中将のファンだとされてしまったのが後の祭りであるが、それでも原作にあった人物達と触れ合え、ある意味シノブはステータス興奮、ないし高揚状態となっていた。

 

 だからふと気をゆるませてしまったのだ。かつての世界で無意識に享受してきた、安全というものを。

 怪我をすれば血も流れ、痛みもある。

 笑いもすれば喜びもある。

 

 初めて直視した生々しさは、一生忘れることはないだろう。

 戦争反対、戦争はだめだと体験を知らず主張だけは立派な自称、反戦論者たちの言明が薄っぺらに感じてしまうほど、現実はもっと苦くそして鮮やかだった。

 

 ガープ中将が船長を務める軍艦は、規律を守りながらも程良く緩く、思いのほか居心地が良い船である。

 許可さえ取れば真昼間にハープを持ちだし、弾いても注意を受けたりもしない。

 

 あの日、ポートガスと名乗る少女との出会いが自分の分岐点だったのだろうとシノブは考えていた。

 その手を取るか、はたまた拒否するか。

 強引に絆された感もあるが、巡り合えてよかったのだと思いなした。

 そう思わないと、やっていけないからだ。漫画の中で見ていたキャラ達が、こんなにも賑やかを通り越して騒がしい、五月蠅い、黙ってろにまでになるとは思ってもみなかった、が本音だからだ。

 

 「シノブ、あれ歌いてェ!! あれ弾いてくれ!!」

 「ルフィ、もう今日は他のものを弾かせて」

 リクエストされた曲は海兵達が普段耳にするような曲ではない。

 昨日にアンが口ずさんでいた音を拾って弾いてみると、ビンクスの酒となった。分からないように歌っていたらしいが、シノブは前髪を掻き上げ、音楽関係者を舐めるなと鼻で笑った、まではよかったのだ。

 その歌知ってる、シャンクス達が歌っていたものだと飛びついてきたのがルフィだ。

 

 心許す姉が親しく話し、兄も、姉ほどではないが会話を増やしていた人物に、弟が興味を示さないわけがない。そもそもルフィという存在は、人見知りをしない性格なのだろう。本能的に自分を助けるものに興味を引き付けられ、それを懐の中に内包するのだ。

 シノブは兄弟が初めて出会った場面を”知っている”。そしてその後、どうなるのかもある程度、紙面上にあったものだけは”覚えていた”。

 外部因子がたったひとり加わるだけでこんなにも変わるものかと、内心でこっそり思ったのも本当だ。D兄弟を知る海兵と言えば、祖父であるガープ以外には存在していなかった。それが双子というただひとりが居るだけで、海軍の船に乗って故郷に帰るという、考えられない展開になっているのである。エースに関しても性格は多少尖っているようだが問題ない程度だ。思春期の年頃相当の、健全さがある。

 

 このまま進めば、時代が終わるあの瞬間もどうなるのか。

 先の見えない未来に、目的があると語った少女に、一筋の光を見たような気がした。

 

 「なあシノブ!! 弾いてくれよ!!」

 「後でね、後で。あれは夜の方が楽しげな雰囲気が出ていいと思うのよ?」

 なんとか晩に1曲だけ弾くと約束して、シノブが奏でたのはベートーヴェンと同時代に活躍していたドゥセクの曲だ。彼の妻や友人たちにハープ奏者が多かったのが理由なのか、他の作曲家に比べ多数の曲を残している。

 

 シノブが持っている楽器はサウルハープと言われる一番小型の竪琴だった。

 専門はピアノだが、一応バイオリンも弾ける。ハープに至っては趣味で、曲を作る時に使っていたくらいだ。それが今や主な演奏楽器となっていた。

 こちらの世界でも楽器は多種多様に存在している。あちらとほぼ変わらない程度で、調律師も存在していた。

 

 「あんまりシノブさんを困らせちゃだめだよ、ルフィ」

 書類を持ったアンが、甲板に無音で出現する。気配を消している訳ではないらしいが、いつの間にかそういう足運びになっていたのだと言う。どこぞの忍者のように、どーも、と口にしながら出てこないだけましではあるのだが。

 「げぇ、もう終わったのか。じいちゃん出て来なくていいのに」

 

 心底嫌な顔をして、ルフィが姉を見た。

 「もう。そういう顔をしないの。可愛い顔が台無しよ」

 びよーんと片頬を伸ばしながら、アンがほほ笑む。書類を持って何処に行くのかと聞けば、マリンフォードへこれから跳ぶという。

 

 「アン、この書類は持って行かんのか」

 「民間人乗艦申請書でしょ。面倒だから付属権限で、って思ったんだけれど…」

 デイハルドの名前を使うと、政府に目を付けられる可能性もあるのか。

 小さく声にし、うーむと悩み、葛藤した結果、書く事にしたらしい。

 「シノブさん、ここにサインお願いします」

 

 

 船に乗り込んでから、苦手としていた書き文字を、シノブはスパルタされた。

 教師はアンだ。英語に綴りが似ているから日常的に使うものだけでもと、ざっと教え込まれたのである。

 横に座っていたのはルフィだ。真一文字に結ばれ、冷や汗をたらたら流す主人公の姿はとてもシュールだった。ルフィは頭を使うなにかを始めるとムンクの叫びになるのである。

 

 「読み書きは基本! 航海先のご飯屋さんでメニューが見れないと注文できないし、ご飯も食べられないわよ。さあ、観念して覚えましょうね」

 副長としての書類仕事をしつつ、姉は弟の教育に余念が無かった。

 ルフィに文字を教え込むための口実にされた感は強いものの、アンの言うように知っていて損はない。

 机を隔てた向こう側では、エースが航海術の本を流し読みしている。分からない所があれば、アンに質問しているようだった。

 兄と姉が出来すぎるのも弟に悪影響を及ぼすものなのだと、シノブはしみじみと現実を噛み締める。なんでも程々が良いのだ。良くできる人物の周囲には挫折という苦い感情もまたある。

 はっきり言ってこの兄姉は何でも出来すぎていた。理解力もあれば応用も出来る。すでに忍が知っている、漫画とは違ってきているのだ。

 

 

 「おじいちゃん、ここら辺で救助したって事にしとくね。わたしの知り合いだって書いたら、クザンがCP動かして裏を取ろうとするだろうし」

 「そこら辺は好きにせい。あやつは…お前に関しては小細工に気付きよるからな」

 

 にい、と笑うガープ中将の笑みに、孫娘が乾いた笑いを返す。

 

 祖父権限でマリンフォードに朝食を食べに来ただけだった兄弟は、艦に乗せられ東の海へ向かうこととなった経緯を、シノブは耳にたこが出来るほど聞かされていた。

 原因のほぼ90%位はルフィの食欲だった訳だが、ここ数日の食事風景を振り返るとエースもどっこいどっこいの量を食べているのを目撃している。一体こいつらの胃袋はどうなっているのかと思いつつも、さらりと流し読みしていたシノブは現物を見て唖然となった。

 「これでも腹8分目位なんじゃないかな」

 本来の食事量を聞いてゲンナリとしたのもいい思い出だ。分量は記憶にとどめず、忘れてしまった方が精神的にも楽になれる、そんなレベルだった。

 その時に、アンが持つ特殊能力も知ったのだ。

 制約があるとはいえ、瞬間移動が出来る利点は大きい。しかも使い勝手はピカイチだ。潰しが効く。

 

 「シノブもなんかおもしれェ力、あったりするのか」

 「さあ、どうでしょう」

 

 手すりの斜面を滑るルフィの問いをさらりと流す。

 それじゃあ本部にちょっと行ってくる、そうアンが言葉した直後、海の彼方を見て動きを止めた。

 「見えるか、あれ」

 「うん…」

 「どくろが見えるぞ!! 海賊だ!!」

 

 D兄弟達が視線を向ける先を、監視の役割を持つ海兵が望遠鏡を向ける。

 「アン副長、まだこちらでは見えません。識別不可能です」

 「判別を急げ。小隊長は部隊をまとめなさい」

 

 鶴の一声が放たれ、慌ただしく海兵達が動きだす。

 シノブは邪魔にならぬよう、そっと場所を移動した。

 

 数日前にも海賊との戦闘があった。

 海兵は海賊を悪、と断ずる。それは間違いではない。

 海兵側に居るから、ではなく、行いを指してだと言う。

 「普通にこの海を航海するなら、しても良いと思ってる。暴力行為を行わず、奪わず、往くなら」

 

 しかし多くの海賊は奪い、嬲り、殺す。

 それが海賊たる所以だと言わんばかりに、だ。

 この世界に生きる人々にとって海賊は、賊である者達は害悪でしかない。

 「ONE PIECE を求めるにしても、もうちょっと考えれば良いのにね」

 

 人が人として、理性ある生き物として在るべき姿を。そう、寂しそうにアンが瞼を閉じた。

 

 最初は誰もが野望や夢を追いかけるために海へ出る。

 だがいつしか、追いかけている存在の遠さに諦めるのか、割り切るのか。

 理由の為の手段から、手段を正当化する理由を重ねるようになる。

 そうなれば奪略の、辱めの、殺人すら海賊であればやってもいい、と己を貶めていくのだと、悲しそうに笑った。

 「海賊は悪だよ」

 

 シノブは唖然とした。

 ゴール・D・ロジャーの血筋ならば、追いかけて止まないと思っていたのだ。

 例え生まれ変わったとしても、あちらの常識で自分を縛っていても、囁かれないはずはない。間接的に関わっているシノブであっても、歌を唄ってしまうのだ。運命が中核の中に生まれた存在を放っておくわけがない。

 「ありゃあ、フラスコ海賊団か」

 舷に腕をかけ、ガープも海原の先を見る。

 「わざわざ西海から遠征? なんのために?」

 最近よく聞くようになった海賊の名前だ。額を上げる度に刷られる手配書には謎の液体を構えるピエロのような顔がにこやかに写っていた。

 

 「行く?」

 そうじゃのう。孫娘の言にガープ中将が腕を組む。

 ボガード副長も、中将がなにを言おうと直ぐに行動に移せるよう後方で待機していた。

 

 「いいや、アンは予定通り本部へ行け。あの船はわしが責任をもって沈めよう」

 「はい」

 アンは敬礼し、兄弟達へ手を振って姿を掻き消す。あっという間だった。

 瞬間移動を見慣れている海兵達は、なんという事も無く見送ったが、初めて見るシノブは目をぱちくりとさせ、思わず声を上げた。

 それくらい見事な消えっぷりだったのだ。

 

 「ボガード、先陣を切るあの子の代わりを探せ」

 了解、副長がそう応え選定へと入る。

 英雄と呼ばれ、慕われているガープの元に集う海兵達は誰もが優秀だ。のびのびと、それぞれが得意とする分野に配置され、伸ばし活躍の場を与えられていた。

 

 「おれが行く。いつもアンがやってる事なら知ってるからな。穴埋めしてやるよ」

 無造作な物言いを放ち、エースが海兵たちの間に混ざる。

 その様子をガープが面白そうに眺めていた。

 「やっと海兵になる決心をつけおったか」

 エースが行くならおれも行くぞ、と鼻息の荒い弟の頭を押さえながら、そっけなくエースが答えた。

 「なわけあるか。……アンがな。この艦の奴らとそいつの事心配してやがるんだ」

 混ざる理由はそれで十分だと吐き捨てる。

 「素直じゃないのう。馬鹿孫めらが」

 にかりと笑うガープが目くばせするまでもなく、ボガードが兄弟の側に移動していた。気心のしれた腹心だ。ある程度の秘密も事あるごとにこぼしていたが、驚く事無く、全てにおいて冷静な判断を下している。

 「あとな、ジジイ。やるなら一撃で仕留めてやれ、だそうだ」

 エースは数段上の位置に立つこの船の責任者を見る。

 その一言でガープは片眉を上げた。海賊船がどのような状態になっているのかに気付いたのだ。

 「配置につけい!!」

 

 中将の言の元、海兵が訓練された一糸乱れず動き出す。

 自然風に頼らずとも海を渡れる動力を作動させ、軍艦はそうして海賊船と接舷した。

 

 

 風に血なまぐさい匂いが混ざる。吐き気を催すような、鉄と血と、硝煙が、鼻孔を刺激した。

 衛生兵が流れ弾に当たり、苦悶の表情を見せる海兵の応急処置を行っているその横で。

 握りしめた拳が手を紫色に変えていた。

 「…こんな、こんな殺し合いふざけてる!!」

 シノブは思わず叫んだ。命の価値は、生きている限り変わらない。殺していい命も、殺されてもいい命も、本来あってはいけないものだ。海賊だから殺す、海兵だから殺す。

 それを黙って見ていられるほど、忍はまだ達観など出来なかった。

 

 目の前で倒れた海兵から流れ出た血だまりが、靴先に届く。

 「動くな、死にたいのか」

 鋭い眼光がシノブへ下る。横に立つガープが腕を伸ばし制した。

 

 「抵抗する者が居る限り、抜いた刃を収められん」

 ガープが静かに言葉する。その表情は違えず軍人の顔であった。

 海賊達も自らを海賊と称した時点から、覚悟は出来ているはずなのだ。海軍と会えばどうなるか、同業者と会えばどうなるか。

 

 それでも。それでも、だ。

 気持ちが割りきれなかった。

 偽善と言われるだろうが、そんな事はどうでもよかった。

 漫画の世界ならば、さらりと、流せていたのが不思議でならない。

 アニメでもそうだ。淡々と話が進み、その中のキャラ達が現実をさっさと受け入れては先に進む。

 命のやり取りが紙面で踊っても、それは現実では無いから受け入れられていたのだ。

 

 目の前で惨状を見せられ、そうですか、と黙っていられる方がおかしい。

 自分にも何かできるはずだと、何かしなければと、焦燥感に襲われる。

 

 現実いた世界でも戦争は起こり、飢饉に苦しむ国もあれば食べ物を捨てるほど裕福な国もあった。

 だがそれを知っていて、身の回りのことだけに目を奪われ、生きていられるのは遠い世界の出来事だからこそだ。

 どれだけ情報が隔絶されているのかが、ようやくわかった。平和の二文字は文字通り作られているのだ。そして安全を無料(ただ)だと信じて暮らしている。とんでもないまやかしだ。

 

 ”命が勿体ない”

 

 シノブも思っていた。

 頂上決戦のシーンで、戦うほどに乾く、とその言葉通りどうやってこの乱闘が収まるのかと。

 正義だ悪だという言葉も突きつめればこじつけに過ぎない。

 やっている事は両者とも変わらない、人殺しである。

 所詮(しょせん)戦争が無い国で生まれ育った忍だ。現在進行形で行なわれている船上の生々しさや戦う両者の理由や、その根底にある願い、水面下で行われている駆け引きなど全く分からない。

 だが命というものは尊いものだと教えられてきた。

 目には目を、歯には歯を。

 間違っていないのだろう。武力でしか守れないのだろう。だがそれを、だからといって簡単には受け入れられなかった。

 この思いはわがままだ。物事の筋道を通していないのは、シノブだった。

 

 海軍は世界の、世界政府が作り上げた道理で動いている。人々を守るために海軍は、理にかなった職務を遂行しているにすぎない。

 ただの民間人が口出しできる件ではない。ただ忍という一個人が納得できない、というわがままなのだ。

 

 「止めてやるよ、この戦い。ひとり残らず戦いをやめたら、海兵も引いてもらおうか」

 「ほう」

 英雄の目が一度見開き、邪智深く唇が弧を描く。

 「ならば約束しよう」

 ガープの言を聞き、シノブは自身の姿を変えた。

 

 ……能力者じゃったか。

 

 ガープは物言いを変えた女性へ目をやる。孫娘が親しく語りかけていた相手である。ただの一般人では無かろうと考えていたが、よもや能力者であるとまでは思い至ってはいなかった。

 ガープに向けられた眼光には怒りが含まれていた。黒の目の内にくすぶるのはやりどころのない、苛立ちであろうか。流れる金髪はそのままに、腕は翼に、両の足が人魚のごとく形成(かたちな)す。

 長年生きてきたが、見た事のない生き物の姿だった。

 

 流れ出たのは歌声だ。

 戦いの中、怒号が響き渡っている。喊声、雄叫び、助けを呼び、苦痛に喘ぐ。

 その中を歌声が渡る。

 

 動物系幻獣種の悪魔の実、セイレーン。

 普通悪魔の実を食べれば海に嫌われかなずちになってしまうが、人魚の姿であれば水の中を自由に動き回れ、鳥の姿になれば空も飛べるという両得な能力だ。

 ただし人の姿で海に落ちれば能力は発動せず、そのまま溺死してしまうという、限定的な優遇がなされている。

 シノブはその能力を使い、海と島を幾つも渡ってきた。

 難点であるのはまだこの実の能力を使う際、人間の形を成したまま、発動できないということだ。人のままでは歌声は響いても、効果は発動しない。

 

 その中を声音が、意識の槍となり全てへと突きささる。

 しかし喧騒は収まらない。剣戟が、銃声が鳴り止まず、叫喚が続く。

 

 

 

 (エース、ルフィに伝えて。側舷から離れてって。…すぐ戻る。戻るまで何とかお願い)

 急に何事だと、エースが弟を探す。騒ぎの中心を見れば大体そこにいる、と兄はゴムゴムの体を使って海兵に混じり、海賊達へ打撃を与えていたルフィを視野に収める。

 薙がれる白い鉄光を読み、避けながら人と人の間をすり抜けた。

 見聞色で動きを読めば、相手の何手も先を簡単に予測出来るようになる。

 

 「こいつはおれの弟なんだ。手出しは無用で頼む」

 六式の技を使い、海賊が力を込めて振りかぶった剣を片手でエースは受け止めた。鉄塊は便利な技だ。肉体を鉄以上の固さに、鍛錬の度合いで変化させる事が出来る。

 腕を払い、相手の体勢が傾いたその瞬間を狙い、ふわりと身を空中に浮かせ嵐脚を両足から放ち、押し寄せていた人垣を崩した。

 

 方割れの気配を感じ、空に目を向ける。

 「こんにゃろう!! エースにばかり、いいとこもって行かれてたまるか!!!」

 繰り出すしたのは銃(ピストル)を複数回叩き入れる、銃乱打(ガトリング)だ。

 「ったく、船壊してどうする」

 離れさせろ、と言っていたのはこれかと、エースは身をひるがえした。

 能力者にとって海で戦う場合、足場が最も重要となる。

 剃は覚えても月歩はまだ習得できてはいない弟の手を兄が掴み取り、空を蹴った。

 

 空から歌声が降る。

 それは忍が歌う音に無理矢理被せた遠慮のない謳いかただった。有名な曲だ。知っていても不思議ではない。

 正義のコートが風を受け音を立てる。海賊船のマストに降り立ったアンが旋律に沿って言葉を紡ぎ出した。

 「忍さん、怖い顔してる。美人が鬼の形相すると迫力あるよねぇ」

 「……ったく、いい性格してるよお前」

 心底嫌そうな顔をしたシノブが目を瞑る。気持ちを切り替えるためだ。鼻孔から息を吸い、横から聞こえる声に添うように高らかに歌い出す。

 声音が一転した。感情をただ爆発させた、ただの音ではなく鈴を振るような甘さや誘いが含まれた。それを耳にすれば思わず誰もが戦いを忘れてその場に立ちつくした。そして力が抜けた手のひらから、剣を、銃を手から落としてゆく。敵味方入り混じりまどろむような恍惚とした面持ちへと変化し。瞼が落ち、今すぐにでも倒れてしまいそうな表情を誰もが浮かべはじめている。

 

 「おっと」

 エースは間一髪で眠りに落ち倒れる寸前の弟の体を捕まえる。

 「能力者だったのか」

 柔らかな歌だった。耳に心地よく響き、どことなく安心できるような雰囲気がある。

 

 「これね、子守唄なの」

 いつの間にか弟を背負ったエースの横に、アンが降り立っていた。

 「良い歌でしょ」

 

 ねむれよい子よ 庭や牧場に

 鳥もひつじも みんなねむれば

 月はまどから 銀の光を

 そそぐ この夜

 ねむれよい子よ ねむれや

 

 家の内外 音はしずまり

 たなのねずみも みんなねむれば

 奥のへやから 声のひそかに

 ひびくばかりよ

 ねむれよい子よ ねむれや

 

 いつも楽しい しあわせな子よ

 おもちゃいろいろ あまいお菓子(かし)も

 みんなそなたの めざめ待つゆえ

 夢にこよいを

 ねむれよい子よ ねむれや

 

 アンもエース達が分かる言葉で詩を歌う。

 「これはね、フリースの子守唄って言われてて、有名な曲なのよ」

 あちら側の母に良く歌って貰っていた。懐かしい思いが胸にこみ上げてくる。

 「それ、小さい頃歌ってたやつだな」

 「あ、うん。ひっそり歌ってたつもりだったんだけれど」

 頬を染めてはにかむアンの頭に、エースが顎を乗せる。

 心に大きなわだかまりが生まれ、そしてそれがしこりとなる前に溶かした歌だ。忘れるはずもない。

 

 

 海賊船だけでなく今まで戦いの最中にあった両者共々、その場に崩れ落ちていた。

 「すげェ能力だな、あれ」

 そうだね。

 アンもこちらを探るように見てすぐにツンとそっぽを向いたシノブを視線で追いかけた。

 知らぬ間に唇に笑みが形作られる。

 

 「運良くシノブさんの能力も見れた事だし。ロープで縛ろうか」

 義祖父も立ったまま、鼻提灯を作って眠っている。

 今現在この2隻の船の中で、起きているのはシノブと双子だけだ。

 実の力によって眠らされた海賊は、海兵も含めて手荒に扱ってもなかなか目を覚まさない。

 きっと悪魔と忍の相性が良いのだろう。

 

 「本気で歌ったのに」

 渡り板を伝ってやってきた姿にふたりが目線を向けた。シノブが悔しそうに笑んでいる。

 「実はわたし、生きた海楼石って言われてるの。実の力を無効化するくらい、お手の物よ」

 忍は放たれた言葉の意味を考える。

 海楼石は能力者の力を一時的にだが無効化する海の鉱物だったはずだ。エースと握りあった手、それが歌の効力をかき消したのだろう。瞬間移動に海楼石効果。なんという優遇っぷりであろうか。

 大きなため息を隠さずに落としたあと、周囲の状況を見回し腰に手を当てる。とんでもない人物の手を取ってしまったものだ、と。

 

 「秘め事は後幾つほど?」

 「さあ。残る秘密の果実は酸いか甘いか。お楽しみ、ということで」

 

 手の内にある謎はまだある、と暗に示され、シノブは口角を吊上げる。その内語ってくれるのだろうか。

 シノブは言及せず、戦いの終わりを告げた。

 「ええ、歌姫のおっしゃる通りに」

 軍艦の倉庫より大量のロープを引っ張り出し、手際良く海賊達の体にかけてゆく。

 その縛り方は鮮やかだった。時折、これはヤバいんじゃないだろうかという縛りもあり、シノブは苦笑しながら指をさした。数はひとつだけだったが、亀の甲羅を模した縄の形はやめておけと思う。

 答えは唇の前に差し出された人差し指だ。

 「ここだとモーガンさんが居る支部が近いかな。曳航出来るといいなぁ」

 

 船の壊れっぷりにアンは苦笑を零した。

 助かったとしても。この海賊船に乗る、生き残れた男たちはきっと、支部で振り分けられテキーラウルフに"労働力"として送られるだろう。

 そういう仕組みをアンが作った。天竜人が娯楽の一環として作らせ始めた橋の労働力を確保するためとして。海賊達を収容するための牢獄が満員であるからとして。海賊に身を落とした者たちであっても、更正の機会を与えるためという名目で

 シノブには知られてはいけない。アンは思う。知ればきっと怒ると。そんな予感がした。

 

 向こうとこちらでは、徹底的に社会の地盤が違う。

 あちらでの悪と善が、こちら側ではイコールで繋がる考え方ではない。

 時代により、世代により、暮らす地により、価値観や考え方が違うように、こちらのあるがままを受け入れなければ、世界を否定しなければならない。今ある全てが偽りだと、アンには言えなかった。世界には今の体制に疑問を抱かず、穏やかに暮らしている人もいる。その人達にあなた達は間違っている、と、革命軍のようには叫べなかった。

 

 こうあるべきではない、と。

 長きに渡る、世界貴族を頂点とした世界政府の支配に疑問が投げかけられ始めている。

 この動きはもう止まらない。

 そうなった時に、忍はきっと近しい考え方をもつ、革命軍に身を寄せるだろう。

 構わないと思った。

 選択は無数にある。その中でこれ、と選ぶ道ならば二股の路をそれぞれ進むんでもいい。

 

 今の仕組みのまま。存続させる手立てもある。

 幾つかその選択肢が、両の手の中に落とされていた。

 政治的にも、武力的にも。揮える力を渡されていた。

 けれどそれは、その気持ちは傲慢だった。心に色があるならば、その思いは闇といえる。全てを塗りつぶす、黒。

 

 アンはほほ笑みの仮面を被り、必死に押し殺す。

 拿捕したこの船に乗っていた多くが飢餓に苦しんでいたことを、ものが物言わぬ骸が船底に在ることを、アンはゆっくりと飲み込む。知らないままでも生きていける人にわざわざ教える必要はないのだ。

 


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