ONE PIECE~Two one~   作:環 円

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39-オハラの子

 オハラの子。

 その語句を聞いてアンが思い出すのはひとりの少女だ。

 造船技師であるトムが不安要素、と表現したその少女は弱冠8歳で考古学者となった、ニコ・ロビン。

 かつて西の海に存在していた世界最大の図書館、『全知の樹』があった島で暮らしていた人物だ。

 今現在、その島に居住し生活を営む人々はいない。…許されていない。

 エースとアンがこの世に産み落とされた年に、バスターコールを掛けられ壊滅したのだ。以降、世界政府によって地図上からも消され、居住不可として今も静かに存在し続けている。その島に住んでいた住人達はことごとく死を与えられ、かつて住んだ事があった、もしくは一定期間以上滞在していた人物も秘密裏に処理されたと聞く。

 神の如くその名を模して世界を真上から見下ろし、無慈悲にも全てを消滅させてしまう殲滅戦が行われたその地には多くの、守るために沈められた本の残骸が今も多く眠っているという。

 

 「…で、わたしになにをお望みでしょう」

 執務室で珍しく書類にサインをしているクザンの横でアンは問う。珍しく素直にデスクワークを始めた青雉大将補佐として、書類の内容を読み込み上司であるクザンに説明し、サインを書かせるだけの簡単なお仕事をしながらだ。

 今まで副官としてつき従っていたヒナはアンの異動を受け大佐へ昇格後、艦を預けられ長として初航海に出ていた。

 スモーカーはまだ直下に配属されているが、近々どこかの支部を任せようと言う話になっているらしい。どこがいいかと聞かれたので、『ローグタウン』と東の海における最終防衛線を推薦しておいた。

 長年、青雉大将の副官をしている人物は、クザンの職務怠慢の煽りを受け新兵の訓練を任され行っている。

 故にまだ、アンはいつものマリンフォードで職務に当たっていた。

 

 出入り口にはセンゴクの息がかかった海兵が立ち、出入りするものを選別している。

 なぜかアンは書類が終わるまで、お目付け役とし青雉大将の副長デビューも含めて、共にカンズメ状態にされてしまった。なぜ閉じ込められているのか全く分からない。久々に船で海に出られると思っていたのに、大誤算だ。

 立場としては異動と同時に大佐という階級も付与され、名実共に海軍の一翼として立てられている。

 本人としてはボール引きの日に申し送りが行われなかった為、据え置きと思っていたのだがそうは問屋が下ろさなかった。

 

 要因は多々あれど、表向きの理由としては。

 エンポリオ・イワンコフを単独で捕縛し、しかも該当の町で全くの被害を出さず、インペルダウンにまで護送した功績が、否応なく地位を押し上げたのだ、ということにされている。

 事実だけを並べるならば、海桜石の手錠をするはいいが、エニエス・ロビーに行く前にちょっと腹ごしらえをしてからにしよう、というアンの提案を快く受け入れてくれたイワちゃんと遅めの昼食を食べ、気になっていたキッチン雑貨の店によりウインドウショッピングまで付き合ってもらい、瞬間移動でしゅっと入っただけである。

 あとの2年を有意義に過ごすならば。

 義祖父の船が一番居心地が良い、と分かっていた。しかしなにやら罠を仕掛けられているようで、ピンポン玉を元帥が差し出してくれたのが救いの手に見えてしまった。

 

 ちなみにもしガープの艦隊に配属されたならば、次年度には中将の椅子に無理矢理にでも座らせようとしていたセンゴクの思惑など知る訳もなく、アンは黙々と今、実務をこなしている。

 

 「そいつのだな…」

 ペンにインクを付けながら、青雉がちらりと視線を横に向ける。

 「ちょちょいと行方…捜せねェかと思ったんだが…無理か?」

 

 すぐに視線を外されてしまい、アンは小さく息を吐く。十分な情報が無ければ探すも何も、出来はしない。

 「立ち入った話、聞いてもいいかな」

 任務では無い、と悟ったアンが言葉遣いを砕く。任務中であれば、軍人として組織の上役である青雉大将に、このような話し方はしない。だが今は執務室にふたりきりだ。誰に聞かれる心配も無いだろう。

 

 「まあ…なんだ。親友の忘れ形見、みたいなもんでな」

 「彼女が?」

 

 一体どういう関係なのか脳の中で関係図が組まれる。

 彼女についてはCPの非正規として組み込まれた時点で、最重要監視対象として資料を渡されていた。名と出身地と、罪状だけが書かれた簡素な手配書に首を傾げたのを覚えている。担当部署は書かれていなかった。なるほど、青雉預かりの案件であったのかと、アンは上司の殻を脱いだクザンの話に耳を傾ける。だが歯切りが悪い。大事な部分を隠しながら、言葉を選んでいるようだった。

 

 聞けばかつてのオハラ大破壊を良しとしなかった巨人族の中将が、必死で守り抜いた少女がニコ・ロビンなのだという。クザンは親友の取った行動の末を見るため、島の外へ逃がしてやった経緯を語った。それ以来CPを使って居所を監視し続けていたのだが、追手を撒いて姿を消してしまったのだと言う。

 「どこかの組織に取り入って、隠れ家にしてるんだろうけどな」

 悪意が込められた言葉にアンは次を待ったが、ペンが紙の上を滑り続ける音しか聞こえてこない。

 話は以上だと、言葉ではなく態度で示している。

 

 「知ってどうするつもり?」

 「どうもしねェさ……」

 ただ。危険視されている人物を監視も付けずに野放しにも出来まい?

 

 真意がどこにあるのか。

 アンは小さく息を吐き、クザンを見る。

 感情的になってはいない。彼の掲げるだらけた正義はある意味、激昂しやすい己を戒めるための鎖だ。元々だらけ癖があるのは重々わかっている。必要最低限の動作で物事を行なう人物であったと、ゼファー先生からのありがたい情報も頂いている。

 

 彼女に関して抱く感情は。

 つかみどころが無く、とてつもなく空虚だ。親友の忘れ形見と言葉する声にも熱が含まれていなかった。ニコ・ロビン、という個人に対しては何の感情も抱いてはいない。好き、や嫌いではない。ではなぜここまで『執着』するのか。

 

 『D』にまつわる話か、それとも歴史の本文(ボーネグリフ)に関する秘匿か。

 

 とアンはクザンから漏れた人の良さそうな巨人族の友人を振り返る。資料室で名前を調べれば分かるだろう。

 Dの危険性、そして歴史の本文(ボーネグリフ)に関しては大将という地位に立てば、自動的に共犯者へと組み込まれ、疑問を抱かず飲み込めと押し付けられる。

 長く海軍に務めれば、義祖父やおつるのように中将であっても秘密の共有を求められるが、頻繁に起きない事例であろう。

 

 「あのね、クザン」

 

 この際だからはっきりと言っておくと書類を置いてアンは青雉を見る。黒の、三白眼がゆっくりとアンと視線を合わせてきた。

 「わたしは、クザンの想いには応えられない。デイハルドの件があるから、ってわけじゃないよ」

 

 可愛い、可愛いと好意を向けられるくすぐったさは、とても気持ちいい。

 愛されると満たされるからだ。誰だって嫌い、と言われるより好きと言って貰いたいだろう。

 いい気になり、誰かに勝ち誇るような傲慢な態度を取りたくなるのが人間の業でもある。

 

 「クザンがね、誰とわたしを重ねているのか、ずっとわからなかったの。なんで大切にしてくれるんだろう、どうしてだろうってって」

 

 義祖父は分かる。血はつながっていないが肉親と言っても過言ではない。

 サカズキも娘のように扱ってくれる。ボルサリーノは従兄弟の叔父のようである。センゴクは彼が多く抱える息子達と同じ感情で、おつるは孫だ。義祖父と同じ雰囲気である。

 

 唯一分からなかったのが、クザンだ。

 

 彼女、だね? 

 

 青雉船に空きがないからと船長室が寝起きの場所になることも、先日、抱き枕にはならないから覚悟しろと言ったにも関わらず、航海に出れば早速されそうになっていることも。どうしてアンを囲いたがっているのか。

 彼女とアンを重ねたのだ。境遇は違うが、よく似た雰囲気なのだろう。

 アンは二度目の生を生きていると自覚しているため、大人の考えにも同調できるが、もし彼女がアンと似た思考に至るには、どれほどの痛みと辛酸を舐め、身を縮めて生きてきたのだろうか。

 

 「なにを怖がっているのかは分からない。わたしはクザンではないから」

 

 だから教えて。

 

 アンの表情は穏やかだ。本当に15歳かと見紛うほどである。

 定期的に送られてくる報告書の、ニコ・ロビンの表情も年齢を感じさせない、どちらかと言えば若年寄な雰囲気すら放ち始めている。その変化は良いこと、ではなかった。経験を積んで達観するのではなく、追い詰められた境遇ゆえにそう思い至らねばならなかった事実が浮かび上がってくるからだ。

 アンとは全く違う。だがその危なげな立ち位置は息を呑むほどそっくりだ。

 

 「少なくとも、お前の存在は嵐を起す。既にいくつも作っては散らし、を繰り返しているんだ。分かるな?」

 アンはゆっくりと頷く。

 「あれもそうだ。歴史の本文(ボーネグリフ)を追い求める考古学者の末であるあれは、お前とはまた違った嵐の種を持っている」

 

 放置してはおけない。されど、手を差し伸べるわけにもいかない。

 中途半端であった。

 

 (……これは、ああ、なるほど)

 

 クザンは、義祖父と同じなのだろう。師と弟子は似るという。どこかしらに共通点があるという。

 クザンの心を揺さぶるものは、近しいものとしての情である。だがそれをクザンは認識していない。しているのかもしれないが、わざと知らない振りをしている。だから心の底にいつもなにか、心配の種を持ちそれが体と精神に影響をもたらして、眠りが浅くなっている原因のひとつを作り上げているのだ。

 

 手放したいのか、捕まえたいのか。

 そんなに心配ならば囲ってしまえば良いものを、世界政府から賞金首として指名手配をかけられているからと次の一歩が踏み出せないでいる。なんなら海兵を辞めて、ニコ・ロビンの側に居てやればいいのに、とも思う。ああ、なるほど。そうなれば海軍の情報が手に入らなくなるから、反対に動きにくくなるのか。

 

 アンは次々と勝手に思考を組み立て始める。

 クザンが個人的に動くのは、彼女のためでもあったのだろう。歪な愛情だ。

 アンの周囲も決して歪んでいないか、と言われれば、極端から極端に曲がりに曲がっている。自分が兄弟間に抱くこの思いも、きっと普通ではないだろう。

 

 「……お兄ちゃん?」

 

 がたり、と青雉が椅子から立ち上がり、鳩が豆鉄砲を食らったかのような面になっている。

 なるほど、なるほど。

 アンはにんまり、と笑む。

 随分とすっきりした。

 青雉も他の大将達と同じく可愛がってくれるのは分かっていた。だが何かが違うのだ。義祖父のような無条件の愛情でも、黄猿や赤犬のような見守るようなものでもなかった。

 共に歩く、戦友のような。近しい存在であったのだ。

 親のようにがみがみ煩くはないが、適度に釘を刺してくれる。自分よりほんの少し目線を高くもった助言者。

 

 「レファ・アラモンのシュークリーム全種類で手を打とうかと思うのだけれど」

 「……わかった」

 

 アンは了解、と頷き椅子に座りなおさず、執務室の隣にある給湯室に入り、煎茶の用意を始めた。甘いものが冷蔵庫に無いと見れば、クザンから小銭を貰ってプリンとお徳用のチョコレートを一袋買いに外に出る。普通の人間は窓から出入りしないものであるが、どんなに高層であろうとも、アンの行く手を遮るものとはなりえない。

 美味しく蒸れた頃に戻ってきたアンは、袋を破り、上司の机の上にチョコレートを広げた。

 案外知られては居ないが、クザンはホットチョコレートが好物である。ブランデー系を垂らせば何杯でも飲んだ。塊は飲むほど口に入れないが、それでもこうして広げておくと手が勝手に動き口の中へ茶色の甘味が消えて行く。

 

 茶を飲み、プリンを食べ、書類を捌きながら”お兄ちゃん”から詳細を引き出してゆく。

 

 脳に負担がかかるため余り多用したくはないが、やろうと思えばその人を思い浮かべれば大体の位置は把握しようと思えば出来た。だがあちらの世界にある高性能レーダーのように、完璧な索敵が出来るわけでも無い。

 占いのような不確定な未来ではないが、あくまでもここらへん、という大雑把な情報(もの)になってしまう。

 精度的には直に会い、その人物をよく知れば知るほど、確かに分かるが、ニコ・ロビンの場合は手配書の写真しかない。大雑把に、偉大なる航海(グランドライン)にいるかも、としか現時点では分からなかった。

 

 見聞色をこのように使うのはアンが始めてらしく、使い手の多くがやり方を、と伝授を求めるがいまいちわからないでいる。

 こんな感じ、という曖昧さしかないのだ。技術を得るように、段階があるわけではない。シャンクスから色を解き放って貰った時に、把握できる世界の範囲が広がったのだ。それは気付き、だ。こうしてこうする、という手段ではない。

 

 チョコレートを口に放り込んでいた手が止まる。

 

 「オハラの末、かぁ。求めるものはただひとつ。そのひとつを知られたら、世界政府が崩れる、と。まだそこまで弱体化してるとは思わないんだけれどなぁ」

 

 確かにひび割れた部分からぽろぽろと軋みは出ているが。

 知りたいというただひたすらにその一点だけの欲求に突き動かされ、考古学者という存在は活発に動き回る。知りたいならば教えてやればいいのに。それをどう扱うか、が問題であるだけで。

 そうか。知られ、どう使われるのか、を監視する目と耳が足りないのか。放置してよほどのこと、になったら大変だし? だから出る釘を打つ、か。蓄積幅が嵩増ししてるだろうなぁ。Dの一族を畏れるなら、こういう事も、ちゃんと対処していかなきゃいけないのに。

 

 考えつつもそれをわざわざ教えてやる義理も無いアンは、未来を憂える。

 それを認識している天竜人が余りにも少なく、デイハルドですらさじを投げ、もしかして、に備えてアンを使い用意しているなどどれほどが把握しているのだろう。

 

 「900年、だよ。100年ひと昔、ともいうのに。だからなのかな。かつて何があったのか、知りたいって思うのは」

 クザンは口を挟まず、ただ耳を傾けている。

 「歴史の本文(ボーネグリフ)は、クザンも知ってるだろうケド、20の王たちが座していた場所には必ず在るんだよね」

 

 特に重要なものほど。

 手を止め、青雉がアンを見る。数字の訂正をもとめながら、アンは静かに地名を告げた。

 はやりそこか、と青雉はアイマスクを下げる。

 

 彼女の、次の目的地は、太陽の国、アラバスタ。

 

 アラバスタは"偉大なる航路(グランドライン)"内にある砂の王国の名だ。航路内中でも有数の文明大国として名が知られていた。そしてそこには"歴史の本文(ポーネグリフ)"という石碑がひっそりと眠っている。

 大将としての職務に就く際、この秘密を教えられてた。

 

 何かを思考する時、クザンが眠ったふりをするとアンは知っていた。

 赤犬の船からマリンフォード勤務に移った際、居住を義祖父の家に変えたまま現在も進行形だ。本来ならクザンの家へと居候かと引越しの準備にうんざりとしたが、義祖父がそのままにしておけと、元帥になにやら掛け合って現状維持となったらしい。

 そのため義祖父の家は、少々賑やかさが増している。

 クザンの来訪が増え、義祖父が留守でも赤犬や黄猿、おつるに加え元帥までもがやってくるようになっていた。

 

 一家団欒。

 

 その風景になんとなく胸が温かくなる。ダダンの家で過ごした幼少期もこんな風に賑やかであった。

 たまにこちらへ泊まりに来るようになっている兄弟たちと鉢合わないようにだけ気をつければ、充実した生活を送れているのだと実感できる。忙しすぎるのもあと2年だ。暇になれば忙しくなりたいと思うだろうし、今のうちに忙し尽くしでもいいような気がした。

 

 センゴクだけではなく、この家に来てくれる多くがアンを逃がさぬ気でいるのは分かっている。

 先日などはセンゴクが義祖父と一献交わしながら、近々CP9が機密を追ってウォーターセブンへ潜入するという話をしていた。横にアンが居てもお構いなしに、だ。

 

 聞かれたとしても別段構わない。すでにお前はこの機密を知っておかしくは無い場所に立っているのだと。

 暗に示されているのだ。

 

 そしてその、不意に与えられた情報をどのように使うのか。

 見られている。

 

 調べれば分かるはずなのだ。

 アンがトムズワーカーズと関係を持っていたと、CPであればすぐに掴めるだろう。

 当時はこんな事になると想像していなかったし隠す必要性を感じていなかった。だからアンが廃船島で飛び回っている姿を目撃している住人も多かったはずだ。

 

 今年に入りアイスバーグはウォーターセブンにある、7つの造船会社をまとめ上げ、ガレーラカンパニーという造船会社を立ち上げた。しかも早々と世界政府御用達の札も得たという。かつての賑わいを取り戻した町の姿は様々な音で満たされている。その音(ね)をトムにも聞かせてあげたいと思うほどに、町は息を吹き返した。

 

 彼の腕に惚れ続々と町の内部、そして外部から職人たちが集まってきているという。

 さすがはトムの一番弟子、託された設計図の隠し方にも工夫を凝らしているようだった。

 ちなみにアイスバーグはトムが新世界で生きていると知っている。

 こっそりとふたりきりになれる暴走列車の倉庫で、定期的に近況を伝えてもいたからだ。

 

 

 「…ちょっくら行ってくるかアラバスタ」

 「クザンは仕事、してて」

 言い出すだろうと思った。ここからどれ程の距離があるのか分かって言っているのだろうか。

 アンは書類束を指さす。大半をすでにおつるの元へ送り済みではあるが、それでも次々と溜まってゆく紙束にうんざりとした気分になってきていた。既に終わった決済だけではない。必要になるかもしれない、予定の書類まで回ってきている。申請書を出してもなかなか戻ってこないのが普通と化した青雉艦の将校たちは、今がチャンスだといわんばかりに大将の元へ紙を積み上げたのである。

 今まで書類仕事をしてきて、放り出したくなったのは初めてだった。

 

 青雉の部隊に所属してビックリしたひとつが、長であるクザンの逃亡癖を補う為に副官が船の運航までを左右する権限を施行していた事だ。ヒナが艦を与えられ、即日任務につけた理由も納得できる。午前中はこの島内に居た筈のスモーカーもいつの間にか小隊を率いて、近場の島で暴れているという海賊を取り締まりに出かけていた。

 報告は全て事後。面白い体系ではある。

 万が一何かが起こった場合も、すぐさま電伝虫で連絡してくる手はずになっている。

 実力的にはスモーカーも艦を持ち、部下を率いる立場になってもおかしく無い力量を持っていた。だが地位に関してアンと同じく無関心である上、軍規違反を繰り返している為なかなか昇格とはならない事情が足を引っ張っている。

 

 アンはそんなケムリンに好感を持っていた。

 本音と建前を使わなくても話せる、貴重な友人として、である。彼の探し物が見つかるのは、もう少し先になる。それまでもがけばいいのだ。どうしても手にしたいと願うようになるまで、くすぶり続ければいい。助言はもう終わっている。あとはケムリンの頑張り次第だ。

 (……好きな人、か)

 女性士官が恋人云々と話しているのを横で聞くこともあるが、アンにとってはまだまだ縁遠い未来の話に過ぎない。

 もし付き合って欲しいといわれても、頷けないのが現状だ。構っていられないという本音もある。

 ただデイハルドに所有物認定されている時点で、声をかけてくれる猛者など現れないだろうが。

 

 アンが数日留守にしても、クザンに付き従って長い副長殿と、よほどの事件がなければ、力技方面でもスモーカーが対処するだろう。

 手がつけられないならば、アンが青雉を連れて飛べばいいだけの話だ。

 部下が頑張って散っている間、艦長たるクザンは日頃のサボりを挽回出来るよう執務室で監禁状態に置かれる事も致し方ない。

 はっきり言って副官が優秀すぎるのも青雉逃亡の原因となるのだから、困った話だ。

 

 「行くならわたしが行ってきます。丁度ビビとも会う約束をしていたし、なにより今この部屋に、なぜ監禁されてるって分かってて言ってる?」

 「これは任務じゃねェんだ…副官動かすと問題があってだな…休暇は余ってねェよなぁ」

 

 あるんだなぁ、これが。

 なぜか都合よく用意されている有給をちらつかせる。ほとんどの海兵は有給を給与に変えるが、こんなこともあろうかとアンはずっと懐で温め続けていた。

 おつる中将と本部に寝泊まりした幾日かの分が消費されずに残っていた分である。責任ある地位に就くと、私的な時間が大幅に削られてしまう。それは仕事柄、仕方が無いと言ってしまえばそうなのだが、この年齢から仕事中毒(ワーカーホリック)になるのもご免被りたくはあった。

 

 中身の年齢をこちらで過ごしている年月と足せるならば、結構な歳になる。丁度働き盛りと言われる年頃だが、17から先、別の忙しさに目を回すことになるだろう。責務からは解放されるが、それ以上の責任が肩にのしかかってくるに違いない。

 生き急ぐ、ではないが限られた時間内でやろうとしている事柄が多いのだ。先日エースとたてた航海予定では半年で"偉大なる航路(グランドライン)"前半を通過、となっている。

 とある件から随時その状態が保たれるようになり、生きた海楼石と称されるようになったアンが乗り込む船は、船底に同品を敷き詰めたのと同じ状態となる。なので動力さえあれば、凪地帯を通る事が可能になってしまった。

 

 どこで習ったのか風を操る術を会得したアンであれば、凪状態でも帆を膨らませる事が出来る。アン曰く、ジンベエが水を持って投げつけるように、アンも風をむんずと掴んで引っ張れば出来てしまった、のだからこの世は不思議世界と言ってもまったくおかしくは無いだろう。どこまで世界はアンという存在に力を持たせ一極に集中させたいのか。

 

 今回の休暇は海軍を辞めるつもりでいたアンが、帰省準備に当てるために取ったものだ。

 途中でアラバスタ行きを挟んだのは、ビビに愚痴を聞いてもらいたかったからである。

 2年後の航海予定を組み、簡易地図に書き込めばありえない航路となっていた。手っ取り早く新世界に行きたいのであれば、凪地帯を抜けたほうが早い。だがエースは双子岬から偉大なる航路(グランドライン)に入ることを希望している。

 

 絶景を見たいのだ、という。その情報元は弟だった。

 シャンクスから聞いたという、不思議岬の不思議絶景は絶対に見たほうがいい、と。

 折角偉大なる航路(グランドライン)にはいるのだから、色々な場所に行きたいという希望も分かる。所変われば品変わるからだ。ドーン島と隣の、というには距離があるが、デーン島が同じ生態系を形成していないように、行くところ、訪れるところ全てが違う。

 

 浪漫に付き合っていたら、幾ら用意周到に準備していても間に合わないのである。

 だが男という生き物は、目を輝かせて夢を、目的を語る。それを叶えてあげたいと、願ってしまった。

 

 そんな、ささやかな抵抗としてのアンの愚痴である。そしてビビはどんな話題でも興味深げに聞いてくれるのだ。いつか自分も海に出てみたいと。王女であるから冒険などは無理だろうが、冒険の話を聞いて想像することは、出来るから。

 世界会議という場所から始まった交友は、じっくりと回を重ねるごとに深まっている。

 

 「……記録指針(ログポース)と地図の買出しにも行きたいんですよね」

 「そりゃあ、また、どうした」

 

 彼女の位置を探索するときに、必要かな、って。と、曖昧にアンがぼかした。

 本当は別の目的に使うためだ。

 

 水を掴む、というジンベエの人知を超えた離れ業を真似して暴風を巻き起こしたアンであるが、それ以後、時折めまいを感じるようになっていた。脳の奥がもやもやとする、というほうが正しい。感覚に手を伸ばしてもふわりとかわされ、要領を得ない。

 相談した義祖父にも意味わからん、と言われてしまっていた。それはそうだろう。アンのような症状に陥った誰かを見たことがないのだから。

 Dr.ベガバンクにだけは知られるわけにはいかなかった。

 別件が入り、アンに割く時間が無くなっているこの、幸せな静かな時間を削られたくは無い。

 もやもやを抱えたまま、エースと共にシャンクスの元へ通うこと数回目、見聞色の視野を広げている最中に随分と遠くまで見通せ過ぎることに気が付いた。

 世界を二分する赤い土の大陸(レッドライン)、各地の海に広がる島々。

 シャンクスにそれを伝えれば、思いっきり頭をぐしゃぐしゃにされた。師が彼の副官にこの周囲の地図を用意させると、アンに目隠しをさせ、情報を拾わせて地図と対比させ始める。

 すれば見事に全てが当てはまったのだ。通常、偉大なる航路(グランドライン)と新世界は記録指針(ログポース)で示される路でのみ行き来が可能となっている。海図だけでは航海出来ないのだ。

 

 しかしアンはこの道具を必要としない体になっていた。

 見聞色で見渡せる範囲に限るものの、島が一体どこにあるのか、進む先の天候はどうであるのか。何か異常気象が起きていないか。等々を見ることが出来たのである。

 一般的には磁気を辿ってでしか行けない一本道をジグザクに、島を選んで進む事さえ可能となったのだ。

 

 シャンクス曰く、世界の粋を集めて固めたような面白い存在になってきたな、と。

 父もアンほどの極端ではなかったものの、似たような現象を見せてくれていたと告げられれば、これは血が原因か、と落ち込む要素になってしまった。

 血が濃い、ということは余り良い状態ではないからだ。

 

 ある意味強みでもあるだろう。航海者としては、特にそうだ。

 故にこの秘密は、義祖父とシャンクス、エースだけが知る秘密となった。

 しかしこの能力にもまた欠点があり、訓練をし続けなければ島の影が揺らめいて不鮮明になるのだ。だから師から、出来れば訓練し続けるように言われている。

 

 

 「青雉大将、指令(オーダー)を。お望みのものを持ちかえりましょう」

 その代り。

 「ちゃーんとおつるさんにこれ、書類関係出しておいてくださいね。急ぎの分は特に。あと生卵の一気飲みで朝ご飯摂らないように。おじいちゃんが明後日くらいに帰ってくるので、仲良くしておいてください。それとシュークリームしっかりとお願いします」

 

 あとお小遣いも下さい。

 ちゃっかりと、お金には全く困っていないはずのアンが両手を広げて笑んだ。

 これは貸し借りではない。ここできっちり清算されるので、気にしなくていい、という大人のやり取りであるとクザンも気付く。

 

 ああそれと絶対に喧嘩はしちゃだめだとか、次々と加わる注意事項に、青雉は柔らかな笑みを思わず浮かべた。

 「はいはい、解ったから。お前さんが居なくても気を付ける、だから安心して行っといで」

 青雉は己の横に立つ小さな少女の頭をぽんぽんと叩く。

 

 幼児と言ってしまって良い頃に一度、そして11歳から今まで、クザンはその成長を見守ってきた。海軍に入隊し、世話になってきたガープにされた、忠告も無視してしまうほどに、可愛いくも大人顔負けの正論を引っ張り出してくるクソ餓鬼だ。

 大人しく操り人形などになってはくれない。敷いたレールも道路も悠々と飛び越えてそのまた隣へと飛び移る。

 

 愉快だった。クザンがまだ若かりし頃、恩師が次世代に向かい、これから先の未来を切り開くのは自分達老兵ではない、お前たちなのだと言っていた意味がようやくわかった。

 この背を、大将の椅子に座る青雉に憧れを抱き海軍の門を叩く若者がこの世界のどこかに存在している。

 その者がこの背を追いかけ、そして追い越してゆくのだろう。かつて恩師も感じていたに違いない。己が立ち止まった、これ以上走れないと歩みを止めた場所のその横側を、若手の海兵が仲間と共に走り抜けてゆく。

 

 気付き、そうなのだと納得する。

 この少女を手放せない理由、クザンは少女の背を、見送りたいのである。

 ニコ・ロビンと重ねた? そうだ。二度も間違うなど愚の骨頂だ。

 この感情はボルサリーノのように一歩引いた立場で手を差し出すような想いでも、サカズキのような家族へ向ける柔らかなまなざしとも違う。

 これは。クザンは黒の瞳からすい、と視線を逸らした。

 名前を付けてしまうには危険過ぎるのだ。男であれば、誰しもが一度は抱く。

 兄と呼んでくれるならば、甘んじればよい。程よく近しい関係になれるだろう。

 

 「いっといで、頼んだよ」

 「はい、クザン」

 

 黒の瞳が笑みを形作り、大きく頷いた。

 

 

 

 数日後、アンは砂の大地に降り立つ。見事なほど見渡す限り砂ばかりだ。 

 "歴史の本文(ポーネグリフ)"が眠るサンディ島、アラバスタ王国には独自の歴が残るほど永い営みが続いている。

 その首都、アルバーナには大勢の人が暮らしていた。

 大きな円状の大地の上に建設された都市は砂に埋もれる事無くあり続け、少量とはいえ空からの恵みある祝福された地だ。

  

 雰囲気的にはエジプトやシリア、サウジアラビア、に良く似ているのだろうか。

 居住する国から2度ほどしか出た事の無かったアンは、その殆どの知識を本やネットに依存していた。分からない何かがあると、キーワードを打ちこむだけで簡単に情報を得られる。

 此方でも是非にそういう物を欲したが、無い物ねだりだった。

 世界政府は世界が分断されたままを望んでいる。世界が狭まるのを良しとしていない。ただ情報のやり取りが全く出来ない状態というのも世界に閉塞感をもたらすとして、ある程度の交流を推奨していた。挙げるとするならば、ニュース・クーを使った報道であり、大電伝虫を使ったテレビ放送などだ。

 

 宿で手続きをする。

 王宮に泊まればいいのに、とお誘いを受けたがそうもいかない理由が出来てしまったのだから仕方が無い。

 早めに探し人が掴まればよいが、最悪の場合数十日かかるだろう。

 まだこの国には到着していない。が、滞在期間中に砂を踏む可能性も半分あるかないか。

 

 『明確な所在の確認』

 

 青雉が命じた内容はそれだけだった。接触を禁じられもしなければ、捕らえろとも言われなかった。

 「友人の選択の、その先を見る為に、か」

 オハラに関しての資料は少ない。調べようと思っても、紙に残っている情報が余りにも無く全く、分からないままだった。

 クザンの友人に関しては義祖父から名を聞き、調べ終わっている。

 人の手によって隠され分からないのであれば、それ以外に聞けばいい。アンは最終手段を講じた。

 

 世界へなにがあったのか、その記憶を問うたのだ。

 世界は容赦無かった。

 膨大な量の記憶を得た昨日は、ずきずきと痛む悩を抱え、訓練中、八つ当たりというなの発散を行ったのは言うまでも無い。

 

 だがそのおかげで、様々を知ることは出来た。

 オハラの子、がどうやって生きて来たのかも、全てだ。

 非道ともいえる人の所業により行われた行為で、たった一人で生きなければならなかった境遇は確かに、酷いものだった。しかし同情はしない。憐れんでも過去は動かないからだ。悲しかったね、大変だったね、そう言われたところで、困惑してしまうのは当人だ。

 今現在彼女が必要としているのは、終の棲家であり、受け入れてくれる誰か、なのだ。

 

 運命というものがある。

 超自然的な力に支配され、人の上に訪れる巡り合わせを指し示す。もしくは天命によって定められた人の運。どちらにしても定められた路は選びとらされるものだ。

 が、アンは抗う派だった。なぜそうなったかといえば、目の前に伸びる道のいたるところに絶望が敷き詰められていたからである。導き通りに進めば、望まぬ最後が訪れる。けれどこのまま道なき路を通ったとしても、結果、同じ場所へ続くのかもしれない。逆走すら、孫悟空がお釈迦様の掌から出られなかったように、目論見の中に含まれている可能性もあった。だからといって、仕方が無いと絶望を受け入れて歩むなど馬鹿らしい。

 

 とまで考え、絶望を見る。

 絶望、とわざわざ書いてくれているのならば、上手くそれを乗り切れないか、と切り替えたのだ。

 素直に絶望した! と叫ぶ趣味など持ち合わせてはいない。

 アンは悪あがきすることにした。海兵となったのも、エースと共に海を往く為に必要な力を蓄えるためだ。

 

 アンと彼女との違いは、経験と導きの手の多さだった。

 ただ、それだけの違い。だからこそ、アンは彼女を知り、余計に他人事とは思えなくなっていた。

 

 ぱちんと懐中時計を開く。

 ビビ王女との待ち合わせ時間までまだ少し間があった。

 タンクトップに半ズボンという動きやすい姿だが、この国では少々肌を露出しすぎな感じもしていた。じりじりと大地を照りつける太陽は、確実に肌を焼くからだ。このままの姿ならば数日で真っ黒になるだろう。それでマリンフォードに帰れば、どうなるか。

 一番出会いたくないのがサカズキだ。

 遊んじょる暇があるならわしが相手になってやろう。などと言われ嬉しくて付いて行ってしまいかねない。

 

 黄猿艦、赤犬艦というふたつの部隊で鍛え抜かれた体は、ちょっとやそっとの運動では満足できない体になっていた。

 島で兄弟達と暴れれば何とか解消出来るものの、赤犬との訓練は刺激的で楽しくなってしまうため、出来れば遠慮したいと願ってしまう。

 終わればまた、優しい存在に戻るのだが、それまでが恐ろしい。同じ段にい続けることを許してもらえないからだ。ひとつとは言わず、2段、3段と飛び上がっても良いのだと手を引かれる。

 この間、ボール引きの後などは3大将戦が行われ、随分とかわいがられてしまった。

 ひとりで3人を相手にするには、まだ力量が及ばない。

 けれど相手の実の力を思ったより広範囲で抑えられる感覚を手に入れられたのは、思いがけない幸運といえるだろう。

 

 「この国では既に、砂鰐さんが水面下で動いてるんだったっけ」

 小さく言葉し、唇を薄く濡らす。

 顔までは知られていないだろうが、アンも名が知れた将校になっていた。だからという訳でもないのだが出来るだけ滞在がばれないようにしなければ、後々の工作が面倒になってくる。個人的な休みで様々な国や島を訪れていても、何か事が起これば名乗り、動かねばならないからだ。

 特にアンの場合、デイハルドの影響を受け、治外法権を付与されている。行おうとは思わないが、どこであっても我がままに威を振えるのだ。

 

 露店で衣類を見ると、色とりどりの衣装が並んでいた。

 町を行く人々の姿を見ても、ターバンやフードを被り、薄手の長そでが多いように見える。

 イメージ的にはそう、アラビアンナイト、のシンドバッドに出るような砂漠の国を彷彿させる服装が多い。

 アンも何枚か、色を合わせながら購入した。

 首元が締まり長袖の先が大きく開いた、ウイッチスリーブブラウスに一目ぼれし、それに合うズボンとどこかの民族衣装のような前開きブラウス、そしてフード付きのボーダー柄のポンチョを選び、早速腕を通す。

 

 郷に入れば郷に従え。

 ではないが、それぞれの国の文化や食、色彩に触れるのは楽しい。それがたとえ仕事に片足を突っ込んでいた、としてもだ。

 荷物を一旦部屋に置きに行き、アンは再び町に繰り出す。

 そして王宮に続く道を進んだ。砂漠地帯にも咲く花が、至る所に植えられている。

 人々の顔には活気があり、聞こえてくる内の声も穏やかなものが多い。さすがに商人達の内心は金銭まみれだったが、商売人とはどこにあってもそんなモノなのだろう。

 町行く多くの人々は王の気質を習うのか、人が人を大切にしている良い民だと言えた。

 

 しかし、アンはこの国の情報を得るに当たって知ってしまった未来に唇を噛む。

 これから起るだろう、最悪に人々は惑い苦しむからだ。

 原因は七武海の砂鰐、サー・クロコダイル。

 自身の能力を最大限に引き出せるこの国で、望みを果たそうとしている。

 まとまりのない繊維を1本の糸に紡ぐように、彼は手駒を集め、組織を少しずつ、布を織るかのように形を持たせ始めていた。

 その一本に、アンが接触しようとしている彼女もまた繋がっている。

 

 今のアンに手を出す事は出来ない。なぜならば王下七武海は、政府の敵ではないからだ。

 口出しすることなく、友人の助けになるために何が必要だろうか。アンは雲ひとつない空を見上げながら、思案する。

 王宮への階段まで、もうすぐだった。


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