あるところにひとりの優しい王さまが住んでいました。
その国は裕福ではなかったけれど、国に住む人々は優しい王さまとお妃さま、王子さまと平和に暮らしていました。
ところがある日のこと。
隣りの国の王から助けを求める手紙が届きました。
なんと隣の国に恐ろしい熱病が流行りだしたというのです。王さまは不遇を嘆き、その熱病の特効薬である国の宝である木を何本も切り倒しました。たくさんの人が既に無くなっているらしいと聞いていた為、すぐに煎じて飲めるよう用意して家臣たちと共に向かったのです。
けれど訪れた王さまは吃驚しました。
熱病など起ってはいなかったのです。
隣国の王の狙いは、優しい王さまを殺す事でした。
そうしてお妃さまを攫いました。王子さまを殺しました。
隣の国は、隣の国になってしまいました。
「けれどその王子さまは生きていました。革命軍のひとりとなって。頼まれたの、友達に。止めて欲しいって」
海軍仮設詰所で青雉の膝の上であらましを全部、白状させられていた。
最近このパタンが多くなってきたようにもアンは思う。つい最近にも夢だと思えなくもないが、抜群の美兄に口を割らされたばかりだ。海軍に居着き過ぎているような気もする。人脈も軍繋がりが多く、どんどんと埋められる外堀に再度水を流し込むのが精一杯だった。
頭の上に青雉の顎が乗る。
逃げられない場所に確保されていた。
青雉の膝の上という最も恐ろしい椅子で、片腕をしっかりと握られている。
不確かな情報では海軍は動かない。
ではどうしたら良いのか。もっと上から命令が下ればいい。そう、五老星、それに並ぶ権力を持つ世界貴族の誰か。となればアンのつてはひとつしかない。
「で。お前さんの情報通り事が起きちまった訳だが」
ルッチがここに派遣されている以上、政府が動いている可能性が高い。しかも情報は隠匿されたまま、秘密裏に行われている。
「目星はついてるのか?」
「あ。うん、ちょっと待って。…大将、降りてもいいでしょうか」
スモーカーの問いに応える為、一旦手を放して貰い数枚の写真を手に戻って来る。
4枚を机の上に並べ、指で示した。
「名前はニーム。ニーム・ゼンダン。かつてクロトン国と呼ばれていた、南の海出身者。悪魔の実の能力者で、爆発に関する能力らしいです」
「あらら。これ危ないんじゃないの…」
革命軍がこの聖地へ紛れ込んでいる事実を聞いても、青雉を含めた戦隊の官達に動揺は見られなかった。いつもの事だから、だ。青雉大将が乗り込んだ場所で何事も無く事が済み、終わる訳が無い。
『コイツのいる所で平穏を求める方がおかしいってもんでしょう』
ルッチの肩にとまる鳩がやれやれと羽をすくめながら首を横に振る。その視線が向いているのはアンだ。
「うわ、ルッチひどっ。しかもハットリ使って言うのってどうなの!?」
そんなやり取りに、くすくすと下士官達から笑いが漏れた。
「で、その標的は?」
やれやれと背凭れに体を預けた青雉が目的の提示を促す。
「はい」
アンは世界会議の参加者名簿を青雉が座る引き出しから取り出し、最終項にある一国を指し示した。
「この国の王が、ニームの母君を奪った本人です。ただ…」
「ただ?」
スモーカーが疑問符をつけ、口を噤んだアンの次の句を待つ。
「実はその。デイハルド聖の、義理の母に当たる方になっておられまして…世界貴族の問題にも足を突っ込む羽目になっちゃっうから、出来るだけ個人的に…」
言葉尻が小さくなってゆく。
それでも義祖父であるガープに相談し、センゴク元帥からコング総帥へ話を渡して貰い、今の状況があると併せて説明した。
出てくる名前に度肝を抜かれた官達は多い。
よもやコング総帥の名が出てくるとは思いもよらなかった者達は、あんぐりと口を開いている。
青雉はそんな事だろうと思った、とアイマスクをした。
ロブ・ルッチは世界政府に属する。命令を下せるのは長官であるスパンダムか、それより上の立場にある人物だけだ。
高官を父に持ち、影響力を強める能ある人物も確かに存在している。だがそれは、何年もかけ積み重ねた功績により認められる力だ。
誰が想像するだろう。
たった14歳の少女が世界の中枢にノックする扉(ほうほう)を持っているなどと。
「なるほど。そわそわしていたのはそのせいだったのね。ヒナ納得」
必要以上に町の中を走り回り、情報収集していた理由の落とし所を見つけ、ヒナは頷く。
要するにニームという革命軍に属する人物を捕縛し、聖の義母を守ればいい訳だ。
ヒナがまとめた情報に、アンが苦言をこぼす。
「それが事情がもう少し複雑で…」
『…それ以上にまだ隠しごとか。喋っちまえよ、サアサア』
「もう、ルッチ。急かさないでよう」
数分の沈黙後、アンが観念して話し出す。
「ニームを聖地へ招待したのが、その母君であるジキタリス様なの」
聞けば聞くほど、部屋の温度が下がっていく。大将が実の力を使っている訳ではない。
「半端ねぇな…」
スモーカーが煙草に触れようとした手に気付き、わきわきとし下げる。
わたくしの可愛いニーム。
素敵な力を得て、この腐食した煌びやかな町へおいでなさい。
破壊を望むのなら招待致しましょう。
わたくしの願いを叶えてくれるならば、可愛いニーム。
その力で以って、この偽りの絢爛たる町へおいでなさい。
権家の長を紹介致しましょう。
そうしてかわされた約束がひとつ。
”ゲームをするでおじゃる”
”せっかく世界会議という舞台が整っているのであるから、使わなければ面白くないのじゃ”
”己は革命軍に所属していると聞いているが間違いないのかえ”
”よいよい、ならばとくと聞くがよかろう”
”こちらが用意するとある人物を屠れたならば。最大の援助を与えてやろうではないか。ただしみっつの約束と、ひとつの障害を用意させてもらうがね”
交わされた内容を、アンは口にする。
「約束とは、ひとつ、各国の家族である誰か。これは誰か明かされていません。知っているのはこのゲームに関わっている天竜人だけです。後ほどその人物では無かった、とならない為に、割り符が用意されました。半分の内ひとつは、ニーム、止めるべき相手が持っており、もう半分はジキタリス様が所持しています」
「ふたつ、その人物だけを狙ってはいけない。これは余興として組まれたものなのですが、数当てがなされています。示した数が一番近い誰かが勝者となる、という…」
「そしてみっつ、青海の王に危害を加えてはならない。この聖地で行われる会議は、天竜人達にとってみれば退屈しのぎのひとつなのです。閉会されるとなにかと、いろいろあるらしくて。詳しくは聞くのをやめてしまったのですけれど。…最後ですが、障害はわたしと決められました。ディ、デイハルド聖がねじ込んだのです。尚わたしはこの事実を人に話してはならない、とされていますが、ぶっちゃけこめかみへの攻撃が嫌なので吐いちゃうんですが」
最後のそれは、ここに居るみんなが黙っててくれたら問題なしなんだけれど。
アンはそこで言葉を切る。
実は秘密が漏れた時の算段もつけられてはいる。ばれたらばれたで、デイハルドの賭け金が倍増する、というものだ。
世界貴族達の間で繰り広げられている、心理戦の模様は割愛した。言う方も聞かされる方も言葉を失うだろうからだ。
遊戯だった。
官達はだれもが訝しんだ顔をしている。
スモーカーに至っては怒りをあらわにしていた。
「んなもんに従うこたぁ無いだろうが!!」
怒りは最もだ。しかも相手が決めた取りきめの中で動かなければならない理由が余りにも不当すぎた。
「けれどそれがここの決まりなの。守らざるを得ない」
憤怒の表情を持ち、青雉の前にある机をスモーカーが破壊した。
「狂ってやがる…」
官のひとりが唇を噛む。拳を握りしめている者達も多い。
理不尽だった。何もかもが、ここという場所では人は、塵埃(じんあい)だった。
「そうだよ。世界貴族ってそういう存在なの。自分たち以外の、この聖地と呼ばれる場所に住んでいる人達以外はどうでもいい」
アンは唇を弧に結ぶ。
「だから、かな。ディがわたしを指定してくれた事が嬉しくて仕方が無いの。たかが小娘と天竜人が言い放ったらしいし。絶対に止めてやろうと思えた。個人的感情になってしまうんだけれど、助けたいから助けるんじゃない。気に入らないから助けるんだよ。そこを間違えないで欲しい。天竜人達の悔しがる顔を見る為にやるのが楽しいと私は考えてる」
アンは世界貴族達がゲームとしたこの殺戮に、真っ向から立ち塞がる意志を示した。
海軍が"治安維持"に奔走するだろう事も予想に入れられている。
「…これが黙ってた理由です。納得出来ないだろうけれど、理解して貰えると助かります」
「…なにひとりで格好つけてんだ。この馬鹿が。何でもひとりで出来るなんて思いあがるなよ。正義なんてもんはなァ多少だらけきってるほうが真っ当になんだよ」
ぐりぐりと、お決まりになったこめかみへの攻撃を行いながらクザンが静かに口を開いた。
込められた感情は零下の憤りだ。
アイマスクを上げ、青雉が部下に指示を出す。
「今聞いた通りだ。お前ら全力を挙げて阻止しろ」
青雉大将の、底冷えするような声に誰もが背筋を正し敬礼する。
そして午後からの会議が始まった。
将校は午前中と同じように、下士官達は平穏を装いつつ各所に目を光らせ警護に当たる。
会議が無事終了し、闇に包まれても海兵達に休む間など無い。
三つの約束の最後、青海の王に危害を加えない、がある為、少なくとも初日は滞在する館を破壊しはしないだろう。そう考えての事だった。
「そう言えば大切な事を聞き忘れていたわ」
それぞれの配置に向かう際、ヒナがアンに問う。
「革命軍の友人にアンは止めて、とお願いされたわけよね。その本体の意向はどうなのかしら。ヒナ確認」
アンも問われてハッと気がつく。そう言えば忘れていた。
「単独らしい。というのは上層部に人脈が無いから」
にっこりとほほ笑む顔に、怪しい、と誰もが思う。
「やれやれ、理由なんかが必要かい、ヒナ中佐」
相手は革命軍というテロリスト、海賊と同じ対消滅対象であるのには変わらない。
久々に活動的になっている青雉に各々が物事を進める速度(テンポ)を崩されていた。
大将がやる気になっている事自体は喜ばしい。だがいつも適当にやってくれ、とさじを投げる青雉なのだ。
誰もが何か、やりにくさを感じていた。
しかしやらないわけにもいかない。ヒナも指示に異存は無いと各々が受け持つ場所へと向かう。
会議の会場はいつにも増して、各国の衛兵が詰めかけていた。
それはそうだろう。この世界の中で最も安全な場所と言われている、聖地で傷害事件が起きたのだ。それぞれの王達は、自らの身を守るため、兵を引き連れ会議の席に着く。
その場に、今日という日は世界貴族が数名入室した。
鈴の音のような金属音が衣擦れと共に王達の耳に届く。
入ってきたのは3名だった。それぞれがシャボンディへ訪れる際、身につけるスーツを纏っている。そして一足遅れて最年少の少年が会議場へ足を踏み入れた。
各国の王達の数名が腰を浮かせる。
「よい、続けよ」
議長の後方に用意された椅子にそれぞれが腰を下ろし、部屋を見回す。
この会議の席に置いて、王達の発言はみな平等だった。論議なども行われる。
たったひとつの例外を除いては。
そう、この世界会議の席でも世界貴族の発言はなによりも重く受け取られる。
もしふたつの国を指し、戦争をせよと命じられたならば、許しが得られるまで行わなければならなかった。
先ほどまで悪態をついていた幾つかの席に座る人物達は、咳払いをし口を噤む。
諸侯---各国の王を面白そうに見つめるのは世界貴族達だ。
「のう、議長。タラッサ・ルーカス。なにやら町で騒ぎがあったと聞いたアマス。そちの家族は息災か」
ざわりと会場が揺れる。
海兵達は怪訝な顔をする者と必死に表情を取り繕う者、2者に分かたれる。
見聞色を会得している海兵達は、誰もが心拍音をいつもより多く打ち鳴らしている様を聞く。
イルシア王が立ちあがり頭を下げ言葉を選び発言した。
「天竜人の御方々、私(わたくし)ごときの身をご配慮賜り至極に存じます。この地には海軍大将他、有能な海兵が政府より派遣されており、また私をはじめとする各国の精鋭を引き連れ滞在させて頂いておりますれば、多少の事が起りましても我ら、微塵も不安などございません」
ならば許そう。
宮が紅の唇を弧に結ぶ。
王達は安堵の息をそっと吐く。ここでお開きになれば国毎(くにごと)の事情に因るものの、自国の利益を追えなくなる、一部も存在していたからだ。
会議はつつがなく執り行われる。
アンはその中でうとうととまどろみと戦っていた。昨夜一睡も出来ずに朝を迎えていたからだ。若さで何とかなるだろうと思いきや、眠りへの呪文は古文の朗読カセットに匹敵していた。ふたりの海兵の陰になるように立ち、ごまかしてはいるが、ここで寝落ちるのは余りにも危険すぎる。
うあー。なんか瞼がくっついて取れ無さそう。
踏ん張ってはいたが、危険線(レッドライン)を今にも飛び越えてしまいそうだった。
意識の向こう側ではエースが面白そうに子守唄を歌っている。
半身は思いの外、歌が上手い。カラオケがあれば、是非歌って貰いたい曲があった。
(アン、起きろ。視えたぞ、ヤツの姿)
(ふえ? 意識飛んでた?)
ハッと気がついたアンが唇を拭う。
がっくりと肩を落とすエースから、言葉が伝わって来た。
(ニームだ。噴水広場にいる)
(はあい。じゃ今から行くねぇ)
緊張感の無い答えを返し、アンは瞬間移動を使う。
現れたのは噴水広間の真上だった。いつもは見上げる噴水が斜め下に見える。
丁度パレードが行われている所だった。楽隊を従え、色とりどりの衣装を着た仮装者が踊っている。
大勢の人間がうごめく中、たった一人を見つけるのは難しい。
だがアンにはそれが可能だった。ひとりだけではない。ふたりの見聞色が、ふたつの線が交わる場所を探し出す。
不意に脱力感がエースを襲う。
(おいアン、マジかよ!!)
このまま下に落ちれば重力と速度に加重が足され、肉体が損傷する。
エースは焦った。
森では獲った肉を焼いている最中だ。一応は安全な場所ではある。ルフィひとりでも、森に生息する動物ならば一人で撃退出来るだろう。
自らの体から意識を手放し、半身に添う。
くそっ、海軍なんかに行かせるんじゃなかった。
エースは勝手知ったるもうひとつの体に感覚を集中する。多少窮屈だが仕方が無い。
即効月歩を発動させ、体勢を整え、水しぶきを大きく立てた。
「待ちやがれ、逃げんな!!」
エースは叫ぶ。目標は見失ってはいない。
男はにこやかに笑んでいた。
男は動かない。動く必要が無かったからだ。
母が用意してくれていた大量の宝石を手のひらに掴み取る。
海軍が嗅ぎつけているのは知っていた。なんという幸運なのだろう、男は天に祈る。
”手を出してはいけない海兵では無いもの”がわざわざ突っ込んできてくれたのだ。
これを幸運と云わずになんというのだろうか。
各国の王達は会議が行われている館に全員集まっている。
この場所にいるのは、その関係者達だ。
パレードを眺めていた人々は突如空から噴水へ降り立ち、大量の水しぶきを上げ品が余り宜しくない言葉使いをしながら何かを追いかける姿を見、あっけにとられていた。
しかし昨日の話が脳内で結びつくや否や、大混乱へと陥った。
広場には4本の道がある。しかしそのどれもが、ごった返す。
集団心理に陥った人々は殺到する。
男は、ニームはボストンバックの口を開け、それを空(くう)に向かって放り投げた。
赤、青、黄色、緑、橙、乳白色。ありとあらゆる色が青の空の元、輝きながらばら撒かれた。
人々は視野に入った何かを見た。
ほんの一瞬だ。逃げる事を忘れ、色とりどりに目を奪われる。
「生まれろ!! 阿鼻叫喚よ!!!」
「させるかよ!!!」
指先にちりちりとした熱さを感じた。そのまま拳を握り、掌に意識を集中し放つ。
焔が生まれた。
炎に触れた宝石が爆発する。悲鳴が破裂音に混じった。
数日前アンが風を掴んで起こしていた様を真似してみたのだ。発生したのは焔だったが、些細な違いだろう。
「全部とはいかねェか」
つぶやく視線の先には鳩を肩に乗せたロブ・ルッチが佇んでいる。
「礼は言わねェぞ」
『…どうでもいい事だポッポー』
ハトを肩に乗せた男は、何十個と漏れた宝石を鉄塊を纏っただけの状態で、爆破、破壊していた。
食えない人物だとエースは睨みつける。
「そこのお前、おっさん連れてこっち来い!」
昨日アンがかばった少女を視界の端に見つけ、呼ぶ。無闇に脱出するより、中央部に居た方が安全だったからだ。落ちた宝石に触れなければ、だが。そこまで構う暇は無い。
ロブ・ルッチの助力を得ても、全ての宝石を撃ち落とせず白い石畳に紅の血潮がぶちまけられていた。上半身が吹き飛んだ身体、を踏みつけ人々は逃げ惑う。手を伸ばしたのだろう、指が吹き飛び絶叫を上げる女、を押しのけ4つある路へ入ろうとしている姿があった。
中央部は空隙を生んだ。技を放てる、悠々とした空間だ。
「はっ放せぇ」
男はじたばたと腕で這って逃げようとするが、背に乗る小さな体が邪魔をして数ミリすら移動してはいない。
アンの体は能力者の力を奪うと云う。嵐脚を脛に当て骨を折り筋を絶てば、肉体的にも動けないだろう。
「母上が助けてくれる…母上がぁぁ」
女々しく叫ぶ男へ、エースはガツンと踵を下ろす。
「うるせェ、黙れ。おれは弱虫が大っ嫌いなんだ。それに…命かける覚悟無くこんなとこに来んじゃねぇよ、アンの仕事増やしやがって」
腕を組み、冷たい視線を下す。
眼光の威嚇が放たれ、男は気を失った。
「胸糞悪ぃ…」
エースは意識を喪失したままのアンを探しながら、空を仰ぐ。
そうしてつぶやくように吐きだした言葉に、水色髪の少女が心配そうに潤んだ両眼を見上げた。
エースは知らない。
その様を興味深げに見ていた複数の姿があったことを。