拳が打ち鳴らされる。
それぞれが同等の力を、まるで組み手のように力量を読み合いながら受け放つ。
掌だけでは無い。足や肘、膝、あらゆる部位が凶器となっていた。それが六式を極める、同意義だからだ。
さすがに彼、は戦いに慣れていた。
物心つく頃より、CP構成員となる運命を背負い育てられただけのことはある。CP9について流れる噂のひとつに彼、ロブ・ルッチに関するものが幾つかあるが、その全てに付随する人間兵器と称される所以は冷徹な思考にあるようだ、とアンはなんとなくそう感じた。
狩人たる彼の獲物となった存在は、その息の根が止まるまで安楽から遠ざけられるのだろう。
容赦のない下段からの回し蹴り受けた肘が痛みを伝えてくる。鉄塊しか纏っていなければ、肋骨がきっと2、3本持っていかれていたに違いないう。武装色さまさまである。
鉄塊の強度は名の通り、鉄の硬さとされているが肉体の鍛錬度により、より硬くなる事も可能だった。最低限の基準値が鉄という物質に例えられているだけなのだ。彼のそれはアンの鉄塊をうわまっている。
強い。
ただいなすだけでも、受ける部位がずれていたら一気にこの攻防は崩れる。
アンは武装色を解けないでいた。
しかも相手は本気ではない。それはお互い様、だろうが彼は何かを問うてきていた。
明確な意思ではない。くぐもったなにかだ。
見聞色が得意とはいえ、意図され隠された心を気軽に覗き見るまでには、まだ至ってはいない。
が、しかしこの感覚には覚えがあった。
そう、よく見知っている誰かさんも言葉に出来ない思いを抱いたとき、アンへと投げかけてくる。
ふたりの間に間合いがとられた。相対する相手に呼吸の乱れはない。
「…聞いていた以上だな」
「それはどうも」
どんな噂が飛び交っているのか聞いてみたいような気もするが、しない方がきっと良いのだろう。
覇王色で気を失った者達が自力で起きあがって来るまでまだ時間はある。
時計の針は思ったより進んではいなかった。
アンは戦いに心躍るタイプでは無かったが、海軍に入隊しドレークと組んで、または心強い赤犬の背を借りて海賊との戦に身を置いていた時は、こんなに空虚ではなかった。
彼と命のやり取りを行っている訳ではない。
だがロブ・ルッチの拳は乾いていた。飢えていた。欲していた。
何かを。
彼はスパンダムのように地位や権力には興味がないようである。
権力など身を縛る鎖でしかない。得る強大な力に比例する、責任を持たねばならないからだ。
人間の心というモノは、体外へ声を排出する。内心で思った事は、例え罵詈雑言であったとしても普通は他の人には聞こえないものだ。にこにこと接客しながら、早く帰って欲しいなぁ、だとか、今日はこんなに眠いのにどうして、今日という日に限って仕事が山になるのだとか、宿題なんか面倒で、今やってるゲームの続き早くしたいのに、だとか。意識しなくとも出るもの、であった。
思っている事は様々だが、内に向ける事は少ないだろう。
だが目の前に立つ男、ロブ・ルッチは数少ない内側に声を放つ者であった。
男と女の違い、とするのは簡単だ。
男は熟慮するため思考を内包し、女は感情を発散するために外へと出す。
分からなくはない。
しかし言いたいことがあるならば言えばいいのである。勘考(かんこう)しているといえば聞こえはいいが、何時まで経っても答えを出さないことと同意である。男であるならば、男らしくはっきりすればいいのだ。しかし男とはなかなかに難しく難解な心の構造を持っていた。ロブ・ルッチの場合もそうだ。もじもじと恥らうような仕草をしながら、そちらから話しかけ、聞いて欲しいとチラチラ見ている、といえば分かりやすいか。
エースはもう少し直線的である。アンと心が繋がっているからだ。悩むくらいならばずば、っと本題に入ったほうがお互いのためでもある。
(言葉で語らぬなら、拳で聞くまで)
意識の向こう側で半身が笑った。
アンの持ち味は速度だ。身の軽さを生かし、数多くの打撃を入れる。
その分威力が落ちるが、それは手数で補う。
しかしロブ・ルッチは、互いの間合いを掴みつつあった。僅かに届かない隙間を開け、拳を受けない。身を捻り、顎を狙っての蹴り上げも紙一重でかわされてしまう。
失望。違う。
落胆。違う。
悲しみ…では無く切なさ。
期待と落胆。
優越感と----
煩(うるさ)い。
覗きこんだ途端、囁きが耳元で強制に聞かされるような感覚に、心が乱れた。
「っぐ…」
脇腹を狙った指銃がかする。
そのままみぞおちへ拳が入り、上空へ体が舞う。朝食を食べて来なくて良かった、とアンは他人事のように思いながら月歩を使いその場で体勢を整える。そして十分な間合いを取ってロブ・ルッチの後方へ降り立った。ダメージはそんなに多くない。だが痛みは感じていた。経験的に余り鉄塊を過信してはいけない。どんなに耐える技を使えるといっても、受けた打撃の負荷は体に蓄積していくのだ。
ざわめきが肥大していた。雑音が意識の集中を阻害する。発生源は目の前に立つ男だ。
アンは次々と形を成す感情を掴み引き裂く。
剃で間合いを詰め、覇気を一点集中、両手に集め連打する。
ロブ・ルッチが握りしめたアンの拳に対し、鉄塊を使用した。だがこの技は衝撃まで防ぎはしない。両の手で防げない打撃も数打出た。
向こうの世界で修めていた武術は、合気だ。
最初は手習い程度に始めた祖父との毎日が、いつの間にか自分を形作るひとつとなっていた。
掌から気合を放つ。テレビアニメのように飛び出したりはしないが、受けた体は内部に損傷を受ける。体の外側、筋肉を鍛えられても内蔵系を強くは出来ない。
(これは、抑圧された声、っぽいなぁ)
アンはざわめきの正体を掴みつつあった。
考えられる余裕はまだ残っているのが、自分自身でも不思議だった。
このロブ・ルッチという人物は思いの外、仮面を纏って生きているようなのだ。
誰だって一枚や二枚、多ければ十枚位は持っているだろう。最近はアンも必要にかられて使うようになっていた。
とはいえもうひとりの自分、というより少しいつもの自分とは違うように振る舞ってみる、というレベルのものだ。
エースやルフィといる時はそんなものを使わなくても自然体で接していられるが、海軍本部でそうはいかない。立場に因る言葉遣いを求められた。
本当は威厳なんていらないし、いつもと同じように接するのが一番だ。しかし職場で上司達におじさん、とは声を掛けられないし、例え自分より年上であったとしても階級が上であればそれなりに振る舞わねばならないのだ。
はっきり言って堅苦しいくて敵わない。
分かってはいたが、分かっていなかった。
(自己が欲しい。違う、認めて欲しいんだ。道具ではないと)
ロブ・ルッチの場合は幾つも、自分を守るために何十も同じ仮面を被らざるを得なかったのだろう。
CP9として世界政府の意に従う。従ってどんなことでも行う。行うのは奪う事だ。
全て世界政府に既存(きそん)する。
既存とは以前から存在すること、だ。ロブ・ルッチという個人の考えなど必要ない。
まさしく兵器だ。
スイッチ一つで発射されるロケット、引き金一つ引くだけで放たれる銃の弾。
だが人間には感情がある。
心の奥底に押し込め蓋をしたところで、漏れてくるのだ。
ここから解放して欲しい、と。
性格の歪み、冷徹な思考もここら辺が原因かな。そう推測する。
正解であるかは分からない。それぞれの心の内にある『思い』は本人しかわからないもの、であるからだ。
アンの動きが多少ではあるが、いつものキレを取り戻しつつあった。
聞いて、聞いて、という声にお待ちなさい、と語り、意識を集中する。
聞くにも手合いをしている最中では、難しかった。
とはいえ耳障りな雑音が消えたならこちらのものだ。
鉄塊を纏った指の先で空気を撃つ。親指でそれぞれの指を弾くのだ。
ロブ・ルッチは紙絵で避けるがしかし、連弾の後半をもろに受け両腕で防御した。
動きが止まったその瞬間をアンが見逃すはずがない。
剃で瞬発的に加速した体がロブ・ルッチの体を捉える。
上段から下段へ、地に足を着く事無く、アンは舞う。受けられるのは織り込み済みだ。受けて貰えるからこそ手数を当てられる。嵐脚がロブ・ルッチの頬に傷をつけた。
そのまま肩口に踵下ろしが深く入り鎖骨が良い音をたてて軋んだ。だが体勢は崩れない。そのままアンの片足を持ち放り投げた。
しかしただ投げられるだけのアンでは無い。勢いを殺す事無く、空中で身を捻り無理矢理、地へ足をつける。砂埃が立つ。
「…久々に骨のあるやつと出会えた」
メキメキと体の形が変わってゆく。そう、悪魔の実の力だ。
豹(レオパルト)。
背面の毛衣は淡黄褐色となり、腹面は白い体毛で覆われてゆく。頭部や頸部には黒い斑点が浮かび上がり、それが花のように並んだ。
六式と動物(ゾオン)系の相性は格別に良い、とされている。
なぜなら食べた存在の、身体能力を純粋に強化する唯一の種だからだ。
人型、獣型、人獣型という3つの姿を取れるのも特色の一つといえるだろう。
ロブ・ルッチが好むのは、人獣型だ。
能力者の身体能力を基本とし、その動物並みの身体能力が向上する。それに加え動物特有の角や牙、体毛、尻尾といった人間に無い部分も発露した。
豹は類似のチーターよりも手足が短く太い。その為チーターよりも力が強い分、速さが劣る。
だが実の力を使用した今は、先より十分に速度も力もアンを勝っていた。
多少の時間つぶしが闘いへと変わる。
少々揉んでやる、では、もうない。
男は鎖を己が手で外したのだ。好敵手、として認識したと言ってもいい。
獣が獲物を狩る眼光を宿し地を踏む。しかし口元に笑みが浮かんでいた。
アンは自然体で向かい打つ。
見聞色と剃を使い真正面でロブ・ルッチの側頭部を蹴った。相手は剃と月歩の複合技を使い鋭い軌道で迫って来たが、鋭角ゆえに急激な方向転換は難しい。速度に乗った体の軌道を変えればその分、重力という圧がかかる。だから落ちついてタイミングさえ合わせれば撃退は難しくは無い。
凄まじい破砕音が響く。勢いそのまま豹は生垣に背からぶつかり崩れ落ちるブロックの中、静かに立ちあがった。
剃、指銃(しがん)。
ロブ・ルッチが間合いを詰め放つ一撃は空気すら裂く。
しかしアンも負けてはいない。何手も先を読む訓練は嫌というほど黄猿の艦で叩き教え込まれた。
紙絵でかわそうとする逃げ道をあえて残し、やむを得ず防がねばならない個所へは軽めに当て。鉄塊で防ごうとする部位へ右腕を振りフェイク、本命は先ほど砕いた鎖骨がある首筋へ、半身で受けた体を半回転させ肘で狙う。
ロブ・ルッチは再度認識を改めねばならなかった。
風舞いというふたつ名は間違いではない。月歩により常に空に浮いているのだ。支点をずらせ身の小ささと柔軟性を生かした動きに視点がぶれてしまう。
一撃はカリファよりも軽い。だが的確な狙いはカクより精密だと分析する。
ルッチは身につけていた技を繰り出した。
剃刀(カミソリ)、嵐脚・凱鳥(ガイチョウ)、指銃・黄蓮(オウレン)。
余りの速さに姿がだぶって見えてしまうほどの攻撃を、少女は避ける。が全てを捌ききれるわけもない。スーツの至る所が破け、ほつれていた。だが致命傷を与えている訳では無かった。生半端な道力ではない。己に匹敵する数値なのだろう。
だがそれがいい。
狂喜のあまり、自然に笑みがこぼれるのが分かった。他のCP9メンバーでは鍛錬にすらならなかったが、この目の前にある少女であれば全てを解放することが出来るかもしれない。
己に続き、二番手に着くジャブラですら30分も手合いすれば息が上がるのだ。
心ゆくまで満足した手合いなど、随分と記憶を遡らねば無かった。
しかし、この人物だけは違う。
殺し合いを望んでしまった。喉笛を掻き切り、掻き切られる。
心が躍る。任務でもこんな歓喜を覚えた事は無い。自らの意思で続けたいと願った。自らの意思でこの者の命を欲した。
乾いた体に染み込む赤が癒してくれるだろう。
欲する咆哮が響き渡る。
対してアンは苦戦していた。
息が出来ない。攻撃する手が足りない。どんどんと追い込まれてい状態だった。防ぐだけで目一杯だ。
その中でも厄介なのが黄蓮という技だった。鋭い人差し指とその爪が切り裂くだけでは無く身をえぐる。少しでも受ける手の指が触れると失ってしまうだろう。
集中力の持続、これだけは切らせてはならない。それでも一秒一秒が長く感じていた。
ロブ・ルッチはどんどんと調子を上げて来ている。隠されていた感情の色が次第に強くなって来ていた。
このままでは、負ける。否、死ぬ。
鮮血が飛ぶ。
アンは避けきれなかった。指銃が袖を破り柔らかな皮膚を切り裂く。
ロブ・ルッチはぞくりとした。人間の血は全て赤い。匂いも鉄を含む独特だ。
紅だった。
何よりも鮮やかな、血潮に目を奪われる。
もっとその紅を…!!!
「迂闊なっ」
ロブ・ルッチが伸ばしたた手をアンは両手で持ち、背負い投げる。
お互いに随分息が上がっていた。
書類を取りに来ただけなのに、こんなにも激しい鍛錬、否、一歩でも進む足先の位置を間違えれば谷底まで落下してしまうような、死と隣り合わせの綱渡りをするとは誰にも想像出来ないだろう。
不意にアンは身を起こそうとするロブ・ルッチを掌で制止する。
「わたしの血は、わたしのものなの。だれにあげるかは、わたしが決める。…その欲求、応えてあげられない。抑えてくれないかな」
繰り返されるこの男の螺旋思考に触れているだけで、酔いそうになる。
だがその中に気になる言葉が混ざっていた。
…アイスバーグ?
ウォーターセブンを代表する船大工となりつつある、友の名だ。
次々と流れ込んでくる情報に頭痛がしながらもある程度のところまでは読んだ。
これは、未来だ。この男を起点とした最も現実となるだろう枝分かれのひとつである。
ガレーラカンパニー、職長…。面白いように読めた。
目的はプルトンの、設計図か。
スパンダムは諦めきれないのだ。近い未来、CP9を放ち探らせる決定を下す。
なぜかそこには、大切な弟、ルフィが関わっていた。先に船出するだろう兄と姉の背を追い、仲間を得て、来る。
それはそれで楽しみな未来だったが、その前にこの頭痛の元をどうにかしなければならない。
この男、ロブ・ルッチは弟の試練として立ち塞がってくれる大切な人物だと分かったからだ。
「…ルッチ、…わたしの…」
女の声が耳に残った。
驚きが隠せない。動揺、という感情をロブ・ルッチは確かに今、まさに認識した。
動きが止まる。
刷り込みともいえる正義は決して覆されてはならない。相手を殺してでも生き残り正義を正当化しなければならない。悪は滅ぼす対象でしかない。闇は悪とは違う。闇に墜ちても正義の二文字が汚れなければ全ては正しい。
だがそれには例外が存在する、のだと。ちらつかされ、明確に示された。
たったひとつの言葉で、存在させてしまった女をただ、ただ視線を落とす。
「CP9ってまあ、うん、そういう集団だろうから、とやかくは言わない。それが全てであれば、盲信していられたら楽なんだろうけれど、心を持つ人である以上、外に出たら疑問持ってしまうのも当たり前だし」
見上げてくるその表情が柔らかくとけた。
甘美な赤の匂いと共に、脳へと刷り込まれるかのようだと、男はただその言葉を聴いていた。
「また来るね。話すのが苦手でしょう? 腹話術でもやってみる? 殺し合いでなければ、たまにであれば吝かでもないよ」
「友よ、言う…ならば、してみようか」
「ぜひやってみて」
実によって変わっていた姿が元へと戻ってゆく。
ジャブラは、声を出せないでいた。目の前の出来事が全く、現実と思えないでいたからだ。頬をつねっても、自ら殴ってみても醒めない。故に現実であるのだろうが、こんなことがあっても良いのかと、あってはならぬことのように思え逃避してしまっていた。
「おーい、そこの。誰だっけ」
「…ジャブラだ」
「ジャブラさーん、ねー、ちょっとー」
戦いの初めから置いて行かれていたジャブラは呼ばれた事すら気付いていない。膝を付き、海兵の少女の肩を借りて座している人減兵器を見てみぬ振りをしていた。そこの犬!と叫ばれてようやく、己が呼ばれていたと知る。それほどあっけにとられていた。
最強と言われていたロブ・ルッチが、膝を折っているなどありえなかった。
しかも支えているのが齢14歳の少女である。
「お返事は?」
「お、おう」
ジャブラが足元をもつらせながらも駆けよって来る。
「鎖骨は確実に。こっちの鎖骨が折れてるか、ひびか。内臓系の検査もしてもらうように伝えて」
少女の言にジャブラはただ頷くことしかできない。視線の先にはルッチが居たが、その目の先を追えば少女の首に至る。もっと詳細に語るならば、少女の首に付いた傷口に注がれていたのだ。ゆっくりとその唇が開き、舌が伸ばされ。
「ひゃあ!」
少女の素っ頓狂な声が上がる。
舐め取られたそれがごくりと嚥下されるまでを、コマ送りのように見せ付けられたジャブラは再び声を失った。
少女から拳骨(げんこつ)でぐりぐりとされ、薄くはあるが感情を顔面に出しているCP9最強の男が、いったい何になってしまったのかと愕然となってしまったからだ。
「それじゃあ、わたしは帰ります。なのでこのひとをお願いしますね」
はい、と支えの役を振られ、受け取れば少女は確たる足取りで書類ケースまで歩み、コートを掴んで振り返った。
これ以上何をしでかしてくれるのかと凝視していれば、手をふりそのまま姿を消す。
一体なんだったのだ、と振り返ろうものなら激しい頭痛が襲い掛かってくる。と、同時にルッチの体が重みを増した。
「おいおい、思春期のガキかよ、お前」
言いえて妙だが、最もしっくりと来る答えでもあった。
ジャブラはルッチを背負う。そして周囲の惨状を見回してから、ため息とともにその部屋を出た。
海分本部のとある場所で、アンは脱力していた。海に出ている時より、日々が凝縮されているのだ。全くもって内勤になった気がしないのである。
そこはベンチが置かれている、休憩所を兼ねた庭園だ。時間が時間の為、誰もいない。
じくじくと痛みを発し始めた腕の傷が、なんとか意識を羞恥でのたうちまわりそうになる、自分の行動を制してくれていた。
『ロブ・ルッチ、今からあなたは、わたしの親しい友だ』
自分が放った一言に、赤面するとはどうしようもない。あの男を大人しくさせるには、あの一言が最も有効であると判断出来たのだ。
また行く、という約束もしている。
この一年は主にマリンフォード中心に動くだろうから、時間は作れるだろう。しかし、しかし、だ。
そっと首に触れる。既に乾いておりめくれた肌の痛みがあるだけだ。
不意に拗ねた声がアンを揺さぶる。
「ネコに舐められるって…、え、ちょっと? 待って、エース?」
それどういう意味?!
慌てて半身の名を呼ぶも、自分で考えろと拗ねられ首を傾げる。
早まった行動であったと後で気付くも、もはや後の祭りであるのだと、空を仰ぎ見るのはそう遠くない未来であった。