ONE PIECE~Two one~   作:環 円

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24-王下七武海

 七色のシャボンがふわりと宙に浮き漂う。大きな窓からは淡い光が差し込んできていた。

 衣擦れの音が響く。天竜人の衣類は全て絹が使われていた。独特な光沢が放たれている。

 「明日は式典があるそうなのだ。アンは来るかな」

 ヤトロファ・クルカスの樹液を集めた陶器の器を持ち、玉を吹きだしながら前方に控える男へデイハルドは問いかけた。

 

 「さあ、な」

 返って来る返事はいつものごとくあっさりとしている。

 最初から有意義な返答が戻って来るとは思ってはいない。

 

 広い室内には豪奢な机と座り心地の良さそうな椅子があり、書類が数枚散らばっている。

 齢7にして大人の真似事が出来てしまう己に嘆息する。周りの大人たちがどれだけ無能であるか、自身で現しているようなものだ。

 出来てしまう自分に疑問を持たぬわけも無い。既視感があった。だがデイハルドとしては生まれてこのかた、そんな作業をした覚えもない。

 見知らぬ間に覚えこまされていたか、それとも生まれてくる前に同じような作業をしていたのか。

 どちらにしろ、今まさに役立っている技能である。深く追求はするまいと深く椅子に腰掛けた。

 

 視線の先、壁一面には天井に接するまでの本棚が並べられており、ぎっしり重量物が詰められた蔵書がある。厚い書籍の背表紙には題名が無い。なぜならここにあるほとんどが隠された書庫にあったものであるからだ。

 デイハルドが幾つかの書籍を見る。それは友人が興味を示している空白の100年を含んだ古書であった。

 伸ばした手を必死に、もう一本の手で押し止めるという面白い姿をしていた友人を思い出す。頭も抱えていただろうか。

 くつくつと声を含みながら、本気で悩んでいたそれらの日を思い出せば、自然と声が出るというものだ。

 

 「僕の物になってしまえば、ここにある本も自由に読めると言うのに」

 

 友人は過去へ繋がるほつれた糸を捜していた。長い年月の果てに、繊維一本残っているのかそうでないのか、わからぬあやふやなものだ。

 青海で探すには万にひとつの幸運が必要であるだろう。だがここ、聖地には空白の100年を含んだ書物が今なお残っている。

 変わらぬなどありはしない。そうであるはずだ。人間など長く生きたとしても100年前後が寿命である。世代が変わり、聖地に住む顔ぶれも世代を重ねる。

 だが聖地は不変であった。そうなるよう仕組まれ続けている。

 

 友人は強情張りでもあった。

 目の前に答えがあるというのに、わざわざ遠回りをするという。

 見れば良いのに。デイハルドは素直にそう思う。だが友人には知る以外の目的もあるのであろう。

 こぶしを握りながら知識への欲求を必死に抑えていた様を思いだす。思い出せば愉快であった。

 

 どこまでその我慢が続くのか、見物であったからだ。

 何時折れても良い。その瞬間から、その存在、心までもデイハルドのものとなるのだ。

 

 「ラン、コングへこの手紙を届けてくれ」

 インクを付けた羽ペンで何行かの文字を書き、蝋で封をする。

 宛名も差出名もない。

 しかし一族を示す蝋印を見れば、誰から届いた手紙であるかは一目瞭然だろう。

 

 「解った」

 手紙を受け取り、男は背を向ける。短く切られた鎖が揺れ、小さく音を立てた。天竜人の奴隷の証である蹄の焼き印がくっきりと黒く、背に浮かび上がっていた。

 奴隷は確かに便利であった。持ってみればこれほど役に立つものはない。手足の如く動けば、という但し書きが必要であったが。

 なぜ養父が、義兄が、義姉が、そして義母が奴隷を弄び興じていたのか。デイハルドには理解出来ないでいた。

 薬で意識を朦朧とさせ、玩具(ペット)にするなど、ただの酔狂である。否、その粋狂が天竜人の歪さをより惹き立たせていた。

 雅に興じるというならば、そうなのであろう。

 

 閉じられた天空の庭園で新たな遊びを生み、狂ずるしか楽しみがないのは分かる。天竜人には何も残っていないからだ。かつては持っていた、政を動かす権などひとつ残らず奪われていた。今やその全ては世界政府が握っている。

 20ある天竜人の主家も今や傀儡であるのか。それとも頂きにある家だけが真実を知っているのか。

 今の立場では全く分からなかった。

 ただひとつだけ確かなのは、世界の支配権を世界政府が握りきれなくなっている、という事だ。

 友人は実に良い目と耳を持っていた。所属する組織が世界政府の管理下である。多少の偏りはあるが、許容範囲内に収まっていた。

 世界政府と海軍、そして海賊、革命軍という新たな者達。黄色と青、そして赤と橙の色を当てはめ、それを世界に散りばめたなら、面白い構図が出来上がった。

 仕向けられている。そうなるようにそそのかしている、存在があるかのようだ。

 良い様に利用されているのは、果たしていくつもある駒の、どれであるだろう。

 

 それらの攻防を眺めていれば、退屈など吹き飛んだ。

 意志ある存在を貶め、辱め、屈服させ負の感情を引き出して優越感に浸るよりも、世界を盤上に見立て手駒を動かすほうがよほど楽しいではないか。

 デイハルドには無色の駒がひとつ、ある。これをどう動かせば面白くなるのか、考えただけで笑みが浮かんでくる。

 

 コンコン、とノックする音が聞こえ、デイハルドは思考を中断した。

 

 「主(あるじ)、飯だ」

 

 盆を手に、その上に乗っているのは最近知った『おむすび』という食べ物だ。

 ここマリージョアでは小麦が主食であるが、つい先日俵をもってきたアンが教えた食しかたであった。

 実に腹持ちが良く、食が細いデイハルドにとっては格好の食物である。

 

 デイハルドは静かに息をつき、背を向けドアを出たランに再び小さく嘆息した。

 露出が義務付けされている『天かける竜のひずめ』が気に入らなかったのだ。

 腕の良い刺青師を召喚し独自の線を掘らせる予定にはなっているが、なぜ皆、そろいも揃って同じ印をつけるのか分からなかった。

 否、必要ないのである。

 

 婚姻関係が結ばれ、この地マリージョアに暮らす全てが親戚と言ってもおかしくは無い。

 品評会で奴隷の交換はあれど、奪うものはいなかった。

 奴隷となった者はいわば、天竜人として生まれた者すべての所有物である。

 と多くが思っている。

 

 だがデイハルドはランを誰かに渡すつもりも貸し出すことも無いだろう。

 なぜならばランは投薬処理を行なっていない奴隷である。主と呼ぶデイハルドの言には従順であるが、その他の命令を頑として受け付けない。

 

 「……ただの見栄なんだろうがな」

 

 天竜人は青海人を見下している。

 だがここ聖地では天竜人という選ばれた一握りとして生まれていても格差があった。

 頂を二位が見上げる。いつか引き摺り下ろしてやると。

 三位が二位を見上げる。己より品質のよい全てに嫉妬しながら。

 四位が三位を見上げる。平均よりも下である己に歯噛みし。

 四位を五位が見上げる。底辺からいつか脱してやると。

 

 そして上から下へ目線を向け、悦に浸るのだ。

 この奴隷は良いものだ。5千万ベリーという高値であった。

 その値でこの質とは恐れ入りました。

 そうであろう、そうであろう。だが貴殿の奴隷も捨てがたい。

 どうでしょう、そうでしょう。気に入っておるのです。

 

 互いが互いを牽制し合いながら、互いの奴隷を羨み合う。そして交換、もしくは貸し出しに同意するのだ。

 だが高位が下位の奴隷を殺したとて罪にはならない。また下位が高位の奴隷を我が物にしたとしても罰せられなかった。

 なぜなら天竜人の約束は、すべて口だけであるからだ。

 

 そして口々に文句を垂れ流す。

 

 気に入った奴隷であるならば、それなりの趣向を凝り、自分だけのものであると判別できるようにしろ、と言うのだ。

 同じ印を入れ薬物漬けにするなど、型にはめた大量生産品を手元に置いてなにが面白いというのだろう。

 

 奴隷にわざわざ所有物の証をつけなくとも、首輪だけで十分逃走防止にはなるはずである。青海で海賊の長をしていた血気盛んな者達でさえ、この首輪の威力を真の辺りにすれば逃げ出す気力も削がれるだろう。

 普通の人間ならば頭部が吹き飛ぶような代物だ。

 

 初めての下界探索から帰って来てみれば、変わり者というあだ名が定着していた。

 奴隷を使わず己の足で歩き、どこの馬の骨ともつかない野蛮人を友人と称しているなど、天竜人としての常識を逸脱した行動をしたからだろうか。

 はっきり言って回りの目がどう自分を見ようと、噂しようが知った事では無い。

 それどころか万々歳であった。嘲けりの対象として注目されている今、勝手に評されたそれをひっくり返すという楽しみがある。

 誰が敵で誰が味方であるのか、自己申告をしてくれているようなものだ。

 目を付けられているが故に動きづらいと思うだろう。だが監視されているからこそ、流せる情報もある。勝手にあちらが勘違いし、自爆してくれるのをただ待てばよいのだ。何事も動だけが手段ではない。

 

 数日前からここマリージョアでは最近幽霊騒ぎが起きていた。

 偉大な20人の王、その末裔である天竜人だけが暮らすこの都で、何人もの行方不明者と死者が出ているのだ。

 誰が疑わしいのか。

 猜疑心が都を静寂を呼び込み変貌させていた。

 だがしかし、また数十日もすれば以前と変わらない有様に戻るだろう。

 

 犯人が見つかったからだ。

 なんという事は無い。悪魔の実を研究する下々民の学者が昨日取り押さえられたという。

 犯罪者は内部では無く外部から来たものだ。早く捕まえて首を切れ。

 天竜人は口々に、警備に入った世界政府の役人をまくしたてていたと聞いている。

 ただ犯人が外部犯であった事が何より天竜人達を安堵させていた。内からはあり得ない、そう思っていたとして、もしも、という疑念を恐れていたのだ。

 

 なぜなら使用人は全て奴隷に孕ませた半端ものが任を勤めている。生まれた瞬間より主人には逆らわないよう幼少のころより感情を抑えられ厳しく躾けられた人形のような者達だ。天竜人の命は絶対だ。この場で死ね、と言われたならば躊躇無くその言葉に従う。

 

 だからこの都に従来から住む人物の犯行では無い。

 そう主張を行うわけだ。

 

 それに、とデイハルドは天竜人が置かれている現在の飼い殺しに関し、杞憂であればよい事柄を脳内に並べる。

 よもや空白の100年を含む900年前のことなど、把握している天竜人など一握りであろうが、一度在った事は二度あるともいう。

 天竜人の祖先は抗った側であった。存在していた世界を治める機関を妥当した勢力だ。

 させぬための、麻薬付けならぬ贅沢付けである。

 デイハルドは自身が世界政府上層部において、そろそろ危険人物の札が付けられるだろうと予想していた。

 なぜなら世界政府の思惑に乗っていないからである。独自路線を歩き始めているからだ。

 アンという友人を得なければ、阿呆の振りを続けても良かっただろう。だが手に入れてしまった。よって引き返すつもりは毛頭無い。

 

 それにそろそろ、世界政府が用意し続けている甘い蜜にも限りが近づいてきていた。

 人間とは以外に飽き性である。新しいことをどんどんと追加せねばいつかは同じ繰り返しに辛抱が出来なくなるのだ。

 だから歯止めをかけられていない。だからこそ磨耗も早かった。

 仮初の平和といえど、その水面下ではさまざまが起こり続けている。

 青海では貧富の差が激しく、人間を人間とせぬ国もある。命など路傍の石と同じものである、そうアンは語った。

 

 だからこそ天竜人は人間を買い求めるのだろう。心のどこかで今がおかしいのではないか。そう思う心を抑制するためだ。

 己より秀でているものを所有することで、支配者だと思い続け本当の自分を誤魔化している。

 汚いものなどいくらでもある。自分の行いは清いのだ。贅沢が許されているのは、かつての栄光が理由だけではない。今もまさに、天竜人として皆々を導いているのである。存在し続けることこそが世界の、しいては下々民のためなのである、と。

 

 自分に言い訳を続けるためだけに行なう不毛により、真綿で首を絞めているなど考えもしないだろう。

 怖いからである。

 偉業であると信じ込んでいるものを否定されるのだ。それは怖いだろう。

 

 それを感じたくない、忘れていたいが為だけに奴隷を買い求め続ける。

 購入したばかりの奴隷は実に刺激的だ。

 首輪や焼き印で縛らなければならないくらい、活きが良いおもちゃと言えるだろう。

 

 デイハルドを末子とする一族も、全てではないが行方不明者に名を連ねていた。

 それぞれが持つ自慢の奴隷を見せ合う品評会に出かけたまま、帰らなかったのだ。

 義理の長兄と長女、そして父。

 

 マリージョアでは血が最も重きとされている。一族内結婚など当たり前にあり、聖地に暮らすほとんどが3代遡れば血縁である。

 奴隷の子は一族として認められていない。なぜなら青海から召し上げられた物であるからだ。所有物に権利などありはしなかった。

 そうした長年の血の交わり、決められた範囲内での交配が、忌子を生み出しているのも確かである。

 知的障害を生まれながらに持ち得る子の実例が増えたのだ。

 20の家はしっかりと守られてはいるが、本家と傍流を比べると、前者の方の出産率が劇的に下がっているという。子が生まれてもなんらかの障害を持ち得る子に家督を譲るのは家の沽券(こけん)が下がるとし、闇に葬られる事もままあった。

 

 デイハルドは貰われてきた子である。

 調べてみればなんと最上位にある家の、本妻の子であった。妻の座にあったデイハルドの生みの母が死に、後釜に座った女が邪魔とし放逐したのだ。聖地から出されることは無かったが、もう二度と見ることはない底辺にある家に入るのならば、と了承したのだろう。

 育ての父であるルナルディと兄が消息を断った事により、必然的にデイハルドが当主の座に座ることとなった。口うるさくデイハルドを御そうとしてきた、母親の役目を放棄した女は既に処分済みである。また分家を含めた一族であるが、全くもって利には目ざとく、家の格を上げた幼子に擦り寄ってきた。

 デイハルドは優しくその手を取った。叔父上方の協力があってこその本家であると。

 上手く泳いでくれている間は今を存続しておくが上策であろう。もし弓引いてきたならば、その命で購ってもらえば良いのである。

 

 簡単な話だ。

 上手くお互いが使い合えば、程よい利益供与が続くのである。

 

 現在最も頭を痛めている問題は20ある各家との関係であった。特に20家をまとめる立場にある家長がデイハルドを意識し始めているからだ。天竜人は血筋を最も重んじる。ルナルディ亡き後、継いだのが己の血を引く息子であったなら、目を向けるだろう。早くも貴族内では攻防が夜会にて行なわれていた。そして既にデイハルド率いる家が最上位家が抱える分家の中で、最も格上であると認定されている状態だ。

 

 家は潰されないだろう。なぜならば20という数字に世界政府が固執しているからだ。

 この点に関してはデイハルドも変える気は毛頭ない。

 多くの下々民にとって天竜人の生活様式は豪華絢爛といえる。またその生活が実は彼らが納める国への税で賄われていると知れば憤懣も出るだろう。が、その質を下げるなどありえない。生まれた時から今の生活が続いているのである。変えようと思っても変えられなかった。変えたとしようと試みても、貴族の多くが、世界政府が許さないだろう。

 

 友人を真似てみようと試みたものの、長続きしなかった。絹に慣れた肌が綿を受け付けなかったのだ。

 デイハルドの友人は質素である。

 よくもまあ、生きていられるなと思うほどに慎ましやかだ。

 

 以前手渡した菓子も凄く美味しいと喜んでいたが、この聖地では三流の店であった。使うのは主に使用人たちであり、通常であればデイハルドの口には入らない代物だ。気になりひとつ貰ったが、悪くは無かった。だが粗末な甘みといえばそうであろう。

 

 手紙に記したのはたったひとつの件である。

 どういう反応をコングが起すのか、想像しただけで楽しかった。

 デイハルドの友人は、コングがかつて元帥であった頃、手を焼きつつも手塩をかけて育てた部下の孫であるらしい。

 その縁か何かと気にかけているようでもある。

 

 (……今のところ、僕に取り入るつもりはないようだが)

 

 デイハルドは腕を組みコングという世界政府の役人を思い浮かべる。

 アンは好好爺 であると言っていたが、まだまだ観察眼が甘いようだ。狐の皮を被った虎であるなら可愛げも多少あるだろうが、あれは鋭利な刃を上手く隠した殺人鬼である。

 その皮をいつまでアンの前で被り続けるのか、デイハルドとしてはそちらの方が楽しみであった。

 

 ポートガス・D・アンという人物は捉えどころが無い。

 全てを肯定し、あるものを受け入れる寛容さを持っているのに、変なところで意固地さを見せる。陽炎のように揺らめき、近くにあるはずの姿がいつの間にか遠くへと移動している。手を伸ばしても触れられないのかと手のひらを向ければ、握り返せるほどすぐ側に立っていた。

 

 天竜人という位を認めながらも、定められた法より交わした小さな約束を優先する心根もまたおもしろい。会うたびに新しい発見ばかりする。

 難解だと差し出された方程式すら見ただけで答えが解ってしまうというのに、あの人物だけは全く理解出来ず、だからこそ欲した。

 

 返しに来いと渡したビーズを律儀に身につけている所も、年上ながら可愛いとすら思える。似合っているのだからそのまま持っていると良い、そう言った時の吃驚したような、頬を染めた笑顔がまた可愛らしいかった。

 

 「さて。どういう返答をしてくるか、楽しみだな」

 

 デイハルドはこつこつと机を指で叩き、窓の外へ視線を投げる。唸り皺を増やすであろう、コングの眉間を想像しながら愉しげな声を漏らした。

 来るべき時が待ち遠しくなっていた。

 

△▽△▽△▽△▽△▽△▽

 

 

 「初めまして。魚人海賊団の皆さま方ですね」

 

 シャボンディ諸島61GR。

 

 そこには大船団が寄港していた。

 新たな王下七武海を迎える式典が開かれるまで一時間と迫る中、海軍の伝書バットにより指定された場所にやって来たのはあどけなさが残るひとりの少女だった。

 歳の頃は10歳前後だろうか。

 

「わたしは海軍本部黄猿直属、ポートガス・D・アン少佐です。新たな七武海へ就任される海侠のジンベイ殿をお迎えに参りました」

 

 所属している艦隊を聞いた幾人から、ざわりと殺気が放たれる。

 だがその多くは豪胆と進んできた人間に驚きを見せていた。船へ続く一本道に居並び、睨みをきかせていた魚人達があっけに取られている。

 少女は指定時間5分前に現れ、そよ風のように列の間を通り抜けた。

 並みの海兵ならば歩きだす事すら出来ないだろう。階級が高い将校であっても、多少は緊迫した気配に表情を固くする。

 だがそんなそぶりを全く見せる様子なく階段を登り船に立つ。堂々とした出で立ちだ。

 

 「わしがジンベエだ。お前さんが海軍からの使者か」

 「そうです」

 

 魚人海賊団船長、海侠のジンベエが声を発する。

 大きなひと、であった。

 アンは首を大きく持ち上げ、ほほ笑む。

 

 懸賞金2億5000万ベリー。

 赤土の大地を素手で登ったと伝えられるフィッシャー・タイガーが取りまとめていたタイヨウの海賊団を、彼の死後引き継いだジンベエサメの魚人である。

 3つに分かれた中で最も大きな勢力であると聞いていた。

 ひとつはこの集団である。そしてもうひとつはインペルダウンに収監されていた男を長とする集団であり、最後のひとつは総勢7名という小さな一団であった。

 

 アンはジンベエを見上げながら、水族館で見た悠々と泳ぐその姿とはまた違うという感想を得ていた。

 彼はつぶらな瞳ではあるが可愛くはないし、どちらかと言えば温厚であるサメであるジンベエだが、目の前の人物は理知的ではあるが獰猛さを兼ね備えていた。

 

 なぜこの任務をアンが命じられたのか、全く想像が付かない。

 目的や思惑があるのか、無いのか。変更がかけられたと聞いている。しかしそもそも任命されていた人物がいたはずだ。海兵として名誉ある職務であるという。勲章を得られるこの機会に食いつかない者は少ないだろう。小額とはいえ報償も出る。全くもってわからなかった。

 アンとて勲章が欲しいわけではない。あんなものを胸にぶら下げるなど、遠慮したいと願うほうだ。だから最初、この任務を断った。

 センゴク元帥は奥歯を噛みながらアンの意志を尊重し、一度は引いたがしかし、次いでやってきたのはコングであったのだ。

 

 この御仁にアンは弱かった。

 義祖父のように命じては来ないのはもちろん、力技を仕掛けてくることもない。

 事実を淡々と理路整然としてどうしてもアンでなくてはだめであるのだ、という理由を諭してくるのである。

 

 結局のところ受けざるを得なくなり、今、その任務の真っ最中であった。

 が、後悔していないわけではない。

 

 なぜなら兄弟たちとの約束が守れなかったからだ。

 ふたりはアンを責めなかった。だからこそ少々、後ろ髪を引かれている。

 

 実は久々の休日を使い、小さな船ではあったが島を一周ぐるりとしてみよう、そういう計画が立てられ準備も進められていたのだ。

 与えられた休みは今日を含め5日ある。十分な日数だった。

 兄弟達は先に出ているから、終わったら合流すればいいと言ってくれている。

 

 (ふたりとも大好きだ!)

 

 だからアンは兄弟達に持って行く土産を幾つか脳内で候補を上げていた。

 休日出勤分は特別手当も出るらしい。なので高価な本もついでにねだっておいた。

 

 「してここから聖地マリージョアまで大分距離があるようじゃが、どうやっていくつもりなのか教えてもらえんか」

 「ここから直接、会場へ飛びます」

 

 人差し指を立て、笑む。

 少女の言葉に誰もが何も言えなかった。飛ぶとはどういうことなのだろう。

 「魚人海賊団の皆さまはこの場で暫くお待ちください。式典は1時間ほどで終わる予定となっています。終わりましたらジンベエ殿を、こちらにお送りしますので」

 

 飛ぶ、というのは空中を行くのだろうか。魚人の数名が青を見上げた。

 海兵には不思議な体術が伝わっている。それを使って移動するのだろうかと、タイヨウの海賊団に属している面々がその眼光を少女へ集中させた。

 

 「ジンベエ殿、お手を貸して頂けますか」

 

 ジンベエは力の加減に気をつけ、そっと海兵の手に触れる。その時とある少女とダブって見えた。姿かたちは人間である。似ていておかしくはない。だが髪の色や雰囲気が違う。

 なぜ今、思い出したのか。己の考えを突き詰めようとしたとき、不意に景色が変わった。

 言葉通り飛んだ、のであろう。

 今頃船に残っている多くがあんぐりと口を開いているに違いない。

 

 眼下に広がるのは庭園であった。手入れがされ、美しい芝生が植わっている。

 下から見上げる人物たちがあった。

 服装からして海軍関係者であると見て取れた。中には軍の最高司令官までもが立っている。

 ジンベエは少女を引き寄せ腕に抱き、地鳴りを立てて大地へ足をつけた。

 

 砂埃が舞う。

 不思議な感覚であった。人間は魚人を見ると誰もが一歩後ろへ下がるものだ。だがこの少女は嫌がるそぶりを見せず、反対にしがみついて来たのだ。しかもジンベイは海賊である。海軍所属者であったとしても、身構えられるのが常だった。それがたとえ、タイヨウの海賊団の時から受け継がれてきている、殺さずを守ってきた集団であろうともだ。

 

 感謝の言葉があった。

 それを頷きをもって受領する。

 

 「海峡のジンベエ殿、お連れしました」

 

 アンは出迎えに来ていた元帥に向かい、敬礼する。

 式典まで30分となっていた。アンは出席者と別れ、待機所へ向かう。

 会場は結婚式が開かれる教会のような、白で統一された建物で行われていた。

 周囲は手入れされた庭が広がり、小さいながらも薔薇園もある。

 

 さすがに出席者は海軍関係者のみ、のようだ。

 他の6名にも新たに加入する人物の名を通知する伝書バットなり、鳩が飛ばされているはずだが、今のところ誰ひとり来ては居ないようである。

 世界に散らばる七武海は揃いも揃って曲者ばかりだ。

 アンもまだ、ひとりしかあった事が無い。

 ジュラキュール・ミホーク、鷹の目とふたつ名で呼ばれる世界最強の剣士だ。シャンクスと若い頃からライバル関係にあり、今もまだその決闘が続いていると聞いていた。本人にあった際、それとなく聞いてみたのだが真実らしい。

 強き者、にしか語らないとの言で、手合わせになりかけたが一応、切り結ぶ前に及第点は貰えたようで話しかけても背に帯びた長刀を抜かれる事は無かった。

 

 その他の構成は海賊女帝ボア・ハンコック、サー・クロコダイル、ゲッコー・モリア、そして。

 寝不足ではないはずの脳が、名前を戸棚から引き出してはくれない。

 

 白昼夢を見ているのか。

 周囲がぼんやりと白く靄(もや)掛かっていた。霧ガラスを介して周囲を見ているような感覚だ。

 

 ふと横切る姿を捉えた。

 赤の目立つコートを肩にかけている男である。

 

 「……おとう、さん?」

 

 アンは赤を追う。

 この後デイハルドと会う呼び出しを受けているが、アンは赤へとその手を伸ばした。

 

 父が何かを話している。真剣な表情だ。聞き逃してはいけないと耳を傾けるがしかし、肝心のその声が聞こえない。

 周囲にさまざまな画面が重なり始めた。目の前だけではない。360度全てだ。ありとあらゆる生と死が繰り返される。だが追いきれない。

 その中でアンは目に付いた画像に視点を合わせる。

 

 大柄の男があった。

 背はジンベエと同じ位であろうか。特徴的なサングラスをかけたピンクの、品がよろしいとは言えない羽毛のコートを羽織った見知らぬ男の姿だ。

 

 とある王国が映し出される。色とりどりの花が咲き乱れる、美しい情景だ。

 

 そこへ黒のインクがぼたり、ぼたりと落ちた。

 全ての色が黒に染まり、その上から赤や黄色の原色が無秩序に塗られ始める。

 貧しくも清く正しく真っ直ぐに生きていたその国と人々が一瞬のうちに怨嗟にまみれた。

 そこに立つのは幼子だ。後ろには大男が立つ。

 

 老若男女問わず笑っていた。そして泣いていた。

 その様はまるで光と影が映し出す、喜劇と悲劇だ。

 

 随分と抽象的な表現が多いのは、未来に起こることであるからだとアンは見ていた。

 未来は確定していない。過去は変えられないが、現在から先にある未来ならば、強い力をもってすればへし曲げることも出来た。

 

 黒の下地が色に混じる。

 鮮やかであるはずの原色に暗さを与えてゆく。それは二重螺旋の構造をもった、ちぐはくとした階段として立体的に組みあがってゆく。

 上下にそれぞれ姿が現れる。上の光当たる部分には人間が。下の影には人形が。その狭間には小人が走り回っている。

 一体なにを現しているのか、見当もつかない。

 

 男の視線の先にはデイハルドが居た。

 直接繋がっているわけではない。誰かを介して、縁がある。

 

 

 「くっ、ぁぁ」

 

 アンは突如、壁に押し付けられた際の痛みで我を取り戻した。

 思わず目を最大限にまで見開く。

 目の前にあった顔は、今までアンが見つめていたガラが悪く、センスの悪いピンク色のコートを羽織っていた男であったからだ。

 

 夢の続きだろうか。そう考え、即却下する。

 夢はどこまで行っても夢だ。だがこれは、この痛みは現にしかない。

 

 「……あなたは、誰?」

 

 両手の自由が利かなかった。それに足も、だ。何かに囚われているかのように、動きを阻害している。

 だが口は動いた。かすれた声を絞り出す。

 

 「あなたは、デイハルドの、何?」

 

 男が興味深げにアンを見た。質問が良かったのだろう。

 

 「お前……おれの部下になる気はねぇか」

 

 数十秒の沈黙の後、男がそう口を開いた。

 足元に広がっていた黒が粘度をもって跳ねる。

 

 低い耳心地よい声である。

 だがアンは一言、「いやだ」と断じた。

 はっきりと言って、アンを押さえつけている男のほうが強者である。首を掻き切られても文句は言えまい。

 だが断った。

 

 「ほう」

 

 声の質が変わる。

 だがアンは引かなかった。

 

 唇を割られ、良いように弄ばれたとしてもだ。

 この男は少女趣味なのであろうか。世界が世界であれば、危険人物である。

 やられてばかりではアンとていい気はしない。

 

 思わぬ反撃に男が面食らった。

 拘束が解けた瞬間、アンは男と距離を取る。

 

 「フフフ!!! やっぱおもしれェ。おれの元へ来い! 女としても可愛がってやろう!」

 「さて、そのような誘いは上官を通して頂きませんと。なにぶん、一兵卒でありますゆえ」

 

 唇を拭い淡々と事実だけを述べる少女へ、両手を挙げ一歩引いたのは男であった。

 機が悪い、と判断したのだ。所属は割れている。しかもこの聖地に来ることが出来る役職だ。手に入れるとしても、今でなくてはならぬわけではない。

 

 「フッフッフッ!! 気の強ェ女は嫌いじゃねェ。いつか言わせてやるよ、お前からおれの元に来たいとな!!」

 「おととい、きやがれ」

 

 踵を返した気障な男へ向かい、中指を立てながらその背に投げる。

 二度と会いたくは無い相手ではあるが、それはきっと叶わぬのだろう。なぜならばデイハルドに連なる何かであるからだ。

 全く大切な情報源の邪魔をしてくれたものである。

 

 でもまあ。

 と、アンはかくりと首を傾ける。

 男の周りには多くが集っていた。視えた限りではそこにアンの姿は無い。

 ただ、人脈は大切だ。

 己の邪魔をしないのであれば、たまになら力を貸すこともやぶさかではない、とも思う。

 

 「ほどほどに、とは難しい」

 

 アンはぶるりと体を震わせる。

 大きすぎる野心があの男にはあった。しかもそれを、実現できるだろう強い運の持ち主でもある。取り込まれないよう気をつけねばならないだろう。

 縁が結ばれてしまった感にアンは肩を落とす。

 未来は不確定だ。だが流れ、というものがある。誰が描いたのかはわからない。

 しかし筋があった。それに沿い、物事はさまざまな肉付けがされ太く伸びてゆく。

 

 それを変えることも出来る。が、その代償は大きい。

 

 「やっかいな相手に、目を付けられた」

 

 アンは大きくため息を付く。見上げた空は青かった。瞳を閉じ、その場から姿をかき消した。

 兄弟達の下へ行くのが遅くなりそうだ。

 そんなことを考えながら、景色の変わった先に視線を向けた。

 


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